14-1 ひとりの魔王は勇気を胸に
「は~~……」
星型第三要塞リアファル。
最前線たるその拠点に、ひとりの男がいた。
城壁の上に立ち、地平線の向こうを見つめる青年だ。
彼はポケットに突っ込んでいた手を出して、伸びた黒髪を邪魔そうにかきあげ、大きなため息をついた。
小野寺慶喜。
かつて彗星のごとくこの地に召喚され、様々な経緯を辿り、魔王として魔族を率いることになった数奇な運命を持つ。
数々の術式を操る魔王は、特に法術において大陸でも右に出るものはいなかった。彼のそれは『極大法術』と呼ばれ、一軍に匹敵するほどの防衛能力を誇る。誰かを拒絶するための力であり、守るための力。慶喜が得意とした力はそういうものであった。
かの『ブレイブリーロードの対魔王戦』では、人間族の軍と獣族・魔族軍の衝突を止めたものだ。それらはもはや伝説となり、若き術者たちに語られる武勇であった。
魔族の王である慶喜は、今や魔力の王。大陸随一の術者として知られていた。
すべて、本人のあずかり知らぬ話である。
黒のマントを身に着けた慶喜は、再び大きなため息をついた。
このリアファルに来たのは、二日前の出来事。それから慶喜は暇さえあればこの城塞の上で遠くを見つめていた。
遠巻きに見つめる騎士や冒険者たちは、魔王を恐れて近づいてこようとしない。
かの伝説の人物が自分たちを率いてくれているのだという、憧れによる理由だけではない。
アンリマンユを知る者は、その畏怖を慶喜に投影していた。
あたかも魔王城。城塞には緊張感が満ちている。人間の領地に唐突に存在する魔王は、闇の加護を人々にもたらしているようだった。
一方、小野寺慶喜である。
風に吹かれながら精悍な横顔でまっすぐに前を向く。
彼は毅然と遠くを見つめながら、このようなことを考えていた。
(ぼっち再び――っす)
小野寺慶喜は、暇を持て余していた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勇者イサギの魔王譚 終章
14-1『小野寺慶喜は勇気を胸に』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
この要塞にやってきて二日目にして、慶喜は思う。
そういえばロリシアと離れ離れになるのは、非常に久しぶりだ。
今は人類の危機であるからにして、そのようなことを言っている場合ではないというのは重々にわかっている。
ロリシアはこのような危険な場所ではなく、王都ダイナスシティにとどまってもらいたかった。彼女は了承してくれたし、そこに不満はない。
それにしても、誰も話しかけてきてくれないというのはどういうことなのだろうか。
小野寺慶喜は精いっぱい格好をつけて腕組みをし、地平線の向こうを見ているんだか見ていないんだかわからないような目を細め、「むう」とうなる。
そもそもなんでだ。いったいなにがだめなのだ。
慶喜は今さらの問いを己の胸に問いかける。
この異世界アルバリススにやってきて、三年が経った。自分で言うのもどうかと思うが、見違えたはずだ。最初はまともに人と会話できず、引きこもり丸出しの自分だったが、それが今はどうだ。
魔王とあがめられ、称えられ、血の生贄を捧げられ、求めれば美少女たちが「素敵! 抱いて!」と群がってくる。いささか妄想が混じっているが、おおむねそのようなはずだ。
なのになぜ。
なぜ、だ。
自分はどうしてぼっちで冷たい風に吹かれながら、こんなところでかっこつけたポーズをして時間を潰さなければならないのか。それがわからなかった。
小野寺慶喜は孤独な戦いを強いられていたのだ。
同い年ぐらいの少年に声をかけてみたことだってあったさ。
しかし騎士風の格好をした彼は大慌てで逃げていった。
ショックだったから、決して自分がキモかったり、自分の声のかけ方がディスコミュニケーションだったわけではないとごまかしごまかし言い聞かせていたのだが。
すぐに少年は直属の指揮官らしき人を伴って戻ってきた。
指揮官さんは少年の首根っこを掴んでおり、とてつもなく怖い表情で慶喜にひざまずいた。
『この男がなにか無礼を働きましたか』と来たものだ。
ぽかんとして何も言い出せない慶喜の膝元に頭を垂れ、少年は涙ながらに言った。
自分は戦争で死ぬのは構いません。ですが、魔王さまの怒りを買って死ぬのは不本意です。よろしければ戦場で殺してください。お願いします。
そんなことを這いつくばりながら請われて!
慶喜にはいったいなにが言えるというのだ。
「あ、はい」とだけ返した慶喜が、決して間違っているわけではないはずだ。
慶喜は寛大な処遇を言い渡し、その場を颯爽と去った。
魔王様の後ろでは、人間族の騎士とその部下が、窮地を脱したことに対して心の底からホッとしていた。
完全に慶喜が悪者になったのである。
誰かに話しかけたことで、その人の生死の覚悟まで決めさせてしまうのだ。
もうぼっちだ。ぼっちになるしかなかった。
別に自ら選んだぼっちだし……と震え声で強がりを言うのも、初日で飽きた。
というわけで慶喜は、ひたすらにぼっちを耐え忍んでいる最中であった。
誰でもいい、話し相手がほしい。
今、慶喜の願いは、それだけである。
もうこうなったら廉造でもいい。愁でもいい。苦手だったメドレサでも構わない。とにかく誰かと会話を、会話をしたい。
人に話しかけられて怖がられるとかぼくってばすごいなあデュフフ、すっかり偉い人みたいじゃんデュフフ、なんて思っていた昔の自分をぶん殴りたい。
というかもはや実害があるのだ。
誰にも話しかけられないから、こないだなんてトイレの場所を探すために二時間も要塞内部をさまよった。
だって要塞ってものすごい作りがややこしいのだ。死角だらけだし、階段の昇降がめっちゃあるし。敵の潜入を想定しているからものすごく当たり前の話なのだが、
それに、いつ敵が迫ってくるかもわからない。戦術的説明は誰も慶喜になにもしてくれない。「魔王様はすべてをお見通しであらせられる」じゃないんだ。
慶喜はもはや叫びたかった。
ぼくはなにも知らないんだ! 君たちが思っている以上に、本当になんにも知らないんだぞ! 知らなさにビビるぞ!
そんな感じで、慶喜の豆腐メンタルは早くも限界が近かった。
今ここにロリシアがなんの説明もなく現れて、この想いを聞いてくれればどんなに楽なことか。
普段から甘やかされて生きていることを、ことさらに実感してしまう。
というわけで、いろんな気持ちがせめぎ合い、慶喜は二分に一度のため息を繰り返す。三十回で一時間。ため息時報であった。
そんなときだ。
「――ほう、ヨシノブ、ここにいたか」
慶喜はハッとした。
役職でもない。さま付けでもない。しかもタメ口だ。
後輩気質丸出しの慶喜は、喜色満面で振り返る。ようやく仕事を与えられた居酒屋の店員のように「喜んで!」と叫んでしまいそうな勢いである。
そこにいたのは、ドラゴン族の王。
非常に猛々しい外見を持つ偉丈夫。バハムルギュスであった。
「うむ、いい風だ」
彼は紫色の輝きを放つ断槍ブリューナクを手に、かつてと同じような黒い甲冑を身にまとっていた。
怖い。いつかの決闘のトラウマが蘇る。自分はあそこで150回は死を覚悟した。
「我らドラゴン族の精鋭千二百騎到着した。これより先、貴様の指揮下に入ろうぞ」
「――あ、はい」
慶喜は黒髪を後ろで束ねた若き外見を持つ古王の隣で、ひたすらに小さくなった。
誰でもいいとは言ったが、これは違う。そんなことを叫びたかった。
星型第三要塞リアファルは、ダイナスシティ防衛の拠点である。
作戦立案者であるギルドマスター緋山愁がこの地に慶喜とバハムルギュスを送り込んだのは無論、明確な戦略上の理由がある。
リアファルは三方を山と谷と川に囲まれた地だ。街道は狭く、要塞を越えねば決して首都に近づくことはできない。
第一、第二、第三要塞の三か所からなるダイナスシティ絶対防衛線は、第三要塞リアファルによって完成するのだ。
そこで第一、第二要塞を破棄し、すべての戦力を第三要塞にのみに集めた。
それを防衛する要が、慶喜の極大法術だ。
戦力は基本的に要塞から打って出ることはせず、ひたすらに守りを固める。その間に諸国から応援を募るのだ。
これは魔帝戦争のときに人間族が取った戦略である。
しかし当時は勇者イサギという切り札がいた。時間を稼ぐことによって事態が好転する可能性があったのだ。
今回その役割を担うのが、バハムルギュス率いる竜化ドラゴン族の兵団である。
要塞を攻めきれず、地の利に閉じ込められた敵軍を叩く。そのために集められた精鋭部隊であった。
とりあえず相手が、かつて決闘を行ない、命を奪い合った仲だというのは置いといて。
バハムルギュスと一緒に並びながら、慶喜も似たようなポーズをして地平線の向こうを眺めていた。
要塞に来たばかりの頃はちらほらと西から逃げ延びてくる人たちがいたのだが、昨日からぴたっといなくなってしまった。
嵐の前の静けさというのなら、これがそうなのだろう。
「しかし、ヨシノブよ」
「は、はい」
ハバムルギュスに名を呼ばれると、ピンと背筋が伸びてしまう。
なにか失礼がないか、自分のことを疑わずにはいられない。もしなにかナメた口をはいたら、その場で八つ裂きにされてしまいそうな威圧感だ。
「よもや、お前とともに戦うことができるとはな」
「は、はい」
「かつてアンリマンユとはともに戦うことができなかった。まさかその歓びを新たなる魔王と味わえるとは、まことに面白い……」
「は、はい」
慶喜の相槌のレパートリーが早くも枯渇しかけている。
魔王ひとりでも放置されていたのに、バハムルギュスまで隣にいるのだ。ますます人は遠ざかってゆく。
いや、慶喜は閃いた。もしかしたらバハムルギュスもぼっちなのではないだろうか。そう思いついたとき、慶喜は問いかけてしまっていた。
「も、もしかして竜王さまも、ひとりなんすか!?」
「ふむ」
初めての慶喜からのアプローチに、バハムルギュスは眉を寄せた。
「独りか。長らくそう思ったことはないが、しかしそうかもしれぬな。儂は長く生きすぎた。知っているものも、ほとんどいなくなってしまったわ」
「ぼっち! ぼっち仲間! ぼっちですね!」
「ふむ、ぼっち……? よくわからんが、そうなのかもしれんな」
バハムルギュスはあっさりと認めてしまった。度量の広い王である。
そのときであった。
細い道の先から、大量の鳥が飛び立ってゆくのが見えた。
意味などはないのかもしれない。予兆じみているように感じてしまったのは、自分が臆病だからだ。慶喜はそう思い込もうとしたのだが。
バハムルギュスが言った。
「――来たな」
その目が獣のように三日月を描く。
慶喜はごくりと生唾を飲み込んだ。
来てしまったようだ。
ぬらりと現れた影。それは巨大であった。竜化ドラゴン族よりも一回り巨大な体躯を前に、要塞はざわついた。
それでも規律が乱れなかったのは、魔王と竜王が最前線に立っていたから。
そして、なによりも現れた敵が一匹だったからだ。
一匹ならばどうとでもなるだろう。そういった空気が流れていた。
慶喜とバハムルギュスの上空を飛び越え、打って出る影があった。
それはドラゴン族の竜騎兵だ。
爆砕槍を手に、先駆けの誉れを握り締めんと猛る若者であった。
手筈通り、巨人の腕の届かぬ上空から若者は爆砕槍を放った。それは巨人の表皮に命中し、一帯に赤い光と轟音を響かせた。
赤い煙が立ちのぼり、赤い巨人の姿は見えなくなった。その刹那であった。
大地に大岩が叩きつけられたような震動が辺りに轟く。それは巨人が地面を蹴った衝撃であった。あの巨体が高々と跳んだのだ。
たった一息で竜化ドラゴン族の元へと飛び上がると、そのまま腕を振るう。
「――」
先駆けの若者は誰よりも先に死出へと旅立ってしまった。空中で肉の花が弾けるように咲き、着地した赤い巨人をさらに染め上げる。
たったの一撃で若者がやられたこともさることながら。
今の跳躍力を見た誰もが唖然としていた。
軽々と先ほどの高さを跳んだ巨人ならば、あるいはこの城壁を飛び越えることができるのではないだろうか――。
「――近づかせるなァ!」
さらに巨大な竜が空から号令を発した。それとともに、空を埋め尽くすほどの竜騎兵が槍を投擲し始める。
一斉爆砕攻撃を受け、巨人はたたらを踏む。あれほどの巨体にも効果があると知り、一同はさらに気勢を増して槍を放った。数十の爆発が巨人を包み込んだ。
慶喜もまたコードを描いていたが、しかしその出番はなかった。
皆の前、巨人は後ろに倒れ、そしてそのまま動かなくなった。
たったそれだけの戦いだった。
小野寺慶喜は額の汗を拭い、安堵のため息をつく。後続はなかったのだ。
一日目の戦いは、それで終わった。
そして――地獄のような日々が始まった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
翌日の赤い巨人は、三匹。
明け方に一匹。昼前に一匹。そして夕闇に紛れて一匹であった。
それぞれ現れた巨人に、ドラゴン族は最大火力をぶつける。
爆砕槍が有効だったのは、思わぬ幸運と言えるであろう。
集中砲火を受けて沈んでゆく巨人。
平野においてドラゴン族の軍勢は、まさしく圧倒的な戦力であった。
初日の戦いは、人族側の完全なる勝利で幕を閉じた。
巨人族恐るるに足らず。そのようなことを叫ぶドラゴン族の将もいた。
だが、三匹目の巨人を倒し、この調子なら防衛は難しくないかもしれないと楽観視しながらも――少しずつ事態は悪化していったのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
襲撃より二日目の朝である。
いつものようにバハムルギュスと城壁にやってきた慶喜たちの元に、伝令が飛ぶ。
「爆砕槍の備蓄が足りないって……、それ、あの遠距離攻撃の手段っすよね?」
ドラゴン族が上空から相手を攻撃するために、なくてはならない手段である。爆砕の魔法陣を秘めた魔晶の取りつけられた槍であり、脆い先端部が砕けると相手を巻き込んで一帯を爆破する効果がある。
竜化ドラゴン族の吐くブレスよりも強力で、射程距離・命中率ともに高い。竜化ドラゴン族の主力とも呼べる武器だ。
「もともと、一騎の竜騎兵が持つ槍は一本です。このように、何度も何度も使うことなど、想定されていなかったわけですから。それがこう、雨のように降らせるとなると、さすがに槍も尽きます」
バハムルギュスの後ろから、小さな眼鏡をかけた女性が現れた。青い髪を高い位置でくくっている娘だ。両腕に硬質的な鱗が生えているところから、彼女もドラゴン族だろう。
青髪の彼女は切れ長の目を細め、慶喜に手を差し出してくる。
「初めまして、魔王。私は大青竜将軍リバイアムネ。黄竜レルネリュドラに代わり、天竜将の座を継ぐものです。よろしく頼みます」
「あ、いえ、こちらこそ」
服で手をこすってから、慶喜は彼女の手を握った。硬い。爬虫類の手のひらのようだ。間違ってはいないのだが、なんだか損をしたような気分になる。
バハムルギュスとリバイアムネはふたりでなにかを話し合っている。リバイアムネは知的な眼鏡秘書という感じで、少し羨ましい。自分にもああいうのがついていればいいのに。
「ならば、ペンドラゴンに輸送を急がせるしかあるまいな」
「間に合いますかね? ラデオリの防衛もやっていますし、あちらにも余裕はないはずですよ」
ドラゴン族の状況はあまり芳しくないようだ。
昨夜はあまり眠れなかった。慶喜は地平線の先を見つめながら、あくびを噛み殺す。
きょうも来るのだろうか、あの巨人たちは。
不気味なフォルムをしていて、とてつもないタフネスと、膂力を持つ相手だ。
自分は法術を使ってこの要塞を守るのが役目なので、遠くから魔術で援護もできないのがもどかしい。
だが、人間族もドラゴン族もまだまだ元気だ。これからが本番なのもわかっている。守っていれば、本部に待機している愁たちがなにかいい手段を考えてくれるだろう。
それに希望だってあるのだ。
大森林ミストラルはまだまだ西だ。
そこではきっと、ひとりの男が勇気を抱いて戦っているのだろう。
「ぼくもがんばるぞい」
両手で拳を握り、慶喜は今一度奮起した。
相手は人間ではなく、化け物で、これは人々を守るための戦いだ。
ならば全力を尽くさない理由はないのだから。
と、再び西のほうから巨大な影が近づいてくるのが見えた。
早速の敵襲だ。ドラが鳴らされ、要塞内の人々がせわしなく配置につく。朝食を中断して駆けつけるものや、勇ましく槍を担いで吼えるものなど、様々だ。
だが、どの顔にも気合いだとか、そういうものがみなぎっている。
四度の勝利を手にしてきたのだ。勝利は人を戦士に変える。だからこそ、勇猛果敢に飛び出てきたドラゴン族たちなのだが――。
現れた巨人は、四体いた。
今さら引くことはできないドラゴン族の、死闘が始まった。
槍が足りない、槍をよこせと叫ぶ声がひっきりなしに続く。
巨人の侵攻は止まらなかった。
彼らの攻撃が届かない位置から槍を仕掛ける戦法はリスクもなく、これを延々と続ければ無傷で勝利を手にすることができるはずだった。
だが、相手の数が増えてしまえば、そううまくはいかない。
まず、執拗に城壁を狙う巨人の動きによって、攻撃対象は分散される。
一体に槍を浴びせようとすると、他の巨人たちが要塞を狙うのだ。
足止めのためにそちらにも槍を放つ。
すると槍が足りなくなり、竜騎兵たちはその攻撃手段をすぐに失った。
人間族の術者を乗せて出陣する竜化ドラゴン族たちもいた。だが術師の火力では巨人の表皮は破れなかった。徐々に竜化ドラゴン族の戦場は要塞に近づいてゆく。
ひとりの巨人が城壁に渾身の力で体当たりをぶちかましたところで、リアファルは大きく揺らいだ。その時点ですでに三方から攻められていたため、慶喜の法術が間に合わなかったのだ。
さすがにたったの一度で破壊されるような作りではなかったが、これが続くどうなるかはわからない。
動転して障壁を張った慶喜の法術で、最悪の事態は免れた。だが、好転したわけでもない。
竜化ドラゴン族が二体の巨人を始末したところで、先攻部隊の槍は尽きた。
ブレスの届く距離を飛び回っていると、巨人からの攻撃をまともに受けてしまう。
それでも竜騎兵たちは勇敢に戦った。王の命令を受け、自らの命を投げ出しながらも、自慢の槍術を振るった。
城壁に張りついた一匹の巨人の猛攻をたったひとりで阻止していた慶喜の活躍と、ドラゴン族の犠牲によって、一同はこの襲撃を乗り切った。
この戦いで63人のドラゴン族と、12人の人間族が命を落とした。
そして、夕方前。
城壁を修復し、立て直しをはかり、槍をかき集めている最中の襲撃である。
六体の巨人が現れた。
317人のドラゴン族が死んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
三日目の夜明けを前に、慶喜は毛布にくるまった体を震わせた。
死者の数に対し、怪我人の数は極端に少ない。巨人の打撃を受けて生き残った者がほとんどいないためだ。
それでも、慶喜は自分の部屋も救護人に明け渡していた。
部屋にいたら落ち着かなかったのだ。
白んでゆく地平線を見つめる。
いつあちらから巨人がやってくるかわからない。
昨日の戦闘は、まさしく地獄だった。
組みついて城壁から離れようとしない巨人を引きはがすため、何十人ものドラゴン族が決死の覚悟で飛びついて、そして虫けらのように叩き落とされた。
彼らの犠牲がなければ、星型第三要塞リアファルは内から破壊し尽くされていただろう。
だが、だが。
慶喜とそう年の変わらない青年や女たちが、次から次へと死地へと向かってゆくのだ。
あの光景はいまだ目に焼きついて、離れない。
考えずにはいられないのだ。もし自分がもっとうまく法術を扱えていたら、あの中の何十人かは死なずに済んだのではないかと。
慶喜はずっと、強くなりたいと思ったことはなかった。
でも、自分にもっともっと力があれば、誰かを助けられるとしたら。
なぜ自分は今まで強さを求めずにいたのだろう。
慶喜は考えずにはいられなかった。
しんどい。
想像していたよりも、何倍も、何倍もしんどかった。
自分が惰眠をむさぼっている間に、あの巨人がきて。
一分、一秒法術を使うのが遅れれば、死者が出るかもしれない。
――そんなことを思うと、到底眠れそうになかった。
なぜ自分はもっともっと強くならなかったのだろう。
慶喜は思う。
イサギや、廉造や、あるいは愁のように。
そのせいで自分がロリシアを守り切れなかったとしたら。
この心は耐えられるのだろうか。
小野寺慶喜は想像の恐ろしさに身を震わせる。
「眠れぬか」
「……」
ぼんやりとしていたのだろう。足音にも気づかなかった。
振り返れば、そこにいたのは竜王バハムルギュスだ。
いつものように疲れなどなさそうな顔をして、地平線の向こうを睨んでいる。
まさしくこれが王
自分が数百年生きても得られないほどの風格だ。
「魔帝戦争のときもこうであった」
「……そう、なんすか」
「物資が枯渇する中、我らは魔帝アンリマンユの命に従い、全力で力を貸した。仲間は傷つき、友が死んでゆく。それでも戦うことだけは止められぬのだ」
慶喜はこんな戦いは初めてだ。
だが、バハムルギュスは、こういったものを何度も経験しているのだろう。
落ち着いていられるのはそのためか。いや、でもそれは違うかもしれない。慶喜は何度やっても慣れることはないだろう。
「……王さまは、どうして戦っているんすかね」
かすれた声だ。人には聞かせられないほど弱った声。
たった一日過ぎただけで、この有様。
自らの弱さに反吐が出る。
バハムルギュスは答えた。
「深いな、若き魔王よ。己の戦う意義か。常に見失わずにいたいものだな。感心である」
「は、はい」
ただの世間話のつもりだったのだが。
「儂にはもうわからぬな。自らにふさわしき死に場所を求めているだけかもしれぬ」
「……死に場所、っすか?」
「ああ。我らドラゴン族の寿命は長い。散るときは自らの意思で華々しく散りたいものであるな。貴様との決闘。あれはなかなか血沸き肉躍ったぞ」
「い、いやあ」
ここでその話題を出されると、恐縮してしまう。
しかし、わからない。
「ぼくは、生きていたいって思います……。ぼくが戦って、それでバハムルギュスさんも救えるなら、そうしたいって……」
自分が救おうとしている一方、彼らは死のうとしている。
それはひどく理解しがたいことだった。
バハムルギュスは慶喜の肩を叩いた。
「小僧が、生意気な口をきくわ」
「すっ、すみません!」
思わず慌てて頭を下げた。
だが、バハムルギュスは笑っている。
「人間族は命にしがみつく。その姿を美しいと感じる時も間々あるわ。若き魔王よ、これからもあがき続けるがいい。諦観するのはまだ早かろうて」
「はあ……」
わかるようなわからないような。
ただ恐らく、慶喜ではとても受け止めきれないほどに、深いことを言っているのだろう。
そして、励ましてくれているのだろう、ということは十分にわかった。
だから慶喜は頭を下げる。
「王さま、長生きしてくださいっすよ」
「うむ。任せるがよい。老いぼれた身とはいえ、そうやすやすと命を投げ捨てるつもりない」
はっはっはと高笑いをするバハムルギュスを見て、慶喜はほんの少しだけ安心することができた。
眠気は泥のようにこびりつきながらも、慶喜の集中力を削ってゆく。
それでもまだまだ、大丈夫。戦える。
きょうもがんばらなければならないな、と慶喜は再び地平線を見やる。
暁の彼方では、今頃イサギも戦いを続けている。
遥か後方では、守るべき少女が自分の無事を祈り続けてくれている。
ならば、自分が先に折れるわけにはいかないのだ。
三日目の戦いが始まる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
午前中の襲撃は一度。それも二体の巨人であった。
尽きた爆砕槍の代わりとばかりに冒険者たちが奮闘して、被害を押さえることができた。
死者は15名。数字ではないが、やはり数字で測るしかないことだ。
士気が回復するような出来事もあった。
ピリル族の王、レ・ダリスが援軍を連れて要塞に到着したのだ。
新たに加わったピリル族は200名。個体数の少ない彼らにしては、これ以上にない大軍である。
一騎当千とは言いすぎだが、それでも手練れの冒険者ひとりひとりに匹敵するだけの武勇を誇るだろう。
「よく来たな、獣の小僧」
「なにを言うか、老いぼれが」
バハムルギュスとレ・ダリスがにらみ合う。
その真ん中に挟まれているのは慶喜だ。
「あわわわわ」
巨人に攻め続けられているこの状況で持ちこたえられているのは、人間族が団結しているからだ。
内部からその絆が散り散りになってしまえば、要塞はあっという間に破壊されてしまうだろう。
バハムルギュスとレ・ダリスはどう考えても仲良しのようには見えなかった。
自分が間を取り持たないといけないのだろうか、マジか。無理だ。
そんな心配を抱き、早々に諦めていた矢先。しかし彼らふたりは握手を交わした。
「魔帝戦争の借り、返してやるぞ」
「ヌシこそ、干からびて死なぬようにな、蜥蜴の王」
ほっとした。考えてみればそれはそうだ。伍王会議でも何度も顔を突き合わせていた仲なのだ。今さら争うはずがない。
しかしそのふたりが慶喜に向き直ってくると、途端に重圧がすごかった。
「さて、巨人か。禍々しき力を持つ怪物と聞いておる。至極、腕が鳴るわい」
「そ、そっすね」
「奴らの体は凄まじく硬い。なにか貫く手段を持て。我らが槍のようにな」
「い、いかにもっす」
「フン、老いぼれが。俺は武器は使わぬ。この爪ひとつで十分じゃ」
「ひゅー! さすがっす」
左右を王に挟まれて、慶喜の小物っぷりが一層映えるようだ。
しかし揉み手をしている様や会話の内容などは、辺りのものたちにはわからないので、「おお、さすが王が三人も揃っているとすごいな……」などと言われたりする。
はなはだ、不本意である。
ともあれ、ピリル族を要塞部隊に編入し、現地で知った新たな情報を加えながら巨人への対抗策をレ・ダリスと協議を続けてゆく。
人間族、ドラゴン族、ピリル族、それに少数の魔族と、四種族混合部隊は魔帝戦争以降では初めてのことだ。
ピリル族とそれを率いるレ・ダリス。それにドラゴン族とそれを率いるバハムルギュスはとてつもなく頼りに見えて、慶喜の些細な不安など吹き飛ばしてくれるようだった。
軍はさらなる結束を高め、そして巨人との戦いに臨む。
三日目の夕暮れに、巨人が現れた。
人々の士気はこれまで以上に高く、恐らくはまだまだ持ちこたえられるはずだった。
たとえ六体の巨人が現れたところで、要塞に手出しはさせないだろう。
そこで哨戒に出ていたドラゴン族が戻ってきた。
彼はバハムルギュスに耳打ちをする。竜王の表情に変化はなく、その男は「そうか」とだけ答えた。
そのときであった。
まず一体の巨人が見えた。
こちらにぬらりと近づいてくる不気味な影だ。
その後ろからさらに一体。
群れをなして現れる巨人は、屍人のようだった。
次々と、次々と。
誰かがつぶやいた。
「おい、これ……」と。
人々は気づき始めた。
巨人の数は途切れず、続いてゆく。
赤い死神の列だ。
そして――。
城塞を取り囲むようにして、姿を現した巨人。
その総勢、11体。
慶喜は絶句していた。
もはや星型第三要塞リアファルは落ちた。
いや、というよりも逃げなければ。
ここではないどこかに。
動転する慶喜の心を見透かしたように、バハムルギュスが言った。
「ここが落ちれば、首都ダイナスシティに住む何万何十万という人々が死ぬ。我らは元より不退転である」
「だからって!」
「王が狼狽えるな、若き魔王」
バハムルギュスは慶喜を涼やかに、威厳をにじませながら見やる。
そして慶喜の肩を叩いた。
「貴様は儂を倒したのだ。この程度の相手に敗北をするなど、許さぬ」
バハムルギュスは、そばに立つリバイアムネに断槍ブリューナクを預ける。
いったいなにをするのかと言葉を失っていた慶喜に、口元を吊り上げた。
「――任せたぞ、ヨシノブ」
そして、城壁から飛んだ。
先駆けの王に、ドラゴン族たちは血相を変えたように続いてゆく。
リバイアムネもまた「王をお守りするのです!」と檄を飛ばす。
地面に降りたバハムルギュスは、四足となった。
這いつくばり、そしてその全身に魔力を流す。
獣術。四大禁術のひとつであり、常にドラゴン族とともにあり続けたそれは神エネルギーをバハムルギュスの全身に伝達した。
皮膚が硬質化し、全身は膨らみ続ける。逆立った頭髪はたてがみとなり、口からは巨大な牙が生えた。目は爛々と赤く輝く。それはまさしく禁術の証である。
竜王バハムルギュスの、真の力が今、解放された。
それは巨人よりも一回りも大きい、黒竜であった。
バハムルギュスは吼えた。
その雄叫びはスラオシャ大陸中に響かんばかりに、気高く猛々しいものである。
『征くぞ――!』
竜と巨人の激突が、大地を揺らす。
死闘は夜まで続いた。
平野は、荒野と化す。
日が落ち、すべての惨状を包み隠すような闇が蔓延した。
城壁の三割が修復不可能までに破壊され、星型要塞はその二辺が機能を失った。
戦いの最中、魔力切れによって初めての昏倒を味わった慶喜は今、毛布に包まりながら、震えていた。
完全に消耗戦の様相を呈してきた。
それは話には聞くものの、物資や食料のように、人々が死んでゆくような戦いであった。
慶喜は震えていた。
こんなに戦いを怖いと感じるのは、初めてだ。
ロリシアやイサギに偉そうなことを言っていた自分が恥ずかしい。
今みたいな感覚を味わったのは、後にも先にも一度だけ。
魔王城に冒険者が襲撃してきたあの日、クローゼットの中に隠れていたときだけだ。
歯の根が合わない。
いったいいつあの巨人が闇の中からやってくるのかがわからなくて、とても目を瞑ってなどいられなかった。
毛布の隙間から外を眺めれば、そこには闇の中に屹立する深く濃い黒があった。
巨人たちがやってくるはずの西を睨むかのような、巨大な黒竜だ。
焼けただれ、赤く染まる大地の上、一匹の竜がいた。
翼はちぎれ、手足は折れ、顔の半分がこそげており、それでも彼は最後まで立つことをやめなかった。
竜王バハムルギュス。
眼を見開いたまま、今にも吼えるような形相で。
――だが、もう生きてはいない。
彼は先に逝ってしまった。
「先輩、廉造先輩、愁サン……」
次に逝くのは自分かもしれない。
怖かった。
知っている人が死ぬのも怖かった。
そしてなによりも、死んでしまうのが怖かった。
――次に死ぬのは、自分かもしれない。
死にたくない。
死ぬのは嫌だ。
慶喜は震えていた。