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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:12 終末に希う、ただひとつの
137/176

12-2 兄と妹

 雪が降る。

 エディーラ神国には、しんしんと。


 一年中雪に覆われたこの国には、人の心を凍てつかせるなにかがあるのではないかと、アマーリエは思わずにいられない。

 ドワーフ族の滅亡、セルデルのリヴァイブストーン開発、そして今回の六禁姫。

 そのなにもかもが、エディーラ神国に端を発するのだから。


 トッキュー馬車に乗り、アマーリエは頬杖をついて格子の外を眺めていた。

 

「ねえ、お兄」

「ん」


 斜め向かいに座るハノーファはこんなときだというのに帳簿にサインをつけていた。冒険者ギルドの仕事を持ち出し、淡々とこなしている。

 そんな生真面目な兄の様子を一瞥し。


「父さんとセルデルさまは、仲間だったんだよね」

「ああ、そうだ。俺も直接見たことはないが。魔帝戦争を終結させたのは、勇者イサギ、極大魔法師プレハ、天賢者セルデル、そして戦聖バリーズド。その四人だ」


 まるで教科書を読むようによどみなく語るハノーファ。

 彼は勇者イサギと、セルデルを倒した魔王パズズが同一人物であるとは、知らない。

 そのことを知っているのは、このアルバリススでも数人しかいない。


 イサギはなぜセルデルを殺したのか、あるいは彼はこのような事態になることを予期していたのだろうか。

 そんなアマーリエの想像に気づかず、ハノーファは口を開き。


「父上は、セルデルさまのことはあまり話したがらない人だったな。仲が悪かったというわけではないのだろうが、いつも言葉を渋っていた。あれは一体なんだろうな」

「……もしかしたら、その邪悪な心を見抜いていたのかもね」

「邪悪か。どうだろうな、父上も正義の人であったからな」

「正しすぎて、体を壊しちゃったけどね」


 アマーリエはため息をつく。


「今も父さんが生きていたら、どうしていたかな」

「決まっているさ。エディーラ神国に乗り込んで、ギルドマスターを返せと怒鳴っていただろう」

「えー、そんな無茶する? もう年よ?」

「……するに決まっている」


 ハノーファの視線の意味に気づかず、アマーリエは腕を組んで首を傾げた。


 ともあれ、馬車での旅はまだまだ続く。

 ふたりはまるで子供の頃のように、懐かしい話を語り合っていた。


 家族の思い出や、互いの母のおぼろげな記憶。あるいはひとり残してきた弟フランツのことなど。


 夜を迎え、宿に泊まり、朝になり、再び馬車に乗り。

 それでも兄妹の話は尽きなかった。



「そういえばお兄は、勇者イサギさまのこと、なにか知っている?」


 斜め向かい。探るようなアマーリエの質問に、ハノーファは率直な問いを返す。


「なにかとはなんだ?」

「えっと……その、伝承に載っていない英雄譚とか」

「おまえは昔からそういう物語が大好きだったな。勉強は嫌いだったくせに、本ばかり読んでは剣を振っていた」

「あたしが魔帝戦争の頃にお兄の年だったら、イサギさまの旅にくっついていっちゃったかもね」

「俺は6才だったんだぞ。……いや、だがそうかもしれないな」


 ハノーファは遠い目をした。

 記憶の中の少年の姿を思い出す。


「実際の勇者イサギを見たことはあるが、俺にはよくわからなかった」

「わからない、って?」

「彼が世間で言われるような男には見えなかった。まあ旅に出始めた頃だったしな。まだまだ経験不足の時期だったのかもしれない。ただ、あとから伝承を聞いたときは戸惑ったものだよ。勇者からはもっとも遠い少年だと思ったからな」

「……ふーん」


 アマーリエはするりと髪を撫でる。


「お兄には、そう見えたんだ」

「そうだな。小さかったが、なぜだか妙に覚えている。泣きわめいて剣を振るう少年の姿は滑稽だったが、彼の前に立つ父は立派だったよ」

「別に、いいけど」

「どうした? おまえが話せと言ったことだろう」

「あたしがイサギさま好きなの知っているくせに」

「世辞だけ言えというなら、言ったさ」

「はいはい」


 するとアマーリエは指先でコードを描く。

 それを見たハノーファは驚いた。


「おまえ、術式をいつの間に」

「馬車酔いがひどいから、身につけたのよ。まったく、お兄、あたしのことなんにも知らないわね。日々成長しているんだから」

「……そうだな」


 ハノーファは座席にもたれかかり、後頭部に手を当てた。

 述懐するのは、一年半の出来事だ。


「だから俺は、ギルドマスターには向いてなかったのかもしれないな」

「え?」

「自分はたいていのことはうまくできると思っていたんだよ。実際にできた。父たちの作ったシステムを運営し、維持することなら、それほど難しいとは思わなかったが。だが、人の心を動かすほどには至らなかった」

「……珍しい、お兄がそんな弱気になっているだなんて」

「ただの事実であり、結果でしかない」


 二代目ギルドマスターは自らを省みながら。


「あの男、シュウは、これからの時代に必要だ。新たなる発想に、新鮮な息吹を与えてくれる。伍王会議など、思いついたものはいなかった。冒険者ギルドが主導で世界を変えるなど」

「あいつのこと、嫌っているわけじゃなかったの?」

「どうせ湧いた権力だ。奪われたからといって、なんとも思ってはいない……と、先月の今頃は必死にそう言い聞かせていたな。もしギルドが父に託されたものだったら、また違っていたのだろうが」

「そうよね、死んだ父さんの代わりに収まっただけだしね」

「おまえは……いや、まあいいか。その通りだ」


 書類の代わりに剣を持つと、なんだかこの方がしっくりと来る感じがした。

 ハノーファは思う。これが己のあるべき姿なのかもしれない、と。


「相当に準備をしてきただろうに。自分の元に権力を一極集中させてからの失踪だ。あの男がいなければ、もはや組織は成り立たぬ。……助け出さねばならないな、なんとしてでも」

「ええ、わかっているわ。ま、性格は最悪だけどね」

「そういえばおまえ、求婚されているのではなかったか?」

「性格は最悪だけどね!」


 赤髪のふたりの剣士を乗せたトッキュー馬車は、リーンカテルダムへ到着する。

 この世界のすべての悪意が凝縮された、その街へと。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 厚手のコートを羽織ったふたりの剣士は、通りをゆく。

 過ぎる人々は皆、敬遠な女神教徒ばかりなのか、剣を持つ赤髪のふたりをいぶかしげに見つめていた。


「リーンカテルダムか、久しぶりだな」

「お兄、来たことあるの?」

「まあ何度か仕事でな。お前はどうだ?」

「あたしもまあ、何度か仕事でね」


 元ギルドマスターの前、アマーリエは胸を張りながらも、それが子供っぽい仕草ではないかと気づき、照れたように視線を逸らした。


「……ま、でもここでは冒険者の仕事はほとんどなかったから、すぐに西に向かったけどね」

「ブレイブリーロードを辿ったんだろう?」

「ええ、そうよ」


 今度こそアマーリエは満足気にうなずく。単純な妹だった。


 ダイナスシティから大森林ミストラルの北を迂回してハウリングポートへと向かう道は、かつて魔帝戦争を終結させた勇者の道程である。

 そのため、勇者イサギに憧れる少年少女の中ではもはや定番となっている巡礼ルートなのだ。


「この街に冒険者の仕事があまりなかったのは、やはり神殿騎士を要する女神教の勢威が強かったからだろうな。ギルドもあまり大きくはならなかった」

「パラベリウとエディーラは決して対立していたわけじゃないのよね?」

「人間族同士で対立している街なんてなかったさ。だが」


 その途中でハノーファは言葉を飲み込んだ。

 女神教と冒険者の構図はそのままそっくり、バリーズドとセルデルの構造に当てはまる。

 この世界の人間族を二分するふたりの英雄。

 種族間の争いが収まりつつあると思ったら、今度は人間族同士の禍根が表層化してきたのだろうか。

 いいや、もうこんなことは終わりにしなければ。


 かつてのセルデルの遺児の元に、バリーズドの子である自分たちが向かうというのは。

 まさしくこれこそが、戦後の決着を象徴する出来事のようにも、思えてしまう。


 そんなハノーファの内心を知ってか知らずか。


「どうする? ギルドに顔を出す?」

「……いや、やめておこう。支部長が捕らえられているのなら、それは屋敷だろうしな。あの手際からして、ギルドに内通者がいる可能性は十分にあり得る。俺たちだけで行動しよう」

「了解」


 うなずくアマーリエはすでに妹ではなく、戦士としての顔つきであった。

 敵の本拠地へと向かうその雰囲気に対抗するかのように、彼女の体からはゆっくりと闘気が立ち上ってゆく……。



 宿にも寄らず、ふたりはすぐに目的地に到着した。


 六禁姫の屋敷は、かつてセルデルが住んでいたものだ。

 それは街の外れにありながら、まるで深い毒沼の底に眠るような雰囲気を漂わせていた。

 なにがどうということはない。ただ気配だけがなによりも忌まわしい。


 雪を踏みしめながら、ふたりはその屋敷の前に立つ。

 大きさはダイナスシティのギルド本部ほどではない。せいぜい貴族が住むような豪華な屋敷だ。


「研究施設は地下かしら」

「……この程度の大きさの建物など、魔術師総動員なら簡単に沈められると思うのだが」

「剣だって似たようなことはできるわよ」


 アマーリエは腰に差した剣の柄を握りしめる。

 血気盛んな妹をハノーファがなだめようとしたそのときだった。


 ちりんちりんと、鈴の音がした。

 弾かれたように視線を飛ばすふたりの剣士。


 まるで気づかなかった。

 檻のような鉄柵越しに、幽鬼のような影。


 そこにいたのは、少女――。


「――寝床がなくなっちゃうから、それはやめてほしいわ」


 悪意を濃縮したようなドレスを着て、鈴のついたランタンを小さく握ったエルフ族の女の子だった。

 華美に飾り立てながらもどこか退廃的な雰囲気を醸し出しているのは、彼女の艶のある声と、そして心根から漂う瘴気によるものだろう。

 手足も小さく、いまだに幼いながら、その顔に貼りついた笑顔の正体は、人の心を舌先で転がす詐欺師のようだった。


 ああ、これがそうか。

 アマーリエは腑に落ちた思いがした。


 ――六禁姫のそのひとりだ。


 見た目とそぐわないその悪辣な表情を一目見て。

 得体の知れない不安感や、あるいは畏れを人は抱くだろう。


 一方、アマーリエは本能的に直感した。


 ――こいつ、大嫌いだわ。と。


「……」


 ハノーファが声もなくアマーリエをかばように前に出た。

 六禁姫のひとりは唇をほとんど動かさずに、だがやけにハッキリと大きく聞こえるような不思議な声をして。


「ようこそ、わたしたちの唯一の居場所へ。あなたたちの大切な人は地下にいるわ。この意味、わかるわよね?」


 蛇のようなまなざしが、ふたりの体を這い回る。

 無論、人質を取られている以上、こちらから先に手出しはできない。そういうことだ。


 禁姫はくすりと笑う。


「ええ、お利口さんだわ。それに来てくれたのがあなたたちで良かった」

「……なによそれ」

「話す価値もない相手とは話さないことにしているのよ、わたしたちは。思念が穢されるから」


 不敵な言葉を吐き、彼女は門扉を開く。


「ご案内するから、ついてきなさいね」


 ぎぎぎと錆びついた扉が軋む音は、まるで亡者の悲鳴のようだった。



 

 ハノーファが先に、そしてアマーリエが後方を警戒しながら進む。

 地下へと続く階段は予想以上に深かった。太陽の光は届かず、まるで迷宮の中に引きずり込まれるような感覚を覚える。


「……」

「……」


 この寒さは、エディーラの気候だけではないだろう。

 芯が凍えるようなそれは、時間をも停滞させているようだった。


 最下層まで下り切ると、そこからは廊下が延びていた。狭い坑道のような印象を受けながらもそこが廊下だと感じたのは、左右に調度品が飾られているからだ。


 魔具のランタンの頼りない明かりに照らされた調度品は、不気味に浮かび上がる。

 何者かの頭蓋を加工して作られた燭台や、剥製にされた人体のパーツを組み合わされて作られた棚、椅子。そして血液で描かれた絵画など。


 あまりにもグロテスクな光景に、アマーリエは思わず口元を押さえた。


「……最悪の趣味ね」

「うふ」


 しゃなりしゃなりと先を歩く禁姫は、ゆっくりと振り返ってきて。


「あまり人の趣味を面罵するものではないわ、アマーリエ」

「……あたしの名前を?」

「ええ、知っているわ。わたしたちは皆、退屈を持て余しているもの。知りたいことはなんでも知るようにしているの」


 またちりんと鈴が鳴る。冥府に誘う鐘の音のように。


「わたしは女神教『六つの大徳』のうち、『神愛』を司るノエル」


 アマーリエが横目を向けると、ハノーファがそっとつぶやいた。


「女神教六つの大徳は、人が人してあるべき六つの教えを説いたものだ。エディーラではそれが何よりも尊いとされている。希望、神愛、勇気、忠節、智慧、そして忍耐だな」

「ふぅん」


 こちらの説明が終わるのを待っていたのか、ノエルは壁に飾られた、人の断末魔を描いた絵画を指で撫でながら。


「うふ、だからこそあなたの言葉を聞かなかったことにしてあげられるけれど……ここから先の子たちの耳に入ったら、大変だわ」

「……なにそれ、脅し?」

「脅しというのは、相手に要求があるからすることではなくて? 話が合わないわね。虫を脅す人がいるのかしら」

「あんた」


 アマーリエの肩をハノーファが掴む。


「よせ、アマーリエ。相手にしたところで無駄だ」

「……っ」


 不満げに奥歯を噛みしめるアマーリエの表情を視線で一撫でして、ノエルは再び歩き出す。

 奥まったところに、金属製の物々しい扉があった。

 巻き付けられていた鎖を外してゆくその仕草は、禁断の封印がひとつひとつ解けてゆく感じにも思えた。

 ひとつ封印が解けるたびに、中から噴出してくる瘴気が濃くなったかのように思える。


 剣を取り上げられないのは相手が力に絶対的な自信を持っているからなのだろうな、とアマーリエは思う。

 単独でギルド支部から支部長を誘拐できるような猛者には、到底見えないのだが。

 

 高まってゆく緊張感の中、ノエルはゆっくりと扉を開く。


「さあ、ここからまた始めましょう」


 地の底から震える呪詛のような、合唱――。

 ――朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ。


 闇に浮かぶ三対の紅眼が、赤髪のふたりを迎え入れた。



 そこには大小様々な高さの違う椅子があり、思い思いの場所に六禁姫が座っている。

 いや、見回したところ三人しかいなかった。強烈な気配を放っているため、暗がりに潜んでいるということでもなさそうだ。


 寒さの根源はここにあったのか、と気づく。彼女たちの無意識な魔力が冷気のように充満しているのだろう。

 彼女たちの好奇の視線に晒され、アマーリエとハノーファはまるで檻に入れられた見せ物のような心地を味わっていた。

 

「ようこそわたしたちの宮殿へ」

「うふふ、歓迎してあげますわ」

「ギルドマスターを取り返しに来たのね」

「なんて美しい心の持ち主なのかしら」


 やがてノエルがランタンを置いてその輪に入ると、すぐに彼女は見分けがつかなくなった。

 どの娘も外見的な差異がほとんどない。まるで四つ子のようだ。

 しかもその誰もが人の想いを嘲り、踏みにじり、破壊することに喜びを感じているかのような顔をしている。


 アマーリエはあからさまに顔をしかめる。


「なんなのよあんたたち、話すことなんてなにもないわ、ギルドマスター・シュウを返しなさい」

「まあ、この子、あたしたちに『要求』しているのね」

「すごいわ。なんてことかしら、開いた口が塞がらなさそう」

「滑稽ね。まさしく滑稽だわ。ああ、解体して飾っておきたいわね」


「……」


 口々に面白がる禁姫たちを前に。

 こめかみを押さえるアマーリエはうんざりしながらハノーファを見た。


「……この子たちと、なにを話せっていうのよ」

「そうだな。俺が変わろう」


 咳払いをし、ハノーファは前に歩み出る。


「私はハノーファだ。先代ギルドマスターを務めていた」


 彼をひとりの禁姫が退屈そうに。


「知っているわ。知っていることを告げられるのは、侮蔑だわ」

「そうか、ならば話が早い。私たちがここに来たのは、ギルドマスター・シュウを引き渡してほしいと『交渉』をしに来たのだ」

「……『交渉』ね」

「ああ」


 ハノーファは四人の禁姫ひとりひとりを見返しながら、語る。


「君たちが彼を生かしているというのなら、そこに意味はあるのだろう。我々冒険者ギルドになにか頼みたい仕事があるはずだ。違うか?」

「どうかしらね? わたしたちがしたいことにいちいち理由なんてあると思う?」

「気まぐれに冒険者ギルドのマスターを攫うような人物がアルバリススにいるとは、あまり考えたくないな」


 禁姫たちは顔を合わせ、くすくすと笑う。

 やがて彼女たちは好きな男の子の名前を口ずさむように、微笑みながら。

 

「物分かりが良い人たちね。それは好きよ」

「そうね、でも本当にどうしてだったかしら。わたし忘れちゃったわ」

「『智慧』のディハザはどこへ?」

「あの子が覚えていたはずよね」


 辛抱強く待つハノーファとアマーリエに「そうでしたわ」と手を打ったのは、右から二番目に座っていた少女だった。

 

「シュウで、あなたたちとその『交渉』というものを、する予定だったのよ」

「ほう」

「あなたたち、今作っている最中なのよね? それをわたしたちに、プレゼントしてほしいのよ。包みもリボンもいらないわ。ただ、それだけを」

「……なんのことよ」


 奴隷としてずっとここに閉じ込められていたからか、回りくどい話し方を好む禁姫に、アマーリエはうめく。


 口元に手を当て、深窓の令嬢のように笑う少女は、血の色の唇を歪めた。


「『極大魔晶』。それさえあれば、わたしたちの望みがまたひとつ、叶うから」

「……」


 表面的には、ハノーファは表情を変えなかった。

 なぜ彼女が冒険者ギルドが秘匿しているそのプロジェクトを知っているのか、今さら疑念を挟む必要はない。


 だが。


「……それを手に入れて、一体なにをしようというのだ?」


 というハノーファの問いに彼女は答えず、良いことを思いついたとばかりに両手を合わせて、背徳的な笑みを見せた。


「そうそう、贈り物をするときには、まずわたしからよね? ねえ、ミシフォン、あれはどこにあったかしら? まだ温かった?」

「どうだったかしら、箱に入れておいた気がするわ。ああ、そうそう、ここね、でも包みもリボンもないけれど?」

「それではプレゼントとは言えないわ、ミシフォン」

「でもあちらの方もないのでしょう?」

「あら、そうだったわね、ならそのままで構わないわ」


 傍目に見れば、貴族の通う幼年学校の生徒たちがじゃれ合っているようにも思えただろう。

 だが、彼女たちが言葉を交わし、そしてこちらに放り投げてきたのは――。


「ねえ、受け取って? あなたたち、これを探していたって聞いたわ」

「……なんだ?」


 暗がりの中、ランタンの明かりの範囲に転がり込んできたのは、形相であった。

 ハノーファとアマーリエは心臓を掴まれたような気がした。

 

「……これは」

「なにこれ……」


 金髪の男の首である。目は潰され、口から舌が抜かれ、その半分が削ぎ落とされている――。


「空中戦艦は渡せないけれど、それだけ持ち帰ってくれてもいいわ。親睦の証よ。わたしからの贈り物。受け取ってくれるかしら?」


 ゾッとした。そして同時にハッとする。


「まさか……真・魔族帝国の……ゴールドマン?」

「なんだと……」

 

 さしものハノーファも言葉を失った。

 冒険者ギルドに手配されていた討伐対象者だったが、まさかこんなところで息絶えていたとは。


 魔族の話では、その体に魔晶を埋め込み、半魔晶生命体として絶大な力を手にしていたという話だったが。

 一体誰がこんなことを。まさか、六禁姫だというのか。


「だって、わたしたちと手を組みたいだなんて、言い出すんだもの。でもわたしたちに助力なんて必要ないのよ。六人でわたしたちは完成されているんだもの……でも、あら?」


 ふたりの視線に気づいた姫たちは、無邪気に顎に手を当てて首を傾げた。


「あらあら? やったのは、誰だったかしら? ミシフォン」

「もう覚えてないわ、あなたはどう? ノエル」

「わたしではないわ。殺生は『神愛』に背くもの。ねえ、どう? リャーナエル」

「傷めつけたのは全員ではなかったかしら。そして身罷ったのは、カロラエルが原因でしょう」

「あら? あらあら?」

 

 円環のように一廻りし、そして最初に言い出した少女――カロラエルは、両手を合わせてニッコリと目を細めて笑った。


「そうだったわ、わたしだったわね。でも意地悪したわけじゃないのよ? 『希望』を与えるのがわたしの使命なのだから。彼が死にたいとこいねがうのなら、仕方ないことではないかしら?」

「そうだったかしらね? カロラエル」

「あら、あらあら」


 カロラエルは斜め上に視線を転じ、悪戯のバレた子供のような顔で眉をあげ、舌を出す。

 そして――。


「そうね、もうひとつ思い出したわ。そうだったわ、ずっと泣き続けて、少し耳障りだったんですもの。何度釘を打ち付ければ大人しくなるのか、知りたかったんだわ」

「――あんたたち!」


 ゴールドマンの転がる首から目を離したまま、アマーリエが叫ぶ。

 四人の禁姫たちは、ぴたりと笑い声を止め、こちらに昏い視線を向けてきた。


「シュウくんは、無事なんでしょうね! 言っておくけれど、冒険者ギルドを敵に回してただで済むとは思わないでよ!」


 次の瞬間――。

 右から三番目にいた少女が指をこちらに向けて突きつけてきて。


「怒鳴る人は嫌いだわ」


 その目が紅く――光った。


 パチン、と弾ける火花。

 それは部屋の中で閃き、アマーリエを強襲する。 


 アマーリエは強烈な力に頬を殴られ、後方へと吹き飛ばされた。壁に叩きつけられ、彼女は苦悶の声をあげる。


「アマーリエ!」


 ハノーファの疾呼。アマーリエは頬に手を当てながら、すぐさまに起き上がった。

 手にはべっとりと血が付着している。頬が切れたのだ。


「……あたしは、大丈夫よ。むしろ少し目が覚めたぐらいだわ」


 身体的なダメージはそれほど深くはない。当たりどころが悪ければ眼球を潰されていたかもしれないが。


 アマーリエがキツく睨み返すと、指先から『魔法』を放った禁姫はあくまでも冷たい目でこちらを見下ろしていた。

 意にそぐわないものはすぐさまに叩き潰す。そんな態度だ。


 ハノーファはアマーリエの前に立ち、彼女たちに問い返す。


「極大魔晶か。それがあれば良いのだな? だが、その計画を聞いているということは、今はまだ完成していないことは知っているだろう。それまでずっとギルドマスターを捕らえられては、我々も困る」

「困られても仕方ないわ」


 そうつぶやいたのは、神愛のノエルと言ったか。

 彼女ひとりをじっと見つめながら、ハノーファは再度。


「そこでだ。私が代わりに人質となろう。シュウの身代わりにな。どうだ、私は英雄バリーズドの長男だ。十分に価値があると思うが」

「ちょっと、なに言っているのよ、お兄!」


 アマーリエを手で制し、ハノーファはなおもノエルに視線を注ぐ。


「シュウが主導で計画を進めれば、今よりもずっと早く極大魔晶は完成するはずだ。どうだ? 悪い取引ではないと思うのだが」

「ふうん」


 ノエルはその言葉に、ただ唇に手を当て。


「そうね、わたしは――」


 彼女がうなずきかけたそのとき。



 バン! と扉が開かれた。


「――だぁぁぁめ」


 逆光の中、立つひとりの新たなる少女。

 顔面のその下半分を真っ赤に染め、まるで血液の雨を浴びたかのような姿をして。

 それでも笑えば、無垢なる残虐さを讃えながら。


「ハノーファ、あなたもぉ、ここで眠るのよぉ。ねぇ」


 誰かが彼女の名をつぶやく。

 ――ディハザ、と。



 彼女はこれまでの禁姫たちともわずかに雰囲気が異なっていた。

 他の娘が研ぎ澄まされた剣ならば、彼女はすでに人を斬った妖刀だ。さらに血を求め、そして命を奪うことに喜びを感じた――。


 退路を塞ぐように立つそのドレスの娘は両手を広げ、小さな舌を出し、頬を少しだけ膨らませた。


「アマーリエ、見ていなさぁい。あなた方、冒険者ギルドが、どれほどのものかぁ。ねぇ、ハノーファ、ほぉら、わたくしが遊んであげますわぁ」


 嗜虐的な顔をした彼女はハノーファを手招きする。

 ディハザの行ないを、他の禁姫たちは興味に彩られた瞳で眺めていた。


 ハノーファは彼女から半歩、距離を取り。


「……それは、私と戦おうと言うのか?」

「違うわぁ、『遊んで』あげるのよ。だってあたしとあなたでは勝負にもなりゃしないものぉ」


 ディハザは胸に手を当て、自信たっぷりに言い切る。すでに起こった未来の出来事を伝えるかのようだ。

 

 ハノーファはわずかな時間で、さらに慎重に検討をする。

 禁姫の力がどれほど強いのかはわからないが、だが、所詮はただの奴隷――。


「……俺がおまえを斬ったそのときは、どうなる?」

「シュウを開放してあげるわぁ」

「それがおまえたち六禁姫の総意か?」

「どうでしょうねぇ」

 

 くすくすと笑うディハザから視線を外し、ハノーファは他の皆に。


「わかった。勝負はしよう。だが、俺が負けてもアマーリエには手を出さないでいただきたい。ここでふたりが死ねば、極大魔晶を運んでくるものはいなくなる」

「いいわぁ」

「感謝する」


 ハノーファはゆっくりと剣を抜いた。彼の愛剣、魔晶の力を持つ剣だ。

 アマーリエは顔を歪め、兄の腕に触れる。


「お兄、どうせこいつらの言うことよ。ロクなことにはならないわ」

「だろうがな。叩きつけられた挑戦状を突き返すほどに、人間はできていないんだ」

「お兄!」


 アマーリエを手で制すハノーファ。


「許せ、アマーリエ。俺はお前とカリブルヌスの結婚を阻止することができなかった。すべてを聞いたのは、父上が死んだあとだった」

「そんなのは、今関係……」

「だから、ここは俺に任せろ」


 ハノーファは闘気を高めながら、獣のような眼で告げる。


「俺にも流れているのだ。――バリーズドの血が」



 ディハザは構えらしい構えを取っていない。

 いかにも身動きの取りづらそうなドレスのまま、棒立ちだ。


「どこからでも、構わないわぁ、ハノーファ。あなたの踏み込みは稲妻のようだと聞くけれどぉ」

「さて、どうかな」


 部屋の中には、魔力が高まってゆく。

 氷のような禁姫の魔力に抗う、炎のようなハノーファの闘気。

 激突するふたつの力は空間に渦巻き、地下室の雑多な紙やガラクタを揺らす。


「では、言葉に甘えるとしよう」


 禁姫たちに見守られる中、ハノーファは静かに剣を傾けた。


 バリーズドの邪剣は、必殺――。


 敵味方の入り交じる戦場にて、斬り合いを避けるため、敵をたったの一撃で斬り伏せるための剣。

 ハノーファの踏み込みは、まさしく雷鳴であった。


 だんっ! と怒号のような踏み込みの音に、部屋がかすかに揺れ。

 低い体勢のまま、斜め下から振り上げられる剣は、最小の動きで最短ルートを攻める。

 

 小さなディハザの体の刃が飲み込まれてゆき――。


 ――その彼女の体に直撃した瞬間、音を立てて刃が砕け散った。


「――!」

「ざぁんねぇん」


 今度はディハザの番であった。

 彼女は体を捻りながら、円の動きで踏み込み、そして一瞬にしてハノーファの間合いの内側に入り込んだ。

 予想外の体術を前に、ハノーファの回避行動はしかし、間に合わない。

 真っ赤な目の残像が残り、そして突き上げられた肘はハノーファの顎を打擲し――。


 打ち上げる。


 大の大人の体が、鞠のように跳ね上がり、そして胸元ほどの子供の一撃によって天井に叩きつけられた。それだけで止まらず、まるで光が反射されるように、再び地面に打ち付けられる。


 何度もバウンドして床を転がったハノーファのその腹を、ディハザは容赦なく踏み抜いた。

 たったの一撃で戦闘不能に追い込まれたハノーファは口から血を吐き、動けず、しかし爛々と輝く目でいまだに禁姫を睨み返している。

 

 だが、無力。


「――やっぱりぃ、こんなものなのねぇ」

「……まさか、末期段階の神化病患者……?」

「あんなものと一緒にされては困るわ」


 驚愕するアマーリエに冷然と告げるのは、禁姫ノエル。


 必死に指を動かそうとして、それでも立ち上がれずにいるハノーファ。

 年端もいかない少女の足で、腹を踏みにじられる気分はどんなものだったのだろう。


 彼のそれはあるいは、かつてバリーズドに何度も挑みかかった勇者イサギのようであったのかもしれない。

 力なきものの眼差しを、しかしディハザは歯牙にもかけず。


「これで英雄の息子? これがこの大陸最高峰の剣士? いやねぇ、研究の足しにもならないわぁ」


 禁姫たちはこの結果を見て、それぞれに落胆の表情を浮かべた。目に見えていたのだろう。つまらなそうに囁き合い。


「お兄……」

「うふ」


 そしてディハザは凍りつくアマーリエをゆらりと見つめ、口の端を吊り上げた。


「『極大魔晶』を用意するまで、一ヶ月だけ、待つわぁ。それを過ぎれば、二代目と三代目のギルドマスターの命はぁ、ないものと思ってねぇ」


 五対の赤い眼がぼんやりと浮かび上がるその広間から。



 これより世界中に――破滅が、放たれるのであった。


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