2-4 <ヨシノブ>魔王譚の始まり
聞いてみれば、一目惚れだったという。
その純朴で大人しく目立たないけれど、優しい子。
決して可愛い子ではないけれど。
クラスにいたら、後ろの席で休み時間もずっと本を読んでいるような。
そういった印象を受けたという。
「ふぅん」
「だ、だから、先輩……」
剣術の稽古で疲れ果てていたときに、彼女は濡れた布を持ってきてくれたのだという。
どうぞ、と差し出されて。
例えそれが彼女の業務であっても構わない、と。
それで一発で恋に落ちてしまった、と。
「なるほど」
「オネシャス! ぼくとあの子をくっつけてください!」
「いや、そんなの……」
自分でやれば、と言いかけたが。
下唇を思いっきり噛んで泣きそうな顔をしている慶喜を見て、やめた。
そうだ。
この男が女の子に話しかけられるような勇気の持ち主だったら、最初からイサギには相談しないだろう。
というかもう、イサギに相談した時点で勇気を振り絞っているのだ。
「……わかった。慶喜のためだ」
「あざーっす先輩ぃいいいいい!」
慶喜はこちらに抱きついてこようとしたから、イサギはとっさに避けた。
設定を忘れてはならない。
彼は魔王候補。こちらは無職異界人。
「ばかやろう。お前の力で思いっきり抱きしめられたら俺死ぬだろ。
自分の力をコントロールできてから、そういうことをやれよ……」
「さ、サーセン! フヒヒヒヒ!」
慶喜は嬉しそうに笑う。
その笑顔に、なんとなく邪悪めいたものを感じてしまう。
本当に大丈夫だろうか。
早速屋敷をうろついている、と。
目的の人物はすぐに見つかったようだ。
「あ、あの子っす、先輩」
慶喜の指す先には、窓拭きをしているふたりの少女メイドがいる。
ひとりはエルフの王女、リミノ姫だ。
緑色の髪を後ろでくくっていて、背筋を伸ばしている。
遠くからでもその美貌は輝いて見えた。
ここ最近は、最初に会ったときのような影のある様子はなりを潜め、表情にも笑顔が目立つ。
少なくとも、リミノではないだろう。
慶喜はそんな素振りは見せていなかったし。
となると必然的に、対象はもうひとりしかいない。
長い黒髪の少女。
だが彼女は、なんというか、その。
ゴブリン族の娘だった。
潰れた子鬼のような頭をしている。
変わった趣味だが……
いや、よそう。
美醜の価値観は人それぞれだ。
「……そうか、いいな緑色の肌。目に優しそうだよな」
そうつぶやくと、怪訝そうな顔をされた。
「はあ? なに言ってんすか先輩。違うっての。あっちの可愛い子っすよ」
その指差す方向にいるのは。
うん。
リミノだ。
「……」
思わず押し黙る。
まさかそう来るとは思わなかった。
なかなか……
難しい問題だ……
心情的にはすごく断ってしまいたい。
リミノは大事な、妹のような存在だ。
この世界で今のところ、唯一自分のことを知っていてくれる人だ。
慶喜は悪いやつではないと思うが、それでも非常に抵抗がある。
だが、愛着などを抜きに考えれば、これは悪くない。
慶喜は魔王候補として、この城にずっといるだろう。
ならば、リミノを慶喜に任せて、イサギはひとりで旅をすることができる。
プレハの捜索もきっとはかどるはずだ。
けれど。
どっちみち、リミノはイサギに捨てられたと思うだろうか。
その心を慶喜が癒せるだろうか。
リミノは今、再会の喜びに動転しているだけで、最終的には慶喜を選ぶだろうか。
もしイサギに慶喜と付き合えと言われたリミノは、一体どんな顔を見せるだろう。
それはあまりにもひどいことなのではないだろうか。
たった一瞬の間に色んなことを考えすぎて。
イサギはうなる。
「あー……そうか、そうなのか、慶喜」
「ウヘヘヘ、そうなんすよ実は……」
額を抑えるイサギ。
その横をバケツを持ったリミノが、微笑み手を振りながら通りすぎてゆく。
(……あれ?)
だが、慶喜はにやけた笑みを浮かべたまま。
向いている方向も同じだ。
「……ん? リミノじゃないのか?」
「は? なに言ってんすか」
アンタバカァ? という顔をされた。
「リミノさんとぼくが釣り合うわけないじゃないですか常識的に考えて。
裸眼で見たら目が潰れちゃいますよあんなキラキラした人。
ああいう方には『このキモオタが。話しかけないでくれない?』って、
冷たい目で蔑んでもらえるぐらいで、ちょうどいい相手なんすよ」
「お、おう」
その勢いに引く。
「あっちっすよ、あっち」
「……ん?」
ちょうどイサギの位置からでは、リミノの影になって見えなかった。
いや、見えてはいたのだ。だがまさか、彼女だとは思わなかった。
うんしょ、うんしょ、と。
一生懸命な眼差しで、床を掃いている少女がいた。
そのひたむきさは、見ているこちらがハッとするほどだ。
彼女の浅黒い肌に汗が滲んでいる。
慶喜の言っていた通り、決して可愛らしい娘ではなかった。
髪の手入れもほとんどされていない。
デュテュやリミノと比べたら月とスッポン。
下手をしたら、クラスでも下から数えたほうが早いかもしれない。
そんな素朴な少女だった。
まだ父親をパパと呼んでいそうな。
サンタクロースがいることを信じているような。
背中にランドセルを背負っているのが似合うような。
名札の縫い付けられたスクール水着が似合うような……
イサギの熱が少しずつ冷めてゆく。
「慶喜」
「はぁ、はぁ……か、かわいいナァ……
……え、あ、なんすか?」
「あの子、何才なの」
「え、いや、わかんないけど……
まあ、10才ぐらいじゃないすか? 結婚適齢期すよね。
仲良くなりたいなあ。一緒に遊びたいなあ……デュフフ……」
なに言ってんだこいつ……
ドン引きである。
悪すぎる。
児ポ法違反だ。
自分はなにも間違っていないという顔をしていやがる。
……これが魔王候補の資質か。
イサギは恐れおののいていた。
就寝前、部屋にリミノを呼び出して確認したところ。
「あ、ロリシアちゃん? うん、見た目通りの10才だよ」
とのこと。
これで本当は歳を取っているロリババア説は打ち消された。
しかし名前までロリとは。
おばあちゃんになったらどうするのだろう、と少し思う。
三人は部屋の中央に椅子を持ち寄っている。
慶喜の向かいに、イサギとリミノが並んでいるのはいつものことだ。
「どういう子なんだ?」
「えっとね、確か元々ミンフェスの街にいた子だよ。
そこが冒険者に襲撃されたから、一家で逃げてきたんだけど、
お父さんもお母さんもその時の傷が元で亡くなっちゃってね。
今はひとりぼっちなんだ。
でも、すごくいい子だよ。いつも一生懸命だし」
ミンフェスの街は、数年前に人間族に侵略された暗黒大陸の都市だ。
港町ブラックラウンド。
ベリフェスの街。ミンフェスの街。
そして商業都市レリクス。
この四つの街が、人間族の冒険者に奪われた暗黒大陸の東部四都市である。
「テラカワイソス……」
慶喜がしんみりとした顔をしている。
その口調のせいで、真剣味が薄れているが。
「実はさ、ここの慶喜がさ」
「うん」
「あの子のことが気になるみたいでさ」
「え……」
するとリミノは急に表情を消した。
なにかおかしなことを言っただろうか。
彼女は硬質的な声でうなずく。
「かしこまりました」
「ん?」
「へ?」
少年ふたりは目を瞬かせる。
リミノはお腹に手を当てて、その場で一礼。
「ヨシノブさま。これから夜伽の準備をさせますので、しばしお待ちくださいませ」
立ち去ろうとする。
「よ、よとぎ!?」
慶喜が吹き出した。
慌ててイサギが呼び止める。
「ちょ、ちょっと待ったリミノ。そういうんじゃないんだ、そういうんじゃ」
「え、違うの?」
振り返ってきた彼女は、安堵したような表情を浮かべていた。
イサギは半眼で慶喜に目を向けて。
「……違う、よな?」
「違う違う違う違う!」
慌てて両手を振る慶喜。
「ぼ、ぼくはエロゲーやってても和姦絶対主義だから!
鬼畜シナリオとか苦手だから! プラトニックな恋から始めたいんだから!」
「えろげー……?」
リミノは首を傾げていたが。
「まあいいや。でも良かった。
リミノ、メイドの中では偉い立場だからさ、そういうこと命令しなくちゃいけなくてさ。
でもほら、リミノって頑張ってずっと清いままのカラダを保ってきたでしょ? お兄ちゃん」
「いや知らないけど」
確認などしていない。
……確認させられても困るが。
「リミノが絶対にやりたくないのに、それをリミノよりちっちゃい子に命令するっていうのは、ちょっとね」
えへへ、と苦笑する。
「そういえばこのお城、お偉い方はみんな女性だもんな」
デュテュ、イラ、シルベニア。
女性同士の行為を好んでいるものも中にはいるだろうが、彼女らは違うようだ。
「うん。でも魔王候補さま方がみんな男性だし、やっぱりそういうことになっちゃうのかな、って思っててさ。
まさかお兄ちゃんに言われるとは、思っても見なかったけど……」
「誤解で済んで良かったよ……」
でも、そうだ。
リミノたちは魔王候補に求められれば断れない立場にいるのだ。
「きっと大丈夫だよ、これからも。
愁とかは多分そういうことしないと思うし」
「いや、わからないっすよ。ああいう人こそとっかえひっかえの性豪だったりするんすよ。
どうせ高校では周りに女をはべらせていたに決まっているんすよ……」
「お前イケメンに偏見持ちすぎだから」
愁は人格者だ。高校生のくせに人間ができすぎている。
誰にでも別け隔てなく接するタイプの、真のイケメンだ。
愁と仲良くしてみればいいと言っているのに、慶喜は一向にそうしようとしない。
彼にとってリア充は敵なのだ。
コンプレックスがうずくのだという。よく知らないが。
「やるとしたら足利だろうけど……」
あまり女に興味があるタイプのヤンキーには見えない。
常に孤高。まるで昭和の不良のようだ。
できれば仲良くしたいのだが、そのきっかけを掴めていない。
だが、その彼の印象を差し引いたとしても、リミノの容姿は魅力的過ぎる。
もしヤンキーがリミノに奉仕を命じたら……
あまり考えたくない。
イサギがそんなことを思っていると、リミノがしなを作る。
「……おにいちゃん。だからその前に、早く食べたほうがいいと思うなぁ♡」
彼女はゆっくりとエプロンスカートを持ち上げてゆく。
両手で押し留めた。
慶喜が悲しそうな顔をしているし。
「それよりも今は慶喜のことだよ」
「うん。目の前でイチャイチャを見せつけられて、憤死するかと思ったっす」
「うーん」
リミノが椅子に座り直す。
彼女は唇を撫でながら首をひねった。
「でもそうしたら、どうすればいいの?
とりあえず明日からロリシアちゃんをヨシノブさまの専属にする?」
「ええっ! そんな、いきなりムリムリムリムリ!」
「じゃあどうしたいんだよ」
「そ、そうだね……なんか、こう、自然とふたりが恋に落ちる、みたいなプランがいいな……」
「都合の良い……」
「ねえねえ、それってリミノとお兄ちゃんみたいに?」
にっこりと笑うリミノ。
少年ふたりはスルーする。
大体、こんなのはイサギだって得意ではない。
イサギの初恋の相手はプレハだ。
しかもそれは現在進行形だ。
今のところ、生涯で好きになった相手がひとりしかいないという体たらく。
絶望的なまでに経験値が足りていない。
なんとかひねり出したのが。
「……じゃあ、慶喜の良いところを挙げて、それをリミノからロリシアちゃんに伝えてもらうっていうのはどうだ?
人となりを知るのは大事そうだし」
「ちょっと周りくどくないかなぁ」
リミノは首を傾げる。
確かに、と思ったが。
意外にも慶喜がノリノリだった。
「それいいよ! それにしよう!」
「マジでか」
「ロリシアちゃんは遠くから僕を見守って、いつしかその姿を目で追っている自分に気づき、淡い恋心を知るわけだね……
いいね、それいいね、すごくいいね、ロマンティックだね……でゅふふふ……!」
リミノが少し椅子を引いて、慶喜から距離を取った。
彼女に蔑んでもらうという慶喜の夢が達成に一歩近づいたかもしれない。
「……じゃあ、とりあえず、それでいってみるか?」
「うんっ!」
慶喜がノリノリなのだから仕方ない。
リミノが紙と羽ペンを持ってくる。
「うん、いいよ」
さすがはエルフ族の王女。
読み書き程度なら問題なくこなす。
「じゃあ慶喜、お前のいいところを挙げてってくれ」
「ああ、任せて!」
グッと親指を立てる慶喜。
ニッコニコだ。
「えっとね……」
だがしかし。
その笑顔は徐々に剥がれてゆく。
彼は虚空に指を動かす。
リミノは不思議そうに慶喜を見やる。
頬杖をついて見守っていたイサギは、もしかして、と気づく。
「……おい、慶喜」
「……」
彼は固まってしまった。
「まさか、お前……」
(こいつ……自分のいいところを、一個も挙げられないのか……!?)
驚愕してしまう。
「ヨシノブさま……」
リミノの視線も、徐々に痛ましいものを見る目になってゆく。
「え、あ、そ、そうだ!」
慶喜は椅子から立ち上がりながら、告げる。
「ぼ、ぼく、アニメとかマンガとか好きだから。
その、引きこもっていたとき、結構本気で萌え絵とか練習してたから、
ろ、ロリシアちゃん二次元バージョンとか書けるよ……」
顔は笑っているのに、メガネの奥のその目はうつろだった。
どこを見ているのかもわからない。
声も震えている。
哀れだ。
とても見ていられない。
「もういい……もう休め、休め……」
イサギは彼の肩を、優しく叩いた。
イサギ:恋愛経験値が足りていない。まだまだ無職。
慶喜:魔王の中の魔王。児ポ法を侵そうと世界の法に挑む漢。
リミノ:高嶺の花。裸眼で見ると目が潰れる美しさ。
ロリシア:10才の少女。逃げて、早く逃げて。