6-4 魔(デビル)☆おにいさん
アマーリエの見守る中、それは爆砕した。
ここまでの破壊を目の当たりにするのは、生まれて初めてのことだった。
自分たちの過ごした王城が崩れ落ちてゆく。
国王や王子たちも、その様子を呆然として眺めていた。
周辺市民たちの避難はすでに完了しているものの、
誰の顔も青ざめていた。
突如として出現したその巨人は、まるで神のようだ。
荘厳さと狂乱を併せ持つ、破壊神である。
人々は畏敬し、ただ頭を垂れることしかできはしない。
スラオシャ大陸最強を誇る陽聖騎士団ですら、それは同じことであった。
あんな怪物を相手に、一体なにをどう守ればいいというのか。
結界陣など、たやすく破られるだろう。
神の前に人は皆、等しく無価値であった。
暗雲立ち込めるダイナスシティ。
人間族は審判の時を待ち、天を仰ぐ。
「もう終わりだ……
神が、神が降りてきたんだ……」
神官たちは必死に祈っている。
王族貴族はおろか、騎士団ですら羊のように震えるばかり。
「ねえちゃん……」
近くには、助け出されたばかりのフランツがいた。
彼はダイナスシティ王城の別の地下牢に閉じ込められていたのだった。
精神的に衰弱しているようだが、命には別状がなかった。
しかしそこに、この光景である。
「……大丈夫だから、フラちゃん……」
だが、アマーリエは胸を押さえたまま、しっかりと見上げていた。
彼女だけは知っている。
彼が、彼らが、今、立ち向かっているのだ、と。
砂塵の中、キラリと一筋の光。
アマーリエは息を呑み、目を凝らす。
目も鼻も口もない肉の塊のような巨人に、光が巻きついている。
やはり、誰かが戦っているのだ。
アマーリエは祈る。
神になどではない。彼らの揺るぎない勝利を、だ。
巨人の頭付近で、白色の光が瞬いた。
まるで地滑りのように、巨人の頭部が、ずれた。
右に、そして左へと。
その次の瞬間、
――破壊神はゆっくりと膝を折った。
砂糖が水に溶けるように、その姿は赤い霧となって拡散してゆく。
アマーリエは、ああ、と声を漏らす。
やったのだ、彼が、彼らが。
やがてダイナスシティには静寂が戻る。
その場に集まった数百名は、まだなにが起きたかわからない様子だった。
危機は去ったのか、否か。
様子を見に行く、などと言い出せるものは、誰ひとりいなかった。
粉塵舞い上がる王城跡から、ひとりの男が歩み出てくる。
長髪の端正な顔立ちの少年は、その背にギルドマスターを担いでいた。
「父さん!」
駆け寄ろうとして、アマーリエはすぐに気づく。
バリーズドはすでに事切れていた。
「そっか……父さん……」
しかしその表情は安らかなものだった。
戦場で死ぬことができた彼は、本望だったのかもしれない。
彼の想いを感じ、アマーリエは胸元で拳を握り締める。
その場に集まる皆に聞こえるように、少年は声を張った。
「安心するが良い!
神は打ち倒された!」
その言葉に、どよめきが巻き起こる。
人々は救世主を見たのだ。
「あの巨人は、カリブルヌスの本当の姿だ!
彼は禁断の秘宝に手を出し、人知を超えた力を手にしてしまった!
よって、人々に危害を加える前に、この私――シュウと、
ギルドマスター・バリーズドがあやつを処断した!
傭兵王バリーズドは、最期にこの街を、人々を、
そして、冒険者ギルドの威信を守ったのだ!
人々よ! 彼を讃えるのだ!」
愁が拳を突き上げると共に、
割れんばかりの拍手が響く。
その雰囲気に飲まれながらも、アマーリエはハッとした。
違う。彼がいない。
自分を絶望の世界から救い上げてくれた、彼が。
あの、勇者が。
「……イサくん、イサくんは……?」
しかしどんなに探そうとも、
少年の姿はどこにもなかった。
◆◆
カリブルヌスの反逆と死より、二週間が経った。
王都ダイナスシティは建物の被害こそ少なかったものの、
数百年続く王城が完膚なきまでに破壊し尽くされたことが、
人々に精神的な痛撃を与えていたようだ。
一時期は遷都の案も出ていたほどだが、
召喚魔法陣クリムゾンを動かすわけにはいかない。
王は術師と冒険者を総動員し、王城の修復を急いでいた。
また、英雄王と呼ばれた男の末路は人々に、
特に、冒険者に非常に大きな影響を及ぼした。
なぜ彼がバルロウワで王に反逆したのか、一体どんな目的があったのか。
どうして彼ほどの人物がと、世間は英雄の死の謎を追った。
人の口には戸は立てられず、人間たちは実に様々な推論を立てる。
曰く、世界を滅ぼすために神の力を手にしたのだと。
曰く、あまりにも多くの種族を殺してしまったから、その呪いだと。
曰く、彼はバリーズドに暗殺されたのだと。
曰く、王を殺し、人間族の王に成らんとしていたのだと。
自らの正義を見つめ直し、
これからを思う、失われた14日間の出来事である。
真実は闇の中へと消えた。
本当のことを知っている人物は、世界でただふたりだけ。
そう。
かつての英雄と、かつての勇者。
マシュウとイサギである。
彼らの明暗はハッキリとわかれていた。
シュウは世界を救った英雄として、人々にもてはやされ、
さらには国王から直々に『王都の護り手』の名を与えられた。
かたやイサギの名は誰も知らず、
カリブルヌスに楯突いた『仮面の男』の名が独り歩きするばかりであった。
そして現在。
そのふたりは今、一つ屋根の下に暮らしていた――。
小さな宿だ。
下宿と言ってもいいだろう。
夫を亡くした若い未亡人が経営している宿だが、
彼女が心を許した人物しか泊まらせてもらえないため、
現在は愁が一部屋を借りているだけで、残りは全て空き部屋である。
質素だが品の良い家具が並ぶ寝室だ。
イサギはベッドに横になりながら、
ギルドニュースペーパーを広げていた。
今でこそ後遺症もなにもないように装っているが、
激闘の中で魔力を使い切ったイサギは、
最後の力を振り絞って王城からひとりで脱出した後、
三日三晩の昏睡状態に陥った。
愁が裏のルートで雇った治癒術師に加療されること二週間。
こうして、動けるまでに回復したのだった。
今は新調した眼帯を身に着けている。
ふたつ目の仮面も、また無くしてしまった。
「……きょうも、特に変わったことはない、か。
相変わらず魔族と冒険者の戦いは、ひどいようだ」
ついに三つ目の都市、ベリフェスまで奪還した魔族は、
最後の人間族の拠点、港町ブラックラウンドを攻めようとしているらしい。
廉造とシルベニアの討伐ランクは、
現状最高難易度であるS+級にまで引き上げられていた。
彼らと並ぶものは、ドラゴン族の長やピリル族の長などを含めても、
アルバリススに十人もいない。
シルベニアは元々その実力があったのだろうが、
廉造はここ数ヶ月の間に、見違えるほどに強くなっているようだ。
驚異的な成長速度だ。
それに比べて、慶喜が成長している姿がまったく想像できないのはなぜだろう、と思う。
そこに小さなノックの音がした。
「ん」
「僕だよ、今帰った」
「おう」
がちゃりとドアを開いて、笑顔の愁が顔を見せる。
冒険者ギルドの制服を着た彼は、襟元を緩めながら語る。
「きょうはね、いい知らせがある」
「へえ」
「ついに僕が先日の功績を認められて、
ハノーファさんの補佐役として、取り立てられたよ。
新ギルドマスター政権の中では、十指に入るほどの地位だ」
「すげえな、
一介のギルド職員が、大出世じゃないか」
「全てキミのおかげさ。
ぶどう酒を買ってきたんだ。
マーサさんと一緒に乾杯しよう」
彼は布袋の中から瓶を取り出してみせて、笑った。
疲労の色が濃く残る表情だが、ようやくひとつ報われた、といったところか。
カリブルヌスを倒したのはイサギではなく、愁とバリーズドのふたり。
そういうことをしておこう、と。
提案をしたのは、イサギのほうだった。
イサギが英雄王を倒したのだと知られては、彼の名が世界中に広まってしまう。
それだけならばまだいい。
だが、イサギは神剣を振るっていたのだ。
イサギの名を持つクラウソラス使い。
このふたつが揃ってしまえば、
彼がかつての勇者ではないかと疑うものは必ず現れるだろう。
イサギは決して自分の名を明かさないと、船の上でデュテュに誓った。
だから彼は、全ての手柄を愁に譲り渡した。
それは、冒険者ギルドで出世を目論む愁にも、都合が良かったのだ。
『わかった。
ならば僕は、内からリヴァイブストーンと回復禁術を潰すよ』
彼はそう言った。
『そのためには、冒険者ギルドでの地位が必要だ。
神化病を再び鎮めるために、
キミの力は十分に利用させてもらおう』
あの王城でバリーズドの亡骸を抱えながら、
愁はもはや綺麗事を口走ることはなく、
野望に満ちた目で尊大に告げたのだ。
それからは、イサギが目覚めてからのことだ。
行くところのないイサギを自分の下宿に誘い、
愁はこれからの計画を語った。
『今はまだリヴァイブストーンの悪影響を暴くわけにはいかない。
そんなことをしたら、騙されていたと思った凄腕の冒険者たちが、
次々と冒険者ギルドに反旗を翻すだろう。
人間族が内乱を起こせば、
その機に乗じて他の種族も次々と立ち上がるに決まっている』
だから、と愁は続ける。
『まずはリヴァイブストーンの流通と使用をストップさせるんだ。
理由はなんでもいい。
そうだね、カリブルヌスが魔晶に細工をした可能性がある、ということにしよう。
そうして世界的にリヴァイブストーンの使用を禁止したら、
今度は今までにその石を使ったことのある冒険者をリストアップする。
魔具は承認されるそのときに、全てギルドに記録されているはずだ。
そこまでいったら、あとは簡単だ』
愁は笑いもせずに言った。
『リストアップされたその冒険者を、全員殺すんだ』
やはり、とイサギは思った。
そうするしか方法はないのだろう、とも。
愁はその先にも計画があるようだった。
『だから、僕は暗殺集団を育成する。
誰よりも神化病患者を殺すことに長けた実行部隊だ』
拳を握り、かつての英雄は言う。
『もちろん、冒険者たちに罪はない。
恐らく彼らなりに、誰かのためになると信じて、
リヴァイブストーンを使ったのだろう。
だが、そんなことは一切関係ない。
この世界をあるべき姿に戻すために、僕は戦うのさ』
彼の決意を前に、イサギはなにも告げることはできなかった。
そして今。
食事を終え、部屋に戻ってくる。
リビングには二人掛けのソファーが二脚置いてある。
向かい合わせに座ると、早速、愁が手紙を取り出した。
「僕からキミに望むのはふたつだ。
まずひとつ。キミの名で、廉造くんに手紙を出してほしい」
「……廉造に?」
「そうさ。S級冒険者を倒せるだけの実力を持ち、
さらに一切ためらうことなく彼らを殺すことができる人物。
その結果、極大魔晶が生まれるかもしれないとあっては、
彼も僕たちに協力してくれるかもしれない。
できることなら僕は廉造くんに、
暗殺部隊の隊長を務めてもらいたいと思っている」
「廉造に、か……」
イサギは顎をさする。
結局、神化巨人カリブルヌスを倒した時の魔力では、
一等級魔晶――極大魔晶が発生することはなかった。
せいぜい四等級程度の魔晶が3つ、4つ誕生したぐらいだ。
理由としては、ほとんどの魔力が空へと飛散してしまったためだった。
何らかの手段を用いて固定させることができれば、
もしかしたら……といったところか。
廉造は果たして餌に釣られるだろうか。
どちらに転ぶかは、イサギもわからない。
廉造は目的のためには手段を選ばない男だが、
その反面、裏切り者に対しては容赦をしない。
愁はかつて彼に攻撃を仕掛けたことがある。
なぜそんなことをしたのか、動機は教えてくれなかったが……
愁が思いを抱いていないというのなら、
それは私怨ではなかったようだ。
だとしたら神化病に関わることなのだろうか。
イサギは愁を横目に見て、小さくため息をついた。
「しかし、さすがに虫が良い話……って言われるだろうな」
「……まあね」
自分でも難しい話だとわかっているのか、愁は肩を竦めた。
「ま、僕の言うことは聞いてくれないと思うから」
「だから俺が、か」
「なんとかうまく説得してくれると助かるな。
世界の危機だ」
「なりふり構わないやつだな、お前」
「ダメで元々さ。
彼が僕を許さないというのなら仕方ない。
僕はそれだけのことをしたからね。
けれど交渉の機会を与えられたら、
いざとなったら左腕でも斬り落として頼むよ」
「だからそいつはやめろっつーの……」
ぶどう酒をグラスに注ぎながら、愁。
そのひとつを彼から受け取り、イサギは首を傾げた。
「あれ、なら慶喜はいいのか?」
「え?」
「いや、だから……
あいつだって、禁術師だろ」
「ああ、うん……そう、だね。
確かにそれは、事実としては間違いはないのだけれど」
苦い顔をされた。
「彼が人間を殺すことが、できる、かな」
「……まあな」
「悪い人ではないと思っているんだけどね。
僕らのようにできるとは思えない」
頷くより他ない。
自分を殺しに来る相手にすら立ち向かえなかった男だ。
なんの罪もない相手と、戦えるはずがない。
イサギですら、できるかどうかわからないのに。
ま、やらなきゃいけないんだけどな、と唇を噛む。
神化巨人カリブルヌスが世界を滅ぼそうとする光景。
あんなものを見てしまったのだから。
愁は二本目の指を立てた。
「では次だ。
神化病患者に対して、キミという存在は非常に多くの戦果をあげた。
「別に、俺だけの力じゃねえよ」
「もちろんキミの個体戦力はずば抜けている。
だがそれ自体はカリブルヌスに優っていると、僕は思わなかった」
「ハッキリと言うじゃないか」
「神剣クラウソラスと、破術だ。
決め手となったのはそのふたつであり、どちらもキミにしか使えないものだ」
「そうだな……」
手の中でグラスを弄び、
イサギは愁の言葉を先回りして、つぶやく。
「つまり、どちらかの秘密をよこせ、ってことか?」
「違う。両方だ」
愁はグラスの中の赤い液体を口に含み、熱い息をはく。
「もっとも、キミは断らないだろうね。
あれほどの脅威を目撃したんだ。
協力を惜しむような人間ではないと信じている」
「そりゃまあ、ありがたいかもしれねーけどさ」
神剣クラウソラスの方は今、深刻な問題を抱えてしまっている。
イサギも愁にならってぶどう酒に口をつけた。
実はアルコール飲料を飲むのは、これが初めてのことだったりする。
愁も平気そうだったのだから、自分も大丈夫だろう、となんとなく思っていた。
まあ、なんてことはないな、というのが最初の印象だ。
そして言葉を発しようとした瞬間、イサギは顔を歪めた。
うわ、苦い。
なんだこれ苦い。
すごい苦い。甘くない。
おまけに渋い、とでもいうのだろうか。
後味も変だし、無理。なにこれ無理。
イサギは思わず眉根を寄せた。
正直、ぶどう酒ってもっとこう、
フルーティーで瑞々しくて甘ったるいものだと思っていた。
でも思ってたのと違う。全然違う。
洋画とかではみんな水みたいに飲んでいるくせに。
これならぶどうジュースのほうは百倍美味しい。
「おっと、まだキミにアルコールは早かったかな」
愁がクスクスと笑う。
カチンと来て、イサギはグラスを一気に飲み干した。
しばらく目をつむり、それから一言。
「……いや、これが大人の味ってやつなんだな」
「合わないのなら無理して飲まなくても良いんだよ。
紅茶でも淹れようか」
「べ、別に、そう悪くもないもんだぜ。
海外では20才未満でも普通に飲むしな」
「ならもう一杯いかがかな?」
にやぁ、と愁が笑ったような気がした。
イサギは一瞬言葉に詰まったが、うなずく。
「い、いいじゃねえか……」
今度はなみなみと注がれた。
愁はイサギの反応を見て楽しんでいるようだ。
細い鎖骨と顎を辿る、弓型の唇までのラインはやけに艷やかで、
今の愁は性別の垣根を越えた色気が立ち上っていた。
「イサくんのいいところ、見てみたいなー」
「お前酔ってんのかよ」
「まさか。ただのストレス発散だよ」
「たち悪いなお前!」
愁は肩を竦める。
「実は、どうしても落としたい女の子がいるのだけど、
でも、なかなか首を縦に振ってくれないんだ。
手を変え品を変え、9度もプロポーズしたのだけど、全て袖にされたよ。
紳士的な態度で接しているつもりなんだけどな……」
「性豪の愁にも敵わない相手がいるってか」
ケラケラと笑うと、今度は流し目で見咎められた。
彼はため息をつき、ワイングラスについた唇のあとを親指で拭う。
「ああ、うぶなお姫様には、
勇者のインパクトが強すぎたようだからね」
「一体なんの話だか知らんが」
「ただの愚痴だよ。
それよりもクラウソラスと破術の話だ」
「ああ」
イサギは深くソファに沈み込む。
もちろん、協力を惜しむつもりはない。
しかし……
どちらも、愁の役には立てそうにもない。
ぶどう酒を食道に流し込んでから、口を開く。
「はじゅちゅについても、むじゅかしいな」
「……なんだって?」
愁が聞き返してくる。
なぜか苛ついたような顔だ。
なにもおかしなことを言ったつもりはなかった。
いやだから、と言い直す。
「はじゅちゅは、おれらけがおぼえりゃれた、ぴりるぞきゅのきんじゅちゅで」
あれ、と気づく。
なんだか視界が回る。
そして舌が回っていない。
なんだろうこの感覚は。
そう、まるで海の中に叩き落されたような。
あるいは首を絞められて意識を失わされたような。
端的に言えば、これが『酔い』というもののだろう。
ふわふわとして、なんだか気分が良い。
愁の顔がゆらゆらと歪んで見える。
イサギは目の間を指で揉みほぐす。
「ん、んん……」
咳払いをして、口調を整える。
所詮はこんなもの、気合でどうにかなるだろう。
「なあ、愁」
「なんだい」
「どうやら俺は、酔っているようだ」
「そうだね。顔真っ赤だよ」
「マジか」
頬に手を当てる。
まるで熱が出たように熱い。
妙にノドが渇く。
イサギは再びぶどう酒に手を伸ばした。
「……僕が煽っておいてなんだけど、
もうそろそろお酒はやめたほうがいいんじゃないかい?」
「ははっ、なに言ってんだよ、愁。
俺は仮にも一度世界を救った勇者だぜ。
あらゆる毒物にだって耐性を植えつけられたんだ。
こんなんで俺が潰れるわけねーだろ!」
「本当かい?」
グラスを一気に飲み干す。
ほら、なんともない。
「ぷはー!
あったりめーのコンコンチキよ!
矢でも鉄砲でも持って来いってんだチキショウ――」
と言った次の瞬間、彼の手の中からグラスが滑り落ちた。
よっ、とそのグラスを落下寸前にキャッチし、
気絶したように寝転がるイサギを眺めながら、愁はこめかみを押さえた。
「まったくもう……弱すぎるよ。一体どうなっているんだ。
これが、あのカリブルヌスを倒した勇者、か。
なんだか信じられないな、本当に」
頬杖をつきながら彼の寝顔を眺める。
現代日本なら本当に、どこにでもいるような高校生なのに。
「……詳しい話は明日にしよう。おやすみ、イサくん」
しばらくその場で晩酌を楽しんだ後、
ダウンしたイサギに毛布をかけて、愁もまた寝室へと戻ってゆく。
さらに翌日。
起きて頭痛に悩まされながら愁が買ってきてくれた少しの食事を摂り、
愁が昨晩買ってきてくれたギルドニュースペーパーを読み漁っているうちに、彼が帰ってきた。
なんだか自堕落な生活を送っているような気もするが、恐らく気のせいだ。
自分は愁に請われてここにいるのだから。
古代中国の食客のようなものだろう、と自ら納得していた。
決して犬かなにかと一緒にしてはならない。
そうだ、気の持ちようだ。
思い込みひとつで世界は美しく輝くのだ。
無理矢理納得すると、
夕食後、早速イサギはリビングで愁に語る。
昨晩の続きだ。
イサギは剣を差し出す。
「クラウソラスを預けるのは構わない。
元々俺のものではなく、ダイナスシティの宝具だしな。
けれどよ……」
「うん?」
愁の前で、鞘から抜いてみる。
するとだ。
美しき白銀の剣は、中ほどから亀裂が入ってしまっていた。
「これは……?」
「カリブルヌスに最後の二撃を繰り出したときにだ。
クラウソラスの刀身が伸びただろう?
あんなことは初めてだったんだが……そのときに、な」
「ふうむ……」
「あれ以来、この剣は紙すら斬れなくなっちまったんだ。
これだとお前の役にも立ちそうにもないだろ。
参ったぜ。
……俺の代わりに、カリブルヌスと相打ちになってくれたのかね」
「なるほど」
「あ、おい!」
受け取った愁はその刃を指に当ててみる。
しかし、切れ味はまったくなかった。
まるでナマクラのようだ。
「……完全に機能が停止しているようだ」
「もう二度と使えないのかね、これは……」
三年間共に旅をしてきた愛剣だ。
少なからず、情も移っている。
愁は神妙にうなずいた。
「……どうだろうね。
けれど、わかった。
これは責任を持って僕が修復するとしよう」
「できるのか!?」
身を乗り出して尋ねてみるが、
さすがに彼も自信がなさそうだった。
「さあてね……
とりあえずは文献を漁ってみることにするよ。
直らないとキミだって困るだろう」
「……まあな」
「その間に僕は、この剣についても研究させてもらうよ」
「わかった。よろしく頼むよ」
これから先、神化巨人カリブルヌスのような敵が現れないとも限らない。
剣を受け取った愁は大事そうに鞘にしまい、ソファーの横に立てかけた。
「で、クラウソラスはお前に任せるとしてもだな。
……破術については正直、勧めることはできないな」
「へえ」
イサギの言葉に、愁は片眉を釣り上げた。
「俺が破術を学んだのは、ピリル族の隠れ里だ」
「獣の耳を生やした、半人半獣の種族だね。
そういえばこの時代にやってきてから、一度も見てないな」
「今は自分たちの国に潜んで生活をしているようだからな。
……人間族がかなり、攻め立てたようだ」
もっともこれからはどうなるかわからない。
亜人排斥運動の第一人者であるカリブルヌスが死んだのだ。
ピリル族たちはこれを機に、領地を奪い返しに来るかもしれない。
愁は足を組み直しながら尋ねてくる。
「それで、どうしてオススメできないんだい?」
「封術と同じだ。単純に危険性が高すぎる」
もちろん禁術の在り処は厳秘にされて然るべき情報だが、
今さらそれをイサギは隠そうとは思わなかった。
「破術は周囲数十メートルの魔世界を強制的に遮断する力だ。
術式や魔法、それに闘気の類は、
魔世界を傷つけたり、あるいはその揺らぎによってエネルギーを引き出しているだろう?
破術はそういった作用を全て無理矢理ゼロに引き戻すんだ。
もちろん、俺たちの体にあるはずの魔力すらも、しばらく使うことはできなくなる」
「へえ」
「でな、破術を習得するためには、
特殊な薬によって一度仮死状態になる必要があるんだ」
「……仮死状態?」
「ああ。肉体のくびきを解き放たれて、一度、魔世界と魂世界だけの住人になるんだ。
俺たちの世界だと……そうだな、霊魂、みたいなものか?
そうして、しばらくを過ごす。
もちろん、二度と戻れないものがほとんどだ。
だが、戻ってこれたものは、肉世界と魔世界の繋がりの経路――
『魔髄』を見つけ出すことができたってことで、資格が生まれる。
それは術式における魔視みたいな、初歩の初歩だけどな。
そこからの訓練次第で、破術は使えるようになる」
「ふぅん」
わかったようなわからないような顔で、愁はうなずいた。
彼は再びぶどう酒グラスを持ち、長い髪を指で弄んでいる。
シャンプーもトリートメントもないこの世界で、
どうやって手入れをしているのかと思うほどの美髪である。
「じゃあ破術は本来、魔世界だけに効果を発揮する術か」
「そう聞いたけどな」
「でもキミが神化巨人カリブルヌスに放った最後の一撃は、
魂をも浄化していたように思えた」
「肉世界と魔世界と魂世界は同じ紙の上だ。
魔髄で繋がる肉世界と魔世界。
魂髄で繋がる魔世界と魂世界。
魂世界を遮断してしまえば、俺の魂も戻ってこれなくなる。
カリブルヌスの魂髄だけを破潰するのは至難の技だった。
一枚のカードを投げて、目に見えない埃を落とすようなものさ。
もう一度同じことをやれと言われても、できる自信はない。
だからこその奥の手――そう、ラストリゾートだ」
「なるほど。つまり、誰にでもできることではない、と」
最後のイサギのドヤ顔は、意図的に無視された。
深く思案した様子の愁は、唇をグラスにつけた。
さすがにきょうは付き合っていないイサギである。
彼は失敗から学ぶことができるのだ。
「禁術と呼ばれるだけのことはある。
魔世界との繋がりを破潰というのも、素人が操れるものではないだろう。
一度でもその制御に失敗してしまえば、術者は枯死してしまうに違いない。
封術もそうだ。あれだって手術には多大な犠牲を払ってきたという。
もうひとつの禁術も、僕は見たことがないけれど、そうなのだろう?」
「ドラゴン族の『獣術』は……
……なんだったかな、仕組みはよく知らねえんだよな」
四大禁術と呼ばれるものは、
破術、封術、獣術、そして回復術の4つ。
それぞれ、ピリル族、魔族、ドラゴン族、エルフ族が守護してきたものだ。
「だけど、それならどうして、
あれほど頻繁に回復術は使われているんだろうね」
「リヴァイブストーンの話か?」
「それだけじゃない。
今では望むものがいれば、冒険者ギルドが直々に回復術を教えるんだ」
「……そういえば、あいつら、使っていたな」
シンディアーナやカリブルヌスだけではない。
以前魔王城の地下で戦った、イサギと同じ名前を持つ少年もだ。
杖から緑色の光を放って、回復術を詠出していたではないか。
「禁術ほどの複雑なメカニズムを持つ術式を、
魔晶なんかに閉じ込められるものかな。
……一体どうやったのだろう」
「そのことなんだがな、愁」
「ん」
吐息を漏らす愁に、イサギは打ち明ける。
「リヴァイブストーンを作ったのは、
かつて俺とともに戦い、魔帝アンリマンユを討ったセルデルらしいんだ」
「エディーラ神国の天主教か」
「知っているのか?」
「そりゃあ名前だけはね。
13人の主教の中で、もっとも女神に近い座を持つと呼ばれている人だ。
アルバリススではギルドマスター・バリーズドと並ぶ有名人だろう。
エディーラ神国の国王ですら、彼に逆らうことはできないよ。
そうか、そういえば彼もキミの昔の仲間だったらしいね。すごいな」
「ああ、あいつは昔から法術に長けていただけじゃない。
本当に色々なことを知っていたんだ。
あいつならリヴァイブストーンを作ることもできたかもしれない」
二つ年上のセルデルには、様々なことを教わったものだ。
この世界の歴史や術式の仕組み。戦いにおいて常にクレバーでいること。
どんな窮地に追い込まれても冷静でいられることができるのは、彼のおかげだ。
イサギは改めて告げた。
「愁。俺はセルデルに会いに行く」
イサギ:魔王を倒し、召喚されて無職になり、暗殺者を始末し、旅に出てミスター・ラストリゾート化し、英雄王を討ち、その結果ヒモとなる。激動の人生である。
愁:凄まじい速度で出世を重ねる異世界の島耕作。代わりに、その年ですでに酒に溺れている。
アマーリエ:イサくんどーこー。
フランツ:無事でした。
マーサさん;35才の未亡人。愁の下宿先の主人であり、20代の若さを保つ清楚な印象の女性。子供はいない。夫は冒険者であった。緋山愁に夫の亡き面影を重ねており、できれば彼に危険な仕事はやめて欲しいと思っているが、そんな立ち入ったことを言うわけにはいかず遠くから彼を見守っている。愁に酒を教えた人物である。アルコールが入るとつい愁に甘えてしまいそうになるため、共に晩酌をする際は真っ赤な顔で必死に自制している。奥ゆかしい。英雄シュウの魔王譚アルバリスス編の11番目のヒロイン。本編(イサ譚)に出番はない。