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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:3 屍の中で産声をあげる赤子たちに名を
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3-8 ハローそしてグッドバイ

  

 彼には勇気があって。

 小さな女の子を守るのが日課。

 一日一兆善がポリシー。

 そして、めちゃくちゃ良い人。

 

 そんなことを吹きこまれていたロリシアは、必死に慶喜の裾を引っ張る。

 リミノさまが。

 リミノさまが、冒険者に傷つけられたのに。

 なんでそれを放っておくの。 

 

 どうして。

 ヨシノブさま。

 どうして、と。

 純粋な瞳が慶喜の良心を穿つ。

 

 慶喜は過呼吸を起こしたように、ノドを抑えていた。


 目の前でリミノが冒険者になにかをされた。

 血が飛んだ。

 そうだ。結局慶喜がいくら魔術が得意といっても、ノドを壊されたらおしまいだ。

 どうすることもできない。

 

 もういやだ。

 なんなんだこの世界は。

 廉造も愁も、まともではない。

 人を殺すなんてそんな。

 

 慶喜はもっと、気楽でユーモラスな世界を望んでいたのだ。

 なんの責任を負うこともない楽しい場所で遊んでいたかったのに。


 痛いほどに拳を握り固める。

 マンガで見るように、血が滴り落ちたりはしなかったけれど。

 

 結局、自分はクズなのだ。

 自己保身以外、なにもない。

 

 引きこもっていたのだって、誰にも糾弾されたくないからだ。

 おちゃらけているのだって、ナイーブな内側を悟られないようにだ。

 

 辛いことは嫌だ。

 痛いことも嫌だ。

 誰かに軽蔑されるのには耐えられない。

 争って勝ち取るなんて、まっぴらだ。

 

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 

 訴えかけるようにロリシアが、自分の手を引っ張っている。

 苦しむリミノは、男に馬乗りにされていた。

 

 ロリシアに頼られて、カッコイイところを見せたかったのに。

 こんな自分にも優しくしてくれたリミノを死なせたくはないのに。

 

 どうして体が動かないんだ。

 どうして、どうして。

 

 こんなに助けたがっているのに。

 中学だって、高校だって、ずっと後悔していたのに。

 

 もう少しあのとき話していれば。

 前の席の人に声をかけていれば。

 長い休みの後に勇気を出して学校に通っていれば。

 こまめにメールに返信していれば。

 父や母の言う通りにしていれば。

 人の目をもっと気にせずにいられたら。

 

 悔しくて情けなくて涙がこぼれ落ちる。

 結局、なにも、変わらなかった。

 

 異世界に来て、新しい自分になれると思っていたけれど。

 なにも、なにも。

 クズはクズのままだ。

 自分は、クズだ。


 厚くて遠いクローゼットの中と内の世界。

 世界が遠い。

 

 リミノが襲われている世界は、まるでテレビの中のようだ。

 自分には届かない。


 その境界を、

 扉を――

 


 ――ロリシアが、こじ開ける。


 

 なんてことをしたんだ、と。

 慶喜の体は凍りついた。


「お、お姉さま、を、離して!」

 

 男たちの視線がこちらを向く。

 リミノが震えながら手を掲げていて。

 その唇が動く。


 にげて、と。

 

「やだ! お姉さま! お姉さまを離して!」


 ロリシアは叫ぶ。

 ひとりの冒険者が剣を抜いてこちらにやってきた。

 

 慶喜は息を呑む。


 守らないと。

 この子を守らないと。

 

 慶喜の目が赤く染まる。

 涙で歪む視界の中、絶叫した。


「あ、ああああああああああああああああああああ!」

 

 魔力がほとばしった。

 それは風を巻き起こし、部屋のものをなにもかも吹き飛ばしてゆく。

 

 顔をかばいながら冒険者が怒鳴る。


「こいつか! 魔王候補は!」

「殺せ!」

 

 慶喜は手を突き出した。

 魔術だ。

 魔術で殺すんだ。

 早く。

 殺さなければ殺される。

 早く。

 早く。

 

 だめだ。

 意識が意味を成さない。

 コードはばらばらにほどけていった。

 力は具現化しない。

 行き場を失った魔力が、部屋の中を暴れ回るだけだ。

 

 冒険者は近づいてくる。

 それなら殴りかかるしかない。

 

 でも、見知らぬ人を?

 そんなことがぼくにできるのか。

 殴られたら痛いし。

 殴るのだって、怖いんだ。


 だけど。

 ロリシアとリミノを助けたい。

 助けたい。

 助けたいんだ。

 

 助けたいのに。

 ホントなんだ。

 助けたいんだ。

 助けたいんだ。


 その気持ちだけは、嘘じゃないのに――



 冒険者は剣を振り上げる。

 その瞬間が、慶喜の目にはスローモーションに見えた。

 

 

 なにかが飛来してきた。

 男の持っていた剣が、根本から砕けた。


 そのなにかは壁に突き刺さる。

 一枚のカード。

 

 男たちは部屋の扉を見た。

 そこにはひとりの少年が立っていた。



「もう、生きることは諦めてくれ。

 お前たちには、容赦できそうにない」



 黒髪黒瞳の、血にまみれた少年。

 左目に眼帯をつけた元魔王候補。


 ――イサギ。

 


 

 イサギはひとりの男が詠出したコードを片手でかき消す。

 床を蹴って、慶喜に斬りかかろうとしていた男の顔面を掴む。

 そのまま、地面に叩きつけた。

 グシャリと音を立てて頭蓋骨が砕ける。

 

 それを見ていた男は魔術が通用しないと見るや、背中から短剣を引き抜く。

 イサギは潰れた男の体を投げつけた。

 重なり合って倒れる冒険者たち。

 そうしている間にも、ひとりの男の体の再生は始まっている。

 

 頭部を潰しても復活するようだ。

 本当に、忌々しい。

 

 イサギは幾重にもコードを巻きつけるように描く。

 最初から殺すつもりなら、難しい話ではない。

 狭い空間に瞬間火力を凝縮する。

 普段の戦いでは絶対に使わないような、そんな魔術だ。

 

「どこまで持つんだろうな、

 禁術ってやつはよ!」

 

 そこからは、回復力と火力の勝負だった。

 ふたりの冒険者の肉体が消し炭と化してゆく中、

 彼らを包む光は反発するように大きくなってゆく。


 常にコードを描き続け、手を止めないイサギ。

 まるで潮の流れに逆らう魚のように、ひたすらに肉体再生を続けてゆく冒険者たち。

 炎の中で肉片が再結合し、燃やされ、再びうごめく。

 それはまるでこの世の地獄のような光景だった。


 肉の焼ける臭いが部屋に充満してゆく。

 耐え切れなくなったロリシアがその場にえづいた。

 

 やがて終わりは唐突に訪れる。


 ひとりの冒険者の体を包んでいた光が急速に萎むと、

 彼はもう永遠に蘇生することはなかった。

 魔力が尽きたのか、あるいは魂が砕けたのか。

 ふたりの冒険者は、ついにこの世から完全消滅した。

 


 イサギはため息もつかずにリミノの元に駆け寄る。

 ノドを焼かれた彼女の傷を見て、顔を歪めた。


「リミノ……」

 

 まだ意識はあるようだ。

 懸命にこちらに向かって手を伸ばしてくる彼女の手を掴む。

 イサギが使えるのは、あくまでも簡単な治癒術だけだ。

 この場では彼女の負担を軽くすることぐらいしかできないだろう。

 

「リミノ、すまない、俺が……」

 

 精一杯の魔力を彼女に注ぎ込む。

 治癒術には少しの鎮痛効果もある。

 あの回復禁術のように、痛みを完全に消し去ることはできないが。

 

 それでも、リミノは薄く微笑んでいてくれた。

 その大きな瞳に涙をいっぱいに浮かべて。


 安らいだ顔をしながら唇を動かす。

 声を奪われた彼女の言葉が、イサギには確かに届いた。

 

『今度こそ、守りたかったから。

 これで、良かったの。

 ふたりがなんともなくて、良かった』

 

 彼女の手を握り締める。

 張り詰めていたものが切れたのかもしれない。

 リミノの笑顔は徐々に崩れてゆく。

 その頬を伝う涙は、安心だけのものではなかった。


『リミノ、わかったの。

 お兄ちゃんを信じていたかったのに。

 でも、それだけじゃダメだって。

 リミノ、もっと、もっと、強くなりたい』


 悔しそうに、歯を噛み締めて。

 リミノもまた、己の弱さと戦っていたのだ。

 

 そのとき、イサギは彼女にかけられた魔術の正体に気づいた。

 それは恐らく、エルフの王国を攻め滅ぼした際に、彼らを隷属させるために生み出されたものに違いない。

 術師を奴隷とするための魔術だ。

 

 焼印は彼女の身に深く刻まれた。

 しばらく彼女が声を出すことはできないだろう。


 ……それでも、この分なら命を失うことはない。

 良かった。本当に、良かった。


 治癒術をかけ終わったイサギは固く目を瞑って、それから立ち上がる。

 

「慶喜」

「……はっ、はい!」

「城内には、もう敵はいない。

 リミノとロリシアを頼んだ」

「あ、う、あ……」

 

 彼を見やる。

 睨んだわけではないが、慶喜はなぜか目を逸らした。

 

「で、でも、い、イサくん、

 どうしてそんなに、強く、そんな」

「すまない、今は時間がないんだ。

 後で話すから、頼んだぞ」

「う、あ……」

 

 恐慌状態なのかもしれない。

 彼は意味のないつぶやきを繰り返すばかりだった。

 

 少し迷ったが。

 リミノはそんなイサギの葛藤を見抜いているようだった。

 彼女は指で窓の外を指す。

 いってあげて、と。


「……わかった、リミノ。

 行ってくるよ」

 

 彼女の頭を少し撫でて、イサギは窓を開けた。

 ここからは中庭が見える。

 式場の準備中だったのに、今は兵士の死体が散乱していた。

 

 壁に突き刺さった冒険者カードを引き抜くとポケットにしまって、

 魔王城の二階から、イサギは跳んだ。


 


 その場に残された慶喜は、泣いていた。

 己の罪を懺悔するように、彼は泣き続けていた。

 

 


 ◆◆ 

 

 

 

 虫の息だった。


 愁も廉造も、生きているのが不思議なほどだ。

 それでもまだ命の炎が尽きていないのは、封術の力だ。

 莫大な彼らの魔力が、魂の火を繋いでいるのだ。

 

「……なんで……」

 

 ついに意識を失ってしまった廉造の隣。

 仰向けに倒れていた愁が、空を掴むように手を伸ばす。

 その体は傷だらけで、ボロボロだ。


「その力は、なんなのさ……

 ずるいよ……もう……

 ……だってこの世界には、『回復』は存在しないって……」


「こいつは、禁術さ」

 

 スパダは彼を見下ろしながら告げる。

 

「ドワーフどもをブチ殺して作った極大魔晶でな。

 お偉いさん方が開発した『安全な禁術』さ。

 なんでも、死人を生き返らせることを目的としていたものの、副産物らしいけどな」

「……」

「人族の夢の不老不死を叶えようとしていたんだろう。

 俺には関係ねえことだけどな。目的は目先の金だけよ。

 今思えばドワーフ殺しはウマかったな。

 耳を集めるだけでポイントが山ほど入った。

 やりすぎたおかげで、タイタニアには人っ子ひとりいなくなっちまったけどな。

 またやってくれねえかな、ああいうの」

 

 愁の目はなにも映していない。

 そこにあるのは、虚無だった。


 彼はその声色を変えた。

 しっかりとした口ぶりで、つぶやく。

 

「そっか」

「あ?」

 

 愁は大の字に寝そべったまま、スパダを見上げる。


「――大体わかったよ、ありがとう。

 これから僕は、そうだね、

 冒険者側につくことにしよう」


「……は?

 てめぇ何言って」


 顔を覗き込むスパダに、愁はにっこりと微笑んだ。


「でも、キミたちにはずいぶんとやられちゃったから。

 その分だけは、きっちりと清算させてもらおうかな」

 

 その直後、だ。

 彼の全身に刻まれた刺青が、赤く光を放った。



「あ?」

 

 スパダの目の前で、光が瞬く。

 痛みは感じなかった。

 代わりに、喪失感。

 

 左腕が宙を舞っていた。


「なん――」

 

 脳が警鐘を鳴らす。

 体は戦闘状態に移行し、しかし反応が追いつかなかった。

 

 さらに光が踊るとスパダの体は、

 まるで元々そういうパーツが組み合わさってできていたかのように、

 ブロックの塊となって散らばった。

 

 気を緩めていた冒険者たちが一斉に愁を取り囲む。



 ぶちまけられた血と殺意の視線の中で、愁はゆっくりと立ち上がる。

 その目は、地面の中で小さく輝く宝石を見つめていた。


「……ふぅん。

 あれが、キミたちの言っていたリヴァイブストーンってやつか」


 大きく足をあげ、踏み砕く。

 再生を始めていたスパダの肉片は、その瞬間に機能を停止した。

 

「マスター!」

 

 叫ぶ男に、愁は手のひらから閃光を飛ばす。

 今度は首が切り飛んだ。

 

「なんだこいつは――」

 

 先ほどまでとはまるで動きが違う。

 愁は冒険者のパーティーを、歯牙にもかけていなかった。

 

「ごめんね、キミたち。

 でも、少し楽しかっただろう?

 だからね、バイバイ」

 

 そう言って微笑むと、

 愁はちらりと魔王城を見上げる。

 尖塔の上に立ち、シルベニアは今なお魔術を防ぎ続けている。

 

 彼の気が逸れたことを感じ、何人かの冒険者が愁に斬りかかる。

 

「次は、シルベニアちゃんを、

 どうにかしないとね」

 

 愁はそうつぶやいて、片手を払った。



 ただそれだけで、

 彼の周りに立っていた冒険者たちの胴体は真っ二つと化していたのだった。

 

 

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