6-1 GOD EATER
礼拝堂の中。
多くの貴族たちが見守る前。
イサギはカリブルヌスと向かい合う。
彼の異常魔力は肌で感じることができるほどだ。
だが、そんなことは問題ではない。
――倒すと決めたのだから。
カリブルヌスが剣を抜き放った。
その不可視の剣閃に、イサギはなにか小さな紙を投げつける。
空中でその紙片――カードは真っ二つに引き裂かれた。
だが、代わりにイサギは無傷。
たった一枚の札で、カリブルヌスの剣撃を相殺したのだ。
カリブルヌスは感嘆の声をあげる。
「へえ」
「今ので見たのは三度目だ。
さすがにもう種は見切った」
腰に二本、さらに背中に短剣を帯びたイサギが、
ポケットから取り出したのは、カードの束。
遊戯札だ。
「……そんなもので私の剣を?」
「やってみな」
カリブルヌスは再び剣を振るう。
その軌跡を見切り、イサギはカードを放った。
たった一枚の札によって剣閃は阻まれた。
札は両断されるが、ただそれだけのこと。
同じことを繰り返し、彼らの間には紙吹雪が舞う。
「闘気を飛ばすが、それはただ直進することしかできやしない。
物質に衝突すると作用を引き起こし、斬撃を発生させるんだろう。
器用な技だな」
「鋭いじゃないか」
イサギがカリブルヌスを引きつけている間に、
その手からアマーリエがすり抜けた。
カリブルヌスは、花嫁が父親に駆け寄ってゆくのを一瞥もしない。
その興味は完全に、唐突に現れた剣士に向けられていた。
「顔を隠しているが、人間族かな?
きみぐらいの男が、野に埋もれていたとはね」
イサギは横目でアマーリエが離れたのを確認すると、
大きくため息をつく。
それから、跳躍した。
剣を引き抜き、カリブルヌスの目の前へと。
速い。
「え?」
「黙ってろ」
両手で掲げた剣をカリブルヌスの首筋に、
渾身の力で叩きつける。
手応えの異常さにはすぐに気づいた。
まるで鋼を斬っているような感触だ。
イサギは剣を食い込ませたまま、壁際まで彼を一気に押し込む。
そして、右腕を引き絞った。
固めた拳に闘気をまとい、思いっきりその刃を殴りつける。
「うらぁ!」
一撃、二撃、まるで杭打ち機のように剣はカリブルヌスの身体にめり込んでゆく。
同時に、背後の壁には亀裂。
カリブルヌスが血を吐いたその瞬間、礼拝堂の壁が砕けた。
「お前が、バリーズドを! リミノを!
そして、デュテュを、アマーリエを、皆を苦しめている元凶か!」
廊下を駆け、さらに次の壁へカリブルヌスを運び、
次々と彼の体ごと内壁を砕いてゆく。
粉塵が立ち上り、イサギの通った道には見事なトンネルが作られる。
やがていくつもの壁を貫くと、
ふたりは大きな広間に出た。
そこは玉座の間であった。
その場にいた何人かの男たちがこちらをギョッとして見やる。
イサギは術式で燃焼性のない小さな火を放つ。
「命が惜しいものは失せろ! 去れ!」
まるで脱兎のごとく駈け出してゆく。
あっという間にそこは無人の広間と化した。
これで巻き込まれるものはいない。
イサギが刃を引き抜きながら足で蹴り出すと、
カリブルヌスは大きく吹き飛ばされて、
赤絨毯の上の床を転げ回った。
石材と血でボロボロに汚れたタキシードの男を見下ろし、
イサギは追撃の魔術を詠出する。
銀鋼の刃は欠けていた。
あれが神化病の症状、神エネルギーの内圧というものなのだろう。
イサギの剣撃が弾かれるほどの防御力だ。
彼には生半可な威力の魔術は通用しない。
極大だ。極大しかない。
思い出すのだ。
そうだ、シルベニアのあの魔術だ。
リヴァイブストーンを使った冒険者を、ねじ切りながら焼き尽くすあの。
コードを束ねて重ねて巻きつける。
火力を一点に凝縮し、核融合のようにイメージをするのだ。
さらに被害を留めるために周囲を法術の障壁で覆う。
準備は整った。
カリブルヌスは倒れたまま、なぜか動かない。
こちらを見くびっているのなら、思い知らせてやろう。
人間の力を。
「エンシェントフレア!」
太陽のように輝きを放つ業火は、一瞬にしてカリブルヌスを包み込んだ。
障壁に隙間があったため、凝縮し切れなかった火炎が玉座の間に飛び火する。
猛る炎はプロミネンスのように暴れ狂う。
だがその中心――
炎に包まれながら、カリブルヌスはゆっくりと立ち上がった。
その目は赤く染まっている。
「面白い。面白いよ。
久しぶりの戦いだ。胸がときめく」
まるで子供のように無邪気に笑うカリブルヌス。
火炎の炉からゆっくりと這い出てくる。
彼は炎をまといながらもこちらに歩み寄ってきた。
服が焦げていないのは、なんらかの魔具を使っているのか。
だが、体からは血が滴り落ちていた。
銀鋼の斬撃は確かに効いている。
彼はリヴァイブストーンを使用していないようだ。
それに腰に提げた剣は、クラウソラスではない。
兵士から奪っただけのどこにでもある剣だ。
「さあやろうか。
君のような強い人間族を相手にするのは、嬉しいな。
最近では誰も私と戦ってくれないんだ。寂しいことにね」
「……黙ってろ」
イサギは跳びかかった。
きりもみのように回転しながら剣を振るう。
これが邪剣の真髄だ。
受けに回ったカリブルヌスはその軌道を追うことができない。
剣で急所である首を守る彼。
イサギは手首の返しで狙う場所を胴へと変える。
そしてさらにカリブルヌスがそれに反応した。
驚くべき動体視力だが――無駄だ。
体をガードするその剣を、イサギは遠心力で弾き飛ばした。
剣は玉座の間の壁に突き刺さる。
驚愕のカリブルヌス。
「まさか」
さらにもう一転。
胴を、首を、薙ぐ。
血飛沫が舞う。
イサギはまだ止まらない。
魔族の身に着けている魔具とその鎧を裂くために極めた剣技だ。
初見の相手がこの速度と威力に対応できるはずがないという自負があった。
地面に着地したイサギは、
回転の勢いを緩めず、足を払った。
カリブルヌスは態勢を崩し、
その場にひっくり返ろうとしている。
天地逆転になりながら、彼の目はイサギを見据えていた
「いいよ、すごくいいよ、君は。
私も興が乗ってきた」
彼が体をひねり、地面に着地しようとするその前に――
イサギは渾身の力で、その腹に剣による右片手突きを打つ。
鍛造するような硬質的な音が玉座の間に響き渡り、
銀鋼の剣の先端がカリブルヌスにわずかに刺さった。
「ふふふふふ、無駄だよ。
私はすごく強いんだ。それぐらいじゃあ――」
彼はその剣の刃を片手で掴む。
引き抜かれるよりも早く、イサギは身を翻した。
「お前の言葉なんざ、
聞きたかねえ――!」
叫び声と共に、全ての闘気を開放。
イサギの体からわずかに黄金色の粒子が撒き散らされる。
煌気――放散。
剣の柄に、後ろ回し蹴りを叩きつけるイサギ。
まるで空気が爆砕したかのような音と共に、カリブルヌスが吹き飛んだ。
闘気を極めたもののみが使うことのできる『煌気』は、
自身の身体能力を爆発的に高める奥義である。
イサギはこの技を用いて、アルバリススを平定したのだ。
彼は壁に叩きつけられ、銀鋼の剣によって縫いつけられる。
ちょうど玉座の上。
まるではりつけにされているかのようだった。
本来なら上半身が消し飛んでもおかしくないはずなのに、
彼は腹に剣が刺さったまま、薄く微笑んでこちらを見下ろしていた。
しかし、その血はかなりの量が失われたはずだ。
彼がまだ人間という存在にとどまっているのなら、このまま殺すことはできるだろう。
身動きの取れないカリブルヌスは、術式を詠出していた。
回復禁術か。
だとしたら、見過ごすわけにはいかない。
無効だ。
「ラストリゾ――」
だが次の瞬間、イサギは殺気を感じて飛び退いた。
先ほどまで立っていた場所に、斬りかかってくる男がいたからだ。
「カリブルヌス、お前が遅れを取るとは、
この仮面の男は、どんな怪物だ」
飛び込んできた剣士がひとり。
七色にきらめく晶剣を持つ、右目に傷跡を持つ男だ。
冒険者ランキング四位、グレイグロウ。
邪魔者は彼だけではない。
「まったく、アタシたちがいたからよかったものを」
玉座の間の扉を開けてやってきたのは、長い紫の髪を持つ女性。
彼女は杖を掲げて、そこから緑色の光――回復禁術を放つ。
冒険者ランキング三位、シンディアーナ。
「本当ですよ。しかも王城の中にまで侵入を許すとは」
さらに現れたもうひとりの術師は、金髪の青年だった。
冒険者ランキング五位、セスト。
彼は二本の剣を帯びている。剣も使うのかもしれない。
騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。
早すぎる。
アルバリスス最強である、カリブルヌスパーティーが全員集結だ。
カリブルヌスは腹に突き刺さった剣を引き抜くと、
まるで重力をも支配しているかのように、ふわりと床に降り立つ。
「私一人でも良かったのだけど。
まったく、無粋な真似だよ、君たち」
銀鋼の剣をくるりと手の中で弄み、彼はそのまま刃をへし折った。
破片が辺りに散らばる。
カリブルヌスの腹の傷は、すでに癒えていた。
「アンタが万が一にでも死んじゃまずいから言ってんでしょーが」
「やめとけ、シンディ。
カリブルヌスのあの顔は、本気で不機嫌そうだ」
「本当ですね。玩具を取られた幼児のようですよ」
「納得いかないわねェ……」
四人に取り囲まれながら、イサギは腰の剣を抜く。
銀鋼の剣ですらない。武器屋で購入した鉄の剣だ。
ため息をつく。
「やれやれだな……」
敵は英雄王、戦士、それにふたりの術師。
まるで、魔帝アンリマンユに挑んだ、自分たちのようではないか。
対するこちらはただひとり。
あの魔帝も、イサギたちを前にこんな気持ちを抱えていたのだろうか。
だとしても、だ。
魔帝アンリマンユはよく戦った。
決して怯むことなく、たったひとりで。
その心の中では、負けることさえも覚悟していただろうに。
ならば今の自分も、彼らに相応しい言葉を告げようか。
黒衣を翻し、イサギは仮面の奥の目を細めた。
「烏合の衆が、何人集まったところで同じことだ」
振り返り、先ほど回復術を唱えた女を睨む。
彼女はイサギを見て、明らかに怯えた表情をしていた。
「なにゆえそのような姿に堕ちてまで生きるのか。
俺はお前たちに永遠の滅びを与えよう」
その声は玉座の間に冷然と響き、
しん、と水を打ったように静まり返った。
片手をあげて、宣する。
「――息絶えるが良い」
イサギ自身の目もまた、
身の毛がよだつような“紅蓮”に染まっていることを、
彼はまだ、知らない。
イサギがカリブルヌスを殴り飛ばし、
この礼拝堂から姿を消した後、愁は事態を冷静に把握していた。
やってしまった、と。
彼の怒りに火を点けたのは、自分の責任だ。
愁は悔やみながら、騒ぎ立てる侍女たちの間を抜ける。
イサギはもう助からない。
400年経ち、どれだけ人間が強くなっていても関係がない。
なぜなら、人が強くなればなるほど、神化病患者も比例して強くなってゆくからだ。
神化した人間が到達する極地。
それは肉体の硬質化だけにはとどまらない。
神世界から永遠に供給され続ける膨大な魔力だとか。
その力は、人間であった頃の数倍、数十倍にも及ぶ。
彼らを葬り続けていた愁はよく知っている。
やつらに、都合の良いような弱点などは、ないのだと。
礼拝堂はまだ騒ぎが収まっていない。
(ならば今は悔やんでいるときじゃないね――)
彼の死を無駄にするわけにはいかない。
イサギがカリブルヌスを引きつけている間に、
愁は自分のやるべきことを果たすため、両手を広げた。
殺すべき男は四人。
顔はこの二ヶ月の間で掴んだ。
カリブルヌス派の要人たちだ。
彼らを処断すれば、ハノーファは次期ギルドマスターの座に収まったも同然だ。
その功を持って愁は彼に近づくのだ。
冒険者ギルドの中核に入り込めれば、リヴァイブストーンの撲滅にも繋がる。
愁は両手から魔法を撃ち出す。
まず一人目。
七貴族のひとり、サルバトーレ・バリオーニ侯爵。
集団の中心で顔を青くしていた彼に向けて、光の鎖を振るう。
アマーリエを監禁していたその男は、四肢をバラバラに引き裂かれた。
辺りにいた男たちの悲鳴が響き渡る。
だがもうこの場にカリブルヌスはいない。
兵士が愁の仕業だと気づくのは、まだ先だろう。
次に、同じく七貴族のひとり、ジュゼッペ・シエピ伯爵。
短く小さく固めた鎖――光の弾丸を、高速で射出する。
彼の眉間を撃ち抜き、頭部を吹き飛ばした。
そしてその腹心、イルデブランド・カルーソー子爵。
頭上に伸ばしていた光の鎖で、その体を斜めに引き裂いた。
この間、わずか八秒。
愁は顔を隠しながら人混みに紛れ、
最後のひとりを探す。
貴族でありながら、カリブルヌスのパーティーメンバーのひとり。
セスト・プレスティーア・ノーニ男爵。
確かにこの結婚式に参列していたはずだが、その姿はどこにもない。
(だが、不意打ちでも倒せるような相手ではないか……)
彼はどこに行ったのだろうか。
まさか、カリブルヌスの助力に?
その可能性は大いにある。
礼拝堂の混乱は最高潮に達している。
内部にも暗殺者が潜んでいたとあって、
貴族たちは我先にと礼拝堂の扉に殺到していた。
さて、自分もいつ正体がバレるかわからない。
本来ならば一秒でも早く、脱出するべきなのだが。
しかしそんな中、ひとりの人物が壁の――先ほどイサギが破壊した穴に向かっている。
ギルドマスター・バリーズドだ。
彼は衛兵に指示を飛ばしながら、誰にも頼らず歩き出している。
その顔は決死の表情だ。
滴る血が引きずられたような後を残していた。
恐らく、イサギを、
かつての仲間を追っているのだろう。
(――くっ)
愁は一瞬だけ目を閉じる。
もう自分は一度過ちを犯してしまった。
イサギを信じる――などという曖昧な確率にすがるわけにはいかない。
己の感情と理性を切り離す。
自らの全ての欲求を支配下に置き、その合理性を見出す。
リスクとリターン、それを見誤ってはいけない。
目的を果たすまでは、死ぬわけにはいかないのだから。
(……よし)
愁はまず、アマーリエに駆け寄った。
ドレス姿の彼女は、バリーズドを追いかけようとして、
衛兵たちに押しとどめられている。
「お嬢様、大丈夫ですか。お怪我はありませんか」
「あ、え、あ……
あの、あなた、は」
「どうぞこれを」
彼女にハンカチーフを差し出す。
戸惑い、こちらを見つめる彼女に、愁は微笑んだ。
「彼……カリブルヌスと戦っているイサくんの、友人です」
「え、あ……」
「ご心配はありません。今はここから脱出をしましょう」
そう告げると、だ。
放心していた彼女の瞳に力が戻った。
「あ、でも、イサくんと、父さんが!」
彼女は歩き出そうとするが、
その両肩を掴んで、愁は告げた。
「貴女はお逃げください」
「でも、だって、あたしのために!」
「カリブルヌスは――」
言いかけて、愁は口をつぐむ。
違う、そうじゃない。
必要なのは、地位だ。
少し心を落ち着かせてから、言い直す。
「もしカリブルヌスを倒し、
冒険者ギルドを救ってみせたならば、
お嬢様、僕と結婚してくれますか?」
アマーリエはこんなときだというのに、
ぽかんと口を開けて、まじまじと愁の顔を見つめてきた。
「……え?」