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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:13 おかえりなさい、あたしの勇者さま
152/176

13-2 決別

 これは記憶を失ったイサギが目を覚ました――その十日前の出来事である。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 降臨と呼ぶのがふさわしい。


 目覚めたルナは圧倒的な存在感をたたえ、その場に佇んでいた。

 白銀に輝く髪を持つ、赤肌の女性だ。

 誰も彼もが目を奪われずにはいられない。森を総べる神獣よりも、もっとずっと巨大であり、美しく偉大な生き物がそこにはいた。

 常人ならば――いや、どんな傑物であろうとも、彼女を前にしては頭を垂れることしかできやしないだろう。

 だがその場には、常識では計り知れないふたつの存在があった。


 ――神化人と魔人は、そのときすでに行動を開始していた。


「極大魔晶!」

「――プレハ!」


 一斉にスタートを切る陸上選手のように、ふたりは同時に駆け出す――。


 どんなに偉大な存在が空間を支配しようとも、イサギと廉造に見えているものは、それだけである。執念。一念。ただひたすらに。

 ルナが復活しようがしまいが、彼らの目的に変更はない。どんなに傷つこうとも、彼らは始めから互いと極大魔晶しか目に入っていないのだ。

 神化イサギは自らのために、そして廉造は元の世界に戻るため、ともに極大魔晶を狙い――。

 しかしふたりは、目の前の壁に阻まれた。


 ルナを包み込む防御壁か。

 いや、違う。これは単なる法術の。


「ウゼェ!」


 誰が作り出したかなんて、どうだっていい。壁を殴りつける廉造の拳によって、障壁には一瞬にして亀裂が入った。

 まだどこにそんな力が隠されていたのか。ドラゴン族との同化術は彼に以前以上のスタミナを与えているのかもしれない。

 復活したルナと彼女にかしずく愁。ただ茫然としている慶喜、それに地面に倒れているノエル以外に、誰が――。

 そう。

 そこにいなかったのは、ディハザだ。


「ふざけるんじゃないわよぉ! クソ野郎どもがぁ!」


 どこかに姿を晦ましたと思っていた彼女は、外へと出る扉の近くにいた。

 激昂して目を血走らせながら、叫んでいた。

 廉造を法術で足止めしたのは彼女――六禁姫を裏切った『智慧』を司るディハザだ。


 それだけではない。飛び出してきた影があった。

 同じ顔をした三人のドレス姿の少女たち。

 ディハザは彼女たちを引き連れてやってきた。

 残る六禁姫は、法術を打ち砕いた廉造と衝突する――。


「そらあ!」

「ハッ!」

「喰らいなさい」


 カロラエル、リャーナエル、ミシフォン。

 彼女たちは上下、そして遠距離からのコンビネーションを用いて、廉造を迎撃した。

 廉造は足を止め、両腕を防御に回す。弱った体に六禁姫の波状攻撃は効いた。

 見切れず、三連打を浴びた廉造は仰け反りながら舌打ちをする。

 そこへ、ディハザ――。


「誰があんたの体を改造してやったと思ってんのよぉ! ――こんの、ゴミ虫!」

「――っ」


 トドメとばかりに、ディハザが叩きつけるようなソバットを放ってきた。ハノーファを一蹴した彼女の体術のキレは、健在であった。それは廉造の防御の上からよく響き、神化イサギとの戦いにおいていつ千切れてもおかしくはなかった魔人の意識をついに刈り取った。

 廉造を壁まで吹き飛ばし、一矢報いたディハザは、それでも険しい目つきで右腕を掲げる。


「まったくぅ……。ほんっとうに、わたしのなにもかも邪魔をしてくれたわねぇ……。ひどいことをしてくれたものだわぁ、あなたたち、絶対に許さない」

「ディハザ、ねえ、見て、ノエルが!」


 騒ぎ出したのはカロラエルだ。狼狽する彼女に、ディハザは冷たい目を向ける。


「ノエルが、倒れているの! ノエルが! どうして!?」

「きっとあいつらにヤラれちゃったんでしょうねぇ。あんな姿になって殺されて! ああ、かわいそうなノエル、本当に、とってもかわいそう」

「そんな、ノエル、ノエル……。うっ、うう」

「痛かったでしょうねぇ。悲しかったでしょうねぇ。つらかったでしょうねぇ。まだまだ生きていたかったでしょうねぇ……。ノエルが、誰よりも『神愛』にあふれていたノエルが! ねぇ、カロラエル、ねぇ!」


 カロラエルの細い肩に手を置き、ディハザは笑う。


「ねぇ? 許せないわよねぇ? 看過できないわよねぇ?」


 カロラエルは下唇を噛みながら、顔をあげた。

 その瞳は、黒い火に染まっている。


「うん……許せない……。あんなに優しかったノエルを、よくも……」

「だったらぁ!」


 ディハザが両手を広げたその直後、ついに屋敷が完全に崩壊する出来事が起きた。

 戦艦のへさきが、突如として――ディハザたちの背後を押し潰すように出現し、凄まじい音を立てて突き刺さったのである。

 押し上げられた瓦礫が津波のようにあふれる。それはあたかも大地に着水した戦艦のようだった。

 こんな地上に出現した戦艦の正体など、ひとつしかない。

 

 ――空中戦艦アンリマンユだ。


 ディハザとカロラエルの体から魔力が立ち上り、ふたりは声を合わせて叫ぶ。


『すべてを台無しにしてやるのだわ!』


 横付けされたその戦艦の砲門が、次々と開く――。

 それらは、ディハザの野望を阻止したすべての者たちに向けられている――。


「アラデル! 一斉砲火だわ!」


 ディハザの声とともに戦艦に搭載された魔砲が火を宿す。収束してゆく魔力はその場に一同を紫色の光で照らしていった。残る――ノエルを除く――四人の禁姫たちもそれぞれ魔術を描き出す。

 総勢五人による協力魔術だ。



(そんなもの――!)


 破術で破壊してしまえばいい。そう叫びかけて、しかしイサギは気づく。

 廉造とともに駆けだしたはずの体が、もはや満足に動いてはいないことを。

 ――プレハを助けるどころか、立ち上がることすらできずにいることを。


(――声すら――)


 喉すらも、イサギの支配を離れているというその事実。

 絶望とともに思い知らされたのは、神化の代償だ。

 消失感に苛まれたイサギは指先が溶け、体の輪郭がぼやけてゆくような感覚を味わっていた。

 時間切れだ。同じだ。かつて廉造と戦ったあのときと、同じだ。

 ――すべてのツケが降りかかる、審判の時がやってくるのだ。



 イサギの様子を見たということではないが、慶喜は慌てて防壁を作り出す。だが五人分を防ぐには、大陸最強レベルの法術使いの彼とて、まだまだ強度が足りない。

 足りない。五人分の協力魔術を防ぐには、まったくもって足りない。

 魔王慶喜だけでは不可能だ。


 だが、天秤は再び傾く。

 六禁姫にわずかに遅れ、彼女たちに足止めをされていたアマーリエ、リミノ、そしてシルベニアが姿を現したのだ。


「シャドランの花!」


 慶喜と合わせて法術を詠出するリミノ。アマーリエは禁姫のひとりに雷鳴剣カラドボルグを打ちつけた。がぎぃんと硬質的な音が響き渡る。

 ――そしてシルベニアは指先を向けた。


「死ね」


 単純にして究極の命令が、彼女の指先から魔法となってほとばしる。

 赤い光がレーザーのようにミシフォンの肩を貫いた。態勢を崩した彼女の詠出が中断させられ――いや、六禁姫は誰ひとりとして、魔術を唱えるのをやめてはいない。

 アマーリエに剣を叩きつけられたリャーナエルですら、だ。


「朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ――!」


 ディハザのその叫びが発射の合図だった。

 空中戦艦アンリマンユに取りつけられた魔砲が火を噴くと同時――、四人の作り出した魔術も完成した。それはその場に残ったすべてのものを破壊し尽くすような、属性のない魔力流によるエネルギーの放射であった。

 なんということを。極大魔晶をも破壊するつもりか――。


(今一度、この俺の体、動いてくれ――! ラストリゾート――!)


 せめてプレハだけはと破術を描くイサギであったが。

 しかし彼の左眼はその願いを叶えてはくれず――。



 そのとき――。

 スッと彼女は腕を掲げた。

 女神ルナ。

 その手には、女神の杖ミストルティンが握られている。


「――」


 その口が呪文を紡ぐ。

 直後、光が溢れ出た。


 信じられない光景が展開される。


『なっ――』


 ディハザたちの魔術を、彼女は――ルナは、正面から圧殺してゆく。

 あらゆる魔法の祖とされている極術は、魔世界を震撼させたエネルギーの発動などものともせず、圧倒的な破壊力で六禁姫の魔術を打ち砕いた。

 上位世界――神世界のエネルギーは、魔世界を塗り潰す。

 砂の城を腕の一振りで壊すような様であった。

 そのまま――奔流は止まらない。

 

 極大魔晶をも巻き込むように――。


「――プレハァァァァ!」


 極術から身を挺して少女を守る男がいた。

 彼は最後の力を振り絞り、魔晶を抱えて跳んだ。

 イサギであった。

 肉体はとうに限界を迎え、魔力も底を尽いて。

 それでも彼はプレハを抱いて範囲外へと逃れた。

 芋虫のように地面を転がったその無様な姿。

 とても先ほど廉造と愁を圧倒した男と同じとは思えない。

 だが――彼はプレハを守った。

 守ったのだ。


 一報、空中戦艦アンリマンユもまた――急上昇し、空へと逃げ出している。


 その場に残された一同は、高々と舞い上がる空中戦艦を見上げる。

 脱力感や、倦怠感。あるいは焦燥感などに突き動かされ。

 ルナはもはや六禁姫から興味を失ったように、背を向けていた。



「――さすが女神と呼ばれるだけの力だわぁ、ますますほしくなったわねぇ」


 六禁姫のひとり、ディハザは笑っていた。

 彼女の協力魔術はルナに圧倒されたはずだったのに。

 それでも愉悦を口元に貼りつけている。


「でも、とりあえずはこれで勘弁してあげようじゃないのぉ。絶対にその体、奪い取ってやるわぁ」


 ――いや、彼女の足元には、イサギと彼の抱く極大魔晶があった。


「最後に笑うのはわたしなのよぉ」

「あんた――」


 近くにいたアマーリエが斬りかかろうとするも、ディハザは彼女をものともしなかった。カラドボルグの一撃をやすやすと避け、ディハザは返す足でアマーリエの額を撃ち抜いた。凄まじい音と衝撃が響く。

 二代目戦聖と呼ばれる女性は、そのまま前のめりに倒れてゆく。

 ふわりとめくれたドレスのスカートが、再びディハザの腿を隠し、淑女たる笑みを持ってディハザは礼をした。


「雑魚が。おうちに帰ってお眠り遊ばせ。――フフ、極大魔晶さえあれば、わたしは何度だって……」


 イサギの抱えた極大魔晶を奪い去ろうとするディハザだったが。

 しかし、がっちりと食い込んだ彼の手は、外れない。

 ディハザは不快そうに顔をしかめる。


「……なんなのよ、あなたもう気を失っているんでしょう? 早く、その手を、離しなさいよ! 死にぞこない!」


 何度もイサギの体を蹴りつけるディハザだったが、それでも青年は極大魔晶を離さなかった。

 とうに意識はないのに。

 ここまで執着が強いと気味が悪いものだ。どんなに血を流してもイサギは手を離そうとはしない――。


「……いいわぁ、それならいいじゃない。そんなに大切なものなら、その腕を切り取ってやったっていいわよねぇ」

「――いいわけが、ないだろう!」


 一喝。

 慶喜であった。



「ようやくわかった。悪いのは、きみなんだね。ぼくが倒すべきなのは、きみなんだ。だって、先輩の大事なものを奪い去ろうとしているんだから」

「知ったことではないわぁ」

「その女の人は、先輩にとって大切で、だからそんなに大事で……それが、わかんないのかよ!」


 ようやく目が覚めた慶喜は、辺りを睨みつけながら拳を握る。

 ディハザに近づきながら、一歩一歩と。


「ぼくが、ばかだった……。ぼくだってそうするさ、決まっているよ……。ロリシアちゃんがそんな風になってしまっていたら、ぼくだってそうするに決まっている……! 大切なものが、あるんだ、ぼくたちには……だから、そんな風にしちゃいけないんだよ!」


 慶喜の声は届かない。そのような相手ではない。一笑に付されるのがオチだ。

 だが、その言葉は自分に注意を向けさせるには、十分だった。


 そのときには、影ですでにふたりの術師が動いていた。

 リミノとシルベニア。ともにキャスチを師と仰ぐふたりの術師は互いに示し合わせたわけですらないのに――、わずか0・1秒のずれもなく、コンビネーションを発動させた。


「なに――」とディハザの顔が歪む。


 リミノがディハザの周囲を覆う障壁を張り巡らせる。それは一方向だけ入口の空いた箱だ。

 その箱の入り口から、シルベニアが魔法を打ち込んでいた。

 一歩間違えば近くにいるイサギやプレハを傷つけてしまいかねないその魔法だが、しかしリミノはシルベニアの腕に全幅の信頼を寄せていた。

 その通り、六禁姫との小競り合いで魔力を消費したはずのシルベニアだが、狙いには寸分の狂いもなく――。


 ――だからこそ、上から叩きつけられた『魔法』によって、その標準はたやすく逸れてしまった。


 人を覚えることが苦手なシルベニアも、その女を忘れたことはない。

 彼女は銀色の髪を後ろに払いながら、うなった。


「ミシフォン……!」

「たやすくわたしの名を呼ばないで。わたしは『忠節』のミシフォン。あなたごときが口に出していい名ではないのよ」


 こちらもまた、ディハザに気を取られていたことを知る。


「ミシフォン!」


 シルベニアの魔力が膨れ上がった。

 六禁姫のひとり、ミシフォンが使った魔法は、ゴールドマンが用いたそれと同じものである。

 魔法はその者が持つ固有の能力であり、まったく同じものがアルバリススに存在することはない。

 すなわちどういうことか。

 ミシフォンはゴールドマンと『同化』したのだ。


 だからこそ宿敵。シルベニアにとっては倒さなければならない宿敵だ。

 一度離れたはずの空中戦艦アンリマンユが旋回して、再びこちらに飛び込んでくる。

 それにタイミングを合わせるように、ディハザが叫んだ。


「あらそう、さすがミシフォンね! ここは預けたわ、カロラエル、リャーナエル、離脱するわよぉ!」


 彼女はその手に極大魔晶を抱えている。

 ついにイサギから奪い取ったのだ――。

 このまま見過ごす逃がすわけにはいかない――。


「でも、ノエルがっ、ノエルがつめたくなっていってっ」

「あたしの『勇気』、でも、今は……」

「カロラエル、リャーナエル、ミシフォンの犠牲を無駄にしないで! いくわ!」


 禁姫たちは飛び込んでくる空中戦艦のその甲板に飛び移ろうとしていた。

 イサギと廉造は意識がなく、アマーリエは復帰から時間がかかっている。

 リミノや慶喜は障壁を張ってそれを邪魔しようと試みているが、間に合いそうにはない。


 そして――。愁はもはや目的を達したからか、極大魔晶は眼中になく、目の前のルナをただ見つめている。

 ルナもまた、先ほどは攻撃を受けたから反撃を受けたのだとばかりに、ゆっくりと佇んでいた。


 動ける者は――。


「させない」


 シルベニアが指先から放った魔法を。


「無駄だ」


 単身残ったミシフォンが、弾き飛ばした。



 空中戦艦アンリマンユが突っ込んできた。



 凄まじい強風が通り過ぎて――。

 ――禁姫と極大魔晶は去り、一同はその場に残される。


 否、ただひとり、彼女だけが残っていた。

 揃いの赤いドレスをまとった小さなエルフ族の娘。絶望も希望もなく、ただ意志だけを秘めたその瞳で、その場に残ったただひとりの禁姫。


 彼女は横たわるノエルを見やり、両手を広げた。


「ここから先は、何人たりとも通さない。それこそがわたしの名」


 ――仲間を逃すため、『忠節』のミシフォンが、ただひとり残っていた。



「……あなたは、ディハザに捨てられたのよ。彼女はあなたを助けに来る気なんてないわ。そんなことは、わかっているでしょう。……投降すれば、命までは取らないわ」


 ようやく起き上がってきたアマーリエの言葉に。

 ミシフォンはにこりともせずに。


「つべこべ言わないで、かかってきなさい。わたしはしぶといわよ」

「……彼女たちは極大魔晶を奪って、逃げ出した。あたしたちはけがの治療と、現状を把握するために、一度ダイナスシティに戻るわ。だから、今ここであなたと戦う理由は、もう」

「あるに決まってんの」


 シルベニアが歩み出た。

 二度邪魔された。

 いや、極大魔晶を奪われたことを考えれば、三度目だ。

 銀色の髪の娘は、据わった目で、告げる。


「あなたがなんだろうが、ぶち殺すの。そうすれば、あたしは前に、進めるの」

「興味はないが、かかってくるのなら相手はするわ」

「手出し無用なの」


 シルベニアはそう言い放ち、指先に火を灯した。


 兄、ゴールドマンにトドメを刺すことができなかったシルベニア。

 その事実はずっと彼女の中に、重い禍根を残していたのだろう。

 今シルベニアは、決着をつけようとしているのだ。

 ハウリングポートで断ち切れなかった、己の呪いに、決着を――。


 戦争を生き延びたたったひとりの家族あにをこの手にかけることができず。

 その兄は殺された。これは果たして、恨みか、それともかたき討ちか。

 シルベニアにはわからない。だが、それでも。

 自分が目の前の相手を――ゴールドマンの魔法を吸収したその女を――ぶちのめさなければ、ならないと彼女は思っていた。


「ミシフォン」

「その名を気安く――」

「――ぶっ潰すの」


 シルベニアの指先が、火を噴いた。

 ――他の皆を置き去りにし、ふたりだけの戦いが始まる。



 ミシフォン対シルベニアの戦いの場は、おのずと郊外に移ってゆく。

 どちらが言い出したことではないが、ふたりは術師同士であった。そのため、得意としている距離が同じであったのだ。

 中遠距離。それがふたりの選んだ戦場であった。


「そうね、残っている中で脅威と呼べるのはあなたひとり。あなたひとりを足止めすれば済むというのなら、これほど楽なことはないわ」

「……」


 氷のように澄み切ったミシフォンの視線を、炎のようなシルベニアが受け止める。


「わたしは、禁姫として数々の同化術を使い続けてきた。それもこれも、皆の力になるのなら、と思ってだわ。けれど、同化術はたやすく正気を乱す。ひとつの人格にしがみつくのは大変なことよ。だからわたしたちはひとつの教えを『核』にしたの」

「……」

「それがわたしにとっては『忠節』。それを失ってしまえば、わたしの人格はバラバラになる。だからわたしはディハザを守り通す。彼女がなにをやろうとしているかは知らないけれど、そんなのは些細なこと」

「……あなたは」


 シルベニアは髪の毛を指でくるくると弄び。


「利用されるだけの人形。それで構わないの?」

「それこそが我が『忠節』。わたしに主義主張などは、いらないわ」

「したいことも、してみたいことも、ないの?」

「戦いにそんなものは、必要ない」

「そう」


 シルベニアはつぶやき、顔をあげた。


「あたしもそう思っていたの」

「当然だわ。皆、そこに行きつく」

「最近あたし、ロリシアに紅茶の淹れ方を習ったの」

「……なに?」


 問いかけてくるミシフォンに、シルベニアもまた無表情。

 だが彼女の頬は赤みが差していた。


「デュテュもイラも苦手で、ほんっとに不器用。だからいっつもロリシアに淹れてもらっていたのだけど、ロリシアがあたしにもやれって言うの。めんどいからやだって言ったのに、どうしてもやれって。だからしてみたの。そんなのただ真似すればいいだけだし、術に比べたら簡単も良いところ」


 淡々と喋り続けるシルベニアに、ミシフォンはあくまでも怪訝そうな顔をしていた。

 シルベニアは歌を歌うように、想いを話す。


「試しにやってみたのだけど、火力が強すぎて失敗。カップが溶けてしまったの。二度目にやったときはぬるすぎて、全然口に合わなかった。三度目になってようやく、ようやく飲めるのができたのだけど、ロリシアのに比べたら全然ダメダメ。ダメすぎなの。同じようにやっているのに。あたし悔しくて、部屋を紅茶だらけにしてやったの」

「……」

「でも、最近、ようやく上手になってきたの。あたしはさすが。デュテュやイラは無能の極みだったの。あたしが淹れた紅茶を飲んで、デュテュはしばらくぷるぷる震えていたのよ。『どうしてこんなに早くぅ……』って。仕方ないの、デュテュは無能だから。あたしはなんでもできちゃうの。自分で自分が恐ろしくなったの」

「……いったい、なんの話をしているのかしら」


 ミシフォンの言葉にシルベニアは斜め上を向いた。

 それから腕組みをして、今度は俯く。


「……そうね、あたしがやっぱり天才だった、って話なの。兄さまのために戦い続けてきたときに、こんなのばからしいって思ったけれど。戦うのは嫌じゃなかったけれど。でも、あたしたちはいつしか戦わなくなるときが来るわ。そのときにだって、あたしは他にやることを見つけなくちゃならない。あなたを見ていて、そのことを思い出したの」

「それは、わたしを挑発しているのかしら?」

「そうじゃないの」


 シルベニアは両手を広げた。


「戦い続けるその先になにが待つのか、描けないようなやつは、バカなの。無能なの。デュテュ並。それができるようになった天才のあたしは、以前よりずっと強いから。兄さまの力にはもう負けない。あたしはあなたを葬り、あたし自身を確固たる存在にするの」

「痴れ事を言うのだわ!」


 ミシフォンの叫びは、開戦の合図であった。


 シルベニアが魔法を放とうとしたその瞬間、ミシフォンもまた魔法を放つ。

 シルベニアの魔法は指先から放つ炎だが、ミシフォンの魔法は空間に衝撃波を出現させる。それは指先を向けて狙いをつける必要があるシルベニアに比べて、不可視かつ瞬時に発生するものであった。

 すなわち、ミシフォンはシルベニアを後出しで圧倒することができるのだ。


 以前もゴールドマン戦には、それで一方的にやられた。

 術同士の戦いでは勝てず、魔法同士でも勝てず、シルベニアは蹂躙されたのだ。


 ミシフォンにはそのときの記憶があった。

 はっきりと覚えているわけではない。だが、体が記憶しているのだ。

 どこをどう痛めつければシルベニアに勝てるのか、ミシフォンはそれをすでにわかっていた。


「『忠節』はなによりも気高く、誇りを示す剣だわ! あなたのような者が犯すことはできないのよ!」


 パァンパァンと重い炸裂音が繰り返し響く。それらはすべてシルベニアの手元を狙って放たれたものだった。

 彼女の両手が腫れ上がってゆく。相当な痛みであるはずなのに、シルベニアは無表情のままだ。

 ただ冷静にこちらを見据え、観察している目。それは圧倒的な高みからこちらを見下ろす目だった。


 ミシフォンは思う。

 ――この目、気に入らない。

 それもあるいは、ゴールドマンの記憶だったのかもしれない。


「魔法師が! 魔法も使えずに勝てるとでも思っているのかしら!」


 彼女の両手の中に、ひときわ巨大な衝撃波が形成される。早くも勝負を決めに来たのだろう。

 シルベニアは両手を使わずに、法術のコードを描く。


「あなたはあたしを倒すつもりかもしれないけれど、あたしは兄さまを倒すための手段を何度も何度も何度も何度もシミュレーションしていたの。あなたにはもう、無理」

「勝ってから、言うことだわ!」

「そう」


 再びパァンという打擲音が響く――ことはなかった。彼女の放った衝撃波はシルベニアの作り出した小さな法術に阻まれる。


「こんなもの――」

「壊せばいいの、何度でも」


 ミシフォンは魔法で連打を仕掛ける。

 だがそこから――、途端に形勢が変わった。


 シルベニアはゴールドマンの魔法をたった一度だけ防げるだけの小さな障壁を、いくつもいくつも作り続ける。

 驚異的なのはその範囲の狭さだった。これでは狙いを外せば魔法をその身で浴びるというのに、シルベニアは確実にミシフォンの魔法を一個ずつ潰してゆく。

 魔法を放っているのはミシフォンであるはずなのに、彼女は自分が『撃たされている』ような感覚に陥っていた。


「これは――」

「――次は、右腕なの。でしょう?」


 その通りであった。

 いつまで経っても、ミシフォンの魔法がシルベニアに命中することはなくなっていた。

 そしてその間に――。

 シルベニアの指先にともった炎はその勢いを増し、すでに右腕全体を覆い尽くすほどに猛っていた。

 集められた魔力は、シルベニアの背から漏れ出るほどに――凶悪。

 ミシフォンはさらに魔法を打ち続けた。だがそれも確実に封じ込められる。シルベニアは自分の心を読んでいるのではないか。そう錯覚するほどだった。


「そろそろだけど、いいの?」

「――っ」


 シルベニアの赤い眼は、ミシフォンをしっかりと見据えている。

 その爛々とした紅眼を見て、ミシフォンは畏れを抱く。


「あ、あなたは――」

「法術を詠出しなくて、本当に、――いいの?」

「っ――、馬鹿に、しないでくださる!?」


 言うとおりにしたわけではない。そうしようと思ったのは自分だ。そうだ。そうに決まっている。ミシフォンは魔法を打つ手を止め、己の心に逆らいながら法術を詠出する。

 巨大な壁が、出現した。たった今、描いたとは思えないほどに、それは見事なコードであった。

 ――術式・六重法陣。それは色の違う六枚の障壁。自ら割れ、破裂することによって衝撃を緩和するための防御陣であり、ゴールドマン・オリジナルのはずの術だ。

 かつてシルベニアはこれに真っ向から挑み、しかしゴールドマンの手腕によって防がれたものだが。


「――そう、それでいい。それがいいの」


 シルベニアは両手を組み合わせた。

 今まで指先だけで撃ち込んできた魔法を、両手で。

 己の全身全霊。

 全力を注いだ、その魔法を。

 この身、魔晶と化しつつも。

 延々と磨き、高みを目指したその魔法。

 シルベニアの原初にして究極の――唯一つの魔法。


「死ね」


 シルベニアの両腕が炎を放った。

 うねりをあげ、回転し、螺旋を描きながら――。

 その魔法は、ミシフォンの障壁に衝突し、次々と突き破ってゆく。


 一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、――そして最後の六枚。

 たやすく、貫通する――。

 火炎はミシフォンの驚愕の表情を赤く彩った。


 シルベニアは考えたのだ。

 確かにゴールドマンに自分の魔術・魔法は通用しなかった。あらゆる攻撃手段を奪われた。それによって、また違う戦術を考える必要があるのかもしれないと、だが――。

 違う。

 己を曲げて小手先の技術を身に着けたところで、それがゴールドマンに通用するとは思えない。

 だったら、ただひとつ――、自分の唯一無二の力であるこの『魔法』を、極めるのだ。

 それがゴールドマンに勝つ方法だと信じて――。


 その力。

 今――、確実にミシフォンには、届いていた。

 ――シルベニアは間違っていなかったのだ。


「そんな――これは――」


 ミシフォンの、震駭の果ての声を聞きながら。

 たったの一撃で残るすべての魔力を使い果たし、シルベニアは体中の酸素を出し尽くすように、深く息をはく。


「かつてこの地に神族と呼ばれる種族がいたの。彼らの秘術を盗み、あたしたちには『魔法』を使う者が現れた。ならば魔法を『極』めれば、その術は『極術』に至る。あたしはそう考えた。たとえそれほどの高みに到達することができなくても、目指すことはできるから。――なの」

「――あ、ああ」


 ミシフォンの右半身は。

 消し飛んでいた。


 それは、ただひとりの魔法師が、神の頂に手を伸ばした瞬間であった。

 シルベニアは彼女を見つめ、そして、改めて。

 その腕を振りおろす。


「死ね」


 次の瞬間、ミシフォンの半身が消失する。

 今度こそシルベニアは、己の運命に打ち勝ったのであった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 一方こちらは、六禁姫が去っていった屋敷の跡である。

 いつしか廉造は姿を消していた。イサギの手当てを、皆が行なっている。彼はいまだに目を覚まさない。一刻も早くダイナスシティに戻り、キャスチに診せなければならないだろう。それほどの重傷であった。


 そして、ルナと愁だが。

 意識を取り戻したルナは、刃のような瞳で辺りを見回していた。


「なるほど」


 女神の杖を持つ彼女は、とん、と床を叩く。

 愁はルナを抱きしめるように、両手を広げた。


「待っていた、ルナ。僕はずっと君を、待っていたんだ」

「シュウ」


 そこで初めて、ルナの目が愁を見た。

 愁の笑みが濃さを増す。


「そうさ、ルナ。僕だよ。君をずっと待っていた、僕だ」

「オマエが」

「僕だよ、ルナ」

「そうか、オマエが」

「ああ、そうなんだ。やっと君に会えた」


 ぱしんと、甲高い音がした。

 ルナが愁の頬を――弱々しく――張ったのだ。


「……え?」


 愁は生まれて初めて人に殴られたような顔をしていた。

 己の頬に手を当てながら、ルナを見返す。


「ルナ……?」


 ルナの瞳は、義憤の炎に燃えていた。

 それがわからない愁ではない。

 だが、どうしてなのかは、わからない。

 なぜ。


 ルナは大きく息をついた。

 唇を震わせながら、彼女は言った。


「こんな形でオマエと再会することになるとは、思わなかった」


 その声は、神エネルギーに満ちた赤い雲が広がる空の下、やけに大きく響いていた。



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