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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:6 たとえ此の先、すべてを失おうとも
68/176

6-9 ARMS

  

 凄まじい音を立てて、塔が落下した。


 地面と二階部分の間にあった空間は完全に消失し、

 サンドイッチのようになにもかもが押し潰されていた。


 落下の衝撃で二階部分も潰れたが、

 三階から上はかろうじて無事のようだ。

 

 地面に垂直に立っていたはずの塔は傾き、

 今や落ちたパイのようになってしまっている。

 

 

 その中で、

 セルデルは……生きていた。

 

 

 ほとんど生き埋めのような状態だ。

 手や足の感覚がないのは、恐らく潰れてしまっているのだろう。

 生身で浴びた崩落は、回復術を起動していなければ間違いなく死んでいた。

『対破術装備』の法衣も、効力を発したのだろう。


 ただ、その代わりになにかを失ったのも感じた。

 こんなに大部分の欠損を回復するのは、初めてのことだった。

 

 生き返った後にあるのは、虚脱感だ。

 眠りから目覚めたばかりのように、頭にはもやがかかっていた。


「ぐっ……私は……

 ……そうだ、イサギ……!」

 

 自分を見失うのも一瞬だ。すぐに思い出す。

 なにかを忘れてしまっているような気がしても、関係がない。

 どうせもう二度と思い出せないのだ。

 

 魔術で瓦礫を吹き飛ばし、身を起こす。

 近くに落ちていた杖を取ると、酸欠にあえぎながら辺りを見回した。


「これは……ひどい……」

 

 女神の塔は斜めに傾き、あちこちの壁が壊れ、

 外の切れ間から冷たい風が吹き込んでいた。

 

 このままでは塔も、いつ倒壊してしまうかわからない。

 血塗れの法衣を引きずり、セルデルは這うようにして外に出た。


 48人の騎士団は行動不能だ。

 回復術を消滅させられたと同時に、一気に潰されたのだ。

 あんなことを思いつく人間がいるとは。


 ぼこり、と隣で土が盛り上がった。

 破術を浴びてなお、生き残っていた騎士が、

 自らの体内に残留していた回復術の効果によって、蘇りつつあるのだ。


「……私も、手助けをして差し上げますからね……」

 

 セルデルは複雑なコードを描く。

 一滴の果汁を薄めるように、増幅と希釈を繰り返す。

 回復術の原液は人間の魂にとって強酸のようなものだ。

 肉体が治ったとしても、人間でなくなってしまったら意味がない。

 

 セルデルは、間違いなく天才であった。

 禁術の謎を解き明かし、彼は10年かけて回復術を完成させたのだ。

 ……リヴァイブストーンと、多くの犠牲の上に。

 

 リヴァイブストーンと回復術の違いは、後遺症の有無だ。

 リヴァイブストーンはたやすく人格の崩壊を引き起こすが、

 正しく使用した回復術は、それがあまりない。

 

 全てにおいて回復術の下位互換がリヴァイブストーンだ。

 効果時間が短く、魔力の燃費も悪い。

 常に人体の近くになければならないため、臓物を吹き飛ばされたら無効化されてしまう。

 回復術との二重使用は、寿命を著しく縮める。

 

 だが、そういった欠点をセルデルは冒険者ギルドには伝えていなかった。

 人体を修復する奇跡のような魔晶と謳い、それを売り払うことにより、莫大な富を築いたのだ。

 

 今や、世界を掌握することができるほどの資金だ。

 それをこんなところで、ひとりの男に邪魔されてたまるものではない。

 

 

 セルデルは杖を掲げた。

 恐らくイサギは生きていて、どこかに潜んで自分を狙っているだろう。

 その前に、48人を治療しなければなるまい。


 彼ら騎士の法衣にも皆、術式を遮断する対破術用の魔具が埋め込まれている。

 その上、回復術自体もそこいらの冒険者が使うようなまがい物ではない。

 真の回復術は自ら術式の自己修復をも可能とするのだ。

 一度の破術程度では、破潰することはできないだろうという確信があった。


 10年だ。


 この10年、いつか自分を脅かす“破術師”が現れるだろうと想定し、改良に改良を重ねてきたのだ。


 まさか、それがイサギ本人だとは思いも寄らなかったが、

 それでも、魔術も使えないような小僧が破れるような代物ではないはずだ。


「お前たち……目覚めよ……!」

 

 セルデルの自信を証明するかのごとく、

 ひとり、またひとりと起き上がってゆく騎士たち。

 

 彼らの体は泥と雪に汚れていて、生気の失われた表情でゆっくりとセルデルの元へと集まってくる。

 それはまるで土から蘇る不死者のようだった。

 

 だが、気づく。

 騎士団の団員数が圧倒的に足りない。

 

「これは、どういう……?」

 

 起き上がったのは、18名。

 残りの30名はどこにいってしまったのか。


 回復術を打ち抜かれた?

 まさか、魔具の上からこれだけの人数を?


「……たった一度の破術で……?」


 そのつぶやきに答える声があった。


「ラストリゾート・エクスキューショナー」

 

 セルデルは振り返る。

 そこには剣を握り締めた、無傷のイサギがいた。

 

 そうか、彼は自身の剣を探しに行っていたのか、とセルデルは気づく。

 仮面をかぶったイサギは、セルデルに告げる。

 

「神化病相手に開発した、新たなる破術だ。

 ラストリゾート・ストレングスのように、

 一点集中の破術を全員の胸に叩き込んだ。

 薄い神エネルギー程度なら、貫くさ」

 

 セルデルは知らなかったが、

 彼はカリブルヌスパーティーに翻弄されていたことを悔み、 

 人間の核を撃ち抜くような新たな破術を編み出していたのだ。


 死刑執行者(エクスキューショナー)の名を持つ破術の前には、

 魔具や特別性の回復術など、何の意味もなかった。



 セルデルはゾッとした。

 自分の対策が効果を発揮したのではない。

 ただただ単純に、射程距離だけの問題だったのだ。

 彼に近づいていたら、自分の回復術も砕かれていたに違いない。


 信じられない。

 20年前のイサギとは破術の制御力がまるで違う。

 今の彼は、別人のようだった。

 

「あなたは……

 ……お前は、何者だ……?」


 今にも崩れそうな女神の塔を背に、イサギはゆっくりと剣を抜く。


「たった3年でただの中学生が勇者になったんだ。

 半年もあれば、勇者は魔王にもなるさ」

 

 あれはバリーズドの愛剣、カラドボルグだ。

 その黄金色の輝きが、今のセルデルには血の色に見えた。


「セルデル。お前を断つのは俺ではない。

 バリーズドの魂と、リミノの涙だ」


 その剣から、音もなく静かに雷火が散った。

 

 

 蘇った騎士たちは自らの主君を守るべく、剣を掲げた。

 打ちかかってきたその男にイサギはカラドボルグを振るう。

 稲光のような刃が瞬くとともに、男の首は雪景色に舞った。

 

 さらに二人目。今度は頭頂部から真っ二つに両断する。

 死体を蹴りつけ、距離を取るイサギ。

 

 セルデルは彼の背後を絶つために障壁を張る。

 だが、それも含めて、イサギは破術を打ち込んだ。

 

 ふたりの亡骸がたちどころに人間の残骸へと変貌する。

 イサギは銀雪のキャンパスに次々と赤い線を描いてみせた。


 

 雪上だというのに、彼はまるで足を取られていなかった。

 そしてさらに驚愕したのが、イサギが魔術を使い出したことだった。

 

「エンシェントフレア!」

 

 炎は雪を溶かし、辺りを真っ白を染め上げる。

 何の変哲もない目くらましかと思ったが、違った。

 

 その魔術は、四八使徒のひとりを回復術で蘇生が困難な状態にまで焼き尽くすほどの威力があった。

 効果範囲は狭いが、正確だ。

 ペーパーナイフで頸動脈を切るような鋭い魔術であった。

 

「一体どこで魔術を……!」

 

 彼はカラドボルグで群がる騎士を蹴散らしながら、さらにコードを編む。

 それは辺りを吹き飛ばしてしまうような爆発の魔術だ。

 

「……だが、使うとわかったのなら!」

 

 反魔障壁はセルデルの得意技のひとつだ。

 爆発の衝撃を受け止め、反転させてイサギに叩き込んでやろうと、セルデルも詠出を開始する。

 

 ――したところで、イサギがカードを放ってきた。

 肩と足に突き刺さり、セルデルは苦悶の声をあげた。

 

 それでもこれしきのことで術式は乱さない。

 傷だって回復術ですぐに癒えるのだから。


(さあ、すぐに魔術を唱えてみせなさい……!)

 

 だが――

 気炎を掲げたときにはもう、イサギの描いたコードは霧散していた。

 

「な」

 

 そして稼いだ時間で、

 イサギはさらに三人の騎士をまとめて切り払い、その屍に破術を放っている――


 最初から彼は魔術を使う気などなかったのだ。

 ただ描いてみせて、セルデルの気を引いただけで。

 投擲してきたカードも詠出を潰すためではなく、

 そう見せかけるためだけのフェイク――

 

 セルデルはもう、認めざるを得なかった。


 やはり、技量では勝てない。

 イサギは殺人剣の申し子だ。

 20年前にはあったはずの迷いや葛藤も、

 彼があの仮面を装着したその瞬間に、なにもかもが消え去っている。

 あまりにも、強い。

 

 彼を敵に回したことはなかったが、これほどまでかと思ってしまった。

 どうやら、眠れる獅子を起こしてしまったようだ。

  

「……なるほど、カリブルヌスが倒されたのもうなずけますね……」

 

 屠殺場のような真っ赤な大地の上に立ち、セルデルもまた、覚悟を決めた。

 

「……だが、私は回復術を極めたのです。

 エルフの一族が恐れて、手を出せなかった禁術を、

 我が物とし、完成させたのが私なのです!」

 

 セルデルがコードを解き放つ。

 

 残る使徒は10人。

 手塩にかけて育ててきた軍団だったが、また作ればいいだけのことだ。

 

「これが回復術の、本当の姿ですよ……!

 なぜ人を癒す術が禁じられたものとして秘匿されていたのか、その答えが、これです!」


 コードに包み込まれた兵士たちはまるで引き合うようにして塊と化してゆく。

 緑色の光の輪に縛られた彼らはさらにその物理的な距離を縮めてゆき……

 

 そして、同化を果たした。

 


「……なんだ、これは……」

 

 距離を取っていたイサギは、唖然とした。

 

 その異様さを前に、仮面をかぶって思いを遮断したはずのイサギですら、動きを止めてしまった。


 肉団子のように混ざり合う騎士たちは、もはやそれ自体が一個の生物へと変貌していた。

 うねり、絡みつき、伸縮し、ねじられながら枝分かれし、そしてまた混ぜられてゆく。

 海中生物のようであり、節足動物のようでもあった。


 そして誕生したのは醜悪な化物だ。

 


「回復術を極めた私ならば、ここまでのことができるのですよ。

 魂を保ったまま、肉体だけを合体させるこの奥義により、

 完全なる戦闘種族を、私はついに誕生させたのです!」

「なんつーことを……」

 

 レギオンという魔物の話を、イサギは思い出す。

 何十何百という悪霊が合体したモンスターだ。

 

 セルデルが創り出したのは、まさしくそれだった。

 

 質量が肥大し、まるで一軒家のような大きさとなった肉の塊から20本の腕が生えており、

 槍や剣を持つそれらは触角のように揺れながら、伸縮を繰り返していた。


 皮膚は硬化しているのか、まるで甲冑のように赤黒く変色してしまっている。

 さらに嫌悪感を誘うのが、彼らが人であったときの頭部が全て、本来首があったはずの位置に集まっていることだ。


「……ああああ……ああああ……」と、

 口たちは意味のないうめき声を漏らす。

 

 以前のイサギなら、間違いなく戦意を喪失してしまっていただろう。


「回復術とは、人体の構造を組み替えることができる術なのですよ。

 こうなってしまってはもはや破術も効きません。

 ふふふふ、イサギさん、残念ながらあなたはよく戦ったものです!」


 セルデルが笑ったその時、怪物の腕が凄まじい速度で伸びた。

 

「……っ!」

 

 飛び退くイサギが今まで立っていた場所に、いくつも腕が突き刺さる。

 まるで愁の光の鎖のようだ。

 

 だが、今度の相手の腕は20本。

 そして、破術で消失させることもできない。

 

 足を止めずイサギは剣を振るい、

 触手の一本一本を次々と斬り飛ばしてゆく。

 しかしその傷はやはり、すぐに癒えてしまう。


 それも当然のことだ。

 あの怪物の体内では、10人分の回復術が渦巻いているのだ。

 

「……これがお前のやりたかったことか、セルデル」

 

 つぶやきながら、イサギは怪物を観察する。


 魔術では無理だ。セルデルに弾かれる。

 ならば直接、あれの魂を消し去るしかない。

 カリブルヌスにやったのと、同じように。

 

 そして、気づく。

 彼らの目は、確かにイサギを見据えている。


 まさか。

 まだ、人の意思を保っているのか――?


 10の口が、一斉に怨嗟を発する。



「セルデルさま……」「ああぁぁぁ……」

   「どうか「どうかすくいを」

「われわれを」ぁぁぁぁ……」

  「ああ……「あああなたさまのおちからで」

 「すくいを」ををを……」


 

 あんな姿にされてまで、

 彼ら騎士たちはセルデルを信じているのだ。

 

 人間の体を奪われてまで。

 なんと哀れな。


 彼らも殺そう。

 今すぐに。

 殺してやろう。

 

 

「……セルデル、お前は人の命を弄びすぎだ」


 イサギは切っ先を怪物に向け、

 地面と水平に刃を構える。

 

「あなたひとりがなにを語ろうが、

 世界の理は私のものですよ!

 なにも、変わりません!」

 

 20の腕が四方から彼を串刺しにしようと迫る。

 イサギは駈け出した。

 

「変わるさ。お前を殺せば」



 20本の腕のうち、視界に入ったのは八つ。

 恐らくそれ以外の腕は、死角からイサギを狙っているのだろう。

 

「カリブルヌス……借りるぜ。

 お前の、エクスカリバーをな」

 

 イサギの体から黄金の光が飛び散る。

 彼は足を止めず、カラドボルグを振るう。

 当然、刃は誰にも届かないが――怪物の体は斜めに斬り裂かれた。

 

 セルデルの障壁は間に合わなかった。

 当然だ。彼には見えなかったのだから。

  

「な――!?」

 

 それはカリブルヌスが得意とした、闘気を剣先から飛ばす技だった。

 彼の技が連射式ならば、イサギが放ったものは一発の威力を高めた単発式だ。


 完璧にコピーができているとは言いがたい。

 わずかなタメ時間にカラドボルグの魔力、

 そして煌気時という条件が合わさってこそ、限定的に使える必殺技だ。


 怪物は態勢を崩され、わずかにその狙いを逸らしてしまう。

 触手が持つ剣は次々とイサギの背後に突き刺さってゆく。


 正面から眉間を突き刺そうと迫る剣を、イサギは裏拳で叩き落とす。

 砕けた刃は雪の上に散った。


 背後から襲いかかる剣をさらに、振り返ることなくサイドステップで避ける。

 まるで後ろに目がついているような回避能力だった。

 

 意志があるのなら殺意も生まれる。

 その程度のことは、イサギにとって造作もなかった。


 すでにレギオンはイサギの破術の範囲内だ。

 彼は左腕を引いて、破術の発射態勢に入っている。

 

 

「……ならば、これなら!」

 

 セルデルは杖を掲げて、コードを編んだ。


 己のもっとも得意とする反魔障壁を顕現させる。

 最大威力、最大密度の結界だ。

 

 破術も術式の一部ならば、対抗できるはずである。

 渾身の魔力を注ぎ込み、迎え撃つ。

 

 そこにイサギが破術を撃ち込んだ。


「眠れ」

 

  

 ピラミッド型の防壁をぶち抜いて、

 槍のような破術はレギオンの体内深くに突き刺さる。

 

「なんと……」

 

 これがイサギの新たなる破術か。

 

 セルデルの障壁が割れて魔力の残滓が散った。

 怪物は一際高く叫び声をあげる。

 

「――!!」


 回復術の消滅だ。

 同時に10の術を破壊された化け物は、己の体を維持することができない。

 肉の塊は溶け出していた。

 

 一本の腕が天へと向かって伸びた。

 だがそれもすぐに指先から崩れてゆく。

 

 彼らの死体は残らなかった。

 その場には、剣や法衣が散乱するだけだ。

 

 イサギの破術は彼らを、間違いなく浄化したのだ。

 四八使徒に死という救いを与えたのは、イサギであった。

 

 

 

 イサギはカラドボルグを掲げ、セルデルを見やる。


 かつて人ひとりの命を奪うのも躊躇していたような少年は、そこにはもういない。

 仮面の奥の目は、虚無だった。


「終わりだな、セルデル。

 遺言があるならば、聞いてやるが」


 セルデルはイサギの本質を理解していたつもりだった。

 理想を持たぬ借り物の剣。それが彼だ。

 

 バリーズドの守りたいという意志。

 セルデルの冷静さ。

 プレハの情熱。

 それらのツギハギ。

 

 未熟な精神に宿る絶大な力。

 それが勇者イサギという男だった。

 

 彼は正義を持たなかった。

 だからこそ、危険だったのだ。

 

 誰のためにも戦い、

 自ら信じるものはなにもないのだから。

 だから、殺さなければならなかった。



 だが、今の彼はどうだろう。

 その魂の中には、確固たるなにかが生まれようとしていた。

 あるいはそれを呼び起こしてしまったのは、自分なのかもしれない。

 

 しかしそれは、かつて勇者と呼ばれた清廉なものではない。

 黒く淀んだ魂だ。

 

 セルデルはそう感じ、思わず笑みをこぼした。


 もし20年前に会ったのが“今の”イサギならば、 

 共に手を取り合い、この世界の支配を分け合っていたかもしれない、と。


「ふ、ふふふふ」

 

 倒れかけた女神の塔の前で、セルデルは笑う。


「まさか、ここまでとは思いませんでした」

「……」

「私は20年前のあなたを想定して戦っていましたね。

 これでは勝てない。勝てないのも当然だ」

 

 バリーズドもプレハも、セルデルを理解することはできなかった。

 犠牲なくして成り立つ世界などないということを。

 人は弱いからこそ、誰かを虐げながらでないと、まっすぐに立っていられないのだと。


 そんな簡単なことが、

 バリーズドもプレハも、あのカリブルヌスですら、

 絶対的な強者だからこそ、わからなかったのだ。

 

 しかし、きっとイサギなら。

 今の彼ならばわかるだろう。

 いくら口で否定しようとも。

 

 彼はそのために今、

 己を保つために、セルデルを殺そうとしているのだから。


「イサギさん、私はあなたを侮っていました。

 あなたは弱く、そして強い。奇跡のような人だったんですね」

 

 認めながらも、交わることはできない。

 ならばもう、戦う道しか残っていない。


 力には力をぶつけるしかないのだ。

 何者も滅ぼす絶対的な力を。


「私は確かなものが欲しかったんですよ。

 魔族がスラオシャ大陸に攻めてくるなど、

 20年前は誰も思ってもいなかった。

 種族と種族はわかりあうことなどできないのです。

 父や母は、私を監獄塔に閉じ込めました。

 人は、隣人すらも愛せないのだから。

 だから、私は全てを支配しようとした。

 それこそが、世界を平和に導く唯一の手段なのです」

「そうか」

 

 イサギはセルデルに一歩ずつ歩み寄る。

 もはやその目に感情の色はない。

 

「人は救いを求めているのです。

 ならば、私こそがその救いの主になりましょう。

 この大陸から全ての種族を滅ぼし、

 人間族だけに与えられる永遠の希望となりましょう」


 セルデルは薄く笑っていた。

 イサギは小さく首を振る。


「……お前は人間族以外の全てを滅ぼした後は、

 人間族を女神教徒とそれ以外にわけて弾圧を始めるさ。

 それが済んだら次は、エディーラ国民とそれ以外だ。

 決まっている。野望に終わりなどはない。

 だから、俺がここで終わらせてやる」

「わかったような口を」

 

 セルデルはそれ以上、語ることはなかった。

 もはや言葉でイサギを揺るがすことはできないのだ。


 見せつけるしかない。

 神の力を。


「この手だけは使いたくありませんでしたがね」

 

 セルデルは杖を掲げた。

 人払いは済ませてあったが、いつ騎士や国民が駆けつけて来ないとも限らない。

 ここで、終わらせるのだ。

 イサギを殺して。


 セルデルは赤いコードを描く。

 20年のすべての想いを込めるように。

 

 

「無駄だ」

 

 それがどんなものであっても、

 イサギの破術は発動を許さない。

 

 その光は魔世界をあるべき姿に戻し――

 しかし、その破術はセルデルの術の前に弾かれた。

 

「……なんだと」

「イサギさん。私はこの世界は好きでしたよ。

 だから、胸が痛いのです。

 あなたのせいで、破壊してしまうことになるとはね」

 

 彼が持っている杖はどこにでもあるものだ。

 そう、どこにでもあるレプリカの……

 


 ――双葉のレリーフのついた宿り木に似た杖。


 

 気づいたのだ。

 イサギは目を見開く。


「まさか、女神の聖杖ミストルティン……!?」

 

 本物だ。

 神が残したと言われる聖遺物。

 聖堂の中で見た、現存する神の証明。

 

「見せてあげましょう、この力を」

 

 セルデルは杖を掲げる。

 その魔具は今、完全に目覚めていた。

 

 辺りには気流が生まれ、雪が渦を巻きながら高々と舞い上がる。

 その杖にエディーラ神国中から魔力が集まっているのだ。

 

 イサギもまた、自分の体から力が吸い取られてゆくのを感じた。

 歯を食いしばりながら、必死に耐える。


「だが、私はここで死ぬわけにはいかないのです」

「無理だ。使えるはずがない!」 

「私には20年の時がありました。

 魔帝にすら太刀打ちできなかった無能な方々と一緒にしないでもらいたい」


 イサギは剣先から斬撃を飛ばす。

 だが、やはりそれもセルデルの前に阻まれた。

 

 あまりにも強大な魔力の前に、

 物理攻撃すらも通じなくなってしまっている。

 

 周囲の魔力濃度はむせかえるほどに強まり、

 セルデルの足下が徐々に魔晶化してゆく。 

 

 世界が震動し、女神の塔がさらに崩れた。

 たったひとりの男が災害を引き起こそうとしている。


 その男は神をも気取ったような顔で告げる。


「これが私の、切り札です」

 

 セルデルは杖をこちらに向けてくる。

 ミストルティンの先には、真っ赤な光が宿っていた。

 まるで地に落ちた太陽のように禍々しく。


 そして、美しかった。


「女神よ、女神よ、今ここに現れ給え」

 

 

 

 四大禁術にすら当てはまらない、

 太古にアルバリススから失われた術がある。


 それは『極術』。


 全ての術式・魔法の始祖と呼ばれる力。

 かつて神族が用いたと言われる術だ。

 極魔法師(ウィザード)の名は、プレハがかの伝説になぞらえて名づけられたものだった。

 プレハの魔法は確かにあらゆるものを消滅させる凄まじい威力を持っていた。

 

 だが今セルデルが放とうとしているものに比べれば、まるで児戯のようだ。


 あの杖こそが、極術の発生装置だ。 

 凝縮する魔力は、次の瞬間にも爆発してしまいそうだ。


「人が神の力を操れるはずがない!」

「不可能でしょうね。私以外の人間には――」

 

 イサギは剣を握り、まっすぐに駆けた。

 セルデルの元へと――だが。

 

 眼前に巨大な、障壁。

 道が阻まれる。

 この期に及んで。


 極術を必死に制御しながらも、

 セルデルは法術を同時に使用してみせたのだ。


 閉じ込められて。

 イサギの反射速度は人の域を越えていた。

 理解するよりも早く、彼は破術を放つ。

 

「どけえ!」

 

 セルデルもまた、叫ぶ。


「塵も残さずに消し飛べ!」

 

 そしてついに、

 セルデルが極術を解き放つ。


 イサギは“正面”を削り取り、跳んだ。

 が、膨大な光が視界を埋め尽くしていた。

 

 だめだ。

 あまりにも範囲が広すぎる。

 背筋が凍りつく。

 死そのものがイサギを襲う。


 

 避け切れない!

 


「――極術・ミストルティンの剣よ!」

 

 光と熱の奔流が地上を揺らす。

 それはあらゆるものを押し流す破壊の洪水だ。

 

 

 光はすべてを包む。

 神罰執行の時が来た。

 

 

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