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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:5 さあ、神に抗おうではないか
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5-10 新世界より

 

 アマーリエは瞳を閉じる。

 

 結婚式。


 そこは色とりどりの花々の咲き誇る庭園だ。

 美しき女性が奏でるハープは気品に満ちていて、

 集まった人々に今こそが安寧のときなのだと囁きかけていた。

 

 参列者たちは皆、笑顔を浮かべている。

 全員が全員、少女を祝福するために駆けつけた親しいものたちだ。

 

 本日の主役は、ギルドマスターの娘――アマーリエ。

 彼女の身を包むのは、真っ白なプリンセスライン。

 ウェディングドレスだ。


 彼女は剣の代わりにブーケを持ち、

 冒険者ではなく、今はひとりの新婦となる。


 ウェディングロードの入り口に立つ少女の手を、

 父、バリーズドがおっかなびっくりと取る。

 彼は早くも目に涙を溜めている。


 おめーがこんなに早く大人になるとはな、と、

 ありきたりのセリフを口走っては、鼻をすすっていた。

 

 当たり前でしょう、あたしはもう15才よ、と返し、

 アマーリエは柔らかく微笑むと、父に腕を添えて共に歩き出す。

 

 その瞬間、演奏はハープからパイプオルガンに代わり、

 少年の合唱隊が、見事な賛美歌をソプラノの声で歌い上げる。

 

 その道の先に立つのは――

 

 

 ――ゆっくりと、目を開ける。

 

 

 思い描いていた情景は、そこにはない。

 ヴェール越しに見えたのは、見知らぬ貴族の男と警護の兵士、

 それに、付き添いの侍女しかいない。

 

 ここは王宮内の礼拝堂。

 ステンドグラスから差し込む日が床に七色の女神を描いている。

 

 アマーリエは身だしなみを整えさせられて、

 軟禁されたまま、ここまで連れて来られた。


 父も兄もこの場にはいない。

 フランツはいまだ、どこかわからないところに囚われていた。

 

 ウェディングドレスをまとったアマーリエに、

 タキシードを着たカリブルヌスが、手を差し伸べてくる。

 

「さあいこう、アマーリエ」

 

 その目はなにも見ていない。

 焦点が合っていないのだ。

 

 不気味で仕方がないけれど。

 けれど、仕方がないことだから。


「……はい、あなた」

 

 アマーリエは、彼の手を取る。

 冷え切っていた。


 慌てて手を離すと、

 カリブルヌスは怪訝そうに首を傾げた。


「どうかしたのかい、お嬢さん」

「あ、いえ……」

 

 アマーリエは自らの手をさすりながら、

 再び彼の手のひらに手を乗せる。

 グローブ越しでもはっきりとわかる。

 体温がまるで感じられなかった。


「……いきましょう、あなた」

「うん」

 

 カリブルヌスはにっこりと微笑む。

 ふたり、並んで歩く。

 

 手を握られているのは、

 まるで枷を付けられているようだ、とアマーリエは思う。

 

 もう自分の一生はここで終わってしまった。

 だが、仕方のないことだ。

 家族を守るためには、これ以外の方法はなかった。

 だから。

  

 

 その時、礼拝堂の扉が開け放たれた。

 外から光が差し込み、アマーリエとカリブルヌスは振り返る。

 

 

 彼は兵士に支えられながらも、憤怒の表情でそこに立っていた。

 

「アマーリエ!」

 

 もはや白髪しか残っていない頭髪を後ろに流し、

 持ち上げられるのかも怪しいような巨大な剣を腰に差した老人。

 現ギルドマスター・バリーズド。

 冒険者ギルドを作り上げた男だ。


 貴族たちの顔色が変わる。


「なぜ、彼がここに……」

「一体どこから情報が漏れたのだ……」

 

 喧騒に包まれる中、バリーズドは猛将のような怒号を放つ。


「お前はなぜ、カリブルヌスとここにいる!」

 

 アマーリエは口元を手で押さえた。

 思わず答えてしまいそうになり、唇を噛む。


「どうしてって……ねえ、アマーリエ」


 カリブルヌスが笑いかけてくる。


 そうだ。だめだ。

 父にすがってはならない。

 守ると決めたのだから。

 

 アマーリエは大きく息を吸い、父を見やった。


「……父さん。久しぶりね、父さん」

「いつの間に帰ってきていたのかは知らんが。

 だが、これはどういうことだ」


 声が震えないように慎重に話す。


「あたしとカリブルヌスさまは、結婚するの。

 ……これはもう決まったことだから」

「ふざけるな! おい、カリブルヌス!

 どういうことだ、説明をしろ!」

「せ、説明なら、あたしがするわ」

 

 アマーリエはカリブルヌスをかばうように前に歩み出る。

 生唾を飲み込み、語る。

 

「……あたしは、カリブルヌスさまが好きになっちゃったのよ。

 だって、冒険者ランキング二位だもの。

 そんなの仕方ないじゃない。

 あたしはずっと昔から強い人が好きだったんだもの!」

「親にも言わねえで、こんなところでコソコソと式を挙げて、か」

 

 バリーズドのドスの利いた声に、アマーリエは息を呑む。

 彼の目は怒りに燃えている。

 カリブルヌスを見ていた。


 だめだ。


「カリブルヌス。てめーがそこまで腐っているとは知らなかったぜ。

 貴族の思い通りになって満足か?

 それがてめーの望んでいたものか? ああ!?」

「よくわからないよ、バリーズド」

 

 カリブルヌスは相変わらず微笑を浮かべている。


 いけない。


「このコと私が結婚すれば、亜人排斥に一歩近づくんだろう。

 なんでそんなに怒っているんだい。私たちの門出を祝福してくれよ」

「なにが祝福だ!

 アマーリエの気持ちを考えろ! どう見ても無理矢理じゃねえか!」

「むりやり?」

 

 カリブルヌスはアマーリエの顔を覗く。

 びくっと体が震えた。


「そうなのかい?」

「……そんなことは、ないわ」

「ほら」

 

 ニコニコと笑うカリブルヌス。

 

 アマーリエはもうどうするべきなのか、わからなかった。


 全て諦めたと思っていたのに。

 でも、父が助けに来てくれた。


 もしかしたら、と思ってしまうのだ。

 父バリーズドは無敵の男だった。

 魔帝アンリマンユを倒した彼ならば、

 カリブルヌスや、あるいはこの世界の不条理を、

 全て、蹴散らすことができるのではないだろうか、と。


 バリーズドは叫ぶ。


「ざっけんじゃねえ!

 今までてめーらにはさんざん好き勝手やられてきたけどな!

 娘の一生は娘の問題だ!

 てめーらなんかに利用させるわけにはいかねえ!」

 

 啖呵を切ったバリーズドにカリブルヌスは暗い目を向けた。


「うるさいな」

 

 彼は近くに立っていた衛兵から剣を取り上げると、それを抜いた。

 そこからの動きは、アマーリエには見えなかった。

 

 虫を追い払うように剣を振るった。

 ただ、それだけだと思っていたのに。

 

 斬撃はバリーズドの体を斜めに引き裂いていた。

 父の体から、血が噴き出る。

 アマーリエは目を見開いた。


「父さん!」


 叫ぶアマーリエを、カリブルヌスが抱き寄せる。


「やめて! 離して! カリブルヌス!

 父さんが、父さんが――」

「うん。僕たちを祝福してくれないっていうからさ、アマーリエ」

「あなたは、あなたは……」


 動転したのは、アマーリエだけではない。

 カリブルヌスの前には、慌てた貴族が群がった。

 

「か、カリブルヌス殿! バリーズドを殺すのはまずい!」

「彼にはまだ利用価値があるのだ!」

「二代目ギルドマスターを指名してもらわねば!」

 

 また、血相を変えた男たちが、バリーズドの手当に走る。

 老人は口から何度も血を吐いていた。

 だが、まだ死んでいるわけではないようだ。


 

 カリブルヌスは眉をひそめながら剣をしまう。


「ふーん。なんだか面倒だね。

 いいよ。今は許してあげようじゃないか、バリーズド。

 君と私は長い付き合いの友だからね」

 

 彼の言っていることは、もうなにもわからない。

 その腕の中に抱かれながら、アマーリエは目を閉じた。


(もうだめ……

 父さん、兄さん、フラちゃん……

 ……あたし、耐えられない……)

 

 あんなに立派で強かった父も、

 カリブルヌスが児戯のように放った一撃で地に伏せた。

 

 彼の力は次元が違う。

 逆らうものは許されない。

 

 これからのことを思う。

 囚われたまま過ごすのだろう。

 大切なものを人質に取られたままだ。

 子供ができたら、今度はその子を奪われる。

 永遠にその繰り返しだ。

 

 希望などはない。

 全てを諦めて、傀儡のように生きるのだ。


 ――これから、一生。

 

 無理だ。

 とても。

 

 アマーリエは静かに首を振る。

 

「……母さん……」

 

 そのつぶやきで、小さく小さく描いたコードを実体化する。

 彼女の手のひらには、小さな氷の刃が生まれた。

 イサギから習った、たったひとつだけ使える魔術。


(ごめんなさい、父さん、兄さん、フラちゃん……

 でも、もう、こうするしか……

 あたし、みんなに迷惑を掛けられないの……!)


 みんなを守るためには、もうこれしかない。

 父が、兄が、弟が、自分のために死ぬなど、あってはならないことだ。


 刃を自らの首に、突き刺して。

 ゆくのだ、母の元へと。

 

 

 だが――

 

 

 絶望に包まれた世界は深く、どこまでも暗い。

 はたして、とアマーリエは気づいた。

 

 

 自分は、死ねるのだろうか――

 

 

 ランクBの冒険者であるアマーリエには、

 リヴァイブストーンの使用が許可されている。

 

 だったら、今ここで命を断ったところで。

 また無理矢理に生き返らせられるだけなのではないか。

  

 

 死ぬこともできず、希望を抱くことは許されない。

 アマーリエは深淵を見た。

 

 アマーリエの世界には、もはや死という救いさえもなかった。

 



 

 ひとりの少女の瞳が常闇に引きずり込まれてゆくのを、

 愁は近くで見ていた。

 

 彼は侍女に紛れてこの式場に忍び込んでいたのだ。

 愁は首を振る。

 

(駄目だ)

 

 神化した人間は、執着心も依存心も強くなる。

 彼がアマーリエを自分のものだと認めたのなら、手遅れだ。


 その手から彼のものを奪おうとするなら、

 斬りつけられたバリーズドのようになる。


 共に戦い続けていたバリーズドですらあの有様だ。

 まったく無関係のものが手を出したのなら、一撃で殺されるだろう。

 

 今、イサギを動かすことはできない。

 彼が姿を現して、この中にいる貴族の誰かが彼の正体に気づいてしまったらどうする。

 20年前のこととは言え、もしかしたら覚えている人もいるかもしれないだろう。

 

 それなら、自分がやるしかないのだけれど。

 無理だ。カリブルヌスの手をかいくぐれるわけがない。


 ならば、結論はひとつだ。


 ――アマーリエには、諦めてもらうしか。

 

(この時代の神化病は、進行速度が早すぎる……

 非常に強い魔力を持つものが、リヴァイブストーンによって、

 実に効率的に魂を失われているんだ……

 僕ひとりでは、どうしようもできないかもしれない……)

 

 この世界が混沌に包まれる前に、

 秩序を取り戻さなければならない。

 

 二代目ギルドマスターがカリブルヌスになったとて、

 愁やイサギが死ぬよりはマシだ。


 そのためにできるのは、力をつけること。

 だから今は、アマーリエを犠牲にしなければならないのだ。


(……世界を救うためだ。諦めてくれ)

 

 彼女ひとりの犠牲で、今は耐えてもらうしか。

 愁は静かに首を振る。


 だが、彼女の死相すら浮かんで見える表情を見たその時――

 

 脳裏に記憶がフラッシュバックする。

 


『シュウ――』


 

 こちらに手を伸ばす彼女の、その表情が浮かぶ。


 かつて愛していた女性。

 今もまだ、愛する女性。


 ルナ。


 彼女が今の自分を見たら、なんと言うだろうか。

 胸が締めつけられた。

 女性の涙を見るのは、もうたくさんだ。


 愁は一歩を踏み出し、

 だが、鋼鉄の意志で踏みとどまる。 


(駄目だ。僕が、情に流されてどうするんだ――)

 

 神化病について詳しく知るのは、

 今やこの時代では自分ひとりだ。 


 何人も、何人見捨ててでも、守らなければならない使命がある。

 それが英雄というものだ。

 千人を救うために、ひとりを犠牲にする。

 それが、自分の役目だ。


 大事の前の小事だ。

 そうしなければならないのだ。

 甘い自己満足のための行動は身を滅ぼす。


(ルナ、僕は――)

 

 それでも、決意は揺らぐ。


 たったひとりの少女も助けられない男が、

 世界を救うことができるのか? と。

 

 再び、過ちを繰り返すというのか。

 

 そんなものが正義ならば。

 

(僕は)

 

 拳を固めて顔を挙げたそのとき。

 肩に手を置かれた。


 

 彼は全てを理解していた。

 

 

「任せろ、愁」



 一陣の風。

 それは、愁の横顔を撫でた。


「イサくん――」


 風が去る。 

 彼の背中だけが見えた。

 

 もはや止めることはできなかった。

 

 

 

 アマーリエが首に氷の刃を押しつけたその瞬間だ。

 一筋の光が礼拝堂に輝いた。

 

 彼女の手の中から、魔力で作られた刃が消え失せる。


「えっ」

 

 アマーリエは動揺して、カリブルヌスを見上げる。

 だが、彼の目はこちらを見ていない。

 視線の先を追う。


 カリブルヌスは険しい表情を浮かべ、誰何する。

 

「……誰だい」

 

 人垣の中から、ひとりの男が歩み出てきた。

 警護の兵士に扮装していた彼は、鎧や兜を脱ぎ捨ててゆく。


「さて、誰かな」

 

 頭を振り、髪を払うのは、まだ若い少年だ。

 黒ずくめの彼は、正体を隠すための仮面を着けていた。

 

 その両眼はまっすぐにカリブルヌスを見据えている。


「今から英雄を殺すんだ。

 魔王を名乗るのが、相応しいだろうな」

 

 そう言い放つ少年。

  

 何人かの貴族が彼に罵声を浴びせていたが、

 彼はまるで気にせず、足を止めない。


「英雄カリブルヌス。

 俺は俺の全てを賭けて、お前を討つ」

 


 彼が帯びている剣に、アマーリエは見覚えがあった。

 あれは、銀鋼の剣だ。

 

 顔を隠しているが、間違いない。


「……イサくん……?」

 

 彼だ。共に旅をしていたあの彼だ。

 邪剣を操る術師。そして、父の古い友人。

 

 だが、どうしてここに。


 ――まさか自分を助けるために?


 彼がこちらを見た。

 魂を込めたような声で、告げてくる。

 

「アマーリエ、諦めるな。

 父のように、誇り高くあれ。

 お前の未来は、俺が拓く」

 

 その言葉を聞いた瞬間、どうしてだろうか。

 アマーリエの瞳からは、涙がこぼれていた。

 

 ずっと耐えていたはずなのに。

 死ぬそのときにすら、誰にも見せる気はなかったのに。

 

 紅涙は頬を伝い、地面を濡らす。

 唇がわななき、アマーリエはその名を呼ぶ。

 

「イサくん……」


 彼の瞳はまるで太陽のように燃えている。

 アマーリエの世界を照らす、光だ。


 どうして気づかなかったのだろうか。

 一ヶ月半もそばにいたのに。

 


 この人は、勇者だ。

 この人こそが、勇者だったのだ。



 困難に立ち向かうもの。


 勝てるかもわからない強敵から、

 愛を守るために戦うもの。

 

 光と共にあるもの。

 

 世界の希望、それそのもの。

 

 

 勇者イサギ。

 彼はカリブルヌスの前に立ち、剣を抜く。


 

 そして、告げた。



「さあ――」



 

 Episode:5 さあ、神に抗おうではないか End

 

  

  

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