14-5 地に煌めきし幾億の星
大まかな状況を確認しながら、――愁はオハンとともに運んできたもう一方のコンテナを開いた。
そこには金属製の光沢を帯びた翼のような魔具と、魔晶の埋め込まれた砲塔が押し込められていた。
乱暴な詰め込み具合を見て、愁は口元を歪める。ギルド職員に無理を言って急がせた結果だ。本来はこのような雑な仕事を人にも自分にも求める性分ではないのだが。
急かして悪かったなと愁は今さらながら思った。
魂鎧オハンとともに持ち出したもの。
それはこの日のために用意した対巨神級討伐装備。フラゲルム・デイとレーヴァティンである。
周りの者の手を借りながら愁は魔具を装着してゆく。背中に三対の翼が生えたようだ。
そしてその上から背負ったレーヴァティンの砲身が、こちらに向かって進軍しつつある神々を睨みつけた。
『愚かな虫けらどもが……』
神族グレリスはその立ち位置を変えていた。
巨人たちの向こう、悠然と直立し、要塞を見据えている。
神は屹立した山のように動かない。
自分などが手を下す必要もないと思っているのだろうか。巨人の群れが希望を打ち砕くさまを愉悦と共に眺めていたいのかもしれない。
そんな神族を見て、愁はわずかに片眉を吊り上げた。
相手を侮り、傲慢な態度を崩さない神の姿、それはまるで――。
――少し前までの自分を見ているようだ。
「良い気持ちはしないな」
「でしょうね」
赤い髪の女性が後ろからやってきた。
彼女は泥まみれの頬を拭くこともなく、鋭い視線で遠方を見やっていた。腕組みをしたその姿は傷だらけであったが、それでも生気に満ち溢れていた。
愁は喧嘩別れした彼女に悪びれもせず、告げた。
「アマーリエ。戻ってきて早速だけれど、頼みがある」
「馬車酔いで頭がヘンになりそうだから、ふざけた命令ならぶちのめすわよ」
「それはこわいな」
愁とアマーリエ、ふたりは並んで巨人たちを城塞の上から見下ろす。
「あいつらをぶちのめしたいんだ。君はドラゴン族の背に乗り、彼らを指揮してもらいたい。右翼から突撃してくる巨人のかく乱だ」
「いいけれど」
晶剣カラドボルグを腰に提げたアマーリエは、口をへの字に結ぶ。それから愁の横顔をまんじりと見た。
「あたしたちの命、預けるわよ。あなたはそれでいいの?」
「よくはないな」
愁は薄く笑うと首を振った。
「僕にそんな資格はない。だが、誰かが命じなければならないのなら、僕がやろう。それが今、僕がここにいる理由だ。それじゃあだめかい?」
そこで初めて、愁とアマーリエの視線が交わった。
アマーリエはその長い睫を瞬きで揺らすこともなく、愁を見つめる。
「シュウ」
鋭く名を呼ばれ、愁は肩を竦めた。
今さら彼女に合わせる顔はなかった。
だが、罪は償わなければ、前には進めない。
愁は軽く両手を広げる。もし彼女が自分をぶちのめしたいと考えるなら、それも仕方のないことだったから。
だが、踏み出したアマーリエは愁の横を通り過ぎる。
愁の耳に、彼女の声が滑り込む。
「――おかえりなさい、わたしのギルドマスター」
ただそんな一言で。
愁の腕に鳥肌が立った。
「……参ったね」
愁は髪をかき上げた。
わずかな汗の香りを残した赤い髪の女性は、ドラゴン族の待つ城郭へと歩み、そして抜剣した。
吼える雷鳴剣カラドボルグを掲げ、叫ぶ。
「あたしは初代ギルドマスター・バリーズドの娘にして三華刃がひとり、アマーリエ! この戦に勝利をもたらすためにあなたたちと戦うわ! このカラドボルグの輝きに従い、あたしと一緒に来なさい!」
ドラゴン族たちもまた槍を掲げ、その叫びに応じる。戦意高揚の吼え声が響き渡り、要塞がビリビリと震えた。
二代目戦聖の武勇は、他種族にまで轟いているのかもしれない。
その頼りになるアマーリエの後ろ姿を見送り、思う。
あれならばもう、ドラゴン族は大丈夫だろう。
「僕も負けていられないな」
では次の手だ。
愁は近くに立つドラゴン族の男に、告げる。
「伝令を頼む。ピリル族は鉄縄を使い、左翼の動きを遅滞させるために全力を尽くしてくれ。無理に攻撃を仕掛ける必要はない。君たちの役目は獲物の統率を乱すことだ。そのための機動力だろう」
戦場にやってきたばかりの愁が次々と指示を飛ばす姿に、作戦本部の者たちは驚いただろう。
魔帝戦争が終結してから23年。種族間の隔たりは完全に埋まったとは言えず、互いの国の理解はまだまだ遠い。
だというのに、この若いギルドマスターは、人間族以外の戦術をまるで遥か昔から知っていたかのように振る舞うのだ。
「神殺衆は寡兵だが、精鋭だ。ドラゴン族とピリル族が取り逃した神族の足を傷つけろ。ただし、同時に複数を相手にせず、必ず全員で一匹に仕掛けるんだ。逃した敵は追うな。武装が尽きたら戦場を放棄し、退却せよ」
愁の伝令は要塞の各所に飛ぶ。
「魔族の術師たちは専守防衛に専念だよ。君たちの王、慶喜とともに障壁を張り、あるいは撤退してきた兵士たちを治癒するんだ。オフェンスは考えなくていい」
だがそのほとんどの命令が「無理はするな。巨人の動きを止めろ」に集約される。
愁は要塞に集った全軍に、ただそれだけを命じ続けた。
なぜか。
それはしびれを切らした男の唸り声とともに、明らかになる。
「おい、愁。まだかよ、日が暮れちまうぞ」
「そう急かないでくれ。君たちには最も大事な任務がある」
それは愁が一時待機を命じた三人だ。
廉造、イサギ、慶喜。
ともに城塞にのぼり、巨人の進軍を眺めている、現時点の最高戦力。
愁は彼らをなだめるように告げる。
「もう少し引きつけてからだ。あまり遠いと、君たちの活躍を兵に見せつけることができない」
「まどろっこしいぜ」
「できれば一撃目は、僕のこれで始めたいからね」
愁は背負っていたレーヴァティンを撫でた。
「もちろん、廉造くんや、慶喜くんにも協力してもらうよ。一発目は最大魔力をぶちかます。それで神族の統率を乱そうじゃないか」
「だったらそれ、あたしも協力しようか?」
「……ん」
愁は鈴のような声の持ち主を見やる。
白い法衣をまとった金髪の女性だ。彼女はあっけらんかんとした顔で笑っていた。
わずかに困惑した愁が横をちらりと見ると、イサギは「好きにすればいい」とばかりに片手を挙げた。無言の信頼を感じる所作であった。
「だったらお願いしよう、君は……」
「プレハ」
彼女は胸を張り、えへんと口元を緩めた。
少し幼く見えるけれど、それはとてもよく似合っている仕草だった。
極大魔法師プレハ。今一度この世界に蘇りし彼女は、指先に魔法の光をともしながら、はにかむように笑う。
「今はただのプレハ。イサギに命を救われた、プレハだよ」
聞いた限りの話では、プレハは平和のために尽力しながらも、多くの悪意にさらされ、この世の地獄を味わったという。
それなのに今見た彼女の笑顔は透き通っていて、まるですべての人が救われるべきだと信じている聖女のようであった。
あの折れそうな細い体のどこにそんな強さを持っているのか。
愁は激しい羨望の念を抱いた。
それはイサギにも同様に、だ。
思わず愁は口を開く。
「イサくん」
「ん」
振り返ってくる彼に軽口を叩く。
「正直、変わらない君たちが羨ましいよ」
「え?」
「僕たちも君たちのようにいられたら……」
言葉を濁すように口を閉ざす愁。
力ないその言葉に、イサギは首を振った。
「今からだって遅くはない。一度フラれただけだろ」
「そういうものかな」
「ああ」
イサギは愁の心を力づけるように親指を立てた。
「少年はここでまた、始まりを始めればいい」
巨人の進軍に対し、総員が配置についた。
ドラゴン族は要塞の右方から。ピリル族は左方から。神殺衆と冒険者は要塞の正面に立ち、魔族たちは皆、城塞にあがった。
そして神々を見下ろす正面の城塞に、砲撃手が揃う。
「合図は僕が出す」
愁のレーヴァティンにはすでに魔力の火が点っている。
その両隣に立つ廉造と慶喜もそれぞれ、巨大なコードを描いていた。
「魔術か、やンのは久々だな」
「ぼくも最近は法術だけでしたからねえ」
そしてさらに極大魔法師プレハ。
プレハはわずかに緊張した面持ちで、頬をかく。
「うーん、なんかこういうの初めて。みんな、よろしくね?」
大陸最強級の魔力を誇る総勢四名。彼ら術師による一斉攻撃。それが開戦の合図だ。
神族グレリスは自分たちを侮っている。だからこそまずは一撃ぶちかましてやろうじゃないか。
巨人の足音だけが響く世界。導火線が燃えてゆく光景が愁のまぶたの裏にはあった。
ここで失敗することは許されない。高まり切った士気を無駄に浪費する結果になるだろう。
愁のこめかみを汗が伝う。
その不安を見透かしたように、女性がつぶやいた。
「大丈夫だよ、キミ。何度失敗しても、あたしたちは負けないよ」
「……そうかな?」
「そうだよ、当たり前でしょ? これだけたくさんの人が平和を願っている。自分たちを脅かす存在から必死で命を守ろうとがんばっている。その気持ちがあれば、あたしたちは勝てるよ、絶対に」
いいこと言うっすねえ、と慶喜が喜ぶ。
廉造はなにも言わなかったが、きっと愁と同じようなことを思っているだろう。
彼女の言葉からは、まるでイサギが語っているかのような、そんな印象を受けたのだ。
――とてもよく似ている。
人々に勇気を与え、その希望の道を照らし出す、太陽のような言葉だ。
なるほど、と愁は思った。
イサギとプレハ、彼らはまさしく出会うべくして出会った存在であったのだろう。
「ありがとう、君」
「どういたしまして?」
笑うプレハの笑顔と目を合わせられぬまま、愁はレーヴァティンを構えた。
自分がもしイサギよりも先に彼女と出会えていたら……。
――いや、そんな仮定は意味がない。
今ここで為すべきことを、為そう。
愁が注ぎ込んだ魔力は砲塔のマジックラインを通過する。
起動した複雑な魔法陣は、空中に六芒星を描く。
魔晶ギアが跳ね上がり、制御棒が全解放された。
「対巨神討伐兵器、レーヴァティン!」
今こそ、その名を歴史に刻むとき。
――そして安全装置が解除される。
愁たちが立つ空間に魔力が膨れ上がる。
三人の禁術師とひとりの極大魔晶が高めた魔力は、彼らの足元をわずかに魔晶化させるほどの密度であった。
周囲との魔圧差によって気流が発生し、行き場を失った魔力が電光を発する。火花が弾け飛んで、辺りを照らした。
三者三様のコードが描く文様は破壊、獄炎、消滅。どんな絵画でも描けないであろう、色鮮やかで美しいその情景は、人類の尊厳を再生する炎であった。
愁は右手を突き出し、号令を発する。
「発射――――!」
同時に四つの魔力が放たれた。
凄まじい速度で直進するのは、あらゆるものを貫く光の波動。
ひときわ巨大な火球を放ったのは廉造だ。それはかつて彼を叩きのめしたレ・ヴァリスの用いたメルセルベルの落日に似た姿である。ただ、それを二回りほど巨大にしたものであった。
慶喜は彼の得意とする自己増殖詠出術による、魔槍投擲。相手に衝突すると同時に破壊の力をまき散らす魔術だ。
そしてプレハは極大魔法ではなく、彼女が普段から得意としている一発のファイアーアロー。だが込められた魔力により、段違いの巨大さを誇る。山ひとつ程度ならば、吹き飛ばせそうなほどの全長である。
これら四人に加え、さらに一条の閃光が空間を裂いて飛んだ。真っ赤な熱線だ。
それは要塞内の最も高い尖塔から、巨人たちの群れへと放たれている。
魔術を放った廉造は振り返ってうなる。
「来ていやがったのか、シル公」
かくして、五重に重なり合う莫大な魔力は、巨人の群れのその中心へと炸裂し――。
――否、魔力の向かう先には巨大ななにかが存在していた。
『虫けらが何匹集まっても無駄だ――』
嘲笑うような神族グレリスの声がこだまする。
巨大ななにかの正体。それは神の造り出した『障壁』であった。
遠目にその輝きを目撃した慶喜が思わず叫ぶ。
「えええっ、神族が『術式』を用いるんすか!?」
「いや、あれは」
「違う……」
愁とプレハは気づいた。神族グレリスが操るのは人間族が『術式』と呼ぶものではない。それに似ているが、中身はまるきり違う。
あれは魔世界に影響を及ぼす力ではなく、神世界から直接力を引き出す神の奥義。
――『極術』だ。
極術の壁を貫けるかどうか。いや、恐らく貫ける。愁はそう判断した。
だが、もしあれを貫通したとしても、一同が全力で放った魔力の威力は大きく減算してしまうに違いない。最大打撃とは言えなくなるだろう。
「――く」
レーヴァティンの発射回数は限られている。この一発にすべてを懸けていたわけではない。だが対抗手段を講じられ、防がれたとなれば、束ねた人類の力ですら神には及ばない。そんな証左になってしまうのではないか。
愁は魔力を大きく消費した体で、さらに自らも術式のコードを描こうと右腕を掲げる。
今さら間に合うものではないが――。
その刹那。
黒い光が瞬いた。
白銀の剣を掲げた男は――すでに神族の進軍する荒野に降り立っていた彼は――渾身の叫び声とともに剣を振り下ろす。
「――あああああああああ!」
あらゆるものを斬り裂く神剣クラウソラスは、極術をも斜めに断ち切った。
破潰された極術はその効力を失い、かすれるようにして消えてゆく。
神族と人々の驚愕に挟まれ、男はマントを翻しながら、戦場を貫く魔術の行方を見送った。
極大なる魔術は神族の中心に着弾した。
刹那、すべての音が失われ、直後に光が瞬いた。
歴史上類を見ない規模の魔術による範囲攻撃である。火力の余波である光は辺りを真昼のように照らし出す。遅れて爆発音が轟いた。
地を舐める衝撃と熱波。生じた風が砂埃を巻き上げ、ドラゴン族の飛翔を乱す。
要塞に立ち並ぶ者たちは肌に、乾き切った熱を感じた。一瞬にして周囲の温度は上昇し、息苦しさが辺りを包む。
リアファルにまでこれほど影響を及ぼしているのならば、中心点はどれほどの有様なのか――。
――神族の中心にぽっかりと空いた穴からは、黒煙が立ち上る。
中心近くの神族はプレハの極大魔法を浴びたかのように完全消滅した。その周囲にいた巨人もまた、何匹かが地に伏している。赤肌は爛れ、魔術の威力のすさまじさを物語っていた。
兵士たちは興奮に沸き立った。我らがギルドリーダーは、神族に人族が立ち向かえることを証明したのだ。それは敵に与えた損害よりもずっと大きな戦果であった。
最初の大打撃は成功した。
だが納得できない男がここにひとり。
「あの野郎、テメェひとりでやりやがった――!」
廉造が吼え、背中から翼を生やす。
そして先を越された怒りとともに振り返り、愁を睨みつけた。
「これ以上ごちゃごちゃ言うンじゃねェぞ、愁!」
「わかっているよ」
蒸気を吹き上げ、冷却シークエンスに入ったレーヴァティンを肩に担ぎながら、愁は神々を指差す。
「薙ぎ倒せ、廉造」
「あァ! ――だが、俺に命令するンじゃねェ!」
廉造もまた、翼を生やして巨人の群れへと突撃してゆく。
愁は彼方にあるイサギの小さな背中を見やり、ため息をついた。
「まったく……。独断専行、作戦無視、か。勇者ってやつはこれだからね。英雄のほうが、気が楽だな」
それでも、戦場で決定的な楔を打ち込むタイミングを決して逃さない、天才的な機運を掴む握力。
これが最強の単体遊撃兵――。
――すなわち『勇者』の手管であった。
廉造が空を駆る。
ドラゴン族を置き去りにするほどの速度で、彼は神族の群れの目の前に到達した。
廉造は空中にホバリングしながら、足元のイサギに怒鳴る。
「テメェ、さっさと行っちまいやがって、魔術に巻き込まれるぞオラ」
「心配いらないさ。俺にはラストリゾート・フィールドがあるからな」
左手で剣一本を肩に担ぐイサギは、己の赤腕を見下ろしながら小さくつぶやく。
「それに、――俺にはもう、あまり時間が残されていない」
「……テメェ」
「世話をかけるな、廉造」
「……知ったことかよ、オレはテメェをぶっ殺そうとしていたンだぜ」
「そうだったな。なんだかずいぶんと、遠い昔の出来事のように思えるよ」
廉造は一瞬だけ真顔に戻った。その言葉を振り払うように、頭をかく。
「イサ」
「ああ」
廉造が地上に降り、イサギと並び立つ。
ふたりの目は、こちらに向かって大地を踏みしめながら突進を開始した『敵』を捉える。
硬質化した皮膚と、圧倒的な質量。巨体を支える膨大な魔力総量。それらから繰り出される拳の破壊力は、人知の及ぶものではなく。もはや原始的な攻撃方法ですら、ひとつの戦術兵器のようであった。
巨人。神々をこの大地に降臨させるための、器としての姿。生物と無機物のその狭間のような彼らは、赤い肉体を脈動させながら迫り来る。
それが一体や二体ではない。向かってきた数は十を超えるだろう。
八体相手にリアファルは陥落しかけたのだ。
悪夢のような光景だが、イサギと廉造は一歩も引かなかった。
自分たちが負けるはずがないと、心のどこかで信じている。
この世界に平和をもたらし、人々を救うために――。
「行くかァ」
「征こう」
走り込んできた神族。その剛腕が、廉造の先ほどまで立っていた位置を抉り取る。巻き上げられる土砂に逆らい、廉造は神族に飛びかかった。
「オラァァァァァァ!」
この時点で、廉造はオハン以外のあらゆる武装をまとっていない。あれほど鍛え上げた剣術も槍術もすべて捨ててきたのだ。
どちらを用いてもイサギには勝てなかった。彼が今振るうのは己の肉体のみである。
廉造の拳が神族の顔面――目も鼻も口もなく、できそこないの粘土細工のように不気味なその頭部――にめり込んだ。
次の瞬間、廉造の肘の先――魂鎧オハンから紫色の光子が噴出する。
それは魂の色だ。
魔鎧オハンは、自らの魂と引き換えに効果を発する、まさに悪魔のような装備である。
今まで幾人もの使用者の命を吸い取ってきたこの力を、廉造は惜しげもなく引き出す。
廉造の加速した拳は神族の頬にぶち当たり、そのままその首から上を――ねじ切った。
螺子のようにぽんと地面に落ちる巨人の頭。
彼らがいかに神と言えど、この世界の肉を帯びて顕現している以上、肉体の死は免れない。
すなわち――たったの一撃で廉造は神族を殴殺したのだ。
オハンの加速力と、獣術の筋力強化、そして極めた闘志による三倍撃である。
廉造の拳は今、間違いなく――神の拳を上回る攻撃力を有していた。
「――次ィ!」
吼える廉造。そのとき影が落ちる。
今度は上空からだ。
凄まじい速度で落下してきた神族に、廉造は自ら飛び立った。
地面を蹴り、竜の翼をはためかす。さらに両足のオハンによるブーストが廉造の体を重力から完全開放した。
神族が表情を作れるのならば、その顔は『畏怖』のみに染まっていただろう。
廉造は巨人の胴体を突き破った。
さらに反転――。
地面に落下する巨人を追い、廉造は急降下。
空中で巨人の後頭部を掴むと、そのまま大地に叩きつける。
土砂が巻き上がり、巨人の体は深くめり込んだ。
「死ねや」
――ぐちゃりと柘榴のように巨人の頭部が潰れ、真っ赤な液体が地面に広がる。
血ではなく神エネルギーが弾けたものだ。液体の濡らした土がキラキラと輝きを帯びるのは、それが魔晶となった証である。
圧倒的な攻撃力と速度を誇る魔人は、しかしここで神族に対し防戦に回る。
前後から襲い掛かってきた神族によって、着地を捉えられたのだ。
巨大な拳による暴撃をからくも避けた廉造であったが、後ろからやってきた神族のタックルを浴びる。
「テメェ――」
そのまま地面へと押し込まれた廉造は、巨人に覆い潰されて見えなくなった。
千載一遇の好機を見た巨人たちは、次々と廉造の下へとやってくる。圧殺するつもりだ。
五体の巨人がのしかかると、さすがの廉造も重量には耐え切れなかったのか、叫び声をあげた。
「――ウゼェ――!」
「廉造――」
二匹の巨人からの攻撃をしのいでいたイサギもまた、彼の窮地を見て叫ぶ。
だが――。
廉造がその程度で屈服するような男であるはずがない。
――五体の巨人が同時に宙を舞った。
巨人の内部で爆発系の魔術を用いたのか。いや、そうではない。
先ほどまで廉造がいたはずの位置に一匹の黒竜が出現していた。
気高き金のたてがみを持つ、堂々たる巨竜である。
神族と同クラスの大きさを持つ竜は左右の腕の中指にオハンを装着していた。足にもだ。
魔人竜廉造。彼は再びこちらに突撃を仕掛けて来ようとした神族の一体を、尾で薙ぎ払った。
さらに拳を握って正面から殴りかかってきた巨人をその右腕で踏み潰す。そして地面に押しつけながら巨大な顎を開いた。
竜の喉奥に炎が宿る。
魔力が凝縮され、かの竜の双眸が紅蓮に染まった次の瞬間。
漆黒の魔炎が放たれ、巨人を焼き尽くす――。
神を圧倒し、魔人竜廉造は咆哮する。
あらゆる神族を威圧するように。そしてすべての魔族を鼓舞するように。
竜の口は冒涜的な言葉をまき散らす。
『これが神かァ! これが人類を滅ぼすと言っていた怪物か!? くだらねェ! こいつらのどこが強いんだ!? 人間の方がよほど恐ろしいぜ! くだらねェ! くだらねェな、雑魚どもが――!』
神をも喰らう竜が、そこには存在していた――。
暴虐の王が神々を圧倒する姿を横目に、イサギは口元を歪める。
イサギは二匹の神族に囲まれていた。
「あいつ、大したもんじゃねえか」
敵に回ると恐ろしい男だったが、仲間になるとこれほど頼りになるとは。
黒衣をまとうイサギは両眼が赤く輝き、そして右腕もまた真っ赤に染まった異形の姿だ。
切断し、そして神エネルギーによって再構成した右腕は、そこに存在するだけでイサギの体を蝕む。
もはやイサギの体組織は、そのほとんどが神族と変わらぬ状態であろう。
魂の一欠片かあるいはそれすらも残っていないのかはわからない。
だが、今イサギがイサギでいられるのは、見えないなにかがイサギの奥底で燃え続けているからこそだ。
あるいはそれは、勇者という名の証明であるのかもしれない。
この星型第三要塞リアファルに来るまで、数多くの村が破壊されている様子を見た。
それは戦争などという生易しいものではない。ただの虐殺であり、殲滅である。
生存者はたったのひとりもいなかった。巨人は己の家に入り込んだ害虫を駆除するかのように、出会った人族を皆殺しにしていった。
東を目指す難民の一団が、一匹の巨人に轢殺されて、挽肉の海に変えられている光景を見た。
死体のほとんどは原型をとどめずに潰されていた。
イサギも人を殺してきた。
それこそ大量の人をだ。
敵であれば殺し、己の命を守るために殺した。
それが平和に繋がると信じて殺した。言い訳などなにひとつできない。
いずれ己も殺されるだろうと思い、剣を振るった。
イサギも神族も変わらない。
どちらも自分の使命のために相手を殺す。そこに恐らく――正義はない。
ならば――単純だ。
イサギは神族のすべてを殺そう。
彼らがそうしたように、イサギもそうしてやろう。
正義はない。愛はない。手加減も躊躇もなく殺してやろう。
神族がいかにこの大陸のことを憂い、仲間の幸せを愛し、夢を語り、花を育てたとしても、殺してやろう。
でなければ己の仲間を守ることができないのなら、イサギはそうしよう。
殺された少女のために神を殺すのではない。
まだ生きている少女のために、イサギは神を殺すのだ。
死んでしまった仲間のために神を殺すのではない。
背中を守ってくれている恋人のために、イサギは神を殺すのだ。
イサギに一匹の巨人が襲いかかる。
正面から飛びかかってきた神族の動きはフェイクだ。
本命は後ろにいる巨人に違いない。
だから、ふたりまとめて片づけてやろう。
イサギは両手でクラウソラスを掲げ、剣閃の嵐を巻き起こす。
周囲に銀の光が舞った。そのすべてが一撃必殺、巨人を斬り裂く神剣の裂撃だ。
「エクスカリバー・エクストリーム・ジョーカー!」
イサギの領域に踏み込んだ二匹の巨人は、その全身を細切れにされ、嵐とともに天へと至る。
やがて辺りに降り注ぐのは真っ赤な雨。神エネルギーの残滓である。
地面に吸い込まれたそれは花を咲かせることもなく、殺戮の証を魔晶の輝きへと変えてゆく。
体が軽い。己の意識が存在していることが奇跡なほどの状態だとしても、神エネルギーはイサギに無限の力を与えてくれるかのようだった。
「制限時間のないラストリゾート・ジ・エンドか。まさに無敵だな」
猛然とこちらに突っ込んできた神族は腕を振りあげる。
イサギはそれを冷やかな目で見つめ、そしてクラウソラスを構えた。
打ち下ろされる拳に向けて大きく踏み込む。
巨人の間合いの内側に入り込んだイサギは、神剣を振るった。
「俺がここにいる以上、お前たちはもう――終わりだ」
縦一文字。真っ二つにされた巨人が、イサギの背後の地面を叩いた。
たとえ神殺しの咎で、永劫の闇に無限の輪廻を囚われようとも、イサギは戦うことを止めないだろう。
初めてプレハの手を取ったあの時から。
『勇者さま』と呼ばれたあの時から、すべては決められていたことなのだ。
己の命が刻一刻と失われてゆく中、イサギは初めて自らの運命を理解する。
『――勇者さま、この世界をお救いください』
それが彼女の心からの願いならば。
イサギはそうしよう。
全ての神を滅ぼし、そして、血の海の底に沈むために。
イサギは歩き出す。
――たとえ此の先、全てを失おうとも。
「お前たちのすべてを、破壊する」
次回更新日:9月11日(金)21時。