表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:12 終末に希う、ただひとつの
138/176

12-3 行楽地

 イサギが無力感に苛まれるたびに、思い出すのは犠牲になったものたちだ。

 あの日、あのときもイサギはひとりのエルフの少女を救えなかった。


 目の前で、死んでしまったのだ。

 ひとりの男の手によって――。


 まさしく魔王のように、彼は笑う。

 天主教セルデル――。

 かつてイサギとともに、世界を救ったひとりの英雄。


『エルフのように綺麗なものを汚すのは、たまらなく心地良いとは思いませんか。私がカリブルヌスを仕掛けたこととも知らずに、あの方々は私を頼るのですよ。あれほど理知的で思慮深く、誇り高い一族が。ゾクゾクしませんか。これに優る快感は、そうありませんよ。私の屋敷には今、六人の美しいエルフ族が仕えてくれていましてね。フフフ、皆、私に心酔してくれておりますよ』

『……セルデル』


 邪悪に満ちたその男は、新たなる怨恨をまき散らし、笑う。


『しかし、それも最近では面白くなくなりましてね。ひとりかふたり、躾がいのあるエルフ族がほしいと思っていたのですよ。暗黒大陸に召喚されたあなたなら、ご存知ではありませんか? 私たちとも懇意にしていた、あのリミノ第三王女のことを。後一歩のところで、ミストランドから取り逃がしてしまいましてね。そうだ、彼女を捕まえてきてくれたのなら、あなたをここで見逃しても構いませんよ。あの可愛らしい顔が歪む姿を想像すると、楽しみでなりませんからね』

『……』


 イサギはその場で彼を殺すべきだと決意した。

 このような男が生きていてはならないと。己の正義に懸けて。


 彼を断罪するためにその炎を燃やし、そして過去を断ち切った。

 だが――果たして。

 

 ――それがすべてが決着したのだろうか。

 

 魔帝戦争の終結より、二十三年。

 かつてアンリマンユを討ち倒した勇者イサギは、その後に人族が犯した罪の“報い”を清算するため、旅に出た。


 忌まわしき戦災の遺物は、魔王パズズの死と共に滅び去ったはずだった。

 けれども、もしかしたら彼は、薄々気づいていたのかもしれない。


 過去とは二十年前に端を発するものだけではないということを。

 勇者イサギが新たなる魔王イサギ、そして魔王パズズとしてアルバリススを旅したその三年間もまた――。


 ――ここから始まる過去となっていたのだった。






 イサギのまぶたの裏を、そっと指でなぞるように光が注ぐ。


 窓から差し込む陽の光は、木漏れ日だ。

 大森林ミストラルの森は深く、分厚い。屋根のように絡まり合う葉っぱの空は曇天のように天を覆い尽くすほどであるはずなのに、そこから降り注ぐ陽光は温かく、優しい。

 

 うっすらと目を覚ますイサギが、真っ先に見たものは。

 胸の谷間、だった。


「……」

「……う、うぅん……イサ、さまぁ……むにゃむにゃ……」


 横になって眠るイサギの目の前に、身を丸めながら目を閉じているのは、魔帝の娘、デュテュだ。

 気のせいだろうか、以前もこんなことがあったような気がする。


 イサギはなにかの勘違いかと目を閉じたものの、やはり眼前にいる娘の寝顔に変わりはない。

 魔族の姫はぬくもりを求めるように、こちらに身をすり寄せてきた。その際、彼女の髪がイサギの頬を撫で、こそばゆい感触に彼は眉をしかめる。


「……」


 寝込みを襲いに来たというわけでもあるまい。恐らくは、部屋を間違えたのだろう。

 薄手のネグリジェをまとった彼女の姿は無防備ながら扇情的で、イサギはどうしたものかと視線をあげる。


 するとその、桃色の唇が艶めかしく動き。


「イサさまぁ……ご無理は……なさらずにぃ……」

「……」


 一体なんの夢を見ているのだか。

 

「そんなに無理をしているつもりは、ないんだがな……」


 小さくつぶやいたイサギが離れようとしたそのとき、部屋のドアが開いた。


「お兄ちゃんー、朝だよー、きょうも一日張り切って生きていこうねー……って……」


 その元気な声は段々と小さくなってゆく。

 

「ん」


 イサギが身を起こすと、その腕を引っ張るようにして、魔族の娘が。


「ふぁ……イサさまぁ……いっちゃヤです~……」

「おいおい、デュテュ、いつまで寝ぼけている」

「……ふにゅう……?」


 呆れ顔で彼女の肩を揺すると、娘はゆっくりと意識を覚醒させてゆく。

 ぱちぱちとその紫色の大きな瞳をまばたかせ、徐々に顔を赤く染めながら。


「あっ、い、イサさま……ど、どうしてこちらに……? な、なんでわたくしのお部屋に……まさか、そういう……? えっ、でも、そんな……今さら……」

「いや、お前」


 眉根を寄せるイサギ。

 一方デュテュは、ぎゅっと膝上の布を掴みながら、俯いて。


「わ、わたくし、もう、そういうのは……そういうのは……でも、イサさまが、本当に、心から、望むのでしたら……わたくしは……」

「デュテュさま」

「はっ、はい?」


 リミノが乱暴に床を踏みしめると、デュテュはしゃっきりと身を正す。

 そこに屋敷が揺れるような怒号が飛んだ。


「いつまで寝ぼけているんですか!」

「はっ、はい! そうですね!」

「なんでお兄ちゃんと一緒に寝ているんですか!」

「そ、それはっ! あ、あれ!? ここわたくしのお部屋では!」

「あのねえ、デュテュさま……! リミノは確かにお兄ちゃんのことを諦めようって決めましたけれどねえ! 相手がプレハお姉ちゃんなら仕方ないって思いましてねえ!」


 リミノの剣幕を前に、デュテュはベッドの上に正座した。胸を揺らしながら青い顔で何度もうなずく。


「えっ、ええ! は、はい、なんですか!?」

「なんなの!? どうしてなんですか、デュテュさま! そうやって無防備にふらふらって! 淫魔族だからなんですか!? はしたないですよ!」

「そっ、そうですね! わたくしが間違っておりました!」

「もう二度とこんなことをしないでくださいよね! お兄ちゃんから行ったならともかく!」

「か、かしこまりました! でも! わたくしも別に意図的にこんなことをしていたわけでは!」

「デュテュさま相手だったらリミノ、絶対に絶対に絶対に、負けませんからね!?」

「はっ、はい、すみません! でもなにがですか!? わたくし別に悪いこととかしてませんよね!?」

「ああもうっ! だからぁ!」


 地団駄を踏むリミノと、必死に食い下がるデュテュ。

 そんなふたりに挟まれながら、イサギは居心地悪そうに目を細め。


「朝からなにをドタバタしているんですか……良いオトナが、もう……」


 最終的には、半眼でやってきたメイド少女のロリシアに怒られて、ふたりの姫は『ごめんなさい……』と頭を下げたのだった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ロリシアは去り際にそっと耳打ちをしてきた。


『きっと、おふたりはイサさまに元気を出してもらいたいと思って、わざとああいったことをされているんだと思います……。あまり、邪険にしないであげてください。心配しているのは、わたしも一緒ですし……』


 そんなことを言っていたが、リミノはともかくデュテュはどうだろうな、とイサギは思う。

 彼女も第二次魔帝戦争の件から、多少は大人になったのだろうが。イサギの目からはあまり変わらずに見えてしまう。あるいは、それこそ“わざと”なのかもしれないけれど。


 あれからデュテュたち魔族一行は、イサギの元にいた。

 愁の行方不明の件が解決していない以上、旅立っても行く宛がないらしい。

 ダイナスシティで畏れられるよりは、ここで大人しくておいたほうがいいかもしれないと、イサギも思っている。


 ともあれ。


「ふうむ」


 上半身裸のイサギの前には、いつものように白衣を着たキャスチが座っていた。

 彼の右腕の魔法陣に走る魔力の経路や刺青を観察しながら、難しい顔をして押し黙る。


「悪い、少し無茶をした」


 表情を変えずにそうつぶやくイサギの前、キャスチは額に手を当てて大きなため息をついた。

 外見はほとんど子供と見分けがつかず、ロリシアより幼い顔を老硬に歪ませながら、彼女は。


「有り体言えば、じゃがな」


 そう前置いて。


「最悪じゃ」


 と、不満気に告げた。

 じろりと睨んでくるそのキャスチの目の奥には、心配の色があった。


「体調はどうじゃ。なにか変わったところはないかの」

「……特には」

「嘘をつくではない。お見通しじゃ。魔力の経路がズタズタの上、魔法陣もいくつか潰れておる。再度手術するわけにはいかぬ以上、本人の治癒力に任せる以外あるまい。まったく……」


 イサギは自らの右拳を握ったり開いたりして、動かす。

 そのたびに肘の辺りに、ヒビが入ったような痛みが残った。指先をぴくりと動かすだけで、骨まで達する傷にも似た激痛が走る。


 だが、まあ、なんということはない。


「別に、この程度のことでは」

「この老婆の言葉など聞き入れはしないじゃろうが、おぬしの体は、もはや生きているのが不思議なほどに傷ついておる。魔力も、うまく戻らんじゃろう」

 

 キャスチはイサギの現状を言い当てる。


「魔法陣は、スイッチのようにオンにしたりオフにしたりはできぬ。都合が良いものではないのじゃ。そのようなことをすれば、普段の何倍、何十倍も魔力を食うぞ。神成りの進行も止められはしまい。死手の旅じゃ」

「……」


 そこでキャスチは改めてイサギを見やり、今度は諭すような声色で。


「……守りたいものを守ろうとするそなたの心意気はあっぱれじゃ。わしには眩しく、輝いて見える。そのために力を欲するというのも……じゃが」

「他に方法もなかった」


 イサギは右腕を持ち上げると、爪の先に魔力を集中させる。闘気は一瞬だけ高まり、しかしすぐに霧散して消えた。

 その様を死体が火葬されてゆくような眼差しで見つめ、イサギは首を振った。


「プレハを守るためなら、俺は何度でも戦う」

「が、このままではおぬしが先に死ぬぞ」

「……そうだな」


 イサギはシャツを羽織ると、立ち上がる。

 後ろから釘を差す声がした。


「おぬしが死ぬよりも先に、プレハを治すつもりではあるが……。わしの言葉は聞かんのじゃろう。それでも構わぬが、おぬしのことを想っているあのふたりの声に、少しは耳を傾けてやれ」

「……」


 破術に開眼した左目に眼帯をつけ、右腕に封術を刻み。

 ふたつの禁術を併せ持つその男は、小さく頭を下げた。


「ありがとう、キャスチ」

「ふん! おぬしにお礼を言われたところで、なんとも思わんわい」

 

 キャスチは顔を赤くしながらそっぽを向く。

 イサギは頬を緩めようとしたが、それも難しく、静かに部屋を出ていった。



 イサギがリビングに戻ると、そこにはデュテュとリミノ、そしてロリシアにエウレが顔を付き合わせていた。

 女性陣が集合しているその光景は、しかし決してかしましいものではなく。

 端から見た雰囲気は、重苦しかった。


「……なにかあったのか?」

「あっ」


 弾かれたように振り返るリミノは、慌てて手を振った。

 イサギにそれらしい作り笑いを浮かべながら。


「な、なんでもないよ、お兄ちゃん。ほら、もうすぐデュテュさまの22才のお誕生日でしょう。だから、なにかしようかな、って」

「あ、そ、そうなんです。わたくし、バースデーには、いっつもケーキをご用意していただいて。ですので、ヨシノブさまとロリシアちゃん、それにエウレさんが街へと買い出しにいってくださってて、今帰ってきたところでして……」

「ちょっと、デュテュさま」

「あぅ、リミノちゃん、わたくし、またなにか余計なことを……?」

「いや、まあ、いいんだけど!」


 ぷんぷんと怒るリミノに、おろおろと慌てるデュテュ。

 ふたりの微妙な力関係を「まあまあ」とロリシアが調停している。


「あ、じゃあエウレさんは、ちょっと見回りいってきますんで……」

 

 修羅場を感じたエウレが、そそくさと抜け出すと、リミノは「はー」とため息をついた。


「まったく、エウレも最近はずっとどこかにお出かけしているんだから……ああもう、なんでもないの。お兄ちゃんは、なんにもしなくていいから。ちゃんと休んでてよね。キャスチ先生から容態は十分に聞いているんだから」

「……といっても、俺自身にあまり自覚症状がないからな」

「そういうのは、病人の言いぐさなんですー!」


 指を突き出してくるリミノの勢いに、イサギも「わかった」とうなずいた。

 

「だが、リミノ、そういうお前の体調は」

「あー」


 メイド服を翻し、リミノはくるりと回って笑う。


「だいじょぶだいじょぶ、家事しているだけで、魔力なんて使ってないもん」

「そうか、ならいいが」

「ねえ、お兄ちゃん」


 リミノは前に歩み出て、ぎゅっとイサギの手を握る。

 その心の奥までのぞき込むような翠色の瞳を上目遣いに。


「ここにいる限り、リミノたちは平和だよ。またレンゾーくんが来たら、今度こそリミノが追い返しちゃうから。お兄ちゃんはなにも心配しないで、プレハさまについていてあげて」

「……だが、お前たちは、伍王会議が」

「といっても、シュウくんがいないんじゃ、しょうがないんだもん」


 わずかに頬を膨らませて、リミノはえへんと胸を張る。

 

「女神様がもうちょっとお兄ちゃんのそばにいなさい、って、きっとそう言ってくれたんだと思うことにするよ」

「……」


 ちらりとイサギが赤く染まった右目を向けると、デュテュがぎくりと震えた。


「デュテュ、お前もしばらくここにいるのか」

「えっ、ええ。シルベニアちゃんもフラフラってどこかにいっちゃいましたし、別にダイナスシティに向かってもいいんですけど……その、もうちょっと、のんびりしていられたらなぁ、って……あの、だめ、ですか?」

「いや、好きにするといい」

「ふぁーい……」


 せわしなく揺れる尻尾を手で押さえながら、デュテュはこめかみから冷や汗を垂らしていたが。

 急に思いついたように顔を赤らめた。


「あっ、よ、よろしければソウルドレインのほう、いたします? たぶんちょっと、負担とか、軽くなると思いますけど……」

「それは……別に、いいかな」

「そうですかぁ……」


 しょんぼりとするデュテュに、イサギは頬をかく。

 

「しかし、こういうのは久しぶりな感じだな」

「なんですか?」

「いや、まるで魔王城にいた頃のようだ、って思って……な」


 デュテュやリミノ、ロリシアたちは顔を合わせた。

 魔帝の娘や、エルフ族の姫、そして今では魔王の婚約者の少女だが。

 確かに二年前、自分たちは同じ時を過ごしてきた。


 イサギはわずかに視線を落としながら。


「いいや、感傷だな、これは。つまらないことを言ったかもしれない。忘れてくれ」

「そ、そんなことありませんよ!」


 デュテュは両手を叩き、胸を揺らしながら。


「そ、そうですよ! もしよろしければ、わたくしたちと一緒に帰りましょう? ここはとっても綺麗ですけど、ほら、魔族の大陸に戻って、わたくし、イサさまのために一番大きなお屋敷をご用意しますし、もし人里離れたところがよろしいのでしたら、暗黒大陸のその先にでも……」

「ああ」


 イサギは天を仰ぎ、ため息をつく。


「いいかもな、それは」

「! で、ですよね!」


 彼の心をよぎるのは、なんだったか。


 かつて、プレハとふたりで、魔王城のそばで、そんなことを話した気がする。

 誰もいない土地にいって、たったふたりでなにもかも一からやり直して。

 そうだ、そんなささやかな幸せを求めて、このミストラルの村に来たのだ。


 ならば、廉造の追っ手も届かない彼方までゆけば、そこでならもう一度、静かに暮らせるのかもしれない。

 そんなことを思い、イサギは目を閉じて。


「イサさま」


 今度はロリシアだった。彼女はなにか決意を秘めた目をしている。


「ちょっとロリシアちゃん」

「ロリシアちゃん……」


 リミノとデュテュが慌てて彼女に手を伸ばすが、ロリシアは制止を振り切った。


「……わたしたちは、ずっと、イサさまに助けられて、救われてきました。皆がイサさまに、感謝をしています」


 ぴたり、と姫たちの動きが止まる。

 ロリシアは前で手を組んで、メイドがそうするようにゆっくりと背を折った。


「今はここでごゆっくりと、休息していてくださいませ。わたしたちは皆、イサさまのことを想っています。ですから、どうぞご自愛を」

「……」


 三人の娘たちの視線を浴びて。


「……そう、だな」


 イサギは視線を逸らし、歯切れ悪くうなずいた。

 プレハと生きていけるのなら、それ以上、イサギの望みはない。

 そう、望みはないはずなのだから。


 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……」


 イサギの前には、ひとりの少女が寝そべっていた。

 金糸のような髪を真っ白なシーツに流し、眠るように目を閉じて。


 プレハだ。


 イサギが迷宮から救い出した彼女は、今なお極大魔晶としての性質を残しながら、ゆっくりと人としての形を取り戻しつつあった。

 

 手足は魔晶に覆われ、顔も身体も紫色の結晶の中に沈み込んでいるけれど。だが、かつての祈るような姿勢ではもうない。

 まるで眠るかのように。


「……プレハ」


 左手で頬を撫でるその感触は宝石のようで、少しの温かみも柔らかさもなかったが。

 しかし、以前のあの水晶の中に閉じこめられた姿とはまったく違う。

 老化も代謝もしないのに、今にも目を覚まし、起きあがりそうですらある。

 

 例えそれが幻想であっても、そう信じることは、できた。


「プレハ」


 つぶやく言葉に、返事はない。

 それでも呼び続ければ、いつかは意識が戻るかもしれないと。

 現代日本にいた頃の、ドラマや映画なんかで、そんなシーンがたくさんあるから、イサギもまたそんな風に想ったのか。

 あるいは、人は皆、こういった場面に直面したとき、こんな行動を繰り返してしまうのかもしれない。


 プレハの経過は、順調だった。

 それこそ、イサギよりはよっぽど。


 キャスチの手によって、魔晶はプレハの身体と融合を果たしていっている。やがて、あとは魂が戻るのを待つだけになるのだろう。

 何年、何十年かかるかもわからない。

 だがそれでも、そばにいる限り、可能性があるのなら。


 ……可能性は、あるのだろうか。

 自分が生きている限り、か。


 イサギは確かめるように左手を握り、開く。

 

「廉造はまた来る……。その前にどうするか、だな」


 プレハが極大魔晶である限り。

 このアルバリススに現存する唯一の極大魔晶である限り。


 プレハを巡る争いの果ては、ない。

 あるいはそれは、イサギの魂が擦り切れるまで。


 もういいかもしれない。

 ここを出て、もう一度誰もいない土地で。

 それが本当のイサギの望みだったのだから。


 こん、こん、と控えめなノックの音に、イサギの思考は中断させられる。

 

「あのー」


 ドアの奥から聞こえてきたのは、男の声。

 今この地に住んでいる男は、イサギの他にはひとりしかいない。


「ん」


 小さく声をあげると、遠慮がちにドアが開いた。

 気弱そうに眉を寄せた男は、まだ少年の名残が残る、魔族国連邦の魔王。慶喜だ。


「えーと……」

「……?」


 彼は部屋に入りづらそうに首を竦めたまま、気まずそうに左右に視線を走らせて。

 それからおもむろに両手を合わせて頭を下げた。


「あの、スミマセン! こないだは!」

「……なんだ?」


 首を傾げるイサギに、慶喜は再び。


「いや、ほら、その……イサ先輩と、廉造先輩ごと、怒鳴っちゃったじゃないすか……」

「あ、ああ」

「なんか、ぼくごときがチョーシに乗っちゃったっていうか、えらいことしちゃったなって、あとからなんかもう、すごい怖くなってきて……、こりゃ早いこと謝っといたほうがいいな、って思って……」

「なんだよそれ。俺は気にしてないさ」


 イサギが許すまでもなく頭を振ると、彼はようやく少しほっとした顔で部屋の中に入ってきた。

 

「いやあ、廉造先輩にも、あとで謝らないといけませんね……」

「そうだな。あいつはおっかねえからな」

「ひい」


 イサギの隣にイスを引いて座る慶喜。

 まるで見舞いに来た男のようで、そこは病室じみた雰囲気が漂い出した。


「えーと」

「……」

「うーんと」

「……」

「あ、あのー……」

「なんだよお前」


 眉根を寄せて促せば、慶喜は後頭部に手を当てながら。


「すみません、ぼくその、ほとんど何も知らなくて」

「ああ」

「えと、この人が、イサ先輩の好きな人なんすか」

「……そうだよ」


 ぼそりと答えるイサギに、慶喜は「はぁぁ」と深く息を吐く。それから頭を抱え。


「なんか、こういうの先輩とお話するの、すげーはずいんすけど!」

「言うなよ、お前から聞いてきたんだろ」

「雰囲気的に聞かなきゃだめかなあって!」

「お前が空気とか読むなよ……」

「だってこんな重すぎますよ!」


 事情を聞いた慶喜はさらに髪をくしゃくしゃにしながら。


「はー、なんつーか……ぼくからはちょっと余計なことを言っちゃいそうで、ここは沈黙は金でいたいというか」

「いいよ別に、好きなことを言えよ」

「いいんすか? 斬りかかってこないっすか?」

「お前、俺が今まで突然斬りかかったことがあったか……?」

「いや、でも先輩と廉造先輩の大喧嘩を見ているんで……」


 慶喜の言葉に、イサギはぽりぽりと頭をかく。


「そうか、喧嘩か……お前の目から見たら、あれは」

「ふたりとも化け物クラスの強さを持っているんすから、自重してくださいよね。ぼくでよかったら、なんでも力を貸すんで」

「そうだな。……できればいいんだがな」


 イサギは眼帯を撫で、願望をつぶやき。

 そこで慶喜は話を変えた。


「しっかし、いろいろとびっくりしたんですけど……」

「ん」

「先輩が魔帝戦争を止めた勇者、だっていう話とか」

「ああ」

「正直、ぼく、中二病の人の戯れ言だな、ぐらいにしか思ってなくて……」


 謝罪するなら、それをまず謝れよ、と思わないでもない。

 口には出さず、釈然としない思いを抱えるイサギに。


「プレハさん、でしたっけ」

「……ん」

「こういう感じのことをいうのは、かなりはずいんすけど……」

「なんだよ」

「いや、綺麗な人だなあ、って思って……その、年上で、素敵な魅力があふれてますよね。なんか、すごいキラキラしているっていうか」

「……」


 イサギは、眠りにつくプレハを見下ろしながら。


「極大魔晶と同化してしまって、それっきり目を覚まさないんだけどさ」

「は、はい……」

 

 相槌にも迷ったようにうなずく慶喜。

 恋人が死病に冒されているのだ。あまりにも重い話だと思っているのだろうが、しかしイサギの語り口は穏やかだ。


「ようやく希望が出てきて、起きるかもしれないってな。そうしたら慶喜、お前にも紹介するよ」

「そ、そうっすか、はは……美人相手だと、緊張しちゃいますなあ」

「大丈夫さ、寝顔はこんな風に澄ましているけれど、笑うと子供っぽくて……可愛いんだよ」

「へええ、ぜんぜん想像つかないっすねえ」

「表情が豊かでさ、いつも怒ったり笑ったり、喜んだり、せわしないやつさ」

「あー、そういう子は、いいっすねぇ……」

「旅の最中は、何度も叱られたよ。この世界のことなんてなんにもわからなかったから、俺も必死だったのにな。でも、あいつは頑固で分からず屋でな……」

「はは」


 慶喜の視線に気づいたイサギは、瞬きを繰り返しながら。


「……なんだよ、慶喜」

「いえ、なんか、ちょっとこう、不思議な感じがして」

「ああ?」

「だっていっつもぼくが相談するばっかりだったじゃないっすか。ロリシアちゃんのこと。戦い方とかなんでも。それが今度は先輩の話を聞くとか、ちょっとうれしいっていうか」

「んだよそれ……」


 鼻の頭をかくイサギ。


「……とにかく、これがプレハだよ。世界中が狙っている極大魔晶だ」

「なんていうか、まるで、お姫様みたいっすね……」

「お姫様ならうちにふたりいるだろ」

「いやあ、そういうんじゃなくて、いやあのふたりがなんだかんだってわけじゃなくて! そうっすね、こう、世界中の悪者が奪い合うお姫様っていうか、なんかゲーム的な意味で」

「わかるようなわからないような……」


 廉造は元の世界に帰るため、イサギの手から極大魔晶プレハを奪い取ろうとした。

 

「……慶喜、そういえばお前は」

「はい?」

「いや……極大魔晶を、もう求めてはいないのか?」

「あー」


 慶喜はぼーっと天井を見つめて。


「だって、ぼくは元の世界に戻っても、ねえ……?」

「残してきた家族とかさ」

「いますけど、まあぶっちゃけ、自由に行ったり来たりできるなら三日ぐらいは帰ってもいいっすけど……でも二度と戻ってこれないんだったらもう、ねえ? 薄情なんすかね、ぼく」

「どうだろうな」


 イサギは回答を避けたが、彼の気持ちは十分にわかった。

 すでに慶喜は成り上がった身だ。地球に帰ったところで、空虚さを感じるだけだろう。


「それにぼくがいなくなったら、魔族国連邦も、まあ一騒動くらい起こっちゃいますよ。ぼく、今は割と働いてますし」

「そうだな。ロリシアも泣くだろう」

「ん~~~、どうなんすかね! ぶっちゃけ想像つかないっす!」


 はっはっは、と朗らかに笑う慶喜。

 イサギはそんな彼を慰めようとしたわけではないが。


「ま、お前が帰りたいって言っても、ロリシアが許してくれないだろうな」

「そうっすね、手足を縛られて蓑虫みたいに転がされて冷たい目で何度も何度も踏まれますね。そっちすごく想像つきます」

「……お前、そんなことされてんの?」

「あくまでも想像上のロリシアちゃんですけどー!」


 その大声が部屋の中に響いても、やはりプレハが目を覚ますことはない。当たり前の話だが。

 今度はがっくりと肩を落とす慶喜に、イサギはつぶやく。


「愁は、どうなんだろうな」

「え?」

「あいつの願いは結局、元の世界に帰ることじゃないのか」

「……愁サン、っすか。さ、さあ、どうなんすかねえ」


 目を泳がせる慶喜を見ずに、イサギは顎をさする。


「あいつの目的は、神化病患者の根絶と、この世界の平和だ。そのために魔族を裏切り、冒険者ギルド本部で出世して、魔王パズズを倒した。その上、今回の伍王会議だ」

「すごい人っすよねえ……本当に同い年なんすかね……」

「ああ。だが……なんだったんだろうな、愁の本当の願いは」

「愁サンはいっつも割と、なにを考えているかわからないフシがありましたっすしねえ……」

「しいて言えば、女性関係と世界平和、そして神化病患者を憎む心だけは、本当だと思えたが」


 黙考するイサギに、慶喜は「まあまあまあ」と慌てて声をかける。


「いいじゃないっすか、今は愁サンのことは」

「だが行方不明だろ。伍王会議の開催も危うい。心配じゃないのか?」

「でもあの人のことだから、きっと平気に決まってますって。伍王会議だって別に愁サンがいなければできないってわけでもないですし、まあそれはね? それとして」


 慶喜は立ち上がるとわざとらしく伸びをした。


「あーなんかぼく、急に外の空気を吸いたくなってきちゃったなー、やーイサ先輩、マジでプレハさん良くなるといいっすね、ぼく本気で応援してますんで。それじゃあぼくはこれで!」


 早口で立ち去ろうとする慶喜に、イサギはため息をついた。


「で」


 左手を振る。男の指の間にはその紙が挟んであった。


「どうりでな。みんなの様子がおかしいと思ったよ。いくら病に冒されているとはいえ、そこまで鈍くはない」

「えっ、あっ、それ! いつの間に!」


 慌てて懐を探る慶喜に、イサギは文面を見やり――。


「……まったく、俺の願いも、罷り通らないものだ」


 ――視線を落とし、そして首を振った。




『イサくん、僕は今、エディーラ神国に来ている。

 キミが討ち倒したセルデルの、噂の亡霊を一目見にね。

 たぶん殺されることはないと踏んでいるのだけど。

 このメモを見たのなら、助けに来てくれると嬉しいな。

 追伸――最近、熱いブラックのコーヒーがなおさら恋しいよ』


 それは日本語で描かれていた。






 勇者イサギの魔王譚

『12-3 最後の行楽地(ラストリゾート・デー)






 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 六禁姫に囚えられて、どれくらいになるか。


 食事の代わりに与えられるのは、得体の知れない魔晶の数々だ。

 いくらこの世界での体は、魔力や魂さえ頑健ならばいくらかの絶食に耐えられるからといっても、限度がある。

 愁の体は日に日に、衰弱していった。


「……ん」


 そんな状態で、暗闇の中、意識が浮上してゆく。

 これは一体何度目の覚醒だろう。

 

 今度こそ最後かもしれない。そんなことを思いながら、愁はゆっくりと目を開く。


 そこには――。

 一面の草原が広がっていた。


 青々と茂った草原の中、背の高い馬が駆け抜けてゆく。

 愁は風に吹かれながら、なびく栗色の髪を押さえた。


「……ここは……」


 むせかえるような自然の息吹の中、愁はこれが夢であるとすぐに気づいた。

 少し歩けば、見覚えのある景色がある。


 石造りのその建物は、まるでほこらのようだった。

 見張りもいないその中に、愁はゆっくりと立ち入る。


 足下に広がっているのは、文様だ。

 大きく描かれた丸の中に複雑な幾何学模様が埋め込まれており、それらは赤く輝いている。


 ああ、いつか見た、この魔法陣は――。


「……召喚陣、フォールダウン、か」

 

 無論、ここは魔王城などではない。


 今よりもさらに、四百年前の物語。

 ここから始まる、もうひとつの英雄譚。


 ほら、浮かび上がる。

 魔法陣の中からひとりの青年が、現れる――。


 とてもよく覚えている。

 ああ、とても。

 何度だって昨日のように思い出せる。

 あの瞬間は、忘れられるはずがない。


 当時、中学二年生の頃に召喚された自分を出迎えた、彼女。

 召喚師。


 白い髪に、赤銅のような焼けた肌。

 赤い目をして、この世ならざる美貌を讃えた獅子の如き娘。

 ルナ――。


「はは」


 愁は髪をかきあげ、幼い自分を出迎えるその少女の幻影を眺め、破顔一笑した。


「やっぱり、夢の中でも美しいね。ルナは」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ