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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:12 終末に希う、ただひとつの
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12-11 ピース

 リャーナエルとミシフォンが、極大魔晶の奪取に成功した。

 その報告は、他でもなく――冒険者ギルドからもたらされた。


 全世界にネットワークを持つ六禁姫の情報源は、そのすべてが冒険者ギルドによるものであった。

 上層部の一部の掌握するのは難しいことではなかった。そのパイプを作っていたのは、彼らの主であるセルデルであったのだから。



 いつものように屋敷の地下にて、薄暗いランプの明かりに照らされながら、カロラエルは大好きなノエルの手を取っていた。


「すごいわ、すごいわ、さすがディハザよ。ディハザはやっぱりすごいわ。これでもう少しで、わたしたちの願いが叶うんだわ」

「……そうね」


 興奮した面もちで顔を赤らめる『希望』のカロラエルに、『神愛』のノエルは六禁姫たちを象徴するような赤い目を向けていた。

 カロラエルは両頬に手を当て、体を揺らす。


「どうしようかしら、どうしようかしら、ノエル。終わりが始まるのよ。すべての色が混ざりあって真っ黒になって、光は闇に飲み込まれてゆくのよ。きらきらしたものが砕け散り、なにもかもが台無しになってゆくその様子は、とても綺麗に違いないわ、ノエル」

「そうね、カロラエル」


 誕生日を待ちきれない子供のようにはしゃぐ少女に、ノエルは薄く微笑んだ。


「極大魔晶さえあれば、もうディハザやノエルが苦労することはないんだわ。なにも考えなくても良くなるのよ。世界は単純になるんだわ。それこそがわたしたちの願いだもの。ねえ、ノエル。たくさんのお菓子を用意しなくっちゃ。うふふ、わたし今とっても楽しいのよ、ノエル」

「ええ、そうね、カロラエル。幸せそうなあなたを見ていると、わたしも幸せよ」


 そんなカロラエルに、しかしノエルは小首を傾げて。


「でもカロラエル、あなたさっきディハザに呼ばれて、なにか大事なことを告げられていたんじゃなかったのかしら」

「ええ、そうよ。三つあるわ。まずひとつは『極大魔晶が手に入った』ということよ」


 三本の指を立てながら、カロラエルはニコニコと笑う。


「ふたつ目も、三つ目も大したことじゃないわ。とるに足らないこと。でも、言うわね、ノエル。あなたへの伝言もあるんだもの」

「わたしに?」

「ええ、わたしの口から告げるわ。ディハザは『奇妙な来客があるから、わたしはしばらく表に出られないわぁ』って言っていたから」


 ディハザの口調を真似ながら目をつむるカロラエルは、すぐに「ふふっ」と吹き出した。

 ノエルはカロラエルの髪を撫でる。


「来客? わざわざディハザが相手をしているの? 珍しいわ。なにかしら……?」

「わからないわ。でも、ディハザはとっても楽しそうだったのよ」

「……ふぅん」


 眉をひそめるノエルの心根には気づかず、カロラエルは口を開く。


「二番目はね、とるに足らないことだけど、『ハノーファが負けた』の」

「あら、そうなのね」

「ええ、ええ、でもしょうがないわ。まだまだ改良の余地があるもの。だめね、いくら冒険者ギルドの使い手と言っても、所詮はあんなものだわ。でも大丈夫よ、ノエル。わたしはめげないわ。わたしの名は『希望』だもの。少しの失敗にはくじけないの」


 カロラエルは子猫のように笑い、そして三本目の指を立てる。

 

「最後のひとつよ、ノエル。これはあなたへ向けられた伝言」

「なにかしら、カロラエル」


 ひとつの邪気もない顔で、カロラエルは告げた。


「極大魔晶が手に入った以上、あのギルドマスターはもういらないから、ノエルがきちんと始末するように、って。――ディハザが言っていたわ」

「――」


 カロラエルの目には、ノエルの表情はまるで変わらなく見えたけれど。

 そのとき、ノエルの胸には、今まで味わったことのないような感情の嵐が巻き起こっていた。


 ノエルは、小さく、うなずく。


「……そう、わかったわ」



 ディハザに隙を見せてしまったからだ。


 これはディハザが自分に与えた、疑心を払拭するための儀式なのだと、明晰な彼女はすぐに理解したのであった――。






 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 勇者イサギの魔王譚

『Episode12-11 ピース』



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






「やあ、久しぶり」


 ノエルが牢のような部屋に足を踏み入れると、彼は普段と変わらない笑みを浮かべながらそんなことを口にした。

 その気安い態度に不機嫌さを隠そうともせず、ノエルは問う。


「時間の感覚もないはずのこの部屋で、わたしがどれくらいぶりかわかるのかしら?」

「さあ、どうだろう。なにぶんひとりは退屈だからね。誰が来てくれても久しぶりだと思ってしまうよ」


 ヒヤマシュウ。彼ほどの男なら窓のないこの地下室ですら、正確に時を刻むことができるのではないだろうか、と疑ってしまいそうになる。

 そんなはずはない。どこまでも超常じみて見える男だが、同じ人族であることに代わりはない。

 

 ノエルは愁の正面に腰掛けて、彼の顔をじっと見据えた。

 端正な、まさしく物語の中の英雄のように凛々しいその顔立ち。緋山愁。

 

 そのまましばらく、時が過ぎる。


 ぽつりとつぶやいたのは、愁であった。


「僕を殺すように言われたかい」

「……」


 なぜそのことを知っているのか、などと尋ねるような愚は犯さなかったが。

 それでも彼にとっては、ノエルが口をつぐむというただそれだけの行為ですら、答えを言っているようなものであった。


 諦め、ノエルはため息とともに問う。


「どうしてそう思うのかしら。この部屋は完全に隔絶されていて、外の声は聞こえないはずだけれど」


 愁は少しだけ笑うと、妹の頼みを聞く兄のような顔で言う。


「僕を餌に極大魔晶を求めていたのは聞いていたからね。おおかた、アマーリエかハノーファ辺りを呼び出し、ベリアルド実験場の極大魔晶を用意させるように言ったんだろう。そしてそれが叶ったから、次は用済みの僕を処分しに来た。そんなところじゃないかな」

「あなたはなんでも知っているのね」

「そんなことはないよ。今回は材料が揃っていたからね。そう難しくはなかった。キミも思い詰めた顔をしていたから」

「……そうかしら」


 俯きながら、頬に手を当てるノエル。

 彼が言うのなら、それも真実のような気がしてしまうのは、なぜだろうか。


「しかし、正直なところ、今殺されるのはちょっと困るな。まだ僕にはやるべきことがあるんだ」


 愁の声は真剣味を帯びている。

 ノエルは視線を落としたまま、つぶやいた。


「……ディハザはね、すごいのよ」

「ん」


 そのまま彼女は、静かにゆっくりと、語り出す。


「わたしたちが道標を失い、途方に暮れていたとき。世界が壊れて、すべてが終わりで、ただ死を待つだけの時間が続くと思っていたとき。ディハザだけが、わたしたちに目的をくれたの。彼女はわたしたちひとりひとりと話し合って、みんなを励ましてくれたわ。本来なら、それも『神愛』のわたしや『希望』のカロラエルがするべきことだったのに。ディハザはとても頭がいいの。楽しい遊びもたくさん知っているわ。わたしたちは皆、ディハザに救われたのよ」

 

 愁はなにも言わず、ただその声を聞いていた。

 ノエルもまた、懺悔するように言葉を紡ぐ。


「ディハザの思想は少し怖かったけれど、皆はすぐに受け入れたわ。『朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ』。その言葉を掲げ、わたしたちはすべてを台無しにしてしまうことにしたの。皆に生きる目的を与えてくれたディハザに、感謝したわ。わたしにはできなかったの。わたしは皆が楽しそうならそれでいいって思っていたわ。それが一番、わたしにとっては大切だったから。……だから、ディハザはすごいの」


 ノエル自身、どうして自分がこんなことを話しているか、わからなかった。

 ただ、傷だらけで手足も縛り付けられた愁を前にすると、想いが溢れてきてしまうのだ。


「ディハザもきっと、わたしの気持ちを見抜いていたの。だからわたしは、皆がやりたくないことでも率先してやったわ。なにが正しいか、間違っているかなんて、どうでもよかったから。皆が楽しければそれで良かったの。本当よ。もうすぐ願いは叶う。今、六人の関係にわたしがヒビを入れることはできないわ。だから、だから……ごめんなさい」


 ノエルは顔を手で覆った。

 自分はひとつだけ嘘をついているのだと、ノエルは気づいていた。


 なにが正しくて、なにが間違っているか。彼女はとうに知っていたはずだったのだ。

 自分たちは間違っている。当然だ。自分たちが間違っていないはずがない。

 女神教に死をばらまく教義などはない。それは誤った解釈だ。誰にも迷惑をかけずにひっそりと生きられるのなら、そうするべきだった。べきだったのに。


 それでも、彼女には家族だけが大事だった。

 仲間たちの幸せがあれば、他のすべてなどどうでもよかった。

 何十何百の屍を踏み越えても。ノエルはそれが愛だと思い込んでいた。

 自分たちは歪んでいる。どうしようもなく、この世界からズレている。


 どうしてだろう、ずっとそんなことは考えないようにしていたのに。

 忘れるべきだと思っていたのに。


 すべては目の前に座る男のせいだ。

 彼のせいで、ノエルは思い出してしまったのだ。


 緋山愁は法と秩序の守護者であるように、まっすぐに生きている。

 彼がこの世界に召喚され、そしてあがきながらも進んできたその道は、眩しくて――とても、羨ましかった。


 まっさらになってやり直せるのなら、自分たち六人もそうでありたかった!

 そう思えるほどに――。


「あなたの話なんて、聞かなければ良かったわ」

「狭い世界で生きていたら、知らずに済んだことというのは、往々にしてあることだけれどね」


 愁は涼しげな顔で言う。


「でもそれによって不幸になったのだと考えるのは、思いこみだよ。キミは仲間たちを正しい道に引き戻すチャンスを得たのだと、思うべきではないのかな」

「もう無理だわ。極大魔晶がここに届けられたら、終わりが始まるもの。わたしにはどうすることもできない」

「一体キミたちは、なにをしようとしているんだい?」


 するりと愁の言葉が耳に滑り込む。


「……」 


 ノエルは両手を広げた。

 家族以外に見せるつもりなどなかったはずなのに。


 その指先に緑色の光がともる。

 ――回復術の輝きだ。


 とても澄み切ったその色は、彼女がリヴァイブストーンなどとは次元の違う術者であることを表している。


「みんなとは違って、わたしの力はこれだけ。でも回復術に関して、わたしはこの大陸一の力を持っているわ」

「……それは、使えばキミの魂を削る、とても危険な力だよ」

「わたしの魂で皆が幸せになれるなら、少しも怖くはないわ」


 さらに明度を増してゆく緑色の光。

 ノエルはわずかに口元を微笑ませた。


「わたしは極大魔晶と、そしてこの命と引き替えに、究極の禁術を発動させるの」


 すなわちそれは――。


「――再生術リザレクション


 死者を蘇生する回復術の秘奥――。



 愁の言葉に、ノエルは否定も肯定もせず。

 ただ、その手の中から光を消滅させた。


「……だから、ごめんなさい、シュウ。あなたのことは、嫌いではなかったわ。でも、それだけではだめなの。わたしたちはディハザには逆らえないから」

「ノエル」

「だめよ」


 愁の呼び声に、ノエルは首を振った。


「言わないで、シュウ。あなたの言葉には、魔力があるわ。わたしはもしかしたら、それを受け入れてしまうかもしれない。それじゃあだめなの。わたしにとって大切なのは、あの子たちよ。わたしは揺らぎたくないの」

「聞きたくないなら、すぐにでも殺せばいいさ。それができないのなら、キミは心の声に従うべきだよ」


 ノエルは動けず、耳を塞ぐこともできず、その場でじっと俯くだけであった。

 叱られるのを待つ子供のような彼女に、愁は告げる。


「キミは愛などはないと言っていたね。でも、それは間違いだったんだ。ノエル、キミは優しい子だよ。そんなにも仲間のことを思っているじゃないか。あとはその気持ちを形にするだけだ。難しいことじゃないよ」


 ノエルは首を振った。


「そんなこと、わたしには!」


 慈愛の瞳が、ノエルをじっと見つめている。


「ディハザがやったようにやればいいじゃないか。彼女は皆に希望を与えたのだろう。それならばキミがまた始めればいい」


 ノエルは頭を押さえて、何度も首を振った。

 彼が語るのは理想論だ。聞く耳を持ってはいけないのだ。


「みんなでお花を摘んで過ごそうよ、と言うの!? 湖に小舟を浮かべてピクニックをして、そんな日々をあの子たちが望むはずがないわ!」

「できないはずがない。キミが彼女たちを大事に思っているように、彼女たちもキミを大切に思っているのなら、他にはなにもいらないはずさ」

「そんなの無理に決まっている!」

「できるよ」


 愁は断じた。

 まるで人の罪を赦す女神のように――。


「キミにならできる。僕が保証するよ」

「あなたになにがわかるの!」

「キミはルナと同じだ。ルナもずっとそう言っていた」

「わたしは違うわ……」


 小さく首を振るノエル。

 しかし愁は彼女の背を押す。


「ディハザにできて、キミにできないはずがない」

「わたしには彼女のような『智恵』はないから……」

「だったら」


 ――その言葉を待っていた。

 そんな声が聞こえてきたような気がしたのだ。


 愁はにこりと笑って、胸を張る。


「――僕がキミに力を貸そうじゃないか」


 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 たったひとりで追いかけると言い張るシルベニアをなんとか押し留めていると、すぐに皆が追いついてきた。

 なぜあの赤いドレスの少女が、シルベニアの兄、ゴールドマンの魔法を使用したのかについてはさすがに誰もわからないようだ。


 一同は急遽トッキュー馬車を手配した。


 相手の素性に関して、色々と憶測を立ててはいたものの、結局彼女たちの正体と目的地はわからず。

 ただ、様々な予感を加味して、イサギが向かったエディーラ神国の首都、リーンカテルダムに向かうことにした。


「うう、すみません……。やってしまいました……」


 そう言って申し訳無さそうにしていたのは、肩に大きな怪我を負ったデュテュだった。

 彼女は六禁姫のひとりが部屋に侵入してきたそのとき、もっとも極大魔晶の近くにいたロリシアが狙われた際に、身を挺して彼女をかばったのだった。

 魔帝の娘がメイドの代わりに怪我をするなど、ありえないことだと言って落ち込んでいたロリシアに、デュテュは微笑んだ。


「ロリシアちゃんはもうヨシノブさまの后も同然です。それならば、魔王の妻を守るのは当然ですもの。……ただ、この傷ではわたくしが一緒についていくことはできませんね。それだけが少し、残念です」


 大丈夫、とシルベニアとリミノがデュテュの手を握りながら告げる。

 自分たちが必ず極大魔晶プレハを取り戻すから、と。


 こうして、デュテュとそしてロリシア、それにデュテュの治癒と護衛のため、キャスチが残る結果となった。


極大魔晶プレハへの治療はほとんど完了しておるからの。わしの役目はもう済んだも同然じゃ。おぬしたちが戦うのは心配じゃが……。誰かが残らねばならぬのなら、わしがいよう」


 かくして、それ以外の三人。

 リミノ、シルベニア、そして慶喜が北へと向かうことになった。



 一方、慶喜は終始暗い顔をしていた。

 ロリシアとの別れですら、心ここにあらずといった風である。


 彼のまぶたの奥には、足がちぎれて泣き叫ぶドレス姿の少女の顔が焼き付いていた。

 気持ち悪い。他のことを考えて気を静めようとするけれどまるで無駄で、吐きそうだった。


「うう、ぼくは、ぼくは……」


 きっとあの娘は回復術で治療されるのだろう。

 だがもし回復しなかったら?

 永遠に片足のままだとしたら。

 それは自分がしてしまったことなのだ。

 戦いが終わった直後は興奮していたからか、深く考えないようにしていたけれど。

 今はもう、だめだ。後悔の念に押し潰されてしまいそうだ。


 さぞ痛かっただろう。さぞ苦しいだろう。

 慶喜の胸も張り裂けてしまいそうだ。


 いくら敵だったとはいえ、本当にそれしか方法がなかったのだろうか。

 彼女は慶喜の目の前で人を殺した。だからといって……。


 堂々巡りだ。正解は出ない。

 頭の中がごちゃごちゃして、苦しかった。

 息が詰まるようだ。


 自分が守ると言い張ったプレハも奪われて、イサギに会わせる顔もない。

 あの場で少女にトドメをさせば、少なくともあんなに簡単に取り逃すことはなかっただろうに。


 いや、だがそれでも、相手がひとりなら、自分だって守れたはずだ。

 取り逃したのは、プレハを守れなかったのは、自分ひとりの責任では……。

 暗澹とした気持ちに、心が沈み込んでゆく。

 悪い癖だ。異世界にいってもいつまでも治らない。慶喜はそんなことまでも考えるようになっていた。


 謝るしかない。それに、自分がどんなにがんばったか伝えれば。

 そうしたら、イサギだってきっと、いつものように「仕方のないやつだ」といって、肩を叩いてくれるだろう……。


 自分が弱かったんじゃない。相手が上手だったのだ。シルベニアですら取り逃すほどのつわものだったのだから、仕方ないじゃないか……。

 そうだ……。イサギならきっと許してくれる……。きっと……。


「ぼくだって、ぼくだって……精一杯……やったじゃないっすか……ぼくにしては、がんばったんすから……ぼくにしては……」


 それしか頼るものがないかのように、杖をぎゅっと握りしめて。

 慶喜は馬車に乗り込んでからもずっと、頭を抱えていた。



 慶喜たちはロリシアに別れを告げ、北へと向かおうとする。

 だが、そんなときだった。


 一番最後に身支度を整えて、馬車乗り場にやってきたリミノが青ざめた顔をしていた。

 どうかしたの? と問うシルベニアに――。


 リミノは胸の中に爆弾を抱えたような表情で口を開く。


「……エウレが、どこにもいないの。あの子たちの襲撃を受けてから……なにも言わずに、エウレが消えちゃったの……」


 慶喜、シルベニアは顔を見合わせた。見送りに来た皆もまた、一様に複雑な顔をしていた。


 いつものようにふらりといなくなったのか、あるいはドレス姿の少女に音もなく殺されたのか。


 ――それとも。


 目に涙をたたえながら、リミノが言う。


「……エウレがなにかを隠しているような素振りを見せたのは、知っていたけど……でも、もしかしたら、あの子たちを手引きしたのは、エウレだったのかな……なんて。エウレが裏切っていただなんて、思いたくはないけれど……でも、でも、そんなことだったら、リミノ、お兄ちゃんになんて言えばいいか……」


 確かにそれは最悪な想像のひとつであったが。



 ――率直に言うのならば、リミノの想像は外れていた。


 では、エウレはどこへ行ったのか。

 

 この場にいる他の面々は知る由もない。

 エウレは裏切ったわけではない。裏切ったわけではないのだ。彼女はただ、彼女の役目を全うしようと動いていたに過ぎない。


 そして――。

 それこそが、勇者イサギが二十年後のアルバリススに召喚されたときに始まった物語。

 その運命のパズルの――最後の一ピースなのであった。


 ミストランド近衛騎士団(エメラルドナイツ)団長エウレカ・ユリイカ。

 その彼女こそが、すべての終わりを告げるラッパを持っていたのだと、今は彼女自身すらも知らずにいた。





 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 ――時はわずかに遡る。

 極大魔晶をラタトスクから引き上げたイサギの元を、リミノたちが訪れて、間もない頃である。


 召喚魔法陣リーンカーネイションは、エルフ族の王城の地下に眠る。


 何度も調査の手が入り、そして冒険者によって封鎖された召喚陣だ。

 その召喚陣が稼働した記録は、人の歴史には存在していない。

 誰もが知ることだ。


 そして――誰もが知らないことがある。


 召喚魔法陣リーンカーネイションは『二枚』ある。


 一枚はエルフ族が研究のために、まったく同じものを描き上げたレプリカだ。

 四百年前。ルナがエルフ族の術者に命じて作らせたものだ。

 再現されたその召喚陣は王城の地下に眠る。冒険者達が発見し、封鎖したのはこの魔方陣である。


 そしてもう一枚。

 本物の――四百年前、ルナが訪れたリーンカーネイションは、そのさらに地下にある。


 冒険者襲撃の際に王族が破壊したその回廊の、奥底。

 迷宮化すら初めているような、そんな地の底だ。


「……はあ、大変なことになってますなあ」


 王族においてもごく一部のものだけが知る隠し通路をたどり、今エウレが立ち入っているのはそんな空間だ。

 かつて近衛騎士団団長を務めていたエウレですら、足を踏み入れるのは初めてのことだった。

 第一王女リリアノから、離れ離れになるその寸前に教えられたものだ。


「しっかし、冒険者がいくら手練といっても、数百年に渡って隠し通されてきた秘所は、そう簡単に見つけられないもんですねえ」


 ランタンを掲げながら階段を降りてゆくエウレ。

 彼女はミストランドに戻ってきたら、真っ先にここを確認しようと思っていたのだ。


 階段を降りてゆくと、あのときの無力感に苛まれて、思わず身が竦む。

 ひとり、またひとりと仲間が散っていった思い出が蘇るようだ。


「……寒気が、しますね」

 

 守り切れなかった主人たちが、最後に逃げ延びたであろう秘所。

 もし骨のひとつでもあれば、墓を作ろうと思っていたのだが――。


「……んんん……?」


 地の底から、なにかうめき声のようなものが響いてくるような気がした。

 エウレは耳をピクリと動かしながら、感覚を研ぎ澄ませた。


 しかし、五感もいまいち機能していないようだ。

 この辺りはもはや迷宮化しているのだ。当然のことかもしれない。


「迷宮には幻聴が響くって言いますしね……。うーん、どうしたものでしょーか」


 のんきに長い耳をかくエウレは、しばし立ち止まる。

 だが、最終的に彼女は虎穴に飛び込む決断をした。仕えていた主人たちのその後が知りたかったのだ。

 自分こそが知っておかなければならないものだと思っていた。


 だが――。


 その奥底で彼女は見ることになる。

 世にもおぞましき、その人間の妄執を。


 最下部まで降りたその時、エウレは信じられないものを見た。


 リーンカーネイションの前には、ひとりの女性がいた。

 最初エウレはそれを死体だと思っていた。だが彼女は骨と皮だけの状態になりながらも生きていた。

 生きながら、こちらを見つめていたのだ。


 ――驚愕した。


「姫様……!?」


 姿はすっかりと変わっていたが、それはリミノの姉。第一王女リリアノであった。

 爛々と赤い目が、こちらを見据えていた。


「……エウレ……?」


 彼女の足元には、緑色の魔法陣があった。

 何百回、何千回と祈りながら、起動することはなかった、隠されていた魔法陣。

 何万回願っても、起動することはなかった、その魔法陣。


 エルフ族が冒険者に襲われてから、どれくらいの時が経っただろう。

 祈りを、ただひたすらに、リリアノはただひたすらに、十数年繰り返し。


 あれから届く――。

 ――その祈り、百万の数に。



「これは――」


 魔力が満ちたその空間で、エウレは息を呑んだ。


 ぼんやりと輝きながら。

 ――リーンカーネイションは、確かに起動を始めていたのだった――。


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