3-4 はたらく自宅警備員さま
デュテュとリミノが血相を変えて城内に戻ってくる。
ミョルネン公がやられたと、彼女たちは言っていた。
兵士たちや魔王候補が集まってくるが、その中にイラはいなかった。
デュテュはしばらくその場で息を切らせていたが。
その目元の涙を拭い、すぐに声を張る。
「い、イラちゃん! シルベニアちゃん!
お、おじ様が!」
その動転した様子を見たシルベニア。
体育座りをしていたが、むっくりと起き上がる。
「て、敵が、冒険者が、すぐそこに、そこに!」
「……」
閉じられた城門の奥を指すデュテュ。
シルベニアは空を見上げていた。
そこに光があがる。
「魔術弾」
「えっ?」
慌てて振り返るデュテュ。
小さな紫色の光源が、青空を引き裂くように飛んでゆく。
ともすれば見落としてしまいそうなそれだったが。
「……イラは負けたの」
「えっ? えっ?」
「郊外での戦い。
敵の数は残り八人。少なくともA級以上の冒険者の徒党」
「そんな」
デュテュは青ざめた。
城門の外にも冒険者たちはいるのに。
その上、イラまで敗北して、さらに八人?
もうだめだ。
デュテュはその場でふらついた。
そのまま卒倒してしまいそうな勢いであったが。
踏みとどまった。
若き魔王城の主は、目を閉じて深呼吸する。
ついにこの日が来た。
だけど、それは自分が選んだ道だ。
当主として、覚悟を決めるときがやってきた。
目を開く。
そこには意思の輝きがあった。
ピクピクと揺れる尻尾を、ピンと伸ばし、
デュテュはシルベニアに頭を下げた。
「……シルベニアちゃん、
いつものように、お城の防衛をお願いします」
「うー。
超絶めんどー」
いつもと変わらぬ顔でうめく。
彼女に気負いはない。
シルベニアは両手を広げた。
コードを展開し、つぶやく。
「……術式・反落下術……」
すると、彼女の体がふわっと浮き上がった。
両手で前後からスカートを押さえながら、シルベニアはゆっくりと飛び上がってゆく。
この場にそのコードを理解できるものはひとりもいなかっただろう。
デュテュはさらに、鎧を着込んだ副軍団長と、その部下たちに告げる。
「皆様はここに残って、冒険者たちを食い止めるのです。
相手はお強い方々ですけれど……でも、その、とってもがんばりましょう」
胸を押さえながら小さくうなずくデュテュ。
兵士たちは二十数名。心もとない人数だ。
さらにデュテュはリミノたちに。
「リミノちゃんと魔王候補さま方は、城内の方々の避難の誘導をお願いします。
裏の隠し門から外に出られるはずです。
イサさまが補修してくださっておりましたので。
その後は、西部の、えっと、ブラザハスを頼ってください」
「う、うん、わかった、けど……」
優しくしてくれた人が殺されて、リミノも平静ではいられないようだった。
けれど、今はすることがある。
リミノはデュテュに尋ねる。
「それで、その、デュテュさまは、どうするの?」
「わたくしは……」
サキュバスの姫はキュッと口元を引き締める。
「こ、ここで、皆様が脱出するまで、時間稼ぎをいたします。
冒険者たちの狙いは、きっとわたくしですから、その、効果は抜群だと思います」
デュテュの足は震えていた。
彼女がどれほど戦えるのか、リミノは知らない。
だが少なくとも、イラが倒された相手たちと戦って、無事でいられるわけがないだろう。
「デュデュさま……」
「いいのです、リミノちゃん。
わたくしは生まれたときから、いずれこうなるものだと思っておりました。
魔王候補さま方が生きておられたら、それでいいのです」
リミノの手を取って、デュテュは優しく微笑む。
エルフの王女は息を呑む。
それから思い出したようにつぶやいた。
「……そ、そうだ、お兄ちゃん、お兄ちゃんは?」
「イサさまですか?
先ほど、どちらかにゆかれていたようですが……」
戸惑うデュテュに、リミノは力強くうなずく。
「リミノ、お兄ちゃんを探してくるから!
だから、だから、無事でいてね……!」
「あっ、リミノちゃん!」
リミノは言うやいなや、ドレスの裾を破る。
上等な生地だが、そんなものに構ってはいられない。
そうして、駈け出す。
心配そうに彼女を見送るデュテュ。
そこに、歩み出る人影。
「大体事情はわかったけどよ」
今までで事態を静観していた廉造だ。
「つまり、姫さんが持ちこたえている間に、
オレたちは脱出すればいいわけだな」
「は、はい、そうです。
もしかしたら、あまりお時間は稼げないかもしれませんが……お願いします」
「だとよ、愁」
廉造が振り返り、愁を見やる。
愁はいつものように、笑ってはいなかった。
「なるほどね、廉造くん」
「ああ」
愁はいつの間にか、両手に剣を持っていた。
そのうちの一本を廉造に放り投げる。
片手で受け止めて、うなずく廉造。
鞘に収まった剣を肩に担いで口元を歪めた。
「まあ、ありえねェな」
「ないね」
「え……?」
廉造はデュテュを手で払いのけて、自ら前に出た。
「確かにな、てめェらの勝手な都合で呼び出されて、面倒くせェ日々だったさ。
愛弓が待ってるっつのーのに、四ヶ月もな。
けどな、それとこれとはまた別の話だ。
女どもを戦わせて、オレたちが引っ込んでいるなんて、できねェだろ」
廉造はそれが当然のように言い切る。
愁も苦笑いを浮かべていた。
「存外フェミニストだね。廉造くんも」
「ああ? ンだそりゃ」
廉造と愁は城門の方に歩いてゆく。
デュテュが止めた。
「お、お待ちください!
魔王候補さま方が倒されたら、もう、わたくしたちには希望は……」
「あ?」
「ひっ」
廉造が苛立たしげに振り返ってきて、睨む。
その眼光にデュテュがすくみあがった。
廉造は少し考えて、それから怒鳴った。
「ンだな、慶喜!」
「は、はい」
デュテュとリミノが戻ってきてから、
ずっと動けずにいた少年に、廉造は告げる。
「テメェはこの姫さんと一緒に逃げろ。
オレたちがやられたそんときには、魔王にでもなんでもなりやがれ」
「い、いや、でも……」
なにかを言おうと口ごもる慶喜。
目を泳がせて、立つ瀬がないような顔をして。
そんな彼に廉造の怒号が飛ぶ。
「あ!?
だったらてめェ、戦えンのか!?」
「ひっ」
「これはいつもの訓練じゃねえんだぞ!
人を殺せンのか!? できるっつーんだったらついて来いや!」
廉造は彼を突き放していたわけではない。
だが、慶喜には手を伸ばすことはできなかった。
「あ、ああ、ぼ、ぼくは……」
慶喜に動揺の色が広がってゆく。
愁が廉造の肩に手を置いて止めた。
「廉造くん、人には向き不向きっていうものがあるんだよ。
怖いのは僕だって同じだよ」
「わかってンだよ、ンなこた」
もちろん廉造とて怒っていたわけではない。
この場は慶喜に言うことを聞かせるために、そういう振りをしていただけだ。
けれど、慶喜は。
「ぼくは、ぼくは……」
去ってゆくふたりの少年の背中を見つめながら。
彼にできたのは、ただ、震えることだけだった。
◆◆
ただひとつだけ言うならば、相手が悪かった。
イラは紛れもなく熟達の剣士であり、強力な斥候だ。
これまでも魔王城を守り続けてきたのだったが。
しかし、ゼッドはそれを容易に上回った。
彼の名はゼッド。“空を落とす者のゼッド”である。
翼をもがれたイラは、大地に横たわっていた。
背中からはおびただしいほどの血が流れ落ちている。
魔術よりも鋭く速い矢を受けたのは、初めてだった。
射落とされたイラは地面に墜落することだけは避けたが、そのまま魔術の直撃を浴びる。
機動性を奪われた天鳥族に、もはや勝ち目はなかった。
たった一本の矢が、イラの過去と未来を奪ったのだ。
ゼッドは大弓を背負い直すと、
死にぞこないの魔族を指さし、メンバーに命じる。
「そいつは殺すな。天鳥族の買い手は多い。
口を塞いで土の中に埋めておけ。帰りに回収する」
やられたのはふたり。
思ったよりも被害が多かったな、と思う。
ひとりをその場に残し、残る七人は進軍する。
ここからがA+級ギルド<トレビュシェット>の本領だ。
(その相手が“魔王城”というのだから、
俺たちは、来るところまで来てしまったな。
丘の向こうに、魔王城はそびえ立っている。
あれだけのデカブツを相手にするのは、さすがに初めてだ。
「マスター、いつでも行けます」
「ああ」
ゼッドを除く六人の魔術師たちが、射程範囲に入ったことを告げる。
「さて、お仕事の時間だ」
かつての魔王城は堅牢な魔法陣障壁に覆われていたという。
だが今のあれは、生身の剥き出しだ。
長距離からの魔術により、魔王城そのものを破壊する。
それがギルド<トレビュシェット>に与えられた任務だ。
イラの妨害はあったが、それでも遅れは十分取り戻せる。
魔帝アンリマンユの娘や魔王の討伐は、潜入班が果たす。
ゼッドたちのやるべきことは、それら以外の魔族たちの殲滅だ。
「撃て」
手を掲げて告げる。
六人の魔術師が一斉に魔術を放った。
城壁破壊にもっとも適した魔術――爆砕火砲だ。
土術と火術の複合魔術であるこの砲撃は、着弾と同時に爆発する。
その破壊力は、絶大。
強固な鱗に覆われたドラゴン族をも、一撃で絶命し得るものだ。
六発の魔術弾はそれぞれ、魔王城前面の城塞に迫り――
しかしその全てが、障壁に阻まれて空中で爆砕した。
六つの大輪の花が、城壁付近に咲き誇る。
散った火の粉は大地に降り注ぎ、赤い光を輝かせた。
(やはり、一筋縄ではいかないか)
この城を守る、魔王の娘の両翼。
ひとりはイラ、そしてもうひとりが――
「A+級討伐対象、“銀魔法師シルベニア”」
イラが剣ならば、シルベニアは盾だ。
彼女の存在こそが、魔王城の障壁魔法陣そのものである。
「破る必要はない。打ち続けろ。
俺達がシルベニアを釘付けにしている間に、中の連中がうまくやるさ」
そう言った瞬間だ。
光が瞬いた。
魔王城物見塔から一筋の光線が放たれる。
こちらの魔術発動地点を予測した、打ち返しだ。
魔術ではないため、発動の予備動作はない。
放たれてから避けるのは困難だ。
だが、すでにゼッドたちはそこにはいない。
魔術師たちは術を放つと同時に、それぞれが四方へと走り出していた。
シルベニア。噂通りの実力だ。
六人もの一流の魔術師から城を守りながら、それでも魔法を打ち返してくる。
それがシルベニアという術師なのだ。
「魔術を休めるな!
気を抜いたら撃ち殺されるぞ!」
ゼッドが叫んだその瞬間だ。
今度は、魔術団一個隊にも匹敵するほどの火炎弾が、空から降り注いできた。
(おいおい、いつの間にコード書いてんだ……)
ゼッドたちは慌てて身を翻す。
避けたその背後では、なにもかもを燃やし尽くすような雨が地を叩いている。
こちらの位置を捉えているわけではないだろうが、それにしても範囲が広すぎる。
少数精鋭ではなく、例えば軍などで魔王城に攻め込んでいたら、
騎士団はこの一撃で半壊してしまっていただろう。
魔王城の周辺が、荒地にもなるわけだ。
<トレビュシェット>の魔術師は手を休めずに炎を打ち込んでいる。
どこからいつ来るかもわからないような砲弾の嵐を、しかしシルベニアはたったの一発も通さない。
次から次へと魔王城を守るように障壁が展開されては消えてゆく。
少しでも魔術の発動が遅れた者がいれば、そこを狙って連続で魔法を浴びせてくる。
六枚の障壁を同時に張るというだけでも、神業なのに。
(これでA+か? 嘘だろ)
ゼッドは歯噛みした。
せめてこの長弓の届く範囲まで近づけなければならない。
(参ったね。こっちは予想以上だ。
これは全滅もあり得るぜ、おい)
手筈通りにイラを倒せたので、図に乗っていただろうか。
そんなつもりはなかったのだが。
どうやら、貧乏くじを引いたのは、自分たちだったようだ。
デュテュ:もうなにも怖くない。
シルベニア:はたらく、自宅ならぬ自城警備員。魔王城のセコム担当。
リミノ:お兄ちゃんを探しに走る。ドレスを破ったお姫様。
廉造:もうなにも怖くない。
愁:もうなにも怖くない。
慶喜:怖い。
イラ:再起不能。
ゼッド:ラウンド2苦戦中。こんなの絶対おかしいよ。