12-13 魔人竜
イサギたちが今まさに屋敷に突入しようとしていたそのとき。
同時刻――。
屋敷の地下広間には、六人の少女がいた。
紅色のドレスに着飾った、美しきエルフ族たちだ。
その六人の中心に、光輝くひとりの女性が横たわっている。
閉じられた目と上下に動かない胸。彼女は一切の生命活動を停止していた。
一見は、そう人間族とは変わりがない。しかし実際は魂のないただの器だ。
だがその器の中には、おびただしいほどの魔力が込められている。
――極大魔晶だ。
「ご苦労様ぁ、リャーナエル、ミシフォン」
「うふふ」
「問題ないわ」
リャーナエルはノエルに治してもらった足で嬉しそうに片足立ち飛びを繰り返す。
ミシフォンは真顔で小さく頭を下げていた。
「アラデルも、きょうはしっかりと起きていてちょうだいねぇ」
「……」
寝ぼけ眼のまま左右に小さく揺れている少女は、一見ではわからない程度にうなずく。
そして――。
ディハザが鋭い目を向ける先には、彼女がいた。
「ノエル、ギルドマスターの処分、ご苦労様だわぁ。あなたに頼んで良かったわぁ」
「……ええ、わたしに関しては、なにひとつ心配はいらないわ」
「でしょうねぇ。さすがだわぁ」
そのノエルの腕に、笑顔で抱きついているのが、カロラエルだ。
「うふふぅ、カロラエルは、本当にノエルが大好きなのねぇ」
「そうなの! わたしはノエルのことが大好きなのよ!」
薄暗い空間に少女のあどけない笑い声が響く。
冥府に続くかというほどの、地下広間。
極大魔晶を取り囲むように佇む、六人の少女たち。
童話の中の姫のように美しく、儚く、そして忌まわしく――。
現実と虚無の境目を舞うように。
姫たちは笑い、踊り、歌い、――そして奪う。
これが六人。
これで六人。
セルデルが遺した六人の姫たち。
六禁姫である。
彼女たちの中心人物こそが『智慧』の大徳を司るディハザ。
セルデルの歪んだ趣味と思想を体現する彼女は、小さく手を打ち、その幼き美貌を残忍な笑みで塗り潰す。
「それではノエル……始めましょう。このイケニエは、あなたのために用意したのよぉ……うふふぅ……」
ディハザの妖しい手が、ノエルの髪を撫でる。
「再生術。それが最後の鍵だわぁ……。うふふぅ、ようやくこの日がきたのねぇ……」
皆も待ちきれないとばかりに、ノエルに微笑みを浴びせている。
だがそんな中、ノエルだけがただひとり、能面のような無表情であった。
「ノエル?」
その様子に気づいたカロラエルが声をかけると、ノエルは深く息を吸って。
「その前に」
手を挙げた。
「――わたしに考えがあるの。みんな、聞いてくれる?」
ディハザだけがただひとり、笑顔の奥で一瞬顔を歪めていたのを、ノエルは見てしまった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
勇者イサギの魔王譚
『Episode12-13 魔人竜』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
六人が屋敷に侵入しようとしていたそのとき――。
一同は、奇妙な魔力の波動を感じ取った。
それはやがて地鳴りに変わり、足下から震動を伝えてくる。
「……なんだ?」
とても巨大な圧力だ。
何者かが生み出されようとしているのか。
イサギが抱いたこの感覚は、ハノーファへのそれに近い。だが、それよりももっと純粋で、そして強大だ。
六禁姫が所持している、最後の切り札か。
イサギはアマーリエとシルベニアに目配せをした。ふたりとも小さくうなずく。
何者かが出てきたら、同時攻撃を仕掛けるのだ。どんな敵が出てきたところで、おそらくはそれでおしまいだ。
イサギとアマーリエの剣技に、シルベニアの魔法と、慶喜とリミノの魔術。この五人は恐らく、今までに組んだどのメンバーよりも最強に近い。
かつての勇者パーティーを彷彿とさせるようなバランスである。
この五人が迎え撃つのだから、相手はひとたまりもないだろう。
もはやこの世界に、彼らを凌ぐ実力者など、いやしない。
「わざわざ待っている必要なんてないの」
そこで歩み出たのは、シルベニアだった。彼女は五指に炎を灯す。
愁が捕らわれて、プレハが奪われたからこそ、今まで大人しくしていたシルベニアだ。
「全部ぶち壊せばいいの」
「だ、だめでしょ、シルベニアちゃん、待って待って」
ずっと鬱憤がたまっていたのかもしれない。屋敷ごと吹き飛ばしかねない彼女を、リミノが慌てて制止する。
その直後だった。
――屋敷の上部が木っ端微塵に吹き飛んだのだ。
思わずイサギはシルベニアを見たが、彼女は銀色の髪を振りながら怪訝そうな顔をしていた。シルベニアがやったわけではないようだ。
天から降り注ぐ残骸は、リミノが法術で防いでいた。
イサギたちは口元を押さえながら、屋敷を――かつて屋敷と呼ばれていた半壊した建物を見上げる。
轟天を背に現れたのは、さすがに予想外の相手だ。
建物を内部から破裂させた元凶であるそれは、分厚い鱗に覆われた黒竜であった――。
体のあちこちにまるで血潮のような赤いラインが走った竜は、こちらを見下ろして一鳴きした。遙か遠くの村にまで響き渡るほどの叫びである。
「ひっ」とリミノが思わず耳を押さえた。さすがにドラゴン族の群れと遭遇したことのあるシルベニアや慶喜、アマーリエはそれほど動じていないようではあったが。
「なんなのこれ……」
アマーリエがうめく。これほどのサイズの竜は、イサギですらほとんど見たことがない。
もっと近づけば、これこそが天か地か星か、というほどの質量を有している。
スラオシャルドか、あるいは全盛期のバハムルギュス並だろう。
獣術の才覚はその本人が所持する魔力量にも大きな影響を受ける。
この黒竜は相当な使い手のようだ。そうでなければ、このような場面で切り札として登場したりはしないだろうが。
街はパニックが起きているだろうな、と思いつつもイサギは、誰よりも早くドラゴン族へと跳びかかる。
彼はどんな敵だろうが、ただ斬り裂くのみ。その意志を貫くだけだ。
この白銀の剣があれば、貫けないものなどはない――。
「――ハッ」
獣化ドラゴン族は空の王者だ。縦横無尽に空を飛び回る彼らは非常に恐ろしい存在だが、逆に言えば、地上に這いつくばるドラゴン族はただ図体がデカいだけの的である。
あのドラゴン族が飛翔する前に決着をつけてしまえばいい――。
イサギに遅れてアマーリエも飛び、そしてシルベニアがトドメを刺すべく両手に魔力を集めていた。
一同は卓越した戦士だが、それ以上に勇壮であった。
この波重攻撃を受けきれる者など、もはやアルバリススにはいまい――。
確信を抱きながら攻め込んだイサギのクラウソラスが閃くその瞬間――。
――黒竜は凄まじい反応を見せた。
飛びかかってきたイサギを、竜は右手の爪で叩き落としたのだ。それはイサギの斬り払いが間に合わないほどの速度であった。
煌気をまとわず、コンディションも不十分だったとはいえ、初見で見切られてしまうようなつもりはなかった。
世界が歪むほどの衝撃を浴び、イサギは吹き飛ばされながらも驚愕していた。
「なんだと……」
一瞬イサギは、自分が恐ろしく弱体してしまったのではないかと、そんな想像に捕らわれてしまった。ばかな、そんなはずはない。
受け身を取ったイサギが仰ぎ見れば、同じようにアマーリエもまた、黒竜の腕に弾き飛ばされている光景が目に映った。
屋敷よりも巨大な竜の破壊的な一撃だ。着地地点は雪に覆われていたため、どちらも致命的な怪我はない、が。
なんという相手だ。アルバリスス最強の剣士たちの連携攻撃を、歯牙にもかけないとは。
雪の中に突如として現れた黒竜。あまりにも唐突すぎる。意識から漏れ出た実在しない悪夢のようである。
黒竜がその巨大な尻尾を振り回す。まるで雪崩かというほどの雪が五人を襲い、視界が奪われた。その一手は、竜が魔力を充填するための一手であった。
ならば今度は獣化ドラゴン族の番だ――。
剣士たちを接近戦で圧倒した黒竜はそのあぎとを開き、口内から火炎の吐息を吹き出そうと試みた。
ドラゴン族のみが扱える特殊魔法――ファイアブレスである。
視界が真っ赤に染め上げられるほどの炎がうねりを上げ、五人を襲う――。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん!」
「――えっ、あ、ぼ、ぼくもっ」
パーティーを襲ったその火炎の吐息を、リミノが法術を唱え、防いでみせる。だがその勢いが強い。あと少しで破られてしまうというところで、遅れて慶喜の法術が完成した。強固になった壁を見るやいなや、黒竜はブレスを吐くのを中断する。
恐らくまだまだ本気ではないのだろう。ブレスを吐き出した黒竜にはまだまだ余力が見える。
リミノと慶喜は炎の残滓を払うので精一杯だ。イサギとアマーリエは巨竜の爪をかいくぐってその腹に剣を突き立てるため、間合いを取りながら考えを巡らせていた。
――よって、ドラゴン族の注意を引きつけることができたのだ。
「――うざいの」
そこでシルベニアの術が完成した――。
彼女が形作っていたのは、自己増殖詠出術。
かつてバハムルギュスを慶喜が倒したものと同一の魔術。彼女が操る、単体への最強威力を誇るものだ。
「邪魔なの、蜥蜴が。灰になれ。――術式・緋槍爆天」
剣士が作った隙に、術師が渾身の一撃を打ち込む。
それぞれが黒竜の強さに舌を巻きながらも、行なったのはまさしく完璧なコンビネーションである。
長い戦いを生き延びてきた戦士が万全を尽くした結果だ。
空間を引き裂いて飛ぶ紅蓮の槍は、黒竜へと迫る。あの巨体では避け切ることは到底不可能だろう。これは竜を仕留める狩人の一撃だ。
――その術式を黒竜は、真っ向から――法術を使い――受け止めてみせた。
『――!?』
五人は震撼した。
本来は術式が不得手なはずのドラゴン族が、そこらの二流三流の術師相手にならともかく――あろうことかシルベニアの魔術を受け止めたのだ。
障壁に命中した緋槍は、黒竜とイサギたちの間で派手な爆発を引き起こす。辺りの雪が一瞬で蒸発し、膨らみ上がった水蒸気が視界を遮った。
シルベニアは納得がいかないという表情で、指先に再び魔力を集める。
「……なんなの」
なにからなにまで――異常だ。
そんな黒竜はイサギパーティーを見下ろしながら、もう一度雄叫びをあげた。
シルベニアの魔術が引き起こしが霧は一瞬にして晴れ、まさしく大陸の覇者たるその姿が堂々とあらわになる。
竜の叫びに大気が震える。意志力の弱い人間ならば、それだけで気絶してしまいそうな迫力であった。
イサギはクラウソラスを握り締めながら、歯噛みする。
「……一体なんだってんだ……!」
焦る慶喜がミストルティンを開放させようとするのを、イサギが「よせ」と制止する。そんな隙を黒竜が見逃してくれるとは思えない。
慶喜はその言葉が届いているのかどうかわからないが、すぐに極術の発動を停止させた。あるいは今の彼では必要魔力量に届かなかったのかもしれない。
――六禁姫の切り札。
そのドラゴン族が見下ろしてくる視線は、何やら背筋がゾクッとするようなものだった。
憎悪か、憤怒か、あるいはもっと他の何かか。ともあれ、直接感情を脳に叩き込まれるような強い害心である。
イサギは眉をしかめた。
もしかしたら、あのドラゴン族は自分のことを知っているのではないだろうか。
あれほどの使い手と一度戦ったことがあるのなら、覚えているはずだ。
全盛期の力を取り戻したバハムルギュスか? いや、だとしても彼が高位法術を使えたことなど、聞いたことない。
一体何者だ。
あのドラゴン族は、なぜ自分を『あんな目』で睨んでくるのか。
この自分の宿敵? それがたまたま六禁姫と手を組んだ? それならばありえる話だ。
あるいはハノーファのように洗脳を受けているのか。
いや、しかしそれでも、あんなに強いドラゴン族は記憶の中になど――。
――ない、はずだが――。
嫌な予感が、した。
イサギの外套の下を、汗が伝い落ちる。
そんなばかなことはないだろう。
イサギの脳裏に、様々なキーワードが駆け巡る。
六禁姫、捕まった愁、『同化術』――。
ハノーファの死に様、異形と化して滅びた彼、そしてこのドラゴン族――。
「まさ、か」
乾いた声が、漏れた。
イサギは目を剥き、獣化ドラゴン族を見上げる。
拳を握り締めるイサギの前、そのドラゴン族はゆっくりと変身を解いてゆく。
縮んでゆく彼の身体。
四肢は人間のサイズに戻ってゆき、その姿は外套によって包み込まれた。
逆立ったたてがみは髪に、爪は鋭い指に、そして目だけが爛々と輝く血のような赤。
皆が、絶句した。
彼を見たことがない者は、この場にはいなかった。
彼は皆のよく知る人物だった。
「うそだろ……」
――それは。
「あァ……良い、気分だ」
獣のような真っ赤な目をして、不自然に鱗の生えた左腕を掲げ、こちらを睨みつけてくる人物は。
――そうだ。
「廉造……」
足利廉造。
彼はついに、最後の禁忌に手を出した。
「……おまえ、同化術を……使ったのか……? そして獣術を、我が物に……? なんで、なんでそんなことを……どうしてだ。おまえに、そんなことをする理由なんて……」
「理由ならあるさ、イサ」
びたりと廉造から生えている尾が地面を叩く。
彼の顔が、その頬が、竜の鱗によって覆われていった。
それでも廉造は微塵も動じることがなく、イサギだけを見据え――。
かつて魔王として召喚されたその男は牙を剥き。
――告げる。
「誰がこの世界で一番強いか……さァ、決めようぜ、イサァ……」
魔人竜廉造。
それが彼の行き着いた答えであった――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「始まったわねぇ」
ディハザは嬉しそうな顔で天井を見上げた。
上からの震動によって、ぱらぱらと埃が落ちてくる。
「わたくしの創り出した最高傑作……。うふふ、ある日突然やってきて『力が欲しい』だなんて言われたときは、さすがに驚いちゃったけれどねぇ。封術師を好き勝手に弄んでも良いだなんて、楽しかったわぁ」
「でも結局、頭にメスは入れなかったんでしょう? ディハザ」
リャーナエルの問いに、ディハザはうなずく。
「ええ、でも狂人にはなにをしても狂人のままだわ。あの狂人が求めるものは、力だけ。それなら簡単なことだわ。――それで」
ディハザは切れ長の目を横にスライドさせた。
「ノエル、さっきはなにかを言いかけていたようだけれどぉ?」
「……ええ」
ディハザの絡みつくような声色に、ノエルはしかし、真っ向からうなずく。
「ディハザ……いいえ、リャーナエル、ミシフォン、アラデル、カロラエル。みんな聞いて頂戴」
ノエルは順番に視線を向けてゆく。
最後に見つめたカロラエルは笑みを浮かべてノエルの腕に抱きつきながら、小首を傾げていた。
そんな彼女の髪を撫で、ノエルは告げる。
「わたしたちにはもう、導きは必要ではないわ。わたしたちはわたしたちのまま、手を取り合いながら生きていけるはずよ」
「……一体なにを言っているのぉ? ノエル」
ディハザは笑顔のまま、よくわからないという顔をした。
「これから破滅が始まるのよ。それなのに、今になって怖じ気づいたのかしら? 命を失うのは怖いものねえ」
「そうではないわ、ディハザ。もうわたしにはなにも怖いものはないの。あなただってそうよ。わたしは幸せだったんだわ」
「……ノエル?」
カロラエルの頭を撫でるノエルは、薄い微笑をしていた。
「ディハザ、だからあなたにもわかってほしいの」
「……再生術を使わないつもりぃ?」
「だってそうでしょう、今さら極大魔晶を使ってお父様を生き返らせたところで、仕方ないわ」
その言葉に、ハッとして、ミシフォンが顔色を変える。
「ノエル……お父様を、生き返らせてはくれないの……?」
「……ごめんなさい、ミシフォン。だけれど、あの人がひとりいたところで、世界に破滅などは訪れないわ。ただわたしたちが破滅するだけよ」
「そんな、だって、ディハザが!」
ミシフォンが、『忠義』を誓う彼女が、ディハザにすがりつく。
「だって、お父様は、かつて魔王を倒した勇者のひとり……。お父様さえいれば、わたしたちの世界を創ってくださるって、ディハザが……」
「……」
ディハザは押し黙っていた。
だが彼女はすぐに、笑顔を浮かべる。
「ねえ、リャーナエル。お父様に会いたいわよねぇ? アラデルも、カロラエルもそうでしょう? ノエルはどうしてこんな意地悪を言うのかしらぁ」
にこにこと。
皆はそれぞれにうなずいていた。カロラエルだけが、ノエルの顔色を窺いながら、心配そうな顔をしている。
ノエルが口を開く。
「ディハザ。誤解しないで。わたしたちはみんな、あなたのことが大好きよ。ただ、今まですべてをあなただけに背負わせしまって、本当にごめんなさい。ねえ、これからはわたしたちみんなで考えましょう? みんなで、生きていきましょう」
そっとディハザの手を握ろうと、手を伸ばすノエルだが。
ノエルが壁を感じながらも、ためらいがちにディハザの指先に触れると、彼女はその手をそっと握り返してきてくれた。
難しい顔をしていたディハザがふっと、眉の間から力を抜く。
「そう、そうなのね、ありがとう、ノエル」
「ディハザ」
それを見たノエルは、嬉しそうな笑みを浮かべた。
ディハザの手をさらに強く握る。
「わかったわ、ノエル。ありがとう、ノエル。あなたはいつだって優しかったわね」
「ええ、わかってくれて嬉しいわ、ディハザ」
ディハザがノエルを抱き締めてくる。
いつだってそばにいた、大事な大事な家族のひとり。
これまでもずっと、セルデルが死んでから、家族を支えてきてくれて。
いつだって理知的で、皆のことを思ってくれた、とても優しいディハザ。
そんなディハザは、ノエルの耳元に。
そっと誰にも聞こえないように――囁きかけて。
「――だから、死ね。このビッチ野郎が――」
「え……?」
ディハザが右手に握り締めていた短剣が、ノエルの脊髄を抉った。