2-2 魔王たちの稽古:剣術編
イサギの部屋にて。
リミノが小声で話しかけてくる。
「ねーねー、お兄ちゃん」
「んー」
「お兄ちゃん、まだお出かけしないの?」
「お出かけ?」
「うん。言ってたでしょ。
その……プレハお姉ちゃん探しに……とか」
「ああ」
しー、と口元に指を当てて。
イサギは羽ペンを動かしていた手を止めた。
「ちょっと気になることがあってさ」
イサギは『封術』は刻まれたその瞬間に強くなるものだと思っていたのだ。
だが実際は魔力総量を増やすための劇的なドーピングのようなものだった。
ある程度の強さを得るまで、戦闘訓練はみっちりと行わなければならないだろう。
それまでに冒険者が来ては困る。
イサギは『冒険者』がどれほどの強さなのかは知らない。
これまではイラとシルベニアで撃退してきたのだろうが。
せめて、その力を確かめてから旅に出たいものだ。
そうでなければ、あまりにも無責任だ。
魔族を守る、という項目も達成できない。
ここ三週間のイサギの活動は実に地味だった。
暇を見つけては、魔王城の補修に当たっていた。
崩落した地下道の修理。壁や城壁の強化。
手薄な場所があれば丸々一帯を埋めてしまったり。それらが主な仕事だ。
まだ使えそうな結界魔法陣があればシルベニアに相談し、その機能を復活させていたり。
どれもわざわざイサギがやることではないかもしれないが、他に人手がいない。
少なくとも20年前の魔王城の堅強さを取り戻すことができれば、難攻不落とまではいかないが、それなりに安心できるはずだ。
というわけで、ここ最近、もっぱら土木工事ばかりしているイサギである。
三年間剣を振るって殺すことばかりしてきた身としては、新鮮な楽しさがあった。
戦う訓練をせずにひたすら魔王城を強化しているイサギを見て慶喜は「これが内政タイプの主人公か……」とかなんとか言っていたが、イサギにはよくわからなかった。
「あーあ、お兄ちゃんがずっとここで一緒にいてくれたらいいのにな」
背中から、リミノがのしかかってくる。
ぎゅぅぎゅぅと押しつけられるのは、胸の感触だ。
デュテュほどではないが、リミノのサイズも豊かだ。
ときどき固いものがイサギの背中に触れて、突起がこすれるたびに彼女が体をビクッと震わせる。
一体なにがなんなのかはわからないが。
まったく集中できない。
彼女はきっとイサギにじゃれているだけだろう。
そうだ。きっとそうだ。
「……あのな、リミノ」
「えへ♡」
名前を呼ばれるたびに、彼女は本当に嬉しそうにする。
それはとても可愛らしいのだが。
「ねーねー、お兄ちゃん、リミノ良いこと考えたんだよね」
「へえ」
「ほら、リミノって将来的にエルフの王女として、ミストランド王国を再建しなくちゃいけないわけじゃない?」
「そうだな」
「そのときのためにも、今から強い兵隊を作っておかなきゃいけないと思うんだ」
「兵隊ねえ」
どことなく現実感のない言い方だ。
リミノはイサギの首の後ろから手を回して抱きついてくる。
「だからさお兄ちゃん、リミノとちょっと子作りしてみない?」
「待て」
待て。
紙の上にインクが飛び散る。
思わず羽ペンをへし折ってしまうところだった。
「いや、あのな、リミノ?」
「受胎率は低いから、孕むまで何度も何度も繰り返さなきゃいけないけど。
でもお兄ちゃんとの子供だったらきっとハーフエルフのとっても強い子ができるよ。
ね?」
「いや、あの……」
「うん?」
にっこりと笑うリミノ。
彼女はエルフの王女として役目を全うしようとしているだけ……なのだろうか。
「大丈夫、大丈夫。お兄ちゃんに迷惑はかけないよ。
リミノひとりでなんとかしてみせるから。任せて」
これが種馬として召喚された異界人というものだろうか。
それにしても、健康的な笑顔でそんなことを囁くのはやめてほしい。
本当にやめてほしい。
「いや、あのさ、そういうわけにはいかないだろ……」
「? どうして? リミノはひとりで大丈夫だよ?」
「……」
請われて子供を作って、それでリミノを捨てて魔王城を旅立つ?
そんなことができるはずがない。
これはリミノなりのプロポーズだ。
言っていることは過激だが、その実は健気だ。
イサギに心配をかけまいとしているのだ。
だから“子作り”などという義務的な言葉に置き換えているのだ。
彼女は好きだとか、愛しているだとか、そんな言葉は言わなかった。
もはやこの世界の言葉に、意味がないことを知っているのだ。
だから、体を求めているのだ。
それでしか結ばれないのだと知っているように。
だめだ。
イサギはその想いに応えることはできない。
面と向かって拒絶することも無理だ。
リミノは変わらぬ調子で問いかけてくる。
「ねぇ、どうしてだめなの? どうして?」
「……人間とエルフの王族が交わるなんて、聞いたことない」
「そうかもね。でも、今は非常事態だから仕方ないんじゃない?
リミノ、きっとお兄ちゃんのことを満足させられると思うけどなあ」
「……わかってんだろ。そういうのは、なし」
プレハに会うまでは、だ。
子供なんてできたら、ますますイサギがこの城から離れられなくなる
それがリミノの、本当の狙いなのかもしれないが。
だとしても、彼女を責めることはできない。
「リミノ、お兄ちゃんとまた会えてすっごく幸せなんだ。
……でも、ホントはちょっと怖いの。
またお兄ちゃんがいなくなったらどうしよう、ってさ。
だから、安心していたいの。
お兄ちゃんとの赤ちゃん、欲しいなあって。
……リミノのためにお兄ちゃん、それでもダメぇ?」
彼女の一途な愛情が、バニラの香りのように甘くふんわりとイサギを包む。
しかし、それをイサギは振り切った。
「…………………………だめ」
それまでに相当な迷いもあったが。
「おにいちゃぁん」
それでも甘えてくるリミノに。
「よそでやってくれませんかねぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
さすがに堪忍袋の緒が切れたのか。
慶喜が毛布から顔を出して叫んだ。
グッジョブ、慶喜。
デュテュからひとり部屋の申し出もあったのだが。
イサギは謹んでお断りをしていた。
ひとり部屋に移ったら、リミノは毎晩ベッドに潜り込んでくるだろう。
デュテュだってやってくるかもしれない。
そうなったら本当に自制できる気がしない。
だからお断りだ。
……慶喜には申し訳ないと思うが。
リミノは怒鳴られてしょんぼりと部屋に戻っていった。
彼女は節度をわきまえているのか、イサギ以外の魔王候補には決して心を開かなかった。
自分の体はイサギだけのものだ、という自覚もあるのだろう。
そのことに関して他の魔王候補たちは疑問を覚えていたが、
リミノの「エルフの王族は、一目見て気に入った男性にとことん尽くすものです」という決死の言葉により事なきを得ていた。
その分、慶喜にはさらに恨まれたが。
「……ちくしょう、どうして、どうして、先輩だけ……
ぼくと先輩のなにがどう違うっていうんだよ……あんなに可愛い子が……
……なんでだよ、こんなのおかしいよ、ミサトさん……
どうしてだよ……どうして……うう……」
そんな声を聞き流しながら。
イサギは作業を再開した。
旅の計画だ。
暗黒大陸からスラオシャ大陸に渡るためには、船を使わなければならない。
20年前は海は魔族の領域だったため、竜の背に乗って渡洋したのだ。
今ではどうやら港町ができているという。
そこも人間族が支配しているようだが。
イサギも人間だ。きっと金銭さえあれば、渡航することはできるだろう。
身分を保証するものも必要だろうか。それはあらかじめ調べておかなければならない。
港に向かう途中にもいくつかの人間族の町があるという。
補給に関しては問題がなさそうだ。
(けど、暗黒大陸を突っ切るのは、それでも二週間はかかるよなあ)
それも、イサギひとりならの話だ。
もしリミノが一緒に来たいと言い出したら、行軍スピードは遅くなる。
野宿も食料の調達も、ひとりならなんとかなる。
だが、リミノを守りながらとなると。
厳しい。
いっそのこと、リミノにも魔術を覚えさせようか。
自分の身を自分で守れるように。
エルフの彼女なら素質もあるだろう。きっと上手く使いこなせるようになるはずだ。
だがその場合。
短く見積もっても、半年。
20年も経ったうちの半年なら、あまり変わらないような気もするが……
(早くバリーズドに会ったほうがいいのも、確かなんだよな)
どちらを優先にするべきかは、わかりきっている。
まずは防備を固めるべきだ。
自分がここにいる限り、誰ひとりとして死者は出さない。
なにかがあってからでは遅いのだ。
というわけで、明日からは自分も剣術の稽古に参加しよう。
自分が出かけても大丈夫なように。
魔王候補たちを鍛えなければならない。
(つっても、旅の計画を立てるのは無駄じゃない)
ひとりの時間でできることは限られてる。
イサギはランプの灯りで、羽ペンを動かす。
「……安西先生……ぼくも、モテたい、です……!」
慶喜のすすり泣きの音を背景に。
翌日の魔王城の中庭だ。
同じように愁、慶喜、ヤンキーは剣術の稽古に励んでいる。
さて、と。
いつものようにイサギはそこらへんに座りながら、彼らの様子を眺める。
冒険者ギルド設立に当たって。
かつてイサギは、バリーズドに話を持ちかけたことがある。
それは、冒険者の強さを『数値化』できるようにしよう、ということだ。
当初、バリーズドは懐疑的だった。
『戦士の実力ってのは、そう簡単には決まらねえ。
逆境に強いやつもいれば、ピンチにめちゃめちゃ弱くなるやつもいる。
不意打ちがめっぽう得意なやつもいれば、集団戦で本領発揮するやつもいる。
十人十色だ。魔術とは違えんだぞ?』と。
もちろんわかっている。
それでも、やるべきだとイサギは思ったのだ。
だがやはり、剣術をスキルごとに分類するというのは容易ではなかった。
戦いの極意を、剣撃、守勢、足捌きの三種類に分解。
それぞれを全ての冒険者ごとに見極めるというのも、現実的ではない。
イサギとバリーズドは思い悩んだ。
なにか上手い手はないかと。
そこでプレハとセルデルにも相談をした。
彼らも『なんのために……?』と懐疑的だった。
けれど、三人寄れば文殊の知恵ではないが。
勇者パーティーの三人が真剣に考えてくれた結果。
それは実現した。
土・風の魔術と法術の複合術だ。
まず、対象者の周囲に、歩けば破れてしまうような結界を1000層に渡って展開する。
次に土の魔術によって手足に一定の負荷をかける。
そして風の魔術によって全身を圧迫。
それら全ての反動値を計測し、魔力残量によって数値を導き出すのだ。
なにを言っているかわからないが。
大丈夫だ。
メカニズムは、イサギにもよくわからなかった。
プレハとセルデルはイサギたちを放って、ドンドンとこの術を進化させてゆく。
気がついた頃には、ATK、DEF、SPDの能力値を、かなりの精度で計測できる術が完成していた。
その上、使用難易度は低く、《コード》さえ知っているものならほぼ誰でも唱えられるのだ。
さすがプレハとセルデル。アルバリススの二大術師である。
これほど複雑な術を、あまり魔術が得意ではないイサギですら、問題なく運用できるのだから。
これで、全世界で等しく冒険者を管理することができる。
その強さに応じてランク分けをすることだって可能だ。
ランクに合わせたクエスト内容を配れば、死傷者の数を激減させられるだろう。
そう言って、イサギは大層喜んでいたものだ。
その名も。
(……解析術)
小声でつぶやく。
次の瞬間、三人のステータスがイサギの脳裏に感覚として表示された。
愁
ATK:66
DEF:58
SPD:62
慶喜
ATK:37
DEF:50
SPD:38
ヤンキー
ATK:40
DEF:36
SPD:37
大体、一般的な平均の兵士でオール3ぐらいの能力値だと思ってもらえばいい。
20年前なら、の話ではあるが。
こうしてみると愁の成長が抜きん出ているのがわかる。
しかし、それにしても。
(ヤンキーがここまで遅れているっていうのは、意外だな)
慶喜とそう変わりないどころか、劣っている部分も目立つ。
やはりまだ魔力の使い方が慣れていないのだ。
下手に己の肉体でケンカを繰り返していたから、かもしれない。
感覚を掴めていないのだろう。
(イラにやってみるか)
解析術はよほど集中していない限り、受けている本人も気づかないものだ。
必要となる《コード》を圧縮して放つため、目視することも難しい。
プレハとセルデルがそうアレンジしていたのだ。
今、三人に剣術を指導しているイラには見破れないだろう。
イラ
ATK:125
DEF:83
SPD:136
なるほど。
合計値が300も超えるならば、十分に達人の域だ。
しかし、魔王候補たちは、たった三週間でこの進化。
(そりゃあ魔帝アンリマンユと同じ力を持っているんだもんな……)
改めて思う。
この魔王候補たちは、規格外の力を持っているのだ、と。
まさにチートの集団だ。
将来的には魔帝クラスへと成長する者が、同時に三人だ。
(半年もしたら、冒険者ギルドがどんなに強くても、さすがにかなわないだろ……)
この時代の勇者として呼び出されなくて良かった。
イサギはそんなことを思っていた。
イサギ:浮気はしないぞ。絶対にしないぞ、絶対だぞ。
リミノ:お兄ちゃんとの赤ちゃんを欲しがる。
慶喜:モテたい。
解析術:ギルド設立のために考えた術。能力値を確認する。