2-8 魔王たちの稽古:術式編
魔術の授業には、イサギも出席している。
剣術とは違い、その成長速度に経験が左右されにくいためだ。
現に慶喜などは、すでにイサギよりも魔術を自在に操っている。
こればかりはやはり、センスとしか言いようがない。
慶喜は見ての通りだが、愁もかなり上手く魔術を操っている。
愁はすでに、一流魔術師クラスの実力を備えている。
慶喜にいたっては魔術師のエリート、宮廷魔術師にすら並ぶだろう。
やはり一般人と彼らとの、最大魔力量の差は大きい。
コードを何十分でも何時間でも書き続けることができるのだ。
それだけ練習することができる。
例えるなら、絵画を描くためのあらゆる道具が揃っていて、絵を描くための時間が無限にある、というものだろうか。
イサギは常人にしては並外れた魔力容量を誇るはずだが、それでも三人と比べればまだ低い方だ。
ましてリミノなどは、すぐに机に倒れ込んでしまう日々だ。
息を切らし、そのすべらかな肌には玉の汗が浮かんでいる。
「うぅ……つ、疲れたぁ……」
20分、魔術を使用しただけでもこの有様だ。
エルフというのは他の種族に比べて、元々の魔力が多いというのに。
もっとも、シルベニアに言わせると。
「これが本来のあるべき形なの。あなたたちは頭がおかしいのズルいの」
ということらしい。
むくれながらそうつぶやいていた。
初心者が魔術を練習するためには、とにかく時間が足りないものだ。
一日で魔術に充てられる時間は20分。ひとつのコードを10秒で描くことが出来れば、理論上は一日の戦闘中に120個の魔術を使えることになる。
だが、一日20分の練習で、ひとつのコードを10秒で描くようになるためには、少なくとも20年はかかる。
これを一日12時間練習ができるものがいたら、どうだろう。
単純に36倍の差ではない。長時間の訓練はそれだけ早くコツを掴むことができる。100倍、あるいはそれ以上の速度で習熟することができるのだ。
これが魔王候補たちのチートなところである。
(というわけで、一から頑張ってみるんだぜ……)
イサギは基礎から魔術を勉強し直すことにしていた。
魔術は用途によっては相当に便利だ。
結界法術を覚えれば、それによって救える命だってあるだろう。
落ち着いて勉強ができるこの環境は、三年前とは違う。
あのときは実利を求めるしかなかったのだから。
「というわけで、きょうは新しいことをお勉強しようと思うの……
だけど、その前に……えと」
シルベニアは眉根を寄せて、イサギを見つめている。
こちらを見られても。
本日の席順は昨日と違い、愁が一個後ろに下がっている。
そして代わりに、デュテュが座っていた。
「うふふぅ、楽しみ~、楽しみ~」
両手を叩いて喜んでいる魔帝の娘である。
シルベニアは非常にやりづらそうだ。
この少女にも苦手な人がいるようだ。
「……どうしてここにいるの? デュテュ」
「えー、だってみんな楽しそうなんですもの。ねー、リミノちゃん?」
「リミノは遊びでやっているわけじゃないんだけどぅ……」
「いいじゃないですか、わたくしも混ぜてくださいよー、ねー、イサさまぁ?」
「えっと……」
正直、この姫様が魔術の授業についてこれるとは思えなかった。
開始五分で眠ってしまうような気がする。
「たーのしみぃ。ね、シルベニアちゃん、きょうはなにをして遊ぶの~?」
「……」
シルベニアはしばらく帽子のつばを持って塞ぎ込んでいた。
自分の世界に閉じこもってしまったのだろうか、と少し心配になる。
が、その後。
彼女は両手でチョークを掴むと、凄まじい勢いで板書を始めた。
皆があっけにとられる中、細かい字でびっしりと魔術のコードらしきものを書き込んでゆく。
二刀流だというのに、その精緻さはまるで彼女の奥義であるかのような複雑さだった。
十秒そこらでコードを描き切ったシルベニア。
彼女はチョークを置くと、冷たい目でデュテュに言い渡す。
「デュテュはこれ全部ひとつ残らず完璧に完全解読するの。
終わるまで絶対にこの部屋を出ちゃダメ出たら殺す殺しまくるから。
さ、他の人はきょうはお外で授業するの」
パンパンと手を叩いて皆を促す。
生徒たちがぞろぞろと教室を出る中。
後ろから、デュテュの悲痛な泣き声が聞こえてきたのであった……
というわけで、いつもの中庭である。
気持ちのいい青空授業だが、シルベニアは相変わらず不快そうだ。
「きょうは法術をやってみるの。
めんどーだけどリクエストもあったことだし」
最前列に座っているリミノがこくこくとうなずいている。
いつの間にか、イサギの知らない間にリミノは術式にのめり込んでいるようだ。
それはともかく。
「魔術は魔力を使って魔世界を乱す力。
では法術は、というと」
普段通りにシルベニアは見えない筆を使って、世界にコードを書き込んでゆく。
だがそれは、塗りつぶしただけの絵だった。
「これが法術のひとつ、最も簡単な《障壁》なの」
「え、なにこれー?」
リミノが首をひねる。
「壁来い来い」
その声でシルベニアは法術を発動させる。
すると縁取られた世界に真っ白な輝きが満ちた。
「つまり、魔世界のエネルギーの爆発を、同じように爆発で防ぐこと。
これが障壁なの。
といってもこのままでは強度が足りないから、さらに先を目指すなら書き込みが必要なのだけど。
でも結界術は、魔術を使える人ならすぐにコツを覚えられると思うの。
コードがすごく簡単だから、同じレベルの術者同士の打ち合いになった場合、魔術は必ず法術に負けるようにできているの。
魔術は様々な命令を書かなきゃいけない。
『翔べ』、『狙え』、『速く』、『鋭く』、たくさんコードが必要なの。
けど、法術は『守れ』のコード一言で済む話だから楽ちんポン。
だから、魔術で法術を破るためには、腕を磨くしかないの」
法術の結界術と魔術は、本当に元が一緒だ。
防御に使う魔術が法術。そういう区分で間違いはない。
だが、ひとつだけ例外がある。
「けれど、治癒系術はまた別なの」
魔術も法術もどちらも、魔世界に働きかける術式だ。
しかし治癒術だけは違う。
「あれは魂世界に干渉する禁術をあたしたちが問題なく使えるように、可能なまで薄めたものなの。
魔力は魔世界にちょっかい出す力だけど、そこを越えた先に魂世界があるの。
そのためには魔世界に魔世界を越えるためのコードを書き込まなきゃいけないの。
そうして魂世界に到達し、そこで魂にあたしたち術者の魂を分け与える。
これが治癒術。
片道切符の限定的な禁術。それが治癒術の正体なの」
リミノは口をぽかんと開けて、シルベニアの説明を聞き入っている。
シルベニアは眉根を寄せてから、それからコードを書き出す。
「……えと、これが治癒術」
やはりそれもまた複雑だ。
それに、魔術とは内部構成がまったく違う。
「その上、治癒術師は己の魂を削っちゃうから、あんまりオススメできないの。
ある程度は魔力で埋めることもできるけれど、そこに行き着くまでにほとんどの術師は死んじゃうから。
優れたセンスを持った治癒術師は、魔法師と同じぐらい貴重なの」
「そうなんだ……」
さらっと事実を伝えるシルベニア。
リミノはやはり顔を暗くした。
この世界には、ロールプレイングゲームに出てくるような、本来の意味での回復魔法は存在しない。
治癒術はあくまでも相手の生命力を高めるだけのものであり、怪我を治すことはできないのだ。
切り傷や擦り傷、あるいは部位欠損などにも効果はない。
全て、自己回復の速度を早くするだけである。
もちろん、死者を蘇生するなんていうこともできない。
解毒は毒に対する抵抗力をピンポイントに活性化させる魔術であり、毒そのものを排除することは不可能。
治癒術師は治癒術の使い手であると同時に、医術者でもあるのだ。
そのことを聞いて驚いたのは、リミノだけではない。
「……つまり、怪我をして指でも吹っ飛んじゃったら、そのままってこと?」
「モチのロンなの」
愁の問いに、シルベニアはうなずく。
続いて慶喜。
「え、じゃあ、死んじゃったら死んじゃうってことすか?」
「そんなの当たり前なの。当たり前すぎるの」
「がーん」
頭を揺らしてショックを受ける慶喜。
シルベニアが付け加える
「もっとも、指ぐらいなら治癒術をかけ続ければ多分そのうち生えてくるの。
魂が本来のあるべき姿に戻ろうとするから。
それでも相当な時間がかかっちゃうと思うけれどけれど」
それはあまり慰めになっていないようだった。
改めてこの世界のシビアさを知り、愁や慶喜は悲痛な面持ちをしていた。
ヤンキーだけが相変わらず少し離れた位置で、憮然としている。
「これから魔王候補さまたちには、自分の専門とする術式を選んでもらうの。
火でも水でも風でも土でも、追尾でも広範囲でもとにかく遠距離でも連発でも。
結界でも治癒でも反射でも、多重詠出術でも輪転詠出術でも神速詠出術でも。
とにかく冒険者に通用する魔術を得るためには、自分の強みをひとつ見つけることが大事なの。
剣術はオールラウンドに、魔術はエキスパートを目指す。
これは戦いの常道なの」
びしり、とシルベニアは皆を指さす。
「というわけで、魔王候補のお偉方々。
自分の戦闘スタイルを把握して、そろそろ自分の目指す道を決めるの。
はよはよ」
まるで進路志望のようだ。
例えば、剣術が得意な愁はどちらかというと結界術を覚えたほうが役に立つだろう。
相手の行動を阻害するために土や風の術があれば、ますます優位に立てるはずだ。
対して慶喜などは、相手に剣で斬りかかることがあまり達者ではない。
ということは、火の魔術を多用し、相手に付け入る隙を与えない魔術師が向いている。
リミノは、本人がどうも法術中心の腕を磨きたいようだ。
魔王候補のようにはいかないが、目標ができたのはいいことだと、イサギは思う。
そして。
「……」
ヤンキーはシルベニアの話を聞いても、黙ったままだ。
彼は剣術でも出遅れていて、さらに魔術の実力も十分なものではない。
きっと自分に焦りを感じているのだろうとは思うけれど。
と、イサギはふと気づく。
「シルベニア、そういえばどうして外に出てきたんだ?」
魔術を法術で防ぐ訓練をするのかと思ったけれど、そうでもないようだ。
するとシルベニアは、したり顔でうなずいた。
「デュテュがウザかったの」
「素直にもほどがある……」
呆れる。呆れるより他ない。
その夜、イサギは気配を感じて目を覚ました。
床には板が張り付けてあり、とりあえずの応急処置が済んだ自室だ。
ちなみに慶喜はまだ別部屋に住んでいる。
封術がまた暴走すると危ないので、ということで、兵士の監視下にあるのだ。
だから最初は、リミノが忍び込んできたのかな、とイサギは思った。
彼女は最近ずっと倒れるまで魔術を使い、それに加えてメイドの仕事もこなしているため、夜はドロのように眠っているらしいが。
それでもたまには息抜きをしたい、ということなのだろうか。
イサギが薄目を開けて待つと、部屋のドアがゆっくりと開いた。
何者かは、足音を潜めてこちらにやってくる。
どうしようか。
驚かしてやろうか。
しかしすぐに気づく。
リミノではない。
「……おい、起きてんだろ」
ヤンキーだった。
「なんでここに」
イサギが身を起こすと、ヤンキーがそっぽを向く。
暗闇の中でもわかる。
彼はわずかに頬を染めていた。
その体温が少し上昇しているのも感じる。
え、ちょっと。
うそだろう。
イサギが嫌な予感に身を固くしていると。
ヤンキーはポケットに手を突っ込んだまま告げる。
「オレと付き合ってくれねえか」
ド直球だ。
男らしい。
ある意味で感心してしまう。
なんてやつだ。
ヤンキーこと足利廉造をあまり真正面から見たことはなかった。
だが、彼は実は相当な美形だ。
切れ長の一重は、色気まで備えている。
粗野な言動と粗暴なイメージのせいで、そうと感じることは少ないが。
また、体も筋肉質で均整が取れている。
背も高い。
現代日本では、さぞかしキャーキャーと騒がれただろう。
ヤンキーははっきり言えば、外見はかなりいい男である。
その彼が頬を染めながら付き合ってくれ、と。
これはかなりグッと来るシチュエーションなのではないだろうか。
さらに彼は今までこの異世界で、誰とも関わらないようにして生きてきた。
イラやシルベニアと言葉を交わすのも、最小限。
愁や慶喜には近づこうともしない。
そんなヤンキーが、自分だけに心を開いてくれたのだ。
このことに特別な意味を感じずにはいられない。
まあ、それもこれも全部。
イサギが男色だったら、の話なのだが。
(なるほど。
プレハの無事を確かめるまで、俺は浮気をしないと決めた。
だが、男同士だからこれは浮気には当たらない、ということか)
納得し、うなずく。
いやいや。
そんなわけがあるか。
大体、それならもっとマシな相手を選ぶ。
どちらかというなら、イサギはヤンキーより愁のほうが好みだ。
愁は女顔のイケメンだし、いつも浮かべている笑みは柔和だ。
彼が怒ったところは、見たことがない。
現代日本ではさぞかしモテていたことだろう。
愁に抱かれるのならともかく、ヤンキーなど。
いや、愁に抱かれるのも本当なら勘弁したい。
イサギはノーマルだ。
というわけで。
頭を下げる。
「すまないが、足利……俺には、心に決めた人が……」
「はあ?」
ヤンキーは顔を歪めて問い返してくる。
だが、すぐにその意味に気づいたようだ。
顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。
「ち、ちげええっつーの! テメェはバカか!?」
「あ、違うのか? なら良かった」
「なにくだらねえ想像してんだよ。バカか」
「いやでも足利、かなり本気そうだったから……」
「ッ!」
ヤンキーはうざったそうに髪をかく。
この数週間で彼の髪もずいぶんと黒い部分が増えてきた。
いわゆる、プリン頭というやつだ。
「なんだってこんなやつに……クソっ」
「じゃあなんだ? 足利。どこに付き合えばいいんだ」
「とりあえず、オレのことは廉造でいい」
「そうかい、廉造」
ヤンキー――改め、廉造は外を顎でしゃくる。
「表出ろ、イサ」
イサギは彼を見上げながら思う。
そうか、これはデートの誘いではなく。
喧嘩の申し込みだったのか、と。
シルベニア:口が悪い。デュテュいじめのスキルが高い。
デュテュ:ウザいらしい。置いてけぼりにされて泣く。
廉造:筋肉質ないい男。だけどプリン頭。
イサギ:廉造に寝込みを襲われる。愁が好みだけどホモじゃないよ全然ホモじゃないよ。なにを言っているんだよ全然ホモじゃないよホモじゃないに決まっているじゃない大体ホモってなんだよ意味がわからないし俺プレハ一筋だしリミノとかデュテュにときめいちゃっているしホモとか違うしノーマルだしマジノーマルだしノーマル過ぎるしホモとか都市伝説だしおいやめろ馬鹿この物語は早くも終了ですね