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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:12 終末に希う、ただひとつの
139/176

12-4 英雄譚

「ははあ」


 薄ぼんやりとした赤い光が浮かび上がる、牢屋のような印象を持つ石造りの建物の中。

 栗色の髪を押さえながら、まだあどけなさの残る顔をした少年は、楽観的な笑みを浮かべた。


「なるほど、こういうことも、あるものなんだねえ」


 少年はゆっくりと立ち上がる。

 辺りに人影はひとつしかない。召喚魔法陣によって暗闇に浮かび上がる小柄な体躯。少女だ。


 制服の汚れを叩いて落とすと、小さく首を傾げながら目を細め。

 そして――すぐ近くに立つひとりの少女に、笑いかけた。


「それでキミは?」

 

 その娘は、銀色の髪をした、巫女のような姿の少女だった。


 彼女は平然とこちらに手を伸ばす少年の姿に、多少戸惑っているようだったが。

 それでも毅然とした瞳で見返してくると、姿勢を正し、胸を張りながら名乗った。

 

「――召喚師ルナ。この召喚陣『フォールダウン』にて、オマエを召喚したものだ」


 まるで少年のように飾りっけのない、刃のごとき声である。

 光の加減によって紅く照り返す彼女の双眸には、獣のような輝きが宿っていた。


 

 



 緋山愁は、中学二年生の男子である。

 その物怖じせず、誰とでも分け隔てなく付き合う性格から、クラスの中でも群を抜いて友達の多い生徒だ。


 だが彼をクラス内ヒエラルキーの最上位たらしめているのは、性格というよりはどちらかというと、その容姿によるものが大きいだろう。

 緋山愁は非常に端正な容姿を持っていた。有り体に言えば、すさまじい美形の少年である。


 ただそこにいるだけで存在感を発するほどの輝き。生まれた土地が違えばすぐにでもスカウトが飛んできてもおかしくはないほどの逸材だが、今のところ芸能事務所からの声掛けはない。

 そんな彼をさらに彩るのは、笑顔だ。


 どんなときでも彼は微笑み、そしてその微笑みはどんな状況であっても、彼に祝福を与えてくれた。

 誰かの怒りを受け流し、毒気を抜くことや、あるいは自分に興味を持ってくれているその相手への印象を深めるために。

 笑顔はいつだって愁の剣であり、鎧だった。


 もっと幼い頃だって、変わらない。

 並の容姿の両親の間に生まれながら、緋山愁の容姿はまさに奇跡のような造形美であった。

 愁が微笑めば、周りの大人たちは勝手に彼をもてはやす。

 それはあたかも、王家の殿下にかしずく臣下であるかのように。


 愁が右を指せば右を向き、左を指せば左を向くようなそんな大人たちに囲まれながら。

 やがて彼は、自らの微笑みに価値があることに気づく。

 現代社会において、それこそ運動神経や知能指数よりも――それも彼は自分が人より劣っていると思ったことはないが――もっと大切なことがあるのだと、知ることになる。

 誰に教えられたわけでもない。同じことの繰り返しをした際に、微笑んだ際の優位性を悟っただけのこと。

 

 端的に『要領』とだけで表わされるそれは、この世を生きる人にとって最も肝要なものだ。

『要領』が良いものだけが得をして、それ以外のものが損をするこの世の仕組みに、聡い彼は早くから気づいたのだった。


 世界の仕組みを知ってしまった物理学者のように。

 ――緋山愁の物語は、幕を開く。

 

 彼の処世術は大人たちよりもむしろ、社会性の低い幼童たちの中で磨かれてゆく。

 いまだ利己的な少年少女に、口先三寸でいうことを聞かせるのは難儀したが。

 しかし年が経つにつれ、それも徐々にイージーモードへの移行を見せた。


 スタイルも良く、スラリと伸びた四肢はまるでモデルのように美しく、成長をしてゆく愁。

 女と見まごうような美形の彼は、しかしバランスの良い体つきと、どこか香るような色気の元、むしろ美少年として際立っていった。

 年経つごとに離れてゆく、彼とクラスメイトたちの精神的な年齢差。

 それが愁の帝王たる地位を安泰のものとした。


 彼の微笑みの元に人は集まり、やがて指先すらも動かす必要はなく、こぞったクラスメイトたちは彼の寵愛を望んだ。

 学園内に王国を築く彼はしかし、その手練手管をまるで見せず、腹の中に抱えながら生きてきた。

 

 それは緋山愁の望んだ世界であったはずだが。

 ――その中心でふんぞり返る愁は、果たして満ち足りていたのだろうか。

 

 環境が愁に味方し、愁もまた好いてくれる彼らのことを好きでいたはずだったのに。

 間違えてしまったのだという自覚が、愁にはない。


 それでも、彼の心は少しずつ、冷めて。

 失われてゆく熱の代わりに、笑顔だけが研ぎ澄まされてゆく。


 そんな日の当たる大道を行く少年が、なぜ。

 なにもかも、手に入れたはずだった彼は、この地に招かれ、そして――。


 

 ――召喚魔法陣によって呼び出された愁に、赤眼の少女は告げる。


「ここは……『アルバリスス』。オマエたちの生きる世界とは異なる世界。オマエはワタシたちに力を貸す以外、生きる術はない」


 白い髪を後ろで縛り、赤銅色の肌を晒しているその娘は、ルナ。

 大地を駆ける白獅子のような美しさを持つ彼女は、まるでシャーマンのような格好をしていた。

 オリエンタルな薄衣に身を包む彼女の年は、15、6ぐらいか。

 自分よりわずかに年上だろうと、愁は推測した。


「召喚、ねえ。不思議な感覚だな」

「来い」


 犬に命じるように先を行くルナに肩を竦め、愁は彼女の後をついてゆく。

 召喚魔法陣の設置されている祠を出ると、辺りには草原が広がっていた。


 風の匂いすらも自分が生きてきた都会とは違う。

 愁は髪を押さえながら、目を細めた。

 

「本当に、異世界? これが? 夢なら、もう少し楽しませてほしいものだけど」

「来い」


 ルナの要求は端的だ。時折、肩越しに振り返ってくる彼女の後ろをついてゆく。

 途中からは草原の中に踏み固められた道があった。


「ずいぶんと歩きやすくなった。助かるね」

「……」

「ということは、さっきの祠は、長い間使われていなかったってことかな。それじゃあ僕みたいな召喚者は、他にはいない?」

「……」

「言葉が通じているようだけど、これもどうしてかな。日本語を覚えている? そんな都合の良いことはあるかな。ねえ、ルナさん」

「……」


 ルナは必要なこと以外は話さない娘のようだ。

 その細い背中からは、無言のプレッシャーを放っているように思える。


「……こんなに可愛いのに、もったいないね」


 愁は口笛でも吹くようにつぶやく。

 歩いて十分ほどで、目的地についたようだ。

 

 高い柵に覆われた堅牢な村の前、数十人の武装した男たちが待ちかまえていた。

 金属製の槍や剣を手に持ち、恐ろしい雰囲気を発している。


「穏やかじゃないようだけど」

「ワタシだ! ルナだ!」


 愁の問いには答えず、ルナは大呼した。

 

「召喚の儀式は成功だ! これよりワタシの従者を見せる!」


 従者とは自分のことだろう。

 ルナは振り返ると、初めて会ったときのような赤い双眸で愁を睨むように見上げる。


「オマエの名は」

「ん、僕は緋山愁。よろしくね」


 と、手を差し出すけれど、ルナは武装した村人たちに向き直り。


「マシュウ! このモノは、マシュウだ! きょうよりワタシの元で魔闘式を行なう! 以上だ!」


 すると、村人たちはそれぞれの得物を掲げ、鬨の声をあげる。それは歓声だったのだろうか。しかし、それよりは儀礼的な意味が大きいような印象があった。

 

 いやはや、すごいことに巻き込まれたようだ。

 愁は諦観じみた顔で笑い、小さくつぶやく。


「緋山愁、なんだけどな。僕は」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 緋山愁には秘めたる力があった。


「やってみろ」

「と言われてもね」


 笑っている顔すら想像できないほどに真剣味を帯びたルナの視線を浴びながら、愁は両手に意識を集中させた。


 召喚者としてこの村に呼び出され、愁はルナの屋敷でともに暮らし始めていた。

 ルナは村の巫女のような存在らしく、それなりに高い地位を築いているようだ。

 三人の使用人に甲斐甲斐しく世話され――恐らくはこの世界に適応できるかどうかの見定めが終了したようで――いよいよ愁の本格的な稽古が始まろうとしていた。

 

 ルナが言っていた魔闘式というのは、どうやら戦闘訓練と同義のようだ。

 彼女の説明した通り、愁は手を突き出す。


「こう……かな」


 イメージを集中させる。自らの意志で世界を変革させるトリガー。その想いに魔力をほとばしらせ、実現へと導くのだ。

 難しいことは、なにも必要ではない。願えば叶う。それだけのこと。


 熱が体内を循環するような感覚に襲われた次の瞬間。

 ――愁の両の手のひらから、光があふれた。


「お、こんな感じかな」

「……」


 それはやがて細く伸び、一筋の光へと変わってゆく。

 黄金に輝く線だ。

 糸か、あるいは鞭か。

 これこそが緋山愁の力だ。


 ルナは物言わず、柵の上に止まる一羽の小鳥を指す。


「ん」


 彼女の意図を理解した愁は右手を振り上げ、そして振り下ろす。


 光はしなやかに伸び、強かに小鳥を打擲しようとした直後、その手前でかき消えた。

 驚いた小鳥は飛び立ってゆく。その去ってゆく方を眺めながら、ルナはやはり無表情で。


「……初めてにしては、筋がいい」

「そうかい?」

「鳥にまでは届かなかったが、鍛えればすぐに距離も伸びるだろう」

「ん」


 愁は微笑みながら、そっと左手を持ち上げる。指先につまんでいたのは、先ほどの小鳥の羽であった。

 ルナは訝しげに眉をひそめ、それからはっとした。

 表情には表れていなかったが、彼女が息を呑む気配が伝わってきて。


 愁はにっこりと笑う。


「だって、可哀想じゃないか。なにもしていないのに。そうだろう?」

「……」


 それがこの術式が体系化されていないこの時代の『魔法』と呼ばれる特殊能力であることを、当時の愁は知らなかったが。

 ルナは口元を押さえ、うなるように。


「……『魔法能力』を持つ若者を、という条件の下に召喚したが、これほどうまく使いこなすとは……」


 難しい顔をするルナに、愁は声を弾ませた。


「ふふ、実際はうまくいくかどうかわからなかったけど。キミをビックリさせられたのなら、良かった」

「……」


 ルナはやはりなにも言わず、その鋭い紅眼でちらりとこちらを見返してくるだけであった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 愁とルナが暮らすその村は、小さな集落であった。

『暗黒大陸』と呼ばれる大地の、中央部に位置するという。

 村人たちは皆、魔族という種族であるらしい。

 その割にはほとんど、愁と変わらぬ外見を持つものばかりであったが。


 ルナにも聞いてみたところ、彼女は「ワタシは魔族ではない」と短く答えた。

 他にも色々な疑問をぶつけてみたけれど、まともに答えてくれたのはそれぐらいであった。


 ルナは突然ふらふらといなくなったと思えば、また戻ってきて愁の魔法の成長具合を見て、そしてまた旅に出る。その繰り返しであった。

 まだ彼女に肝心なことは、なにも聞けていない。

 なによりも、一体愁になにをさせようとしているのか。

 召喚しただけで放置とは、少し愁としても釈然としない思いがある。

 


 よそ者であるはずの愁だが、さして行動を制限されたりはしなかった。

 村の中は自由に行動できたし、いざ外に出ようとしても、止めるものはいなかった。

 だが、隣の村まで長い距離がある上に、徒歩では途中で行き倒れてしまうだろうと伝えられたので、おそらくはそれが警告のつもりではあるのだろう。


 異世界に来たというのに、突如として事件に巻き込まれるということもなく。

 愁は人々から巫女ルナの従者として、マシュウさま、マシュウさま、と慕われながら、魔法の修業を積んでいた。


「マシュウさま、ルナさまのお屋敷にいるんですよね」

「ん、そうだよ」

「その割には、マシュウさまは俺たちにも優しくくれらぁ」


 村の広場にて。

 棒を持った若者たちに囲まれながら、愁は涼しげな顔をしている。


「ルナさんは、村でちょっと浮いているような感じだよね」

「浮いているっていうか」

「うーん、なあ……?」


 複雑そうに顔を見合わせる男たち。

 愁はわずかに首を傾げ。


「なにか、あるのかい?」

「ルナさまは、数年ごとに現れてはまた姿を隠すんだども……まったく年を取っていなくてなあ」

「へえ……」


 村人たちがルナの従者たる愁に話してくれるのは、愁が彼らの信頼を勝ち取ったからだろう。

 文化や環境が違っても、愁は己の笑顔が十分武器になることをここで学んだのだが。


 今はルナのことだ。


「ルナさまは、子どもみたいに見えるかもしれませんが、おっかないですよ」

「ああ、あの不吉な目、な」

「真っ赤に染まる瞳には、心までも見透かされているようで」

「ふむ」


 村人たちは心から彼女のことを恐れているようだ。

 赤い肌に、真っ白な髪。そして鮮血のような瞳。なるほど、まあわからない話ではないが。

 愁が思い出すのは、彼女の真摯な横顔であった。


 ルナは美しい娘だ。

 それに、愁のことを歯牙にもかけていない。

 決して自分の手には届かないような、高嶺の花。

 凛とした若き族長の獣。


 ルナを思うと、愁の体はわずかに震えた。

 なぜだか愁自身にもわからない。腹の奥の疼きだ。

 決して綺麗とは言えない、その情動。

 それは愁が感じる生まれて初めてのものだった。


 自分が全力を尽くしたとしても、ルナは手に入らないだろう。

 あの紅い眼が自分だけを見つめる日が来ることなど、想像もつかない、

 だが、手に入らないからこそ――。


「……でもあの子、可愛いじゃない?」


 こともなく言い放つ愁に、村人たちは再び渋面を作り。

「マシュウさまは、恐れを知らぬなあ」とささやきあっていた。


 愁は肩を竦め、その手のひらから光を呼び出す。


「僕はまだなにも知らないからね、自分が召喚されたその目的すらも。だからこれからもよろしく頼むよ、みんな」

「おうっす!」

「それじゃあ始めますっか!」

「ん」


 うなずく愁をきっかけに、模擬戦闘が始まる。


 まるでワルツを踊るように愁はステップを踏んだ。

 同時に、手のひらから伸びる光の線を振り回す。すでに殺傷能力を持った光線だ。

 棒きれを握る男たちは光の結界に阻まれて、こちらに近づけない。


 だがその中で、ひとりの若者が果敢に踏み込んできた。


「マシュウさま、いきますよ!」

「どうぞ」


 招く。彼は身を屈めながら接近してくる。すでに状況が多対一だ。後方に飛び退くにも逃げ場がないため、この場で迎え撃たなければならない。

 

 そう難しいことではない。

 

 村で一番の剣士であるその若者の手元を狙い、愁は光を突き刺す。

 射出された弾丸のような輝きは、見事若者の手の中にある棒を弾き飛ばした。


「あっ!」

「ふふっ」


 小さく微笑み、今度は跳ね上がったその棒を光で瞬時に引き裂いた。

 木片となって落ちてくる棒を、男は口を開けたまま見上げていた。


「まだまだ、体の動きではキミたちについていけないけれど、でもこの『魔法』はずいぶんと馴染んできたよ。そろそろ初心者も卒業かな?」

「これで初心者ですかぁ……」


 次々と棒を払い飛ばし、戦う愁の姿は優美であった。


 まさしくかつての大人たちを微笑みで操るかのように。

 右へ左へ、光の線を放出するその魔法は、彼の性質をまさしく体現していたのだろう。

 生まれつき備わっていた能力だと言われても、誰もが信じてしまうかもしれない。

 それほどに、愁の魔法は、彼によく馴染んだのだった。

 もはや愁を一対一で下せる相手は、いなくなっていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 日々過ごす愁。

 彼は村から取り寄せた豆を口に運びながら、ハンモックに揺られ、眉をしかめた。

 

「これも、だめだな」


 異文化の生活はさほど苦ではない。

 愁自身、自分が外見ほど繊細な性格をしているとはまったく思っていないのだ。

 求めれば、大抵のものは手に入る。

 そこに人がいる限り、尊敬や賞賛、あるいはそう、己の情欲を満たすための存在なども――。


 だがしかし、ひとつだけ、どうしても許せないことがある。

 ルナの他にも、ままならないものがある。


 愁は目元を覆うように手を当てて、嘆息した。


 自分のベッドで眠る若い使用人の娘が、気だるそうにうめき、寝返りをうつ。

 半裸の彼女に冷たい視線を向け、愁は再び嘆息する。


「……この世界では、コーヒーを口にすることはできないのか……」

 

 参った。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 緋山愁が異世界に召喚されて、二ヶ月が経つ。


「ルナさん」

「……」


 愁はにこにこしながらルナを見つめていた。

 きょうは珍しく彼女が屋敷で寝泊まりをしていたため、ともに朝食を摂っていたのだった。


 彼女はこちらの視線をものともせずに、黒パンをちぎって口に運んでいる。

 愁としても、このチャンスを逃すつもりはなかった。


「ねえ、ルナさん、そろそろ僕をどうして喚んだのか、教えてほしいな」

「……」


 愁の笑顔を浴びながら、ルナは目を伏せていた。

 いつもなら、ひたすらにのれんに腕押しを続けるだけなのだが。


「オマエ」

「ん」


 感情の読みとりづらい赤い目に、愁を映すルナ。


「そろそろ、村人たちは相手にならなくなってきた頃だろう。オマエの上達速度は、想像を遙かに超えている」

「光栄だね。なにかご褒美でもあれば、もうちょっと頑張れるんだけど」

「……」


 テーブルの上のルナの左手にゆっくりと自分の右手を伸ばしてゆく愁。

 その指先が触れ合ったところで、ルナが不愉快そうに眉根を寄せた。


「……オマエは、一体なんなんだ」

「ん」

「異世界から呼び寄せられて、なぜそんなにも気楽でいる。これからワタシと旅に出るのだぞ。危険で困難な道のりだ。だというのに」

「ああ、そうなんだ」


 その未来の設計図を、愁はあっさりと受け入れる。


 一緒に旅をするのなら、彼女の心の毛皮を取り除く機会も、もしかしたらあるだろう。

 黒と灰色が混ざり合ったその欲望を誰にも見せず、愁は頬を緩めた。


「キミと旅をするのか。じゃあ、それも悪くないな。退屈はしないで済みそうだ。うん、いいじゃないかな」

「……わからないヤツだ」

「そう言うってことは、僕以外にも、他の従者――つまり、召喚者が来たことがあるんだろう?」


 愁の問いに、ルナは唾棄するように。


「……ある。だが、そいつらは逃げ出したり、途中で戦えなくなった。臆病者はいらない。それにワタシも、もはや期待はしていない」

「ふふ、僕はね、ルナさん」

「そいつらとは違うと言いたいのか?」

「人は皆、それぞれ違うものだよ。一緒にしちゃいけない」

「……ふん」


 指を絡めようとすると、ルナは決して人に懐くことのない野生の獣のように、すっと手を引いた。

 持て余したままの手を苦笑しながら引っ込めて、愁は語る。


「僕はね、元の世界でもそれなりに幸せだったと思うんだよね。一般的な人よりは、ずっと満ち足りていたはずだし、僕もうまくやっていた。身の回りで手に入らないものはなかったし、高望みさえしなければ、すべて思い通りになった」

「……」


 ルナは退屈そうにパンの切れ端を口内に放り込む。

 

「でもね、それって楽しいのかな? 僕は少し要領良く生きすぎてしまった。まだ中学二年生だけど、これから先の人生ももうわかるよ。僕は僕の敷いたレールから抜け出せない。きっとそうだ。わかるんだよ。身についてしまったからね。だからといってがむしゃらになってなにかをしようと思うほどの熱情だって、ない」

「……」


 微笑み、愁は己の頬を撫でる。


「この笑顔のせいだよ。部活だって楽しかったけれど、でもどうしても勝ちたいとは思わないんだよね。この先になにがあるのか、って考えちゃうし。どうせプロのスポーツ選手にはなれない。そうだな、僕は僕自身の幸せにはもう、あまり興味がないのかもしれない。だってなろうと思えば、いつだって幸せになれるんだから」

「……」

「ああ、もしかしたらキミにとってはなにかひどいことを言っているかもしれないね。ごめん、なにか気にすることを言う前に、謝っておくね」

「……いや、それはいいが」


 愁はルナの真っ赤な目を見つめながら。


「でもまあ、僕が連れて来られたのは、この世界だ。普通は泣きわめくかもしれない。逃げ出すかもしれない。だけどね、僕はちょっと胸がときめいたよ。ここではなにが起きるかわからない。僕は僕自身の可能性を試すことができる。ひょっとしたら、本当の僕の望みはそうだったのかもしれない、なんてね」


 片目を瞑って笑う愁に、ルナは理解できないとばかりに小さく頭を振った。

 そんな彼女に愁は肩を竦める。


「ま、物分かりが良すぎて気味が悪いっていう気持ちも、わからないでもないよ。自分でもこんなに落ち着いているなんて、不思議だ。でもこれこそ、需要と供給が一致したってことなんじゃないかな」

「わからない」

「じゃあハッキリと言うよ」


 今度こそ姿勢を正し、愁はルナをまっすぐに見据えた。


「僕はキミに惹かれている。キミの力になりたいと思う。それができるのが僕だけだっていうなら、こんなに名誉なことはない。だから僕はキミと旅をすることを、不安がってはいない。……これでどうかな?」

「……」


 ルナは視線を揺らす。

 そして無表情で、もう一度繰り返した。


「わからない」

「うーん」


 理解を拒んでいるのか、あるいは本当に気持ちがわからないのか。

 愁はまるで幼児を相手にしているような気すらしてきた。

 いや、育ってきた環境が違うだけだろう。

 愁は首を傾げ、それならばと、今度は強引にルナの手を取る。


 あらゆる手を尽くしてでも――。


「オマエ」


 ルナは予想外の行動を前に、その切れ長の瞳をわずかに丸くした。

 それだけでも愁は満足だったのだけど、さらに手を握ったまま、告げる。


 きっと面白いものが見れるだろうと、そんな気持ちが半分。

 そして半分は、彼が心に取り込んだ情動だ。


「――僕はキミのことが好きになったんだ」


 彼女のことをまだなにも知らない愁だけれど。

 何年経っても容姿の変わらない、不吉な赤い目の化け物だと村人たちは言うけれど。


「……わからない」


 彼女は静かに目を伏せた。


 けれど、握りしめた彼女の手の温かさは、間違いなく血の通った、ひとりの少女のものであった――。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「やあ、旅か。さすがにこういうのは初めてだな。着の身着のまま。僕もそういうのやっておけば良かったかな」


 旅支度を整えた愁が屋敷を出ると、そこには別れを惜しむ多くの村人が詰めかけていた。

 ルナはぽつりと。


「……こんなに多くの人に見送られるのは初めてだな」


 と、つぶやいていた。


 結局――ルナからの返事は色よいものではなかった。

 彼女は、手を振りほどいた後、そっぽを向いて平然と、何事もなかったように食事を続けていた。


 まったく手強い相手だ、と愁は思う。

 だが、だからこそ落としがいもあるものだろう。

 今まで、笑顔一つで操られていたような小娘たちとは違う。

 彼女を心の底から自分のものにすることができれば、愁の人生は今までよりもっと満ち足りたものになるはずだ。

 

 ルナとその先にある達成感を、今は信じよう。

 だがその前に。


「ねえ、ルナ。長い旅になるんだろう? いいのかい、村人たちに別れを告げなくても」

「……そんなことはしてこなかった」

「だったらきょうから始めよう。新しいことを」

「……」


 ルナは愁をちらりと見て、しかしためらわずに歩き出した。

 愁は肩を竦め、その巫女のあとを追従する。


 人々はルナの前の道を開けた。

 すると遠巻きに見やる人々の中から、ひとりが歩み出てくる。


「あ、あの、ルナさま!」

「……」


 ぞくりとするような真っ赤な視線を向けられて、男は震え上がる。だが、彼はそれでも口を開いた。


「御役目……大変でしょうが、がんばってください! ルナさまと、マシュウさまのご活躍、遠い地からお祈りしております!」

「……」

「ははは」


 押し黙るルナの代わり、笑いながら愁が彼に手を振り返す。


「ありがとう、ドゥル。僕もキミたちの平穏を願っているよ」

「……ふん」


 ルナは立ち止まりながら視線を逸らすが。

 横に立つ愁が彼女の背を軽く押した。


「ほら、ルナも」


 愁が促すと、彼女はしばらく目を瞑ったあとに、ただ小さく一言を。


「…………いってくる」


 告げた。



 そんなものでなにかが変わるとは思えないが。

 人が変わるのはおそらく、そんなものの積み重ねであるのだろう。


 旅が始まる。

 ふたりの旅が。

 


 ルナと、それに続く愁。

 ふたりはタヒ馬に乗りながら、東を目指していた。


 むせ返るような緑の香りと、風の中。

 一組の男女が、草原を凪ぐように、ゆく。


「で、僕はいまだになにをするか聞いてないんだけど?」

「それでも逃げ出そうとしないやつは、オマエが初めてだ」

「それは今までのキミのやり方が間違っていたと思うんだけど。あと、僕の名前はマシュウじゃなくて、愁だからね」

「……黙ってついてこい」

「ここで逃げ出したら困ったりする?」

「オマエの体に傷がつくだけだぞ」

「はは、ルナは強引だね。でもいいよ、どうせ逃げ出したって行くアテはないし。それよりはルナと一緒にいたほうが楽しそうだ。キミはとても綺麗だしね」

「……口うるさい男だ」


 奇妙な二人組だった。

 栗色の髪をした少年と、白く輝く髪を伸ばす少女。

 どちらも信じられないほど美しく、そして瞳の輝きは気高い。


 彼らはひたすらに東を目指す。

 タヒ馬を休め、野宿を繰り返し、ただ東を。


 やがて景色が開けたその日。

 ふたりの前には一面の水平線が広がっていた――。



「暗黒大陸の先には、スラオシャ大陸がある。これから向かう先だ」

「海を渡るぐらいなら、元々そっちの大陸に喚んでくれれば良かったんだけど」

「オマエを喚ぶ召喚魔法陣は暗黒大陸にしかなかった」

「ふうん。じゃあしょうがないね。ルナが僕にわざわざ嘘を言うとも思えないし」

「……なんなんだオマエは、こんなに偉そうな従者は初めてだ」

「今は従者でいいけど。でも、いつかは恋人になれると望んでいるからね」

「…………行くぞ」


 タヒ馬を逃したルナと愁は、崖の上に立つ。

 

「まさかここから泳いでいくわけじゃないよね」

「……」

「泳ぎは苦手じゃないけど、レディーを濡れ鼠にさせてしまうのはちょっとね。僕の魔法も大陸を結ぶロープにはならないからなあ」

「……」


 ルナは右腕を掲げる。

 次の瞬間、彼女の髪が金色に輝いた。


「これは――」


 魔力が。

 大地から、空から、海原から、あまりにも膨大な魔力が、彼女の手に集まってゆくのを愁は見た。

 気流が狂い、海流が乱れ、そしてまるで竜巻のようにルナの周囲が激しく荒れてゆく。


 ルナの瞳の赤がさらに強く濃く、凝縮され。

 やがてその中央に、虹色の輝きが宿った。


 召喚師ルナ。

 その名しか知らなかった彼女が今、力の一端を開放しようとしている。

 これは一体――。

 

 その細い右腕に集まったおびただしいほどの魔力は、ルナの命により、放たれる。

 呼気鋭く。ルナは手をかざした。その直後だった。


 虹色の輝きが――海を断つ。


 光と熱の奔流が、どこまでも伸びてゆくように。

 空間が引き裂かれたかのように。


 大陸と大陸の海峡は真っ二つに割れていた。

 滝のように流れ落ちる海面が左右に広がりながらも、露出したその海底大地は一向に埋まる気配がなかった。

 

 再び髪の色が白く変わったルナは、こちらを見向きもせず。


「ゆくぞ」


 悠然と歩き出すルナの後ろで。


「……」


 愁は言葉を失っていた。

 後ろから気配が近づいてこないことに気づいたルナが、怪訝そうに振り返ってくる。


「……どうした、オマエ」


 特殊な力を持つものがいる世界だとはわかっている。

 だが、ルナの絶大な力を前に、愁は絶句した。


 ここまでとは思っていなかったのだ。

 海を割るなど、神話に出てくるような話ではないか。


 ルナは黙り込む愁に、さすがに感づいたのか。


「……ワタシの力は、あまりむやみには使えない。だから、従者が必要なのだ」


 まるで言い訳するように前置いて。


「オマエがワタシを理解することはできない。低俗な関係を望むのは、やめておけ。なにも考えず、ワタシについてこい。そしてワタシの命令通りに働くのだ。そうすれば、恐れずにも済む」


 愁は割れた海を見ていた。

 同じようにルナも目を伏せ、彼方を見つめている。


「ワタシには使命がある。その目的を叶えるまで、ワタシが他のなにかに目を向けることはない。たったひとつ。それだけのためにワタシは生きてゆく。オマエはただの駒に過ぎない――」


 と、そんな風に語るルナは言葉を切った。

 驚いたのだ。


 先ほどまで茫然自失の体であったはずなのに。

 愁は笑った。


 笑っていた。


「すごいな、ルナ」

 

 誰かを操る蠱惑的な笑みではなく。

 純粋に、ただ楽しそうに、これから始まる物語に期待をするように。


 愁は笑った。


「いいじゃないか、ルナ。僕は今、本当にキミのことが好きになった」

「オマエは――」


 瞠目するルナを今すぐに抱きしめたいけれど。

 それよりも先に、やらなければならないことがある――。


「これから始めよう。海を渡ったらキミの目的をすべて話してくれ、ルナ。悪いようにはしない。ふふ、いいよ、楽しそうだ。使命を果たすまでなにも目に入らないというのなら、それでも構わない。ああ、グズグズしていられないな。時間は有限だ」

「――お、おい、どういうことだ、わからない!」


 愁はルナの手を取って。

 必然のように、割れた海へと歩み出す。


「さあ、早く始めようよ、ルナ」


 ここから。


「キミがこいねがう、ただひとつを――」


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