13-11 過去
かつてひとりの少年がいた。
異界より召喚された彼は、神剣クラウソラスを手に、アルバリススという大陸を駆け巡った。
三人の仲間とともに、ついに魔王アンリマンユを打ち倒す。
その少年の名は、イサギ。
プレハの、想い人であった。
魔王を葬り去った魔王城の玉座の間にて。
なにもかもを振り絞ったふたりの英雄は、まるで寄り添うようにしていた。
内と外を断絶する極大障壁に守られながら、今だけは緩やかな時間が流れていて。
すべての終わりを告げるかのように、外から綺麗な光が差し込んでいた。
舞い上がる埃すらも、魔力の輝きを帯びて、虹彩に輝く。
ここは最後に残された楽園であった。
「――これからも、俺についてきてくれないか」
だが。
そう言った直後、イサギは消えた。
闇の狭間に落ちて、姿は失われた。
「――イサギ」
少女は仲間たちの悲鳴を聞きながら、彼の名を呼ぶ。
それが別れであるなど、彼女には到底受け入れられなかった。
どんなに手を伸ばしても届かない。
泣き叫ぼうが、取り乱そうが、時は元には戻らない。
彼はもう、いなくなったのだ。
これはたったひとりの少女が、ただひとりの初恋の人を追い求め、十三年を旅する物語である――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勇者イサギの魔王譚
13-11『過去』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
魔王城を出たプレハたちを待っていたのは、焼け野原と化した魔王城周辺の景色と、騎士たちの歓喜の叫びであった。
見事、悲願である魔王討伐を果たしたのだ。人族滅亡の危機は免れた。しかし、その犠牲はあまりにも大きかった。
沈み込むプレハや浮かない顔をするバリーズド、それにセルデルを見て、周囲の人間たちはすぐに気づいた。
一体なにを失ってしまったのか、を。
プレハたちは騎士団とともにブラックラウンドへと戻る。
その道程を、プレハはよく覚えていなかった。
王都ダイナスシティに帰還すると、人々は勇者たちの功績を大きく讃えた。
勇者イサギの犠牲なくして人族の平和は成り立たず。皆は彼こそが真の勇者であったと褒め称え、その偉業を後世に残そうとこぞって物語や歌を作った。
だがプレハの見方は違っていた。
勇者としてイサギが帰ってきたのなら、その声望は貴族たちにとっていつか必ず邪魔になる日が来ることだろう。
だから、施政者にとっては、イサギが死んでいたということが最も都合の良い展開であったのだ。
だから彼らはイサギの物語を『伝説』に変えようとしていた。
イサギのことをなにも理解しようとはせずに。
「イサギはまだ死んだと決まったわけじゃない!」
英霊の国葬に最後まで反対をしていたのはプレハだった。
誰もが捜索を途中で打ち切ってゆくその有様は、人々がイサギの死を望んでいるようであった。
プレハは涙ながらに叫ぶ。
「この世界を救ってくれるために無償の勇気を注いでくれた彼に対する仕打ちが、それだというの!? イサギの帰る場所を奪って、そしてあなたたちは恩人に砂をかけるようにして生きていこうっていうの!?」
そんなことを訴えては、彼女は貴族たちにたしなめられていた。
死んだ者よりも、生きてゆく者を大切にするべきだ、と。
プレハそんな言葉に聞く耳を持たなかった。
プレハはまっすぐに想いを訴えただけなのだ。しかし彼女はイサギを失って正常な感情すらも失ってしまったのだと、貴族たちから揶揄された。
世界最強の魔法師は、ただの恋人を喪った十五才の小娘だと扱われた。
それはあるいは間違っていなかったのかもしれない。
だが、彼女自身は絶対に違うと信じていた。
これは己の正義に従った結果なのだと。
しかし――誰にも理解をされることはなく。
たったひとりできることはなにもなく。
プレハはふさぎ込んでいった。
もしかしたらイサギが死んでいるのかもしれないと、彼女もそう思うようになり。
やがてイサギの国葬が行なわれることになると、そこにプレハも列席した。
決して望んだわけではない。
だが、もし本当に彼が死んでいるのなら。
――自分がそこにいなくては、イサギが寂しがるだろう、と思ったのだ。
バリーズドやセルデルとともに、プレハはイサギの亡骸のない棺桶を見送った。
そのとき、プレハのなにかが確かに終わったような気がした。
もうイサギはいないのだと、周囲の人間に無理矢理に認めさせられたようだった。
セルデルがエディーラ神国へと帰ると、それ以降彼女は王宮の自分の部屋に閉じこもり、滅多に外に出ることはなくなった。
なにもかもに、嫌気が差していた。
魔帝戦争が終結してから、一年と少しが経った頃だろうか。
いよいよバリーズドが冒険者ギルドを作ろうと言い出したのだ。
彼はイサギの遺志を引き継ぎ、よりよいものを目指すために、プレハやセルデルに協力を頼んできた。
その頃のプレハはダイナスシティにとどまっていたが、もうほとんどバリーズドとも会わずにいた。
バリーズドの手紙は簡素だったが、しかし心からプレハのことを心配しているようだった。
よく晴れた朝のことだった。
まるでイサギとふたりで旅を始めたあの時を思い出すような。
ダイナスシティの片隅に家を建て、そこで大工たちとともに作業をしていたバリーズドの元に、プレハは向かった。
すすけた顔で釘を打つバリーズドは、プレハを一目見るやいなや、慌てて駆け寄ってきた。
その男臭い顔には、涙が浮かんでいた。
「ぷ、プレハ! おめー、よかった、きてくれたんだな! 心配したじゃねーかよ馬鹿野郎が!」
大きな腕に抱きしめられ、泣く彼を見上げながら、プレハは困ったように笑った。
「おおげさだよ、バリーズドってば……」
それは本当に、ひどく久しぶりの笑顔だった。
それからふたりは、イサギの夢だった冒険者ギルドを作るために尽力した。
最初のスポンサーとして、エディーラ神国の主教であるセルデルがたくさんの資金を提供してくれることになった。
手伝いにはこられなくても、彼も遠くの地から協力してくれるのだと、プレハは感じられた。
こうしてイサギの想いは少しずつ形になっていった。
それは自らの心を癒してくれるような、そんな日々だった。
いつでもイサギが隣にいてくれるような気がしていた。
たぶんきっと、イサギがいなくなって以来、初めて自分は幸せなのかもしれないと思えた時間だった。
バリーズドの息子である幼いハノーファの遊び相手をしたり、生まれたばかりのアマーリエを抱きあげた。
人は死に、そしてまた生まれるのだという、そんな当たり前のことがプレハの心を締め付け、ときには温かくもしてくれた。
プレハはようやく周りの景色を見ることができるようになった。
ダイナスシティの住宅街や、貧民街。商業区や詰所、郊外にまで足を伸ばし、様々な場所を散歩した。
もう一度この世界の風景を眺めようと思った。
忙しなく働く人々は、誰もが心に傷を負いながら、戦争の爪跡を埋めようと必死になって生きていた。
無気力と諦観で満ちた顔ではない。
壊れた建物を直す大工や、畑を耕す老人、子供を連れた母親、盗みを働く子供と、その少年をひっ捕らえる衛兵。その皆の顔のいたるところに、プレハはイサギの面影を見つけることができた。
――犠牲になったあの少年の魂は、人々の心に生きている。
勇者が救ったのはこのアルバリススではなく、彼らの心だった。
そんなことを思った瞬間に、プレハはその場で人目もはばからずに泣き出してしまった。
だがそれはきっと悲しき涙ではなく、今度こそ本当に、別離のための涙であったのだろう。
泣き終わったプレハは前を向いて、歩き出すことができたのだから。
ある日、セルデルから手紙が届いた。
彼は高度な術式について、プレハに相談したいことがあるのだと言う。
戦友からの頼みに、プレハはなんの疑問も持たずに旅立った。
「じゃあ少し、行ってくるね」
「おう、あいつによろしくな!」
バリーズドに見送られ、プレハは馬車に乗った。
イサギがいなくなって以来、初めての一人旅であった。
エディーラ神国はいつ見ても雪が降り積もる、厳しい環境にある王国だ。
セルデルに出迎えられ、プレハは彼の屋敷へと招かれた。
「久しぶりね、セルデル。元気していた?」
「僕の方は相変わらずですよ。でも他人の心配をできる程度には回復したんですね、プレハさん」
「ん、まあね。ご迷惑をおかけしました」
「いえ。なによりです」
皮肉屋の彼は頬を緩ませた。
少し会わなかっただけなのに、なんだかすごく大人びているような気がする。
プレハが停滞している間も、セルデルは実務に関することを学んでいたのだという。
「すごいなあ」
「別にそんなことはありませんよ。僕はもともとやっていたことですからね。魔帝戦争で一時的に中断しただけに過ぎません」
雪の降る外を窓越しに眺めながら、暖炉のそば。
ふたりは空白を埋めるように、様々なことを話した。
ワインを舐めるように飲みながら、プレハはわずかに赤らんだ顔でつぶやく。
「お見合いも断ってばっかりだから、ダイナスシティには少しずつ居づらくなってきちゃった。最近ではずっと、冒険者ギルドに寝泊まりしているよ」
あの勇者イサギとともに戦った極大魔法師を手中に収めたいというのは、誰もが思っているのだろう。そうではないにしても、光の精霊のように輝きを帯びたプレハの美貌は抜きん出ている。
セルデルは珍しく冗談めいた口調で、言う。
「だったらエディーラに来ればいいですよ。最近はドワーフ族との関係も怪しくなってきましてね。いつ戦争が始まってしまうかわからないんです。強力な戦力は保持していたいですから。……というのは、建前かもしれませんね……。頼っていただけたら、僕があなたの場所を用意します。友達、ですから」
「ん、その気持ちだけで十分だよ。ありがとうね、セルデル」
プレハは屈託のない笑顔を見せた。
だがすぐに、不安そうにその身を揺らす。
「それにしても、ドワーフ族との仲が険悪、か。せっかく魔帝戦争で協力し合った仲なのに、悲しいね……」
「……そうですね。それが人間の愚かさなのかもしれません。イサギさんが貴族たちの戦後の体制立て直しに利用されたように、ですね」
「……ん」
プレハはぼうっとした目で暖炉の火を見つめていた。
その憂いを帯びた有様は、まるで主人を亡くした妻のように背徳的な色気を感じさせた。
雪のように白い肌も、抱き締めたら折れてしまいそうなほどに細い手足も、そのすべてがプレハという存在を彩る。
セルデルは思わず目を逸らした。
「そういえば、術式の相談があるって言っていたけれど、それって?」
「……ええ」
セルデルはわずかな間を置いた。
「もしも」
「……?」
わずかに朱に染まった頬に手を当てながら。
焦点の揺れる瞳を、プレハはセルデルに向ける。
もしここで彼から話を聞かなければ、すべては生み出されなかったのかもしれない。
それは悪魔の囁きであった。
「もしも、――イサギさんをこの世界に復活させる方法があるとしたら、あなたはどうしますか?」
プレハは一瞬にして現実に引き戻された。
「……え?」
セルデルは表情に感情を浮かべていない。
先ほどまでとはまるで別人のように見えた。
「……『蘇生術』です。僕は今、その力を研究しているんですよ」
蘇生術。
それは禁忌だ。
絶対に開けてはいけない扉だ。
プレハは思わず大きな声をあげていた。
「回復禁術……? そんな、いくらあなたでも許されないよ!」
禁忌には大いなる災いが降りかかるという。
『破術』を手に入れたイサギもまた、しばらくはその副作用に苦しんでいた。
人ひとりがたやすく破壊されてしまう力なのだ。
セルデルほどの人物が失われてしまうのは、これからの世界の復興のために、大いなる損失である。
だが、セルデルもまた、声を荒げた。
「けれど、あなたはこのままでいいんですか! イサギさんが消えたままで!」
「そんなのは……」
卑怯な言い方だ。
彼がいなくなってよかったと思ったことなど、一度もない。
今だって彼の腕に抱かれる夢を何度も何度も見て、寂しさの中に目を覚ます毎日なのだ。
だが、しかし……。
プレハは俯きながら、唇を噛む。
「いいわけが、ないよ……だけど……」
そこでセルデルが冷静に戻ったように、首を振った。
「いや、悪かったです。僕もどうかしていたようです。ただ、彼がここにいてくれたらと、それだけを考えていて」
「ううん、いいの、セルデル。……でも、ありがとう……」
消え入りそうな声で、プレハはお礼を口にした。
セルデルもまた、視線を背ける。
「もし極大魔晶さえあれば、彼を復活できるかもしれません。それだけは覚えていてください」
「……うん」
その後、彼とは思い出話に花を咲かせた。
メイドの案内する部屋へと到着し、プレハは眠りについた。
来てよかったと思う反面、ずっと彼の言葉が頭から離れなかった。
『イサギを復活させられるかもしれない』
――セルデルがそんなことを言うなんて。
その後プレハは、ダイナスシティへと帰還する。
冒険者ギルドの運営も軌道に乗ってきたばかりだ。何日も留守にするわけにはいかなかった。
セルデルは別れを惜しんだが、結局あれ以降、蘇生術の話は一度もしなかった。
お互い、忘れようと思っていたのかもしれない――。
だが、間もなく事件は起きた。
冒険者ギルドの面々が、ドワーフ族へと攻め入ったのであった。
「どいつが大規模依頼を発令したんだ!? くそっ、先走りやがって!」
「バリーズド、これはいったいどういう事態なの?」
「プレハか……。わからねえ……誰がやったのか知らねーが、冒険者の集団がドワーフに攻め込んでいるらしい……。俺はここで事態の収拾を急ぐ。おめーには悪いが――」
プレハは彼の言葉が終わる前に、うなずいた。
「――もう一度、エディーラに向かうよ」
しかし、到着したときには、なにもかもがもう、遅かった。
魔帝戦争以後、力を持て余した傭兵たちはこぞって『冒険者』と名を変え、手柄を立てていた。
野獣の退治や、魔王軍残党の殲滅などの任務もあったが、しかしそのほとんどは公共事業の手伝いや、復興、開墾などの仕事であった。
冒険者は血に飢えていたのだろうか。
その力を思う存分に発散する場所を探していたのだろうか。
あるいはそうなのかもしれない。
プレハは立ち竦む。
「北方山脈タイタニアが……燃えている……」
目の前にそびえたつ山の頂上から、黒煙が噴き出ている。
わずかに生えた針葉樹林が赤く染まり、まだらのような赤い模様を浮かび上がっていた。
雪山が燃える光景はあまりにも現実離れしていて、美しくすらあった。
戦争で傷ついていたとはいえ、ドワーフ族たちは歴戦の猛者揃いだ。
それが、ここまで一方的に蹂躙されるものなのか。
雪舞う山のふもとにて、プレハは見た。
燃える山から下りてくる、ひとりの冒険者を――。
「おお」
「――」
「これはこれは、極大魔法師プレハさま。こうしてお言葉を交わすのは初めてですね。私はカリブルヌスと申します」
慇懃に腰を下げる彼は、その右腕に首を掴んでいた。
鉄血王アイアンロウ。
プレハと肩を並べて戦ったこともある、ドワーフ族の王だ――。
「あなたは――」
彼を糾弾しようとして、プレハは気づく。
違う。カリブルヌスはギルドの命令通り、ドワーフ族に攻め込んだに過ぎない。
彼は悪を為す者ではない。
だが、しかし――。
立ち竦むプレハの横をカリブルヌスは悠々と通りすぎてゆく。
疑念はプレハの中で膨らみ、彼女は拳を握り固めた。
「どうして……」
「どうして! あの青年に!」
プレハはテーブルに手を叩きつけた。
彼女の前には、貴族がいた。王国七貴族のひとり、サルバトーレだ。
ダイナスシティに戻ったプレハはドワーフ族を襲った冒険者の蛮行について、調査を続けていた。
その最中、剣与の儀が行なわれたのだ。
プレハはサルバトーレの屋敷に怒鳴り込んだ。
「神剣の管理はあなたでしょう!」
「あれほどの功績をあげておいて、なにもなしというわけにはいかんではないか。カリブルヌスに貴族の位を固辞されてしまったのでは」
「よりによって、クラウソラスを……」
「そう、よりによってだ。『適合』していたとはな」
そうなのだ。
これが単なる形式ばかりのものならば、プレハもここまで怒鳴り込んではこなかった。
プレハは唇を噛み締める。
「あやつこそが新たなる神剣使い。すなわち、勇者なのだ」
「……なにが功績よ。ただ、ドワーフ族を多く殺しただけじゃない」
「なにを言う。それが君たちとどう違う?」
「――違う!」
プレハは今度こそ本気で怒りをにじませた。
魔帝を滅ぼした最強の魔法師のその剣幕には、海千山千の貴族であるサルバトーレも青い顔になった。
プレハは一睨みでサルバトーレを黙らせると、その身を翻す。
「あたしは認めないわ……!」
捨て台詞を吐き、プレハは部屋を出た。
そこですれ違ったのは、あのカリブルヌスだ。
彼はこちらに小さく頭を下げ、通りすぎてゆく。
カリブルヌスの人身は、なにかに取りつかれたように、冷たかった。
あんな目をしている者が、クラウソラスを持つのはふさわしくないはずだ。
あれは復讐者の目だ。
だが、長い廊下を歩きながら、ふと瞬間にプレハは心のどこかで気づいてしまっていた。
この瞬間、自分も同じ目をしていたのかもしれない――と。
しばらくはドワーフ族を滅亡させてしまった事件の真相を追い求めていたものの、なんの手がかりも摑めていなかった。
そんなある日、バリーズドが久しぶりにわくわくとした顔でやってきた。
「見てくれ、プレハ」
「……ん、なにこれ?」
「『リヴァイブストーン』だってよ。セルデルが作ったらしい。なんでも回復禁術の技法を副作用がないように用いたものだってよ」
「……禁術を? 副作用がないように?」
疑わし気に、彼の手の上の宝石を眺めるプレハ。
魔晶の中には魔法陣がきらめいている。これ単体で禁術を発揮する? そんなことが本当にできるものなのか。
「信じられないわ」
「俺にはよくわからねーが、大層なことなのか?」
「うん、いくらセルデルでも……。それにこんなに大量の魔晶をどこで……」
プレハはハッと気づいた。
そして着の身着のまま飛び出してゆく。
「あたし、もう一度セルデルのところにいってみる!
プレハはエディーラへと向かう。
彼の屋敷に到着すると、そこにはセルデルが待っていた。
両手を広げ、彼はいつもの皮肉げな笑みとはまた違った、闇の深い顔をしていた。
「やあ、来てくれると思いましたよ、プレハさん」
プレハは彼にリヴァイブストーンを突き付ける。
「この禁術は一体」
「『蘇生術』を考えていたときに、副産物として思いついたんです」
「……禁術には手を出さないって言っていたのに」
「でもイサギさんだって破術を使っていましたよ」
「あれはやむを得ず!」
「冒険者が我が物顔で大陸を闊歩する今のこの事態は、やむを得ないと言えませんかね?」
その瞬間、プレハはなにも言えなくなった。
セルデルは悲しそうな顔をする。
「カリブルヌスの暴虐は聞きましたでしょう」
「……ええ。この目で、見たよ」
「冒険者は暴走を始めています。今こそ勇者イサギの力が必要だと思いませんか?」
「それは、思うけれど」
「極大魔晶さえあれば、彼を復活させられるんですよ」
「……」
だがそれは――。
結局のところ、自分たちが認めるしかないということではないか?
冒険者を自分たちアルバリススの民では御すことができず、かつての勇者の力を借りるしかないのだと。
アンリマンユのときと、一緒じゃないか。
諦めていいのか?
プレハは悔しそうに拳を握った。
そんな姿を見下ろすセルデルは、小さくため息をつく。
プレハの決断のときは迫っていた。
次に襲われたのは、エルフ族の里だった――。
結局、プレハの守りたいものは、なんだったのだろう。
自分なのか、正義なのか、イサギの尊厳なのか、それとも世界なのか。
「あああああああ」
燃え盛るエルフ族の城の前、プレハは顔を押さえていた。
またしても、守ることができなかった。
冒険者の進軍はあまりにも早く、プレハはそれを先回りすることもできなかった。
何人かの人間族がエルフ族を追い回しているのが、プレハの目に映った。
プレハは冒険者ギルドの設立メンバーのひとりだ。
冒険者に牙を振るうなど、本来あってはならないことなのだが――。
「――砕けろ!」
感情のまま、プレハは魔術を放った。
冒険者を殺さないように手加減をしながらも、しかし彼らを行動不能にするために。
「――穿て!」
たったひとりで城門のひとつを守り切るように、プレハは単身戦った。
「――弾けろ!」
魔術の当たりどころが悪かった冒険者のひとりがそのまま木の根に頭をぶつけて、命を失っていたのだが。
それはプレハのあずかり知らぬところであった。
――しかし、それがいけなかった。
「……俺はもうお前をかばい切れねえ」
「いいよ、バリーズド。今までありがとう」
「すまねえ、プレハ……」
「ううん、あなたはイサギの遺した冒険者ギルドをよろしくね」
焼けた荒野でふたりは並んでいた。
守りたかったエルフ族の焼野原だ。
木漏れ日を浴びて輝いていたエメラルドのような城は、その大半が崩れ落ちていた。
森も同様に。失われたすべては、元に戻ることはないだろう。
吹っ切れたような顔で、プレハは佇んでいた。
「……イサギをなんとしてでも、この世界に呼び戻すよ」
冒険者ギルドからプレハの名が除名され――。
――その頃からもう、プレハは狂い始めていたのかもしれない。
数年が経過した。
プレハは極大魔晶を追い求めるために、各地の迷宮に潜り続けていた。
その道中、数々の冒険者と会った。
「うわあ、俺っち、プレハサンの大ファンだったんすよ! 感激だなあ!」
「あはは……」
プレハは乾いた笑いで応じる。
アウトローな生き方を選んだプレハだが、まだこうして彼女の信奉者は多く残っていた。
貴族たちはプレハの名を歴史の闇に沈めようとしていたが、そううまくいくものではない。
迷宮では次々と魂人を退治し、最奥の魔晶を取って帰る。凄まじい速度だった。
魔王城付近にひとつの迷宮が出現したとの話を聞き、プレハはそこにも向かった。
そのそばの、荒野にならず残ったわずかな草原にて。
人目を避けるようにして旅を続けていたプレハは、幼き姫と彼女をあやす有翼の若い魔族の姿を見た。
アンリマンユの娘だ。
プレハには一目でわかった。
目の前が真っ暗になったような思いがした。
その気になれば、その場で彼らを殺害せしめることなど、プレハにとっては容易なことだ。そうしてやろうかと一瞬だけ黒い心が鎌首をもたげたのも事実であった。
しかし、花を摘みながら無邪気に笑う少女のその命を握り潰すことなど、プレハにはできない。
生まれた命は誰のものでもない。彼女のものだ。
その胸に虚無感を抱きながら、プレハは迷宮に向かう。
――だが、魔王城近くの迷宮の地下深く。
様々な魂が漂う魔世界において、プレハはアンリマンユの声を聞いた。
『なぜだ、神々よ……。我はあなた方の言う通り……。神世界封印に、確かに綻びを刻んだはず……。なのに、なぜ……』
「……神世界封印の綻び?」
一体どういうことか。
わからないでセルデルの元に戻る。
プレハは彼の元に、魔晶を届けに通っていた。
「ねえ、セルデル」
「なんですか、プレハさん」
「あなた、あたしに隠し事をしていないよね」
「……どうしたんですか? 藪から棒に」
プレハはじっとセルデルの目を見つめる。
「あたしは、あなたのことを共に旅をした仲間だと思っている。もしなにか嘘をついていることがあるのなら、言ってほしい」
「……僕は」
しかし彼はすぐに肩を竦めた。
「そんなことがあるわけがないですよ。『蘇生術』の研究は順調です。もっともっと大きな魔晶がなければ研究は続けられませんから、あなたにはこれまで以上に働いてもらいませんとね」
「わかった」
プレハは立ち去ろうとする。
だが、彼の様子がおかしなことには気づいていた。
その目を盗んで、プレハはセルデルの書斎へとやってきた。
なにか確信があったわけではない。
しかし、プレハはもう、人の善意を素直に信じ切れるほど、素直な女性ではなくなってしまっていたのだ。
それがたとえ、かつて命を預けた戦友であっても――。
セルデルの書斎の引き出しの中に、プレハはあるものを見つけた。
そこにはこう書いていた。
「……『アンリマンユ・レポート』?」
と。
Episode13最終話「未来」
――それは二つ星の再臨。