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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:12 終末に希う、ただひとつの
150/176

12-15 緋山愁

 ルナがエディーラ神国へと行きたがらなかった理由を、愁は後に聞かされた。

 

『あの国は、少々……居づらい』


 首を傾げる愁に、ルナはそんなことを言った。

 ふたりがともに旅立ってから、二年が過ぎていた。

 

 愁は各国の首長と対話に努め、神化病がもたらす悲劇がどれほどのものかというのを、訴えて回っていた。

 中にはもちろん、信じてくれないものたちもいたが、それでもマシュウの言葉に心動かされるものは多い。


 マシュウは人心を掌握する天才であった。

 ピリル族、ドラゴン族、人間族、魔族、エルフ族、その他にも大勢の種族が、彼の説得に耳を貸した。

 それは今までルナがひとりで何百年をかけても、できなかったことだ。


 緋山愁は英雄として、アルバリススにその名を残すようになった。



 国から国へと転々と、ただひたすらに神化病患者を狩り続け。

 さらに愁はその神化病患者への組織を作ろうと試みていた。


 騎士や兵士を育てるには、長い年月が必要だ。緋山愁はそれらを国家に頼ることにしていた。

 だが、それらの説得は、神化病患者の討伐に比べると難易度が高く、英雄と呼ばれる愁ですらうまくいかない現状である。

 どの国家にも属さず、ひたすらに神化病患者だけを討伐するための実力者。それは今のところ、愁とルナのただふたりしか存在していなかったのだ。



 ふたりだけの旅を続けながら。

 愁とルナはいつしか、恋人同士と噂されるようになった。


 英雄とその従者の恋物語はアルバリススに広まり、後に種族の垣根を越えて、愛され続けることになった。

 だが、実際はどうだったのか。

 四百年に渡って語り継がれるストーリーは、細部に編纂する者たちの思惑や思想が反映され、原典とはまるで異なる物語になってゆく。


 ルナがどんな最期を迎えたのか。

 真実を知るのは、ただひとりの男しかいなかった――。


 

 

 


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 勇者イサギの魔王譚

『Episode12-15 緋山愁』



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 ルナの亡骸は光を発していた。

 極大魔晶プレハから凄まじいほどの魔力が彼女ルナに注がれているのを、愁は感じる。


「これが再生術か。どういうメカニズムなんだろうな。魂を固着させるために魔力を消費している? いや、召喚術に似た仕組みなのかもしれないな」


 顎をさすりながら、愁ひとりはただ冷静にその魔力の流れを観察していた。

 詠出を続けながらこちらを睨むディハザの視線に気づくと、愁は肩を竦める。


「構わないよ、僕はキミの邪魔はしない。女神を復活させるというキミの望みは叶えようじゃないか」

「……そこから先はぁ、アナタ次第っていうことぉ?」


 愁は腰の剣を見せつけるようにして、その赤い目を細めた。


「言うまでもないことだろう?」


 封術師の刺青が輝くのを見て、ディハザは歯噛みした。

 再生術のために精神を集中させている彼女もまた、動けないのだ。


「……とんだキツネだわぁ。六人がかりで叩きのめしたときのアナタとは、まるで別人。わざと捕まったってことぉ?」

「それぐらいはするさ。極大魔晶のためならね」


 こともなく言い放つ愁に、ディハザは信じられないとばかりに首を振る。


「あなたの拷問に手加減などはしなかったのにぃ?」

「それぐらいは耐えられるよ。僕はこの時代に召喚されてから二年半、ずっとそうしてきたんだ。――ルナのためにね」


 うねりをあげる緑色の魔力を眺めながら、愁は儚げな微笑みを浮かべていた。

 

 ルナは間もなく蘇るだろう。

 それまでこの儀式を邪魔させなければ、愁の勝利だ。


 禁姫たちが屋敷で戦っている音がする。

 ディハザの命令通り、侵入者を食い止めてくれているのだ。

 

 愁は微笑む。


「可愛らしい子たちだね、みんな。僕の思う通りに動いてくれた」

「……アナタ、わたしたちのお父様に似ているわぁ」


 ディハザは唾棄するようにつぶやく。

 わずかに首を傾げる愁に、ディハザは告げた。


「何度も何度も死ぬまで痛めつけたかった、クソ野郎だってことわぁ」


 もはやディハザは口調を取り繕うこともなかった。

 殺意を込めた視線を受けてなお、愁は涼しげに笑った。


「そうか、キミのような魅力的な女の子から特別な感情を向けられるというのは、嬉しいことだね」


 ディハザすら唖然とするような、その物言い――。



 後少しだ。

 後少しで目的が果たせる。


 愁は拳を握り締めた。


 ルナを復活させるという――。

 その目的。


「四百年後のこの世界に僕が召喚されたのは、やはり運命だったんだ」


 愁は目を閉じる。


 回復術が乱用され、その技術が高度に発達した世界。ここならばきっと再生術がある。ルナを復活させることができると考えていた。

 そのために愁は、ギルドマスターにまで成り上がったのだから。


 神化病を根絶させるのは、当然ルナの願いだ。

 だが愁の願いは、ルナを復活させることであった。


 それ以外はすべて、まがい物といっても良かった。

 誰に微笑みを振りまいたところで、その心は虚無だった。


「ルナ」


 他の誰の願いを踏みにじってでも。

 愁が叶えるべきただひとつの、想い――。


 ディハザがノエルの体を通して、再生術を詠出している。

 ノエルはいまだにずっと、愁を見つめ続けていた。

 動かない体で、死に近づきつつある彼女が、それでも愁を見ている。

 あるいは――信じているのかもしれない。


 だってあなたは、わたしを赦してくれたのに。

 あなたがわたしを変えてくれたのに。

 どうして。

 もし視線で言葉が交わせるのならば、彼女は必死にそう訴えていただろう。


 だが、愁はもはや彼女を見てはいない。


 言ったはずだ。

 愁は最初から、言っていたのだ。

 これは『ただの暇つぶし』だと――。


 英雄の皮をかぶったその男は、髪をかきあげ、再生術の完成を見守り続ける。

 

 ノエルを犠牲にし、ディハザを利用し――。

 そして、かつての友がその命よりも大切にしようとした極大魔晶を触媒にし――。


 それでも愁は振り返らず、立ち続けていた。

 ルナが死んだあの日、愁は決意したのだから。


 いよいよ、光が収束してきた。

 今、再生術は完成するのだ。


 善も悪もなく、ただこの身すべてを愛する人(ルナ)のために。

 それだけが愁が――。


 終末に希う、ただひとつの――。



 ――そして、地下室の天井が突き破られ――。


「――ラストリゾォオオオオオオオオト!」


 ひとりの男は叫び、その瞬間――。

 一筋の極光が、辺りを支配した。



 ――再生術が、破潰される――!



 粉々に砕け散ってゆく緑色の光の向こう側に着地するその男を眺めながら。

 ――忌々しげに愁は、その名を呼んだ。


「……イサギ……!」




 彼もまた、こちらを唖然と見つめてきている。

 構わずに愁はディハザに告げた。


「キミは再生術の行使を続けてくれ。この場は僕が時間を稼ぐ」

「……わたしを奴隷かなにかと勘違いしているつもりぃ?」

「失敗すれば、僕もキミも彼に殺される。どうせ同じことだよ」

「……」


 ディハザは小さく「クソ野郎」とだけつぶやくと、すぐに術の詠出を開始した。

 そのやりとりを前に、現れた眼帯の男は状況を理解したようだった。


「……愁、おまえ……!」

「もう誰にも邪魔はさせない」


 愁はクラウソラス・レプリカを引き抜き、前に歩み出た。


「それが勇者であろうとも――魔王であろうともね」

「――愁!」

 

 イサギはためらわなかった。

 相手が誰であろうとも構わない、その覚悟は彼にもあったようだ。


 飛び込みながらクラウソラスを振るってくる。

 その一撃を、愁はレプリカで受け止めた。


 神剣が唯一断ち切れない唯一の剣――。

 二刀のクラウソラスが交差したその瞬間、魔力の衝撃が弾けた。


「この儀式を止めろ! 愁!」

「残念ながらそれは僕にもできない相談だな。そのためにはそこに横たわる少女の息の根を止めるしかない」

「――くっ」


 ノエルを指し、挑発するように笑う愁。


「できるかい? イサくん。キミにその女の子を殺すことが」

「できるとも。俺にはこの力がある――!」


 イサギは左目の眼帯を外す。

 あらゆる術式を無に帰すための禁術――破術。 

 先ほど、寸でのところでプレハの犠牲を阻止したイサギの切り札だ。


 今度は愁が斬りかかった。


「それを使わせるわけにはいかないな。今は良いところなんだ」


 イサギはクラウソラスを打ち払う。銀色の光が散る。


「プレハを犠牲にさせてたまるか! お前が教えてくれたんだろう、彼女の居所を!」

「その時点で、その子が魔晶と化しているという報告は受け取っていた。最初はキミのためだったんだよ。キミのためになればいいと思っていたんだ。――彼女が極大魔晶と化していたことが、僕にとってもキミにとっても、悲劇だったんだよ」

「貴様――!」


 クラウソラス・レプリカと魔法の同時攻撃に、イサギは身を翻しながらも隙を窺うが。

 だが、愁は彼を逃がさず、執拗に攻め続ける。絶対に破術を使わせないように――。


「この期に及んでも僕を殺す気はないのか。甘い男だね。そんなことだから愛する女も守れはしない」

「――っ、お前に、俺のなにがわかる!」


 その瞬間、イサギの闘気が高まった。

 無理矢理に隙を作り出すために――。


 全力の剣撃を受け切れず。

 ――愁の手からレプリカソードが弾き飛ばされた。


 イサギの必殺の突きが愁に迫る。


「急所は外してやるよ――寝てろ!」


 だが、彼はまだ侮っていた。愁のその魔法を。

 手放した時点で、愁は柄に魔法の光を結びつけていた。

 ――ここからが、愁の本領だ。


「キミは自分の戦闘能力を過信しすぎている。それがクラウソラスによって与えられているものだということを、自覚するべきだ」


 目にも見えない斬撃が、イサギを裂く。

 魔法によって操作されたクラウソラス・レプリカは、イサギの動体視力を振り切る――。

 

「――愁!」

「僕には戦い続けるだけのスタミナもなければ、キミや廉造くんのように、一対複数を相手取るほどの戦闘力はない。だからたったひとりを確実に始末することができる能力を磨いたんだ」


 愁は絶妙な間合いを保っている。

 イサギの間合いには踏み込まず、彼が破術を使ったその瞬間にしとめられるほどの位置だ。


 よくイサギという男を観察している。それが愁の武器だ。


「極大魔晶は僕が使う。キミはそこで見ているんだ」

「そいつは俺の女だ! お前には指一本触れさせねえ!」


 イサギが右腕を掲げた。

 そこに刻まれた紋章は確かに封術の証。愁はさすがに見たことがなかったのか、怪訝な顔をした。


「それは」

「俺の新たな力だ――。ジョーカー!」


 イサギの左目が輝き出す。

 極大魔晶に共鳴した魔力が地下室に轟く。この震動を引き起こしているのがイサギ自身だ。

 愁はイサギの新技を前に、なにがあっても対応できるように身構えていた。

 唐突な膠着状態が訪れ、ただ震動だけが激しくなってゆく。


 ――しかし、この力に先ほどイサギがぶち破った地下室の天井が耐えられなかった。

 ついに、地下室の天井が崩れる――。


 イサギも愁もこれは想定外だったのか、ふたりは降ってきた石材に為すすべもなく押し潰される。

 無論、ほとんどの実害はない。ふたりがまとう闘気の鎧はその程度では微塵もダメージは食らわないのだ。


 ――だが、極大魔晶は別だ。

 

「プレハ!」


 瓦礫を吹き飛ばしながら立ち上がるイサギ。

 もはや地下室の天井はすべて崩れ落ち、吹き抜けと化していた。


 ――イサギと愁のその間に、極大魔晶を背にした、男がいる。

 漆黒のたてがみを後ろまで伸ばし、鱗で覆われた両腕から爪を生やし、外套に身を包んだ、人という名の獣がいる。

 半獣化した男は――足利廉造は、口の端をつり上げた。


「そうさ……。こいつァ、オレが頂くぜ」


 二本のクラウソラスが、閃いた――。




 イサギは斬りかかり、愁は魔法を用いてクラウソラス・レプリカを振るう。


「廉造くん、キミにはベリアルド実験場のものがあるだろう」

「極大魔晶ができたらオレから奪う気だったんンだろ? この狐野郎が」


 愁とイサギが同時に迫る。廉造は大地を踏み締めた。

 二本のクラウソラスを真っ向から受け止める気なのかと思いきや、廉造は翼を広げて飛翔した。


 そしてそのまま愁へと急降下する――。


「くたばれやァ!」

「ぐっ――」


 愁は廉造を見据えながらも、イサギを意識からは外していない。

 イサギはこの瞬間、再生術を破潰しようと――。


「ラストリゾ――」

「――させるものか!」


 愁はレプリカを廉造へと投げつけ、イサギに向かって駆けていた。避けきれなかった爪撃によって、愁の肩から血が飛ぶ。愁の端正な顔が歪む。

 だが、構うものか――。

 イサギの破術が発動するその刹那、彼の腹を渾身の力で殴りつける。


「ッ――」


 ただの体術ではない。光の鎖を右腕にまとった、特殊な一撃だ。

 愁の鎖はそのままイサギの体に絡みつき、彼を拘束する。


「どんなに破術が強かろうが、それが人の使う技である限り――」

「――愁!」


 イサギがラストリゾート・ミニマイズで拘束を無理矢理引き剥がす。しかし、ハンマーのように振り回されたその慣性までは殺し切れない――。

 愁がイサギを投げつけた先は廉造――。


 ――イサギと廉造が衝突する。


 が、イサギは遠心力を利用して廉造へと回し蹴りを放っている。度肝を抜かれたのは、廉造の方であった。廉造は壁へと叩きつけられた。


 攻防がめまぐるしく入れ替わる一瞬の出来事であった。


 愁に腹を打たれたイサギは、苦しげに立ち上がり、血を吐いた。

 廉造に肩を裂かれた愁は手元にクラウソラス・レプリカを引き戻し、イサギの破術に全神経を集中させている。

 イサギの強烈な蹴りを浴びた廉造は、獣のような四足の構えでふたりを交互に睨みつけていた。


 三角形を織りなす彼らの中央には、倒れたノエルと、そして極大魔晶がある。

 誰もが一秒ごとに神経のすり減るような敵意をその身に味わいながらも、動けない。

 

 三すくみ――。


 両腕の鱗を全身へとまとわせながら、廉造は唸る。


「気に入らねェ奴らだ……!」


 愁もまた髪をかきあげ、舌打ちをした。


「僕は元からそう思っていたよ。特にこんな場面で水を差すような、廉造くんのことはね」


 イサギが血を吐き、己の眼帯を引き剥がして放り投げる。


「……どいつもこいつも、俺の女をなんだと思っていやがる」


 愁が笑う。


「仕方ないさ、イサくん。女性というのは、魅力的な男性に惹かれるようにできている」

「ならば俺のことだろ」

「思い上がりも甚だしいね」

「――ウダウダうっせェよ、雑魚どもが」


 廉造が己の体を変質させてゆく――。


「最後まで立っていたやつが、この極大魔晶を手にする……そういうこったろうが」


 獣術を操る廉造はまさしく、人と竜の間に生まれた王のようであった。


「――戦い、奪う。奪う。己の力で奪う。ここはそういう世界だ。――なンだろ?」


 かつて魔王城に召喚された四人が言われた言葉だ。

 拳を掲げ、イラは叫んだ。

 力こそがすべてだと。

 それがアルバリススなのだと――。


 その掟は正しい。

 情も絆もありはしない。

 ここはそういう世界だ。


 かつて男たちは力を求めた。

 己が夢を叶えるため、元の世界に帰るために。

 その結果、行き着いたのはこの形だ。

 ただひとつの極大魔晶を奪い合う、それが業である。


 愛する者のために極大魔晶を求めた男たちは、ここに集う。

 すべての決着をつけるために。


 イサギは深く息を吸い込んだ。


「廉造、愁。今一度聞くぞ」


 彼らに罪を言い渡す執行者のように問う。


「お前たちはここで死んでも構わない。それほどの覚悟を持って、ここに立っているんだな」

「イサくん、冗談でこんなことはしないよ。それで手加減をしてくれるのなら、ありがたいけれどね?」

「テメェをぶち殺すことに、もう躊躇いはねェよ」

「そうか……」


 かつての旧友たちに。


「わかっている――。わかっていた。そうだな、お前たちはそういう男だ。甘かったのは俺だ。なにもかも守ることなんて、できないんだ。俺にはそれがわからなかった。この目に入るすべての者を守りたいと思っていた。思っていたんだ。だがそれも、もう終わりだ――」


 ――イサギは別れを告げる。


「罷り通させてもらう――」


 ――破術限定発動――。

 ――己の身に刻まれた封印魔法陣を破棄――。

 ――神エネルギーの奔流に魂が飲み込まれ――。

 ――消失感、消失感、消失感――。

 ――――――。

 ――神化開始――。


 イサギの全身に赤い光が輝く。

 凄まじい力が溢れ出した。

 

「ラストリゾート・ジ・エンド。すべてを、破潰する――」


 ――神化イサギ、降臨。

 


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 屋敷での戦いもまた、膠着状態であった。

 

 アマーリエ、リミノ、慶喜、そしてシルベニア。

 彼らの前に立ちはだかるのは、リャーナエル、カロラエル、ミシフォン、そしてアラデルの四人。


 四対四、数の上では同数を保っているが、質では禁姫のほうが圧倒的に上だ。

 奮闘をしているのは、シルベニアとアマーリエであった。


 兄の仇を討とうとするアマーリエと、そして兄を勝手に殺されたことに怒りを燃やすシルベニア。

 彼女たちは廊下の端と端に別れ、魔術戦を行なっている。なんとか突入してイサギの援護をしたいところだったが、しかし禁姫の守りも抜けられなかった。


 焦っていたのは、慶喜だ。


 イサギと廉造はもう先にいってしまった。自分だけが役立たずなのだというその概念にとりつかれていた。

 挽回しなければと思って焦りながら突っ込んでみると、禁姫の的になった。

 命からがら廊下の隅に逃げてゆく慶喜は、悔しさと情けなさに涙を流しそうになる。


「くっそう、なんとか、なんとかしないと……!」


 やはり極術か、あれしかないのか。

 ミストルティンの杖はいまだ慶喜の手にある。

 イサギには止められたが、慶喜が相手に大ダメージを与えられるのは、この力しかない。


 この極術を使えば、禁姫を四人まとめて葬り去ることだってできるかもしれない。

 だが――これは、あまりにも大きすぎる力だ。

 手加減ができない。


「……だめだ、でも、これは、ぼくには……」 


 祈るように杖を全身で抱き締める慶喜。

 痛みにのたうち回る少女の姿が、まだまぶたの裏に焼きついているじゃあないか。

 それなのに、もう一度使おうだなんて――。



 ――そんなとき慶喜は、窓の外から不思議な光を見た。

 それはこの屋敷を包んでいた魔力ではない。

 遠方から立ち上る光だ。


 魔術戦を行なっている最中。

 シルベニアはハッとした。


「あれは……」


 似ているのだ。シルベニアが四人の魔王を召喚したときの光に。


 それから三秒後、大地が鳴動した。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 世界中の人々がその輝きを見つめていた。

 ダイナスシティ。ロリシアはデュテュに与えられた部屋で彼女の世話をしながら、窓の外の輝きを見た。


「……あれは? ミストラルの方角ですね……」


 ロリシアは胸騒ぎを覚えながらつぶやく。

 彼女は慶喜の無事を祈り、不安げに光を見つめ続けていた。


 天に立ち上る、柱のように赤い光。

 それはスラオシャ大陸の中心、大森林ミストラルから上る光だった。


 人々はその光を見上げて、それぞれに奇妙な胸騒ぎを覚えたことだろう。

 あるいはその感情は、彼らがその血の中に脈々と受け継いできた『畏怖』であったのかもしれない。

 

 この大地に一体――何者が、輪廻リーンカーネイションしてきたのか。

 ――人々はすぐに知ることになるだろう。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

 真っ赤な光を帯びた神化イサギは廉造の頭を掴み、そのまま地面に叩きつける。

 廉造の姿はもはや半獣と化しているのに、それでもイサギの圧倒的なパワーに対抗する術はないようであった。


「テメェ――」

「……」


 廉造が爪を立ててくるのにも構わず、イサギはそのまま彼の頭を大地に打ち付けた。

 左目と右腕が放つ赤い光が、残像を残しながらもぶれてゆく。

 床が砕け、廉造の体はさらにめり込んだ。

 イサギの力は破滅的ですらあった。

 

「嘘だろが……ここまで、ここまで違うのか……クソが……! なんなンだテメェは、ここまでの代償を払ってまで、まだテメェには――!」


 そのとき、ルナの体が輝き出した。

 イサギは廉造を押さえつけたまま、弾かれたように極大魔晶を見た。


 だが、ノエルの再生術は確かに破潰はかいしたはずだ。

 再生術は失敗したのだ。

 その証拠に、プレハの体はなんの異変も起きてはいない。ただそこに佇んでいるだけだ。


 手負いの愁もまた、自らに治療術をかけながら、ルナを見つめている。

 

「……ルナ……?」


 なにかが起きている。

 先ほどから、大気を流れる魔力の流れも妙に濃い。

 地中をマグマのような魔力が蠢いているような感覚さえあった。


「……一体、なんだ……?」


 イサギが一瞬だけ目を離したそのとき。


「テメェ――」

「――っ」


 今度は廉造の拳がイサギを吹き飛ばした。

 無茶な体勢からの一撃だが、化け物のような破壊力であった。

 さすがのイサギも吹き飛び、壁に叩きつけられる。

 廉造は血まみれの頭を振りながら、立ち上がった。


「まだまだこれからだ……! かかってきやがれ……イサァ……!」


 戦いの行く末はやはり、イサギと廉造の両肩に委ねられていた。



 ――そこに傷だらけの慶喜が姿を現す。

 極術を脅しに、無理矢理に行く手を切り開いた慶喜だった。


 地下室のドアを開いた彼は、その場での三人を見てぎょっとした。


「廉造先輩、愁サン、イサ先輩……」


 廉造もイサギも慶喜を見ようとはしない。

 愁もまた、氷漬けにされたルナの死体が、その氷の中からゆっくりと抜け出てくるのを見つめていた。


 ――ついに勢ぞろいした四人の魔王。

 その彼らの中心で、ゆっくりと光をまとってゆくルナ。


 輝く白髪を後ろで縛り、灼けた瑞々しい肌の美しい少女。

 美しき彼女の体は――実が土から芽吹くように――瞬く間に息吹を取り戻してゆく。

 まるで奇跡を見ているようだった。


「……ルナ、どうして……?」


 愁は戦いも忘れたような顔で、じっと彼女を見つめている。

 光に照らされたその横顔は、まさしく神に仕える敬虔な信者のようだった。


 氷から抜け出した彼女の指先からこぼれた一雫が、血塗られた床を叩く。

 彼女の体を流れ落ちてゆく水は、人の罪を浄化するかのようだった。


 四人の中心、ただひとりの女神はついに地面に降り立ってみせた。


 いつの間にか、ディハザはいなくなっている。

 その中で、絶世の美貌を持つ乙女、ルナは時を止めたように佇んで。


 横たわる極大魔晶と、立ち上がる遺体。

 吹き荒れる魔力に、彼女たちの髪が揺れていた。


 愁が目を見開く。


「ルナ!」


 その叫びに応えるように――。

 ついに――。


 ――彼女は、目を覚ます。


 

 赤い光がルナの周囲に帯びて、彼女はゆっくりと眼を開く。

 紅玉のような目は焦点が合わず、まるでいまだ夢を見ているかのようだ。

 だが胸はわずかに上下し、呼吸を開始していた。それは彼女が確かに生きている証なのだろう。


 ルナがぼんやりとした顔で手をかざすと、慶喜の手元から杖が自ら意志を持つようにして浮かび上がった。


「えっ、あっ」


 女神の杖、ミストルティン。

 それを握り締めた彼女は、なにも言わず、杖を掲げる。

 

 引き金を引いただけで射出される銃器のように。

 なんの前触れもなく、――真っ赤な光が天に向けて放たれた。

 その姿はまさしく――。


 意識を失いかけていたノエルは顔を上げ、小さくつぶやいた。


「女神……さま……?」


 世界創世の女神――。

 女神教の主神。

 人間族を創り出したと呼ばれる神族。


「ああ……ああ……おかえり……」


 なにも言わず微笑む女神。

 それこそが、緋山愁がその命に変えても、なんとしてでも取り戻したいと心から願い、あがき、渇望した――。


「――ルナ」


 最愛の人であった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 誰もが終末の訪れを予感していた。

 そしてこれからは、誰もが終末を見届けるその証人となるのだ。


 地下迷宮ミストラルの魔法陣からは、赤い体を持つ巨人たちが次々と溢れ出していた。

 不完全な彼らは、目も鼻もない、ただの肉の塊である。

 それはイサギがラタトスクの地下で見たものたちであった。


 イサギがリヴァイブストーンを使用し、クラスソラスとミストルティンを用いてようやく倒したその怪物たち。

 それこそが神族――。

 

 神族の帰還である。


 リーンカーネイションから次々と這い出してきたその巨人たちは、まるで無様なゴーレムのようにひざまずく。

 彼らは命令を待っている。

 ただ唯一、彼らを使役することができる能力者。


 骨と皮だけになり、それでも怨念を胸に生き続けている召喚術師、リリアノの命令を待っているのだ。


「ああ……」とエウレが言葉を漏らした。

 それこそがまさしく、世界の破滅そのものの光景であるから。

 ここからすべてが終わるのだから――。


 リリアノは枯れ枝のような右手を掲げる。

 姫が下すのはただひとつ。

 エルフ族以外のすべての種族の、根絶。


 もう人間族はいらない。

 もう魔族はいらない。

 もう助けてくれなかったピリル族やドラゴン族や、それ以外のすべての種族も――いらない。

 いらない。

 生もいらない。

 感情もいらない。

 ただあるのは破滅だけ。

 それだけがいい。


 それこそが彼女が――。



 Episode:12 終末に希う、ただひとつの End



 ――召喚術であった。


 次章予告



 神族と魔族。

 神話の時代に語り継がれたその戦いが、今始まろうとしていた。


 溢れ出す神族。不完全な形を持って召喚された彼らは、ただひとつの命令に従い、すべての魔族を地に還すだろう。

 この世界に召喚された四人の魔王に、すべては委ねられる。


 あらゆる救いが連鎖的に瓦解してゆく中。

 ただひとつの願いだけを信じ続けていたかつての少年は――。

 ――ついに、少女に。


 勇者イサギの魔王譚、終章前編。


 Episode:13

『おかえりなさい、あたしの勇者さま』


 これは愛する者のために戦う、男たちの物語――。



 次回更新日:12月中予定



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 書籍版、電子書籍、ともに発売中です。

 よろしくお願いします。

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