1-4 麗しのサキュバス姫
魔王城内をうろうろしていると、
イサギはいつの間にか、見たことのないエリアにたどり着いていた。
さすが要塞なだけあって、内部は複雑だ。
帰り道は覚えているから、戻ることはできるが。
その前に、見覚えのある少女を発見した。
「あ……」
というか、むしろ発見されたというか。
先ほど悲鳴をあげて失神した魔王の娘、デュテュだ。
純白のドレスではなく、ゆったりとした白いワンピースを着ている。
どうやらこの辺りには、彼女の私室があったようだ。
召喚された以上、彼女は自分たちにとっての雇用主だ。
さすがに無視して通り過ぎるわけにもいかず。
「おす」
小さく手を上げて挨拶する。
すると。
「ひぃいいいいいいっ!」
ずざざざざざざとすごい勢いで後ろに下がられた。
胸を抑えながら彼女は、10メートルほど後退りした。
壁にぶつかって止まるも、張りついたままこちらを怯えた顔で見つめている。
……もしかして自分が勇者だとバレているのだろうか。
脅威は感じないが、慎重に話したほうがいいかもしれない。
(つーか、俺が父親を殺しちまったんだよな……)
そう思うと、せめて優しくしてあげないとならないような気がしてくる。
(……これも罪悪感ってやつなのかな)
仕方のないことだったとはいえ。
少し鬱が入ってしまいそうだ。
「えっと、デュテュ、って言ったっけ」
「はっ、はい!」
そんなに強くうなずかなくても。
先輩に恫喝されている後輩のようだ。
魔王の娘というのなら、少なくとも19才以上なのだが。
(見えねえな……)
デュテュの見た目は、現代日本ならせいぜい14才といった程度だ。
育っているのは、胸ぐらいで。
胸が育っているのだからいいじゃない、と言う人もいるかもしれない。
いや、そんなことを考えている場合ではない。
「あ、あの……い、イサギ、さま」
おずおずと話しかけられて、
イサギは面倒そうに手を挙げた。
「あー、俺のことは、そうだな。イサでいいよ。
イサギって呼びにくいだろ、そっちも」
「……あっ、え、っと……はい」
デュテュはしばらく口をもごもごと動かしていたが。
やがて納得したようにうなずく。
それから、深々と頭を下げた。
「わざわざご丁寧に、ありがとうございます、イサさま。心より感謝いたします」
その丁寧さに少し驚く。
「え、なにが?」
「その……わたくしたちのことを、気遣って下さって」
「いや別に、そんなじゃ」
(……こっちの都合もあるしな)
あまりイサギと呼ばれすぎると、いつの日にか本当に勇者だとバレてしまうような気がしたのだ。
警戒レベルを下げたのか、彼女は少しだけ距離を縮めてくれる。
それでも遠い。約5メートル。
これが今のデュテュとの心の距離だろう。
イサギもまた、雇い主に対する態度はどんなものがいいか、と決めかねていたところ。
彼女がさらに1メートル、近づいてきてくれた。
そうして言った。
「あの、もしかしてやっぱり、ご迷惑だったでしょうか……」
「え?」
「突然、呼び出してしまって、その……」
自らの尻尾をいじりながら、視線を落とすデュテュ。
なんだか親に叱られた子のようだ。
だが。
イサギは一瞬、頭が真っ白になった。
(迷惑か、だって?)
そんなの。
(迷惑だって思わない人がいるのか……?)
これが二度目の召喚であるイサギでさえ、呆気に取られてしまった。
彼女はきっとメガネに詰め寄られたことを気にしているのだろうが。
それにしたって、ありえない。
このお姫様はもしかして。
完全に完璧な。
義を見てせざるは勇なきなり!
といった英雄が、現れると思ってたのだろうか。
確かに召喚陣によっては、そういう人を呼び出すこともできるだろう。
そうだったら、どれほど良かったか。
何の憂いもなく、世界を救うためだけに尽力するようなロボットだったら。
そうだったら、どれほど良かったか。
けれど、イサギたちはそうではない。
(やばい。このお姫様、物を知らないってレベルじゃなさそうだ)
箱に押し込められて、餌だけ与えられて生きてきたのだろうか。
だとしたら、そのシチュエーションには、なかなか興奮してしまいそうになるが。
イサギが黙り込んでいると、彼女はなにかを察したようだ。
ワンピースをぎゅっと握り、つぶやく。
「や、やっぱり、こんな強引な手段で、皆様お困りなんでしょうか……うう……」
デュテュの大きな瞳に涙が浮かんでいる。
どうやら演技ではなさそうだ。
(……本当に、アホの子なのかな)
角の生えた頭を抱えている姿は、確かにとても可愛らしいが。
(アホの子なんだろうな)
諦めてしまう。
そうか。
自分は、アホに呼び出されたのか。
落ち込んでしまいそうになる。
「あのさ」
「あ、はい……って、ひ、ひぃ、ニンゲンっ!?」
自分の姿を確認すると、すぐに柱の影に隠れてしまう。
それから気づいたような顔で。
「あっ、い、イサさまっ。わ、わたしったら、つい……」
確信した。アホの子だ。
もうだめだ。
雇用主はアホだった。
致命的かもしれない。
涙目でこっちを見やるアホのデュテュ。
某芸人のようになってしまった。
とりあえず、召喚されてしまった以上、彼女を責めても仕方がない。
自分が殺した魔王の娘を糾弾したところで、気分は晴れないだろう。
「えと、迷惑か迷惑じゃないかっていうのは置いておくとしてさ」
「あ、は、はい……」
「ニンゲンは、そんなに嫌なやつらなの?」
「そ、それはもう!」
デュテュは力いっぱいうなずく。
「20年前、わたしはお母様のお腹の中にいたので、父の最期は覚えていないのですが……
その、戦争で負けて以来、ニンゲンの方々は魔族をとにかく迫害してきました……」
そういえば、19才だった。
その割には、あちこちが小さいが。
胸以外。
イサギの視線を感じ取ったのか、あるいはただ単によく言われるのか。
デュテュは恥ずかしそうに目を伏せる。
「あの、わたし、ちょっとその、栄養……が足りていないので、ちょっと見た目が幼いようなんです……」
「ふーん」
やはり物資も不足しているのだろう。
「迫害っていうのは、その、冒険者が?」
「はい……」
しゅん、と肩を落とす。
「ニンゲン族の戦力は騎士団と冒険者、二通りあるそうなんです」
「……ふむ」
イサギのいた時代では、騎士団と傭兵、それに兵農分離されていない民兵が主戦力だった。
恐らくは傭兵の立ち位置がそのままそっくり冒険者に吸収されたのだろう。
そして民兵は役目を失い、必要がなくなったのだ。
(それは俺の考えていた通りだ)
傭兵にナンバーを配布し、個人を管理する。
それぞれの能力や性能、性格を把握し、役割を持たせる。
そうして社会に組み込むのが冒険者ギルドの目的のひとつだ。
「騎士団は防衛が専門ですので、あまりわたしたちと主だって敵対することは少ないようなのですが、問題は……」
「冒険者、か」
「……はい。彼らは次々とやってきては、わたしたちの命を奪い、あるいは奴隷にして……
ひどいです、ひどすぎます、まるで悪魔のようです……」
「……なるほど」
危うく、「いや悪魔はキミだよね?」と言ってしまうところだった。
揚げ足を取って突っ込んでもしょうがない。
アホの子にはアホの子向けの接し方があるのだ。
大体、こうなってしまったのも、自分のせいかもしれない。
魔王の娘として最高の教育を受けるはずだった人生が、勇者のせいで激変してしまったのだ。
考えてみれば、気の毒な話だ。
なるべく優しくしてやろう、とイサギは思う。
「辛いことがあったんだな……」
「はいぃ……」
デュテュは思い出しているのか、再びメソメソしている。
「ニンゲンはわたしたちの肉を裂き、骨をむさぼり食うんです……
うう、こわいです、こわすぎます……泣いちゃいますぅ……」
頭を抱えてその場にうずくまるデュテュ。
マジかよ、って思ったけれど。
いくらなんでもこの怖がり方は尋常ではない。
優しくしてあげよう。
「そっか……よく頑張ってきたな、デュテュ」
「ぐす、ぐすっ……そ、そうなんです……にゅわぅ……」
屈んでいるため、胸の谷間が見えてしまう。
そりゃもうくっきりと。
思わず見てしまう。
白磁色の双丘は、押し合い形を変えていて。
まるで熟した果実のように、収穫されるその時を待っているようだった。
イサギはうぶだ。
女の子とキスだってしたことがない。
というか、勇者としての行軍中は生きるか死ぬかの毎日で。
そんなことはとても、やっていられなかった。
魔王を倒したら思う存分、やってしまおうと思っていたのだ。
酒池肉林のつもりだった。
だけど、その夢は叶わなかった。
それならば。
目の前にいるこの少女を懐柔してしまえば。
あるいは。
彼女の容姿は、とてつもなく可愛らしい。
コウモリのような翼、悪魔の角、逆三角形の尻尾など。
本来人間が持っていないパーツがついているものの、それがなんだ。
ここまで少女としての魅力が抜きん出ていると、
タイプだとかそういったものを考えるのがバカらしくなる。
デュテュを抱きたいと思わない男は、きっとこの世にいないだろう。
その柔肌は瑞々しく、恐らく手に吸いつくように馴染むだろう。
しかし。
(いや、だめだろう)
愚かな考えを振り払う。
少なくともそれは、プレハの行方を確かめてからだ。
20年前、一生添い遂げようと誓った女性が、この世界にいるのだ。
イサギは己の欲望に打ち勝つのだ。
だが、デュテュはゆっくりと近づいてきた。
「イサ、さま……お優しいですね……」
潤んだ瞳で。
その距離、すでに1メートル。
「まさか、ニンゲン族の中に、こんなにお優しい方がいるとは想像もしていませんでした……」
「いや、えと」
「わたくし、感激しております……うう、イサさまぁ……」
「うお」
その距離、ついに0メートル。
そう、デュテュは抱きついてきた。
先ほどまで人間を忌み嫌い、泣き叫んでいた少女が、だ。
ぐんにょりと、イサギの腕の中で。
押しつけられたナニカが、まるでスライムのように形を変える。
それはとても柔らかくて。
脳裏に浮かぶプレハの笑顔が、デュテュのそれに侵食されてゆく。
彼女の体から立ち上る香気はなんだろう。
頭がくらくらしてくる。
まるで男の魂を奪う媚薬のようだ。
って。
(この子、自分のことサキュバス族って言っていたよな!?)
慌てて体を離す。
えっ、という顔でイサギを見つめ返すデュテュ。
その目に情欲は一部もなく。
ただ、飼い主に拒絶された子犬のような憂いの色があった。
「イサさま……?」
危うい。
彼女は意識していなかったにせよ、イサギは取り込まれるところだった。
サキュバスの魔力だ。
「いや、ちょっと待って。俺、なんもしてないよな?」
確認する。
ただ、二回三回、慰めただけだ。
「で、でも、わたくし、ニンゲンの方にそんな素敵な言葉をかけられるなんて、思ってもみなくて、それで……」
「いやいやいや……」
「わたくしのために、自分の呼び名を曲げてまで……本当に、男らしくて、素敵です……はぁ……」
おかしいだろう。
イサギは異界人だ。この世界の常識なんて通じないのを知っているべきだろう。
(いくら最初があのヤンキーで、メガネにも詰め寄られたりしたって……)
普通に考えればわかることだ。
いや、そうか。
アホだった。
このお姫様はアホだったのだ。
「イサさま、わたくし、イサさまのこと……」
自らの胸に手を当てて。
頬を赤く染めるデュテュ。
一体どこでフラグを立てたのか。
いつの間に回収していたのか。
まったくわからない。
アホの考えることはなにも。
ニコポやナデポってレベルじゃない。
これじゃあ、ヤサポだ。
優しくしたらポッとされた、だ。
ちょろインなんてレベルじゃない。
ちょろすぎる。
ちょろ姫だ。
いや、アホでちょろいから、ちょろホだ。
「と、とりあえず……俺は部屋に戻るよ。そろそろ迎えが来るだろうし」
「あ、は、はい、わかりました……その、お引き留めして、申し訳ございませんでした」
一方後ろに下がって、あっさりと身を引くデュテュ。
だが彼女が唇を舌で舐める仕草は妖艶そのものだったし。
頬も上気しているようだ。
なんでだ。
「あの、わたくし……来てくださったのが、イサさまのような方で……本当に、良かったと思っております……
イサさまなら、その、わたくし、ちゅ、ちゅっちゅしても……」
ちゅっちゅて。
何の隠語だ。
「じゃ、じゃあな、これで」
イサギは立ち去ろうと歩き出す。
「……イサ、さまぁ……」
後ろから、粘度の高い美少女の声で名前を呼ばれて。
足を止めず。
振り返らず。
されど、イサギは心臓の上に手を当てる。
(とりあえず、先に謝っておこうと思う。
……プレハ、ごめん)
これはあちらから言い寄られただけなのだ。
自分はなにもしていないのだ。
誤解だ。
浮気じゃない。
誤解なんだ。
弁解すればするほど、なんだか語るに落ちたような気がしてしまう。
でも知らなかったのだ。
魔王の娘がこんな、ちょろホだったとは。
ニンゲン族:魔族の肉を裂き、骨を貪るらしい。こわい。
イサギ:浮気未遂。
デュテュ:ちょろくてアホの子。イサギに懐く。