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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:6 たとえ此の先、すべてを失おうとも
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6-3 スレイヤーズ!

  

 神剣クラウソラス。

 学者がその有意性を主張したのは、魔帝戦争の最中だった。


 人間族連合と魔帝国軍が、もはや総力戦の様相を呈してきた頃、

 ある男が言ったのだ。

 

『この剣を復活させるべきだ』と。

 

 かつて人狭間(ニンゲン)が人へと至る進化を導いた剣と言われている。


 だが神剣といえど、その魔力を発揮できなければなんの意味もない

 これまで気が遠くなるほどの年月、埃をかぶってきた剣だ。

 どんな英雄でも、誰ひとり使いこなすことはできなかった。

 アルバリススにはもはや、その資格を持つものをないと言われていた。

 

 だから、パラベリウ中央国家の王は、異界人を呼び寄せることにした。

 貴重な最後の極大魔晶を使い、召喚陣クリムゾンを起動させたのだ。

 

 魔力も剣術も、経験すらも必要ではない。

 必須召喚条件は、ひとつ。

『神剣クラウソラスを操ることができるもの』である。

 

 それこそがイサギ。

 後に魔帝戦争を終結させる――当時13才の少年だった。

 


 彼がこの世界から失われた後、

 クラウソラスは再び眠りにつくであろうと言われていた。

 

 だが、新たな使い手が現れたのだ。

 カリブルヌスはまるで勇者イサギの再来のように、クラウソラスを振るった。

 あるいはそれは、彼の中に潜む神エネルギーの片鱗だったのかもしれない。



 

 迫り来る魔王に、シンディアーナとセストはふたりがかりで障壁を唱える。

 冒険者ランキング一桁の術師が張る壁は、一切どんな魔術をも通すことはない。 

 

 イサギは構わず剣を振るう。

 が、その障壁は神剣をも阻む。

 あらゆるものを断つクラウソラスですら、

 さすがに法術を斬り裂くことはできないのだ。


 それでもイサギはクラウソラスを打ちつける。

 障壁に守られた彼らの顔が恐怖で歪んでゆく。

 採掘するように、何度も何度も剣を振るって。

 一枚、また一枚と、障壁は打ち破られた。

 それは死神が寝室をノックする音にも似ていただろう。


「やめて、助けて――」

 

 シンディアーナかセストか、そのどちらかが悲鳴をあげた。

 けれども、魔王は止まるはずもなく。

 

 やがて、全ての障壁は剥がれて落ちた。


「うあああ!」

 

 叫び声とともに放たれる魔術。

 だがそこはもうイサギの間合いだった。

 

 イサギはふたりの術師の首をはねる。

 恐怖に見開かれた顔が赤絨毯を転がった。

 

 クラウソラスを手にしたイサギは、まさに無敵だった。

 

 

 死体に破術を浴びせて完全なるトドメを刺すと、

 手の中でクラウソラスを弄びながら、イサギはカリブルヌスを見やる。


「あとはお前だけだ。カリブルヌスよ」

 

 一瞬にしてこの世界の頂点に立つ三人の冒険者を惨殺した少年。

 黒衣の彼に睨まれながら、カリブルヌスは首を傾げていた。

 

「……どうして、だろう。

 どうしてだ」

 

 男は繰り返し、つぶやく。


「クラウソラスは私しか使えないはずだ。

 私はクラウソラスに選ばれたのだ。

 なのに、どうしてだろう」

 

 カリブルヌスは仲間の死を悼むこともなかった。

 両手を見下ろし、何度も疑念を口走っている。

 

 これが神化病患者だ。

 心の中にはなにもない。

 生きる哲学的ゾンビだ。

 

 イサギはゆっくりと彼に近づく。

 

「遺言があるなら聞いてやるがな。

 カリブルヌスよ。

 もはやお前に残されているものはなにもない」

 

 カリブルヌスがどんなに魔力硬質化していても、関係ない。

 クラウソラスに断てないものはないのだから。

 

 カリブルヌスは首を振り、拳を握る。


「……まあ、いいか。

 私はいつでもひとりだった。

 最後のその時まで、ひとりだ」

「今がその最期だろう」

 

 カリブルヌスは術式を詠出した。

 初めて見る、彼の魔術だ。


 デタラメにコードを書きなぐったかのように見えるそれは、

 しかし呆れてしまうほどの威力を誇っていた。

 彼はシルベニアを遥かに上回る魔術を操るのか。


 発動してしまえば間違いなく、

 このダイナスシティ王城が吹き飛んでしまうほどの絶大な破壊力だ。

 何のためらいもなく、カリブルヌスはそこに魔力を走らせた。


 彼は呪文の発動キーを口走る。


「私の目の前から、いなくなれ」


 けれども。


 それが“魔術”ならば、イサギには通用はしない。

 イサギの左目が輝く。

 

「いなくなるさ。

 この世界を救った後でな」

 

 凝縮された魔力の塊は、イサギとカリブルヌスの中間地点で弾けて、

 ――そして、破潰された。


 カリブルヌスはなにも学ばない。なにも成長しない。

 これこそが神化病患者の宿業だ。



 彼は破術の餌食であった。



「終わりだ」

 

 イサギはクラウソラスを振り切る。

 カリブルヌスの胴体を斬った。

 

「――あが――」


 英雄は真っ二つになって転がる。


 だがあらかじめ、回復術を唱えていたのだろう。

 その体は蠢きながら再び繋がってゆく。


「私は、カリブルヌス……

 この世界の、英雄だ……」


 上半身で泳ぐようにもがきながら、

 カリブルヌスは指先を伸ばし、魔術を詠出する。

 

 その頭部にイサギは、クラウソラスを突き落とす。

 脳までも達する致命傷を受けながらも、彼は口走る。



「わたし は、このせか いを、すくう もの。

 えいゆう かり ぶる ぬす」


 

 頭部を潰されながら、その口だけが声を発する。

 信じられないほどの生命力だ。


 破術でも彼の回復術を破潰することはできなかったようだ。

 今のイサギの破術の威力では、足りないということか。


 ならば、その肉体を破壊するとしよう。


 どうせ魔術では傷つけられないのだ。

 イサギはさらに彼の肉体を斬り離す。

 

 絶って刻んで捌いて断つ。

 

 クラウソラスは完璧にイサギの望みを満たしてくれた。

 イサギは呻き声すらあげられないカリブルヌスを斬り続ける。

 彼の魂の残量が、ゼロになるそのときまで。


 

 バリーズドの仇を取ったはずなのに。

 心の中は乾き切っていた。


 喜びも悲しみも、なにもない。

 ただ無為な、作業だ。

 

「愁は、こんなことを、何年も繰り返してきたのか……」

 

 人の形をした人ではないものたちの血によって、

 玉座の間は汚れてゆく。

 


 人々はふたりの英雄を失ってしまった。

 カリブルヌスと、バリーズド。

 これからのパラベリウ中央国家は大きく変わるだろう。

 その変革は、人間族だけではなく、

 多くの種族を巻き込んでしまうに違いない。


 これが争いの火種となるようならば、

 そのときは再び、イサギは仮面を被るだろう。

 バリーズドと誓ったのだ。

 このアルバリススを守るのだ、と。

 


 早くこの行いを終えて、バリーズドを弔ってやろう。

 そう思っていたイサギは、ふと気づく。


 離散と集合を繰り返しながら、

 カリブルヌスだったものの体積が、わずかに増えている。



 それはまるで、肉体が自ら肥大化しているようだった。


 

「……なんだこれは」

 

 背筋に怖気が走る。

 このまま彼の肉片を分断し続けていいのか?

 なにが起きているのか、わからない。

 

 ミチミチと音を立てて、カリブルヌスの服が弾け飛んだ。

 間違いない。カリブルヌスは巨大化している。

 これも神化病の症状なのか?

 それ以外には、考えられなかったが。

 

 カリブルヌスの自己成長は止まらない。

 二回、三回と斬りつける。

 肉自体は先ほどと変わらず分断されるが、

 すぐにその断面から生えた触手同士が絡み合い、修復は完了した。

 

 肉の塊はもはや見上げるほどの大きさになり、

 その膨張速度はさらに加速した。

 

「マジかよ……」

 

 さすがにイサギは大きく飛び退いた。

 

 まるで子供がこねくり回した粘土の人形だ。

 手も足も頭も、どれもが不恰好な上、目も鼻も耳もついていない。

 肌はぬらぬらと光るピンク色で、死肉で作られた偶兵(ゴーレム)のようだった。


 その醜悪さに、思わず顔を背けてしまいそうになる。

 もはやカリブルヌスの面影はどこにもない。

 これではただの異形の怪物だ。

 

 腕が玉座の間の壁を突き破る。

 巨木のような足が曲がり、床に刺さった。

 


 ――こいつはまだ生きている!


 

 イサギの脳裏に警鐘が鳴り響く。

 

 ひょっとしてこの怪物は、立ち上がろうとしているのではないか。

 かつてカリブルヌスであったものは、己の自重によって沈み込んでゆく。

 建物が揺れ動き、王城はミシミシと悲鳴をあげた。

 

 いったい何が起きているのか。

 イサギはその肉の塊を見上げて、息を呑んだ。


 

 そこに。

 イサギが破壊してきた壁の穴から、愁が飛び込んできた。


「イサくん、これは……?」

 

 駆けつけてきた彼もまた、唖然としている。

 イサギは首を振った。

 

「俺にもわからない。

 回復術を使うカリブルヌスを刻んでいたら、

 やつは自ら巨大化し、こうなったんだ」

「あれが、カリブルヌスなのか……?」

 

 愁は後ろで結んでいた髪の毛をほどきながら、歯噛みする。

 侍女の扮装を解いて普段着に戻っていた彼は、思い出したように目を見開く。


「というか、なんだって?

 キミはあいつに勝ったのか!?」


 愁が驚愕する様は、それなりに見ものだったが。

 今はそんなことを言っている場合ではない。

 イサギは視線を逸らす。


「……まあな。

 つっても、俺ひとりの力ではなかったが」

 

 その先には、床に横たわるバリーズドの姿。


 恐らく、愁も覚悟していたのだろう。

 冒険者の死体も同じく転がっているのを確認し、小さくうなずく。


「そうか、惜しい人を亡くしてしまった」

「……ああ、だがその話は後だ、愁。

 あいつは一体なんなんだ」


 愁は畏怖を表情ににじませながら、巨人を見上げる。


「僕にもわからない、けれど……」

 

 ふたりの見る前で、巨人はさらに膨らみ続けている。

 その頭部は天井を突き破った。

 瓦礫が広場の床を砕いてゆく。

 大きな亀裂が入ったため、イサギと愁は後ずさりをした。


「……回復術により大部分の魂が失われたのだろうと推察すると、

 肉体が人の姿に留まっている理由がなくなったのだろう。

 彼自身の膨大な神エネルギーと魔力が相互作用を引き起こし、

 その結果、肉を変質させたんだ」

「あいつはどこまでデカくなるんだ」

「いずれは神エネルギーの内圧が安定するだろうけれど……

 もしかしたら、永遠に膨らんでゆくのかもしれない」

「そんなことになったら……」

「スラオシャ大陸が海に沈むだけなら、まだマシだ」

「……最悪、世界が滅ぶっていうのかよ」

 

 愁は両手を重ねあわせ、その手のひらから光の鎖を放つ。

 だがその魔法は彼――ともはや言っていいものか――の表皮に阻まれた。

 まるで通じていない。

 

「やはり駄目か」

「硬度は相変わらず、か。

 とんでもねえな」

「そうか、あのときのあれは、これか……」

 

 愁は顔を歪める。


 巨人は眠りから目覚めるように、徐々に活動を開始する。

 その両手をゆっくりと持ちあげるだけで、

 城の最上階が綿毛のように吹き飛んだ。


 イサギは愁に尋ねた。


「で、どうすればあいつを倒せるんだ」

「彼はもはや不死身だ。いくら肉体を破壊しても意味がない」

「そういうのはもう、いい」

 

 仮面の奥のイサギの目を見て、愁はゆっくりとうなずく。


「……そうだね。キミは不可能だと思っていたカリブルヌス討伐をやってみせた。

 ならばもはや僕の心配は、不必要なのだろう」

 

 神化巨人は立ち上がろうともがいている。

 怪物が暴れるたびに、王城は崩れてゆく。

 どこかのなにかが引火したのか、木が爆ぜる音がした。

 

 結界陣が張り巡らされていなければ、城の外にも相当な被害が出ていただろう。

 それすらも、いつまでも持つものかわからない、が。

 

 愁は瓦礫から身を守るために、

 二人分の結界を張りながら、語る。


「……理論上は、

 肉世界と神世界の繋がりを断ち切れば、

 彼の体に注がれる魔力と神エネルギーの供給が途絶え、

 あの巨体は自壊するだろう。

 だがそんなことは、僕でもやったことがないな……」

「肉世界と神世界の繋がり、か」

「その二つの世界の間にあるものは、

 魔世界と魂世界だ。

 どちらかの彼を完全に消滅させてしまえばいい」

「問題は?」

「ふたつある。

 神エネルギーの内圧が薄まったとはいえ、

 それでもまだ彼は全身に鎧をまとっているようなものだ。

 あれを貫くのは、容易ではないだろう。

 そして、魔力はほぼ無尽蔵だ」

 

 愁はこめかみを押さえながら語る。

 とても400年前に生きていたとは思えないほどの知識だ。

 

「……よって、破潰するのなら、魂しかない。

 彼の魂はもはや3グラムも残ってはいないだろう。

 あの心臓にキミの切り札(ジョーカー)を、

 直接叩きこめば、あるいは……」

「なるほどな」


 イサギはカリブルヌスを見上げて、うなずく。


「つまりは俺次第か。

 話が早い」

「イサくん……?」

 

 イサギは仮面の上から左目を撫でる。

 覚悟を決めるしかないだろう。

 

 魂が砕けても構わないという、覚悟を。


 顔も口もない能面の神化カリブルヌスは掲げていた両手を、

 さらにゆっくりと下ろしてくる。

 辺りに影が落ちた。

 まどろんでしまいそうなほどの鈍さだが、

 あるいはそれは大地を叩き割る神話の斧のようにも見えた。


「まずい――」

 

 愁とイサギは大きく飛び退いた。

 だが、あまりの巨大さにその間合いを誤認してしまっている。

 一歩や二歩では避け切れない。

 

 愁はイサギの体に鎖を巻きつける。

 それと同時に、もう一本を離れの尖塔に引っ掛けて、一気に距離を縮めた。

 

「翔ぶよ!」

「悪い!」

 

 瓦礫を砕きながら、ふたりは身を丸めて空を駆ける。

 

 彼らが今まで立っていた床を、

 巨人は両腕で叩き潰す。

 

 空間が爆砕されたような衝撃波が辺りを揺るがした。

 王城は木っ端微塵に砕かれて、石材の残骸が辺りに撒き散らされる。

 危うく鼓膜が破けてしまいそうなほどの轟音が響き渡った。

 世界が終わってしまうとしたら、あるいはそれはこんな光景だったかもしれない。

 

 かつて拠り所にしていたであろうダイナスシティ王城が、

 粉々に破壊し尽くされる様を見て、

 人間族の人々は一体なにを思っていたのだろう。

 まさしく今このとき、巨人は神そのものであった。

 

 

 尖塔の屋根に立ち、巨人を見下ろすふたり。

 城の中の避難が完了しているのか、辺りに人の気配はなかった。

 ダイナスシティを護る誇り高き陽聖騎士団といえど、

 これほどの怪物に打つ手などはないだろう。


 頭上には重たい雲が立ち込めており、少年たちの表情は苦い。

 

「ただデカいだけなら、まだしもな……」

「あの体長で神化病患者と同じ強靭さだろう?

 魔術ですら撃ち抜けない相手の心臓を、一体どうやって暴くつもりなんだい」

「まあ、それはな」

 

 巨人はさらに腕を振り回している。

 ただのそれだけで、王城の跡地はさらにかき混ぜられて、砂塵が舞い上がった。


 口を押さえながら、愁。

  

「相当な距離を離したというのに、

 この威圧感はまるで、本当に神を相手にしているようだな……」

 

 愁は狂神を、憎々しげに睨む。

 目測でもその体長は、50メートルは下らないだろう。

 

「まずいな……」

 

 イサギはつぶやいた。

 

 王城の地下には召喚魔法陣クリムゾンがある。

 あの巨人がこれ以上膨れ上がったら、間違いなく踏み砕かれるだろう。

 その場合、帰還の希望は潰えてしまう。

 ここでカリブルヌスを倒したとしても、廉造に殺されてしまいかねない。


 暴れ回る巨人のせいで、

 結界法術陣の内部は戦塵の海に沈んでいるかのようだ。

 視界は奪われ、聴覚すらも満足には機能しない。

 断続的に続く地鳴りは、まるで天変地異のようだった。


 すぐ近くにいるのに、イサギは大声を張る。 

 

「愁、あいつの動きを止められるか!」

「やってみよう!

 ただし、長くは持たないよ!」

「五秒あればいい!」 


 言うやいなや、イサギは跳躍した。

 まるで翼が生えたような動きで崩れかかった廃城の塔を飛び移りながら、巨人へと近づいてゆく。

 後ろから愁の叫び声が聞こえた。

 

「人生で最も長い五秒になりそうさ!」

 

 やけくそ気味のその言葉に、イサギは心から同意する。

 

 

  

 愁は両手を左右に伸ばす。

 二本の光の線を、凄まじい速さで撃ち出すのだ。

 

 一本は物見塔に巻きつき、もう一本もまた反対側の塔に絡みつく。

 遠心力によって勢いの増したそれぞれの先端はまるで網のように広がり、

 いまだ暴れ続けている巨人の四肢を縛りつけてゆく。

 

 合計十本の光の鎖を操るだけでも至難の業だというのに、

 伸ばした長さはすでに二本合わせて数キロにも及ぶ。

 かつてだったらとっくに気を失っていたはずの魔力を失いながらも、

 それでも愁はまだまだ余力を感じていた。


 これが封術の力だ。

 愁の体に蓄えられた膨大な魔力だ。 

 

「それなら……!」

 

 枝分かれした鎖の先端を今度は地中深くに突き刺す。

 塔と地下への楔、二点で固定された巨人はついに、

 その動きをわずかに止めた。

 

 下半身を光の繭のようなものに包まれた巨人は、

 必死にそれを振りほどこうと身をよじった。

 途端に音も立てずに何本かの鎖が千切れて、弾け飛んだ。

 

 神化巨人カリブルヌスはまだ巨大化し続けている。

 愁は追加の鎖を放ちながらも、法術を詠出する。

 

 冷静に観察する。

 全ての鎖が弾け飛ぶまで、あと二秒。

 その二秒を使い、渾身の術式を作り上げるのだ。

 全身全霊を賭けて。


 イメージはやはり鎖だ。

 巨獣を縫い止める鎖。アルバリススの秩序を守る鎖。

 神化病という名のパンドラの箱をがんじがらめに封印する鎖を描き、

 愁は雄叫びをあげる。


 これが禁術師の、極大法術だ。


「グレイプニル!」

 

 光の繭が散り、塔が引きずり倒されると同時に、

 神化巨人の全身は闇のような巨大な鎖に包まれた。

 線材のひとつひとつが家屋ほどの大きさの鎖だ。

 

 封術師が全ての魔力をつぎ込んだその法術は、

 わずかな時間だが、神をも縛り上げた。

 

 両手両足を拘束された怪物は、締め上げられ、

 直立不動の姿勢で天を仰ぐ。

 

 あれほどの怪物をわずかな時間でも縛ることができ、

 愁は脂汗を流しながら、口の端を釣り上げた。


「……なんだ……苦しいのか、化け物め……

 だがな、僕の味わった苦しみは、この程度ではないぞ……」


 まるで血を失ったように目眩が収まらない。


 愁は膝を折り、残ったわずかな魔力で一本の鎖を放つ。

 これは橋だ。

 人と神を繋ぐ橋であり、

 明日へと伸びた希望の橋だ。


「頼むぜ、イサくん……

 今の僕には、これが、精一杯だ……」 


 ここでイサギが負けてしまえばダイナスシティは、

 いや、スラオシャ大陸は、間違いなく滅びるだろう。


「……イサくん……

 キミの真の力を……僕に、見せてくれ……

 人は神に抗うことができるのだと……それを、証明してくれ!」


 蒼白の表情で愁は叫んだ。



 勝利へと向かう橋を、今、少年が駆ける。


 

 

「カリブルヌス!」

 

 愁が繋いだ光の鎖は、神化巨人の首元に突き刺さっていた。

 疾駆するイサギの右手には光を放つクラウソラス。

 

 繊維と筋肉によって形作られた彼ののっぺりとした顔が、

 一瞬、こちらを睨んだような気がした。

 

 構わず、イサギは跳ぶ。

 

 高く高く、天まで届きそうなほどに。

 イサギはクラウソラスを振り上げて、叫ぶ。


「これが俺とクラウソラスの――

 ――力だああああああああああ!」

 

 イサギの体から放散される煌気に呼応するように、

 クラウソラスの白銀の刀身が伸びる。

 それはまるで神化巨人を断つために、剣が自ら相応しい姿を取ったようだった。

 

 鎖が消えたその瞬間、イサギは神剣を振るう。

  


 右袈裟斬りの一撃がカリブルヌスの頭部を斬り飛ばし、

 返す左袈裟斬りがさらに残ったその肉を胸元まで斬り落とす。


  

 たったの二撃で巨人の心臓があらわになった。

 人間よりも巨大なそれは、今なお律動を続けている。

  

 イサギは落下に身を任せながら、

 姿勢を制御し、露出した心臓を見据える。

 そうして、左腕を振り上げた。


 拳で直接、叩き込む――。

 

 肉の壁も神エネルギーの外殻も貫いて、

 ただただ強く、神化巨人の魂を司る部位に。

 

 打ち込むのだ――。


 イサギの両眼が血のように燃え上がる。

 バリーズドのように、これが、魂を賭けた一撃だ。

 

「ラストリゾート――フィナーレだ!」

 

 イサギの左拳は、間違いなく、

 神化巨人カリブルヌスの心臓を打ち据えた。

 


 衝撃が彼らを取り巻く砂塵を吹き払い、光が瞬いた。



 左腕から放出された破術は、虹の色を描く。

 螺旋のように広がりながら、カリブルヌスの胸部を包み込んでいった。

 

 最初は小さな変化だった。

 急激な温度差に耐え切れず割れる陶器のように、巨人の肌に亀裂が入る。

 細かいヒビ割れは徐々に広がり、やがて文様を描きながら全身へと拡大した。

 目に見えてカリブルヌスの動きが鈍化する。

 

 そして、ついに崩壊した。

 割れたカリブルヌスの破片は空中で溶けて真っ赤な気体と化す。

 王城を破壊し尽くした神は、自らの自重に耐え切れず折れ曲がり、

 空に手を伸ばしながら、その指先さえも蒸発してゆく。

  

 イサギの繰り出した奥の手は、カリブルヌスの残るわずかな魂の一片を、

 確かに――砕いたのだ。



 一方、イサギ。

 彼は反作用(バックファイア)による喪失感を味わっていた。


 魂が消し飛びかねないほどの威力で破術を放ったイサギは、

 頭を下にして地面に落下してゆく。

 

 意識を失いそうな中、イサギは受け身を取ろうと、

 なんとか手を伸ばすものの……

 

 もう指が動かなかった。

 

 無理だ。

 衝突する。 

 

 

 その体を、

 光の鎖をロープのように使って弧を描いた愁が、攫う。


 

「相打ちで終わるなんて、

 そんなことは僕が許さないよ」

 

 いつの間にか、イサギの仮面は剥がれ落ちている。

 それでもクラウソラスだけは握り締めていたのは、もはや本能か。

 

 風の音に紛れて、愁のつぶやきが聞こえた。


「見なよ、イサくん。

 ……神化巨人カリブルヌスが滅んでゆくよ」

 

 彼の腕に抱えられながら、イサギはゆっくりと顔をあげた。


 行き場を失った神エネルギーと魔力は、辺りの瓦礫を無差別に魔晶化しながら、

 少しずつ、少しずつ、結界の隙間から漏れ出し、空へと昇る。


 真っ赤な光の帯は、天を駆ける星の川のようだ。

 言葉を失うほどに美しく、それは幻想的な光彩だった。

 

 

 緋色の煌めきに包まれながら、

 まるで人の罪が浄化されてゆくような光景に、愁は目を細めた。

 

「……まさか本当に倒してしまうとはね。

 これが僕ひとりだったなら、きっと戦う前から諦めていただろう。

 イサくん、キミという人は本当に、計り知れないな……」

 

 畏敬の念すら込められた愁の言葉。

 

 倒壊し、拡散してゆく巨人を横目に、

 イサギは脱力し、その口元を緩めた。

  

 

「へへ……

 ピンチに巨大化するようなやつに、負けるなんてことがな、

 そう、罷り通るかってんだよ……」

 

 

 

副題:元勇者、決着する。


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