7-4 王は清い川のほとり
宿泊後の旅はさほど問題もなく、それなりに順調に進んだ。
環境にも慣れるというもので、慶喜は野宿の際に土魔術を用いて、
簡易ベッドを作り出すことに成功し、日々改良を重ねていたりしていた。
口ではロリシアのためだとか言っていたが、あれは間違いなく自分のためだろう。
メイド少女も一応感謝はしていたようだが、それも複雑そうだ。
「……この人は本当に、楽をするためにはなんだってやるんですね」とは彼女の弁。
よく慶喜を理解しているロリシアだ。
シルベニアやイグナイトはそれぞれ、警戒を怠らないようにしつつ、
互いにあまり干渉はしないように距離を離して行軍をしていた。
シルベニアはともかく、イグナイトの姿勢は常に騎士としても模範的だ。
旅の途中、彼と少し話をする機会があった。
自分のことを信用しているのか? とイサギは聞いてみたのだ。
すると彼は当然とばかりにうなずいた。
「私の父は魔帝アンリマンユに仕え、絶対の忠誠を誓っていた。
ならば私も同じだ。魔王ヨシノブさまは、デュテュさまの選んだ方。
そして、そのヨシノブさまのご友人とあれば、疑う余地などどこにもない」
実直な武人だ。だが、それだけではなかった。
彼は少しだけ口元をほころばせた。
「……とはいえ、あなたの力は五魔将会議の際に見せてもらった。
あのダゴンがまったく敵わなかったのだ。
もし敵対することになれば、私たちはすぐに全滅させられてしまうだろう。
ならばこれが罠だとしても、表面上はあなたに従っている振りをしなければ命がないだろうな」
「イグナイト、お前……」
「フ、冗談だ」
イサギの見立てでも、イグナイトは相当な実力者だ。
けれどやはり、本気で戦えばイサギが勝つ。
それを認めながら、彼は主人の命を守るために私情を捨てて、最善策を選んでいる。
ただの戦士、というわけでもなさそうだ。
もっとも、旅の仲間としては非常に心強い。
そのような旅であった。
ロリシアとシルベニアの関係は、それなりに良好なようだった。
元々、ロリシアがデュテュとキャスチから彼女の世話を頼まれていたらしく。
「シルベニアさま、ダメですよ。
髪もちゃんと梳かして、身だしなみも整えませんと。
お美しいんですから、もったいないですよ」
「うーうー」
そんな風に甲斐甲斐しくシルベニアの面倒を見ているのだ。
シルベニアがロリシアを拒絶しようとするも、逆にメイド少女は頬を膨らませて。
「もう、そういうことを言われると、
わたしがデュテュさまたちに怒られちゃうんですからね。
メッ、です。大人しくしていてください」
「……うーうー」
という感じで、逆にシルベニアをやり込めてしまうのだ。
この一年でロリシアは本当にたくましくなった。
家族を失いながらも、たったひとりで魔王城で生きてきた少女だ。
元々、心の芯は強かったのだろう。
その上で頼りない人の世話を焼くようになり、才能が開花したというところか。
というか……
「なんかロリシア、ちょっとリミノに似てきたよな」
「えっ、本当ですか?」
嬉しそうに振り返ってくる。
もちろん容姿はまったく違う。
美しく成長したが、それでもまだまだリミノの足元にも及ばないだろう。
けれど。
「ああ、リミノは明るくて元気で優しかったからな。
ロリシアは良いところが似てきたと思うよ」
「わあい」
告げると、彼女は目を細めて手を叩く。
「イサさまにそう言ってもらえると、すごく嬉しいです!
えへへ、リミノお姉さまにも今度自慢しちゃおうっと」
そんなところはまだまだ子供だな、とは思うけれど。
やっぱり普段背伸びしているのだろう。安心してしまう。
「まあ、なんだかんだで、
リミノは人生経験豊富だったからな……」
本来ならばとっくにロリシアぐらいの子供がいてもおかしくはない年なのだ。
人間ができていて当然……とまでは言わないが、それなりのアドバンテージもあるだろう。
すると、ロリシアは先ほどの態度から一転、瞬きを繰り返す。
「え? お姉さまのお年って、デュテュさまと同じくらいなんじゃないですか?」
「あ、あぁ?」
「前に聞いたとき、お姉さま、確かそんな風に言っていたような……?」
おいリミノ、と心の中で思う。
平気で20は上のはずだ。
イサギは慌ててごまかす。
「そ、そうか。いや、そうだったな。
悪いな、記憶が混乱していて。ははは、ははは」
「……?」
ロリシアは疑わしそうにこちらを見つめてくる。
カンの良い彼女のことだ。なにかは気づいただろうが、
それでもイサギを信頼しているのか、直接は聞いてこない。
しかし、リミノ。
エルフのくせに年をごまかすというのは、いいのだろうか。
女性はいくつになっても若く見られたいものなのだろうか。
それとも、『(精神年齢は)同じぐらい』という意味で言ったのだろうか。
謎は深まるばかりだ。
そのような旅であった。
時折、巨大な竜が大空を駆けてゆく姿も目撃された。
人間族の領域にドラゴン族が現れるというのは、滅多にある話ではない。
良くない兆候だ。
あるいは、大戦争の前触れかもしれない。
旅の宿で聞いた話がいよいよ信憑性を増してきたな、とイサギは思う。
ワイバーンゲートまでの道のりは後半分。
もう戦は、始まっているのかもしれない。
体力に気をつけながらも、先を急ぐ。
そのような旅であった。
ある日、旅の途中で一同は清浄な川を見つけた。
街道から少し離れたところにあるものを、イグナイトが発見してきたのだ。
どうやら他に人もおらず、格好のロケーションのようである。
これに喜んだのはロリシアだ。
「シルベニアさま、水浴びしましょう、水浴びです」
「……別に、体を洗うのは、
毎日魔術で水を出してやっているの……」
ひたすらに面倒そうに首を振るシルベニアだが、
こういった場合はロリシアに軍配があがるのだ。
「でも水浴びですよ? すごく気持ちいいじゃないですか。
一緒に入りましょうよ」
「……めんどいの」
「いきましょういきましょう」
嬉しそうにシルベニアの手を引いて川に向かってゆく。
ま、たまには休憩も悪くないか、とイサギは平原に腰を下ろした。
最近、新技の開発もおろそかだったのだ。
ここらで集中的になにか考えることにしよう……と思っていたのだが。
近づいてきた慶喜は、なぜかひたすらに楽しそうだった。
「さ、行きますか、先輩」
「ああ?」
「なに言ってんすか。
女の子ふたりが水浴びしに行ったんすよ?
ここでやることなんてパターンとしても一個しかないじゃないですか」
「なんだよパターンって」
慶喜は親指を突き出す。
赫々たる笑顔だ。
「覗き――っすよ!」
「いや、それは」
イサギは眉をひそめた。
「さすがに、なんつーか、
それは人として、どうなんだろうなって」
「はあああ!?」
凄まじい顔で驚かれた。
形相と言ってもいいぐらいだ。
「あのさぁ……」
「あんだよてめえ」
慶喜は肩に腕を回してくる。
いつものムカつく顔だ。
「先輩さ、前々から思ってたんすけどさぁ……
……もしかして、女の子に興味、ないんすかあ?」
「……ああ?」
「ホモだったり、しますぅ?」
「……」
無言で腕をひねると、大げさに「痛い痛いギブギブちょっとそういうのずるいっすマジ痛いっすやめてギブギブ」などと悶えるものの。
手を離すと、すぐにまた迫ってくるのだ。
「せ、先輩、だってさぁ」
涙目で近づいてくる男に、戦々恐々する。
この魔王パズズにここまで食らいつくとは……
「お前をそこまで突き動かすのはなんなんだ……」
「僕は先輩のことを思って言っているんすよ!」
「はあ」
「ね、先輩、悪いこと言いませんから水浴び覗きましょう?
オナシャス! イサ先輩このままじゃEDになっちゃいますよ!」
「ならねーよ」
うめく。
……最近あまり元気になった記憶もないが。
まあそれはいい。
あまり期待していなかったが、イサギはイグナイトに助けを求める。
「お前からもこの魔王になんか言ってくれよ」
「……私は王に従うのみだ」
「ったく」
そう言うと思った。
なら再度、慶喜を見やる。
「つーか、お前、
好きな子の裸を他の男に見られてもいいのかよ」
「う、痛いところ突きますな……」
慶喜は胸を押さえたが、すぐに笑う。
「しかしぼく、NTRの良さにも若干ハマりつつ……」
「お前ホントなんでもありな!?」
ていうかもう驚いてしまう。
戦い以外に関しては無敵すぎるだろうこの男。
「ほら、どうなんすか……
あのふたりの裸とか、おっぱいとか、見たくないんすか?
これマジで、マジで願望だけでも聞かせてくださいよ。
マジで、マジで、ね? ね?」
「ああもう」
うっとうしい。
答えるだけで解放されるなら、答えてやろう。
「ああ、見たいよ。見たい見たい。
めっちゃ見たい」
慶喜は悪魔のような顔で笑う。
「で、でっしょ~~~?」
「見たい見たい。
シルベニアなんか、結構着やせするタイプだしな」
「そ、そうなんすよ! あの人ああ見えて結構胸あるんすよ!」
「ロリシアだって育ってきたんだろ?
そろそろBぐらいはあるんじゃね」
「先輩、さすがわかってますね。ふひひひ」
なんというゲスい笑い方か。
こんな魔王は嫌だ、のアンケートがあればダントツ一位に違いない。
そのゲス王がささやきかけてくる。
「じゃあ遠くからそのこじんまりとした成長を確認しますか!」
「しねえよ」
「シルベニアさんの白い肌とロリシアちゃんのちょっぴり焼けた肌のコントラストっすよ!?
どんな絵画にも表現しきれないような芸術的な色彩ですよ!?」
「知らねえよ」
「絶望した! こんなにぼくとイサ先輩で意識の差があるとは思わなかったっす!」
「最初から一貫して言い続けているんだが」
あああ、と慶喜はついにキレた。
イサギの粘り勝ちだ。
「もういいっす! もう諦めました!
桃色天国アクマっ娘サバスは、僕ひとり行ってくるっす!」
「妙な名前をつけてんじゃねえよ。怪しい店かよ」
「うおおお、今のぼくは誰にも止められないっすー!」
「はいはい」
と、駆け出そうとした慶喜の足が空を切る。
イサギが慶喜の首根っこを掴み、持ち上げていたのだ。
「え?」
「いや、行かせねえけどな?」
「せん……ぱい……?」
「そんな絶望に満ち満ちた顔をされても」
ため息をつき、首を振る。
「どうせ行ったところでシルベニアに魔法で灼かれるのがオチだ。諦めろ」
「どんなに無理なことでも、少しでも可能性があるのなら、ぼくは……!」
「なんでこんなところでンな気合い入れてんだよ」
「うおおおお術式ぃぃぃ」
「おら」
「うぼあッ!」
辺り一面に魔術のコードを描く慶喜。
その腹に、イサギは一発ぶちかまし、意識を刈り取る。
彼は大人しくなった。
「……最初っからこうすりゃよかったな」
イサギはしみじみとつぶやいた。
友が外道な真似を行おうとしているのを、
みすみす見過ごすわけにはいかないではないか。
イグナイトに慶喜を放り投げる。
「手当しといてくれ」
「フ、了解した」
「……魔王に手をあげたから俺を斬る、とか言わないよな」
「今のは魔王さまが悪い」
「良かった」
さすがにこんなことで仲違いをしたくはない。
魔王を気絶させたのがこんなこと、で済むのかどうかは別として。
と、そこでイサギを呼ぶ声がした。
「イサさまー」と、川のほうからロリシアだ。
大声で問い返す。
「ああー!?」
「イサさまもご一緒にどうですかー?」
「はあ?」
一体どういうことか、と思えば。
あちらからわざわざ、水を滴らせながらロリシアがやってきた。
裸体ではない。
厚手の下着を身につけていた。
水着のようなものだろうか、まるで透けていない。
「……ロリシア、そんなのを着ていたのか」
「はい。ついでに洗濯もできますし、
それにどうせヨシノブさまが覗きに来ると思いましたから」
鋭い。
ていうか完全に手のひらの上で弄ばれている。
ロリシアは気絶している慶喜を横目に、全てを把握したようだ。
「……あれは、イサさまが?」
「うんまあ」
「それはそれは、ありがとうございます。
お手数をおかけしました」
「……ちっと悪いことをしちまったかな」
「いえいえ。わたしの手間をはぶいてくれたんですよね。
あの人にはあれぐらいしないとわかりませんから」
「ううむ……」
「ほら、イサさまも行きましょう。冷たくて気持ちいいですよー」
12才の少女にせがまれて、イサギは渋る。
「しかし、シルベニアもいるしな……」
「大丈夫です。シルベニアさまもイサさまのこと“は”大好きですから」
「うーむ……」
少女に手を引かれて川へと導かれる。
……まあいいか。
あっちがそう言ってくれているし、裸じゃないんだし。
深く考えずに、イサギも一緒に向かう。
そして慶喜は原っぱに寝かされていた。
澄み切った川では、ロリシアと同じような黒の下着をつけたシルベニアが、ぷかぷかと浮いていた。
その白い裸身は凹凸がハッキリとわかるほどにスタイルがよく、普段の不健康さとは真逆である。
水深は浅く、流れも緩やかだ。
イサギもブーツを脱いで試しに足を浸してみると、冷たくて実に気持ちがいい。
「これはいいな。なんだか生き返るみたいだ」
「えへへ、ですよね」
「あ、おい」
後ろからやってきたロリシアが、イサギの外套を脱がしにかかってくる。
「イサさまも、ほら、泳ぎましょうよ」
「参ったな……」
さすがに照れくさい。
勇者時代でもそうだったが、こういう風に誰かから尽くされるのはイサギの性には合わないのだ。
デュテュのようにあからさまに穴だらけだったり、
あるいはリミノのように下心にまみれていたら構わないのだが、
ロリシアは純粋な好意から行なってくれているようで、どうにもむずがゆい。
それが彼女の仕事だとしても、だ。
アンリマンユを倒して無事に王都に帰っていたとしても、
貴族にはなれなかっただろうな、とイサギは思う。
服を脱いで下着一丁になって川に飛び込び、
イサギもシルベニア同様に軽く泳いでいると、
今度はロリシアが石鹸を持ってやってきた。
「では、お体を洗わせていただきますね」
「あ、ああ?」
「大丈夫です。川の水は汚さないタイプの石鹸ですので、これは」
「いやそういう問題じゃ!」
ロリシアのぴかぴかな笑顔が、なんだか威圧的に見えてしまう。
せせらぎを漂いながら、シルベニアがぼそっとささやく。
「……諦めるの。あたしもさっき、陵辱されたの」
「ひ、人聞きが悪いですよ、シルベニアさま」
「いや、つーかそれなら石鹸貸してくれ。
自分でできるから、俺は」
「だ、だめですよ! これはわたしの大事な仕事なんです。
わたしにもなにかちゃんと、お手伝いさせてください」
すると、ロリシアは真剣な口調でこちらにじゃぶじゃぶと迫ってくる。
「慶喜の面倒を見てくれているだけで、俺たちは相当助かっているんだが……」
「でもそれだけって、なんだか悲しくないですか」
「……まあ、気持ちはわかる」
自らの存在意義に疑問を持ってしまうこともあるだろう。
「というわけでお願いしますイサさま。
わたし、がんばりますから、その、
諦めて、イサさまもちゃんとキレイキレイになってくださいね」
「ううむ……」
うめきながら腕を引かれる。
なんかこんなの、一年前にもあったような気がする。
さらりとした清流の中、ロリシアのわずかに暖かな柔肌がぺたりと密着する。
膨らみかけの胸や、折れてしまいそうな太もも、
さらに薄い尻肉などに目線が行くのも仕方のないことだと思う。
幼子の感触と弾力を押しつけられながら、イサギは閉口した。
「……もう好きにしてくれ」
それでロリシアの気が済むのなら、いいだろう。
意地を張ったところで、誰も幸せになれないのだから
「はぁい」
彼女は幸せそうにイサギの肌に石鹸を這わせる。
細い指でイサギの髪を梳きながら、
ロリシアは石鹸を十分に泡立たせて、彼の頭皮を優しく揉み洗う。
「ていうかさ、ロリシアさんよ」
「あ、はい。どこかかゆいところはありますか?」
「いや、気持ちいいよ」
「えへへ……」
「じゃなくてね、なんで手で直接洗っているの。
タオルとか使わないんですかね」
「わたしの手はまだまだちっちゃいから、
たぶん、こっちのほうが気持ちいいと思いますよ?」
「きもち……?」
なにやら会話がズレているような気がする。
助けを求めるようにシルベニアを見るも、彼女は我関せずとばかりに漂っていた。
ていうかだいぶ下流のほうに流されているのだが、大丈夫なのかあれは。
と、キラリと彼女の首裏で光るものがあって、イサギは目を凝らした。
あれは魔晶だ。
以前キャスチから聞いた、シルベニアの体の魔晶化の話を思い出す。
シルベニアの体内は溢れ出る魔力により、魔晶化が進行しているのだという。
脊髄や臓器などが魔晶になっているのだ。あれこそがシルベニアの力である。
その証拠を見て、イサギはわずかに驚いて。
しかし、ロリシアのすべすべの手のひらの感触で引き戻された。
「わ、すごい筋肉ですね、イサさま……
すごい、どこもかしこも締まっていて鋼みたいです……」
「くすぐったいから、くすぐったいから」
「これに比べたらヨシノブさまなんて、まるで豚の死骸みたいですね」
「さりげなく自分たちの魔王さまを罵倒しなくていいから」
魔族の美少女に体を撫で回されて、イサギの顔はすでに真っ赤だ。
ロリシアはイサギを隅々まで石鹸をこすりつけながら、耳に口元を近づけてくる。
「あの、覚えてらっしゃいますか、イサさま。
昔、わたしがイサさまに夜伽をする機会をいただけたことを……」
なぜ今その話をする。
「あのときは、勇気が出なかったんですけど……
その、わたし離れてみて思ったんです。
もしイサさまがよければ、わたし……」
「いやいやいや」
さすがに彼女を突き放す。
「そんな……ほら、ロリシアには、慶喜がいるだろ」
「でもあの人、口ではああいう良いことばかり言ってますけど、
実際は年上のお姉さんとメロメロのいちゃいちゃラブラブしている人ですよ。
……もう、付き合い切れません」
「いや、それは……」
ミーンティアとか言っていたか。
ヤキモチを焼かれるどころか、見放されているではないか。
どうやら慶喜にハーレム系主人公の素質はなかったようだ。
「ヨシノブさま、旅に出て少しはまともになるかと思ったのに、
なんにも全然お城にいたときと、変わらないんですよ。
もう、それだったらわたしだって、
命もお姉さまも救ってくれた、イサさまのほうが……」
なんだろうこれは。
どちらもちょっと、ひねくれすぎていないだろうか。
というかどうして、自分はこんな三角関係に巻き込まれようとしているのか。
三度世界を救ったこの仮面の魔王が、だ。
少し卑怯だと思ったが、イサギは彼女の尊敬する人物を盾に使って、諦めてもらうことにした。
「い、いやほら、でも俺にはリミノがいるだろ?
ロリシアだってあいつに悪いと思うだろ?」
「リミノお姉さまは、
『イケるタイミングがあったらいつでもゴー!』って言ってました。
自分はその次でも構わないから、って」
「マジで」
リミノならいかにも言いそうな言葉だ。
「ですから、その」
「いや、あのな」
と、言いかけて。
イサギはふと思った。
「……あれ」
なぜ自分はこんなにも抵抗をしているのだろう。
デュテュやリミノにだって、そうだ。
急に胸の中に不安が生まれた。
「なんだろうこれ」
「イサさま……?」
ロリシアは様子の変わったイサギの顔を、のぞき込んできている。
イサギは左目を押さえて水面を見下ろす。
……なにかがおかしい。
リミノは、20年前の自分を知っていてくれているとても大切な存在だ。
なぜ彼女を放ってまで、自分はスラオシャ大陸に来たのだろう。
あんな真剣な恋心に、どうして自分は応えてやらなかったのだろう。
唇を奪われても、それでも振り切って旅に出たのはどうして。
おかしい。
自分の中にそごが発生している。
これはなんだろう。
「だ、大丈夫ですか、顔が真っ青ですけど……あ」
「……あ?」
水面に映った自分の顔を見て、気づく。
イサギの両眼は赤く染まってしまっていた。
「……これは」
神化病の現れだ。
最近では周期が短くなっているような気がした。
まぶたの裏でパッと光が弾けた。
思い出す。
そうだ。
あの光の線で形作られた少女だ。
自分を死地から救い出してくれた、あの。
シルエットの女神だ。
頭が痛い。
頭蓋骨の中に釘を打ちつけられているようだ。
半年悩まされたこの激痛には、いつまで経っても慣れそうにない。
しかし、なぜ思い出せないのか。
なぜだ。
イサギはしばらく悶えていて。
ロリシアは彼のそばにいて、不安そうな顔をしていた。
「あ、あの、イサさま……」
「いや、ああ、もう大丈夫だ、ロリシア。
とりあえず夜伽の件は置いといてくれ。
まだ慶喜に刺されたくはないからな」
「あ、あの……」
ロリシアはイサギが小さく微笑むと、
ようやく安堵してくれて、しっかりとうなずいた。
確信めいた口調で。
「だいじょうぶです。
あの人、それはそれで興奮すると思います」
「……」
思わず黙り込む。
ロリシアは少し、慶喜のことを理解しすぎていると思った。
すっかり変態に染まってしまって。
一年前は、あんなに純粋な少女だったのに……
「本当に大変だな、お前……」
「?」
彼女の濡れた髪を撫でる。
ロリシアはよくわからないという風に、しばらく首を傾げていたのだった。
慶喜:頭だいじょうぶじゃない。
イサギ:頭だいじょうぶじゃない。
ロリシア:そろそろ頭だいじょうぶじゃなくなってきた。
イグナイト:一番頭だいじょうぶ。
シルベニア:泳ぐのは意外と嫌いじゃないです。その体は半分、石でできている。