4-5 すべてがMになる
裏切るわけじゃない。
ただ、スラオシャ大陸に行ってやらなければならないことがある。
イサギは真摯に、そう語った。
廉造の殺気はいつの間にか霧散している。
「どうしてもか」
「ああ」
「姫さんや、あのエルフの嬢ちゃんはどうすンだ」
「……」
「ま、ンなことを言っても、仕方ねえか」
歩き出そうとする廉造の背に言葉をかける。
「廉造、俺は冒険者ギルドの本部がある街、
バラベリウのダイナスシティに向かう」
彼の足が止まる。
「そこで、冒険者ギルドのギルドマスターと話し合うつもりだ。
もう二度と魔族に手を出さないように、戦いをやめさせるように。
お前たちとずっと一緒にいられるなら、これほど幸せなことはない。
……だが、これはきっと、俺にしかできないことなんだ」
廉造はゆっくりと振り返ってきた。
その顔には表情らしい表情は浮かんでいない。
「イサ、お前も戻ってこないつもりか?
愁みてェに」
その声には、妙な迫力があった。
イサギは小さく首を振る。
「……なにが起きるかわからないから。
約束は、できない」
廉造はこちらにやってきて、イサギの胸ぐらを掴んだ。
至近距離から睨まれたが、決して目を逸らさない。
「オレは裏切られるのはうんざりだ」
「廉造……」
「オヤジもオフクロも、口では耳当たりの良いことばかり言いやがった。
ガッコーの教師も、取り巻きの連中もだ。
その場を切り抜けるために、テキトーなことばっか抜かしやがる。
そんなやつらをオレはぶちのめしてきた。
テメェはどうなんだ、イサ。ああ?」
「廉造」
彼の手首を掴む。
「俺は戻ってこれないかもしれない。
信じてくれだなんて都合の良いことを言う気もない。
だが、俺は裏切らない。
俺には俺の往く道がある。それだけだ」
「……テメェはなんのために戦うんだ。
自己満足か? 正義か? 金か? 良い暮らしをするためか?」
廉造に問いかけられて、イサギは言葉に詰まる。
もちろん、魔族と人間族の戦争を阻止するためだ。
アルバリススの戦乱を止めるために、イサギは旅立つつもりだ。
本当だ。
それは嘘ではない。
だけど。
最初に頭に浮かんでしまったのは、プレハの笑顔だった。
初恋の少女が自分を呼ぶその声だった。
彼女に似合うような男になりたかった。
彼女が望むような世界を作りたかった。
それがイサギの最初の、原動力だった。
アルバリススを救おうと決意したのだ。
この手はとっくに汚れていて、
あの子の笑顔には似合わないかもしれないけれど。
それでもそれが、最後まで残ったただひとつのイサギの願いだ。
ふざけるな、と。
もしかしたら殴られてしまうかもしれない。
これが決定打になって、彼との絆は修復不可能なところまで陥るかもしれない。
それでも、イサギは口を開いた。
我欲のためだ、と胸を張るのは正直、恥ずかしかったけれど。
ただ、廉造には本当のことをぶつけたかったのだ。
「……惚れた女の、ためだ」
それを聞いて。
廉造はしばらくの間、間の抜けた顔をしていた。
魔族の将を葬り去ったのと同じ人物にはとても見えないような顔で。
「……あ?」
「……」
顔が熱くなってゆくのを感じる。
憮然とした顔で待つ。
すると突然、
廉造は笑い出した。
それは突き抜けたような、爽快な声だった。
「お前、言うに事欠いてそれかよ」
「……」
「中身はヨシ公と変わんねえなオイ」
「……うっせえな」
肩を押されて、つい乱暴に答えてしまう。
ただ、慶喜と自分は確かに、似ているかもしれない。
意気地がないところも、同じだ。
代わりに幸せに、なってほしいと思うが。
「連れて行くのか?」
「え?」
「バーカ、姫さんたちだよ。
テメェが戦うのは女のためなんだろ」
「あ、いや……」
デュテュとリミノのことだ。
イサギは首を振る。
「スラオシャ大陸は、まだ彼女たちには生きづらいところだと思う。
デュテュとリミノには、ここで安全に暮らしていてほしい。
彼女たちが安心して過ごせるような、そんな世界を作れるといいのだけど……」
「色男は難儀なモンだな」
「やめろよな廉造」
「へへ」
「……まだしばらくは俺もここにいるよ。
お前がデュテュや魔族の人の力になろうと言うなら、
俺もそれを支えたいからな」
「女のために戦う男はつええな」
「やめろってば」
廉造が肩に手を回してくるのを、イサギは振り払った。
彼の身体に付着した血の匂いが不快だったからだ。
……決して照れ隠しなどでは、ない。
◆◆
その日から、廉造は忙殺されることになった。
彼に取り入ろうという輩が廉造やデュテュの元を訪れ出したのだ。
そばにイサギがいることもあったし、いないこともあった。
廉造は時にはいかめしく、時には寛容に彼らと会談を繰り返した。
こうして見ると、廉造は社交上手でもあった。
相手の言葉を受け入れて信じることしかできない無能なデュテュと比べて、
その場に応じて、硬軟織り交ぜることができる。
人心掌握術とでもいうのだろうか。
『最初はあんなにぶっきらぼうだったくせによ』
『うっせーな』
時々からかうと、彼はそんな風に言い返してきた。
目標を決めて、そこに向かって突き進んでいく彼に不可能はないようだ。
人が変わったように、とは言わないけれど、
あれ以来廉造は殺意を周りに振りまくことはなくなった。
『テメェにとって、線引きがあるってことだろ。
殺していいやつと殺していけねえやつ、ってな』
身も蓋もなく、彼はそう言った。
だが、ハッキリ言えばその通りだ。
軍人と民間人は違う。殺すのは軍人だけだ。
全て、プレハの受け売りだが。
そしてそれが、廉造の表の顔だ。
イサギが行なっていたのは、裏の顔である。
元々イサギは五魔将や魔族国の現状を見極めるために、
ブラザハスにやってきたのだ。
そのために粛清をしようとは思わなかったが、
その役目は廉造が果たしてしまった。
後先を顧みない廉造の動きは、強引過ぎた。
彼には次々と暗殺者が放たれたのだ。
廉造を快く思わない存在はどこにでもいた。
リージーン派にとっては怨敵であり、
穏健派にとっても邪魔者だ。
それどころか、魔帝派にすら、
反廉造派閥といったものができつつある。
いつか彼がデュテュから権力を奪うのではないかと危惧するものたちだ。
それほどまでに廉造は危険視された。
五魔将会議での暴虐は、ほとんどの魔族を敵に回してしまった。
どんな警護であろうとも、信用はできなかった。
ブラザハス内に彼の味方はほとんどいなかった。
廉造は友人だ。
可能な限り彼の力になりたいと思うイサギは、
暗殺者と戦うことを決めた。
その日からイサギにとって、昼夜の区別は意味を持たなくなった。
イサギは壁に寄りかかりながら、剣を抱えて眠る日々を過ごした。
廊下の先に落ちた針の音で目を覚ますほどに、神経を高ぶらせたまま。
多い時では、日に27回の襲撃を受けたが、
イサギはその全てを返り討ちにした。
たったの一度も隙を見せることはなかった。
雇い主を吐かせる暇もなく、皆すぐに自決していったが。
廉造のそばを離れられないイサギは、
事後の処理を全てキャスチに一任した。
彼女はなにやら気が進まないようだったが、
廉造を守るために力を貸してくれるようだった。
いつしか、暗殺者が廉造を襲う回数は徐々に少なくなっていった。
キャスチが組織やその元締めである貴族をどうにかしてくれたのだろうと、と思う。
あるいは、廉造自身が勢力を拡大したことにより、狙われること自体が少なくなったのか。
どちらも、確証はなかったが。
確かめているような暇もなかった。
イサギは24時間、まるで影のように廉造に付き従った。
廉造の戦いと、それを支えるイサギの戦いだ。
それら全てを含めて、廉造の選んだ血塗られた道なのだ。
最短距離で現代世界へと戻るために。
デュテュと廉造、イサギがブラザハスにやってきてから数日遅れて。
慶喜やシルベニアといった魔王城待機組も、ブラザハスに到着した。
これで魔王城の撤退が完了したわけだが、廉造たちはすぐにとんぼ返りすることになる。
ブラザハスでは落ち着いて話をすることもできない。
いよいよ色々な物事が動き出したな、とイサギは思う。
早速、慶喜に会った五魔将たちは、彼を『昼行灯』と見たようだ。
廉造やイサギに比べたら、よっぽど組み易いだろう。
五魔将は慶喜を魔王に任命する気らしい。
あるいはデュテュのように、傀儡にするつもりか。
その報告を聞いて喜んでいたのは、意外にも廉造だった。
『戦うのはオレの役目よ。
ヨシ公が面倒くせェことを引き受けてくれて、なによりだぜ』と。
それはきっと本心なのだろうと思う。
廉造は裏表のない人物だ。
そして、魔王就任式はブラザハスで行われる。
クシャルナ城の城下には、魔族の民が大勢押し詰めていた。
慶喜はひとり部屋に佇んでいた。
魔王城の相部屋とは全然違う。
とても豪華な、まるでホテルのスイートルームのような一室だ。
(といってもホテルのスイートルームなんて、入ったことないんだけどね……)
なにがなんだかもうわからない。
魔王城からヒ車に乗って数日かけてブラザハスに着いて。
着いたら、今度はなんだかすごく強そうな偉い人たちの前に引きずり出されて。
『よし、お前は今日からマ王!』だとかそんなことを言われて。
デュテュや廉造がやたらと喜んで祝福してくれて。
あっという間に着替えをさせられて、今ココ、である。
部屋には姿見があった。
慶喜の頭の上には、小さな王冠が載せられている。
かつて代々魔族の王に伝えられてきた、貴重な魔具だという。
(もう、なにがなんだかわからないよ……)
流れに身を任せていたら、こんな有様だ。
色んな人たちにハメられたような気がする。
思えば遠くに来たもんだ、か。
四ヶ月前のバカ話をしていたあの頃が懐かしく思う。
遠慮がちなノックの音がした。
どうぞ、と声をかけると、扉が開く。
顔を見せたのは、高級なメイド服をまとったロリシアだ。
彼女を見て、思わずホッとしてしまう。
「ヨシノブさま、そろそろ式典のお時間です」
初めて会ったときから半年が過ぎ、ロリシアは少し背が伸びた。
この年頃の少女は、一日一日ごとに大人に近づいてゆくようだ。
その黒髪は、長く伸ばして後ろで束ねている。
恐らくリミノを真似たのだろう。
慶喜は頬をかきながら、彼女に意見を求める。
誰でもいいから、誰かにすがりたかった。
「あ、あのさ、ロリシアちゃん……
なんで、ぼくなんだろう……」
「え?」
「だ、だってさ。
愁サン……は、いなくなっちゃったけれど、
イサくん、とか、廉造くん、とか、
彼らのほうがよっぽどぼくよりうまくやると思うのに、なんで……」
「……えと」
ロリシアは答えに窮するように、視線を逸らした。
それから、ちらちらとこちらを見やる。
「……あの、ホントはダメって言われているんですけど」
「うん?」
「わたしの思うことを……その、言っても、いいですか?」
「あ、うん。全然全然。
できればリミノちゃんがイサくんにするみたいに、言ってくれれば」
「……では、差し出がましいようですが」
こほん、と咳払いするロリシア。
なぜか慶喜も背筋を正してしまう。
すると。
「……わたしも正直、
なんでヨシノブさまが魔王なんだろう、って思います」
「むぐ」
容赦なかった。
「イサさまのほうが100倍カッコイイし、頼りになるし、
それに、強いし、リミノお姉さまを助けてくれたし」
「うごご」
「ヨシノブさまなんて弱虫だし、泣き虫だし、頼りないし。
笑顔がきもちわるいし。
時々、その……視線が、えっちだし」
もうやめて、ぼくのライフはゼロだよ、って。
思わず叫びたくなったけれど、慶喜はその言葉を厳粛に受け止めた。
「す、すごいね、ロリシアちゃん……
普段、そんなこと思ってたんだ」
「はい。
あの、その……ごめんなさい」
「いやいや、いいんだ。謝らないでいいんだ。
……ちょっとだけ、スッキリしたから」
「え?」
「いやいや、こっちの話」
手をパタパタと振る慶喜。
そこにはわずかな笑顔が浮かんでいる。
別にドMだから、とかいう理由ではない。
10才半の少女に言葉攻めにされたのが嬉しいわけではない。
慶喜は純粋に、ロリシアの言葉に共感を覚えていたのだ。
「そうだよねー。
ぼく、頼りないし弱虫だし。
ホント、なんでこんなのが魔王なんだろうね」
「……そういうふうに、
自分のことをすぐ卑下しちゃうのもいやです」
「ギギギ」
ショックはショックなのだけど。
それはそれで、救われた気分になってくる。
「で、でも……
なんかいいな、こういうの」
「?」
ロリシアはもう、自分になにも期待をしていないのだろう。
あのクローゼットの中で、きっと全てが終わってしまったのだ。
だから、それが良い。
肩肘を張らずに付き合える。
カッコイイところを見せようだなんて、始めっから無茶だったんだ。
だって自分はカッコ良くなんてないんだから。
そう気づいたとき、慶喜はホンの少しだけ心が楽になったのを感じた。
「あのさ、もしよかったら、ロリシアちゃん。
これからもぼくには、そういう態度で接して欲しいんだ」
「そう、いう?」
「うん。思ったことをズバズバと言ってほしいな、って。
人に叱られるのって、気持ちいいことなんだって、気づいたから」
「……じゃあ、早速いいですか? ヨシノブさま」
「うん」
すると、ロリシアは不愉快そうに眉をひそめて。
告げてきた。
「こんな、年端もいかないこどもに罵られて悦ぶだなんて、
……きもちわるいです、ヨシノブさま」
ジト目のささやき声。
メイドの小さな少女にそんなことを言われて。
ゾクッとしてしまった。
もう自分はだめかもしれない、と慶喜は思う。
廉造:裏切り者は許されない。それが廉造団、血の掟である。
イサギ:喧嘩するほど仲が良い。暗殺者もワンパンひとつでKO。俺は戦闘のプロだぜ。
慶喜:久しぶりの登場だけれど平常運転。我々(魔王)の業界ではご褒美です。
ロリシア:もうやだこの魔王。ついに慶喜専属に。メイドご主人様Lv3。覚えた技=毒舌・ジト目・嘆息。