2-1 魔族を守る冴えたやり方
この世界に呼び出されてから、三週間が経過した。
禁術を施された三人の魔王候補がどうなったか。
まずはそこから始めよう。
『封術』は、3つの工程に別れる。
1:召喚魔法陣により、異なる世界に消えた神族の魔力だけを呼び出す。
2:封印魔法陣により、魔力を体に固定させる。
3:同化魔法陣により、固定させた魔力を定着させる。
これが封術の正体だ。
三段階全てで死の危険性がある、非常に危険な魔術だ。
だからこそ、禁術と呼ばれているのだが。
まず第一段階により、暴走した魔力が周囲に飛び散り、施術師もろとも候補者が死ぬ可能性がある。
次に第二段階により、封印を遥かに上回る魔力総量が候補者の魂を砕く。
そして第三段階まで行ったとしても、やはり魔力が定着せずに術者が枯死してしまうケースがある。
これら全てをクリアするのは、優れた被験者の中でも万人にひとりもいないという。
つまり、成功率は0・01%以下だ。
無論、手当たり次第試せば誰かはうまくいく、といったものではない。
あくまでも心身ともに頑丈な、万人にひとりの素質を持ったものだけが挑戦できるものだ。
つまり実質、成功率はほぼゼロである。
だからシルベニアは、考えたのだ。
“必ず封術が成功するであろう人間”を召喚陣で呼び出せばいい、と。
その目論見はどうだったか。
それは、成功だった。
ひとりの死傷者も出さず、施術は完成した。
ここに禁術を施された三人の魔王候補が誕生したのだ。
「きょうもイサくんは見学?」
「まあな」
寝転がって本を読んでいたイサギの隣。
汗を流す愁がやってきた。
「結構面白いよ。剣術の訓練も」
「すごい異世界っぽいよなー」
「そりゃそうだよ、異世界だもん」
愁はそう言って笑う。
彼らの身体には、様々な刺青が彫られていた。
腹と背中と両腕と両足。
それは魔法陣だ。
召喚・封印・同化の3つの魔法陣だった。
せっかくのイケメンがもったいないな、とイサギは思う。
愁の場合、これはこれで似合ってはいるが。
彼らだけではなくイサギもまた、外見上の変化がある。
左目に装着した眼帯だ。
最初は愁に「どうしたの?」と心配もされていたが。
イサギは「お守りみたいなもんだよ」と答え続けていた。
実際にはなくても構わないのだが、なにかの拍子に“目”が作動してしまうと困る。
そのために、イサギはリミノに黒い眼帯を作ってもらっていたのだ。
大半の人は、片目だけでは遠近感が掴みにくいだろう。
しかしイサギは仮にも勇者の称号を持つ男だ。一切の支障はない。
愁とイサギの視線の先には、メガネとヤンキーがいた。
ふたりで木剣を持ち、イラに斬りかかっている。
二体一。だが分が悪い。
「でも、すごい上達っぷりじゃないか」
「あ、やっぱりそう見える?」
「先週のイラは、あくび混じりにさばいてたもんな」
「ははは。体を動かすとね、自分がどんどん強くなっていくのがわかるんだよ。
サッカーでもなんでも、反復練習がキモだっていうのは知っているんだけどさ。
これほどに簡単にコツが掴めると、まるで自分が天才になったような気がするよ」
「そういうものかな」
「ああ、この体で現代に戻れたら、きっと全国いけるのになあ」
「刺青隠すの大変そうだけどな」
「あはは、確かにね」
愁はどこか嬉しそうだ。
三人は稽古着のような服をまとっている。
イサギはこの世界での普段着だ。
魔王候補たちは本格的な戦闘訓練を受けていた。
午前中いっぱいは剣術。
昼食を挟んで午後から魔術の授業。
それが一日のスケジュールだった。
イサギはそのうちの、魔術の授業にだけ参加している。
もはやイサギは城の使用人たちから魔王候補とは呼ばれなくなっていた。
城内でも変わらず接してくれるのは、デュテュとリミノだけだ。
シルベニアも態度が変わっていないといえば変わっていないのだが、彼女は魔帝の娘にすら同じ態度なので、例外だろう。
「で、それ、何の本?」
「ん? これはこの世界の物語みたいなもんだな」
「すごいね、読めるんだ」
「読めるんだよ、ほら」
イサギは本を開いて愁に見せる。
すると彼も驚いて目を丸くした。
「ホントだ。なにを書いているのかわからないのに、なにを書いているかわかるね」
「俺は愁がなにを言っているかわからないけどな」
笑い合う。
この世界の全ての言語知識は、なぜか頭に叩きこまれていた。
これは召喚術の作用のひとつである。
他にも重力だとか、空気の組成、水の成分への適応など。
そもそも生きるに当たっての根本的な問題は、全て解消された状態でスタートされる。
その星にしか存在してないウィルスに対する免疫力などもそうだ。
ただ呼び出すだけではなく、アフターケアまでバッチリ。
それら全てをひっくるめて召喚術なのだ。
これは、火の魔術を手のひらから放って、それで自分が火傷をしないことと似ている。
いわゆる、複合作用というものだ。
それはいいとして。
「どんな話なの?」
「英雄時代の物語だよ。人間族の英雄マシュウが恋人のルナとあちこち旅をしながらバッタバッタと悪人を成敗していく俺TUEEEEもの」
「マシュウ? なんか僕と似ているね、名前」
「ああ、確かに」
緋山愁。略してマシュウ。
「これからマシュウって呼ぶか?」
「やめてよ」
笑いながら手を振る愁。
けれど、こういう世界の物語は侮れない。
なんといっても本当に起こったことが含まれているのだ。
トロイの木馬のようなものだ。
実際にその土地を訪ねてみたら、英雄が使っていた神具が手に入る可能性もある。
マシュウの場合、あまり期待はできなさそうだったが。
恋人のルナが死んだ辺りで、以後40ページぐらい延々と嘆き続けているのだ。
たとえ史実だとしてもこれは、読み物としてどうなのか。
そういえばやらなきゃいけないリストには追加していなかったが。
イサギが20年前に使っていた聖宝剣クラウソラス。
あれも探さなければならない。
なんせ、使いこなすのは本当に苦労したものだ。
もしかしたら、もう誰か後継者がいるかもしれないが。
「よし、戻れ! 次、シュウさまだ! 来い!」
イラの号令が飛ぶ。
結局、ヤンキーとメガネは再び地面に転がされてしまったようだ。
これで何百連敗といったところか。
愁は腕を回しながら立ち上がる。
「おっと、じゃあ行ってくるね」
「おう、頑張ってな」
片手を挙げると、愁が手のひらを打ち付けてくる。
乾いた音でハイタッチ。
愁は手を振り、軽やかな足取りでイラに向かっていく。
代わりにやってきたのは、ヤンキーとメガネ。
どちらも足元がおぼつかない様子だ。
「おつかれおつかれ」
「……」
ねぎらう。
するといつものようにヤンキーは離れていってしまう。
相変わらず、誰にも気を許してくれない男だ。
その代わり。
「つかれたよぉ、イサくーん」
「いやいや、でも大したもんだろ、慶喜さ」
小野寺慶喜。
それがメガネの名前だった。
「でもなんていうかさ、あの人と打ち合っていると目の毒っていうかさぁ」
「あー、まあ、揺れるもんな」
「そそ、わかるっしょ。そりゃーもうぶるんぶるんだよ。あんなのまたひとつの武器だよね武器」
そう言って、うひひと笑う慶喜。
うん、ゲスい。
彼はゲスかった。
メガネ以外は中肉中背、ほとんど外見的特徴もない彼だが。
笑うと、そのゲスさが一発で浮き彫りになる。
なんというか、粘着質の笑みなのだ。
もちろん、身軽なイラの格好も悪いのだが。
「……さ、次!」
そのイラはこちらに目をやると、すぐに視線を外した。
イサギはどうやら彼女に嫌われてしまったらしい。
(まあしゃーないか)
ここ三週間、彼女の封術の要請を断り続けてきたのだ。
イラにとってみれば、イサギは義務を果たしていない、ということなのだろう。
下手したら気絶でもさせられている間に封術を施術されるのかもしれないと思ったが。
だが、そんなことをしたら目覚めたイサギを敵に回すのは彼女たちだ。
得策ではない。
というわけで、どうやらイサギは持て余されつつある。
日がな一日、魔王城をふらふらしているだけの無職異界人だ。
もっとも、四人も呼び出したらひとりぐらいはハズレが混じっていても仕方ない。
そんな気持ちでいるのかもしれないが。
決して遊んでいたわけではないのだが……
だが、そう見えてもおかしくない、とは思う。
天鳥族のイラは、普段は翼を背中に収納しているようだ。
金色の髪を後ろでくくってポニーテールにしている。
上半身はシャツ一枚。
激しい運動を続けていると、汗でくっきりとレースのブラジャーが浮き上がったりしている。
「……けしからんでしょう」
「……ああ、そうだな」
慶喜の言うことももっともだ。
「この魔王城には可愛い子が多すぎると思うんスよね、先輩」
「誰が先輩だ誰が」
「……メイドちゃんには『お兄ちゃん』って呼ばせているくせに」
「いやあれは」
ちゃん付けしているけれど、リミノは慶喜の母親ぐらいの年齢だ。
わざわざ言うことではないから黙っているけれど。
抗弁しようと口を開く。
けれど。
「……あれは、その、あっちが勝手に」
そんな風に事実を言ったりすると、だ。
「あーもー! これだからモテる人はさあー! いいなーいいなー! 先輩いいなー!」
全力でひがんでくる。
おまけに手足もバタバタと振り回すし。
なんだこの男は。
「別に俺はそういうんじゃないんだって」
「強くなったらすぐにモテると思ってたのに、誰もぼくに『抱いて』って言ってくれないんすよ!
モテモテになって大金持ちになって背も伸びるんじゃなかったんすかね! イラさん嘘つきっすよ!?」
「……そんな都合の良いこと言っていたっけかな」
首をひねる。
少なくともこの三年間、勇者として旅をしていたイサギは、
こんな風に馬鹿話をする相手はいなかった。
セルデルはマジメだし、バリーズドは大人だ。
だから正直に言おう。
かなり楽しい。
バッと起き上がってきて慶喜。
真剣な目をこちらに向けてくる。
「先輩、師匠って呼んでもいいっすか!」
「いやだ」
「邪気眼先輩!」
「それはやめてくれ」
この三週間、眼帯のことでさんざんいじられた。
何度か本気でブン殴ってやろうかと思った。
「サーセン! でも代わりに、ぼくにも是非モテ男の秘訣を!」
「愁に聞いたほうがいいと思うけど……」
「あの人は顔面偏差値からして違うんで!
ぼくには先輩ぐらいの人のアドバイスが参考になるかなーって」
「お前……」
半眼で睨む。
すると彼は乾いた笑いを漏らした。
まったく。
帰りたい帰りたいと落ち込んでいた時はどうなるかと思ったが。
意外と彼も明るくなったようで良かった。
といっても。
まだ女の子やヤンキーなどを相手にすると。
『う、あ、え……』と、言葉が出ないようだったが。
それでもこちらに心を開いてくれたようでホッとした。
アニメや漫画の見れない生活は辛いようだが。
「はー、まさか三次元もいいと思うなんてなあ」
鼻の下を伸ばして、イラを眺めて悦に浸っている。
うん。
なんでもいいんだな、こいつ。
そんなことを思う。
一方。
「ハッ!」
愁の木刀がイラの手首を打った。
顔をしかめるイラに、さらに愁の追撃。
ついにこの日、愁はイラから一本を取ることができたようだ。
愁の剣術の才能が、開花してきたようだ。
三週間。
本来ならばまだ基礎はおろか、肉体鍛錬の段階なのに。
事実、愁の剣の振り方はまだ洗練されているとは言いがたい。
だというのに、だ。
生まれながらに、ライオンと猫が対等ではないように。
禁術師となった三人の魔王候補は、もはや常識の範疇には収まらないのだ。
横でまだウダウダ言っている慶喜とて、そうだ。
魔力総量は単純に魔術や法術の威力に関わるだけではない。
魔力が多ければ多いほど、肉体を強化することができる。
踏み込み。振り下ろし。蹴り足。着地。受け身。
ありとあらゆる動作に魔力は影響する。
だが、魔力はそこにあるだけでは役に立たない。
その使い方を身体に叩き込むようにして、学ばなければならない。
強化された魂から漏れだす魔力の残照。それこそが『闘気』である。
イサギの見たところ、イラの剣術は達人の領域だ。
彼女が教えているのは、大陸正式剣術だ。
中世騎士の異界人が持ち込んだと言われている、斬る、突く、払うの非常にバランスの整った剣術である。
受けも上々。この世界でもっとも広く普及している剣術だろう。
魔王候補生たちのように、基礎から覚えていくのには最適だ。
この世界の剣術の全ての極意が融合しているのが、大陸正式剣術なのだから。
練達してゆくうちに皆、アレンジを加えてゆくことになる。
イラの剣は振り下ろしの型が多い。
それはきっと彼女が天鳥族で、飛翔しながらの戦いがメインだからなのだろう。
今はまんべんなく攻め手と受け手を交代しているが。
本来は攻め偏重の型なのだろう。
実際は奇剣に近いものなのかもしれない。
イサギの型も特殊だ。
師事した相手が、大陸正式剣術を教えてくれなかったのだ。
今は大抵の相手に合わせることができるものの。
当時は割と恨んだものだった。
それはいいとして。
「先輩ぃ……ぼくも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる妹メイドが欲しいんですが、どうすればいいんですかねそれは……」
なにやら不気味なオーラを出しながら近づいてくる慶喜。
「……とりあえず、イラから一本取れるようになってみたらどうかな」
イサギは無責任にそんなことを言う。
努力する男はカッコいいはずだ。
多分。
きっと。
「ぼくは手っ取り早く、夜の剣術の稽古相手がほしいんですけどね……」
「……」
むりかもしれない。
イサギ:ニートでトリッパー。ニートリッパー。
緋山愁:イケメン。イサギとはもうハイタッチを交わす仲に。
小野寺慶喜:メガネ。ゲスい。
ヤンキー:未だ、誰にも気を許さず。
イラ:目の毒。ぶるんぶるん。