1-3 元勇者、徘徊する
(戻ったらふたりで冒険者ギルドを立てよう、だとか、今思えばそれがフラグだったのかもな……)
迂闊だった。
帰ったら結婚しよう、だとか。
戻ったらふたりで暮らそう、だとか。
そんなものは絶対に戦場で言ってはいけない台詞の代表格ではないか。
魔王を倒したから気が抜けていたのだ。
冒険は帰るまでが冒険、だということを忘れてしまっていた。
召喚陣の上で手持ち無沙汰に佇んでいた四人を、メイドたちが呼びに来た。
とりあえず姫の容態が回復するまで、と部屋に案内されることになった。
そうして用意されたのは、三階の客間だ。
ちなみにメガネと同室。
魔王候補なのに相部屋。ひどい扱いだ。
そのメガネはベッドに潜り込んで、布を頭までかぶっている。
時々「こんなの夢だ……こんなの夢だ……」っていうつぶやきが聞こえてきたり。
情緒不安定な人間は、モンスターよりも怖いと思う。
「なあなあ」
話しかけてみるが、反応がない。
色々と現代の様子を聞いてみたかったが。
今は無理のようだ。
しばらく放っておいたほうがいいだろう。
そのうち覚悟も決まるはずだ。
(俺も三年前に無理やり拉致られたから、気持ちはわかるんだけどさ)
イサギは、中学二年生のときに召喚された。
その頃は人生で最もどん底な状況だった。
両親が事故死し、親戚の家をたらい回しにされていて。
見知らぬ土地で、そうそう友達もできずに。
頼れる人は誰もいなくて、孤独だった。
そんな状況だったからこそ、異世界に呼び出されてもそんなにショックではなかったのだ。
どうせ現実に生きていてもロクなことはない。中学を卒業したらすぐに就職して一人暮らしをする気だった。
それならば異世界で暮らすのも同じようなものだろう、と。
(趣味も全然なかったし……今思うと、俺ってすげー異世界向きの人材だったな)
しみじみと思う。
普通の人は、こんな風に落ち込んでしまうのも当たり前だろう。
だからこそ、一度も疑問には思わなかったのだ。
(召喚陣で呼び出された者は、果たして戻れるのかどうか、か)
イサギの予想はこうだ。
(恐らく戻れない)
だって、必要ないからだ。
その手段を研究すらしないはず。
そうだろう?
(召喚したやつが使えなかったら殺せばいい。わざわざ元の世界に返すために魔力を消費するか? そんなわけがない)
ひどい話かもしれない。
だけど、それが召喚術だ。
自分たちの願いを叶えるために誰かの一生を犠牲にする。
(戦争やってんだもんな……)
平和ボケしている現代人には、想像もつかないような極限状態なのだ。
暗い気持ちになる。
だから。
「えーと、俺、ちと外に出てくるよ」
一応声をかけるが、返事はない。
(かわいそうにな)
自分のことを棚に上げて。
イサギはそんなことを思ってしまうのだ。
部屋の外は明るい。
地下室に召喚されたときは日が差し込んで来なかったから深夜のような気もしていたが。
外はまだ太陽が輝いている。
魔王と一昼夜戦い続けていたためか、わずかにけだるい。
怪我は治っていたが、ずっしりとした疲労感により、肩が重い。
(時差ボケ……っつーか、召喚ボケってやつか、これ)
あくびを噛み殺しながら廊下を歩く。
(部屋にいてくださいって言われたけれど、外に出ないでくださいとは注意されていなかったからな)
そんな屁理屈を考えながら。
(……ここ、やっぱり俺の攻め込んだ魔王城か)
あちこち見覚えがある。
魔王城は周囲全体が結界に覆われていて、ご丁寧に入り口から入らなければならないような作りをしていた。
城攻めは圧倒的に攻め込む側が不利だったのだが、戦が長引けば人間側が全滅してしまう可能性もあった。
だからイサギたち四人は、決死の覚悟で突入したのだ。
待ち構えていたのは、五魔将の生き残りと、数え切れないほどのトラップ。
一瞬の油断が命取りの場所だった。
もし迷宮ランクをつけるのなら、間違いなく最高ランクだったろう。
どこにも刺客が潜んでいて。
まともに進めぬよう、あちこちに魔術障壁が張られていて。
一歩進むのだって、膝が震えるくらい怖かった。
だのに。
20年後の魔王城ときたら。
なにやら窓に木の板が張ってあったり。
明らかに色の違う石材で壁の補修がされていたり。
(寂れたなあ、魔王城……昔はあんなに広かったのに……)
構造を頭の中に立体的に描きながら、徘徊する。
(地下なんて完全に落盤しちまっているみたいだし。いや、やったの俺だけどさ)
といっても、戦争が終わったのは20年前だ。
この20年でまともな補修がされていないのだ。
もしかしたら、つい最近まで廃城だったのだろうか。
(そうかもしれないな。魔王が勇者に殺された城なんて、不吉すぎるもんな)
そんなことを思いながらあちこちを見回る。
何人かのメイドとすれ違ったが、魔王城で働いている魔族はそう多くないようだ。
何人か見張りはいるものの、基本的に兵士が駐屯しているのは、どこか別の場所なのだろう。
窓から確認してみたが、塀の中にも、その外にも軍らしきものは見当たらない。
まばらな兵士が、覇気のない訓練に当たっているだけだ。
魔王城は、要衝の城塞だ。
住み心地は決して良くないだろう。
(あるいは、ここに配置している召喚陣作動のために、一旦引っ越してきたってことなのかね)
色々と考えてみるものの、よくわからない。
推理するのも、20年後のこの世界の情勢を聞いてからじゃないと、意味がない。
ずいぶんと歩いている間に、城を出て、物見塔のほうまで来てしまった。
(ここらへんか)
人の気配がしなくなったのを確認する。
それから、右手にわずかに力を込めた。
すると、指先に小さな青い雷が宿った。
すぐに握り潰す。ジジジと音を立てて雷は消えた。
(よし。力は失っていないみたいだ)
これで、弱くてニューゲームは避けられた。
世の中の召喚術には『本体』だけを呼び出して、『力』はその世界に置いてくる、というものもあると聞いていたから、これには心の底から安堵した。
傷が全て癒えていたのでもしかしてとは思ったが、その心配はなさそうだ。
とすると、あといくつかの力も残っているだろう。
機会があったら確認してみよう。
イサギは剣士だが、簡単な魔術と法術程度なら使うことができる。
魔術と法術は本質的には同じものだ。
自らの魔力を消費して事象を変質させるという工程は変わらない。
ただ、相手に害を為すものが魔術。
防御の系統に特化したものが法術。
そんな扱いだ。
例えば、四属性の攻撃術(火水土風)は魔術。
傷を治療する治癒術は法術。反魔障壁を含む結界術もまた法術。
一部ややこしいものもある。
土の壁を作り出す《土障壁》は法術だが、相手に叩きつけるように作り出すことで攻撃にも転用できる。
その場合はなんと、《ストーンハンマー》と呼ばれて、魔術扱いになる。
まったく同じ手順を踏んだ同じはずの術が、魔術と法術とわかれるのだ。
じゃあもう魔術と法術に分類しなくてもいいじゃないか。
イサギはそんなことを思ったものだ。
そんなイサギが使えるのは、初歩的な魔術。
他には、治癒法術、結界法術、その程度だ。
また、魔術と法術の他にも、さらに魔法というものもある。
魔法はその通り、魔術と法術の完全上位互換だ。
基本的には『魔法陣』や『魔法符』というお助けアイテムを使用して発動する。
中には単体で魔法を扱うことのできる、特別な才能を持った者もいる。
イサギにはもちろん使えない。
物見塔の上に登ったイサギは、窓から身を乗り出す。
外は、どこまでも続くような荒野が、地平線の限り広がっていた。
間違いない。ここは暗黒大陸だ。
魔王城周辺の地理は、何度も偵察を繰り返して徹底的に頭に叩き込んだ。
ほんの数日前の出来事だったはずだ。
たったの20年では地形の変動などはない。
だからイサギにとっては、無数の騎士と魔族の死体が折り重なって倒れていた光景が、今でも目に焼きついている。
遠い山間を指でなぞる。
あの場所を必死に駆けていたのも、遠い過去のようだ。
魔力や闘気は残っている。
だが、身につけていなかったものは、この世界には持ってこれなかった。
(なくなったのはあの剣ぐらいか。
……いや、もっと大事なものも失っちゃったな)
ついさっきまでこの城を歩いていた仲間たち。
20年後の世界で彼らはなにをしているのだろう。
イサギは左目を手のひらで抑える。
(なんか俺だけ異世界召喚っつーか、タイムスリップみたいになっているよなぁ)
どうせだったら、頼りになる三人の仲間も一緒に呼んでくれれば良かったのに。
プレハ、バリーズド、セルデルの三人。
それがイサギとともに魔王を倒した仲間たちだった。
(なんでそれが今、ヤンキー、イケメン、メガネになっているの)
パワーダウンってレベルじゃない。
なんだかひとりぼっちになってしまったような気分だ。
寂寥感が胸を打つ。
これからのことを考える。
(……とりあえず、早いところ王都に向かうか?
もしかしたら俺を覚えてくれている人も何人かいるだろうし。
あいつらだって長いこと待っているだろうしさ)
冒険者ギルドが一体どんなことになっているのか。
この目で確かめてみたい。
だが、魔族の現状も気になる。
優先すべきはどちらか。
効率的に考えるのなら、魔族の悩みを聞いてから冒険者ギルドに向かうべきだ。
魔王城から王都までは、イサギが全速力を出しても二ヶ月はかかる。
海を越えなければならないのが問題だ。
その距離を往復するとなると、なかなか難しいだろう。
やはり先に魔族か。
(冒険者ギルドに行くのはそれからにしよう。
顔馴染みがいたらいいんだが)
イサギの名を出せば、きっと取り次いでくれるはずだ。
不安はあるが、今から心配していても仕方ない。
(この世界で生きるしかないんだもんな……結局……)
まだまだ覚悟は決まらない。
失ったものが多すぎた。
イサギは物見塔をゆっくりと下ってゆく。
魔術:攻撃系術の総称。
法術:防御系術の総称。
魔法:極々一部の才能のあるものにしか使えない特殊能力。
闘気:魔力による、肉体強化に関わる術。