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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:12 終末に希う、ただひとつの
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12-12 腐敗魂

 ここはディハザの――新たな――私室である。


 彼女の前には、ひとりの男が座っていた。

 突然押しかけてきたその男は、椅子にふんぞりながら堂々たる態度でこちらを睨んでいる。


 並の人間ならば、彼の放つ修羅のような雰囲気に気圧されて、まともに会話することもできないだろう。

 何度も地獄を見て、それでも戦うことをやめなかった男だ。ディハザの値踏みでは、彼女がこれまでに会ったことのあるどの人物よりも、彼は狂気に近いように見えた。


「あたしたちの屋敷にひとりで乗り込んでくるなんて、あなたぐらいのものだわぁ」

「……」


 男は外套の中で腕組みをしながら、こちらを見据えていた。

 隙はない。彼がただそこにいるだけで、空気が痺れてゆくような感覚を、ディハザは味わっていた。


「いいえぇ、もうひとりいたわねぇ。理想論を語る、スカした皮肉屋がぁ」

「……」


 彼が動き出す気配はない。

 だが、その気配がした瞬間にはもうすべてが終わってしまうのかもしれない。

 そんな雰囲気を漂わせる男だ。


「それで、あなたはぁ? その皮肉屋を、助け出しに来たのかしらぁ?」


 全くもって無駄なことだ。

 今頃はディハザに命じられたノエルが、その男を始末しているはずなのだから――。

 なんという愚か者か。鉄火場に間に合わずに、ノコノコとこんなところにやってきて。


「……」


 男の眼光が、ディハザを貫く。

 身震いしてしまいそうになり、――ディハザは思わず笑った。


「遊んであげてもいいのよぉ、坊や――」

「――」


 男は机を蹴り上げる――。

 そのときすでにディハザは動いていた。


 男の右斜め前に入り込み、そこから伸びあがり気味に肘を打つ。

 ハノーファを一撃で叩き伏せたその体術は、見切られていた――。


 男は後ろに飛び退きながら、前方に法術のコードを描いている。

 守りの一手か。ディハザはわずかに失望を覚えながら、彼を追撃した。


 だが――それはフェイク。


 彼は自らそのコードを破り、前へと歩み出てきた。

 目測を誤ったディハザの飛び込み蹴りは十分な威力を発揮しない。男が打ち出した拳と空中で激突し、衝撃を放つ。


 吹き飛ばされたのは、ディハザのほうであった――。


「は、きゃははっ」


 ディハザは楽しそうに笑いながら、壁を蹴って着地した。

 拳を前に突き出した姿勢で止まっている男を前に、口元を歪める。


「いいわぁ、このわたしと会話するだけのレベルには達しているようねぇ。話をしてあげるわぁ」

「……」


 ディハザは両手を広げ、彼に微笑む。


「あなたの願いはなぁに? あのお仲間を解放してほしいのぉ? ねぇ、三華刃ヴィリ・ディン・ヴェー、最後のひとり――、レン?」


 そこで初めて彼は表情らしい表情を浮かべた。


「――ったく」


 それは、憮然――。


「――その名前、ダッセェっつったンだ、オレはな」


 足利廉造。彼は今、非常に大きな目的を持って、六禁姫の屋敷にいた――。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 勇者イサギの魔王譚

『Episode12-12 腐敗魂』



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 


 ――くしゅん、と隣に立つ少女が小さくクシャミした。

 勇者イサギは彼女に声をかける。


『……寒いか?』

『あ、ううん、へーきへーき。ちょっと鼻がむずむずしただけよ? はっ……くしゅ』


 再びクシャミをして、彼女プレハはバツが悪そうにこちらを見つめてくる。

 

『……まあ、しょうがないでしょ。あたし、ダイナスシティの近辺から遠くに行ったことなんてなかったんだから。雪なんて見るのも初めてだし』

『それなら最初からそう言えばいいじゃないか』

『イサギが平気そうな顔をしているのに、なんだか悔しいじゃない?』

『なんだよそれ』


 意地っ張りな彼女の横顔を眺めながら、イサギは小さくため息をつく。

 馬車が通れない雪道を、ふたりで歩いていた。

 

 次の都市、エディーラ神国に向かう最中であった。

 

 旅を始めて、まだ半年も経っていない頃だ。

 自分とプレハの間にはまだ、ぎくしゃくとした溝があったようにも思えた。


 だがふとした瞬間に。


『俺のいた世界では、雪なんて珍しいものではなかったからな。これぐらい大したことじゃ……っくしゅ!』

『……』

『いや、これは違う。こんなに積もっているのは、俺だって珍しいから。だから、それで』


 なぜだか言い訳を始めてしまうイサギに、胡乱な目を向けるプレハ。

 だがすぐに、彼女は小さく笑ってみせた。


『まあ、しょうがないよね。一面の銀世界だもの』

『そうだな』

『……いっそ炎でなぎ払うとか』

『やめよう』

『たぶん暖かくなるよ』

『雪崩でふたりとも生き埋めだぞ』

『勇者さまも、自然災害にだけは勝てなかったということよね』

『お前の仕業だけどな』


 下らないことを言い合いながら、足を進める。

 そんな風に、もしかしたら心が通いあっているのではなかと、思える瞬間もあったから。


『寒いよな』

『寒いね……』


 ふたりは身を寄せながら、歩いていったのだ。

 お互いだけは絶対に裏切らない、信頼と絆で結ばれたかけがえのないパートナーであった。



 ――そんな過去の記憶を、ふと思い出して。


 イサギは目の前の屋敷を見上げていた。

 今、隣に立つものは、あのときの彼女ではない。


「……ここに愁が捕まっているのか」

「だ、だめよ、イサギ」


 後ろから腕を捕まれる。

 仮面をつけた黒衣の女、ミス・ラストリゾートだ。


「あなた、そんな体で戦えるはずがないでしょう!」

「戦えるかどうかを決めるのは、俺だ」

「絶対安静よ!」

「グズグズしている暇はないんでな」


 イサギはそう言いながらも、焼けつくような胸を押さえていた。


 まっすぐに立っているだけで、地面が揺れているような気がする。

 ここまでコンディションが悪いのは久しぶりだ。体の魔力がすべて生命活動にそそぎ込まれているような気がする。ろくな闘気もまとえない。

 伸ばした手の感覚がない。周囲の寒さはもはや針のようだった。


 だが、それでも助けを求めている人がいるのなら、向かわなければならない。

 何度も何度も、イサギはそう自分に言い聞かせていた


 愁が捕まるほどの相手だ。油断はできないだろう。

 一刻を争うのだ。

 残してきたプレハのことも、本当に心配だから、イサギは己を省みてなどはいられなかった。


 目の前には、かつてセルデルが住んでいた屋敷がある。

 そしてここは、アマーリエがハノーファとともに、六禁姫を訪ねた屋敷でもある。


「愁の身柄を確保したら、お前はすぐに屋敷から脱出するんだ」

「……そんなの、できるわけないでしょ。相手は本当に強いんだから」

「心配いらない。俺ひとりで十分だ」


 眼帯をつけた男に、仮面の女は首を振る。


「もしあなたが本当に万全の調子なら、それでもいいけれど。でも、今のあなたにはあたしが、ミス・ラストリゾートが必要よ」

「……どうかな」


 イサギは顎を撫でた。

 本当になんでもない、他愛のない一撃でも、自分はあっさりと倒れてしまいそうな気もしたが。


 しかし、この状態はむしろ好都合だ。

 今の自分の為すべきことに、悩む余裕がない。だから、迷っている暇もないから。

 ただ全力を尽くすことしか、できない――。


「行くぞ」

「……無理だと思ったら、引き返してよ」

「そうだな」

「……まったく」


 その言葉を彼女は、まるで信用していないようだ。


 屋敷に向かってイサギは足を踏み出した。

 なにが出てきても斬り捨てて、愁を助ける。

 やることは、シンプルだ。

 イサギたちは屋敷へと、足を踏み入れる――。



 だが――。


 地下へと向かう階段を下りきったところで、さすがにふたりは異常に気づく。

 屋敷があまりにも静かすぎる。人の気配がまるでないのだ。


「変だわ……。以前入ったときはもっと、巨大な怪物の臓賦の中に飲み込まれたような、禍々しさがあったのに」

「……」


 ただふたりの足音が響く廊下を行く。


 アマーリエが奥まった扉を開いた。

 そこは以前、あの六禁姫とハノーファが争った広間だったのだが。


 ――もぬけの殻。


「そんな……!」

「……やられたな」


 イサギは奥歯を噛みしめる。

 正面の壁には、乱暴な筆致で一文が描かれていた。真っ赤なその文字色は、紛うことなく血液であろう。


 そこには、こうあった。


『 かくれんぼの 始まりよ 』



 イサギは舌打ちをする。


「度し難い……」


 人をおちょくるのが上手な相手のようだ。

 焦りを抑えられず、イサギは苛立ちを隠せなかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 禁姫たちはどこに移動したのか。

 冒険者ギルドや衛兵たちに尋ねても、誰もその姿を見ていなかった。


 アマーリエはずっと屋敷を監視し続けていたのだが、屋敷の地下通路が近くの森へと繋がっていたようだ。

 これでは足取りは掴めない。

 

 ふたりは早くも行き詰まっていた。


 

 捜査はアマーリエに任せ、イサギは近くの宿のベッドに横たわっていた。

 体力の回復に努めてた彼は仰向けになり、天井を見上げる。


 視界が回る。あれから数日。ずっと熱が下がらなかった。

 医者の見立てでは心労が重なったため、ということだったが、それにしてはずいぶんと長い。


 張りつめていたものが切れたのかもしれない。

 こうしていると、自分はなんて弱い男なのだろう、と思えてくる。


 実際、本当にその通りだ。

 ハノーファの言葉に精神を削られ、殺されてしまうところだった。

 親友の息子を前に、イサギにはなにもできなかった。


 アマーリエは覚悟を決めて実の兄を倒したというのに。

 カリブルヌスから彼女を助け出して二年近く。すっかり立場が逆転してしまった。


 かつての自分ならば、もう少し上手くやれていたはずだ。

 歯車が狂ったのは――恐らく、迷宮の奥で魔晶と化していたプレハを見つけ出したときからだ。

 

 二十年後の世界に呼び出されても、勇者としてずっと気を張っていたはずだったのに、なにもかもが壊れてしまった。

 あれ以来、イサギは勇者として生きることを放棄し、ただひとりの男に成り下がってしまったのだ。

 


 イサギは軽く目を閉じる――。

 ――それだけで眠ってしまったようだ。


 気がついたら窓からは夕焼けが差し込んでいた。

 そして、ドアの向こうに人の気配だ。


 ノックされる前に、イサギは声をかける。


「どうぞ」


 わずかに遅れてノブが回り、顔を出したのはアマーリエ……もとい、仮面をつけた女、ミス・ラストリゾートだった。


「気配を忍ばせていたのにわかるのね。さすがだわ。もう体調は良くなったの?」

「ベストにはほど遠いが、どうということはないさ」

 

 身を起こすと、彼女はわずかに困った顔をしていることに気づく。

 だが、せっぱ詰まった印象は受けない。イサギは尋ねた。


「……どうかしたか?」

「ええ、それが、少しおかしな集団を見つけて。この時期にエディーラにやってくるんだから、なにかと思って」

「おかしな集団?」


 彼女は腰に下げたカラドボルグを撫でながら、ためらいがちに口を開いた。


「もしかしたら見間違いかもしれないけれど……おかしな集団っていうのは、その、――魔族国連邦の魔王たちなのよ」


 イサギは飛び起きた。




「慶喜!」


 イサギの声に、彼は固まったように見えた。

 リーンカテルダムの広場にたむろっていたその三人組は、間違いなくダイナスシティに向かったはずの仲間たちであった。


「お兄ちゃん……」

「……」


 リミノ、それにシルベニアもいる。

 皆それぞれ、複雑な表情を浮かべていた。シルベニアですらだ。


 ただならぬ雰囲気を感じ取り、イサギは思わず眉をしかめた。


「……なにかあったのか?」


 魔王と魔族国連邦の魔法師、エルフ族の次期女王が集まっているのだ。

 なにもないはずがない。

 もしかしたら最悪の事態を想定し、イサギは青くなった。

 ロリシアやデュテュ、それにキャスチの姿が見えないのも気になる。


 雪の降る広場で、声を潜めて切り出したのは、リミノだった。


「……ここじゃなんだから、場所を変えようよ、お兄ちゃん」

「ああ、わかった」


 外でできるような話ではないのだろう。イサギは素直にうなずくと、自分たちの泊まっている宿へと彼らを連れてゆくことにした。


「……」


 慶喜は最後まで口を開かず、イサギと目を合わせることもなかった。


 そして――。

 宿について早々、イサギはそれを聞かされた。


「――」


 極大魔晶プレハが、まんまと何者かに奪われてしまったということを――。




 ――イサギは顔を片手で覆っていた。

 その間、状況を説明していたのはリミノだった。


 話を聞いたアマーリエは部屋の隅に腕組みをして寄りかかりながら、うなずく。


「間違いないわ。それは六禁姫ね」

「……六禁姫?」

「あたしたちのギルドマスターを誘拐した一味よ。……あたしの兄の、仇でもあるわ」


 彼女の真に迫った声に、リミノは思わず言葉を飲み込んでいた。

 この地でも悲劇が起きていたことを知ったのだ。


 次に言葉を紡いだのは、うなだれたイサギであった。


「……それで、プレハはどうなったんだ」


 ――少しの間、沈黙が下りた。

 答えたのは、シルベニア。


「極大魔晶を抱えた女が北に向かったの。わたしたちはそれを追いかけてきたの」

「……そうか」


 イサギは俯いたままだ。

 もしかしたらそんなこともあるかもしれないとは思っていたのだが、想像よりも遙かにショックが大きかった。


 仕方のないことだ。誰も予期していなかったのだから。相手は強かったのだろう。愁を下すほどだ。

 このメンバーが集まって撃退できなかったのなら、他の誰にも守れはしなかったはずだ。

 わかる、わかっているのだ。


「……皆が無事でよかった。デュテュの怪我が心配だが、キャスチとロリシアがついているのなら、問題はないだろう」


 ――しかし、それだけでは納得することはできなかった。


「ご、ごめんなさい、お兄ちゃん……。リミノたちの力が及ばなかったばかりで……」

「……」


 リミノに頭を下げられたところで、プレハが戻ってくるわけではない。

 相手が六禁姫というのなら、愁を助け出すことと、プレハを助け出すことが重なっただけの話だ。


 そう割り切れたら、楽だったのだが。


「ほんとに、すみません、先輩……。ぼくが力が及ばなかったばかりに……」


 ようやく口を開いた慶喜もまた、そう言いながら頭を下げる。

 それをイサギは、醒めた目で見下ろしていた。


 慶喜は精一杯やったのだろう。

 彼は強くなった。そのはずだ。力の限り戦ったのだ。

 ――だが、だが。


「……いいさ、プレハは俺が取り返す。なにを懸けても必ずな」

「そのときには、ぼくにもぜひ、お手伝いをさせていただきたいっす!」

「必要はない。俺がやる」


 慶喜はショックを受けたような顔をしたが、必死に食い下がる。


「こ、今度こそ、うまくやります! ぼくにどうか、名誉挽回のチャンスを! 先輩、ぼく強くなったんすから、ちゃんと、ちゃんと強くなったんすから!」

「……それはわかっている。だがな」

「相手がひとりだけだったら、ぼくは勝っていたはずなんすよ……! 今回は、たまたま……! だから、先輩……!」


 イサギはあくまでも顔に手を当てていた。

 これ以上、聞きたいことなどない。今はどうやってプレハを助け出すかを考えなければならない。


 それなのに、慶喜は喚く。

 イサギに見放されるのが怖いのだとばかりに。


「ぼくだって、先輩のお役に立てるんすよ……だから、先輩、連れて行ってくださいよ、足手まといなんかにはならないっすから……! ねえ、先輩、お願いしますよ、先輩……」

「……わかっている、慶喜……だが相手は手練だ。お前のことまで守り切れるかどうかはわからない」

「そ、そんなの……。だったら、ぼくが先輩のことを守ってみせますから! この杖で! 次こそはうまく、次こそは――」


 イサギには次などなかった。

 迷宮の地下深くで眠るプレハは、イサギがたった一度手放しただけで、魔晶となって息絶えていたのだ――。

 

 ――悪夢が、イサギの脳裏にフラッシュバックする。

 慶喜がこのまま戦場に出てしまえば、次などない――。

 極術の力に頼り切った彼には、無理だ。彼は来るべきではない。


 ――慶喜に、だからイサギは告げた。


「……うるせえな」


 その瞬間、空気が凍りついた音がしたような気がした。

 イサギはその赤い目で、唖然としている慶喜を見下ろす。


「プレハはお前のプライドを取り戻すための道具じゃない。たまたまだと? これでもう二度とプレハが戻ってこなかったらどうするつもりだ。次があるとでも思っているのか?」

「いや、それは、あの……で、でも!」


 冷や汗を流す慶喜は、それでも抗弁してくる。

 それだけはなく、イサギの肩を掴みかかってきた。


「廉造先輩と戦っていたときに助けたのはぼくじゃないですか! あれがなかったら、今頃先輩だって死んじゃっていたんですよ!」

「そうだな」

「なのに、一度の失敗でそこまで言うことないじゃないですか! ぼくだって精一杯やったのに……!」

「慶喜」


 イサギは慶喜を払いのけた。その仕草があまりにも冷たくて、慶喜は床に尻餅をついてしまった。

 酷薄に、イサギは告げる。


「俺はお前の失敗を責めない。だが、ふざけた口を利くのなら、容赦はしない。極術を使いすぎると死ぬぞ。言い訳なんざ、聞きたくねえ」

「言い訳じゃ……! ただ今回は、たまたまって! たまたま……」


 叫びながらも、慶喜はハッと気づいたように両手で口を塞いだ。

 イサギの目を見て、気づいたのかもしれない。

 自分がどんなに愚かなことを口走っているのか、それが彼にどんな思いを与えてしまっているのか。

 失態を犯した慶喜は――それを取り繕うがあまり、これが悪い夢であるように振る舞ってしまった。

 ――そしてそれがなによりも致命的であったことに今、気づいたのだ。


 イサギは首を振る。


「プレハは取り返す、必ずな。だが、お前は必要ではない」

「――っ」


 慶喜は拳を握り、すぐに走り出す。

 彼は乱暴にドアを開けて、部屋を出ていった。


 イサギはため息をつく。

 あとには、苦しい沈黙が残された。


 皆が心配そうに自分を見つめてくる。その視線がイサギには煩わしかった。

 

「お兄ちゃん……」


 リミノの声に、イサギは頭をかく。

 

「……俺がなにか、間違ったことを言っているか? プレハは俺が助け出す。それなら、ひとりのほうがやりやすい。極術は魂を削る力だ。慶喜が俺の戦いに無理して付き合うことはない。俺ひとりでやる」


 床に視線を落とすイサギに、やはりリミノが声をかけてくる。


「……でも、なんだか言い方が、お兄ちゃんらしくなかったっていうか。だったらヨシノブくんにそう言ってあげれば……。お姉ちゃんのことを心配なのは、もちろんわかっているけど……」

「俺らしくない? ……俺らしいってなんだよ」


 イサギは吐き捨てるようにつぶやいた。


「ずっと探してきたプレハをようやく見つけたと思ったら、そのプレハは生きていなくて。助かる見込みがあると思っていたら、今度は奪われた。それなのに俺は、まだ凛然としていなければならないのか」

「そんなつもりじゃ……」


 リミノの慌てた声にも、イサギは首を振った。


「……俺はもう、勇者らしくなんてできない。皆に心配をかけて、迷惑をかけていると思っているが、できないんだ。すまない。今はプレハのことで、頭がいっぱいだ」


 女性たちはそんなイサギを前に、皆、押し黙る。

 イサギはずっと、頭を抱えていた。



 しばらくして、シルベニアが口を開く。


「あいつは、ゴールドマンの魔法を使ってきたの。間違いないわ。どうやったのか、わたしは知りたいの」


 アマーリエは腕組みをした。


「……いったい、なにかしらね」


 魔法とは千差万別の固有能力だ。

 同一の魔法を操る別々の魔法師というのは、血の繋がりがあったとしても、まず考えられる話ではない。


 そこでイサギが静かに顔をあげた。

 体調が良くなったのか落ち着いたのか、彼の顔色は先ほどよりは少しマシになっていた。


「……六禁姫というのは、セルデルの関係者か?」

「え? ええ、そういえば話してなかったわね」


 一同を見回し、アマーリエは語る。


「天主教セルデルが奴隷として使役していたエルフの少女たちだと言われているわ。後のギルドの調査で、セルデルの様々な実験の被害者だったらしいことが判明したの」

「……そうか」


 イサギは暗い表情でうなずいた。


「……セルデルの屋敷を使っていたんだ。当然、考えておくべきことだったな」

「なにか知っているの?」


 シルベニアの問いに、イサギは忌まわしき記憶を掘り起こす。


「……『同化術』と、あいつは呼んでいた」


 それは以前この地でセルデルと戦った際のこと。

 数十の騎士たちの肉が結合され、一匹の巨大な化け物と化していたことがあった。


「回復禁術の応用技だ。セルデルの技術を禁姫たちが受け継いでいるのなら、おそらくはそれだろう。禁姫はゴールドマンの魂と肉体を吸収したんだ」

「……」


 シルベニアは黙した。

 おそらく気づいたのだろう。


 だとしたら、彼女のたったひとりの肉親――ゴールドマンはもはやこの世にはいまい。

 シルベニアはその小さな手をぎゅっと握りしめた。


「わかったの。ありがとう」

「……ああ」


 しかし、同化術までも使うとなれば、一体なにをしてくるかわからない。

 魔法師の体を吸収して魔法を使えるようになるのなら――。


 イサギは口元を引き締めた。

 一筋縄ではいかない相手だろう。


 それでも漆黒の決意が鈍ることは、微塵もなかった。


「……六禁姫。見つけ出して、必ず殺してやる。必ずな」


 イサギの右目には、黒い炎がともっていた。




 街のどこで襲われるかわからないため、捜索は数人一組で行なわれた。

 

 アマーリエとシルベニア。

 慶喜とリミノ。

 そして、イサギだけが単独で動いた。


 イサギと慶喜はあれ以来、言葉を交わしていない。

 慶喜はずっとなにかを言いたそうにしていたが、刃のように気配を尖らせたイサギにかける言葉はなかったようだ。

 イサギはそれで構わないと思っていた。もはや彼は自分とプレハ以外のすべてを煩わしく思っていたのかもしれない。


『――そんな顔をするぐらいなら、人助けなんて止めなさい』


 今になって、アマーリエが自分にかけた言葉の意味がわかってきたような気がした。

 人のために戦うという決意すら守れずに、イサギの仮面はもうなにひとつ残ってはなかった――。



 魔族国連邦の皆がエディーラ神国に到着してから、四日目の朝。

 ついに彼らは禁姫の新たなる根城を見つけ出した。


 そこは何の変哲もない、町外れの屋敷であった。

 五人は改めて準備を整えて、集結する。


「……イサギくん、具合は大丈夫?」

「問題ない」


 アマーリエが覗き込んでくるが、イサギはいつものように無表情であった。


 イサギの顔色はまだ熱っぽいままだが、それでもシルベニアの治癒術の効果もあって、回復の兆しは見せていた。

 これならやれないこともないのだろうと判断したのか、アマーリエは心配そうな表情を浮かべたまま、小さくうなずいた。


 クラウソラスを提げた黒衣の男は眼帯を撫で、意志を口に出す。


「愁とプレハを助け出す。そのために――」


 この先に、極大魔晶プレハがいるのなら。


「――破潰はかいする」


 イサギたちはついに、決戦に赴くのだ。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 同時刻――。

 リーンカーネイションの光の前には、ふたりのエルフ族がいた。

 ひとりはエウレ。そしてもうひとりは魔法陣に祈りを捧げる術師、リリアノだ。

 

 歴史上、誰ひとりとしてその力を目の当たりにしたことがない魔法陣。それがリーンカーネイションだ。

 この魔法陣が完全に起動してしまえば、もはやなにが起きるかはわからない。


(……リミノ姫さまになにも言わずに、出てきてしまいましたねえ……)


 かつての近衛騎士としてのハーフプレートアーマーに身を包んだエウレは、静かに目を閉じた。


(実の姉様が生きていたと知れば、きっと喜んでくださったでしょうに……)


 胸に手を当てる。

 それでもエウレは思ったのだ。――こんなリリアノの姿を見せるわけにはいけない、と。


 先ほどからリリアノは、かすれた声で魔法陣に祈りを訴え続けていた。

 その一言一句が、エウレの耳には届く。


 まるで呪詛のように。

 いや、それはまさしく呪詛であるのだろう。


 なにかに取りつかれたように、骨と皮だけのリリアノはひたすらに繰り返す。

 無為な行ないだ。ただ怨念をまき散らすだけの愚行。

 

 だが、その言葉によってリーンカーネイションは起動したのだ。

 うなりをあげるその魔法陣は、今にも光が溢れ出そうであった。

 

「……姫様、なにか召し上がりますか?」

「――――」


 リリアノから返事はない。

 エウレを認識をしたのだって、最初に一度会ったときだけだった。

 それ以後はただ、魔法陣に魅入られたかのように、呪文を唱え続けているのみ。


 無理に魔法陣から引きはがそうとしたら、彼女は凄まじく暴れて、とても手が付けられなかった。

 闇の一念で生き長らえているリリアノを動かすことは、彼女を殺してしまう可能性がある。エウレにはとても決断できなかった。


 だから、エウレはこうして見守ることしかできない。

 主君リリアノがなにを遂げるのか。


 そしてあの魔法陣が完全に蘇った時。

 この世界はどうなってしまうのか――。


(それがリリアノ様を助けることができなかった、わたしへの罰なんでしょうかね)


 リーンカーネイションはリリアノの呪詛と――そして、周囲からなんらかの力を吸い取りながら、結末へと向かっている。

 

 ――うっすらとした赤い光が形作るのは、巨大な腕だ。

 それは魔法陣から今にも這い出ようとして、蠢いている。

 一体この魔方陣から現れようとするのは、なんなのか。

 恐らく、人の手には負えない、とてつもない怪物に違いない――。

 

 だとしても、エウレに止めることなど、できやしない。

 エウレは地下で天を仰ぎ、そしてうめいた。


「ああ、迷宮では時間の流れも感じられません。どこまでもついていくと決めたのはわたしですけど。――気が狂ってしまいそうですよ、もう」


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