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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:12 終末に希う、ただひとつの
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12-14 神と獣

 廉造が這いつくばる男に『じゃァな』と告げたあの日、あのとき。

 廉造がイサギ(とも)の首を切り落としてでも、元の世界に帰ろうと願ったあの瞬間。


 目には見えない、――だが、確実に何かが変わった。


 廉造は元の世界に帰還するというその目的を忘れたことは、たったの一度もない。

 諦めたことも無論、ない。


 それは彼の生きていく目的であり、この世界で戦うための動機である。

 廉造は揺らがない。ただの一度も。それはそのはずだった。はずだったのに。


 イサギの首をはねようとしたそのとき、彼を助けに来たリミノは叫んだのだ。


『2年もあれば、人は変わるし、人はひとりでだって、生きていける。あなたがいなくたって、妹さんは生きているよ』

『人の心を失ったあなたになんて、妹さんと再会する資格は、ないよ』

『会ったって、妹さんはあなたのことなんて、嫌いになるに決まっている』


 慶喜の乱入により、その場は収まった。

 そして廉造は戦いの後の痛苦にさいなまれながらも、己の手を見下ろして。

 そして、こう思った。


 ――あァ、そうかもしれねェな。


 そう思ってしまった。



 イサギの恋人を奪い、そして元の世界に戻ったところで、愛弓に会わせる顔なんてない。

 そんなことは本当はわかっていたはずだ。

 わかっていたはずだったのに、廉造はきっと考えないようにしていたのだろう。


 何百人、何千人を殺してまで、元の世界に戻って。

 その腕で、妹を抱きしめられるのだろうか。


 一度芽生えた疑念は、廉造にとってもう振り払えないものだった。

 イサギを殺そうとした自分は、もはや、この世界に来る前の自分と同一の存在ではあり得ない。

 魔王と呼ばれ、ついには心まで魔に染まりきってしまったのだ。


 自分には、愛弓が必要だ。

 けれど気づいてしまった。

 きっと、愛弓に自分は――必要ではない。


 愛弓ならば、ひとりでも生きていける。

 その真実は廉造の中に空しさと、悔しさと――ひとかけらの安心を与えてくれた。


 そうだったのだ。

 見ないように目をふさぎ、聞かないように耳を閉じていただけだった。

 それを気づかせてくれたリミノには感謝こそすれ、恨む気持ちはない。

 ――すべては己の責任だ。


 廉造は知らず知らずのうちに、かつて破滅していった父親の背を追いかけていたのだろう。

 あと一歩で彼のように、プライドもモラルも見栄も誇りも投げ捨ててしまうところだった。


 廉造はそうはならない。

 彼とは違う道を征く。


 愛弓のために――などと、もはや言うつもりはない。

 もはや前も見えないほどの血霧の中、それでもあがきながら進むために。

 ――すべては、己のために。


 愛弓をもう一度、一目見ることができるのなら。

 彼女のそばにいられなくたって、構わない。

 愛弓はあの頃のまともだった自分をいつまでも覚えてくれるだろう。

 ならばそれで構わない。


 だがもし愛弓が困っていたのなら、彼女のために力を尽くそう。

 あらゆるものを破壊し尽くし、影ながら彼女に報いよう。


 ――そして愛弓が幸せそうにしていてくれるのなら。

 そこに自分は必要ではない。

 それこそが、これからイサギの幸せを奪う自分への、罰だろう――。


 だから――。

 

「そんな姿で、妹の元に、帰るつもりなのか!?」


 今、イサギの叫び声を前に、人の身を捨てた廉造は、ただ笑った――。

 己の胸を親指で指し示し、廉造は紅玉のような目を見開く。


「当然だ。――テッペンを決めようじゃねェか、イサ」


 最強の称号。

 それだけを握り締めて、廉造はアルバリススを去るために――。



 



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 勇者イサギの魔王譚

『Episode12-14 神と獣』



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 半獣化とでも言うのだろうか。

 廉造の姿は両腕に鱗が生え、爪が尖り、たてがみが背中まで伸び、そして力強い尻尾が生えた、人の姿であった。

 人型を保っているその姿はどちらかというと、ドラゴン族というよりは、リザードマンなどに近いように見えた。


「れ、廉造……先輩……」


 ぞっとした声をあげるのは慶喜だ。彼を見て、廉造はふっと笑う。


「ヨシ公、あんときゃ、済まなかったな」

「ど、どうしてそんなこと……」

「テメェには、わからねェよ。だが今度は止めるンじゃねェ。――殺すぞ」


 蜥蜴のように見開いた目を前に、慶喜は小さく悲鳴をあげた。

 廉造の発する魔力が風のように流れ、辺りに渦巻いている。


 この場には廉造と縁のある人間しかいない。

 リミノは身を堅くしながら廉造を睨んでいた。廉造は彼女を一瞥したのみ。


 そしてアマーリエ。


「……あなた、シュウを助けに来たんじゃないの?」

「興味ねェな」

「……」


 アマーリエはそのあまりの言いぐさに、押し黙る。

 廉造がギルド本部にいたのは極大魔晶を求めてのことだった。それが手に入らないのなら、彼がギルドに頓着する理由はなかった。


 シルベニアに対する反応だけが、違った。

 彼女は大きなため息をつく。


「バカなの……。バカだバカだとは思っていたけれど、ここまでのバカだとは思わなかったの。世界一の、大バカ者なの」

「そこまで言いやがるか、シル公」


 廉造は笑う。

 同化術がどれほど危険な技であるか、シルベニアには想像がついているのだろう。

 それでも、廉造は拳を握る。


「この願いが叶うのなら、オレは世界一のバカでも構わねェ」


 もはや言葉で止まるような男ではなかった。

 銀髪の魔女は、首を振る。


「……バカ」


 暗黒大陸解放戦線をともに生き延びたふたりには、イサギたちの推し量ることのできない絆があるのだろう。

 

「さァ」


 だが廉造が最後に目を向けた先にいるのは、当然その男だった。

 白銀の剣を携えた、眼帯の男。

 このアルバリススを戦い抜いた、強敵ともの姿。


「――やろうぜ、イサ」



「……待て、廉造」

「あ?」


 イサギは手を前に突き出し、彼を制止する。

 ――こんなところで廉造とやり合っている場合ではない。


 相手が廉造であったのは、不幸中の幸いだ。彼ならば説得することができる。

 ……もし洗脳をされていたのなら、そのときはそのときだ。


「おまえが求めていた極大魔晶は今、俺の手元にはないんだ……奪われてしまって、な」

「あァ?」


 やはり聞き捨てならない言葉であったようだ。

 目を剥く彼に、慶喜もまた叫ぶ。


「そ、そうなんすよ。ぼくがとちっちゃって、それで、さらわれて……それが、その、ここに、あるって!」

「……ここにだァ?」


 疑わしげに眉をひそめる廉造の様子は、以前の彼と代わりはない。

 その姿は異形と化してしまっていたが、だが、話が通じないわけでもなさそうだ。

 ならば、あと一息か。


「どうだ、ここは協力して極大魔晶を取り返しにいかないか? 俺とお前が手を組むのなら、六禁姫も敵ではないだろう」


 慶喜もまた、必死に叫ぶ。


「ぼくたち、プレハさんを助けに来たんす……。ほ、ほら、廉造先輩だって、極大魔晶を使われちゃったら、まずいっすよね!? だから!」


 ――知ったことか、と一蹴されることすらも、覚悟していたが。

 廉造の反応は――。


 彼は右拳を胸元に掲げながら、こちらを睨んできた。

 そして告げるのは、決別の言葉であった――。


「だったら今ここでテメェをぶちのめしてから、魔晶を取りにいくことにすンぜ」


 彼の目的は極大魔晶だ。

 だが、イサギを逃す気もないのだろう。


 イサギは舌打ちをするところであった。

 代わりに顔を歪める。――このバカ野郎が、と。


「……正気かよ。その間にプレハがどうなっているのかもわからないのに」

「なら二分だ。それで終わらせてやンよ」

「……この野郎」


 イサギがクラウソラスを握る手に力を込める。

 どっちみち、彼を斬らなければ前には進めないということか。

 見過ごしてくれる相手でもなさそうだ。


 だめだ、言い争っている時間すらも惜しい。

 イサギは歯噛みする。


「この世界に召喚されたもの同士、日本人同士だというのに、なぜ争わないといけないっていうんだ、廉造……」

「テメェもわかってンだろ。もはやそんな次元はとうに通り過ぎている、ってな」

「……バカ野郎だよ、てめえは、本当にな……!」


 ならばせめて――。

 イサギは周囲の仲間たちに静かに告げる。


「お前たちは先に侵入して、できればプレハを奪い返してくれ……。俺は、こいつを倒してから行く」

「せ、先輩……」

「大丈夫だ。勝てるさ……きっとな」


 獣化の様子があちらこちらに見える廉造の存在感は、凄まじいものがある。

 ドラゴン族の禁術は廉造にどれほどの力を与えるのか、イサギにはわからない。

 だから――。


「……最悪、もう一度使うことになるだろうな」


 右腕に刻まれた封術が疼いた。

 絶対に止めろとキャスチに言われていたものだけれど。

 もう二度と人に戻れなくなるぞ、と脅されていたけれど。


 ――それでも譲れないものは、イサギにだってある。

 プレハを救うためになら、自分はいつ滅びたって構わない。それはイサギの心からの願いだ。


 イサギは目を閉じ、小さく自嘲した。


「……バカ野郎は、俺も同じか」


 変わらない。彼と自分。なにも変わらないじゃないか。

 そしてイサギと廉造、再び相まみえる。


「オレァ、これが最後の戦いのつもりさ、イサ」

「いいさ、廉造。……だが、一瞬で終わらせてやるよ」




 アマーリエを先頭に、シルベニア、リミノ、そして慶喜が横を駆け抜けてゆく。

 廉造には彼らを邪魔するつもりはまるでないようだった。

 悠々と獲物を見送ってゆくその姿は、まさしく大陸を統べる獣である。


 そして誰の姿も見えなくなったその瞬間。

 戦いは予兆もなく始まった――。


 ――廉造が強襲してくる。

 

 両腕を引き絞りながら突撃してきた彼をクラウソラスで迎え撃つイサギ。

 相手の身体能力は凄まじく上昇している。だが、それがなんだというのだ。


 イサギの手には神剣がある。彼もまさか素手でイサギを下せるとは思っていないだろう。

 だからこそ以前の戦いでは、六本もの剣を用意し、イサギに戦いを挑んできたのだ。

 

 煌気をまとうイサギに真っ向から突撃するとは。

 廉造が迫る。だが彼の尻尾は崩れかけた柱に巻き付いていた。

 空中で緊急停止をした彼に、クラウソラスが空振る――。


「――ッ」

「うらァァァァァァ!」


 地面に降り立ったその瞬間、廉造は尻尾で柱を引き抜いた。建物が揺らぐ。

 そのまま大質量の建材を叩きつけてくる。クラウソラスで断ち切るか。いや、廉造はなにを仕掛けてくるかわからない。

 ――ここは法術だ。


「センチネル!」


 イサギはその場にとどまって法術を詠出した。

 柱が障壁に衝突し、砕け散る。その降り注ぐ瓦礫の中、廉造はやはりためらわずに突っ込んできた。


 拳が障壁にめり込む。

 本来、世界の理を変質させる法術が正面から突破されることは、まずありえない。

 そんなことを可能にしたのは今まで、クラウソラスなど神器の類のみだ。

 廉造とてわかっていることだろう。何度も何度も拳を打ちつけたところで、無駄なことだと。


 ――亀裂が入った。

 

「ばかな」


 粉々に砕け散るステンドグラスのように、渾身の一撃によって、障壁は砕け散る。


「障壁が割れ――」

「らああああああああ!」


 いくらイサギの法術の練度が低いとはいえ、ここまでたやすく破られていいはずがない。

 バックステップで距離を取ろうと試みるイサギだが、廉造の追撃はそれよりも早い。

 彼は煌気すら操っていないというのに――。


 獣化した左腕の爪が束ねられ、まるで槍のようにイサギの腹部を襲う。

 単なるバックステップでは避け切れないと見たイサギは、廉造を飛び越えるように跳躍した。

 空中で激突するクラウソラスと廉造の爪。イサギは廉造の爪を空中で断ち切ってみせる。

 しかしこれは無駄なことだ。獣化した廉造は自らの魔力で何度も爪を作り出すことができるから。


 後方に着地したところで、振り返ったイサギが見たものは、高く舞い上がる廉造であった。


 彼はその背から巨大な翼を出現させていた。飛翔術である。

 自在に飛び回る彼を捉えるのは至難の技だろう。中空からこちらを見据える彼を、イサギは忌々しく見上げた。


「ずいぶんと、使いこなしているじゃねえか……」

「テメェの翼には辛酸を嘗めさせられたからな」


 廉造は自らの身体を改造してまで、新たな力を手に入れた。

 封術と獣術。禁術の同時行使だ。

 その身体における負荷は今、イサギの比ではないだろう。神化状態に匹敵するほどの苦痛が彼を襲っているはずだ。

 いくら廉造でも、耐えられるわけがない。


「……どうして、そこまで……。俺はもう、お前に負けただろう……!」

「寝ぼけたこと言ってンじゃねェ。……あんなのは勝ったうちに入らねェよ」


 廉造は武装をしていない。剣もなにも持っておらず、徒手だ。

 あれほど晶剣の扱いに長けた男が最後に選んだのは、己の肉体であった。


 廉造は空中にとどまりながら、拳を握る。


「……あれ以来、何度やっても極煌気が出ねェンだよ。あれがなけりゃオレァ、テメェには勝てねェ」

「廉造……」

「だったらもう、他に方法はねェ。禁忌にだって、手を出すさ」

「だがその身体で……」

「戻るさ、元の世界に。テメェを倒してからな!」


 ダメだ。やはり使うしかない。

 廉造けものの速度に追いつくためには必要だ。――神の力が。


「廉造――!」


 イサギは右腕を掲げる。

 左眼の眼帯を外し、目を見開いた。


「ここが貴様の墓場だ。獣め、思い知るがいい。自分が誰に挑んだのかを。そして見るがいい。――この俺のジョーカーを」


 破術を発動させようとするイサギ。

 だがその時――。

 

 大地から魔晶の輝きが溢れ出す。

 地の底から、その隙間から、カーテンのように光が――。


「――」

 

 その瞬間、イサギの頭が真っ白になった。

 今屋敷の地下でなにが起きているのか。最悪の想像が脳裏をかすめたそのとき、イサギの体は自然に動いていた。


「テメ――」


 廉造の爪が背中を襲ってくるのも構わず。

 イサギはクラウソラスだけを握りしめたまま、なにもかもをかなぐり捨てて、屋敷へと駆け出したのであった。

 

「――プレハ!!」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「きゃあ!」


 と叫びながら、ディハザはノエルを突き飛ばした。

 ディハザは震えながら、横たわるノエルを指さす。


「どうしてそんな恐ろしいことを言うのぉ、ノエル! お父様を生き返らせて、そして何度も何度も死ぬまで痛めつけるだなんて、わたしたちはみんな、お父様に良くしてもらっていたのに……そんなこと!」


 一同の視線がノエルに集まった。そのそばには、先ほどディハザが捨てたナイフが落ちていた。

 リャーナエルやミシフォンなどは、青ざめてすらいる。


「ごめんなさい、ノエル、でもわたしにあなたを止める方法はこれしか思いつかなかったの! ねえ、ごめんなさい、ノエル! わたしを許して!」

「ノエル! ノエル!」


 ディハザは慌てて駆け寄ろうとしたカロラエルを抱き締めた。

 倒れたノエルは乱れた緑色の髪の隙間から、ディハザを見上げる。


「でぃ……はざ……?」


 流れ落ちる血は、すぐに緑色の光によって止まった。だが、今度はノエルの身体が動かない。

 ディハザが隠し持っていたナイフには、麻痺毒が塗られていたようだ。

 ディハザはその目に涙さえ浮かべながら、ノエルを糾弾する。


「あなたがそんなことを考えていただなんて、知らなかったわ……ごめんなさい、ノエル。あなたはずっと苦しんでいたのね……力に、なれなくて、ごめんなさい……でも、あなたのことは忘れないわ……」


 ディハザはそう言って両手を打った。

 次の瞬間、ノエルの周囲に立体的な積層型の魔法陣が出現する――。


「ノエル……っ」


 ディハザに抱き留められたカロラエルもまた、目に涙をためながらノエルを見つめていた。

 彼女が命を懸けて唱える禁術の、その最期のときを見逃さないように。


「本当に、ごめんなさぁい……ノエルぅ……」


 ディハザの口が半月の形に歪められる――。


 ノエルは必死に手を伸ばそうとするが、身体が動かない。

 これは再生術だ。ディハザがノエルの身体を媒体に、再生術を詠出しているのだ。


(どう、して……)


 だめだ、声が出ない。喉が動かない。これでは術を発動させることはできない――。


 再生術は回復術の中でも、禁忌中の禁忌。

 空にコードを浮かべるだけでは、詠出することはできない。


 だからこそノエルは自分の身体に魔法陣を刻んでいた。

 彼女は自らを『再生術を使うための魔具』と化していたのだ。


 いわば使用者とリヴァイブストーンのように。

 今ディハザは、己の魔力と、ノエルの魔力と、極大魔晶の魔力を用いて、再生術を唱出しようとしている。


 ノエルは自由を奪われた脳で、戦慄した。

 同化術と再生術。形は違えども、ディハザもまた、回復術の並外れた使い手であった。


 彼女は元々、ノエルの意志など必要とはしていなかったのだ――。


 世界の声が遠ざかってゆく。

 横たわる極大魔晶はまるで悲鳴をあげるかのようにミシミシと音を立てていた。


 カロラエルを離し、ディハザはゆっくりとノエルに近づいてくる。

 彼女はノエルの頭を抱きながら、やはり笑っていた――。


「ノエル……。あなたは本当に頭の良い子だったけれど、でも最期まで見抜けなかったのねぇ」

「――」


 彼女の囁き声に、もはや言葉を返すこともできず。

 全身から奪われてゆく魔力。流れ出る血のように、刻一刻と。


「お父様を生き返したところで、今さらどうだっていうのぉ? なにも変わらないわ。そんなこと、とうにわかっていたもの。でもそういえば、あなたたちは手伝ってくれるでしょぉ? 死んだ人を生き返らせるだなんて、とてもすてきなことだもの。生きる目的が得られたでしょぉ?」

「――」


 なにを。

 ディハザは、一体なにを――。


 彼女の後ろに佇む四人の禁姫には聞こえないように、ディハザは囁いてくる。


 ノエルはディハザの目を覗く。

 まるで闇の深淵のような、濁った目だ。

 

 ディハザは今まで自分たちを騙していたというのか。


 その聞こえの良い言葉で。

 誰もが喜ぶようなことを。

 本心など微塵も見せずに。


 この少女の本当の目的は――?


 ディハザは語る。


「――女神の再生リザレクション

「――」


 ノエルの指先がぴくりと動いた。


「この世界で朽ち果てた女神を再生し、わたしはその身体を同化術で手に入れるわ。その力があれば、本当の破滅を味わわせることができる……。どうかしら? とても、すてきでしょう? これが本当のわたしの計画よ。あなたたちとのことは、お遊びに過ぎなかったのよ……。六人なんて、初めからいらないわぁ。『朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ』。わたしひとりがそれを可能にするのよぉ」

「――」


 ディハザは立ち上がり、涙を拭く――演技だ――と、周囲の禁姫たちに告げる。


「そう、そうなのね……わかったわ、ノエル……。みんな、彼女はこう言っているわ。ここはわたしとディハザだけで十分だから、みんなは侵入者をどうにかして、時間を稼いでちょうだい、って……」

「で、でも! ノエルが……!」


 悲痛な表情をするカロラエルに、ディハザは優しく微笑む。


「大丈夫よ。わたしがついているわ。わたしがついていれば、安心できるでしょう?」

「う、うん……そうだけど……でも……!」

「ねえ、みんなもそうよね? わたしのすることに今まで間違いがあったかしらぁ? ねえ、みんなはみんなのやるべきことをやってくれる? うふふふ、カロラエルは敵を倒すの、得意でしょう? いいところをわたしたちに見せてくれないかしらぁ?」


 そのディハザの言葉にカロラエルはしばらく迷っていたようだったが。

 だが、涙を浮かべたノエルの顔を見て、彼女は決意したようだ。

 ノエルが本当はなにを言いたかったなど、その本当の心を知るすべもなく――。


「……う、うん……そうね、ディハザ。わたし、行ってくるわ……」


 にやり、とディハザは笑った。


 そういって駆けてゆくカロラエル。リャーナエルやミシフォン、そしてアラデルも続いて、部屋はふたりきりになった。


 否、極大魔晶を合わせれば三人か――。


 ディハザとノエル。

 極大魔晶の前、ふたりの少女は魔力を高めてゆく。

 ノエルにできることはなにもない。彼女は魔力を高めさせられてゆく――。


「うふふふ、ノエル、世界が滅ぶそのときには、あなたの元へたくさんの仲間がゆくことになるでしょうね」

「――」


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 ディハザはなぜそんなことを言うのか。

 ノエルの視線の意味に気づきながらも、ディハザが語る素振りはない。


 だめだ。

 ヒヤマシュウに教わったやり方も、なにもかもがもう、役には立たなかった。

 ディハザの本心を見抜けなかった自分の負けだ。

 ノエルはここで再生術の代償として命を落とすしかないのだ――。


 もはや、諦めるしか、ない。

 ノエルにできることは、家族が幸せであるように、願うのみだ。



 ――そこに。


「でも、ディハザ。キミはひとつだけ間違っていることがある」


 男の声がした。



 ノエルのそばに跪いていたディハザは、不快そうに立ち上がった。

 彼女はその緑色の髪を払い、声の方を見つめる。


「……侵入者? ずいぶんと早いわ。……いや、これは」

「この国が奉っている女神の屍は、偽物だよ。あれはただのミイラだ。それに再生術をかけたところで、キミの望みは叶わない。最後の最後で、愚かな失敗をしたね」

「あなたは」


 両手を広げた緋山愁だ。

 地下室の扉――そう、外部へと繋がる隠し通路へと繋がる扉だ――の暗がりから、彼は姿を見せた。

 装いを整え、腰に白銀の剣を提げた三代目ギルドマスター。

 エルフ族をも凌駕する美貌を兼ね揃えた彼は、涼しげに笑う。そうしていると途端に威厳が備わったように見える。


「ノエルが始末したはずなのにぃ。結局、殺せなかったのね。なにからなにまで、余計なことをする子だわぁ。ノエルを助けにきたの? 情が移ったのかしらぁ?」


 ノエルは彼の声を聞いて、わずかに顔を輝かせた。


 ずっと愁のそばで、彼の物語を聞いていて。

 彼が英雄へと成り上がるその話に、感情を動かされた。

 マシュウとルナの恋物語には、胸が熱くなったけれど。

 でも無理だと、諦めていた。

 こんな自分が幸せを望む資格などないのだと。

 そう思っていたのに、彼は「違う」と言ってくれた。

 ――ノエルを『赦して』くれたのだ。


 今はもう、気持ちを抑える必要なんて、ない。

 現れた緋山愁は、まさしく勇者のようにきらびやかで。


 ノエルの瞳の奥に涙が浮かぶ。

 


 ――ああ。

 ――物語の中の英雄が、自分を助けにきてくれたのだ。

 

 だが。

 愁は首を振る。


「いいや、そのつもりは毛頭ない。そのまま再生術を実行するといい。それが僕の望みでもある」

「……は?」


 ディハザは思わず眉根を寄せた。

 彼がいったいなにを言っているのかわからない。 


「ノエルを助けにきたのではないの?」


 愁の目は冷ややかだった。

 それはノエルがぞくりとするほどに。


「ああ、彼女は――どうでもいい」


 裏切られた。

 ノエルはディハザだけではなく――。

 ――この男にも、裏切られたのだ。


 愁の右側にはいつの間に用意したのか、棺があった。

 彼はそれを立て、蓋を開く。


「ただし、キミが生き返らせるのは、教会に秘匿されていた聖遺物の偽物ではない。ここにある、この遺体だ」


 胸を抱くようにして眠る、ひとりの少女。

 ノエルはそれが誰であるか、ひと目で気づいた。

 赤肌白髪。彼が幾度となく語った、ルナ。

 遺体の損傷はほとんどない。凍りづけにされていたという、その伝説の――四百年前にこの世界を生きていた娘だ。


 愁はそして、語る。


「女神教の主神ルナ。キミが復活させるべきは、この少女だよ、ディハザ」


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