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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:5 さあ、神に抗おうではないか
58/176

5-9 終わる世界

  

 アマーリエとフランツが連れて行かれた先は、どこかの地下牢だった。

 

 いつものように宿屋にいたふたりは、一瞬で制圧された。


 彼らは顔を知らなかったが、姉弟を捕らえた相手はカリブルヌスのパーティーのひとり。

 冒険者ランキング五位の青年、セストという名を持つ術師だった。

 

 結界でそれぞれ孤立させられた挙句、その内部の空気を奪われた。

 ふたりはロクに抵抗もできず、あっという間に意識を刈り取られたのだった。

 

 

 

 目覚めたとき、そばにフランツの姿はなかった。

 石畳の牢の中は狭く、カビ臭い。

 どこかでろうそくの火が揺れていた。

 

「フランツ! どこ!?

 あたしの声が聞こえる!?」

 

 どんなに声を張っても、返事はない。

 

 ノドも枯れてきた頃、アマーリエの前にはあるひとりの男が現れた。

 見事なダブレットをまとう、立派な体格の壮年だ。

 金髪を後ろに撫でつけ、髭を蓄えた男性は、アマーリエを見下ろす。


「やあ、お嬢さん。お目覚めかね」

「あ、あんたは……」

 

 こんな場面で現れた男が、善人のはずがない。

 アマーリエは精一杯に彼を睨む。

 

 下着を残して、服は剥ぎ取られてしまっていた。

 足には鎖が巻かれているため、立ち上がることもできない。


 胸を左手でかばいながら、右手で男を指す。


「あ、あんた、フランツをどうしたの!

 あたしは冒険者よ! ただじゃおかないんだから!」

「元気なお嬢さんだ」


 男はポケットに手を突っ込んだまま、首を鳴らす。

 

「お初お目にかかる。私はサルバトーレ・バリオーニ。

 君の父上とは懇意にさせてもらっている。

 名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」

「……バリオーニ?

 あの、王国七貴族のひとり、の……?」


 中央国家パラベリウの領地を統治するうちのひとりだ。


 いくら自分がギルドマスターの娘とはいえ、

 普段なら関わり合うはずもない貴族の中の貴族である。


「あ、そ、それなら知っているんでしょ!

 父さんは、父さんが病気で参っているって聞いて!」

 

 彼女の言葉を手で遮るサルバトーレ。


「私は長い話が苦手だ。

 きょうは、君にお願いがあってやってきたんだよ」

 

 そのとき、直感してしまった。

 アマーリエの背筋が冷たくなる。


 自分がダイナスシティに呼び出されたのは、

 父ではない、誰かの計略によるものだったのだ。

 

 知らせを渡してくれたのは、冒険者ギルドの職員だった。

 だからアマーリエは油断していたのだ。

 同じ冒険者の仲間が奸計を巡らすはずがない、と。


 それはきっと信じていたのではなく、

 盲目的に疑うのを止めていただけだったのだ。


 男は、アマーリエの前にしゃがみ込む。

 

「単刀直入に言おう、

 君には、カリブルヌスの妻になってほしいのだよ」


 目を白黒とさせるアマーリエ。


「……は?

 はああああ?」


 何を言い出すのかと思えば、

 そんなことのために、大陸の端から呼び寄せたというのか。


「い、いきなり何言ってんのよ、バカじゃないのあんた!

 それに嫌に決まっているでしょそんなの!

 あたしは自分の相手くらい自分で選ぶっての! 意味分かんないし!」

「ははは」


 サルバトーレは乾いた笑い声をあげた。

 そして彼は指先でコードを描く。


 魔術師だったのか。

 そのコードが描いたのは、破壊の意思だった。

 アマーリエは思わず顔をかばった。


「噂通り、勝気なお嬢さんだ」

 

 彼が放ったのは水弾を放つ魔術だ。

 それはアマーリエの腹を打つ。


 一撃で骨が折れるような威力ではなかった。

 もしかしたら手加減されたのかもしれない。

 闘気の上から打撃を浴びて、アマーリエは水浸しになりながらむせる。


「だが、賢くはないな。

 どれ、私が道理を説いてあげよう」

 

 鉄格子越しに彼が笑う。


「君に興味があるわけではない。

 だが、冒険者ギルドという新体制が作られても、世界は世襲制を望んでいる。

 そのため、カリブルヌスにはバリーズドの血が、

 つまりは、君という妻が必要なのだよ。

 どうだ、悪いようにはしないぞ。

 君はギルドマスターの妻として富も名声も得られる」


 アマーリエは顔をあげた。

 濡れた髪の隙間から、彼を睨む。


「……そうね。あんたみたいな小悪党の言うことを、

 聞かなきゃいけないっていうのが、最悪だけど」

 

 サルバトーレは小さく首を振る。


「残念だ。私が優しい内に決意をしてしまえば良かったのにな」

 

 彼の目を見て、アマーリエはわずかに怯んだ。

 それは冒険者とはまた違った、冷徹で重圧のある眼差しだった。

 

 だが、この程度の男に自分が負けるはずがない。

 アマーリエは背筋を伸ばして彼を見返す。


「……なんなのよ。カリブルヌスをギルドマスターにしたいんだったら、

 正々堂々とハノーファ兄さんと勝負すればいいじゃないのよ。

 どうせ、その自信がないから汚い手を使おうとしているんでしょう。

 くだらない男だわ」


 サルバトーレは取り合わない。


「君が心変わりしないというのなら、まず君の弟を殺す」

「……え?」

「次に君の父親もだ。彼はすでに老いた身。

 王国反逆罪などをでっち上げ、あらゆる名声を失墜させた後に処刑しよう。

 スマートなやり方ではないかもしれないが、仕方ない。

 君の兄も巻き込まれてしまうだろうな」

 

 髪から水滴が滴る。

 だが、寒さをも感じることもなく、アマーリエは呆然としていた。


 彼が一体なにを言っているのか、わからない。

 

(この人は……なにを、言っているの……?)

 

 そんなのは夢物語だ。

 ただの脅しだ、と。

 アマーリエは跳ね除けることができなかった。


 凍りつくアマーリエに、語るサルバトーレ。


「いいか?

 カリブルヌスを次期ギルドマスターにすることは決まっているのだ。

 そのために君が“協力”を惜しむというのなら、

 私も手間のかかる方法を取らざるを得ないのだよ。

 君個人の意思などというのは、その程度のものだ。

 どうだねお嬢さん。話を飲み込めたかな」

 

 彼は穏やかに、子供にもわかるような言葉で語った。

 しかしその口調とは裏腹に、内容は酷薄そのもの。


 アマーリエは殴られたような衝撃を受けていた。

 汚れた床に目を落とし、つぶやく。


「でも、あたしは冒険者よ……

 今の時代、剣さえあれば、あたしはあたしの道を自分で……」

「はあ?」

 

 ゴミを見るような目で、見下された。


「なにが冒険者だ。

 ろくな教育を受けたこともない蛮人が、大層な名前を名乗りおって。

 貴様らなどは所詮は、我ら貴族の家畜だ。

 バリーズドにはずいぶんと手を焼かされたが、これからはそうはならんぞ」


 その言葉には我慢がならなかった。

 貴族の中にも優しい人はたくさんいる。

 彼の意見を認めることは、その人たちを侮蔑することになる。


「歴史を学んだことがないの!?

 バリオーニ侯爵家がなにをしたのよ、

 騎士団を抱えて大陸に引っ込んでいただけじゃない!

 父はあんたたちを助けて、戦ってあげたのよ!

 冒険者ギルドだって、世界の治安を守るためのものだわ!

 あんたなんて父の財産を狙う死鳥のくせに、

 偉そうなことを言わないでよ!」


 アマーリエは視線に魂を込めて睨む。

 サルバトーレは手を打った。


「よく喋るお嬢さんだ。

 そうだ、いいことを思いついたぞ」

 

 サルバトーレは無表情の仮面の奥に、

 とてつもなく醜悪な性質を隠しながら、近づいてくる。

  

「君の弟をここに連れてきて、一本ずつ指を切り落とそう。

 目玉を抉り、耳を削ぎ落とそう。

 それでも君が首を縦に振らなければ、リヴァイブストーンを飲ませてもう一度だ。

 何度でも繰り返すことにしよう」


 呼吸が止まる。


「……ッ。

 そ、そんなことをしたら、父さんが黙ってないわ……!」

「バリーズドは君がダイナスシティに帰ってきたことも知らないよ。

 この大都市に君の味方はひとりもいないのだ。

 しばらくしたらまた様子を見に来よう。それまでに決意をしておくのだね」


 言い捨てると、サルバトーレは背を向けた。

 アマーリエは手を伸ばす。


「まっ、待ちなさいよ!

 フランツに手を出したら、許さないんだから!」


 その叫び声は、牢屋に虚しく響く。 

 蒼白の表情のアマーリエを残して、サルバトーレは歩き出す。

 

 彼は自分のことを道具としか見ていない。

 最初から話し合おうなどという気は微塵もなかったのだ。


 人の気配が遠ざかり、アマーリエはひとり残されて。

 悔しくて悔しくて、膝を抱える。


「……なんなのよ、なんなのよ、なんなのよ……

 なんでみんな父さんの邪魔をするのよ……

 みんなみんな、この世界をより良くしたいって思っているはずなのに、なんで……!」

 

 悔しくて惨めで、それでも涙は流さずに。

 アマーリエは俯きながら、小さく首を振る。


「……あんなやつの思い通りになんて、

 絶対にならないんだから……!」

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

「愁!」

「……わかっている。

 バリーズドさんの娘さんのことだね」

「把握しているのか、お前……」

「いや、その情報が届いたのはつい先ほどだ。

 恐らくカリブルヌス派のものの仕業だろう。

 僕としたことが、ぬかったよ」

「……どこに閉じ込められているのかも知っているのか?」

「どこかの貴族の屋敷の牢屋だとは思うんだけれどね」

「そうか。なら、片っ端から回ってくるか」

「どうするつもりだ」

「知れたことよ。

 この俺の前では、どんな防御結界も無意味だ」

「やめてくれ、イサくん。

 キミは僕たち人間族の奥の手なんだ。

 軽率な行動は謹んでくれ」

「だが、アマーリエが!」

「できる限りのことはしよう」

「……愁」

「約束する」

「……」

「……だから、今は」

「信じるぞ」

「……」

「……信じるからな、愁」

「……ああ」

 

 

 

 ◆◆

 

  

 

 地下牢に入れられて、どれくらいの時が経っただろう。

 時間の感覚はよくわからない。

 神経が高ぶっているのか、眠ることもできなかった。

 

 父は、弟はまだ無事だろうか。

 心配で、自らの心が揺らぎそうになる。

 

 アマーリエは暗闇の中、思考の海に沈み込む。

 だめだ。

 冒険者ギルドは、父の宝だ。

 彼が勇者イサギに託された、大事な大事な使命だ。

 

 冒険者ギルドについて語るときの父は、いつでも誇らしげだった。

 勇者イサギが守ったこの世界を、次の世代に受け渡すための仕事だと。

 

 それを自分が邪魔してはいけない。

 父の栄光は兄が受け継ぐ。

 そしてその元で、自分が最高の冒険者になって働くのだ。

 フランツも一緒だ。

 自分たちのギルド<スターダム>は、いつの日にかランキング一位に躍り出る。

 

 そうだ。

 こんなところで挫けている場合ではない。

 自分は強い。

 窮地に陥ったことなど、何度もあった。

 フランツを人質に取られたことも、盗賊に寝込みを襲撃されたこともあった。

 この程度がなんだ。


 その気になれば、自分には魔術がある。

 剣を取り上げられていても、大丈夫だ。

 今はまだ小さな氷の刃を出現させることしかできないけれど、

 それでもあの男、サルバトーレを驚かせることぐらいはできる。

 なんとか機会を見て脱出するのだ。

 

 暗闇の中、決意を新たに固める。

 絶対に自分は父の居場所を守ってみせる。

 

 アマーリエは目を閉じた。

 

 まだ大丈夫だ。

 まだ自分は頑張れるから。

 

 

 

 ◆◆

 

 


「……愁」

「……一応、僕にも仕事があるんだけどね。

 そんなに押しかけられたら、嫌な噂が立ってしまうよ」

「冗談はよせ。もう三日だぞ」

「カリブルヌス派は彼女を利用する気がある。

 きっと殺されることはないよ」

「……大丈夫だ、愁。

 顔は隠す。気取られることはない」

「なるほど。変装かい?」

「ああ、そうだ。こう見えても俺は正体を隠すことには長けている」

「……本当に?」

「ミスター・ラストリゾートは死んだはずだ。

 だが、この日のために今一度蘇るのだ」

「よくわからないのだけれど……

 それは、キミの趣味かなにか、かい」

「いいや、ふたつ目の人格と呼んでもらっても構わない。

 彼は感情というものがなく、全てが滑稽に思えているのだ。

 だが、数年ぶりに思い出した。この気持ちが“怒り”だ……

 ミスター・ラストリゾートは“怒り”に震えている……」

「イサくん、冗談はやめてくれよ」

「……そうだ。こんなのは嫌な冗談だ」

「僕はキミに言っているのだけど。

 まあいい。アマーリエの居場所はわかったよ」

「なんだと」

「彼女は、王城の地下牢に捕まっている」

「ダイナスシティ王城に……?」

「ああ。国王はどこまで知っているのかわからないけれど、

 恐らくは無関係だろう。

 もし関与していたのなら、この国は終わりだ」

「そうか。ありがとうな、愁」

「だからなおさら行かせるわけにはいかないよ。

 カリブルヌスは王宮に召し取られている。

 彼は城にいるんだ」

「見つからなければいいんだろう」

「その保証はない」

「なら、アマーリエが無事で済む保証はあるというのかよ!」

「イサくん、僕には考えがある」

「……」

「きっとアマーリエを助け出すチャンスはやってくる。

 だから、その時を待ってくれ」

「……愁」

「頼む、イサくん」

「……」

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 久しぶりに聞こえてきた音にハッとして気づく。

 アマーリエは耳を澄ます。


 靴音だ。

 誰かが階段を降りてくる。

 

 護衛の兵をふたり連れた、サルバトーレだ。

 背筋を伸ばし、彼を迎え撃つ。

 ランプの明かりが目に痛いが、それでもしっかりと見据えた。 


「どうかね、お嬢さん。心は決まったかね」

「……ええ」

「ふむ、強い眼差しだ」

 

 サルバトーレは顎をさする。

 それから、後ろの兵士に命令した。


「ならば、あれを連れてこい」

 

 アマーリエは眉を歪めた。


「……一体、なにをするつもりなのよ」

「見ていればわかるさ。

 貴様も牢の中にいて、退屈だろう?」

「……だったらとっとと、ここから出しなさいよ。

 なにを言われたところで、あたしの考えが変わることはないわ」

「ふふふ」

 

 サルバトーレは意味ありげに笑う。

 その様子が気持ち悪くて仕方ない。

 

 しばらく待って兵に連れられて現れたのは、予想外の人物だった。


「……え?」


 綺麗な金髪の青年。見た目は二十歳やそこらにしか見えないだろう。

 銀糸のローブを身にまとう、冒険者たちの王。

 

「やあ、久しぶりだね。

 元気にしていたかい、アマーリエ」


 まるで旅の調子を尋ねるような声で、

 無邪気に問いかけてくるその男の名は――


「……カリブルヌス」

 

 鉄格子を挟んで、彼がそこにいた。

 

 

「サルバトーレ侯に聞いたよ。

 私との結婚を望んでくれているんだってね。

 嬉しいよ、アマーリエ」


 微笑を浮かべる彼に、

 アマーリエは、絶句した。


「……なにを言っているの、カリブルヌス……」

 

 バリーズドを通じて、彼とは面識がある。

 かつて一度、剣を教わったこともあった。

 そのときはまだ小さくて、よくわからなかったのだけれど。

 

 彼はこんな笑い方をする男だっただろうか。

 

「カリブルヌス、もしかして、

 ……あんたまでこの計画のグルだったの?」

「何のこと?」

「とぼけるんじゃないわよ!

 あたしのこの置かれている状況を見たら、わかるでしょ!」

 

 世界広しといえど、カリブルヌスを叱責できるものはそういない。

 けれど彼は、首を傾げた。


「……一体、何だろう。

 わからないな、よくわからないんだよ。

 どういうことなんだ、アマーリエ」

「だ、だから――」

 

 アマーリエは唇を噛む。

 カリブルヌスは兄の政敵だ。

 だが、英雄であり、父の戦友だ。


 そして、冒険者だ。

 

「カリブルヌス……

 お願い、どこかにフランツが囚われているの……

 だから、助けてあげて……!」

 

 アマーリエは鉄格子を掴み、訴える。

 カリブルヌスは小さく首を傾げた。


「……ふむ」

 

 振り返り、彼はサルバトーレを見た。


「どういうことだい。

 彼女は何を言っている。

 サルバトーレ、話が違うのではないか?」

「そう焦るな、カリブルヌス」

 

 カリブルヌスの肩に手を置き、貴族は笑う。


「アマーリエはフランツが心配なのだ。

 その心配を取り除いてやるにはどうすればいいと思う?」


 カリブルヌスは信じられない言葉を吐く。


「殺せばいいのだな」

「え?」

 

 アマーリエは心臓を鷲掴みにされたような気がした。


「カリブルヌス……?」

 

 彼の目は一体どこを見ているのだろう。

 アマーリエは声を震わせながら問う。


「……どうして、カリブルヌス。

 そんなことを、どうして言うのよ……

 そんなの許されないわ……

 あたしたちは傭兵王バリーズドの子よ……

 秘密裏にでもそんな存在を処分できるはずがないわ……」

「思い込みの力というのは恐ろしいがね。

 カリブルヌス、フランツを殺しに行くのは、

 少し待っていてくれたまえ」

「君の頼みならね、サルバトーレ」

「すまないな」

 

 それは友人同士の会話というより、

 まるで猛獣使いの所業を見ているようだった。


 恐ろしい。

 アマーリエはカリブルヌスから目が離せない。

 彼なら本当にフランツを殺すだろうか。

 殺すだろう。

 それはもはや直感ですらなく、確信であった。

 

 サルバトーレは牢に顔を近づけて、告げてくる。

 

「バリーズドは三人の妻を持っていた。

 一人目はベアトリス。二人目はマーガレット。そして三人目がアリスラ」

「そ、それがなんなのよ。

 マーガレット母さんも、アリスラ母さんも体が弱かったけれど、

 誰が誰の生みの親だったかなんて、関係ない。

 みんなあたしたちに優しくしてくれたわ。

 侮辱をするのは許せない……!」

「アリスラが死んだのはもう8年以上も前のことか。

 それ以来、バリーズドは長らく再婚をしないな」

「だからなんなのよ!」

 

 サルバトーレは笑う。

 悪魔のようだった。

 

「あの妻たちは、我々に殺されたのだ。

 傭兵あがりの蛮人が、でしゃばった真似をするからだ。

 バリーズドはその事実に気づいている。

 だからやつはお前たちを遠ざけていたのだよ」

「――」


 信じていた世界がひび割れる音がした。

 七貴族のひとりは、声を凄ませて告げる。

 

「我々はやるぞ、アマーリエ。

 あまり舐めないほうが身のためだ」

 

 アマーリエは気づいてしまった。

 自分たちはとっくに底なし沼に引きずり込まれていたことを。

 

 味方だと思っていた人は、とっくに敵だった。

 世界はアマーリエたちの敵だったのだ。

 

 音が、あらゆる音が遠ざかってゆく。

 アマーリエは力なくその場に崩れ落ちた。



 母さんが、殺されていた?

 それを父さんが知ってた?


 知っていてなお、冒険者ギルドの運営を続けていて。

 たったひとりで、戦い続けてきた?

 

 そんなの。そんなのって。

 悲しすぎる。



 もうなにも考えられなかった。

 自分がこんなに弱い人間なのだと知らなかった。


 サルバトーレを魔術で脅して脱出する作戦など、

 浅はかだったのだ。

 そんなことをしていたら、今頃、

 身の回りの人がどうなっていたことか。


 折れた。

 心が折れてしまった。

 

 涙も流さずに放心する彼女を見て、

 サルバトーレは満足そうにうなずく。


「カリブルヌス。どうやら気持ちの用意ができたようだ。

 急いで式の準備をしようじゃないか」

「やるじゃないか、サルバトーレ。

 ということは、フランツは殺さなくても良いのか?」

「ああ、聞いてみるといい。

 彼女も首を縦に振るだろう」

 

 地面に視線を這わせるアマーリエ。

 彼女に、カリブルヌスは尋ねた。


 人形のように笑いながら、

 人形のように俯く彼女に問う。


「アマーリエ。

 私と結婚してくれるかい?」


 彼は物語の中に登場するような英雄だ。


 鉄格子越しに手を伸ばされて。 

 牢獄の中でプロポーズをされて。

 

 下着姿の少女は、力なく、力なく、

 まるで首を折るように、うなずいた。

 


「はい……

 ……カリブルヌス」

 

 

 その日、その時。

 

 アマーリエの世界は、終わりを告げたのだ。

 

 


 ◆◆

 

 


「愁」

「来たね、イサくん。

 ……その仮面は?」

「俺のペルソナだ。

 勝てるかどうかわからない相手に挑む時、

 人はなにかにすがらなければならない。

 それが俺にとっては、ミスター・ラストリゾートなんだ。

 しかもVersion2だ」

「キミは挑まない。だから必要ない。

 衣装は僕のほうで用意をする」

「……そうか。わかった」

「式は明日だ。

 恐らくはアマーリエがカリブルヌスの妻になったという、

 その事実だけが必要なのだろう。

 王宮内で内々に行われるようだ」

「忍び込むんだな」

「まあね。けれどくれぐれも言うよ。

 カリブルヌスと交戦するのだけは避けてくれ。

 でなければ、僕はキミを王宮に連れて行くことはできない」

「……無理だ無理だと言われていてもな。

 俺はそう言われてきた相手を、今まで何度も撃破してきた」

「そうだろうね。けれど今回ばかりはどうしようもない。

 闘気は魔力によって魂圧を高める戦闘法だ。

 だが、今の彼を満たすものは、魂ではなく神力だ。

 その内圧は通常の人間の比ではない。

 どんなに優れた剣士であっても、魔法師であっても、

 傷ひとつつけることができないんだよ。

 今のカリブルヌスは生きる中性子星だ。

 人間ではありえないほどの力をその身に宿しているんだ」

「……ずいぶんと手厳しいな」

「イサくんは自分の力に自信を抱いているみたいだからね。

 これくらい言わないと、聞いてくれないと思ってさ」

「ならばどうやって倒すんだ!」

「僕と廉造くんと慶喜くん。

 禁術を施術されたこの三人の魔力量は異常だ。

 通常の人間の10倍なんてものじゃない。

 100倍から1000倍にも及ぶだろう。

 三人で常に魔術を浴びせながら彼の耐久限界値を砕く。

 それ以外に倒す方法はない」

「で、俺が時間稼ぎか」

「平たく言えば、その通りだね」

「カリブルヌスを倒さずに、

 アマーリエを救うことができるのか?」

「……フェアじゃないかもしれないから、先に言っておくよ。

 成功率はあまり見込めないと思う」

「……愁」

「僕には使命がある。

 神化病を撲滅しなければならないんだ」

「……」

「キミに理解してくれとは言わない。

 だが、これが僕のやり方だ」

「……いいさ、信じるよ、愁」

「……それは」

「アマーリエを助けられないかもしれないと言った時、

 お前は辛そうにしていた。

 少女というだけで、お前とは面識もない相手なのにな」

「……」

「どこかの誰かの痛みがわかるんだ。

 それなら、信じられる」

「……買いかぶりだ」

「いいさ、それでも。

 思うのは俺の勝手だろ?」

 

 

  

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