3-6 俺の屍を越えてゆけ
プレハの動きは徐々に良くなっていった。
イサギの動きについて来れるようになったわけではない。
――致命傷を避けなくなったのだ。
どうせやられたところで回復禁術がある。
恐らくそう思っているのだろう。
踏み込みは一歩深くなり、
彼女は回避を続けるイサギを追い続けた。
その執拗な追跡に、イサギは根負けしたかのように捕まってしまう。
「ッ!」
舌打ちをしながらイサギはプレハの刃を避けた。
そのまま懐に潜り込み、一気に左腕をへし折る。
「ああああぁぁぁぁ…………!」
プレハの細く長い絶叫。
気が滅入りそうだ。
だがすぐに、光をまとう彼女は笑った。
「――なんてね」
「てめ――」
叫ぶ余裕もない。
密着状態で彼女は晶剣を突き出してくる。
先ほど、魔術師が詠出をしているのが見えた。
後ろにも横にも逃げ場はない。
イサギはプレハと態勢を入れ替えた。
恐らく彼女はなにをされたかわからないだろう。
魔術師の詠出が、慌ててキャンセルされる。
このままではプレハに当たってしまうからだ。
けれどその状況でもなお、プレハは闘争心を緩めなかった。
(こんなの、どうすりゃいいってんだ――!)
折れた腕でこちらを投げ飛ばそうとしてくる彼女。
イサギはとにかく掴んでいた場所を極めようと両腕に力を込めた。
その瞬間、嫌な感触が伝わってきた。
「ぁぇ」
少女が口から漏らしたうめき声は、
まるで地獄に落とされた亡者の悲鳴のようだった。
折った。
箇所を確認して、愕然とする。
頚椎を――人体の急所を折ってしまった。
プレハがゆっくりと床に沈んでゆく。
彼女はさすがにもう、指一本動かせないようだ。
ついに殺してしまった。
……殺す以外なかった。
(なんだよこれ……)
イサギの顎を汗が伝い落ちる。
全身がびしょ濡れだ。
こんな気味の悪い戦いは初めてだ。
自分と同じぐらいの年の少女が、何度傷めつけても嬉々と起き上がってくるのだ。
彼女は痛みすらも感じていなかった。
回復呪文や蘇生呪文を駆使して、魔物を退治するゲームの中の主人公たち。
彼らに襲われる悪役は、恐らくこういう気持ちだったのだろう。
まるで悪夢のようだった。
こんなのは冒険者ではない。
とてつもなくおぞましい何かだ。
イサギが目を向けると、残る三人の魔術師たちは怯えていた。
どっちがだよ、と内心でつぶやく。
「知っていることを全て答えろ」
その声を聞いて、ひとりの魔術師が魔術を唱えようとする。
近づいたイサギは、そのコードを片手で払って霧散させた。
「な、なんで……お前……!」
「お前たちは冒険者なのか?
それに、回復禁術をどこで覚えた」
三人を交互に睨む。
するとイサギの名を持つ少年が答えた。
「ぼ、僕たちは間違いなく、冒険者だよ……
冒険者免許も持っているし……」
「見せろ」
間髪入れずに告げると、彼は懐から一枚のカードを取り出した。
冒険者カード。
それは彼の身分を明らかにするものだった。
ひったくるようにして奪う。
>冒険者登録名:イサギ・ブリュッセル
>冒険者ランク:A-
>*所属ギルド:<ワルキューレ>
>ギルドランク:A+
>ジョブレベル:剣12 魔54 法61
>ジョブネーム:セージ
裏面には彼のこなした代表的なクエストが列挙されていた。
なるほど。
これが冒険者を管理するためのカードか。
わずかな魔力を感じる。
カードを懐にしまい、イサギはさらに問いただす。
「なら次は、回復禁術について知っていることを話せ」
「回復禁術……?
り、リヴァイブストーンのこと?」
少年は恐れを抱きながらも聞き返してくる。
この状況でシラを切っているわけではないだろう。
追及の手を深める。
「なんだよそいつは」
「えと……冒険者ギルドが販売している特別な魔晶で、
それを飲み込むと、一定時間、回復能力を得ることができるんだ。
効力は、その人が持つ魔力の強さに比例するみたいだけど……」
「それが回復禁術だろうが」
「し、しらないよそれは」
「ふざけんなよ……!」
イサギは拳を握り締めた。
胸に渦巻く怒りは、彼らへのものではない。
そんなものを製造販売している世界への憎悪だ。
恐らくリヴァイブストーンの正体は、回復禁術の起動装置だ。
石自体は、魔法陣が描かれただけの、ただの魔晶だろう。
だが、仕掛けがついている。
飲み込んだものの魔力を引き出し、枯れ果てるまで回復禁術を使用させるのだ。
まともな魔具ではない。
一体どんな副作用が起きるかもわからない。
仕組みを知らせずに使わせるなど、人間の所業とは思えない。
元々禁術について知っているものは少なかった。
ひとつの国でもトップクラスの人物だけだ。
だから、今でもその情報が秘匿されているというのは、わかる。
だからといって、なぜ誰も疑問に思わないのか。
刹那的な力が手に入れば、それでいいというのか。
せいぜい“強化型治癒術”ぐらいの感覚なのか?
あんなものが、か。
「見ろ!」
イサギは少年の胸ぐらを掴む。
そうして、再び必死に起き上がろうとしているプレハを指した。
「あの子は、お前にとって大切な人じゃないのか!」
「そ、それは、そうだけど……」
「あんな姿になってまで戦って!
それが冒険者か!? あんなものが!」
少女には、もはや目の光はない。
折れた首は一見元通りになっていたが、どこか歪だ。
四肢は力なく弛緩しており、それでもその手には剣を握っている。
視点は定まっておらず、なのに口元には笑みがあった。
「……あは、えへへへあはは……
……たのしいなあたたかうのたのしいなあ……
……つっぎのあっいてっは、どっこっかっなあー……」
もはや人間としての尊厳を保っているとは言いがたい。
とても見ていられない。
あの子だって本当は、
花を愛する心を持っているような、乙女であるはずなのに。
少年はイサギから目を逸らす。
苛立たしげに告げてきた。
「冒険者は、危険な仕事なんだ……!
プレハだって、リヴァイブストーンを飲んでなければ、あんたに殺されていた!
なにがあったって、死んじゃうよりはマシだよ!」
違う。
逆だ。
ここまでやるつもりはなかった。
プレハはもう意思を失っている。
拘束も意味がないだろう。
首を折っても止まらない相手への抑止力などなにもない。
止めるためには殺すしかない。
この三人もだ。
(ちくしょう……!)
もはや時間がない。
先ほどから大きな音が響いている。
この四人は単独で攻めこんできたわけではない。
きっと仲間がこの魔王城を同時に攻略しているのだ。
これ以上は時間をかけていられない。
イサギは少年を突き飛ばした。
そうして、左目の眼帯を外す。
「……すまない、とは言わないぜ。
お前たちは魔王城を攻略に来て失敗した。
ただ、それだけの話だ」
イサギの周囲を漂う空気が、急速に魔力の濃度を高めてゆく。
「ああああああ!」
なにかに気づいたのだろう。
獣のような叫び声をあげながら突進をしてきたプレハが、
上段に構えた剣を振り下ろしてくる。
振り返る。上段からの刃に紛れて、三つの光の刃。
違う。それだけではない。
右から、左から、紫色の魔刃はイサギを取り囲むように出現している。
竜巻のような斬撃だ。
イサギの体をねじ切るように現れた刃は、彼女の奥義なのだろう。
回避も防御も意味を成さない、全方向からの不可避の一撃だ。
仲間を守るための、決死の攻撃だ。
意識を失いながらも、彼女は一番大事なことだけを覚えていたのだ。
それが彼女の冒険者としての最後の矜持か。
けれど。
イサギには、その秘剣の隙が見えてしまっていた。
全ての刃は同時に現れるのではない。
空気の揺らぎによる出現パターンがわかれば、簡単なことだ。
斜め前に体を滑り込ませる。
ただそれだけで、彼にはかすりもしない奥義だった。
「え」
プレハの瞳の焦点が急速に合う。
笑みがこわばり、彼女は事象を認識した。
絶対的な力の差。
絶望的な力の差。
プレハは、英雄には、なれなかった。
三人の魔術師たちも、一斉に魔術を唱えようとするが。
もう手遅れだ。
彼らにとっての悪夢は、ここにイサギがいたこと。
そして、リヴァイブストーンを使用してしまっていたこと。
「――ラストリゾート」
魔王城地下広間に一筋の極光が瞬いた。
次の瞬間、四人の冒険者はその場に崩れ落ちた。
「あ」
膝が床を叩き、そのまま彼女は地に伏した。
糸が切れたように倒れたプレハは、手を伸ばす。
イサギと名前を呼んでいた少年。
彼は目を見開いたまま、地に横たわっていた。
「あ……あ、あ……あ?」
プレハは手を伸ばす。
けれど、それは届かない。
少年も彼女を見つめることはない。
すでに死んでしまっているのだから。
プレハの顔が歪んでゆく。
「あ、ああああああ……」
イサギは“目”によって、
四人にかけられた回復禁術を打ち消したのだ。
彼の扱う禁術の名は、『破術』。
魔術を、法術を、コードを、闘気を、魔法を、禁術を、
あるいは時には、その存在をも破潰することのできる力。
回復術を砕かれた彼らは、もはや魂を自ら支えることもできなかったのだ。
心臓に埋め込まれた生命維持装置を奪われたかのように。
三人の魔術師たちは、即死していた。
だが、彼らはまだマシだ。
ただひとり、魂の強度を保っていられた少女がひとり。
生き残っていたプレハは、精一杯腕を伸ばしながら。
突然、絶叫した。
「あああああああああ
あああああああああああああ
ああああ
あああああああ
あああああああああああ」
その体が本人の意思とは裏腹に跳ねる。
全身が痙攣して、彼女の口からは泡が漏れた。
体液を吹き出しながら、少女は地獄のような激痛を味わっていた。
回復術によって麻痺させられていた苦痛が、一気に彼女に襲いかかったのだ。
これもまた、禁術の副作用だ。
それでも彼女は少年に手を伸ばしていた。
プレハの名を持つ少女は、イサギの名を持つ少年へと。
目から滂沱の涙を流し、
ただそれだけが心を繋ぎ止める全てであるかのように。
もういいだろう。
終わらせてあげよう。
イサギは少女の持っていた晶剣を拾う。
軽く振って、その紫色の刃を確かめる。
(……)
一体、どこでこの少女は間違ったのだろう。
もしかしたら彼女だって、ウェディングドレスを着るような。
そんな未来があったかもしれないのに。
こんな最果ての地で死ぬこともなかったのに。
無常感が胸中を満たしていた。
イサギは剣を掲げ、
そして振り下ろした。
絶叫が止む。
ただ静寂だけがその場に残った。
血のついた剣を放り投げて、イサギは大きなため息をついた。
許されるのならば、その場に頭を抱えて座り込んでしまいたいけれど。
だめだ。
自分はまだ戦わなければならない。
思いを踏みにじらなければならないのだ。
それが力を持つものの宿命だから。
そうして、ふと気づく。
少女の遺体の近くに、冒険者カードが落ちていた。
思わず拾い上げる。
彼女の能力やギルドネームが描かれている表側。
S-級冒険者。
それがどれほどのものかわからなかったが、相当な使い手のようだ。
そうして裏面。
そこには、彼女の手書きと思しき殴り書きがあった。
すぐに後悔をした。
見なければ良かった、と。
唇を噛む。
(……俺だってそうさ、プレハ……
お前とずっと、いられると思っていたんだ……)
気力がなくなったときには、彼女のことを思い出してしまう。
それがイサギの心を支える唯一のものだから。
(なあ、プレハ……
信じていてもいいんだよな……
お前はまだ、この世界で生きているってさ……)
四人の死体を地下に残して、イサギは階段を登ってゆく。
かすかな希望と喪失への抵抗が、彼を支えていた。
少年の去った地下室。
揺れるろうそくの火に照らされ、四体の遺体が残る。
地下室に横たわる屍には、
一輪の花も捧げられはしないだろう。
そこに棄てられたカードには、こう書いてあった。
>『 いつまでも一緒だからね、イサギくん!
プレハ・クリューゼル 』