13-12 未来
――アンリマンユ・レポート。
そう走り書きされたその文書。
忍び込んだセルデルの部屋にて、プレハは食い入るように目を通していた。
最初に目に入った言葉は、『極大魔晶を作り出すための手段』だ。
そんなことが可能なのだろうか。
魔晶は土の中、生物の死体から漏れ出た魔力が結晶化したものだ。
ならばその死体を加速的に腐敗させてやれば、より効率的に魔晶が生成されるということであろう。
そこには理論だけではなく、実際に長い間実験を続けていたものだと思われる記述があった。
研究主任はキャスチ。元魔族帝国の術式教授だ。
プレハは口元を抑える。
「確かに、実践的だわ……でも、どうしてこんなものが……」
次の項目は、世界四大禁術について詳しく書かれている。
さらに次の項目。肉世界、魔世界、魂世界、そして神世界への言及があった。
そして魔晶生命体。名だけは聞いたことがあったが、そのメカニズムまでもが詳しく解説されていた。
これほど高度な知識を持った研究者が、この世界にいたというのか。
いや、そうだ。
かつて、誰よりも深く禁忌に手を伸ばし、その挙句に自らの体を改造してしまった男がいた。
もしかしてこれは――。
「……これは本当に、アンリマンユが研究していたレポートだというの……?」
ページをめくる手が止まらない。
現れたキーワードに、プレハは釘付けになった。
『神成り』という症状。
本来肉体と等しく釣り合っているはずの魂だが、そのバランスがひとたび崩れてしまえば、魂の隙間に神エネルギーが入り込む。
そうして人間の体を持ちながら、神の力を操る存在が生み出されるのだ。
それが『神成り』
アンリマンユはなぜ自らが封術に成功をしたのかを、分析していた。
それによれば、今まで誰も成功したことがなかった封術をアンリマンユがただひとり成功することができたのは――神の介入があったからだという。
「……神の介入? 導くための声が聞こえてきた……?」
いったいこの男は何を言わんとしているのか。
自分が神に選ばれたとでも思っているのだろうか。
続きを読む。
「創生の女神ルナについての考察まで……」
女神ルナはかつて仲間とたもとを分かち、たったひとりで彼らの軍勢を相手にした神族だ。
当時、魔族――すなわち神族を除く有象無象の種族たちだ――は神族に虐げられていた。その状況を見かねて、魔族を助けたのが彼女だという。
実際、ルナは現存していた。その証拠も多々ある。
エディーラ神国が最後まで秘匿していた神具であるミストルティンも彼女の所持物だ。
リーンカーネイションとクリムゾンというふたつの召喚陣を作ったのは神族であるが、しかし暗黒大陸にある召喚陣フォールダウンはルナが作り上げたものだという。
なんでも、内部構造がまったく違っているのだとか。
なぜ女神ルナはフォールダウンを作り上げたか。
彼女は神族をこの世ならざる世界に押し返した後、その復活を予言していた。
だからこそ、いつか神族を復活させた際に、彼らに対抗する力を持った四人の英雄を召喚するはずだったのだという。
だからこそ神族はその前に、人間族を根絶やしにしようとしていたのだ。
「……そのために神族は、アンリマンユに『封術』という力を与えた……?」
プレハは細い指先でページをめくる。
だが、そこから先の記述はない。
恐らく……ここで、アンリマンユが死んだからだ。
アンリマンユの野望は、予期せぬ事態を迎えた。
召喚陣クリムゾンにて、ひとりの勇者がこの世界に現れた。
彼は決して敵わぬはずの相手に勝利し、そしてアルバリススを平定してしまったのだ。
それは本来あるべきではない未来の姿だった?
「……」
自分たちはイサギによって、救われた。
だがその代償に、イサギは神族によって消滅させられたのか?
誤った世界を作り出した存在として?
イサギの笑顔が、目の裏に浮かんでは消えていった。
存在するべきではなかった勇者、イサギ。
だったら――。
プレハは静かにアンリマンユ・レポートを閉じた。
「……あたしが、あたしが絶対に、救わないと……」
イサギをこの世界に召喚したのは自分だ。
幾人の中から、イサギを選んだのは自分なのだ。
イサギが消滅したのも、ならば自分の責任だろう。
「……待っていて、イサギ……あたしにできることなら、なんだってするから」
プレハは部屋を飛び出し、走り出す。
そこからの彼女の生き様はまさしく、鬼気迫るようだった。
もはや蘇生術を復活させることに、ためらいはなかった。
プレハとセルデルは、共謀者だ。
だが、プレハは知らなかった。
セルデルが己のためにエルフ族を滅ぼし、その力を欲していたことを。
彼女はかつての仲間の変貌を、その腐敗を、最後の最後まで見抜けなかった。
それがプレハの、光の中を生きていこうと願う女性の、甘さであったのだ。
プレハはセルデルに魔晶を届け続けた。
彼が徐々に歪んでいったことに気づかず。
恐らくは――プレハもまた、歪んでいった。
ただひたすらに迷宮を攻略し、その戦闘技能を磨き続けた。
極大の高みにのぼり、それでもまだ彼女の進化は留まるところを知らない。
そんな彼女を、一体の神族が阻む。
地下迷宮ラタトスク――。
最終階層<光の道>。
深淵を走るただ一本の細い道の上を、プレハはゆく。
プレハの記憶が混ざり合いながらも壁に染み込んでゆく。
その中のほとんどは事実と異なるものばかりであった。
プレハとセルデルが戦った記憶など、ない。
魂の残滓などというものは、本当にいい加減だ。
こんなものを見せるのなら、イサギとの記憶を見せてくれればいいのに――。
幻想郷のように揺らめく魔世界。
光に包まれながら立つプレハは、闇の中から這い出てくる巨大な魔物と遭遇した。
見上げるほどに巨大な、赤き巨人。
のっぺらぼうの、異形の姿。
「あたしの前にもついに、現れたってわけなのね」
プレハの目が憎しみに燃える。
リーンカーネイションから漏れ出た化け物。
神族――。
「……あたしは絶対に、イサギを連れ戻すの」
両手に魔術のコードを描きながら、プレハはその赤い巨人と対峙した。
苛烈な戦闘だった。
――だが結果、プレハは破れた。
手足を引きずりながら、迷宮の奥へ逃げ出すのが精いっぱいだった。
見くびっていたわけではない。神族のパワーとスピードは、プレハの想像を遥かに超えていた。
せめて魔法発動の時間を稼いでいてくれる前衛がいたのなら。
――そんな人は、もうこの世にはいないのに。
最奥、魔晶に寄りかかりながら、プレハは目を閉じた。
今にも生命の糸は断ち切られてしまいそうなほどの、致命傷だった。
震える指先で、プレハは最期の手紙を書く。
呼吸するたびにこぼれる血が、手紙を汚さないように気をつけながら。
彼がなにも心配しなくて済むように。
「……はは、へま、しちゃったな」
泣きながらつづったのは、別れの手紙だった。
彼を突き放すような文面で。
きっと自分は幸せでやっているから、と。
だからあなたも幸せになってね、と。
信じられない。
イサギのいない幸せなど、考えられなかったのに。
でも、別に事実がどうだって構わない。
イサギが幸せでいてくれるなら、それでいい。
プレハは死の間際に、そんな手紙を書いた。
あとは、アンリマンユレポートにあった通りの方法で、魔晶と同化するだけだ。
誰かが願いを叶えてくれればいい。
誰かがイサギを救ってくれれば、それで。
プレハは闇の中、ひとり彼の名をつぶやいた。
「……もう一度、会いたかったよ、イサギ」
万感の想いなど、込められるはずもないのに。
万感の想いを込めて。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
親愛なる勇者さまへ。
久し振りだね、イサギ。
懐かしいでしょう? アルバリスス。
キミがいなくなっている間、こっちは大変だったんだからね。
いろんな国との戦争が起きちゃうし、
あちこちで禁術を復活させようなんて運動が起きるし、
もう、疲れたんだから。
約束していた冒険者ギルドは作ってあげたけどね。
でもバリーズドがほとんどやっていたから、キミの思っていたものとは違うかも。
怒るならバリーズドを怒ってよ。
あたしはあたしで忙しかったんだもん。
だから、今度はキミの番。
三年前に現れてさ、ちゃちゃっとこの世界を救っちゃったみたいに。
早くアルバリススを綺麗な姿に戻してよね。
キミならできるんだから、絶対に。
あたしが信じてあげているんだから、
たかが知っている人たちがいなくなったぐらいで、めげないでよね。
ねえイサギ。
覚えているかな、キミが別れ際に言っていたこと。
「これからも俺についてきてくれないか」
あたしは覚えているよ。
何年経っても。
はーずかしいの。
うふふ。
まだあたしの答えを言ってなかったよね。
えっとね。
「ごめんなさい」
もしかして、意外?
どれだけ自分に自信があったんだか。
まったくもう。
でもね、キミと旅した三年間は楽しかったよ。
痛いことも辛いこともいっぱいあったけれど。
あたしは楽しかったの。
だからあのプロポーズは聞かなかったことにしてあげるからさ。
お互い、イイ思い出だと思ってさ。
胸の中にしまっておこうよ。
ね?
さ!
あたしの手紙は、そろそろおしまい。
今度はキミの番だよ。
せっかく戻ってきてくれたのに、ゴメンね。
あたしはちょっと遠くに行かなきゃいけないんだ。
ねえイサギ。
世界を助けてあげてって書いちゃったけどさ。
本当に疲れたら、もうやめてもいいからね。
どこかの街で恋をして、素敵な人を見つけて、
結婚して、子供を作ってさ。
それで、近所の子どもたちに剣でも教えてあげて過ごす、
そんなささやかな暮らしをしたっていいんだからね。
キミは頑張り過ぎちゃうから、ちょっと心配だよ。
ね、別に、めげちゃってもいいんだからね。
だからね、イサギ。
キミはどうか、幸せになってください。
キミの幸せが、あたしの幸せだよ。
これはホント。
うふふ、それじゃあね。
またどこかで、会えたらいいね。
そのときはきっと、
お互い素敵な人を見つけていようね。
約束よ。
世界を救った勇者が独り身なんて、
あたし許さないんだからね。
イサギに会えて。
良かったよ。
あたしの初恋の人、イサギへ。
あなたの初恋の人、プレハより。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
幸せな夢を、見ていたかった。
ずっとその中にいたかった。
しかし、プレハは再びこの地に舞い戻る。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――そして今。
「くっ!」
「プレハさま!」
「大丈夫! キミは目の前に相手に集中をして!」
「でもそれじゃあ、プレハさまが!」
「こっちはこっちでなんとかする!」
枯れた森をひっかくように駆け回る、金と赤の影。
怒鳴り合うふたりの女性である。
互いにフォローをし合うような動きはできていない。
余裕がないのだ。
赤い巨人が腕を振るうたびにプレハの髪が舞い飛ぶ。
拳の風圧だけで、プレハの身が刻まれてゆく。
現状は二対一も同然であった。
アマーリエはなんとか一匹を自分に引きつけようと奮闘しているが。それができていない。
巨人を一撃で消滅させる技を持つプレハに比べて、手負いのアマーリエの攻撃力は圧倒的に低いからだ。
カラドボルグを握り締めたアマーリエでさえ、彼ら神族にとっては耳元を飛ぶ羽虫に過ぎなかった。
近寄れば手で払う。だがそれだけだ。
「ふぅ、ふぅ――」
次第にプレハは追い詰められてゆく。
あのときと同じだ。
決定打を繰り出すことができず、プレハの体力が先に尽きたのだ。
一対一でも勝てなかった神族と、二対二のこの状況。
楽なはずがないよね、とプレハは思わず毒づいた。
巨人たちの動きが止まったほんの刹那、プレハは彼を見た。
イサギは嵐のようなこちらの戦いに混ざれず、されどその隙間を見定めるかのような目をしていた。
そんなことよりも、とプレハは焦れた。
まだ逃げてくれないのか――。
「……まったくもう」
このまま死んでしまったら、彼が仇を取るだとか言いかねない。
それはちょっと、まずい。
死が目の前に迫ってくる。
あのときと同じだが、違うこともある。
ラタトスク奥の迷宮では、もう一度会えるかもしれないと思って、躊躇していた。
命を賭けるほどの勇気がなかったのだ。
だが、今はもう。
イサギが生きていてくれて、彼を守れるのならば。
迷う必要はない。
「ありがとう、アマーリエちゃん、あとはもう大丈夫だから」
そう告げ、プレハは大きく飛び退いた。
巨人二匹がこちらを向く。思った通り、彼らは魔力に引き寄せられる。
エルフの王国、草と木に覆われたミストラル跡にて。
プレハの全身は虹色に輝き出す。
「プレハさま!?」
「大丈夫、ありがとう。でも巻き込まれると危ないから――下がっててね」
両手に極光が収束してゆく。
この世界最強の、極大魔法を、見せてやろう。
「ありがとう、イサギ。もう一度あえて、嬉しかった」
――彼女の姿をイサギは見つめていた。
視線に力があるのなら、それだけで彼女を助けられるのならと願い――。
ずっと、ずっと。
少年は己の無力を嘆いていた。
『――イサギ』
声が耳にはりついて、離れない。
なにものかの声だけが、イサギの意識を繋ぎとめていた。
右腕はずきずきと痛み続けている。
これ以上ゆけば戻れない。イサギに警告を発するかのように。
『まーたかっこつけちゃって』
イサギは彼女を知っている。
知っているはずだ。
『当たり前でしょ? 誰がキミのパートナーだと思っているの?』
彼女を助けなければならない。
今、巨人と戦いを繰り広げている彼女を、助けなければ。
さっきの目を、見ただろう?
彼女はきっとここで、死ぬ気だぞ。
『みてみて、イサギ! 大陸があんなに小さく!』
痛い、右腕の痛みはドンドンと強くなり続ける。死んでしまいそうだ。
邪魔だ、この封印魔法陣が、邪魔でならない。
彼女が大事だ。誰よりも大事だ。
痛いのは嫌だ。逃げ出したい。怖いのは嫌だ。
ふたりのイサギの声が頭の中で響き続ける。
ここで彼女を助けられなければ、永遠に悔やむだろう。
『こんびに? なぁにそれ? 何でも屋なの? すっごい、楽しそう!』
痛い、右腕が痛い。もはや千切れそうだ。
力がほしいと願えば願うほど、右腕が痛む。
神経のすべてが接続されたまま、万力でねじ切られるような痛みだ。
全身から噴き出した汗が小さな水たまりを作るほどに。
痛い。痛い。痛い。
『ほんっと情けないんだから。それでも勇者さまなの?』
自分は勇者なんかじゃない。
だけど、勇者になりたかった。
今ここで彼女を救えるのなら、なんにだって。
勇気がほしい。
なにもかもをやり遂げる勇気を。
彼女を助けだすための勇気を。
恐怖に抗うための勇気を。
「俺は」
声が響く。
それは頭蓋骨から外へと出たがっているように、脳内をガンガンと叩く。
『彼は決してあたしたちを見捨てないよ。こんな世界に連れて来られて、帰るすべもなく、それでも彼はきっとあたしたちのために戦ってくれるから。きっと、立ち上がってくれるって、あたしは彼を信じている。彼は気高い人だから』
やめろ。
『彼の持つ勇気は、決して弱い人を見捨てたりしない。悲しみや、苦しみや、憎しみや、悪意のその先を越えて、魔族を倒し、この世界に恒久な平和をもたらす光だよ。そんな人に、『戦え』だなんて、言えるはずがないもの。彼自身が立ち上がるその日まで、あたしたちは願うことしかできないんだ。この世界を救ってください、って、それだけだよ』
やめてくれ。
『だから、他の誰が彼にその重圧を押し付けたとしても、あたしだけは責任を取るの。彼ひとりに命を賭けさせたりはしない。彼が戦うと決めたなら、あたしはどこまでもついていくよ。どんなことだって、するよ。召喚を命じられたそのときから、あたしはそう決めていたの。あたしは勇者の下僕『極大魔法師』。そのために生まれたんだ』
頼むから、やめてくれ。
この右腕がある限り、自分は彼女を救えない。
この右腕がある限り。自分は生きられる。
『――逃げなかったよね、結局』
永遠に格好いい姿で輝いているヒーロー。
誰かのピンチに颯爽と駆けつけることができる、ヒーロー。
ずっと、憧れていた。
そんな風に自分もなりたかったから。
巨人が迫った。
あの女性の元に輝きが収束をしてゆく。
その唇が、言葉を紡ぐ。
スローモーションで、見えていた。
『さよなら』か、『愛している』か。
だめだ。――だめだ。
だから――。
「こんな右腕なら――」
イサギが左腕にクラウソラスを握り締めたその瞬間。
神剣は――呼応するかのように、再び輝きを取り戻す。
ただひとつの奇跡。
勇者としての資格を取り戻した男に、剣は応えたのだ。
クラウソラスの輝きが辺りを照らす。
イサギの顔が、その形相が浮かび上がる。
男は歯を食いしばり、神なる剣を掲げた。
ああ、いらない。
この命すらも。
そうさ。
彼女の笑顔以外は。
なにもいらない、だろう――。
『――勇者さま、この世界をお救いください』
イサギは自らの剣で――。
――右腕を斬り落とした。
「あああああああああああああああああああああ!」
絶叫がほとばしる。
落ちた腕が地面を叩いたその瞬間、辺りが真っ赤に染まってゆく。
噴き出した神エネルギーが日陰のように拡大した。
巨人たちは一斉にこちらに振り返ってくる。
魔力の波動は、森を包み込み、天へと突き抜ける。
空を覆っていた分厚い赤い雲が、槍に貫かれたように一点の穴を穿つ。
「俺は、俺は――」
その中心に、イサギはいた。
両眼を真っ赤に染め、そして迸る血潮のままに先のない腕を掲げる。
もはや何者にも背くことはない。
意志の怪物だ。
「この世界に唯ひとり! 神を破潰するため、再び現れた! 俺こそが勇者――イサギだ!」
右腕から流れ落ちる血は線となり、ねじれて固まり、螺旋と化し。
そしてそれはやがて集まり、イサギの切断面に接続され、新たなる腕となる――。
鮮血よりも赤き右拳を握り締め。
彼はその名を呼んだ。
「――プレハあああああああああああああ!」
極大級の魔力を放つその化け物を前に、赤い巨人の動きは迅速であった。
一匹の巨人がイサギの前に立ちふさがり、その腕を振り上げた。
そんなもの。
あまりにも、遅い――。
イサギの赤い両眼が流星のように光をたなびかせる。
彼は左手に握るクラウソラスを逆手に持ち替え、逆袈裟に振り抜いた。
その一太刀で、目の前の巨人を両断せしめる。
たったの一撃。
斬り飛ばされた巨体の向こう側に、こちらを見つめて茫然と立つ彼女がいた。
美しき金髪のその乙女は、プレハであった。
「まさか、イサギ、さま……」
「お兄ちゃん、そんな、腕を……」
アマーリエやリミノが信じられないものを見るような目をしている。
構わず――イサギはゆっくりとプレハの元に、歩んでゆく。
プレハは、しかしいまだ白昼夢を見ているような顔だった。
ようやく口をついて出た彼女の言葉は、こんなときですらイサギを心配するものだった。
「その腕……」
「腕の一本なんて惜しくない。お前を助けられるのなら」
プレハは
「……イサギなの……?」
「ああ、そうさ」
クラウソラスを右腕に持ち替え、イサギは左手をプレハに差し出した。
「遅れてすまない、プレハ」
「……本当に?」
「俺もずっと、お前を探していた」
「……」
「会いたかった、会えてよかった」
「……あたしも、ずっと探していたよ」
世界にたったふたりしかいないかのように。
プレハは顔を背けた。
「ほんとはずっとずっと、会いたかった。できるなら、イサギと一緒に、どこまでもいきたかったよ。何度も何度も諦めようとした。それなのにまた会えるなんて、こんなの夢みたい」
「ああ」
イサギは俯いていた。
彼の命もまた、この一秒ごとに失われていっている。
それでも彼女の隣に立とうとしていた。
だが、そんなイサギをプレハは拒絶する。
彼に合わせる顔がないとばかりに――。
「あえてうれしいよ、イサギ……。でも、イサギは若いままで……。あたしは、もう二十九才になっちゃったよ……。イサギの隣には、立てない」
「そんなの関係ない」
イサギは無理やりにでも、プレハの手を取った。
彼女の瞳が驚いたように、イサギを見つめる。
「俺はお前がいいんだ、プレハ」
「……あたしじゃない人を見つけて幸せになってって、言ったのに」
「お前じゃなきゃ、嫌だ」
「もう別れは告げたでしょ……」
「プレハ」
「フラれても食い下がるのって、男の子らしくないよ」
「ひとつの想いを貫き通すのが、俺の矜持だ」
「そんな、……まーたかっこつけちゃって」
「かっこつけるさ。何度でも、何億回でも」
イサギはプレハを見つめ、告げた。
「俺はいつだって格好つけてきた。お前の隣に立ち続けられる俺であるために。お前にふさわしい俺でありたいと願い、そうしてここまできたんだ」
「イサギ……」
「お前が俺にふさわしくないと思うのなら、格好つければいい。そうして、俺の隣に立てよ。俺はお前がいいんだ、プレハ」
彼の腕に抱きしめられ、プレハはイサギを見上げた。
イサギの真っ赤に染まった瞳には、涙があふれていた。
「……泣いているの? イサギ」
「泣いていない」
「泣いているんでしょう」
「泣いてねえよ」
「そっか、イサギ」
顔が見られないように、イサギは俯く。
そんな彼の胸に、プレハは顔を埋めた。
「……でも、あたしは泣いているよ……」
声をあげて泣くプレハ。
イサギは彼女の肩を抱く。
「ああ」
「ありがとう、イサギ、ありがとう」
「……ああ」
生きていてくれて、ありがとう。
ここまで来てくれて、ありがとう。
思い出してくれて、ありがとう。
もう一度あたしを抱きしめてくれて、ありがとう。
そして――。
Episode13 「――おかえりなさい、あたしの勇者様」 End
プレハは顔をあげた。
そこには先ほどとは違い――さっぱりとした笑顔が浮かんでいる。
想いを飲み込み、受け入れ、そして消化し切った顔だ。
「――さてと」
彼女たちの前には、赤い巨人が生き残っていた。
それだけではない。
天を貫くほどの魔力を放つイサギに呼び寄せられたのか、赤い巨人たちは更なる数が現れた。
なんと――合計六匹。
だというのに、プレハには一切の畏れがない。
怖いものなど、もうない。
プレハの笑顔は。輝いていた。
「じゃあ、やろっか! イサギ!」
「ああ」
「コンビネーションは?」
「お前に任せるよ。合わせるさ」
「そんな器用なことができるようになったの?」
「俺の成長した姿も、見せてやらないとな」
「背伸びしなくたっていいのよ?」
「自分の初恋の相手を信じろよ」
「も、もう! それ今言う?」
頬を膨らませるプレハは、急に気づいて恥ずかしそうに顔を伏せた。
「なんだか、十五才の頃のあたしに、戻ったみたい」
「変わらないさ。プレハはプレハだろ」
「変わったものだってあるよ」
「そいつは楽しみだ」
クラウソラスを握り締めたイサギとプレハは赤い巨人たちを睨む。
その目に光が弾けた。
「いくよ、イサギ――」
「――いつでも、プレハ」
先に切り込んだのは、プレハであった。
その両手に魔力を集めながら、彼女はまっすぐに巨人へと駆けてゆく。
巨人は腕を振るって彼女を迎撃しようとする。
だがその直前で、プレハは真横に跳んだ。
プレハの後ろには、ぴったりとイサギが張りついていた。
イサギは跳躍し、巨人の頭部を斬り落とそうとクラウソラスを掲げる。
巨人は常軌を逸した反応速度で、さらに彼を撃ち落とそうと両腕を引き絞り――。
「まずは一匹だね」
その体にプレハの放った魔法が撃ち込まれる。
巨人の上半身が消し飛んだ。
イサギは空中で黄金の翼を展開し、無理矢理に軌道を捻じ曲げる。
そして魔法を放って無防備状態のプレハを狙う巨人の首を――掻き切った。
「二匹」
イサギとプレハにちょうど挟まれた位置に立つ巨人が、雄叫びをあげた。
それは大地を思い切り殴りつける。舞い上がった土砂がイサギとプレハの視界を覆い尽くす。
「プレハ!」
「任せて」
プレハが爪を振り下ろすように右腕を振るう。
次の瞬間、次元が裂かれる。極大魔法は刃となり、土砂を突き抜けて巨人の体を斜めに分断していた。
その向こう側にいたはずのイサギは、わずかに身を逸らしていた。それだけでプレハの魔法を避けてみせたのだ。
「三匹目だよ」
そこでふたりの頭上を影が覆った。
見上げるまでもない。離れていた巨人が今度はイサギとプレハを同時に襲おうと思って、飛びかかってきたのだ。
「なるほど、考えたな。だが――」
「――それは下策だよ」
迷いなく。
プレハはイサギの元に。イサギはプレハの元へと飛び込んだ。
一瞬にして立ち位置を変えながら、彼らは襲いかかってきた神族を迎え撃つ。
「クラウソラス!」
「消滅ろ!」
目測を見誤った二匹の巨人がその命を潰される。
神エネルギーに包まれ、無敵に近い防御力を持つはずの彼らだが、相手が悪かったのだ。
あらゆるものを断つ神剣クラウソラスと、あらゆるものを消滅させる極大魔法を持つ、そのふたりを敵に回したのだから――。
「四匹!」
「五匹目!」
最後の神族はプレハの着地に合わせて、正面から突撃を仕掛けてきた。
稲妻のように、速い――。
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
叫ぶリミノ。
「任せておいて」
彼女に、プレハはウィンクを返していた。
そして魔術のコードを描く。
とても簡単で、単純なコード。
「出でよ」
彼女の前には、土の壁が出現していた。
まさか、そんなもので巨人の突進を防げるはずがない。
はずがないのだ。
しかし、その壁の先端にはイサギが立っていた。
足元から押し上げられたのだ。
「六匹目だ」
――飛び上がり、そしてイサギは巨人を両断した。
地面に降り立つ彼は、汗すらもかいていなかった。
イサギは振り返り、勝利の美酒に酔うでもなく、プレハに告げた。
「ダイナスシティに帰ろう、プレハ。そこが人間族の最後の砦だ」
プレハは法衣の埃を払い、気取った笑みを浮かべる。
「ええ、王子様。素敵な馬車は用意してくれた?」
「あいにく、地獄へ向かう便しか空いてないけどな」
「仕方ないね。でもイサギと一緒なら、どこだって舞踏会だよ」
プレハの伸ばしたその手を。
イサギはかしずき、そして王に忠誠を誓う騎士のように取った。
そのふたりを眺めるリミノは、思わず頬を綻ばせていた。
「ああ、うん……」
なにかの間違いだったのだと悟った。
自分が彼の隣に立てるかもしれない、なんて考えたのは。
「……敵うはず、なかったんだよね、最初から」
リミノの肩を、アマーリエとデュテュが抱いた。
「帰りましょう、リミノちゃん」
「ええ、あたしたちの街へ」
「……うん」
イサギとプレハ。
立ち並ぶ彼らは、とても美しくて、華やかで。
「良かった、お兄ちゃん、お姉ちゃん、本当に……」
リミノは思い出していた。
自分はずっと、ずっとこの光景が、見たかったのだと。
そして、彼らは帰還する。
最後の砦へと――。
「いこう、プレハ」
「ええ、イサギ」
ここに彼らがいる限り。
人族の希望は、まだ潰えてはいなかった。
勇者イサギの魔王譚
Episode:Final『永遠の愛を』
そしてふたりはいつまでも、
いつまでも、幸せに――。
次回更新日:未定。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
交わる戦火は、誰にも止められない。
いよいよ魔王が確定する日、レンゾウは魔族の重鎮を殺めた。
冒険者と共存を望む魔族たちの声を無視し、
レンゾウは仲間を引き連れて街へ奇襲をかける。
その裏には、権威を持った魔族たちの陰謀が渦巻いているとも知らずに……
イサギは暴走した彼らを止めるため、
たった一人で戦火へと飛び込むが――!?
書籍版・勇者イサギの魔王譚3
『鞄には愛だけを詰め込んで』
5月30日、発売予定です。
半分以上を書き下ろししました。
こちらの方もよろしくお願いいたします。