1-5 閃熱の洗礼
一旦、部屋に戻ってから。
改めて呼び出されて、案内された先は食堂だった。
長テーブルがひとつ。周りを囲むように椅子がある。
なんだか、少ない家具を使って、一生懸命豪華に見えるように整えました、といった作りだ。
仕方ない。今は物不足だ。
それでも、レースのテーブルクロスは上等なようだし、並んでいる食事は豪勢だった。
きっと精一杯もてなそうとしてくれているのだろう。
イケメンとヤンキーは先に来て座っていた。
やあ、とこちらに手を挙げて挨拶をしてくれたのはイケメン。
その顔を見ると少しだけホッとする。
彼は席の中央近くに座っている。
「よう」
イサギはその斜め向かいに腰をかけた。
遅れて部屋に入ってきたメガネ。
彼は部屋を見回した後。
端に座っていたヤンキーと反対側――ちょうど対角線上の端に着席した。
魔王候補、再び四人集合、といったところだ。
やがてメイドたちによって料理が運ばれてくる。
魔族の食べているものということで、かなり心配だったけれども。
だがどうやら、ここの魔族の食生活はイサギたちと変わらないようだ。
ふくらし粉たっぷりの黒パンに、薄味のスープ。見たことのない野菜のサラダ。前菜の後に、なにかの肉のソテーが並べられた。
だが、まあ、どれも味は良い。
正体さえ気にしなければ、十分食べられる。
(……うん、この世界で食べていたものと似たようなもんだな)
異世界トリップしてきたばかりの人には辛いかもしれないが。
それでも、イサギはもう慣れたものだ。
むしろこれまでの旅に比べたら、皿の上に盛ってあるだけ何百倍もマシ。
上等な食事と言えるだろう。
だが、他の人はというと。
構わず食べているのがヤンキー。
一方、メガネはスープを少し飲んだだけで、他にはなにも手を付けていない。
イケメンは恐る恐るパンを口にした。
味の違いに少し顔をしかめてから、イサギにつぶやく。
「すごいね、キミは」
「ん?」
フォークを握り、顔をあげる。
「こんな状況なのに、ちゃんと食べられるんだね」
「あ、そ、そうだな」
不自然だったろうか。
イケメンは平然としているように見えて、やはり精神的に参っているようだ。
言い訳がましく、付け加える。
「え、えっと。俺さ、こう見えても結構なんでも食べれるんだ。
家が貧乏で。食べれるときに食べとかないと、って家訓でさ」
「そうなんだ。すごいね……」
「いやいや全然そんな大したことじゃ。食い意地が張っているだけだよ」
「それも含めて、すごいと思うよ」
イケメンはイサギを尊敬の眼差しで見つめている。
そういう反応も、なんだか今では新鮮に思えてくる。
ヤンキーとメガネは黙り込んでいる。
相変わらず、空気が重い。
それ以外にもメイドが何人か立ってはいるが、みんな気配を消していて、まるで人形のように風景に溶け込んでいる。
「なんというか、まだ夢を見ているみたいだよね」
イケメンは苦笑している。
「そうだなあ」
曖昧にうなずく。
大嘘だけど。本当はとっくにこの世界の住人だけど。
「僕さ、部活に行こうとしていたんだよ。で、ちょっとトイレ行こうかなって思って、曲がり角を曲がったら急に胸が苦しくなってきて」
気づいたらここにいた、と。
そう聞くと、なんとも気の毒だ。
「浅浦くんはどうしてここに?」
「俺は、図書館で勉強していたんだ」
ちなみに3年前のことである。
その頃は中学二年生だった。
「そうしたらやっぱり、胸が痛くなってさ。気づいたら、その、ここにさ」
「お互い、これからどうなっちゃうんだろうね。魔王だとか言われていたけど」
「そうだな。あんまり物騒なことにならなきゃいいんだが」
「どうして僕たちなんだろうね。空手の先生とか、軍人の人とか呼び出せばいいのにね?」
「はは、まったくだな」
そんな風に笑い合っていると。
メガネがぼそっとつぶやいた。
「帰りたい……」
たったその一言で、盛り上がりかけた空気が霧散してしまう。
(ああ……またダウナーになってくる)
彼の周りだけ闇が濃くなっているようだ。
その反対側の席。
「ったく、帰んねーとマズイんだっての」
まったく違う雰囲気だが、ピリピリしているヤンキー。
部屋の両側からイライラがやってきて、
まるでオセロのように、こちらまでひっくり返ってしまいそうだ。
すると突然。
ヤンキーがテーブルを蹴る。
「こんなところにいつまでもいられっかよ。クソが」
(た、態度悪ぃなあ!)
ただの一般人のはずなのに、ちょっとビクッとしてしまう。
デュテュが彼と話をしたら、卒倒してしまうのではないだろうか。
そんないらない心配まで浮かんでしまう。
「えっと、説明してくれるって言ってけど、さっきの人たちなかなか来ないね……はは」
涙ぐましい努力でイケメンがつぶやく。
こんな状況でも話そうとするなんて。
コミュニケーション能力の権化だ。
ここは手伝うべきだろう。
「そ、そっちは、高校生なのか?」
「う、うん。今、二年生だよ」
というと、イサギと学年は一緒ということになる。
「じゃあ俺たち、同学年だな」
「そうなんだね。ちょっと安心するよ、浅浦くんと一緒で良かった」
こちらに笑みを向けてくる。
人を安心させるような柔和な笑顔だ。
「つか俺のことはイサでいいよ。こっちも愁って呼ぶし」
「うん、じゃあよろしくね、イサくん」
ニコニコと愁。
性格良さそうだなあ、と思ってしまう。
いいことだ。
愁がいなかったら、ひとりでここに座っていられる自信がなかった。
「愁は、帰りたい帰りたいって言わないんだな」
「うん、まあ……代わりに言ってくれている人がいるし」
声を潜めて愁。
「本当は多分家族も友達も心配していると思うんだ。だからせめて手紙だけでも送れたら良かったんだけどね……」
「そーだな……」
しみじみとうなずくイサギ。
それだけを送る召喚術でも、開発しておけばよかった。
そんな暇はなかったか。
「イサくんにも心配している人とかいるでしょう?」
「……んーまあ、多分?」
そこでイサギが思い浮かべたのは、元の世界にいた疎遠な親戚たちではない。
20年前に離れ離れになった仲間たちだった。
その憂いのある表情を見た愁が、くすっと笑う。
「ひょっとして、恋人でもいた?」
「え?」
思わずイサギは顔を赤くした。
「べ、別にあいつはそんなんじゃなくて」
「イサくん、図星みたいだね」
「ちげーし、全然ちげーし」
からかわれていることに気づいていたが、なぜだか悪い気はしなかった。
愁の態度が優しく、冗談で言っていることがわかったからだろうか。
あるいは男友達とバカを言うのが、本当に久しぶりだったからだろうか。
(そういえば3年前に勇者として呼び出されてから、ずっと戦いっぱなしだったもんな……)
楽しかったこともあったが、そうではないことも多かった。
こんな風に落ち着いて誰かと話す機会などほとんどなかったのだ。
(ちょっとこれ、楽しいかも)
そんなことを思っていたときだ。
食堂の扉がゆっくりと開いた。
やってきたのは、地下室で会った魔女と剣士だ。
デュテュの姿は見えない。
「おせえじゃねえかクソ」
ヤンキーが罵声を浴びせるが、ふたりは涼しい顔。
ウィッチの少女はテーブルの元にやってきて、指を一本立てる。
「えー今の食事には毒が入っていますの」
(は!?)
イサギは面食らう。
(まさか……失敗した、そんなことすら想定していなかったなんて……)
イサギの体はある程度の毒なら無効化することができる。
ただし最高レベル劇毒――デッドリーポイズンにもなれば話は別だ。
ここに呼び出されて、迂闊なことが続いている。
やはりひとりだからだ。
イサギはずっとパーティーを組んできた。
どんなことも仲間たちと乗り越えてきた。
そのことが今、裏目に出ている。
(……でも一体、なんのために)
シルベニアの意図が見えない。
もしかしたら、正気を奪う類の薬だろうか。
辺りもざわついている。
「え、えー……」
イケメンも顔を青くする。
「っざっけんじゃねえぞゴラ!」
ヤンキーが立ち上がった。
スープを一口すすっただけのメガネも、おろおろと視線をさまよわせている。
ウィッチは無表情のまま片目つむる。
あるいはそれは、出来損ないのウィンクだったのかもしれない。
「冗談なの」
……。
なんだこの娘は。
「おうてめぇいい度胸じゃねえか」
ガタッと立ち上がって腕まくりするヤンキー。
「まあまあ」
「まてまて」
イサギと愁がなんとか取り押さえる。
今の場合、悪いのは1000%シルベニアだが。
とにかくケンカはまずい。
落ち着いた頃を見計らって、手を離す。
「……えー、姫様がいないが、あの方は体調が優れないということで休んでもらっている。
というわけで、改めて説明する」
イラは頭痛を耐えているような顔で話し出す。
イサギの見た限り、デュテュは元気そうだったが。
あるいはこの場には、連れてきたくなかったのかもしれない。
ヤンキーがいれば、また悪化する可能性もあるだろう。
なるほど。主君思いの剣士だ。
「わたしは天鳥族のイラ。こっちは魔女のシルベニアだ。この城の軍団長と魔術団長をやっている」
「その上、魔王候補さまのお世話もあたしたちの仕事だからもうダルくてダルくて仕方ないの。はーめんど」
「……いらんことを喋るな、シルベニア」
イライラしながらイラ。
ダジャレではない。
この人は苦労人のようだ。
「……すまん。こいつは現存する魔族最後の《召喚魔法師》でな。
少し変わったところもあるが、多目に見てやってほしい」
ふらふらと頭を揺らしているシルベニア。
彼女がそんな大層な人物には見えなかったが……
召喚魔法師。
それはこの世界と異世界を繋ぐことができる、ある種の能力者だ。
そもそも“魔法使い”自体が稀有なものだ。
魔法は極々一部の、才覚あるものにしか使うことができない。
その中でも、召喚術は特殊だ。
この大陸に3つしかない《召喚魔法陣》に膨大な魔力を注ぎ込むことによって、
異世界から様々な力、神具、あるいはイサギたちのような人間を呼び出すことができる。
特別な魔法を操る能力者、それが《召喚魔法師》である。
(……この子が?)
どう見ても中学生ぐらいにしか見えない。
目もとろんとして覇気がない。
実年齢と外見年齢は必ずしも一致しないのがこの世界だが、それにしては子供っぽすぎる。
というか変だ。
変人の類だ。
「なんだかあたしの体を狙う邪悪な視線を感じますの。誰かわからないからとりあえず四人全員爆殺してしまうのも手ですので」
「やめろシルベニア」
イラに頭を押さえつけられる。
うにゃ、と声を漏らして潰れるシルベニア。
そのとき、バン、と机に手を叩きつけた男がいた。
ヤンキーだ。
脊髄反射で挑発に乗ったようだ。
彼はシルベニアを睨み、大声で怒鳴る。
「やってみろや! あぁん!?」
売り言葉に買い言葉。
近くにいたイサギは多少びっくりしたけれど、それだけだ。
所詮は常人の怒声に過ぎない。
戦闘力、たったの5か。ゴミめ。といったレベルだ。
だが。
正面から大声を浴びせられたウィッチは、大きく震えた。
目に見えて動揺したかと思えば、彼女は目を細める。
そこにかすかな感情が宿ったのを、イサギは見た。
まるで生徒を指さす教師のような気軽さで。
彼女が手を振り上げる。
「……しね」
ぼそっとつぶやく。
その瞬間、閃光。
「シルベニア!」
イラが叫ぶ。
魔女が指先からレーザーのような閃熱を放つ。
魔術ではない。
魔法だ。
彼女の魔法は、間違いなくヤンキーの頭部を狙っている。
命中すれば、頭が吹っ飛ぶ。
即死だ。
(冗談だろ――)
この場で反応ができたのはイラとイサギの両名。
イラが素手で熱光線の軌道を、わずかに逸らす。
とっさの一撃だっため、出力が絞られていた。
それが功を奏した。
魔王候補たちは誰も動けなかった。
わずかに狙いの逸れた熱光線は、ヤンキーの頭をかすめる。
ヤンキーの髪が焼き切られて、ぱらっと舞う。
ジュッと音がしたかと思えば、その背後の食堂の壁が、焼け焦げていた。
イラが失敗した時の際に備えていたイサギは、胸を撫で下ろす。
少なくとも人死は出なかった。
が。
時が止まったような気がした。
少年たちは今、超常の力を初めて見たのだ。
「……マジかよ」
ヤンキーはわずかに後退して、椅子に座り直す。
手を当てたその頬に、血が滲んでいる。
先ほどのレーザーで焼き切れたものだ。
彼の顔は少し、青ざめていた。
「はは、すごいな……魔法、ってやつかな……」
愁の感想を占めるのは、畏怖の念。
それはヤンキーやメガネの心情を、代弁しているようだった。
イケメン:緋山愁。イサギと少し仲良くなる。
イラ:天長族の剣士。軍団長。苦労をしている。
シルベニア:ウィッチ族の召喚魔法師。変人。