1-6 情勢概説
火傷した手のひらを軽く押さえながら。
イラが声を張る。
「なぜこんな真似をした! 魔王さま方だぞ!」
「……」
魔女は口を尖らせて、帽子を目深にかぶる。
「謝罪しろ! シルベニア!」
今度は後ろを向いて、耳を塞ぐ。
「シルベニア、お前、いつまでもワガママが過ぎるぞ! 嫌いなものは残す! つまらない勉強はしない! 指導にも手を抜く! そんなことでどうする!」
「……キラい」
「おい、シルベニア! しっかりと謝罪を!」
こちらをちらりと振り返る。
その目がわずかに潤んでいた。
「…………やだ。怒鳴る人キラいなの」
イラはまだ怒っている。
あまりの剣幕にヤンキーですら口を挟めないほどだ。
イサギはなんとなく、人間を恐れていたデュテュのことを思っていた。
『魔法師』はこの世界――アルバリススの最強戦力のひとりだ。
無論、魔法を使えない魔術師の中にも、魔法師を上回るほどの活躍を見せるものはいる。
だが、それは一部の例外だ。
一流の魔法師は騎士団の一軍にも匹敵する。
本来ならば、魔法陣や魔法符を使用しなければ使えないものを、自らの魔力だけで発動できるのだ。
その際には、予備動作を必要としないものがほとんどである。
近接でも隙がなく、離れれば絶大な威力の魔法を存分と使う。
それが『魔法師』と呼ばれ恐れられている、殺戮のエキスパートだ。
そんな彼女が人間を恐れているのだ。
殺そうとしたのは確かにやりすぎだが。
人間は彼女たちに、一体何をしたのだろう。
ウィッチはまだ帽子をギュッと頭に押しつけたまま、後ろを向いている。
完全に拒絶の意思だ。
イラはまだ小言を言い足りなかったようだが、
咳払いをして、こちらに向き直ってくる。
「……まあいい。シルベニア、続きは後だ」
「……」
シルベニアは聞こえないフリをしている。
やれやれ、とため息をついてから、イラは喋り出す。
「改めて言うようなことではないかもしれないが。
……我々魔族は、ニンゲンより弾圧を受けている。まずはその状況から説明しよう」
イラがそれを語るときの表情は、屈辱そのものだった。
彼女は現在の情勢について、長々と語っていた。
恐らく他の魔王候補たちには退屈だったと思われるが……
しかし、イサギにとってはどれもこれも驚かされることばかりだった。
まず事前知識として、イサギの知っていることを述べよう。
魔族というのはそもそも“神族”以外の全ての人族を指す。
つまりエルフも魔族。ドワーフも魔族だ。
というよりも極論してしまえば、人間も本来は魔族なのだ。
元来、魔族は『魔力を持つ人族』の総称である。
それでも現在魔族と呼ばれている種族は、主に大きな枠組ではくくられない少数民族のことである。
それはさておき。
この世界はかつて神族と魔族が支配していた。
黄金時代の話である。
だが神族はどこかに去り、魔族だけが残された。
魔族たちの中にいたひとつの種族が、その状況で動き出す。
彼らは自らを『神人族と魔人族の“狭間”で生きる者』。すなわち『人狭間』と名乗り始めた。
魔族の一族であるため、人狭間には魔力が備わっている。
彼らは魔術を用いて神族の去った大陸全土に拡散し、瞬く間に文明を築き上げた。
いつしか彼ら人狭間は自らを人間、あるいは単に人と呼び出す。
自らがアルバリススの正当な後継者である、とばかりに。
かくして、人間族が表舞台に現れた白銀時代の幕開けである。
ここから先、人間族と様々な種族は肥沃な土地を奪い合い、争いを始める。
全てが古代の伝説だ。
ドラゴン族との領地争い。獣の耳を持つピリル族との歴史的な共闘。エルフ族との和解。ドワーフ族との戦争。神族との接触。
ここから人間族の歴史が始まったと言っても過言ではない。
これが様々な伝承を生み出した英雄時代の物語。
およそ400年前までの出来事と言われている。
そこから先。
散発的な戦争こそ起きるものの、比較的平和だった青銅時代。
世界勢力図はこの頃に固まってゆく。
人間族、それにエルフ族、ドワーフ族、ドラゴン族、さらにピリル族。ゴブリンを始めとした様々な民族によるシャハラ首長国連合。そして暗黒大陸における魔族国連邦。
様々な種族がそれぞれの国家を持ち、互いに過度な干渉を避けていた。
国ごとによる文化が育ってゆく、豊かな時代とも言えるだろう。
均衡が崩れたのが、25年前。
瞬く間に魔族国連邦を支配し、新たに魔族帝国を作り上げた人物がいた。
彼こそが魔帝アンリマンユ。
あるいはただ単に『魔王』とも呼ばれる。
この世界で魔王と言ったら、一般的には彼のことを指す。
魔族の始祖とも、神族のひとりとも呼ばれているが、実際の正体は明らかにされていない。
アンリマンユは瞬く間に魔族をまとめあげ、このアルバリススの制覇に乗り出した。
魔族の住処である暗黒大陸から海を渡り、スラオシャ大陸に彼らはやってきた。
ドラゴン族を支配し、シャハラ首長国連合と同盟を結び、そして人間族の諸王国へと攻め込んだのだ。
通称『魔帝戦争』の開戦である。
人間族もまた、ピリル族やドワーフ族、エルフ族と手を組んで、徹底抗戦の構えを取った。
戦乱はスラオシャ大陸上に広がり、魔帝国軍により、数々の王国が滅ぼされていった。
魔帝国軍はまるで炎のような勢いで侵略を続けた。
人族も同盟軍を結成したが、魔族の凄まじい戦闘力に押される一方であった。
戦争は二年続き、人々は疲弊した。
美しき姿をしていたスラオシャ大陸中央部の大森林ミストラルが、その四分の三を失うほどに激しい戦火だった。
誰もがこれは敗戦だと確信していた。
人間族の保有する戦力はもう、ほとんどなく。
降伏への秒読みはすでに開始していた。
――そこに、現れた勇者がいる。
パラベリウ王国・王都ダイナスシティ。
召喚陣『クリムゾン』によって呼び出されし、人間族の最終兵器。
そう、イサギだ。
イサギは様々な種族の助けを借りて、魔族を倒すために大陸を旅した。
エルフの王国ミストランドを救い、ピリル族の王レ・ダリスを助け出す。
スラオシャ大陸西部の、魔族に支配された諸王国を解放して回り、人間族の仲間を集めながらその道中で数々の魔族の長を倒した。
魔帝五魔将ですら、彼とその仲間の前には敗れ去った。
勇者イサギは大孤竜スラオシャルドと盟約を交わし、暗黒大陸へと渡る。
旅立ちから三年。魔王の居城に乗り込んだイサギは、ついにアンリマンユを打倒した。
ここまでが、イサギの知っている鉄時代の話だ。
ちなみに黄金時代の前には、神族も魔族も生まれていなかった時代がある。
創世神話で、神世時代と言うらしい。
歴史に関しては全て、プレハとセルデルに聞いたことの受け売りだ。
さて、ここから先がイラの話だが。
(……ここでわかったことを、まとめてみると、だ)
イサギはまだ自分がタイムスリップしてきたと明かしていない。
だから、詳細について質問することはできなかったのだが。
それでも驚愕するような歴史の変革がそこにはあった。
まず、スラオシャ大陸北部に王国を構えていた種族――ドワーフ族は滅亡していた。
これには愕然とした。
イサギも旅の途中、何度も助けてもらったのに。
屈強な彼らが一体どうして。
ドワーフは魔帝戦争が終結したその後に、人間族のとある国と対立したそうだ。
その国は、エディーラ神国。
ドワーフの住む北方大陸タイタニアとの隣接国だ。
以前からこの二国は領土を巡って、いさがいが絶えなかった。
それでも表向きは同盟国だったし、魔族との戦争を前に団結だってしていたのだ。
それなのに。
(邪魔な国は滅ぼしてしまえばいいって思ったのか……?)
魔帝戦争によって、人間は脅威を滅することに決めたのだろうか。
人間の残酷さにゾッとした。
たかが20年で、太古から生きてきたひとつの種族がこの世界から消えた。
だが、人間族の犯した罪は、それだけではなかった。
スラオシャ大陸の南東部。
魔帝戦争の際に魔帝アンリマンユの味方をしたゴブリン系多民族国家、シャハラ首長国連合もまた、この世から消滅をしていた。
広大な砂漠と一部の平原、湿地帯は、もはや人間の領土となっていた。
ゴブリンやオーク、オーガ、トロール、リザードマン……
幾度となく剣を交わした彼らだが、まさかその国が滅ぼされているとは。
生き残った彼らの中でも、運の良いものは魔族の支配する暗黒大陸に逃れている。
そうでないものは人間族の支配する土地で賊に落ちぶれているのみ。
奴隷としてすら、生を許されていない。
スラオシャ大陸に生きる魔族も、同じような扱いのようだ。
次に、スラオシャ大陸中央部、大森林ミストラルに住むエルフ族。
彼らの王都ミストランドもまた、人間族に攻め落とされていた。
住処を奪われて降伏したエルフたちは捕らえられ、今ではハッキリと人間族の奴隷として扱われているのだという。
魔族同様に自尊心の高い彼らにとっては、その身分は決して耐えられるものではないだろう。
ドワーフに比べれば命があるだけマシと呼べるかもしれないが。
残る主だった人族は、ドラゴン族とピリル族だが。
そのふたつの種族は、いまだ人間族には侵略をされていなかった。
ドラゴン族の王国へと攻めるためには西部山脈ガレガリデを。
また、ピリル族の王国へと攻め込むためには、南部山脈クー・ドアナを、それぞれ越えなければならない。
その天然の要塞が彼らを守っているのだ。
だが、魔帝戦争によって彼らが受けた爪痕は深い。
それぞれの軍団の尖兵として前線を支え続けていたからだ。
その上どちらも個体数の多い種族ではないため、だからこそ人間族は彼らを放置しているのだろう、という見方もあった。
この二種族が滅ぼされるのは時間の問題だと囁かれている。
そして、魔族。
魔帝戦争の後も、一部の人間族は暗黒大陸に留まり、そして生き残った魔族たちを攻め立てた。
もう二度と魔帝戦争のような悲劇を起こさぬよう、という名目で。
紛争は長く続き、魔族国連邦はまるで肉を削がれるように、少しずつ人間族に領土を奪われていった。
魔族はそれでも人間族に抵抗を続けている。
人間族の大軍勢が侵略しに来る、その日まで。
一部の魔族の中には、暗黒大陸のさらに先の未開の地へと逃げて、そして消息を絶ったものも少なくはないという。
それでも大多数の魔族は、残されたエルフ族や一部のゴブリン族などを解放するために、戦い続けているのだ。
「我々は暗黒大陸の前線に立っている。
デュテュさまは気丈な方だ。
ご自身がニンゲンを苦手にしているのにこのアンリマンユ城にとどまり、抵抗を続けていらっしゃる。
我々が退けば、もはやこの大陸までも、すぐに制圧されてしまうに違いない」
アンリマンユ城――魔王城は、暗黒大陸のほぼ中心にあった。
ということはつまり、もはや暗黒大陸の半分が人間の手に落ちているということだ。
なぜここまで人間族が瞬く間に。
たったの20年で勢力を拡大することができたのか。
イラは語る。
「それはすなわち、新たな種族――“冒険者”の所業だ」
イサギは生唾を飲み込んだ。
「冒険者とはニンゲンの戦闘種族だ。
多彩な魔術を使い、極めて強力な剣術を扱う。
索敵、補給、城攻め、殲滅戦、あらゆる技能に長けていて、
ひとりひとりが信じられないほどの強さを誇る。
彼らは“冒険者ギルド”なるもので管理され、訓練を受けているらしい。
その成長スピードは異常だ。
冒険者は次から次へと生み出され、クエストと呼ばれる密命によって殺戮や略奪を行なうのだ」
そんなばかなと思う。
冒険者ギルドというのは、そんな殺伐とした場所じゃない。
もっと人々の役に立つような、そんなもののはずだ。
「彼らが本当に恐ろしいのは戦闘力ではない。
彼らは次から次へと現れるのだ。
ひとりを撃退したら、さらに強いものたちが現れる。
時には何十人、何百人と群れを成してやってくる。
わたしたちを倒すことは彼らにとって何よりも名誉なことだという。
少額の報酬と“功績ポイント”などという目に見えないもののために、わたしたちの一族は無残に殺されてゆくのだ」
イラは歯噛みする。
イサギもだ。
どこで間違えたのだろう。
イサギは数時間前に別れた“昔”のパーティーメンバーの顔を思い出していた。
自分たちは理想を共有していたはずだ。
みんなで何度も何度も話し合っていたのだから。
(本当に、お前たちがやったことなのか……? プレハ、セル、バズ……)
冒険者がそんな残酷なものだとは思えない。
ドワーフ族を滅ぼし、エルフの王都を落とし、シャハラ首長国連合を滅亡させ、そして魔族を弾圧し続ける。
それが冒険者だって?
(そんなはずがないよな……?)
イサギはまだ信じられなかった。
シルベニア:ウィッチ。怒鳴る人がキラい。
イラ:天鳥族の苦労人。屈辱的な状況。
種族:人間族、魔族、エルフ、ドワーフ
ピリル、ドラゴン、ゴブリン系
スラオシャ大陸:人間族が主に住む隣の大陸。西に暗黒大陸がある。
暗黒大陸:魔族が主に住むこの大陸。南は未開の地。
魔帝アンリマンユ:イサギが滅ぼした魔王の名。
イサギ:勇者。超絶強いし、あちこちで伝説を作ったすごい人。
冒険者:人間族の戦闘種族(?)。