14-3 ひとりの魔王は砕けず折れず
その巨人は北からやってきた。
星型第三要塞リアファルが突破されたわけではない。
だが、防衛線の都合上、どうしてもすべてをカバーするわけにはいかなかったのだ。
パラベリウ中央国家北部の寒村地帯からやってきた一匹の巨人は、ダイナスシティにたどり着く。
冒険者ギルド本部がその進軍を察知したときには、もはや遅かった。
巨人はたった一度の跳躍で城壁を飛び越え、そして街に降り立った。
難敵の強襲に、陽聖騎士団と神殺衆は絶望的な戦いを強いられることになる。
荒野で迎え撃つのとはまるで違う。
市街地での戦いだ。
一点に対して集中できる火力は、荒野に比べて著しく低下する。
多くの被害が予想される中、防衛団は出動した。
それはもはや、死出の旅のようだった。
ひとりの枯葉色の髪をした少年がいた。
彼――ジョーイは神殺衆のひとりである。
彼は才能ある剣士であった。
パラベリウ東部の街に生まれ、剣術道場に通い、十歳の頃には大人の中に混じって稽古を行なっていた。
強くなることが楽しくて、嬉しかった。
幼き少年には、強さへの素直な憧憬があった。
十三歳にてギルド本部からスカウトされ、エージェントとして活動をしつつ、その才能を目覚めさせていった。
そして十五になった彼は、特殊戦闘部隊『神殺衆』に編入する。
ギルドマスターお抱えの、特殊部隊だ。
これは名誉なことだった。
少なくとも彼はそう信じていたし、実際に自分たちを率いていた頭領の強さに、ジョーイはしびれるほど憧れた。
ギルド本部に残っていた神殺衆の面々はすぐに仮面を装着し、黒衣をまとった。これは正義を為すための白い制服であるギルド職員との、対比である。
時には正道に反することを行なってでも、悪を斬る。そのための仮面と黒衣であった。
そして今――。
ビリビリと足元が震えている。巨人が歩くたびに、震動が辺りを揺らしているのだ。
ジョーイたちダイナスシティに残った神殺衆は今、ギルド本部の屋根の上に立ち並び、巨人の行方を見守っていた。
時間は早朝。鶏の鳴き声もなにかを恐れるように静まり返った朝である。
「ギルドマスターが昨夜発ったばかりのときに、まったく、タイミングの悪いことだな」
仮面の男のひとりがうめく。
腕組をしていた長身の男が、首を振った。
「どっちみち、マスターに危険な真似はさせられない。俺たちで討つしかあるまい」
「陽聖騎士団はどうしているんだっけ」
気楽な女が後頭部に手を当てながら、尋ねる。
ジョーイが震える拳を隠しながら、返した。
「町の人の避難誘導をずっとやっているよ。あいつらの槍じゃ、巨人に打撃を与えることはできないし」
彼ら神殺衆は、この場に四人。
総勢百名を超える部隊だが、その多くは世界各地に散らばっていた。
数少ない残りも、星型第三要塞リアファルに行ってしまった。
つまり、四人。
この四人で、あの巨人をどうにかしなければならないわけか。
「絶望だな」
「俺たちが希望さ」
「わたしたちの希望はどこにいるのかなあ?」
「僕がそうだよ、って言えたらいいんだけどさ」
ジョーイは頬をかく。
仮面の女、ルイはのんびりと肩を竦めた。
「ジョーイじゃちょっと心配かな」
「わかっているってば、ルイ」
ルイは術師であり、剣士だ。法術が得意で、誰かのサポートに回るのがうまい。希望というのなら、彼女が残ってくれたことが他の三人にとっての希望だ。
まあ、それがあの巨人にどれだけ通じるかというのは、疑問だったが。
「頭領は元気でやっているかな」
「死んだって聞いたぞ」
「裏切ってギルドマスターに禁固処分されているって話じゃないっけ?」
「だったら出してんだろ」
四人は口々に言い合い、そしてどちらともなくため息をついた。
震動はさらに強くなる。
腰に提げた剣が揺れ、じゃらじゃらと音を立てた。
「対巨人戦の訓練は、このときのためだったんだよな」
そうだ、それは正しい。
自分たちは神化病患者と呼ばれる化け物を倒すために編成された。
ならば、あの巨人がもっとも恐れるべきは、我々なのだ。
「やってやろうじゃん」
「やってやるさ」
「やるしかないっしょー」
「そうだ、やるんだ」
四人は剣を抜く。
その先、朝もやの中に、巨人の姿が見えた。
かつて城を襲った赤い巨人を、人々は覚えていた。
その再来がダイナスシティに踏み入れたことによって、彼らの恐怖はその勢いを増す。
今まで、彼方から聞くだけであった滅びが、目の前に現れたのだ。
怯え、惑いながら人々は避難に走る。
だが、いったいどこへ逃げるというのか。
もはやこの大陸において、人族の行き着く場所は滅亡あるのみだというのに――。
市街地での戦いは、混乱を極めた。
巨人のサイズはリアファルで戦っていたものと比べれば、それほどの大きさではない。一般的なサイズである。
だが、巨人は家屋をその剛腕でなぎ倒しながら進軍する。
安全な場所などどこにもない。屋根から屋根へと飛び移りながら、神殺衆のジョーイは叫ぶ。
「だめだ! 動きを止めなければ、斬りかかる隙なんてない!」
そんなことは皆、わかっていた。
包囲網を狭めることも広げることもできず、四人は巨人を取り囲み続けるしかないのだ。
巨人と近接戦闘を繰り広げることがどれほど恐ろしいことか、四人は身に染みて味わっていた。
なんといっても、建造物を拳の一撃で叩き壊す化け物だ。
接触即死は免れない。
男がコードを描き、稲妻を放つ。
だが、巨人の表皮は一向に傷つけられない。
「くそっ! 俺たちは死ねないっていうのに――!」
彼の言う通りだ。ここに立つのはたった四人の神殺衆。
誰かひとりでも叩き潰されたら、それこそ勝機が限りなく薄まってしまう。
ならば耐え忍ぶしかない。
このまま包囲を続け、遠距離から魔術を放ち、巨人が弱るまで……。
だが、どうだ。
あの巨人は――弱るのか?
巨人は無限のスタミナを持つかのように、永久不滅の肉体を駆使して街に災害をもたらしている。
先に弱ってしまうのは、自分たちのほうなのではないか――。
「火鼠の陣を敷こう」
そう言い出したのは、ジョーイであった。
他の男たちはそれぞれ巨人へと魔術を浴びせながら、怒号のような叫びを返してきた。
「なに言ってやがるんだ、お前は!」
「死ぬ気か!」
ルイもまた顔を曇らせる。
「火鼠の陣。三人が動きを止めて、ひとりが最大の剣技を叩き込む。対巨人戦のために、わたしたちが訓練を受けていた戦法だけど……」
「僕が火鼠になる。皆は囲いを頼むよ」
ジョーイは剣を鞘にしまう。
そこを巨人の腕が薙いだ。雑貨屋のような建物が倒壊し、瓦礫が道を埋めた。ジョーイはさらに後方の家の屋根へと飛び移る。
「しっかしこいつ、このままいくと――」
長身の男が気づいた。ハッとして、怒鳴る。
「こいつ、王城へと向かっている!」
皆が振り向いた。
巨人は王城へとまっすぐに駆けていた。
このままのペースだと到着するまで、十分もない。
城には数多くの避難民も退去している。
それに、自分たちが守るべき王だって。
なによりもあそこは、人族の最後のシンボルだ。
城が破壊されてしまえば、人は心を折られてしまう。
やはり、やるしかない。
「みんな、力を貸してくれ」
ジョーイが告げると、他の三人は迷っているようだったが、最終的にはうなずいてくれた。
命を賭す場面がいつか、自分たちはわかっている。
――自分たちは人を守るためにいるのだから。
王城へと続く大通り。
そこにジョーイは立っていた。
地面の上に立つと、巨人の震動がさらに大きく伝わってくる。
大気が震え、空気が凍てついていた。
大きく深呼吸をして、ジョーイは気を静める。
巨人の行く先が王城だというのならば、先回りをするのは簡単だった。
他の三人は罠を張り、ここへと導いてくれる。
そして、仕留めるのが自分の役目だ。
目を閉じると、あの男たちの戦いが浮かんでくる。
数か月前。頭領がレーヴァティンとフラゲルム・デイを持ち込んででも、倒したかった男との戦い。
魂が震えるような光景であった。
剣と剣が衝突し、火花が散った。
魔術も法術も、ジョーイが今まで目にしたことがないほどの威力で、あれこそが人類の到達しうる最強の存在であるという衝撃があった。
その姿は、目の奥にしっかりと焼きつけてある。
あの高みに到達するのだ。
あそこまでなれなくても、でも手を伸ばすことを止めなければ。
いつかきっと届くはずだ。ジョーイはそう信じて、剣を握る。
――人造魔晶剣『スラッシャー』
神殺衆全員に配られたその剣は、対巨神用の兵器だ。
ジョーイは魂を研ぎ澄ますように、鞘の中に収まった刃を意識する。
ただ一太刀。巨人に浴びせることができれば、勝負は決する。
そう信じて、ひたすらに闘気を練り続けた。
巨人が見えた。
はるか道の先。小さな巨人がこちらへと猛然と駆けている。
それはあらゆるものを破壊する神の槌のようだ。
やはりスタミナは底なしか。ここで食い止めなければすべてが終わる。
それに追従する、三人の黒い影。神殺衆の面々だ。
駆ける彼らは、巨人へと散発的な攻撃を仕掛けている。それなのに巨人はまるで気にせず、ただ走る。
まるでなにかに引き寄せられているかのように。
王城にはたくさんの人がいる。きっとそれに違いない。
巨人はみるみるうちに大きくなってきた。
一歩一歩大地を蹴るごとに、舗装された道が破壊されてゆく。
終末を知らせる使徒のようだ。
ルイが片手を掲げ、魔術を描く。閃光を射出した。
合図だ。
他のふたりは、まるで道を塞ぐように巨人の正面に障壁を張る。
しかし巨人は物ともせず、目の前の壁を叩いて砕いた。
注意を引くものかと思ったが、巨人はふたりを見向きもしない。
連続で法術を詠出する。
割れる。割れる。障壁は割れる。だが、巨人の速度も低下してゆく。
そこでルイが巨大なコードに火を入れた。
命令は魔世界を通じ、肉世界に影響を及ぼす。
ひときわ強力な、立体障壁――。
ルイが全魔力を注ぎ込んだ法術である。
四方を壁に囲まれた巨人は、そこで初めて足を止めた。
動きが止まった。
それは見事に――ジョーイの目の前であった。
ジョーイは柄を握り、爆発的に闘気を高める。
頭の中にはカウントダウンが響く。
三秒前。
二秒前。
一秒前。
見上げるほどの巨人が渾身の一打で正面の障壁を叩き割った。
すなわち――ゼロ。
障壁が弾け、魔力の残滓が降り散る中。
ジョーイは人造魔晶剣を抜き放つ。
「――ぶちかませ! スラッシャー!」
闘気に反応したその剣の刀身は青く輝く。
柄に仕込まれた魔法陣に魔力を注ぐことによって、人造魔晶剣は真の力を発揮するのだ。
ジョーイの剣撃は、見事巨人の胴体に命中した。
その直後、巨人に刻まれた傷が、青く輝く。
輝きはすでに刀身にはなく、巨人の胴体へとうつったかのように。
ジョーイではない男が――叫んだ。
「やったぜ!」
青い輝きは火を吹いた。
正確に言えば、巨人に刻まれた傷が爆発したのだ。
スラッシャーの刀身に塗り込められた特殊な魔晶は、魔法陣の発動によって、次に斬撃を浴びた相手に付着する。
それは一定時間の後に、さらなる爆発を起こすのだ。
一度きりの必殺技を繰り出したスラッシャーは、以後ただの剣として用いられる。
爆砕槍を参考に、さらなる汎用性を加えたものが、この人造魔晶剣であった。
理論上は、巨人の表皮を打ち破ることのできる威力だ。
ジョーイの一撃で巨人は揺らぐ。確かに有効打を与えることができた。だが、それだけで巨人は死にはしない。
巨人は後ろに足を突き出し、で踏みとどまる。たった一度の斬撃で巨人を押し返すことができたのだが、それだけで勝利とは言えない。
だからジョーイは――背中に担いでいたもう一本の剣を引き抜く。
それもまたスラッシャー。青き輝きが巨人の胴体を横一文字に薙ぐ。
爆発。
そして、ジョーイは右に差していた剣を抜いた。
繰り出した斬撃は倒れかけた巨人の顔を削ぐ。
爆発。
ジョーイは地面に突き刺していた最後のスラッシャーを引き抜く。
巨人の腹への渾身の突き。青き輝きは腹の中に満ちた。
ジョーイは飛びのく。そして爆発が起きた。
四本の人造魔晶剣。仲間たちが託してくれた、それぞれの剣。
ジョーイはすべてを巨人に命中させることができた。
勝った。
ジョーイはその確信を抱いて、スラッシャーを放り投げた。
ゆっくりと地面に沈み込んでゆく巨人を前に、拳を突き上げる。
「頭領! 僕は、やりました! みんなの力で、やりましたよ!」
その直後、ジョーイの眼前に拳が迫っていた。
巨人の拳だった。
ジョーイにとってただひとつの幸運は、十分に弱っていた巨人が繰り出した一撃であったため、即死を免れたというその一点に過ぎなかった。
暗闇に堕ちていった。
ジョーイの体は、遥か階下。穴の底まで叩きつけられる。
全身の骨が砕けるような音がした。
見上げる空の光は遠く。
光は高みにあり、手を伸ばしたところで届かない。
もう二度と這い上がることができないような、地の底だ。
「あ、ああ……」
油断していたのか、倒したといい気になっていたのか。
自分は最後まで相手に食らいつこうとしなかった。なんて愚かなんだ。
頭領だったらこんな油断はしなかっただろう。
己をののしる声が幾重にもこだまし、耳の奥を過ぎ、脳を突き刺す。
その報いが、これだ。
「きょ、じん……」
やつは間違いなく強かった。
手負いの身で、ダイナスシティの王城をめちゃくちゃに荒らすだろうか。
自分は仲間も人も、己の身さえも守れなかったのか。
半人前だ。
頭領が自分を連れて行ってくれなかった理由も、よくわかる。
ジョーイは伏せながら、手を伸ばした。
「だれか、だれ、か……」
恐らく体は血まみれだ。
落下の衝撃で、足の骨は折れていた。
それでも、救いを求める。
仲間は皆、いいやつだったのだ。
ひそかにジョーイは、ルイのことが好きだったのだ。
彼女を危険な目に遭わせたくなかった。
だから、火鼠の役目に立候補した。
ルイのことを好きだったやつは、自分の他にもたくさんいた。
その中で自分が一番だったわけではない。
ジョーイは男としては見られていなかった。
それでも、守りたかったのだ。
「たすけて、くれよ……」
手を伸ばす。
自分では、ない。
この世界に住む人を。
仲間たちを。
そして、ルイを。
「たすけて、やって、くれよ……」
胎動のように、ぼんやりと赤い光が浮かんだ。
それがなにか、ジョーイは気づけない。
だが今度は決定的だ。
淡い光が落ちた。
それはジョーイの体を包み込む。
治癒法術だ。
「……え……」
かすむ目で見上げる。
シルエットは、ローブを着た女。
長い髪の魔女。
地獄の底に来たのか、と思った。
これが自分の契約相手だろうか。
否。
その女には、もう契約している相手がいた。
すぐ隣に、いた。
「ジョーイじゃねェか」
「――」
その瞬間、ジョーイは涙を流した。
ここがどこかもわからない。だが、巡り会えた奇跡に。
もしこれが夢だったとしても、構わない。
少年は手を伸ばし、そして嗚咽の代わりに願いを漏らす。
「頭領、おねがいします。あいつを、たおしてください」
その願いは聞き遂げられた。
巨人の拳は地面に大穴を開けた。
ダイナスシティ王城の目の前だ。そこは空洞であり、不気味な空間が広がっていた。地の底に赤い輝きが浮かんでは消えている。
神殺衆たちも、聞いたことがある。
あれは召喚魔法陣『クリムゾン』
かつて勇者イサギを召喚したものだ。
ジョーイの敗北によって、彼ら神殺衆にはもはや打つ手はない。
今からギルド本部に戻ってスラッシャーを取ってくる時間はないだろう。
使用済みの剣を掴み、決死の覚悟で斬りかかる他に、実行可能な策はない。
だが、巨人は行く先を変えた。
あれの行く先は、城ではなかった。
地下に向かって落ちてゆく。
巨人が召喚魔法陣『クリムゾン』を破壊するために動いていたのだと、そのときに誰が気づいただろう。
誰もが気づけず、巨人は地下に降り立った。
もしここに極大魔晶があるのなら、英雄を召喚して化け物を斬滅せしめることができたかもしれない。
しかし、そのような奇跡が起こり得るはずがない。
勇気ある少年は退治され、巨人の進路を阻むものはもはやいなかった。
北からただひとり駆けてきた巨人。
スラッシャーを四発浴びたその化け物は傷だらけの姿で、足を引きずりながら、その赤く輝く陣へと征く。
だがそこに――。
男がいた。
「ウゼェな……。こいつァ、オレのモンだぜ」
腕組みをして、漆黒の翼を生やした男。
抜身の刃のような雰囲気をまとう彼は、闇の中ギラギラと光る赤い両眼で、巨人を見上げていた。
足利廉造。
その男は、そこにいた。
巨人は吼えた。見開いたその目は、やはり紅蓮。
本能で察したのかもしれない。ここに立つその廉造の力を。
四度の剣撃を浴びたのが信じられないほどの動きで、巨人は廉造に迫った。
三歩で距離を詰め、渾身の拳を振り下ろす。
まるで小蜘蛛を叩き潰すがごとき、剛腕。
だが。
廉造は逃げなかった。
そこから退けば、剛腕は召喚魔法陣『クリムゾン』に亀裂を走らせるかもしれないと彼は考えた。
だから廉造は、迎え撃った。
迷いなく拳を打ち出した。
巨人の左腕と、廉造の右拳。
そのふたつが激突した。
衝撃が弾け飛ぶ。
轟音が吼え盛る。
巨人の左手は後ろに跳ね飛んだ。
がら空きになった胴体に、廉造は再び握った右拳を。
「――っだァ!」
踏み込みながら、打ち込んだ。
まるでジョーイを地下に叩き飛ばした巨人の一打のように。
巨人は後方へと吹き飛んだ。
あの質量を持つ巨人が、だ。
壁に大きくぶち当たり、巨人はもうそれきり動かなくなった。
赤い煙が立ちのぼると、それはいくつもの魔晶を残し、消滅する。
ジョーイの願いは、聞き遂げられたのだ。
「あいつらァ、『クリムゾン』を狙ってンのか」
廉造の押し殺したような問いに、シルベニアが答えた。
「詳しくはわからないけれど、なにか不都合があるのかもしれないの」
「ンだよそれは」
「わからないけれど……」
シルベニアは治癒法術を続けながら、首を傾げた。
「あるいは、異界から再び英雄を召喚されると、困るかもしれないとか」
「はァン」
うなり、廉造は顎をさする。
「じゃあ巨人はここを狙ってくるってことかい」
「かもしれないの」
「そいつァ、まずいな」
廉造は背後を振り返った。
クリムゾンは静寂の中、変わらず胎動のように明滅を繰り返す。
ここで戦いになったら、クリムゾンは被害を受けるだろう。
そうなれば、廉造は元の世界には帰れない。
召喚陣の強度は如何ほどか。
わからないが、地面が叩き壊されては無事で済まないだろう。
まさかクリムゾンを狙ってくるとは思わなかった。
首を鳴らしながら、廉造は問う。
「どーすっかな、シル公」
「諦めるとか」
「却下だ」
「寄せ付けずに倒すのが一番なの」
「つってもな」
廉造はシルベニアに比べ、遠距離攻撃手段が豊富なわけではない。
そこで、シルベニアから治癒を受けていたジョーイがうめく。
「頭領……」
「ああ、テメェはしばらくそこで休んでな」
「リアファルに……、いって、ください……」
「あァ?」
うなる廉造は、ぽつぽつと語るジョーイから事情を聞いた。
そこが現在、人類の絶対防衛線になっていること。
慶喜が行き、そしてギルドマスターである愁が昨晩向かったこと。
突破されてしまえば、人族はもはや滅亡してしまうだろうこと。
血を流しながら語る彼の言葉のすべてを聞き終えて、廉造はうなずいた。
「わかった」
端的。ただそれだけの返事であった。
だがそれで、ジョーイは救われた。
目を閉じ、意識を失った。
黒き翼を広げ、廉造は飛び上がる。
獣術だ。彼の体はもはやドラゴン族と同化している。
操り方もずいぶんと巧くなった。
だが、もはやその肉体も魂もすり切れている。
どんなに治癒法術を唱えたところで、魂が復活したりはしないから。
シルベニアは眉根を寄せた。
「いくの?」
「あァ」
「その身体で……?」
「当然さ」
誰に会うのも、苦ではない。
廉造の目的はただひとつ。
それを曲げたことなど、たったの一度もない。
シルベニアは大きなため息をついた。
彼女には珍しいその感情表現に、廉造は苦笑を漏らす。
そして、その頭を撫でた。
すると、叱られる。
「バカ」
「今さらかよ」
「バカ、バカ、バカ」
「うっせェな」
シルベニアを小突く。
彼女はキッとこちらを睨みつけていた。
廉造はしかし、シルベニアの小さな額を手で押さえる。
その顔を、見ないようにして。
迷惑ばかりかけた。
世話ばかりかけた。
だが、だからといって。
そこで己を曲げるようならば、廉造は今ここに立ってはいない。
廉造は再び誓う。
この世界で何百何千の夜を越え、それでも砕かれることなかった己の信念の槍の元に。
告げた。
「――オレァ、元の世界に帰るんだ。そのためには、なんだってやるさ」