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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:Final 永遠の愛を
164/176

14-2 ひとりの魔王は月を抱く

 ――結局のところ、自分が本当にやりたかったことはなんだったのだろう。


 窓に映る自分の姿を小さく指で撫で、茶色の髪を後ろでくくった貴公子のような青年は、ため息でガラスを曇らせる。

 緋山愁。彼は窓の外に視線を転じ、そんなことを思っていた。


 ダイナスシティの夜は静まり返っている。

 だがそれはまるで、噴火寸前の火山のようだ。


 恐怖に押し固められ、行き場を失った感情の行方はなく。

 今にも暴動が起きそうな、そんな危うさをはらんだ静けさであった。


 緋山愁は冒険者ギルド本部の私室にて、暗い窓辺に立っていた。


 もはやここが愁の最後の居場所だ。

 どこへも流れ着けなかった愁が、広大なアルバリススの果て、最後に行き着いた愁だけの場所であった。



 勇者イサギは旅立ち、あの弱虫な慶喜でさえ行ってしまった。

 廉造の行方は知れず。ただひとり、自分だけが立ち止まっている。


 赤い雲に覆われ、月の明かりも届かぬこの地上。愁は這いつくばるただの一匹の人間に過ぎない。

 愚かなり。少し前の自分が今の自分を見たら、嘲笑するだろう。破滅した自分を笑い、過ちを犯すはずがないと傲慢な想いを抱き、そしてやはり何千回だって繰り返す。


 二度、失敗したのだ。

 一度目はルナを守り切れず、そのために彼女は自分をかばって死んでしまった。

 あんなことがなければ、今のような神族の助長を見過ごすこともなかったろう。


 そして、二度目だ。

 やり直したこの時代でも、愁は失敗した。

 なんでもうまくできると思っていたのに、そうではなかった。


 窓ガラスを指で弾き、愁は再び机に向かう。事務仕事だけは雪崩が起きそうなほどに積み重なっていて、『必要とされているのだ』というそれだけの事実が今の愁の心を支えてくれているようだった。


 愁は英雄であったが、勇者ではなかった。

 人を導く者には、ついぞなれなかった。


「本当に、僕はなにを」



 部屋で仕事を続けていると、深夜だというのに来客が訪れる。

 ひっきりなし。かわるがわる。数多くの女性がやってきた。

 その誰もが、見目麗しい女性であり、貴族の令嬢たちであった。


 人に会うのももちろん仕事の一環だ。これまでの愁はそうしてきた。だが今回ばかりはどうしても億劫さが優る。

 女性たちは皆、今の状況に不安を感じ、愁に説明を求め、安堵の言葉をほしがっていた。

 そんな彼女たちのことを、愁はよく知っている。


 もちろんだ。自分がこれまでに利用してきた女なのだから。


 適当にあしらうつもりで相手をしていると、彼女たちは結局、最後には毅然とした強さを見せて、愁自身を励ましてゆく。

 この期に及んでも度胸が据わっている女ばかりであった。それだからこそ、利用する価値があったのだろう。


 そんな令嬢たちに、愁は笑いながら告げる。


「大丈夫さ、冒険者ギルドは負けないよ」


 目は笑っていても、その奥の心は冷め切っていた。

 多忙だと理由をつけて追い返し、愁は椅子に深くもたれかかる。

 人と話すことがこれほどにエネルギーを消耗することだとは、今まで思わなかった。


 目はうつろで、気持ちは諦観に染まっている。


 不可能だ。

 神族の力は凄まじい。慶喜が立てこもっている最終防衛ラインも、すぐに突破されるだろう。

 自分は同郷の男を、死地へと送り込んだのだ。

 人族を救うための行為とはいえ、許されることではない。

 罪を重ねてゆくだけだ。


 陰鬱だ。

 このままこの部屋にいたら、腐ってしまいそうである。

 ――どこへいっても同じことではあろうが。


 愁は立ち上がると、立てかけていたクラウソラスレプリカを掴む。

 手に馴染む感触。かすかな熱が手のひらに伝わるが、愁はそれを疎ましく思った。


 この時代に転移してからの三年間は、イサギとの三年間だった。

 彼と戦い、彼と離れ、彼と出会い、そして彼とともに戦った。

 目的を達成するためにイサギは最高の駒であった。

 それ以上の感情は、なかったはずだ。

 愛着も友情も、信頼も絆も。なにも感じたくはなかった。

 いつか死に別れるかもしれないのなら、そうあればいいと願っていた。


 愁は部屋を出る。

 己の最後の居場所さえも捨てて、死に場所を求めてさすらう旅人のように。


 彼は今、己の心に浮かぶかすかな感情の揺らぎすらもなにもかも、消えてなくなってしまえばいいのに、とさえ思っていた。




 部下たちには「風を浴びてくる」と言って、抜け出した。

 王都の夜には、期待した通りの涼やかな風が吹いている。

 だが、それだけだ。


 露店は閉じ、活気は途絶えていた。

 馬車などの往来はなく、誰も彼もが家の中に閉じこもっているようだ。

 なじみの食堂の前を通ったが、閉店休業中。

 服屋も、床屋も、靴屋も、彫金屋もだ。街は死んでいた。


 ここはまるで淀んだ水の底のようだな、と愁は思った。


 人類最後の都市、ダイナスシティがこのざまか。

 これならば今の自分のほうが遥かにマシだ。

 なにに対してかもわからないような、そんなくだらない優越感を抱えながら、愁は通りを歩く。

 世界にただひとりきりだと思えば、この状況は清々しくさえ思えた。滅びた文明の街を愁は闊歩する。


 だがそんなとき。

 曇天の下、声をかけられた。


「ひどい顔をしているわねえ」


 見やる。

 そこには薄絹をまとった女性が立っていた。長い亜麻色の髪を伸ばして、スタイルは悪くない。洒脱に腕を組み、こちらを流し目で見つめている。

 目が合った。


「僕に言ったのかい」

「ええ、今にも倒れそうよ」


 ふむ。

 愁は己の顔に手を当てる。わからない。

 軽く腕を振るうようにコードを描いて、地面に水面を作り出した。

 覗き込む。窓ガラス越しではわからなかったが、確かに目の下には色濃いクマが刻まれている。


「なるほど。そうかもしれないな」

「お仕事、大変ね」

「まあね」


 冒険者ギルドの制服を着ていた愁を、職員だと思っているのだろう。まあ実際のその通りだ。そのくらいはともかくとして。

 女は近くの家屋を指差した。


「どう? 少し休んでゆく?」

「そういう気分じゃない。お金ならあげるよ」

「……なにか勘違いしているみたいだけど」


 女はこめかみに指を当てて、眉根を寄せながら笑った。


「あたしは商売女じゃないわよ。ご期待に添えなくてごめんなさいね」

「そうか、どうりで誘い方が雑だと思ったよ」

「こらこら」


 愁の無礼をたしなめる声は、なぜだか懐かしく感じた。




 路地から路地へ。都市全体が暗いため、いつもと違う印象を抱くが、そこは平民が住まう一般的な住宅街であった。


 他意もなく、ただついてきてしまった。

 女は自分と同じぐらいの年だと思っていたのだが、驚いた。


「こら、お客様だよ! 静かになさい!」


 家に着くなり、愁はダイニングに通されたのだが。


 そこでは、テーブルの周りを走り回るふたりの男児がいた。

 さらにふたりの姉と思しき小さな娘が、茶を運んできてくれた。


 愁は面食らったような気持ちで、つぶやく。


「にぎやかだね」

「ほんっとにごめんなさいね……。呼んでおきながらこんなんで……」

「いや、こういうのも新鮮な気分だ」


 愁は音を立てずに茶をすする。


 子どもはまあ、嫌いではないが好きでもない。。

 死んだような街の片隅にこんなにもエネルギーを持った生き物が潜んでいるというのが、物珍しいだけだ。


 子どもに手を焼きながら、女は世間話のように語り出す。


「うちの旦那は冒険者でさ」

「へえ」


 だとしたら死んでいるのだろうか、と思ったが。

 しかし、彼女の語り口に悲しみはなかった。

 今も本部で働いているのだろうか。だったら名前ぐらいは知っているはずだ。


「でもまあ、半年前に亡くなっちまったんだよねー」

「……ん」


 またも予想を覆された。愁にとっては珍しいことだった。


 さっぱりと笑う彼女は、子どもたちの面倒を見ながら、語る。


「でも、それ以来、冒険者ギルドさんから補助金をもらって、なんとか親子四人暮らしていけているからさ。ありがたい話だよ。旦那とギルドは死んでからもあたしたちを守ってくれている」

「それはよかった」


 冒険者ギルドが残された遺族への恩給を支払うシステムは、以前からあった。それをさらに整えなおしたのが、愁であった。


 そんなことは露知らず、女性はあっけらかんと肩を竦めた。


「ま、そんなだからさ、あんたみたいなのが困った顔をしていると、面倒見たくなっちゃうんだよね」

「恩返しかい」

「しーらない。ただのお節介かもね。ほらあんたたち、子どもはもう寝る時間だよ!」


 急に大きな声をあげて三人の子どもを寝室のほうへと引っ張ってゆく。

 彼女の後ろ姿を見送り、愁は考えていた。


 半年前の大きな戦いといえば、『ブレイブリーロードの魔王戦』だ。


 死んだ男は、リヴァイブストーンを使っていたのか。

 彼を処分するようにイサギに仕向けたのは、愁だ。

 まあ、今さら悔やむようなことではないが。


 ギルドマスターである以上、冒険者の死にはなんらかの要因で絡んでいる。

 惜しむらくは、リヴァイブストーンの使用者たちを殺害したところで、怪物たちはすでに生まれてしまっていたことだ。


 ならば、犬死だな。彼女の主人は。


 どういうということはない。

 今さら愁の砂漠のように乾いた心に雨は降らず、月が輝きはしない。


 そもそも遡れば、自分がこの世界にやってきたのも無意味だ。

 今まで生き延びてきた人族も、ここで死ぬのだから犬死である。

 つまりはすべての命が等しく無駄か。

 そうかもしれないな。


 手元の茶が空になったあたりで、女が戻ってきた。

 子供たちを寝かしつけてきた彼女は、ふうとため息をつく。


「ごめんねえ、騒がしくてさ。ガキども、こんなときだってのに事情が理解できてないんだよね」

「そういう君も、あまり怯えている様子はないようだけどね」

「ま、他の人に比べたら、かな。だってここは冒険者ギルド本部のおひざ元だからね。あの人たちだったら、きっと今回もなんとかしてくれるでしょ」

「ははは」


 思わず笑い声が漏れた。


「いや、失礼。でもずいぶんと信じているんだね」

「そりゃそうさ。あの人たちががんばっているのを、近くで見てきたから」


 近くで見てきた、か。

 血のようにこぼれる皮肉を止めることはできなかった。


「人間の目は物事を自分の都合のよい風にしか見ない」

「……それはどういう」

「君はずっと、表面だけを見て理解した気になっていたのかもしれないね、ってことさ。冒険者ギルド本部だって、中身はひどい有様だよ。この期に及んで脱走者が出ないのが、奇跡的さ」


 彼女があまりにも楽天的に笑っていたから、語ってしまったのかもしれない。伝染病をまき散らすように、絶望を。


「本当はみんな、諦めている。市民に伝えないのは暴動を防ぐためさ。命を懸けたところで誰も救えない戦いの中、希望はどこにもない。そういうわけさ」


 愁の顔にはもはや酷薄な笑みが張りついていた。


「なるほどねー」


 そう言って笑うと、女は手のひらを差し出してきた。

 愁がその指先を避け、彼女の顔を見上げた直後。


 ――頬を張られた。

 辺りに響き渡るような、いい音がした。


 愁はしばらく、目を白黒させていた。

 アマーリエの剣戟すらも見切ってきた愁の目が、あの程度のものを捉えられなかったのか。

 相手の力量なんて、無に等しいというのに。


 痛みは遅れてやってくる。

 ジンジンとしたそのうずきが、なぜだかやけに熱かった。


「あんたそうやって、誰でも見下しているんでしょ。人の気持ちわかった気分になって、偉そうなことを言っているんだね」

「……なんだって?」


 女は静かに愁を眺める。子どもを叱り慣れているからか、そこに気負いはなかった。


 だが、愁はその目が気に食わなかった。


 愁はギルドマスターだ。冒険者たちの頂点に立つ存在だ。

 それなのに、偉そうなことを言うこの女は、何様なのか。


「わかるさ、僕には大体のことがわかるとも。この世界がどうなってしまうのかだって、わかっている。人ひとりの苦悩や悲しみなど、取るに足らないことだ」

「それが、思い上がりだって言っているのよ」


 女は強い言葉で、愁の過ちを叱る。

 愁にはわからなかった。


 この女風情が、自分のなにを知っているのか。

 そして、


『信念無き男に背中を預けることは、できぬ』

『他人の命を弄ぶオマエは、本質的にあの神族たちと変わらない』

『オマエがやったのは、自分のためだ』


 ――なぜ、ルナと似たようなことを言うのか。


 愁は声を荒げた。


「思い上がりなものか! 僕と君たちでは物事の視点の高さが違う! 上位のものは大局に目を向けなければならない!」


 なぜだかわからない。

 だが、愁は言葉を紡げば紡ぐほどに、自らのなにかが失われてゆく感覚を味わっていた。


 イサギを叩きのめしたときも、慶喜を死地へと送り込んだときもそうだった。

 いったいなんだ、この想いは。


 蝋燭の薄明りに照らされた女は、両手を組みながら、じっと愁を見つめている。


「うちのガキンチョどもがさ」

「……?」


 彼女は微苦笑すると、両手を開いた。


「最近妙に小利口になってきてさ、なにを叱ったところで、聞きゃあしないんだよ。走るよ、転ぶよ、って言っても、そんなの転ぶわけないじゃん、って。で、やっぱり転ぶわけじゃない? そしたら今度は石があったからだとか、つんのめったからだとか、言い訳をするのよ。それも含めて、転ぶってこっちは言ってんのにね」

「……なんのことだい」


 愁は眉をひそめた。


「あんたを見ていると、そう思うよ。きっと、がんばっているんだろうよ。そんなに目の下にクマを作るぐらいさ。でも、気づいていないんだ。あんたは何度も転んでいるのに。『転ぶよ、危ないよ』って、言ってくれる人がいなかったのかな、って」

「……それは」


 頭の中にアマーリエのことが思い浮かんだ。

 勝ち気な瞳で、腰に手を当てて毅然と立つ彼女がいた。


「僕は、失敗なんて、していない」


 愁はつぶやいた。

 それを女は、憐れむような視線で見つめている。


 なぜだ。

 なぜそんな顔をするのだ。


 アマーリエは、愁のやり方に突っかかってきたりばかりいた。

 そんな赤髪の女性を、愁は子供だと思い、相手にしなかった。


 自分のために何度も本気で怒っていたのに。

 愁はそれを受け入れなかった。

 そして彼女は自分の道を歩み、イサギのためにプレハを助けに向かった。

 恐らく死んだのだろう。愚かな女だと、愁は思った。

 魂からアマーリエの存在を削ぎ落とし、そして愁の心はさらに空っぽになった。


 ただひとつの目的のために、すべてを捨ててきたつもりだった。

 今の愁の両手に残っているのは『己』だけだ。


 ゆらめく火が、壁に複雑な影を作る。

 影は巨大で、だがここに立つ愁はちっぽけな大きさだった。


「僕がやろうとして、思い通りにならなかったことなんて、ないんだ」


 愁は拳を握る。


 今だってそうだ。

 変わらない。

 愁がその気になれば、目の前の女は一瞬で物言わぬ肉塊へと変わる。

 減らず口を叩くことはできなくなる。


 女だって、金だって、なんだって手に入る。

 地位だって、才能だってある。

 たった二年でギルドマスターまで上り詰めた。

 自分に意見できる人なんて、いない。


 千人が千人、羨むような地位に、愁はいる。

 そのはずだ。だから、自分は間違っていない。


「だから、あんたはそうなってしまったんだね」

「……」


 俺を憐れむな。

 喉元まで出かかった言葉は、魂の火に燃やし尽くされ、塵も残らない。


 愁は手のひらを持ち上げた。

 顔の前で、握り締める。


「すべてを見透かしたような目をして、くだらないと気取ってないで、なにかひとつをやってごらんなさいよ。難しいかもしれないけど、一生懸命さ」


 イサギの顔が浮かんだ。

 慶喜の顔が浮かんだ。

 廉造の顔が浮かんだ。


 そして、常になにかを耐え忍んでいるような、ルナの顔が浮かんだ。



「ひとつを、か」


 ルナはまだどこかでひとりで戦っているのだろうか。

 神族のあの大群を相手に、たったひとりで。

 人族を守るために、ひとりで。


 ああ。

 彼女を放っておいて、自分はなんでこんな場所にいるのか。



「そうさ、なにかひとつ。本当にひとつだけ。ガキンチョみたいに、一心不乱にさ。やりたいことがあるんだろ。だったらそれを貫いてみせなよ」


 女の声は、その内容に反して、優しいままだ。

 ずっと、ずっと。優しかった。

 胸にしみいるほどに、柔らかかった。


「難しい」

「できるだろ」

「わからない」


 叩かれた頬を、さすられた。

 温かかった。


「できなくても、やってみるんだよ。ダメだったときは、もう一回、何度でも。ガキンチョは、そうやって大きくなってゆくんだ」

「そうかな」


 目元を拭った。

 愁は知らず、泣いていた。

 その理由は、自分にもわからなかった。

 ただなぜだか、肩に背負った荷が軽くなったような、そんな気がした。


「僕はもう失敗しない」

「別に失敗したって、それは悪いことじゃ」

「いいんだ。ありがとう」


 愁は彼女の言葉を手で制す。

 噛み締めるように、もう一度言い放つ。


「ありがとう」



 そのとき、トントンと部屋のドアがノックされた。


 女が立ち上がる。

 声をかけたのは愁だった。


「僕だ」


 ギィとドアが開いた。

 そこに立っていたのは、奇妙な仮面をつけた人物だった。腰には鈍く輝く剣を提げている。

 慇懃に頭を提げながら、その人物は女性の声を出した。


「お迎えにあがりました」

「ご苦労」


 女は目を丸くしていた。

 愁は小さく頭を下げる。


「世話になったね」

「……あんたは?」


 髪をかきあげ、愁は微笑を浮かべた。

 憎らしいほどに美しい美貌が、そこには宿る。


「――誰でもない。ただの、ガキさ」




 迎えに来たメタリカが馬車を走らせる。

 夜道だというのに、彼女はまるで闇を見通しているかのようにギルド本部へと危なげなく向かっていた。


 御者台に並んで座り、愁は組んだ足に頬杖をつく。


 メタリカが口を開いた。


「シュウさま、少し元気になりましたか」

「さてね、どうかな。ただ、ずっと落ち込んでいるのは、僕の性分には合わないものでね」


 軽口は相変わらずであった。

 愁は首を傾げ、そして自らの頬をさする。


「フラれたからっていつまでもメソメソしているのは、最高に格好悪いって思ったのさ」

「確かにそうですね。そう思ってました」

「……言うね、君は」


 長い付き合いになるメタリカに、愁はわずかに口元を緩めた。


「ま、いいさ。それだけのことをしてきたわけだから。這い上がるだけ、というのはそれなりにワクワクするね」

「ポジティブですね、シュウさまは」

「僕も知らなかったよ」

「ついでにもうひとつ、ご報告があります」

「そうか、その悪い知らせを聞こうじゃないか」


 愁が告げると、メタリカは笑った。


「疑り深いですねー」

「ギルド本部でも一番の腕利きのエージェントが、僕に直々に報告するんだ。備えぐらいはするさ」

「あたくし別にそんな強くないですけどねえ」

「いつも助かっているよ。それで、なんだい?」


 愁が促すと、メタリカは口調を正した。


「マスターに頼まれていた事例です。『銀髪赤肌の女性』を見たっていう報告がありました」


 ルナだ。

 愁は風に揺れる髪を押さえる。


「場所は星型第三要塞リアファルの西部。以上です」

「なるほど」


 あそこは人族最後の要塞であり、絶対防衛線だ。

 ルナが現れるとしたら、そこに違いないと思っていた。


 愁は赤い雲に覆われた、月のない夜空を見上げる。

 絶望はこの胸を支配している。人類が神族を打ち倒すことは不可能だ。愁は楽観的な見解を持たなかった。

 だが、心は決まった。


 征くとしよう。


 愁は目を閉じ、そして命じた。


「フラゲルム・デイとレーヴァティンを用意してくれ、メタリカ」


 メタリカはわずかに逡巡したような声を漏らす。


「……あれを使うんですか? でも調整後のあの武装は、少し常軌を逸してますよ。実戦テストだって結局していないままですし、マスターには危険すぎですよ」

「心配いらないよ」

「だからってあの出力じゃ、魔力が枯れちゃいますよ」

「あれのことは僕が一番知っている。もともと、僕専用に開発していたものだからね」

「でも……」


 食い下がるメタリカに、愁は笑いかける。


 この地に神族が満ちている以上、もはや、人族に輝く月を見ることはかなわない。

 だが、愁の心に月はある。


 この胸に光る、誰よりも誇り高い銀の月。

 その輝きに従い、愁は告げた。


「大暴れしてやりたい気分なんだ。後先なんて考えず、あいつらみたいにね」



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