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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:8 すべての命の行き着く先は
86/176

8-1 栄光の架け橋

 

 ドラゴン族の王、バハムルギュスと、

 魔王慶喜の決闘から二週間が経過した。

 

「……」

 

 ここは王城ラデオリの一室。


 ついに念願の一人部屋を手に入れたイサギは、ベッドに横になっていた。

 再び旅に出る機会を伺っていたのだが、どうもタイミングを逃してしまった気がする。

 

 新体制に移行する廉造に手を貸し、未熟なドラゴン族を鍛え、

 スラオシャルドの墓参りに火山へとひとり赴き、

 同盟に非協力的な様々な村に慶喜とともに向かい、魔王の威光を知らしめて……

 

 そんな雑事に追われている間に、あっという間に二週間という時間が過ぎてしまった。

 本気でまつりごとに関われば、一年や二年、平気で吹っ飛んでしまうのだろうな、と思う。


「慣れないことは、やるもんじゃねーな……」

 

 ベッドの上でごろりと転がる。

 自分はやはり、戦うほうがお似合いだ。

 裏から国を動かすことなど、きっとできないだろう。

 

 

 様々な懸念はほぼ、解消していた。

 

 逆恨みで魔王慶喜を狙うドラゴン族がいるのかもしれないと思っていたが、

 決闘で正々堂々とバハムルギュルスを下した彼に与えられたのは、賛辞だけであった。

 

 バハムルギュスが彼を「アンリマンユの後継者に認めよう」とドラゴン族の同胞に宣言したのだ。

 全世界を戦争の渦に巻き込んだ魔帝の後を継ぐもの、ではない。

 武人としてバハムルギュスと対等に戦ったアンリマンユの跡継ぎとして、だ。

 

 こうして、慶喜はたやすくドラゴン族に受け入れられた。

 いや……たやすく、ではないか。

 これは彼自身が勇気で掴み取った栄光なのだから。

 

 

 一方。

 

 地竜将ベヒムサリデは、討ち死した。

 それを果たしたのは、表向きには元魔族国連邦の将軍、廉造ということになっている。

 ベヒムサリデは竜王バハムルギュスに刃向かったのだ。

 裏切りものに死を与えた廉造は、竜王とドラゴン族の信頼を勝ち取った。

 

 地竜将の後を引き継いだのは人間族の男、廉造だった。

 

 ドラゴン族以外のものが天・地将まで成り上がるのは初めてのことである。

 だから今度はもしかしたら廉造に刺客が送り込まれるのではないかとイサギは思ったが、特にそういったこともなかった。


 ドラゴン族の中に“暗殺者”などという職業は存在しないのだ。

 不満を持つものは廉造に正々堂々と決闘を申し込む。

 力持つものこそがドラゴン族の正義だからだ。

 しかし、それすらもなかった。


 むしろ、廉造を婿にとドラゴン族の村長、各族長、将軍たちが連日押し寄せる有様だ。

 彼らにとって、廉造はまるで金の鉱脈のようである。

 ドラゴン族と人間族の間に混血児が生まれるのかどうか、イサギにはわからないが。

 

 

 とにかく。

 人間族との戦争を回避したドラゴン族の国『ヒュドリアス』は、ひたすらに平和だった。

 

 竜王バハムルギュスの弟は死んだが、彼は元々ドラゴン族内でも嫌われ者だったようだ。

 策を弄する男だ。実力があるから認められていたものの、ドラゴン族の道理には反する。

 

 慶喜も廉造も受け入れられた。

 多少不便な土地だが、暮らしてゆくには不自由はしないだろう。

 

 ……良いことである。

 物足りないだなんて、決して思わない。


 俗世と関わらないため、得体が知れないと言われているドラゴン族だが、

 彼らの社会は穏やかであり、極めて道徳的であった。

 

 貧困や諍いが滅多に起きないのは、ドラゴン族に食事の必要がないからだろう。

 彼らは一体どうやってエネルギーを蓄えているのかは謎だが、この世界の生き物にとってはそう特別なことではない。

 

 身近なところでは、デュテュだって精力で活動する不思議な生物だ。

 慶喜や廉造たち封術師たちは、飲まず食わずで数週間過ごすこともできるらしいし。

 イサギですら、現代日本の常識では計り知れないような活動力を備えている。

 すべて、魔力というもののおかげなのだろう。

 

 イサギはなんとなくコードを描きながら、頭を起こす。

 

「ま、慶喜も廉造も、昔とは違うって話だよな。

 自分の身ぐらいは、自分で守れるさ」

 

 彼らはもう歩きだした。

 イサギの手助けは、必要ないだろう。

 そのことが誇らしくもあり、一抹の寂しさもある。

 

「……平和な世界に勇者はいらない、か。

 そりゃそうだよな。そのためにがんばってきたんだからさ」


 あとはこれまで通り、冒険者を狩る日々に戻るのだ。

 この世界から神化病患者を絶滅させるその日まで。

 

 そして、それが済んだら。

 ……いや、よそう。


 今そんなことを考えても仕方はない。

 イサギは立ち上がった。


「ちっと休憩も済んだし……

 あいつらの様子でも見に行くか」

 

 聖杖を背負い、腰にカラドボルグを差し、

 灰色のマントに身を包んだイサギは、部屋を出た。


 

  

 ◆◆

  

 


 しばらくゴンドラに乗り。

 

「レンゾウか? まだ帰ってきていないぞ」

「ん、そうか」

 

 廉造の屋敷を訪ねたイサギを出迎えたのは、イラだった。

 裏手で鍛錬をしていたようだ。汗を流し、首からタオルを下げていた。

 

 背中の翼はようやく彼女の体重を支えられそうなほどに生え揃っている。

 まだ以前のように空中戦をこなすのは無理だろうが、その日も近いようだ。


 しかし、相変わらず揺れるほど胸が大きいのに今は下着をつけていないから、

 そこを視界に収めないようにするのはなかなか苦労をした。


「えっとな、どこにいったか知っているか?」

「いや、聞いていないが……」

 

 彼女はなにかを言いたそうにしていたようだが、イサギはすぐに背を向ける。

 

「わかった。修行の邪魔してすまなかったな。

 それじゃな、心当たりを探ってみるよ」

「ま、待ってくれ」

「ん?」

 

 振り返るイサギに、イラは視線をさまよわせて。

 一体なんだろう、とイサギは彼女の意図を探る。


 以前にワイバーンゲートで廉造を殴り飛ばしたから、その意趣返しだろうか。

 しかし彼女は頬を赤めながら、告げてきた。

 

「……色々と、悪かったな」

「あ……?」

 

 まるで心当たりがなかった。

 一体なにを言っているのかわからず、聞き返す。


「お前から頭を下げられるようなことなんて……」

「いや、その、な」


 肌の白いイラは紅潮するとすぐにわかった。


「レンゾウから聞いたのだ。

 おまえは昔から、私たちのために働き、

 デュテュさまたちを守っていてくれたと……な」

「えっと」

 

 そうだっただろうか。あまり覚えていない。

 思い出す。この世界に呼び寄せられて、それからのことを。


 ……悔やむことばかりだったような気がする。


「……いや、それを言うなら、俺なんてまだまださ。

 きっと、イラが無事でいられるようなやり方だって、あったはずなんだから」

 

 イサギは頭をかく。

 本当にうまくいったと胸を張れることなんて、数えるほどしかない。

 自分はどこでも犠牲者を出してきた。

 

 四年前だって、今だって。

 バリーズドを死なせて、セルデルを殺して。

 自分と再会しなければ、彼らは無事なままだったかもしれないのに。

 失敗ばかりだ。

 

 今回、慶喜とロリシアの手助けをして、

 ようやく人のために働けたと思えたぐらいなのだ。

  

 そんなイサギに、イラは首を振る。


「あまり思い詰めるのは、よくないことだ。

 今のレンゾウがあるのは、おまえのおかげなんだ。

 時には自分のことを甘やしてやれ。そういう時間も大切だ」

「そうかね……」

「ああ。私はずっと周りが見えていなかった。

 そのために、より多くのものを失ってしまった気がする。

 だから、その、お礼というわけではないが……忠告したかったんだ」

 

 彼女の真剣な言葉を聞いて、イサギは頬を緩めた。

 責任がある以上、そこから逃げることはイサギにはできない。

 今もこうしてどこかで人が死んでいるのだ。

 

 だが、それではイサギ自身が救われることはないだろう。

 イラの言葉も、ひとつの考え方だ。


「なんだか、今のイラが言うと、すごく説得力がある気がするな」


 その瞬間、イラの顔は真っ赤になった。

 なにをからかわれたのか、わかったのだろう。


「なっ、ば、ばかなことを言うなっ!

 わ、わたしはなっ! 本気で、本気なんだぞっ!」

 

 相変わらずの怒りっぽさで、すぐに反論をしてくる。

 そんな彼女の慌てる姿を見て、イサギは声を上げて笑った。


 きっと幸せなのだろう。

 それはいいことだ。本当に、そう思う。

 



 ◆◆

 

 

 

「あー、いーたー!」

「もう、どこほっつき歩いていたんですかぁ!」

 

 廉造の家を出て、再びゴンドラで運んでもらおうとしていたところで。

 空から降りてきたのは、小さな翼を羽ばたかせたマールとローラだった。


 マールはボーイッシュなショートカットの少女。

 ローラは長い髪をツインテールにまとめた、ギャルっぽい少女だ。

 ちなみに廉造の好みはマールである。いや、イサギの勝手な想像だが。


 それはともかく。

 相変わらず、このふたりはいつも一緒に行動をしているな、と思う。

 太陽の眩しさに目を細めながら、イサギは手を振る。 

 

「よう、俺を捜していたのか?」

 

 どうやら行き違いになっていたようだ。

 ふたりはイサギの近くに着地し、怒ったような顔で手を引いてくる。

 

「兄ちゃんがねー」

「スーパーお兄を連れて来いってぇー」

「結局俺の呼び方はそれになったのか……」

 

 イサギはげっそりとつぶやく。

 

 廉造は竜化した彼女らを倒し、認められることにより敬愛され、「兄」と呼ばれることになった。

 さらにイサギがその上をいった。イサギは廉造を倒し、ベヒムサリデを討ち取ったのだ。

 マールとローラにとって、イサギはさらに尊敬するべき人間になった。

 

 だからって。スーパー兄て。

 

「まーそれより、はよはよー」

「うーむ」

『乗って乗ってくださぁい』

 

 ローラが竜化し、一声吠える。

 赤竜そのものの巨大な生物が明るく可愛らしい声をあげるのは、違和感しかなかったけれど。

 イサギはその背に乗った。


 マールはぺしぺしと竜化ローラの鱗を叩く。


「さ、頑張ってくれなー、ローラ」

『ええーなんでマールちゃんもあたしに乗っているんですかぁー!?』

「自分で飛ぶの疲れるじゃん」

『さも当然のように言われてもっ!』

「うーむ」

 

 双子に挟まれてうなるイサギ。やかましい。

 

 ここ二週間、イサギはこの姉妹をもっぱらタクシー代わりに利用させてもらっていた。

 れっきとした赤竜将の位を持っている娘たちなのに、だ。

 悪いことをしているとは思うが、彼女たちは嬉々として自分の力に成りたがってくれたから、好意に甘えさせてもらったのだ。

 

 イサギはローラの背に乗っていたが、マールはなんと彼女の尻尾にまたがっている。

 まるでロデオガールのようだ。なかなか様になっている。

 

『むー!』

 

 二度三度羽ばたくローラ。助走は必要なく、ただのそれだけでドラゴン族は宙に浮かんでゆく。

 一体どのような魔術の発現なのだろう。

 

 以前、シルベニアは空を翔ぶ魔術を操ったと言っていた。 

 そんなことができるはずないとイサギは思っていたのだが、どうやら真実だったらしい。

 ドラゴン族にもなにか超常の力が働いているのだろう。


 体重が消失したような浮遊感とともに、ローラは高く高く上昇してゆく。

 自分たちの山間があっという間に置き去りになり、周囲には一切の障害物がなくなった。


 山の緑と空の青。それだけが景色の全てだ。

 嬉しそうにマールがはしゃぐ。


「はははー、早く翔べー、速く速くー!」

『むいいいい、振り落としてやりますぅぅぅ!』

「うおっ」

 

 叫んだのはマールではなくイサギだった。


 竜化ローラが急降下を始めたのだ。

 90度の突然の落下だ。浮きあがるような感覚に内臓が押し上げられる。

 そのまま地面に墜落すると思った次の瞬間、今度は角度を変えて地上と水平に羽ばたいてゆく。

 

 マールは大喜びだ。


「あははは、なかなかやるなー! ローラ!」

『ローリングローラングを見せてやりますぅ!』


 いくら竜将といえども、これだけの技術は類を見ない。

 恐らく、無意識に闘気を放散し、抵抗や出力を調整しているものだと思われた。

 ローラはさらに曲技を繰り出す。

 きりもみやテールスライド、アウトサイドループと呼ばれる飛翔術の数々だ。

 翔ぶことにかけて、ローラは天才的な獣術使いだ。

 

 対する、美少年のような外見をしたマールは槍術に長けていると聞いた。

 双子のはずだが、なにからなにまで似ているわけではないらしい。

 

「なんか段々酔ってきた……」

 

 めまぐるしく動く視界に振り回され、イサギはうめく。

 そう言っている間も上下は逆さまだ。

 頭の上に大地があり、足元に空がある。


 このまま蒼穹に落ちてしまいそうな気がして、目眩がしてきた。

 アマーリエなら、3秒持たずに具合が悪くなってしまうだろうな、と思う。

 


 ドラゴン族全体の中でも、獣術使いは1割にも満たない。

 身体の一部だけではなく完全に竜化することができるものはさらに少なくなるのだという。

 獣術は、ドラゴン族ならば誰でも使えるようなものではないのだ。

 より血の濃いもののみが受け継ぎ、後世に残してきた秘術である。

 その管理を担ってきたのが、ドラゴン族を統治する五大家だ。

 

 黒竜家、白竜家、赤竜家、青竜家、黄竜家。

 それらは竜将五家として、代々ドラゴン族の村を統率し、人間族に抗ってきた……らしい。

 全ては廉造、マールとローラの受け売りだ。

 

 空の旅は続く。

 無駄な飛行をしているからか、さらに長く。


 廉造は、彼女ら双子の父、大赤竜将軍ペンドラゴンに称号を与えられて、赤竜将を名乗ることを許されたのだ。

 赤竜家当主はそのペンドラゴンの父、つまりマールとローラの祖父である。


 そしてそれとは別に、竜王と天・地竜将という国独自の地位もある。

 これはかつてドラゴン族を統一した男によって作られた位だ。

 

 バハムルギュスは竜王であり、黒竜家当主でもある。

 かつての地竜将ベヒムサリデは同時に大黒竜将軍でもあった。


 そして……


 山々を抜けてきたマールとローラの前に、

 今、一匹の大竜が輪を描くように漂っていた。

 

 彼こそが黄竜家当主であり、そしてドラゴン族のもう一本の槍。

 天竜将レルネリュドラ。黄金に輝く鱗を持つ見事なイエロードラゴンだ。

 どちらかというとその姿形は、蛇のような東洋竜に近い。

 

 マールは速度を落としながら彼の周囲を旋回する。

 

『あれれぇー、レルネリュドラさまー、お兄はー?』

『やつなら下さ。うちの親玉の護衛をしているぜ』

 

 牙の生え揃った大口から発せられる声は低く、雷雲のようだった。

 レルネリュドラもまた、ベヒムサリデのように古くから竜王に仕える忠臣である。

 

『俺はこんなところで睨みを効かせているわけだがな。

 下の会話が聞こえるといっても、ヒマでヒマでならねぇぜ。

 ペンドラゴンの娘や、ちったぁ相手をしてくれや』

『えー!』

 

 マールとローラが同時に悲鳴をあげる。

 

 イサギが態勢を立て直しながら見下ろせば、

 山の中腹に建てられた砦には、なにやら物々しいほどの数の兵士たちが駐屯していた。

 ドラゴン族だけではない。人間族も集まっている。


「そうか」

 

 イサギは思い当たる。

 ついに結実の日がやってきたのだ。

 

 魔族とドラゴン族とブルムーン王国の同盟が成る。

 下ではきっと、バハムルギュスとアピアノス、

 そして慶喜の三人による講和条約が結ばれようとしているのだ。


 始めの一歩は小さな一歩だけれど。

 それでもようやく、ここまで来れた。

 

 イサギはたったひとりで魔族を救うために旅立ったけれど。

 でも結局、イサギには殺すことしかできなかった。

 

「そうか……」

 

 魔王を倒した自分ならば、ひとりで全てを変えられると思っていた。

 けれど違う。人を変えるのは多分、力ではない。

 人たちの想いだったのだ。

 


 冒険者ギルドに潜り込んだ愁が、イサギにきっかけを託して。

 ドラゴン族に流れ着いた廉造が、バハムルギュスとの間を繋いだ。

 そして、魔王である慶喜が決闘に勝利し、その力を示す。

 

 フォールダウンによって導かれた四人は、

 こうしてデュテュの願いを遂げたのだ。

 

 それぞれの歩んだ道は違った。

 だが、到達したのだ。

 

 だから、嬉しいのだ。

 皆でこの結果に行き着いたのだ。

 

 

 きょうはその記念すべき日だ。

 廉造が自分をここに連れてこようとした理由もわかった。

 これは自分たち四人で行なった結果なのだから。


 

 イサギも向かおう。彼らの元に。


『じゃあ、先に降りる場所を探さないといけませんねぇ……

 どこかここらへんに、着陸できるようなスペースはぁ……』


 そんな必要はない。


「連れてきてくれて、サンキューな」

 

 そう言ってイサギは二度ほどローラの背を撫でる。

「え?」という疑問の声にも構わず。


 鞍を蹴り、直下へダイブした。

 待っていられなかったのだ。


『えっ、あっ、ちょ、スーパーお兄――』

 

 背中から追いかけてくる声にも構わず、

 イサギは風を切って落下する。

 真っ逆さまに、地上へと。


 親指を立てて笑顔を見せながら、彼女たちに叫ぶ。


「ワクワクしてんだよ、ガキみてーにさ!

 悪ぃな! 先行っているぜ!」

 

 

 飛び降りながら展開する魔術は、風術。

 地上に向かって、思いっきり叩きつける。

 体全体で感じる空気抵抗と、浮力。浮遊感。

 あるいはそれは、高揚感と呼んでも良かったかもしれない。

 

 金色の光がイサギの背から漏れ出す。

 粒子をまとう彼の落下速度は少しずつ減少してゆく。

 煌気放散――は、廉造にも追いつかれてしまったが。

 その程度で満足するイサギではない。

 

 少年の背中から漏れた光は翼を形作る。

 廉造との一騎打ちにおいて、着想を得た技だ。

 

煌気翼翔(ブレイヴウィング)――」

 

 一気に光が拡大した。

 まるで竜の翼にも似た大きさの粒子が、イサギの背から一気に放出される。

 それらはすぐに散布されることなく、留まり続けた。

 

 魔術と煌気の融合技。

 巨大な翼は風を操るトリガーだ。

 今はまだ滑空や浮遊することが精一杯だが、そのうち空を駆けることもできるようになるだろう。

 

 いざというときに備えて開発しておいたのだが、人前で使うのは初めてだ。


 やはり自分の意志で飛ぶことができるというのは、気分が良い。

 人間族の兵士たちはイサギを仰ぎ見て、なにやら騒ぎ立てていた。

 イサギは翼を畳みながら落下速度を調節する。

 そうして風を裂いて、地上に降り立った。

 

 周囲の喧騒とは裏腹に。

 すとっ、と。

 着地の瞬間は静かなものだった。

 

 だが、イサギは一瞬だけふらついてしまう。


「おっとっと……さすがに煌気の長時間の運用はキッツいな……」

 

 昔よりはずっと闘気の操り方も上達し、

 煌気状態を維持できる時間も長くなってきたが、それでもこの技は負担が大きすぎるようだ。

 

 実戦に投入するのはまだ早い。しばらくは練習を続けることにしよう。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 と、騒ぎを起こしたイサギの元に、呆れ顔の男が近づいてくる。

 槍を持つ将。廉造である。

 彼は集まってきた兵士たちを散らすと、眉根を寄せる。


「テメェ、なんだありゃ……?」

「カッコいいだろ」

 

 誇らしげに笑うイサギ。

 イエスもノーも言わず、廉造は首を振った。


「あんまり周りをビビらせんなよな。

 峠は越えたとはいえ、まだピリピリしてんだよ。

 派手すぎンだろ、バカ野郎」

「そいつは悪いことをした。

 でもカッコいいだろ?」

「ンなことよりな」

 

 イサギの問いを封殺し、廉造は兵営から離れてゆく。

 同意を得られなかったことを少し残念そうに頭をかきながら、イサギはその後に続いた。

 

 廉造は小声でこちらを問い詰めてくる。

 

「テメェ、この日になんで来てねェンだよ」

「俺は俺で、昨日までずっと働きっぱなしだったんだよ。

 つか、廉造がいるじゃないか。護衛の必要はなかっただろ」

「そういう問題じゃねェよ。ったく」

 

 舌打ちする廉造。

 ただ、今は来て良かったとイサギは思っている。

 歴史的な瞬間に立ち会えるのだから。

 

 会議が行われているであろう幕営が見えるところで廉造は足を止めた。

 魔法陣結界によって包まれたテントは、決して外に声が漏れることはない。

 

 中ではきっと、慶喜が頑張っているだろう。

 

「ロリシアも中か?」

「ああ」

「そうか。うまくいくといいな」

「ンだな」

 

 慶喜とロリシア、ふたりならば支え合える。

 あの一件以来、ふたりはどちらかというと恋人というよりは、まるで家族……夫婦のようだった。

 

 きっと、絆を繋ぐことができたのだろう。

 足して一人前なら、良いコンビだと思えた。

 

 イサギと廉造はしばらく黙っていた。

 改めて口を開いたのは、廉造。

 

「オレは、愁の元へ向かうつもりだ」

「ん」

 

 少し意外だった。

 廉造はこのままドラゴン族の元へ残るのかと思っていたのだ。

 彼は手のひらを握り、拳を作る。

 

「別に、愁のやることを助力してェわけじゃねェ。

 この世界で戦乱が残っている場所は、もうそこしかねェンだよ。

 極大魔晶を作るために……オレは、戦い続ける」

「……」

 

 確かにこの三族会議は、廉造の目的とは真っ向から対立している。

 アルバリススが平和になればなるほど、廉造が帰れる算段はつかなくなってゆく。

 

 しかし、とイサギは尋ねる。


「イラは、どうするんだ」

「国に帰す」

 

 廉造は迷いもせずに答えた。

 

「役目が終わったらヨシ公も暗黒大陸に戻ンだろ。

 なら、そいつらと一緒に戻りゃいい」

「……そう、か」

 

 ついつい口出しをしてしまいそうになるけれど。

 そんなのはイサギだって変わらない。

 なにもかも置き去りにして、ここに立っているのだ。

 

 廉造の決めたことなら、飲み込むしかない。

 元の世界に帰れるようになるその日まで、廉造はきっと一瞬足りとも立ち止まれないのだから。

 

 もしかして、とイサギは思う。

 本当は廉造の幸せを妨げてしまったのは自分なのではないだろうか。

 

 廉造が本当に好き放題に暴れられていたら、

 今頃彼は多くの屍の上で、極大魔晶を手にすることができていたのだろう。

 

 倫理も常識も全て破壊するような魔人と化し、ダイナスシティをも火の海に沈めて。

 冒険者の王カリブルヌスを粉砕し、愛する妹の元へと帰還できていたのかもしれない。

 

 そんなことを思っていると、廉造に肩を小突かれた。


「バーカ。オレの道はオレが決めンだよ」


 お見通し、か。

 とても同じ年の男とは思えない。

 

「……はは、そうだな」

 

 目を尖らせる彼に、イサギは微苦笑する。

 

「じゃあ愁に向けて一筆したためておくさ。

 それを持ってダイナスシティに向かうと良い。

 だが、おまえは手配中の身だ。

 槍は仕方ないとしても、少しは変装をしたほうがいいかもな」

「へっ、襲いかかってくるようなやつはぶっ殺してやンよ」

「宿にも泊まれない暮らしは窮屈だぞ。

 ほら、これをやるよ」

 

 イサギはそう言うと、懐から一枚の仮面を取り出した。

 廉造は眉をひそめる。

 

「ンだ……?」

「仮面だよ。俺が作ったものだ。

 これさえあれば、絶対に正体がバレることはない」

「はァン」

 

 受け取り、廉造はそのマスクをまじまじと眺める。

 目の部分に穴が空いた、鼻から上を覆うようなデザインだ。

 ドラゴン族をイメージしたのか、竜をあしらった細工が彫り込まれている。

 

「そういや、テメェこんなのつけていたな。決闘のときに」

 

 裏面と表面を見比べてから、廉造はそのマスクをかぶった。

 ほう、と思わずイサギはうなる。


「似合うな、廉造」

「……なんつーか」

 

 廉造は珍しく言葉を濁す。

 釈然としないようだ。 

 

「……逆に目立たねェか? これ」

「そうか? 俺は特に気にならなかったが」

「……正体を隠すにしても、他にいい方法があるンじゃねェかな」

「俺はこれでバレたことは一度もないぞ」

「そうかよ……」

 

 廉造は仮面を外し、眉の間を指で揉みほぐす。

 とりあえずマスクは受け取ってくれたようだ。


 と。

 そこで、幕営の入り口がめくれあがる。

 我らが魔王の凱旋だ。


「お、出てきたな」

「ンだな」

 

 まずはブルムーン王国の王アピアノス。次に竜王バハムルギュス。

 そして、慶喜とロリシアが最後に姿を現した。

 

 アピアノスとバハムルギュスが握手を交わし、

 慶喜はあからさまにホッとした表情で胸をなで下ろしている。

 

 どうやら、うまくいったようだ。

 彼らの間の空気は弛緩している。互いを認め合った証拠だ。


 威厳あるふたりの王に挟まれた慶喜は、まるで子供そのものだった。

 褒め称えられ、彼は顔を赤くしながら両手を振って、謙遜しているようだ。

 いつもと同じようなへらへらした慶喜の笑顔だが、どこか違って見える。

 その中に一本芯が通ったものができたような気がする。

 

 如実に変わったのはロリシアだ。

 いつも慶喜の斜め後ろに控えていた彼女が、今は彼の横に並んでいる。

 慶喜とロリシアは視線を交わし、そして笑い合った。

 それはまるで、ふたりだけにわかるような視線のサインのようだった。


 イサギと廉造を見つけて、魔王慶喜は大きく手を振ってきた。

 一国の王が取るような行動ではないが、それをとがめるものはいない。


 廉造は小さくつぶやいた。


「やっぱ、魔王にはヨシ公がなるべきだったな」

「俺もそう思うよ、廉造」

 

 

 慶喜はきっと変わったのだと思う。

 そしてこれからも、このアルバリススで様々な物語を紡ぐだろう。

 

 眼鏡を外した彼は、

 まるで新たな旅立ちを迎えた少年のようだった。

 

 

 

 廉造:修行成果→煌気を身につけた。

 慶喜:修行成果→自己増殖詠出術を覚えた。

 

 イサギ:修行成果→翼が生えた(New!)。

 

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