14-8 共に、我らが魂を燃やして
星型第三要塞リアファルを背に、元魔王候補たちは立ち並んでいた。
荒野に立つ青年は、大勢の神族を従えながら佇む。その手には、ミストルティンの杖を持っていた。
あの、何の変哲もない青年が神族たちの王アルバリススであると、初めて見た者はとても信じられないだろう。それは魔王候補たちも同様だった。
アルバリススの周囲には、空気が凍りつくような底知れぬ雰囲気がある。だが、それだけだ。圧倒的だというのなら、先ほどの兵長たちのほうが強者であるように思えた。
しかしアルバリススが掴んでいるのは、あの女神ルナの髪である。
凄まじい魔力を持つルナをまるで子ども扱いしているのだ。並の相手ではあるまい。
元魔王候補たちの誰もがアルバリススの戦闘力を測りかねて、攻撃を仕掛けられずにいる。状況は意図せず膠着状態にあった。
そんな中、アルバリススを見て顔を歪めながら、愁が口を開く。
「……その娘を放せ」
愁の視線はルナを掴むその腕に注がれていた。
しかし、アルバリススの顔は冷やかである。
「お前の言うことを聞くいわれはないな」
「そうか。ならば僕は僕自身の力で彼女を助けよう」
そう言った直後――、愁はかざした手のひらの中心から、一本の光の鎖を打ち出す。それはうねりをあげながらアルバリススのもとに迫った。
王はわずかに目を細める。
「獣めが」
アルバリススが虫を払うように手を動かす。
ただそれだけで、ふっと愁の魔法がかき消された。いったいなにをしたのか、その場の皆にはわからなかった。
アルバリススは児戯を嘲笑う口振りで、しかしそこになんの表情も浮かべずに言い放つ。
「鬱陶しいぞ。大人しくいていれば、楽に殺してやろう」
「……戯言を言うな、ルナは生きているんだろうな」
「当たり前だろう。俺は子殺しの咎を背負うつもりはない」
青年は悪びれもせずに言い切った。
まるで自らの絶対的な正しさを妄信しているようだ。
拳を握り、愁が叫ぶ。
「そこまで痛めつけておきながらどの口が言うのか! 貴様!」
これほど強い口調で声を荒げる彼の姿を初めて見た慶喜は、面食らった。
実際、ルナは生きているのが不思議なほどに打ちのめされているようだった。
全身に青あざが浮き出ており、腕や足は血まみれだ。髪の間から見た限りでは、鼻や口からも血が流れていた。
ルナが人間だったなら、とうに死んでいただろう。生きていられるのは、神族の体が凄まじい回復力を誇っているからに過ぎない。
愁は、魔族に無関心を貫くアルバリススに指を突きつけた。
「ならば力づくで奪ってみせよう」
「そうだな、お前たちはそういうことが得意だろう。自らなにも創らず、誰かから奪い取るのが大好きなやつらだ」
アルバリススは冷笑ともつかない顔で、鼻を鳴らした。
「この俺からなにかを奪おうとした者は、皆、殺してきた。生き残っているのはルナだけだ。この娘には、今から生き地獄を見せてやる。お前たちはそのために、まずあの世に送られるのだ」
「――舐めンなよ、黙って聞いてりゃ、テメェ」
首を鳴らして、廉造が前に進み出た。
「デカブツどもを連れて、大層な顔をしてやがるじゃねェか、オッサンよ。だがテメェはどれほどのものだっつーンだ」
「そ、そうっすよ! 物騒なことばっかり言って、しかも自分の娘さんを痛めつけるとか、しつけにしてもやりすぎっすよ!」
同じように慶喜も叫ぶ。
アルバリススから視線を向けられて、「ひっ」と悲鳴をあげながら一歩後ずさりをする慶喜であったが。
王は獣たちの言葉に耳を傾けず、首を振った。
「お前たちがいくら吼えようが、無駄だ。俺はお前たちのような者たちを何十人、何百人と見てきた。誰もが似たようなことを言う。だが結局、力なき者の嘆きに過ぎないのだよ」
「試してみようじゃねェか、オラァ――!」
しびれを切らした廉造が走り出す。背中から花弁が開くようにして翼が飛び出た。
アルバリススまでの十数メートルを一気に詰めて、廉造はその拳を叩きつけようとする――そのときだ。
「ばかめ」
アルバリススの両眼が赤く光った。
次の瞬間、そこにいる四人の男たちは皆、全身に稲妻が走ったような激痛に襲われた。
廉造は空中で体を制御できなくなる。上下感覚を失って荒野の地面に叩きつけられた。
愁もまた、苦しみに膝をつく。慶喜は這いつくばって地面を叩いた。
誰の口からも苦悶の声が響く。
アルバリススはいったいなにをしたのか。
王はルナの頭から手を放すと、元魔王候補たちを眺めながら腕を組んだ。
「お前たちの体には俺が残した禁術のひとつ――封術が刻まれているな。神エネルギーを総べるのは俺だぞ。俺の力で俺を倒そうと望むのか? ばかめ」
淡々と答えを読み上げるような感情のない声だ。
そんなアルバリススに対し、立ち上がるひとりの男。廉造だ。
「テメェ――」
足はふらついていて苦しそうであるのに、血のように燃える瞳でアルバリススを睨みつける。
王はわずかに目を細めた。
「ほう、立ち上がることができるのか。俺の神エネルギーを魂の力で制御しているのか? これは珍しいものを見たな」
激痛に耐えながら、間近で拳を握り締める廉造。その向こう側で、さらに愁と慶喜が立ち上がっていた。
「ルナのために、お前を倒す……!」
「……ぼくだって、みんなを守らなきゃ……!」
無感情を映し出す目で、アルバリススは「ふむ」とうなる。
「よほど研鑽を積んだのだな。だが、そこの獣は様子が違うようだぞ」
廉造と愁と慶喜。皆が振り返った先には、イサギが倒れていた。
彼は脂汗を流しながら、左手で大地をこそいでいた。彼の真っ赤に染まった右腕は、不気味に脈動を繰り返している。
「イサ、くん……」
「イサ先輩!」
重い体を引きずりながら、慶喜がイサギのもとに駆け寄る。
勇者もまた立ち上がろうとはしていた。だが、体がまるで己のものではないような感覚を味わっているのだ。
なぜイサギだけが他のものたちより遥かに苦しんでいるのか。
それは、彼の体を占める神エネルギーの総量が、三人とは比較にならないほどに多いからだ。
よってイサギはアルバリススの支配の影響を非常に大きく受けていた。それが今の結果である。
何度も神化を繰り返したイサギの代償は、このようなところにも表れていたのだ――。
「先輩、先輩……!」
一方、アルバリススに殴りかかった廉造は、王から極術の衝撃波を叩きつけられて、大きく吹き飛ばされていた。
「クソ!」
直撃は免れたが、受け身を取るのが精いっぱいだ。体がまともに動かないのだ。
廉造は腕の力だけで大きく飛びのく。愁たちのところまで後退すると、苦痛をこらえるように片目をつむった。
「このままじゃ戦いにならねェぞ、愁! どうにかできねェのか!」
「……くっ!」
愁は吐き捨てるようにうめく。彼は歯噛みしながらも、両手から光の鎖をじゃらりと地に垂らした。
愁の目は横たわるルナに釘づけだ。
「君たちが無理なら、僕ひとりでもやってやるさ……!」
そう言って足を踏み出した愁の腕を、廉造が掴む。
「テメェひとりでどうにかなンのか!」
「当たり前だ! 僕はずっとひとりで戦ってきた! だったら今回だって――」
と言いかけた愁の脳裏に、だが別の言葉がよぎる。
それは――まるで戦場に不釣合いな、穏やかな声だった。
『――僕にできることは君にはできなくても、君ができることは僕にできないんだ。人はひとりでは生きていけず、互いに寄り添っていこうということだよ』
遠い昔にも思える記憶。そう言ったのは青臭かった自分自身だ。
痛みが愁を現実に引き戻す。
ともすればたやすく流されてしまいそうな真っ赤な激痛の奔流の中、愁は拳を強く握った。
そうだ、愁は四百年後のこの世界に送られて、それからずっとただひとりで戦ってきた。
ひとりでルナの役に立とうと、必死だったのだ。
誰の助けも借りず、自分が世界のすべてをコントロールすることができると信じて、周囲を利用しながら生きてきた。
ひとりで生きていけると思っていた。
その結果、どうなったか。
ルナは、そんな愁を間違っていると断じたのだ。
あのときと同じだ。愁はまた同じ過ちを繰り返そうとしていた。
今ここでアルバリススに無策で立ち向かって、ひとりで死んで、それでルナが喜ぶとでも思うのか。そんなものは己の自己満足だ。
痛みに浮かんだ汗が、愁の顎先から流れ落ちる。
「廉造くん」
「あァ?」
「すまないな」
言うなり、硬い音が辺りに小さく響く。
――愁が自らの額を自らで殴りつけたのだ。
額が割れて、髪の間から血が滴る。
愁の全身を襲い続ける激痛に、もうひとつわずかな鈍痛が加わった。
廉造は愁の自傷行為を見て、眉をしかめる。
「ンだよ、言えばオレが殴ってやったのにな」
「君に殴られるのは癪だからね」
ふたりがそんな会話をしている間に、慶喜はすでにイサギを背負っていた。
「早く、イサ先輩を安全な場所に! ふたりとも行きましょう!」
「そんなところは、この世界にはもうねェけどな!」
廉造が怒鳴り返す。
愁は倒れているルナを目に焼きつけようと、瞬きもせずに彼女を見つめていた。
王はそんな四人を睥睨しながら、やはりなんの感情も抱いていないように見える。
廉造と、イサギを背負った慶喜は、お互いに目配せをした。と、王に背を向けて走り出す。
「早く、愁サンも、行きましょうよ! 撤退っすよ!」
「……ああ」
愁は振り返りざま、アルバリススに宣戦布告をする。
「ルナは必ず取り戻す」
まずはリアファルに戻って態勢を整えよう。
――そんなことを考える愁の背に、アルバリススの声が届いた。
「逃げるのか、お前たち」
周囲の砂塵が舞い上がってゆく。
土の中に染み込んでいた魔力が、一点に集中していっているのだ。
愁は慌てて振り返る。
王は握り締めた杖の先に極術の力を集めていた。
「一カ所に固まっていてくれるのなら、ありがたいな」
子どもの残酷さと、大人の冷酷さを併せ持つようなアルバリススの声。
愁の背筋がゾクッとして、鳥肌が立つ。
あの男がなにをしようとしているのか。愁と廉造はほぼ同時に気づいた。
「あの男――」
「テメ――」
愁は撤退の光を、空に高く打ち出した。
その信号をリアファルは確かに受け取る。――だが、間に合うはずがない。
全軍が一気に動き出す。大地が鳴動する。
アルバリススはミストルティンの杖を掲げた。
「あの要塞は、俺の行く先を阻む。邪魔だ」
ハッとした慶喜が振り返った。
直後、王が光を打ち出す。
真っ赤な輝きは世界を染め上げた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「……」
馬車の中の空気は、重苦しい。
間違いなくここには、敗戦の匂いが漂っていた。
アルバリススが打ち出した一度目の極術は、しかし、要塞に届かなかった。
慶喜という男が得意の自己増殖詠出術を法術に応用し、これまでにない強大な壁を作り上げ、要塞を守ったのだ。
極術の軌道を逸らすことが精いっぱいだったとはいえ、慶喜の法術は多くの人々を救った。
おかげで、人族たちは撤退の時間を稼ぐことができたのである。
だが――。
「ヨシノブさま……ヨシノブさまぁ……」
横たわる男にすがりついて泣いている少女がいた。ロリシアだ。
普段は気弱そうな顔をしているその青年。
だが、今の彼は微動だにしない。
目を閉じたままだ。
慶喜が法術に込めた魔力は、これまでにも類を見ない規模。手心など加える暇もなく、無我夢中であったのだ。
全身を襲う激痛に耐えながら魔力を放ち、そして慶喜は意識を失った。
それはまるで命を振り絞るような有様である。
事実、その顔からは血の気が引いていた。
馬車の中にいるのは、愁、廉造、そしてロリシアと慶喜。
その中の廉造が静かに首を振った。
「まったく、無茶しやがって……大した野郎だったさ、テメェは」
彼の視線はいつになく優しかった。
それは故人をしのぶようですらあった。
愁もまた、横たわる慶喜を眺めて、小さくため息をついた。
「まさか、君に助けられるとはね。慶喜くん、立派だったよ」
慶喜にすがりついていたロリシアの泣き声が、より一層大きくなった。
廉造も愁も目を伏せて、なにも言えずに佇んでいる。
静かに目を閉じているかつての仲間は、もう帰ってこないのだ。
ならば今は、その想い出に浸るとしよう。
ひと時の喪失感を胸に抱きながら、愁は首を振った。
何度も繰り返してきた知人との別れだが、やはり苦い。
それでも、自分たちにはまだまだやることがある。
ここで慶喜の死に報いるためには、アルバリススを止めなければならない。
「がんばろう、廉造くん。慶喜くんの犠牲を無駄にしないために」
「……あァ、わかってる。今度はオレたちが男を見せる番だ」
視線を交わす男ふたり。
そこに甲高い叫び声があがった。
「ってぼくまだ死んでませんけど!?」
小野寺慶喜である。彼は跳ね起きながら、思いきり叫んだのだった。
だが実際、慶喜が無傷であるかというとまるでそんなことはなく。
「さすがにもう戦えねェだろうな」
「恐らくね」
廉造と愁は馬車を降りて、そう囁き合っていた。
辺りには夜の帳が落ち始めている時間だ。
ダイナスシティへと行く道には、長蛇の列が続いていた。
星型第三要塞リアファルから撤退する敗軍の群れだ。
馬車もまた、そのしんがりをゆったりと進んでいる。
一応名目上は、決戦の場をダイナスシティに移すと愁が宣言したのだ。
なので、士気が落ちているというと、そこまでではない。
地平線上に広がる赤い巨人をイサギや廉造がことごとく打ち倒していたのだから、その興奮はいまだに部隊を包んでいる。
部隊の最後尾――つまり、廉造と愁に最も近い地点――を緩やかに走るのは、二台の馬車。ひとつは慶喜とロリシアを乗せたもので、もうひとつはいまだ昏睡状態にあるイサギを乗せたものだ。
廉造と愁は要塞へと続く道の先を見つめる。
闇に包まれている。そこから今にも神族が現れそうですらあった。
「巨人どもは、なかなか追いかけてこねェな」
「そうだね。アルバリススにとって、僕たちを殲滅させることは些末なことなのかもしれない。そのおかげで皆を逃がせているのだから、ありがたいことではあるけどね」
「ケッ、余裕ぶりやがって」
廉造はツバを吐き、足元の土をブーツのつま先で蹴る。
「イサの容態も芳しくはねェか」
「今、治癒術師たちが看病してはいるけれど、彼は身体の傷が原因で倒れたわけじゃないからね」
「……ンだな」
廉造は顎をさする。
「イサギなしでやるしかねェな」
「本気かい?」
「当然だろ。召喚魔法陣を壊されるわけにはいかねェンだ」
なぜ神族たちがダイナスシティへと進軍しているのか。それは間違いなくクリムゾンを破壊するためだろう。
その理由はかつてアルバリススがクリムゾンによって封印され、この世界を追放されたことに起因するのだが、そのことを廉造や愁は知る由もない。
愁は空を見上げた。
赤い雲に覆われた夜空だ。そこに月の輝きはない。
慶喜やイサギにも頼らず、あのアルバリススを倒せるのだろうか。
ルナが圧倒的な力の差を見せつけられて負けたのに。
この自分が、勝てるのだろうか。
ルナを救い出せるのだろうか。
最後に別れたルナは、たったひとりでも戦い抜けると言っていた。
だが、あれはいわば意地のようなものだろう。
愁はルナの助けになりたいと願い、道を誤った。
ルナは愁の手段が気に入らず、たったひとりの戦いを歩んだ。
お互い、どうして歩み寄ることができなかったのか。
今はその後悔だけがずっと、愁の心を雲で覆っている。
廉造が黙り込む愁に言葉を投げる。
「浮かねェ顔だな」
「まあね」
愁は拳を握る。じんじんとした痛みはまだ体を苛んでいた。
自分はひとりではないとわかっているはずなのだが、心中を占めるのは心細さだ。
だが、それを廉造に吐露する気はない。
「とにかく、まずはアルバリススのあの神エネルギーを支配する能力を、どうにかしなければならないな」
「はァ? 打つ手があンのか?」
「ないわけじゃないさ。思いつく方法は、ふたつある」
愁は手のひらに光の魔法を創り出し、そのほのかな明かりに照らされる。
「ひとつは僕たちの体に植えつけられた禁術を取り除く」
「現実的じゃねェな」
「同化術まで使った君は、特にそうだろうね。だからこの方法は使えない。禁術をなくしては、僕たちがアルバリススを倒すのは難しくなるだろう」
そう言うと、愁は己の手のひらの魔法を握り締める。ジュッと音を立てて光は握り潰されて消えた。
「ならば、アルバリススのほうをどうにかするしかない。僕たちの体の神エネルギーを操れなくなるようにね」
「そんなことができンのか?」
「そうすればイサギくんも戦線に復帰できる。それどころか、うまくいけば……。ま、試してみる価値はあるだろう」
愁はわずかに口元を歪めた。
そのためになにを犠牲にするのか、廉造は気づいているだろうか。
愁が己の震えを隠すように、その拳を強く強く握り締めていることを。
「価値のある賭けさ」
愁はそう言い切った。
その後、愁はギルドマスターとして撤退やこれからについての様々な指示を下すために、列中央の本陣へと戻っていった。
イサギが目覚めたのは、それからほどなくしての頃である。
馬車の中。目を閉じているイサギの頭上から、声が降り注いできた。
それは女性の声だ。
「大丈夫? イサギ」
「ん……」
現在、この世界でイサギの名をそう呼ぶ女性は、ただひとりだ。
イサギがうっすらと開いた目に、懐かしい少女の心配そうな表情が映る。
「……プレハ、か」
「うん、そうだよ」
瞬きを繰り返すイサギ。そうしていると、今のプレハが二十九歳、年相応の顔つきに変わってゆく。軽く頭を振って、イサギは意識を取り戻す。
馬車にはふたりきりだった。
「俺は、どれくらい眠っていたんだ?」
「えっと、半日は経っていないと思うけれど」
「そうか」
イサギは起き上がろうとするも、全身に力が入らなかった。
そんな青年の肩を微笑みながら抑えるプレハ。
「無理はしないで、イサギ」
「ああ、わかっているよ。ありがとう、プレハ」
「頭ではわかっているのよね、イサギは。ね?」
苦笑するプレハ。
イサギもまた、腹筋に力を入れてようやく身を起こす。
「さて……状況は? 悪い報告はあんまり聞きたくないな」
「リアファルは全壊。でも人的被害はほとんどなしだよ。あの少し丸顔の男の子ががんばってくれたからね」
「慶喜か……。大したものだな」
意識を失う寸前、イサギは慶喜に背負われたことを思い出していた。
彼の背中もいつの間にか、あんなに広くなっていたとは。そう思うと、なんだか感慨深いものがある。
だが、浸っている場合ではないというのは、わかる。
イサギは腰に手を伸ばすが、しかしそこにあるべきものがなく、わずかに眉をひそめた。
「……俺のクラウソラスは? まさか、戦場に落としてきたのか」
「大丈夫だよ、ここにあるよ」
「ああ、よかった。ありがとう」
プレハの差し出した白銀の剣を掴む。すると、鞘の中で刀身がわずかに発光をした。
ぼんやりと輝くそれを見て、プレハが小さくつぶやいた。
「なんだか懐かしいね」
「うん?」
「アンリマンユと決着をつけにいくときも、こんな風にクラウソラスが光っていた気がするな、って」
「そうだったかな……?」
「うん。イサギがいなくなったあとは、この剣をカリブルヌスが持っていたんだけどね。でも、こんな輝きを発することはなかったかな。どうしたんだろう?」
「さて……クラウソラスも世界の平和を願ってくれているのかな」
「そうかもしれないね」
プレハはくすっと笑った。
イサギはクラウソラスを受け取りながら、その笑顔を見てきょとんと目を丸くした。
「なんだ? どうかしたか?」
「ううん」
プレハは後ろに手を組みながら、わずかに体を揺らしていた。
そうして、頬をわずかににまにまと緩めながら、口を開く。
「あのね、大事な戦いの最中にこんなことを言うのは、不謹慎だから口には出さないでいようと思っていたんだけどさ?」
「なんだよ、言ってみろよ」
「うん、ここにはイサギしかいないし。だから言うよ」
プレハはそっとイサギの耳元に顔を近づけて、ささやく。
「本当に、イサギなんだな、って……。そう思っただけ……、だよ」
まるで風のように元の場所に戻ると、プレハは先ほどまでのうっとりとした表情を改めて、普段の凛々しさを取り繕った。
「がんばろうね、イサギ。わたしにできることなら、なんだってするからね」
「あ、ああ」
プレハの感情の動きについていけず、イサギは置いてけぼりにされたように戸惑っていた。
だが、彼の頬は確かに赤くなっていたのであった。
イサギが馬車を降りてゆくと、そこには慶喜と廉造が並んで立っていた。
廉造は相変わらずポケットに手を突っ込んでいて、慶喜はロリシアに介添えされている。イサギもプレハに肩を借りていたので、似たようなものだ。
「もう大丈夫なんすか? イサ先輩」
「まあ、なんとかな。……次は後れを取らないさ」
そう言うイサギたちを見て、廉造がうなる。
「ひでェ様子だな。介護が必要なやつばっかりかァ?」
「お前だってボロボロの体を、シルベニアに助けてもらっていたんだろ、廉造」
「……ンで知ってやがンだよ、テメェ」
「ただのあてずっぽうだよ。ま、外れてはいなかったみたいだけどな」
「ケッ」
「廉造先輩は硬派を気取っていて、なにげに女の子にモテモテっすからねー。まったくもってあやかりたいものですよねー、げへへ」
「そういうことを言うからお前、そこにいるロリシアがだな……」
「学習しねェやつだな」
「いやほんとそんなつもりじゃなくて、マジでそんなつもりじゃなくて、マジで。いやほんとマジで、ぼくロリシアちゃん一筋ですしマジで」
ロリシアに平謝りをする慶喜と、彼を取り巻くイサギと廉造。
その様子を見て、プレハがくすくすと笑い声を漏らした。
気づいたイサギが彼女に問いかける。
「今度はどうしたんだよ、プレハ」
「ううん。仲良いな、って思って」
「そう、かな」
イサギは複雑な気持ちで鼻の頭をかく。
慶喜とはあまり対立しなかったが、しかし廉造だ。彼とは何度も命のやり取りを交わした中である。極大魔晶を奪い合ったことだってあった。それなのに仲が良いと言われるのは、なんだかむずがゆい気分だった。
「結局俺たちは、目的のために争うしかなかったんだよな」
「あ?」
「いや、廉造が元の世界に戻る手段が見つかっていたら、俺たちは争うこともなかっただろ、ってな」
「……まァな」
さすがにプレハの前でそれを語るのは居心地が悪いのか、廉造は怒ったような顔で目を瞑る。
「愁だって同じだ。あいつも女神のために極大魔晶を探して、そして蘇生術を使おうとしていたんだ」
「つまりあいつはオレを出し抜くつもりだったンだぜ、最初から」
「……まあ、そうとも言えるけどな。別にみんなの行動を正当化しようとは思わない。俺だってそうさ。数々の罪を重ねてきた。でも、こうしてまたお前たちと一緒に戦えるのは、嬉しいさ」
「ほんとそうっすよねー! やー、ぼくもその話をしようと思っていたんすよねー!」
ロリシアの機嫌取りに苦心していた慶喜が、話題を変えるようにひときわ高くそう同意する。
廉造は深くため息をついて、プレハはまた笑い声を漏らしていた。
「面白いね、あのヨシノブくんって子」
「……そうだな」
その意見には賛成なのだが、なんとなく素直に認めたくない気持ちが邪魔して、イサギは眉根を寄せながらうなずいた。
プレハは意外と笑い上戸なところがある。育ちが良いため大口を開けて笑ったりはしないが、一度ツボに入ったらその後に何度も思い出し笑いを繰り返すのだ。
と、そこに新たなる青年の声が加わった。
「なんだか盛り上がっているようだね。僕も混ぜてもらっていいかい?」
「勝手にしろや」
うなる廉造に苦笑して、愁は片手を挙げた。
愁はアマーリエやレ・ダリス、リバイアムネたちに撤退の指揮を任せてきたことを告げると、青年たちの輪に加わった。
慶喜がわくわくと声をあげる。
「なんだか久しぶりっすね、こういうの」
「ああ、そうだな」
「二年半前の、魔王城の夜以来かな?」
「ンなモン、もう忘れちまったよ」
かつて少年だった魔王候補たちは今、青年となった。
何度もぶつかったし、何度も互いをののしり合い、時には刃も交えた。
それでもこうして、またひとつとなった。
イサギは皆を見回し、口を開く。
「俺たちは魔王城を出て、それぞれの道を歩み出した。そうだろう」
「ンだよ、いきなり」
「ぼくはまだあんまり出た気はしないっすけどね……」
「ま、僕にとっては魔王城も道の途中でしかなかったよ」
「協調性のねえやつらだな」
それも今さらだ。顔を歪めつつも、イサギはさらに語る。
「俺たちの道は様々だった。これだけ個性豊かなやつらだ。一筋縄ではいかない道のりだっただろう。身を削り、魂を削り、各々が戦い続けてきた。だが俺たちはきっと、自分たちにできることを全力でやってきたはずだ。駆け抜けたこの二年半の戦いも、あと少しで終わるんだ」
イサギはひとりひとりの目を真剣に見つめてゆく。
誰もが想いを抱きながら、その視線を見返していた。
「もう二度と交わるはずもないと思っていた俺たちの道の先には、とてつもなく大きな障害が立ちはだかっている。あの邪魔者を始末しなければ、俺たちは誰も先には征けない。これはそういう戦いだ。だが、もう少しで光に手が届くんだ。諦めてなんていられない。そうだろう、みんな」
「もちろんっす!」
慶喜が真っ先に手を挙げた。
次に廉造がうなずく。
「決まってらァ」
愁も爽やかに髪をかき上げた。
「初めて聞いたけれど、なかなかのものだったよ、君の演説も」
「それはどうもありがとうよ」
皮肉な笑いを浮かべるイサギ。
そこに「はぁぁ……」とため息が漏れた。
一同が見やる。するとプレハが微笑みながら頬に手を当てていた。
「すごいね、イサギ。わたし感動しちゃった。アンリマンユとの戦いの前にひとりで震えていたイサギは、もういないんだね? すごい、かっこいいよ、イサギ」
「いや、プレハ、今いいところだからさ」
イサギはほんの少し情けない顔をした。
すると、横から慶喜がしゃしゃり出てくる。
「プレハサンは、イサ先輩の昔を知っているんすね!」
「うん、もちろん。昔のイサギはとっても弱虫でね? 笑っちゃうぐらいに、かっこつけていてさ」
「もういいだろ、プレハ」
「ぼく、その話聞きたいっす! すごく聞きたいっす!」
「うるせえよ慶喜」
イサギがぴしゃりと切り捨てる。
プレハは含み笑いをしながら、口元に手を当てた。
「そうだね、イサギ。すごくかっこいいよ。わたし、イサギのことを好きでよかった。ずっとずっと、信じていてよかったよ、イサギ」
「……あ、ああ。任せておけよ、プレハ。お前が俺のことを忘れていようが、もう一度惚れさせてみせるつもりだったからな」
イサギはわずかに目を逸らす。耳が赤くなっていた。
プレハはにっこりと笑い、それから己の手の甲を見下ろした。
そうして、情感を込めてささやく。
「忘れないよ、わたし。イサギのこと、忘れることなんてない。これからも、絶対に」
イサギも確かにうなずいた。
プレハの素肌と同化している魔晶が儚げに光るさまを、しかしイサギは気づかなかった。
「ああ、当たり前だ。だから、平和な世界を取り戻そう」
「うん、任せて。イサギ」
ふたりを眺めていた愁が、盛大なため息をついた。
「お楽しみの最中悪いんだけど、そろそろ作戦について説明したいな。先日フラれたばかりの身としては、君たちののろけは目に毒なんでね」
「別にのろけているつもりじゃなかったが……」
「そう? わたしはのろけているつもりだったよ?」
「お前な……」
楽しそうに笑うプレハに、イサギはわずかにうなだれた。昔よりもずっと茶目っ気が増していて、自分の手には負えなくなっているような気がする。
まあ、プレハに振り回されるのは、悪い気はしない。
イサギは深く深呼吸をすると、手を前に出した。
「その前に、これぐらいはいいだろう、愁」
「仕方ないね」
視線で問うと、愁は肩を竦めた。
なにをやろうとしているのか、皆はすぐに理解した。
廉造や慶喜もやってきて、皆は円陣を組む。
プレハはロリシアとともに、少し離れた。彼女は遥かに年下の青年たちを、なにか美しいものを眺めるような顔で、見守っている。
それがまさしく自然であるかのように。
あるいは、そうすることがずっと前から決まっていたかのように。
皆がまるで、子供のときから一緒にいた旧知の仲であるように。
廉造が手を差し出してきた。
「絶対に帰ってみせる。そしてまた愛弓に会うンだ」
イサギがその上に手のひらを乗せる。
「この世界を救う。プレハとともにな」
慶喜がうなずきながら手を重ねた。
「ロリシアちゃんが安心して暮らせるような、そんな世界を作るすよ」
その言葉を聞いて、ロリシアがまたも瞳を潤ませる。
さらにため息をついて、最後に愁が手を乗せた。
「ルナのために。僕のすべてを捧ごう」
四人の視線が交錯する。
男たちの間に、もはや隠し事は一切ない。
底の底まで醜い部分を晒し、そして欲望をぶつけあってきた。
笑顔も涙も怒気も殺意も、地獄も修羅道も罪も代償も。
なにもかもひっくるめて、彼らは今ここにいる。
だから、改めてイサギは告げた。
「――さあ、神に抗おうじゃねえか」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
アルバリススは決して焦ってはいなかった。
なぜなら世界とは彼自身であり、彼の望むまま世界は変革するものだからだ。
アルバリススの生きる時は人間族を含めた他のものたちとは、まるで違う。
彼は数千年のときを越えて久方ぶりに手に入れた肉の体を試すかのように、悠々とダイナスシティへの道を辿っていた。
配下である神族たちも、アルバリススの背に続いている。一分の乱れもない進軍である。
『魔族』がアルバリススを倒すために手を組んでいようが、そんなことはアルバリススにとってはどうでもよいことだったのだ。
ただ己に唯一土をつけたルナをどのように苦しませるか。今、彼が考えていることはそれだけだった。
よって、その道の途中、何者かが街道に立ちはだかっていたところで、アルバリススの心は毛ほども揺れ動かない。
見渡す限りの平野である。アルバリススを待ち受ける青年の向こうには、遠く進軍の土煙が立ちのぼり、その先には巨大な都市が見える。
静寂のカーテンが降りた夜に、ふたりの男が向かい合っていた。
「獣か」
「やあ、どうも」
明るい色の髪を後ろで束ねた優男である。彼は片手を挙げた。
背中に三対の翼を背負い、そして肩には巨大な砲塔を乗せている。
アルバリススはずっと左手に引きずっていたルナをどさりと地面に落とす。
ルナが目を覚ますたびに強大な神エネルギーを注ぎ込んで、意識を刈り取っていたのだ。執拗なまでの責め苦であったが、それに対してアルバリススはなんの疑問も抱いてはいなかった。
巨人たちもアルバリススの後方で整然と立ち並んでいる。それは意思を持たぬゴーレムの群れのようだ。
彼らは決してアルバリススを妨げない。アルバリススは彼らにとっても神のような存在であるからだ。
そのような巨人たちの王は、立ちはだかる青年を前に審問する。
「なにをしに来た」
「決まっているさ。その子を助けるためにだよ。少し、ムキにならせてもらおうと思ってね」
「こいつは俺の娘だぞ」
アルバリススの言葉に、優男――愁はわずかな違和感を覚えた。
まるでリアファル前での会話を忘れているかのような、口ぶりだ。
そしてそれは事実に近い。
無限に時を生きるアルバリススは、もはやほとんどの記憶を保っていることができない。
神族は根本的に人間族たちとは違う生物なのだ。
その記憶は、人格を形成するために残された残滓でしかなく。
――アルバリススはまさしく、神化病患者のような立ち振る舞いをしていた。
「邪魔をするな、獣よ。俺はこいつを連れて、クリムゾンを完膚なきまでに破壊する。お前たちを滅ぼすのはそのあとだ。今は束の間の余生を楽しむがいい。お前たちの寿命など、どうせ今死のうが明日死のうが大して変わらないんだろう」
「なるほど、ルナは少し父親似かもしれないね」
愁はこめかみをかいて、それからアルバリススを睨みつけた。
「だが、それは君が勝手に決めることじゃないよ、アルバリスス。僕たちの死に場所は、僕たちが見つける。君を倒したあとにね」
「なら今死ね」
アルバリススが手を掲げた。
次の瞬間、愁の全身に激痛が走る。
やはり来た。これだ。
相変わらず、凄まじいほどの痛みだ。
だが――。
愁は両手から光の鞭を放つ。
彼の両眼が赤く染まった。
「……それでも、この胸の失恋の痛みに比べたら、大したものではないな」
愁が各自に語った作戦は、実にシンプルなものであった。
『イサくんと慶喜くんはここで待機していてくれ。イサくんは神エネルギーの支配から抜け出すことはできないし、慶喜くんは極術を逸らしたあの一度で魔力を使い切ってしまっただろう。ふたりとも足手まといだ』
どちらも事実であったため、ふたりの抗弁は愁に封じられた。
また、プレハはイサギとともに戦うコンビネーションが最も戦力となるということで、対アルバリススの切り札として残された。
『廉造くんも、戦い方が己の身体能力に頼り切っているからね。まずはアルバリススのあの支配を封じ込めてから、僕の戦線に加わってくれ。余計な体力を使うべきではない』
ではいったい誰を連れて行くのか。
神エネルギーの支配を受けないアマーリエか、それとも他の強者たちか。
愁は肩を竦めて言った。
『――誰も。』
アルバリススの極術は、範囲攻撃としてはこの世界で他の追従を許さない。
自分以外の兵を連れて行ったところで皆、消滅させられるのがオチだ。
そう言い切り、愁は単独で出撃した。
周囲の心配を押しのけて。
――果たして愁はいつから決めていたのだろう。
後に彼を知る者は、そう考えることになる。
愁はルナを救うため、たったひとりで強大な化け物に立ち向かう。
それは恐らく、英雄的な行為なのだろう。
愁はその両手から放つ光の鞭を操り、苛烈にアルバリススを攻めたてていた。
三代目ギルドマスターが得意とする魔法は、手のひらから光の線を放つものだ。束ねればそれは攻撃的な鞭となり、編めば頑丈な鎖に変わる。さらに細めれば糸に。防御の際は網にすることもできた。汎用性の高い能力だ。
射程は長く、射撃武器と変わらぬほど。速度も凄まじく、並の剣士では見てから回避することはできない。まさに光の一撃だ。
そんな愁の攻撃を、アルバリススは巨大な極術の壁を創り出して防いでいた。まともに相手をするつもりはないという意思の表れである。
「獣が。極術の真似事をしたところでな」
アルバリススはミストルティンを突き出し、愁に狙いを定めた。
自らの攻撃で、一瞬にして戦いを終わらせるつもりだ。
「ばかめが、縊り殺してやるぞ」
「そうやって高みから見下ろして、さぞかし楽しいだろうね」
赤い光がアルバリススの構えた杖、ミストルティンの先に集まってくる。
愁が見た限り、王の戦闘スタイルは、極術によるレーザーと、衝撃波。そして極術の防壁を使いこなすことだ。
接近戦に対しては障壁を使って寄せつけず、突き放してからの遠距離攻撃が多い。
威力はともかく、戦い方はあの神族グレリスと似たようなものだろう。
――ならば相性がいいのはやはり愁だ。
愁はすでにレーヴァティンに火を注いでいる。
「死ぬがいいさ」
「君がね」
アルバリススが赤い光を打ち出すのと同時、愁もまたレーヴァティンを撃った。
真っ赤な光がうねりをあげながら衝突した。魔力は正面からぶつかり、その余波をまき散らす。草原に生えた背の低い草が広がる衝撃波によって次々と魔晶化していった。
「――小癪だな」
アルバリススがほんの少し力を込める。それだけで、赤い光の勢いが一気に加速する。
レーヴァティンの魔力は、極術にたやすく飲み込まれた。巨大な力の奔流が愁に向かって突き進んでくる。直撃すれば、死あるのみだろう。
だが、愁はレーヴァティンが打ち負けるであろうことを予想していた。
単純な魔力のぶつかり合いでアルバリススに勝てるとは微塵も思わない。よってギルドマスターはレーヴァティンを捨て、速やかに回避行動に移った。
瞬く間に極術は先ほどまで愁が立っていた場所と、技術部の至宝であるレーヴァティンを押し流す。
しかし愁はその左前方に身をかわしていた。
すでに次の一手を打っている。
「フラゲルム・デイ! 削ぎ落とせ!」
愁の背中から魔具が射出された。それらは不規則に飛び回りながら、アルバリススを狙う。
極術の威力を高めるために魔力を注いだばかりのアルバリススは、回避が間に合わなかった。
六つの魔爪から六発のレーザーが降り注ぐ。
アルバリススの体は、光のシャワーを浴びて、串刺しにされた。
しかし、王は鼻を鳴らす。
「――ふん、獣が。この俺に歯向かうか。珍しい技を使うが、それだけだな」
見やれば、急所は防いでいるようであったが、しかし光は間違いなくアルバリススの皮膚を貫いていた。血が流れ落ちている。
やはり思った通りだ。アルバリススは神エネルギーに満ちた化け物であるが、その肉体強度は赤い巨人とそう変わらないのだ。
ルナもそうだった。彼女と長い間旅を続けていた愁は、神族が決して不死身の化け物ではないと知っている。
畏れを持たずに立ち向かえば、決して倒せない相手ではない――。
だが、不気味だったのはアルバリススの様子だ。
不意打ちのようなフラゲルム・デイのレーザーで打ち抜いて以降、彼は極術で身を守っている。
防戦一方の状態だというのに――。
「『魔族』も進歩したと見える。異界から導く者が現れたのか。クリムゾンはそのためのものだったのかもしれないな。ルナめ」
――アルバリススの顔に動揺の色は一切見えなかった。
彼はいまだ、初めて見たときと変わらない無表情を貫き通している。
まるでこの程度の出来事、感情が揺らぐまでもないとでもいうように。
愁は腰からクラウソラスレプリカを引き抜いた。
「いいだろう、アルバリスス。ならばこのまま押し切ってやろうじゃないか」
この激痛の中、フラゲルム・デイを操作しながら、魔法を同時に操るのは至難の業だ。
しかし、これまで犠牲にし続けてきた者たちのことを思えば、自分がここで倒れるわけにはいかないだろう。
愁は己のエゴのために、数え切れない数の人間を地獄に送り込んできたのだ。
ならば愁の生きる場所は冥府魔道。痛みに躊躇しているようでは、悪魔に笑われてしまう。
鉛のように重い腕を動かし、愁は光の鞭を打ち出した。
その先端に繋がれているのはクラウソラスレプリカ。
ありとあらゆるものを絶つこの剣をアルバリススの心臓に突き立てることができれば、戦いは終わるのだ。
愁の目がより赤く輝き、そして裏コードを発動する。
「フラゲルム・デイ! ――散華せよ」
空中を旋回する六つの爪は、次々とアルバリススの極術に取りついた。
まるでドリルのように回転しながら、極術の壁に少しずつめり込んでゆく。赤い光が火花のように散る。
アルバリススは目を細めた。
「ほう」
レーザーを打ち出しながら前進してゆくフラゲルム・デイは、ある程度まで極術の壁にめり込んだあたりで自爆する。それは小規模な爆発を引き起こした。
ひとつが爆発した直後、さらに残りの五つも連鎖的に爆発してゆく。三等魔晶を搭載したそれぞれの爪は、次々に極術の壁を破壊した。
――ついには、赤い壁にぽっかりと人ひとり分ほどの六角形の穴が穿たれる。
「人間の技術も、捨てたものじゃないだろう?」
たった一度きりの切り札だが、通用した。
愁は大きく腕を伸ばし、クラウソラスレプリカを突き出す。
王はそれでも落ち着き払った口ぶりだ。
「何をしようとしているかは、知らんが――」
アルバリススはそう言って目を光らせた。
次の瞬間、愁の全身にさらなる激痛が走る。それは六禁姫からの拷問を涼しい顔で耐え抜いた愁ですら、一瞬意識が途切れたほどだ。
アルバリススの支配は、今までのものが最高威力ではなかったのだ。
大音量を流したスピーカーが火を吹いて破壊されるように、愁は白目を剥きながら斜めに傾げてゆく。
だが、踏みとどまった。
それはもはや意思の力。
――そして、彼女の叫び声によるものだ。
「やれ、シュウ!」
戦いの音で目を覚ましていたルナである。
傷だらけの体で彼女は生命力を振り絞り、アルバリススに組みついた。
「ルナトリス、お前は――」
「ワタシごと貫け!」
極術の壁はない。アルバリススもルナによって動きを封じられている。
愁はその両手にクラウソラスレプリカを握り締め、今すぐにでも光の魔法によって打ち出せる状態にある。
あとは、愁に背中を向けたままアルバリススを羽交い絞めにしているルナごと、貫けるかどうかだ――。
意識を取り戻した愁は、眼前の景色を見て動揺する。
「――っ、だが!」
千載一遇の好機であることは間違いない。しかし、そのためにはルナの命を犠牲にしなければならない。
その決断を愁が下すというのか。
ルナが叫ぶ。
「やるんだ! 色んなものを犠牲にしてここにいるんだろう! ならば、今さらひとり増えたところで同じことだろう!」
「……!」
「オマエはなんのためにここにいるんだ! 未来を掴むためではなかったのか!」
「……、そうだったとも!」
愁は両腕で光の鎖を解き放つ。その先にはクラウソラスがくくりつけられている。
だが――。
「ふん、人間にたぶらかされた愚かな娘め」
一瞬のためらいが、アルバリススに時間を与えてしまった。
王はルナを引きはがし、地面に再び押しつける。
同時に愁から放たれたクラウソラスレプリカをわずかな挙動――背を逸らして避けると、手刀で光の鎖を断ち切った。
白銀の剣はからからと地面を転がる。それだけにとどまらず、さらにアルバリススは愁の魔法を掴んで思いきり引き寄せた。
空中に投げ出された愁は、なんとかして軌道を変えようともがくが、遅い。
アルバリススに頭を掴まれ、ルナと同じように地面に叩きつけられた。
ルナと愁。ふたりは今、アルバリススの足元に並んで引き倒されている。
――完全なる敗北だ。
美しかった銀髪も血にまみれて、顔も青あざだらけのルナは地面を叩く。
とても悔しそうに、彼女はつぶやいた。
「なぜだ、シュウ……オマエは生き残れるかもしれなかったのに……」
「……君を殺すぐらいなら、死んだほうがマシだ」
「なぜこんなところに来た、オマエは許されないことをしたんだ。もう二度とワタシに会うべきではなかった! 別れは告げただろう! それなのに、なぜここに……!」
ルナの問いに対する愁の答えはただひとつ。
「――もう一度君に会いたかったから」
服も顔も泥まみれになった愁は笑顔を浮かべた。
その透き通った微笑みに、ルナは目を奪われる。
ゆっくりと口を開き、嗚咽を漏らすように言葉を絞り出した。
「ばかだ、オマエは本当に……」
「そうかもしれない。もうちょっと早くバカになれていたら、よかったんだけどな」
アルバリススの足元で倒れたふたりは、互いを見つめ合う。
四百年ぶりの再会がこの瞬間であったのなら、ふたりは心から愛し合えていただろう。
愁はルナに手を伸ばし、ルナもまたそれを握り締めようとして――。
ふたりの指が触れ合う寸前、しかしそれはアルバリススによって引きはがされた。
アルバリススは愁の頭を掴み、自らの目線の高さにまで持ち上げる。
「獣よ。我が娘を殺さずにいてくれたことは感謝しよう。一足先に死を与えるのは、その礼だと思っていてくれ」
「はは、礼、礼か」
愁は皮肉げに笑う。
その右腕が光に包まれた。
自らが作り出した光の鎖を腕に巻きつけているのだ。
「僕はずっと空虚な人生を送っていた。なにもかもが自分の思い通りなんて、そんなものに価値はないよ、アルバリスス」
「そうか?」
「僕は僕の思いのままにならない君が好きだったんだ、ルナ。君の孤独を癒してあげられるなら、それでよかった。本当はもっと早くそのことに気づくべきだったのかもしれない」
巻きつけた魔法がより一層輝きを放つ。光の鎖は一瞬で編みあがり、巨大な腕の形を取った。
まるで巨人の剛腕と化したそれを、愁はアルバリススに叩きつけようとし――。
だが、アルバリススが軽く腕を払うと、愁の右腕は根元から吹き飛んだ。
断面から血が噴き出す。真っ白な骨があらわとなり、苦悶が愁の口から漏れ出た。
しかし、片腕をもぎ取られてなお、愁の目は死んでいない。
「――まだだ。まだ終わっていない」
愁の左腕もまた、光と化す。
肩口から膨れ上がった『光の腕』は射程が短く、絶大な魔力を消耗するが、愁の扱う魔法の中で最大の威力を発揮する。
三代目ギルドマスターの切り札である。
しかし、凄まじいまでの魔力を前に微動だにせず、アルバリススはその両眼を輝かせる。
ただのそれだけで、愁の左腕を覆っていた光の鎖は消失した。
――破術。
四大禁術を魔族に授けたのがアルバリススなら、彼がそれを使用できるのは自明の理であった。
イサギのものよりも遥かに強力なそれを目の当たりにし、愁の顔はさすがに歪む。破術使いは、魔法師の天敵だ。
アルバリススはこの近距離で極術の衝撃波を放つ。
真っ向から浴びた愁の左腕の、肘から先が吹き飛んだ。
血が飛び散り、地面を濡らす。
それはルナの顔にかかり、彼女は目を見開いた。
「シュウ……あっ、ぐ!」
ルナは思わず手を伸ばす。
だがその手の甲を、アルバリススは容赦なく踏みにじる。
両腕をもがれた愁は放り投げられて地を転がった。
もはやひとりでは満足に立ち上がることもできない、虫けらのような姿だ。
しかし愁の声には、どこか満ち足りたような響きがあった。
彼の視線は、ルナに優しく注がれている。
「ルナ、君に僕の子どもを産んでもらいたかった」
「な、なにを言い出しててっ……」
「一番大切なものは、一番最後まで取っておきたかったんだ。僕が触れて、君を汚したくなかった。やはり僕はバカだった」
「シュウ……っ」
ルナは愁に手を伸ばす。
同じように愁もまた、左腕を――肘の先をルナに伸ばす。
「もういい、オマエの想いはわかった。だから、もうそれ以上は――」
「僕はいつだって、君のために」
「わかった、だから、もういい。もういいんだ、シュウ」
ルナはその瞳から涙をこぼす。
「ともにゆこう、シュウ。ワタシと、そして、永遠の――」
ルナの心は、そうして愁のものとなった。
長き旅の果て――、愁はついに、彼女を手に入れたのだ。
英雄の旅は今、終わりを迎える。
愁は微笑みをこぼす。
そしてうなずいた。
「――ありがとう、ルナ。それを聞けたのなら、僕は」
次の瞬間、ルナと愁の周りに魔法陣が出現した。
飛散した愁の血が蠢き、形作っているのだ。
それを見たアルバリススが無表情の中に驚愕をにじませた。
「まさかお前たち」
ルナと愁は声を合わせ、告げる。
『封印魔法陣――クリムゾン』
数千年前、アルバリススの妃の生命力を代償に発動した魔法陣。
今度の代償は愁とルナの魂だ。
真っ赤な茨は、ゆっくりとアルバリススに絡みつく
「これは――」
魔力をかき集めて、アルバリススを異界へと葬り去るために。
――愁とルナが、ともに永遠を生きるために。
同時刻。宵闇が辺りを包み込む。
道のど真ん中に、目を瞑りながら廉造は腰を下ろしていた。
イサギにも慶喜にも知らされていない。
愁がなぜひとりでいったのか。
廉造だけは、ただなんとなく気づいていた。
愁から預かった手紙。
それは彼が皆に宛てた手紙だった。
自分にもしものことがあったときには、と愁は言っていた。
だが、その目はもう覚悟を決めていたように思える。
「バカ野郎が、あいつ」
だが、もはや誰にも止めることはできない。
「……行ったのか」
「……あァ」
闇から現れたのは、イサギだ。
彼が横を通り過ぎようとするところを、廉造がその肩を掴んで止める。
「どこに行く」
「愁を支援にしに。決まっているだろう」
「そう言うと思ったさ」
廉造がイサギを無理矢理、振り返らせた。
イサギは感情を押し殺したような顔をしている。
「止めるなよ、廉造」
「止めるさ」
「ふざけるな、愁は死ぬ気だった」
「わかってンじゃねェか、だったらこれ以上は進ませねェ。オレはあいつから頼まれたンだ。あの野郎が、一生に一度の頼みをこのオレにしやがった。だったらここを通すわけにはいかねェだろ」
「命より大事なものなど!」
「あるだろ」
重苦しい声で、廉造は言う。
「意地だ」
「……っ」
その言葉は誰よりもイサギに響いた。
死ぬとわかっていながら、イサギはリミノやアマーリエ、デュテュを救いにいった。
己の魂に従ったのだ。
ならば愁もまた、同じように――。
イサギは強く拳を握り締める。
「だが、しかし……。俺はあいつの、友達だ……。あいつは俺の友達なんだ……!」
「黙って座ってろよ」
廉造は腕を組んで、再び腰を下ろした。
「男が女のために命を懸けるンだ。そいつを止めることは、誰にもできねェよ。神様にだってな」
そのとき、真っ赤な光が天へと昇った。
とても美しい光であった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勇者イサギの魔王譚
14-8『共に、我らが魂を燃やして』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
緋山愁はいつまでも夢に見る。
自分とルナがひとつの家に住み、そうして暮らしている夢だ。
そこには数々の友人が訪ねてくる。
毎日が華やかで楽しかった。
子どもは娘がふたり。どちらもルナに似て、とても可愛らしい。
手を焼かせられて、思い通りにならないことばかりだが、新鮮な楽しみがあった。
ルナは愁が先に死んでしまうからと言って、しばらく彼のプロポーズを受け入れてくれなかった。神族と魔族の寿命の差は、とても想いだけでは埋められるものではない。
だがそれでも、愁は辛抱強く説得をした。
自分が死んでも娘がいれば、彼女たちは自分のことを覚えていてくれる。君たちの記憶に生き続けられるのならそれは本望だと愁は言った。
しかし、やはりルナは恐れた。
アルバリススは彼女の父親だった。肉親だろうが、人は裏切るものだ。
ならば娘を作ることによって、彼女たちがいつか魔族にとっての災いにならないとも限らない。
怖がるルナに、愁は言い聞かせた。
ならばこれからもっともっと魔族たちが強くなればいい、と。
愁にはもう、自分よりもずっと強い友人たちがいる。
魔族は決して弱い生き物ではなくなった。
だから、僕が死ぬまで一緒にいてくれ、と。
愁は己の人生をルナに捧げることを誓った。
ルナもまた、その想いを受け取った。
ふたりはダイナスシティから少し東に進んだ、海の見える地方に家を建てた。
冷たいところで眠り続けていたルナには、暖かい気候があった。
それに家から見える景色は、愁が日本にいた頃に住んでいた町に似ていたのだ。
神族と魔族の間に子どもができるかが心配だったのだが、共に暮らし始めて一年後、栗色の髪に赤みがかかった肌を持つ娘が生まれた。
紛うことなく、ルナと愁の子どもだ。
愁はギルドマスターの座を退き、後継者に立場を譲った。
それでも、月に何度かはダイナスシティへと赴く。
ルナは不慣れな子育てに戸惑いながらも、二人の娘と共にその帰りを待った。
家族は年々増えてゆく。
娘たちはどんどんと大きくなり、美しく育ってゆく。
やがて彼女たちは弁が立つようになり、父親にはまだまだかなわないが、ルナはやり込められることも増えてきた。
ルナは母親として自信を失いながらも、しかし前向きに頑張り続けている
不器用で人と話すのがあまり得意ではないルナだったが、笑顔を浮かべることが増えてきた。
それはどこか、愁の微笑みに近い印象を人に与えた。
愁が人生をルナに捧げたように。
ルナもまた、愁の愛を信じて、自分の人生を歩み始めたのだ。
かつて父と母を殺したルナの罪は、晴れた。
彼女はこの世界に住む生きとし生ける者の命を救い、そしてひとりの女としての幸せを手に入れたのだ。
それは、もしかしたら――、
――あるかもしれなかった、ひとつの物語。
愁の腕から先が、解けてゆく。
ルナも同じように。
ふたりの肉体はもはや世界にとどまれず、魔力となって溶けてゆく。
アルバリススの両側に倒れるルナと愁は、赤い糸へと変わる。
愁の描いた血の魔法陣をさらに濃く彩りながら、彼らはアルバリススを包み込む。
茨はさらに成長し、ついには王の顔にまで絡みついた。
アルバリススはいよいよ首から上しか動けなくなり。
茨から逃れるかのように、空を見上げて叫ぶ。
「ばかな、ルナトリス――お前はまた――」
愁とルナは魔法陣となってゆく。
アルバリススを異界へと消し去るための魔法陣に。
『ルナのために。僕のすべてを捧ごう』
その誓いの下。
ふたりはひとつになりつつあった。
長い旅の果て、やっとひとつに。
彼らの記憶もさらに混ざり合う。
術の制御をするのは、ルナ。
ルナは愁の想いに触れた。
ふたりの魂もまた、混ざり合う。
ともに、夢を見ていた。
海の見える家で、ふたりで子どもを育てる夢。
ふたりの見る夢は同じだったのだ。
願いもまた。
アルバリススは魔法陣の中、ねじれてゆく。
苦悶の声すらも吸い込まれたかのように、聞こえない。
辺りには爽やかな風が吹く。
夜空に浮かぶ月は、終焉を優しく照らす。
魔法陣はゆっくりと回り、少しずつ高度をあげていった。
まるで終わりを奏でるオルゴールのように、緩やかに。
愁とルナは魔力となってこの世界から消えてゆく。
アルバリススを道連れに――。
『いこう、ルナ』
『ああ、シュウ』
ふたりの抱き合う姿が幻のように浮かぶ。
彼らは、幸せそうに笑っていた。
真っ赤な光が天へと立ちのぼる。
女神とひとりの青年が落命するさまを、世界中の誰もが見上げていた。
次回更新日:10月2日(金)21時。