13-7 狂宴
薄ぼんやりと光るものがあった。
その紅色の明かりに照らされ、ひとりの男がうずくまっている。
時折、苦悶の声を漏らす彼は、もはや限界が近かった。
壊れた玩具を無理矢理、接着剤でくっつけたような、そのようないびつな姿は、醜い。
小さなうめき声をあげる彼は、自分の身を押さえていなければ、次の瞬間にはバラバラになってしまいそうな気がしていた。
――そんな男であった。
逃げ延びた先。
男は、身を隠していた。
「情っさけねェな……」
それは人間をやめた代償であった。
あるいは、友を裏切った報いであった。
男は――廉造は確かに凄まじい力を手に入れた。
ただ一度の勝負に命を懸けた。
だがそれでも、彼には届かなかった。
届かないばかりか。
なにひとつ、手にすることはできなかった。
滑稽だ。
惰弱だ。
浅ましい。
愚かである。
自らを責める自らの言葉が、耳から離れない。
幻聴に襲われているようだ。
「ウザってェ……」
なにもしていないのに、体から血がこぼれた。
それはまるで、彼の流す涙のようだった。
同化術の危険性については、さんざん念を押された。
今さら悔やむような気持ちは、なかったけれど。
だが、口惜しい。
そうだ、ただただ、口惜しいのだ。
廉造は自らの体を抱く。
「……スラオシャルド……悪ィな。イサに勝てなくてよ」
自らに語りかけるけれど、その身体はなにも返事をしてはくれなかった。
当たり前か。
今はひたすらに体を休めるよりは他ない。
しかし、そうして時を待ったところで、なにができるのか。
完全に復調するとでも思っているのか?
――あのときのような力は、もう二度と手に入らないだろう。
自分はもう、負けたのだ。
圧倒的な力を誇った、神化イサギによって、打ち倒されたのだ。
竜は勇者に狩られるのが、世の常だ。
廉造では勝てなかった。
火口に落ちた竜神の亡骸を接続しても、不可能であった。
口惜しい。
いったい自分が本当にやりたかったことは、なんだったのだろう。
愛弓の元に帰りたかった。それは嘘ではない。それだけのために生きてきた。そのはずだった。
それでも、このアルバリススでなにかを成し遂げたかったのだろうか。
きっと、なにか。
たとえば、そう。
あの、イサギに。
勝ちたかった、だとか。
「……」
そんな廉造の甘えを引き戻すように、激痛が走る。
いっそバラバラになってしまえば、楽になれるのかもしれない。
――そんなとき。
コツ、コツ、と音がした。
足音だ。
誰かがここにやってきたのか。
こんなところに?
見上げれば。
そこには、紫色のローブをまとった小さな娘がいた。
長い銀髪の魔法師。
シルベニアがいた。
「……どうしてこんなところにいるの?」
それはこちらのセリフだ。
どうしてこんなところに来たのか。
廉造は彼女にうめく。
「オレがいるなら、ここしかねェだろ」
「……そうね。あたしもそう思ったの。ずっと、ここに来たかったんでしょう?」
「ンだよ……」
シルベニアは小さくうなずく。
そして手を差し出してきた。
「レンゾー」
「あァ」
声を出すのも億劫だ。
なんとなく、殺されちまうのかもな、と思う。
堂々とシルベニアの敵に回ったのは、初めてのことだった。
彼女は敵対者には、容赦しない娘だ。
そこが嫌いではなかったのだが。
だが彼女の手のひらにともった光は、温かかった。
治癒法術だ。
「……どういう風の吹き回しだ」
「負け負け男」
「……あァ?」
「あたし、負け負け男には冷たくないの」
わずかに面食らった。
その直後、廉造は舌打ちする。
「ケッ」
シルベニアはいつものように、無表情だ。
なにを考えているかわからない眠そうな目で、こちらをじとりと眺めている。
まったく。
「初めて会ったときから、テメェは変な女だったよ」
傷口が温かい。
彼女の治癒法術は、相変わらずよく効く。
慰められているのだ。
なのに、心が落ち着く。
こんな気分でいられるのは、久しぶりだ。
「レンゾーも」
「あァ?」
「初めて会ったときから、ヘンだった」
「……ああ、そうかい」
シルベニアはぽつりぽつりと語る。
抑揚のない口調だが、なんだかそれがとても懐かしかった。
「キャスチを妹呼ばわりしてたり」
「……ンで知ってンだよ」
「キャスチから聞いた。レンゾウを怖がってたの」
「ありゃァ……あれだ、気の迷いだ」
「妹さんに会いたいの?」
「ずいぶんと直接聞くじゃねェか」
シルベニアはまっすぐにこちらを見つめている。
廉造は火の混じった吐息――獣術を制御しきれていないのだ――をはいた。
「会いたいさ。毎分毎秒、ずっと会いたいに決まってら」
「うん」
シルベニアは廉造の隣に、ちょこんと座った。
「あたしも、同じ」
「ああ?」
「兄様も、父様も母様も死んだ。千人の人間族を殺せばあの時に戻れるのなら、あたしももう一度、戻りたいから」
「……」
「だから、レンゾウの気持ち、わからないでもないの」
「勝手に言ってろ」
「うん」
シルベニアは警戒心もなにもなく。
ただ同じように、廉造の隣にうずくまっていた。
彼女の柔らかな身体の感触と、そして体温が廉造に伝わってくる。
廉造はまどろみに身を預けるように、治癒法術の心地良さに体を委ねた。
「昔からずっと、あたしは自分のやることに誰かの許可を取ったり、しなかったの。だから、いつでも勝手にするの」
「変な女だ」
「お互い様」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勇者イサギの魔王譚
13-7『狂宴』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
大森林ミストラルへと向かう女性三人を乗せた馬車は、途中ただ一匹の巨人にも遭遇せず、順調に森へと入った。
運が良かったのか、はたまた別の要因が関係しているのか。
「この分なら、普通に到着できるかもね」
「だといいんだけど……」
アマーリエは地図を眺めていた。
エージェントが持ち帰った情報によると、空中戦艦は元エルフ王国ミストランドが存在していた場所の近くに降り立ったのだという。
「大丈夫です、わたくしたちには、お父様の導きがあります」
剣を抱きながらそう言って笑うデュテュに、リミノとアマーリエが同時に眉をひそめた。
「……それって、魔帝の、でしょ?」
「嫌な予感しかないわ」
次の瞬間、馬車が急停止した。
車輪と木材が軋み、馬が悲鳴をあげる。乗員を衝撃が襲った。
「なに!?」
リミノとアマーリエは踏みとどまり、デュテュひとりが前のシートに顔を突っ込む。
仲間の身を案じるよりも先に、アマーリエは弾かれたように外へと飛び出した。
すると――。
「……え?」
絶句する。
自らに落ちる影。それは巨大な物体が太陽を遮っているのだ。
山のように巨大で、血のように赤い存在。
死を形取った怪物――。
馬車の行く手を塞ぐように、二匹の巨人がいた。
「……逃げて」
冒険者として経験を積んでいるはずの御者すらも蒼白の表情をしていた。彼にそう告げると、アマーリエは地面に降り立つ。
「わちゃー……そううまくいかないよね」
「お、おっきいですねえ……」
リミノやデュテュも、彼らを見上げた。
赤黒い巨人は目も鼻もなく、まるで子供がこねた粘土細工のように、滑稽だが、グロテスクな外見をしていた。
しかしなによりも、彼らの力は絶大だ。歴戦の冒険者が鎧袖一触のようになぎ倒されたことを、アマーリエは知っている。
力だけではない。その速度も異常だ。
本気で追ってこられたら、逃げられるはずもない。
「命を賭けるタイミング、早いわねー」
うんざりしたような声でつぶやくアマーリエは、ベルトからカラドボルグを外し、その鞘を握り締める。
といっても、想定していなかった事態ではない。
呼吸を整え、巨人を見上げる。
「仕方ないわね」
アマーリエの全身を闘気が包んでゆく。
この大陸においても、五指には入るであろう剣士の彼女が、父親の剣を握りながら高めてゆく魔力は、辺りの大地にわずかな微動を引き起こした。
「リミノ、デュテュ。あとはお願いね。言った通りに」
二体か。厳しい。
――ま、いいか。
「はいはい」
「アマーリエさま……」
リミノは諦め混じりに、デュテュは暗い顔でうなずく。
そのときであった。
「あーだめだめ、その方々を襲わないでくださいね」
拍子抜けするかのような、気楽な声が降ってきた。
こんなところに、人がいるのか、と。
一同が見やれば、そこにいたのは――。
「あ、お久しぶりです、リミノさま」
「――」
リミノは言葉を失う。
現れたのは、白い鎧に身を包んだ麗人。
彼女はのんびりと腰を折る。
「お迎えにあがりました」
元ミストランド近衛騎士団団長、エウレカ・ユリイカその人であった。
「どうして、あなたがここに」
「いやあ、話せばすっごい長い事情があるんですけどねえ……。あ、そこ段差があるんで、気を付けてくださいね」
エウレは階段を下りながら、松明で足元を照らす。
揺れる火に混じる桃色がかった燐光は、ここが神エネルギーの影響を受けている証だ。
一同は、かつてミストランドの王城があった場所を、地下へ地下へと下っていた。
空気が濁っていると感じるのは、ここが迷宮化してしまっているからだろう。
肉世界と真世界の狭間のように揺れる壁や足元は、まるで命があるかのように脈動をしていた。
生物の体内に足を踏み入れたかのように、気味が悪い。
エウレはどこか寝ぼけているような口調で、つぶやく。
「できることなら、姫様にはここに来てもらいたくは、なかったんですけどねえ……」
「……なにを言っているのよ。ちゃんと説明しなさいよ。どうして巨人があなたに従っているのよ」
リミノの横に立つアマーリエは、今にもエウレに斬りかかりそうな目つきをしていた。
先頭をゆく女性は、その気配を感じながらつぶやく。
「別に、従ってくれているわけじゃないですよ。わたしたちの言うことを、少しだけ聞いてくれるだけです」
「……だったらそれはどういうことなのよ」
「詳しくは、下で。わたしはただここで、あの人をお守りしているだけの騎士ですから」
「エウレ、そこに誰がいるの?」
首を傾げるリミノに、エウレはそこで悲しそうな瞳をした。
「エルフ族第一王女、リリアノさまがお待ちです」
やがて一同は最下層に到着した。
妖しく発光する召喚陣リーンカーネイションの上には、ひとりの女性がいた。
いや、それは女性と言ってもいいものだろうか。
骨と皮だけの、まるで骸骨だ。
それなのに彼女の身に着けているものが美しいドレスなのだから、その姿は不気味としか言うより他ない。
まるで命にしがみついているようであった。
これがリリアノ?
これが死んだと思っていた自分の姉なのか。
戦争を生き延びて、十年近くも離れ離れになっていた、リリアノなのか。
立ちくらみしそうになる。
エウレは静かにうなずいていた。
衝撃を受けながらも、リミノはこわごわと声をかける。
「あの、お姉ちゃん……? リミノだよ……」
どんな声が返ってくるか。
不安でたまらない。
そんな気持ちでリミノが待っていると――。
次の瞬間、リリアノの目が輝いたと同時。
彼女の様相が一変した。
「――まあ、リミノ。元気だったのね!」
「おねえ、ちゃん……?」
リリアノの姿はかつての、全盛期の美しさを取り戻していた。
その変化に、リミノは面食らう。
エウレがそっと囁く。
「迷宮化している空間だからこそ、相手の見え方はそのときによります。リリアノさまが気を高ぶらせれば、そのようになります」
「デタラメね……」
アマーリエは先ほどからずっと剣に手をかけている。
リリアノは嬉しそうに両手を広げた。
「リミノにまた会えるなんて、きょうはなんて良い日なんでしょう。ああ、嬉しいわ、とても嬉しいわ……。世界はこんなにも愛に満ちているのね……」
「お、お姉ちゃん……」
リミノは彼女の漂う狂気に押されながらも、訴えかけた。
「もしかして、お姉ちゃんがリーンカーネイションを、起動したの……?」
「もちろんだわ」
リリアノは胸を張る。
彼女が指を動かすと、そこにはいつの間にか、小さな――といっても人間よりも二回りは大きいだろう――赤い化け物が立っていた。
その顎と思える部位を撫でるリリアノは、恍惚の顔だ。
「私にはね、この子たちの声が聞こえるの。私のいうことをきいてくれるのよ。この子たちがいれば、人間族なんてすぐにでも滅ぼせるわ。私は、楽しくてたまらないわ。人間族の悲鳴がね、遠く離れているはずなのに、私に聞こえるのよ」
ぞっとした。
リリアノは身をよじりながら、笑う。
「私の願いにね、応えてくれたの。どう、お姉ちゃんすごいでしょう? ほら、リミノ、あなたもこちらにおいで……。ふふふ、一緒に、素敵なレクイエムを奏でましょう?」
まるで悪魔の誘いであった。
死んだと思っていた愛する姉との再会がこんな形になってしまうだなんて。リミノは首を振る。
「そんな、だめだよお姉ちゃん、その力は……いけないよ。リミノたちと人間族は、一緒に共存できるんだよ……。もう争いなんて……」
リリアノにはリミノの言葉の意味がわからない。
第一王女の言葉は、呪詛のようであり、魔歌のようだった。
「たくさん、たくさん殺しましょう。たくさん殺しましょう? リミノ? ねえ、一緒に殺しましょうよ、ねえリミノ。楽しく殺しましょう。笑って殺しましょう。容易に殺しましょう。賑やかに殺しましょう。みだりに殺しましょう。過度に殺しましょう。ちゃんと殺しましょう。構わず殺しましょう。追って殺しましょう。何度も殺しましょう。永遠に殺しましょう。奪って殺しましょう。残らず殺しましょう。――そう、わたしたちがされたように」
「もうやめて、お姉ちゃん!」
リミノは頭を抱えて叫ぶ。
「こんなのないよ! エウレもなにか言ってよ!」
エウレは首を振っている。
彼女の瞳にも、光がない。
「リリアノさまに従うのが、わたしの生きる理由ですから。だからリミノさまは、ここに来るべきではなかったんです」
「そんなの……」
うなだれるリミノに対し、リリアノは人を殺すごとに生気を取り戻してゆくように、明るく笑った。
「そうそう、リミノ。私の呼び声に答えてくれたエルフ族の子たちが、こんなにもいるのよ」
リリアノが両手を広げる。
また巨人か、あるいは幻影が現れるのかと思ったが――。
だが、そこには新たなるエルフの娘がいた。
『こんなにも』と言ったはずが、たったひとりのエルフの少女。
そう――。
「ハァイ、お久しぶりだわぁ」
――六禁姫。
「ディハザ!」
弾かれたように叫ぶアマーリエ。
『智慧』を司るエルフの娘は、真っ赤なドレスに身を包んでいた。
初めてルージュを引いた幼女のようなよそゆきの表情で、そこにいた。
「あら、ディハザ。どうしたの?」
「いいええ、なんでもないわ、リリアノ。それよりも、どうしたの、この女たちは?」
「私の愛する妹よ。あなたにも紹介しなくちゃね」
「あら、でもぉリリアノ」
ディハザは口元を吊り上げた。
「――ニンゲンが混ざっているわよ。こいつは殺さなければならなくて?」
「あらあら――」
リリアノが目を細める。
「――ほんとうね」
第一王女はアマーリエを見つめていた。
その様子を見て、リミノは確信する。
リリアノを操っているのは、こいつなのか。
エルフ族の娘、ディハザはまたしても暗躍をしていたのか。
「あんた、こんなところにいたのね……!」
「あなた方もしつこいものだわぁ」
「極大魔晶はどこにあるの。返しなさい、ディハザ」
アマーリエは他の六禁姫の生き残りを眺めるが、しかしここにいるのはディハザただひとりだ。
ディハザは、厭世的な笑みを浮かべる。
「極大魔晶は、ちゃんと取ってあるわぁ。あれはあたしの最後の仕掛けに必要なものだから。なぁに? まさかこんなところまで取り返しに来たの? やだぁ、しつこぉい、あたし怖いわぁ」
「ふざけて……」
アマーリエが剣を抜くと、雷鳴のような唸り声が轟いた。
カラドボルグの咆哮だ。
「あんたがなにもかも悪いのよ……! あんたのせいで……あんたのせいで! あの人が!」
「あらあら、こわいこわい。女の情念ってやつねえ」
ディハザは口元に手を当てて笑う。
そして一同を見回した。
「こんなところにまで、惚れた男のために? まったく、ほんっとぅに、バカどもだわぁ。あんたたち、そんなことをしてなにが楽しいのぉ? ミジメにならないの? あたしだったらごめんだわぁ。あたしは自分のために生きていたいもの」
アマーリエの血管がブチ切れるような音がした。
彼女は腰を屈めて、いつでも飛びかかれる体勢を作る。
リミノはその言葉に針の意思を込めて告げる。
「エウレ、お姉ちゃんを守っていて。お姉ちゃん、こいつは敵だよ。こいつをこの場で仕留めるよ」
「えっ、でも、ディハザの言うことに、間違いはないって」
怪訝そうな顔をするリリアノは、あの頃のように、人の良いお嬢様の顔をしていた。
そんな王女に、ディハザが笑いかける。
「当たり前だわ。あたしのやることに間違いはないのよぉ、リリアノ。あなたはいいから、ずっとリーンカーネイションの操作を続けなさぁい。――すぐに済むわ」
「デュテュさま! アマーリエ!」
リミノが叫び、法術を詠出する。
デュテュも慌てて剣を構えた。
「こいつを倒す! そしてリミノたちがここで、世界の崩壊を防ぐの!」
「当たり前だわ! ディハザ! あんたは許さない!」
カラドボルグに魔力が注がれる。
――稲光が響いた。
幸いにも、ディハザひとりしかいない。
六禁姫の全員を相手にすることも考えていたのだが。
これならば――勝てる。
アマーリエは馬車の中で話したことを思い出していた。
ここに向かう途中での話だ。
身を寄せ合って、三人は顔を突き合わせる。
『やることは、わかっているわよね』
『当然だよ、プレハお姉ちゃんを取り戻す。それだけだよ』
『結構』
アマーリエは真剣な顔でうなずいた。
自分たちにはなにができるのか。
そして、自分たちはなにを為すべきか。
単純なことだ。
『どうしても、勝てない敵が現れたら、覚悟を決めましょう。あたしが動きを止めるわ。――合図をしたら、あたしごとやりなさい』
そう話し合っていた。
アマーリエは深く息を吸う。
今こそ思い出さなければならない。
そして今――ディハザは悠々とこちらを眺めている。
ここには禁術師も魔法師も、ひとりもいない。
相手を侮ってかかるのは、彼女の悪癖だろう。
リミノが法術を張り巡らせる。
蜘蛛の網のように細かく張った障壁は、ディハザの行く手を塞ぐ。彼女は思うように移動をすることができなくなった。
――だが、あらかじめアマーリエはそのルートを頭に叩き込んでいる。
ディハザの死角から、アマーリエは斬りかかる。
カラドボルグに込められた魔力が、雷の軌跡を描いた。
「いやあああ!」
「ふんっ」
ディハザがカラドボルグの刃を、真っ向から蹴り飛ばす。
刃と靴が衝突して、火花を散らした。
が――。
「どらあああああああ!」
「――っ」
振り切ったアマーリエの剣は、ディハザの靴に食い込んでゆく。
彼女が靴の表面に張った障壁を、斬り裂こうとしているのだ。
これが最強の晶剣のひとつと謳われた、カラドボルグ。
傭兵王バリーズドが操った、ダイナスシティの国宝剣だ。
「ちっ」
しかし、体捌きではディハザのほうがまだまだ上だ。
その場で身を翻した彼女は、アマーリエの後頭部に足の甲を叩きつける。十分に遠心力をつけたソバットだ。
アマーリエはかわしきれず、その攻撃を食らってしまう。
だが、衝撃を緩和させるかのように、リミノが法術を唱えていた。
盾だ。アマーリエを直撃したはずの蹴撃は、しかしリミノの法術によってその威力を半減されている。
アマーリエはひとりではまだ、ディハザには敵わない。
だが、優秀な術師のサポートさえあれば、そのふたりの力は何倍にも膨れ上がるのだ。
「アマーリエ! 次は右に!」
「わかっているわよ!」
アマーリエが避けるとともに、彼女のこめかみスレスレを風の刃が飛んだ。
それはディハザの額に当たり、弾ける。
「――」
血が飛び散る。少女が思わず身をよじった。
そこにアマーリエの斬り上げが放たれる。
「ハッ、雑魚が!」
ディハザの手の中には心臓のような赤い焔があった。彼女が握り締めるそれは巨大な魔力で作られているが、魔術ですらない。
でたらめなコードによって発現する、単なる破壊力の一塊――。
「何匹集まったところで、雑魚は雑魚だわ!」
「っ」
カラドボルグの剣は、衝撃を斬り裂く。
だが、その剣を握り締めたアマーリエが耐え切れない――。
広範囲に及ぶ爆発によって、アマーリエは吹き飛ばされた。
焼け焦げながらも、追撃を警戒しアマーリエは後方に着地する。
「はぁ、はぁ……!」
やはりディハザは、強い。
ディハザの手のひらもまた、破壊されていた。
反作用を恐れぬ、単なる爆発を手のひらに集中させたのだ。当然の結果であった。
焼けただれ、ぽたりぽたりと溶けて落ちる指であったはずの肉の奥には、骨まで見えてしまっている。
だというのに、彼女は平然としていた。
「雑魚にはできない戦い方でしょう?」
そう、その手を包み込むのは緑色の光。
ディハザは同化術の使い手であり、回復術の使用者なのだ。
幼いその全身は、瞬く間に元の姿を取り戻していた。
額も、吹き飛んだ五指ですらも――。
その格闘術よりも、驚異の回復能力こそが、ディハザの真骨頂とも言えるだろう。
「まったくもう、あきらめて死ぬといいわぁ」
アマーリエは呼吸を整え、再びカラドボルグを青眼に構える。
体力はまだまだ底をついてはいない。
だがこのままでは、いずれは押し切られるだろう。
リミノも同じだ。
術師がこの間合いで完全に集中ができる時間は、もって数分。
コンビネーションが崩れれば、ひとりずつなぶり殺しにされるのがオチだ。
アマーリエは大きく息をつく。
「仕方ないわね、リミノ」
「うん。さすがに他の相手を警戒し、ふたりで戦うのは無理があったね」
リミノもまた、額の汗を拭った。
「はぁ?」と顔を歪めるディハザの視線の先。
リミノがスッと体を横にどけた。
そこには、刀を額に当てるように構え、目を閉じるデュテュがいた。
その全身がわずかにぼんやりと、輝きを発している。
「――?」
ディハザが問おうとしたそのとき、デュテュが目を開いた。
そして口走る。
「――徒花乱舞、ゆきます」
デュテュの周囲の空間が歪んでゆく。
彼女が発動させた晶剣は、魔族において代々伝えられてきたもの。
そして、彼女の父親が操っていた剣である――。
「……なに?」
ディハザが眉を曇らせる理由も、よくわかる。
その『特性』をリミノもアマーリエも聞いていたが、実際に見るまでは確証を得られなかったからだ。
そのわずかに湾曲した刀をデュテュが掲げると、最初の変化はディハザの足元に起きた。
取るに足らない小石が伸びて、ツタのように彼女の足に絡みつこうと迫るのだ。
「は? なにこれ」
ディハザは稚拙な魔術めいた技を、蹴り飛ばした。
こんなものを秘密兵器のように繰り出してきたというのか。
――笑止。
「くだらない、くだらなぁい……! まったくもぉ」
トランス状態に入り込んでいるデュテュに向かって、跳躍をしようとして。
だがディハザはすぐにつまづいた。
「はあ!?」
振り返る。同じように、今度は地面から伸びた水の鞭のようなものが、彼女の足を縛りつけていた。
「だからなんなの! うざったいわぁ!」
その間に、今度はデュテュがディハザの元へと征く。
足さばきは、まるで舞踊のようであった。
「小癪なぁ!」
デュテュが突き出した剣を、禁姫は水を引きちぎりながら避ける。
翻りながら魔族の姫を蹴り飛ばそうとするディハザ。
だが、そのときにはもはやデュテュは飛び退いている。
そして今度はカラドボルグの剣から飛び出た雷光が、ディハザを襲った。
「――っ」
一瞬痺れて動けなくなるディハザの懐に、デュテュが入り込んでいる。
突き。それはディハザのみぞおちの肉を抉り取った。
「なん――」
刀をひねる。ディハザの体から飛び散る血が、空中を漂い、今度は彼女自身を襲う小さな槍となった。
なんだこの力は――。
「そんな晶剣、見たことが!」
「――舞剣キルディローザ」
舞い踊るように、デュテュはその身を躍動させながら剣を振るう。
刀は血煙を飛び散らせながら、それらを武器に変え、ディハザを苦しめた。
デュテュの変幻自在の動きに、禁姫は翻弄された。
細かな打撃が続いたかと思えば、避けられなければ即死は必然の巨大な岩の槍が降り注いでくる。
刀を振るうデュテュは、緩急と虚実を織り交ぜながら、戦闘経験の薄いディハザを手玉に取る。
リミノが放った火球を避けるディハザ。だが次の瞬間には、その火の玉が新たな炎となってディハザを襲うのだ。
風が、土が、水が、火が、意思を持っているかのようにディハザに食らいつく。
自然界に存在するありとあらゆる物質を操る晶剣――。
それこそが『魔舞』と呼ばれるキルディローザの能力である。
「ウザったいわぁ!」
吠える彼女は思い切り地面を踏みつけた。その振動によって一瞬、ディハザを取り囲むキルディローザの魔力が消し飛ぶ。
その隙にデュテュ本人を仕留めようとしたディハザの目論見はしかし、影から飛び出してきたアマーリエによって阻まれた。
「あんたの相手はここにもいるわよ!」
「知っているわよぉ」
ディハザは笑う。誘い込まれたのはアマーリエだったのか。
そうだとしても――。
渾身の力でカラドボルグを振り下ろすアマーリエには迷いはない。
もはや、防御など気にしていない。
なぜなら――。
この瞬間、ここしかないというタイミング。
千分の一秒ほどに切り刻まれた時間の中――。
――ディハザが後ろ回し蹴りを放ったそのときには、もうリミノの障壁法術がカバーに入っていたからだ。
「エルランドの盾!」
「――っ、クソビッチがぁぁぁぁぁぁぁ!」
その蹴りは幾重にも重ねられた障壁を叩く。硬質的な音が地下に響き渡った。
アマーリエとデュテュの剣が迫るその光景を、ディハザの瞳はスローモーションに映し出していた。
自由自在に暴れまわるデュテュをアマーリエとリミノが必死にサポートする。これが三人の立てた戦術である。
果たしてそれは功を奏したのか。
アマーリエとデュテュのそれぞれの晶剣が、ディハザを同時に串刺しにし――。
――その結果は、火を見るよりも明らかとなった。
地面に倒れてゆくディハザを横目に、アマーリエは喜色満面であった。
魔帝の姫、デュテュへと抱きつく。
「あんた、やるじゃない!」
「は、はい」
「粗削りだけど、すごいパワーだわ! それが魔舞ね! 大したものだわ!」
「あ、ありがとうございます」
デュテュは青い顔でうなずく。
これが初めての実戦だとは、とても思えない。
さすがは魔帝の姫だ。
たったひとりで魔族をまとめあげて人間族に攻め込んだ魔帝の血を感じさせるほどの、戦いっぷりであった。
「すごいわ、こんなにすごい剣を、どうしてアンリマンユは使わなかったの!?」
「魔舞を踊っている間は、他のことがなにもできなくなってしまうのです……。きっと、だからだと思います……」
そう言うデュテュは、魔力の枯渇がひどいのか、荒い息をついていた。
「ともあれ、先にトドメを刺しておかないとね」
と、アマーリエが振り向いたときには、リミノが血塗れで倒れるディハザを焼き尽くしているところであった。
彼女は当たり前のような顔でじっと炎を見つめている。
天井にも到達するほどの猛火だ。
見上げながら、アマーリエとデュテュはそれぞれため息をついた。
「さすがリミノ……。抜かりないわね」
「リミノちゃんは昔からずっと、要領の良い人でしたから。頼もしいです」
三人の美女が見守る中、ディハザは灰へと変わってゆく。
リリアノは茫然自失の体で、エウレは驚愕の中にどこかほっとしたような顔をしていた。
「まさか勝てるとは思えなかったわ。ありがとう、デュテュ、リミノ」
「そんな、こちらこそ……。早くプレハさまをお助けしましょう」
アマーリエとデュテュが微笑み合う。
――そのときであった。
高々と天井まで伸びていたその炎が、なにかの力に呼応するかのように勢いを増した。
弾けた火の粉は炎の雨を降らせる。それは――。
「――まぁ、調整はこのぐらいでいいかしらぁ」
炎の中から、無傷のディハザが歩み出てきた瞬間――。
容赦はなく、寛容もなく。
アマーリエとデュテュは、弾かれたように同時に剣を抜き、そして斬りかかった。
十字を描いた剣閃は、ディハザの胸の中で交差する。
肉を裂き、骨を断つほどの刺突撃。
この世でも名高き名剣は深く突き刺さり、そうやすやすとは抜けないだろう。
なのに――。
「ぐっ……」
「う、動かないわ……!」
剣を突き刺したまま、ディハザは両手を広げた。
「あなたたちの奮戦を高みから見下ろすのは楽しかったわ。でも台無し。すべて、『台無し』だわ」
ディハザの声は不気味に響く。
ここが迷宮化しているからなのだろうか。
その口からは、同じような甘い声が、幾重にも織り重なって、奏でられていた。
リリアノの顔が輝いた。
復讐の姫は「まぁ、ディハザ」と手を打つ。
それだけではない。
「カロラエル、リャーナエル、それにアラデル、みんなもご無事でね」などと言う。
デュテュにはわからない。リミノも気づいてはいない。
六禁姫という存在を調べ上げたアマーリエだけが、目を見開いた。
「あんた、まさか――」
ディハザの身じろぎひとつで、アマーリエとデュテュは吹き飛ばされた。
眼光を真っ赤に染めたディハザは、カラドボルグとキルディローザを肋骨に突き刺したまま、哂う。
「ええ、そうよ。その通りだわ。ねえ、『みんな』」
ディハザの体が少しずつ成長してゆく。
変容だ。
彼女の緑色の髪が伸び、赤いドレスが弾けた。
まるで蛹が羽化するように。
手足は長くなり、そして大人びてゆく。
ディハザはもはや幼き子供の姿ではない。
それはあらゆる滅びをまとう、新たなる姫の誕生だ。
この世ならざる美貌を手に入れたディハザは、口の端を吊り上げた。
命を啜る魔物のような顔で、告げる。
「六禁姫は、もはやいないわ。それらはすべてこの魂と共に。ねえ、そうでしょう、みんな。一緒に、逝きましょう」
「くっ――、シグルドの花弁!」
リミノが放った風の刃を、ディハザはその手のひらで受け止める。
ディハザが内包した魔力は、今や封術師に勝るとも劣らない。
「今ここに生まれたわ。あたしこそが、六禁姫の終焉なる姿。――最終禁忌ディハザ」
カロラエル、リャーナエル、そして、アラデルの命を吸った彼女は、もはや前と同じ生命体ではない。
希望も、神愛も、勇気も、忠節も、智慧も忍耐も、もはや彼女にはなにもない。
ただ、力。
破滅的なほどの力が、あった。
「ふふふふふはははははははは!」
最終禁忌は哄笑し、そして腕を掲げる。
「朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ! この力と神族を操り、世界を我が物に――!」
怯む三人の女性を次々と見つめ。
新たなるディハザは片眉を吊り上げながら、歯を剥いて。
哂った。
「さぁ、やりましょうかぁ! 続きを! あたしのために下手なステップを踏んで見せてくれるのでしょう? ねぇ――!?」
かすむ視界に、ぼんやりと浮かぶ情景。
それは、かつて見た景色だ。
魔王城の中庭で、穏やかに談笑する人々。
ああ、いい。
そうしていられたら、どれだけよかったか。
またあの日に、きっと戻れるはずだと。
リミノは、願う。
だから、歩こう。
もうすぐ――。
ほら、あと少しで――。
次回更新日、4月17日21時。
13-8『極光』
――光が。