表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:11 朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ
132/176

11-10 嵐の中で

 形勢は一瞬にして――傾いた。


「――冗談じゃねェ!」


 粉塵の中から這い出てくるのは、廉造だ。

 吹き上がった土砂が辺りに泥の雨を降らせていた。


 そんな廉造を追いかけて現れるのは、赤い両眼の男。

 右手にクラウソラスを握り締め、左拳を固めていた。

 ボロボロになった外套をマントのように翻し、男は廉造を追いつめてゆく。


 ――奴は怪物か。

 廉造は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

 跳躍したイサギは廉造を打ち砕こうと拳を振るった。その結果が、さっきまで廉造が立っていた位置に作られた巨大なクレーターである。


 先ほど、たった一合打ち合っただけで、廉造は己の不利を悟っていた。

 だめだ、このままでは、圧倒されるだけだ。

 少し前のイサギとは、次元が違う。まるで別人のようだった。


 一瞬で間合いに踏み込んでくるほどの凄まじい速度と、そして大地を叩き割る圧倒的なパワー。

 廉造とて、アルバリスス最高峰の実力者だ。そんな彼は今、目の前の獣をどうやって刈り取るか、その計算に――脳髄が焼け焦げるほど――追われていた。

 

 やはり、あれしかない。

 レーヴァテインを、使うしかない――。


 対巨神兵器レーヴァテイン。人の手で作り出した疑似極術砲。その一撃、まさに神の雷。

 元々人に向けて放つような兵器ではない。どっちみち、廉造とて使う予定はなかった。だが今のイサギは――本当に人と呼べるのか?

 やらなければ、こちらがやられてしまうのだ。廉造は背中の鎧に収納していた砲塔を起動させた。

 これから魔力を送り込む間、廉造はイサギの動きを止める必要があった。


「クソが!」


 廉造はフラゲルム・デイを放つ。一爪を犠牲にしたとはいえ、残る五爪は健在だ。足止めなど生ぬるい。それらを操り、今度こそイサギの急所を貫けば良い。

 再び闇夜を踊る黒い影の前、イサギはその場に立ち止まる。光の槍がイサギに降り注ぐ。だが、それでもイサギは動かない。

 フラゲルム・デイもまた、対巨神兵器だ。その威力ならば――理論上は――今の神化イサギの外皮を突破できる。

 廉造の狙いは、イサギの頭部と心臓。今度こそ、外さない。――五本の光が収束してゆく。

 

 正確無比なその狙いは、イサギに突き刺さった――かのように見えた。

 赤い残像を残してバックステップしたイサギ。全砲撃が空を切る。人知を越えた反射速度であった。


 そのイサギは、すでに両手に剣を構えている。彼の全身が淡く赤く輝くほどの魔力。そして神エネルギーの昂ぶりは、風を呼んだ。

 クラウソラスとカラドボルグ。二刀を交差させ、構え、神化イサギが巻き起こすのは、刃の嵐――。


「――エクスカリバー・エクストリーム・ジョーカー!」 


 それは、廉造のミラージュを打ち破るために、イサギが放ったのと同じ技――のはずだった。

 だが、密度と威力だけが、まるで違っていた。


 確かに砲撃をするその瞬間だけ、魔爪はその場に停止しなければならない。イサギの技はその隙を突いたものだろう。

 しかし、そんなものは隙とは呼べないほどの、瞬く間だ。実際にフラゲルム・デイは闘気の刃を避けるように飛び回ることができた。できていたはずだ。


 それなのに――。

 イサギの放った剣閃は、その五爪のすべてを同時に斬り裂く――。


 ただの一撃。

 それだけで。


「ンだと……ォ」


 逃げ延びたはずの対巨神兵器は微塵に引き裂かれた。

 これに関して、射程を見誤ったと廉造自身、悔やむことすら無意味である。

 ただ純粋に、イサギが廉造の上をいった。それだけのことだ。


「……」


 イサギの視線が、ぴたりと廉造に狙いを定める。

 その時、廉造の背筋に怖気が走った。

 今までこんなことはなかった。

 アルバリススに来て、このような思いを抱いたことは一度も――。


「テメェ!」


 恐れを振り払うように、廉造もまた、剣を抜く。

 フラゲルム・デイすらも避ける今のイサギに、レーヴァテインは到底当たらないだろう。

 彼の機動力を奪わなければ――。


 廉造が持つのは、かつてS級冒険者から剥ぎ取った晶剣。

 それは魔王城にいた頃からずっと、廉造のそばにいた。

 廉造はこの剣とともに、二年を過ごし、晶剣の操り方を学んだのだ。

 誰よりも長くそばにいた愛剣。――幻影剣ミラージュ。


 廉造は左手で剣を握り、包帯を巻きつけた右腕を握り固めた。


「ミラージュ・ランペイジ! 細切れになれ!」


 そして、イサギが地を蹴った。



 廉造はミラージュを操る時、姿を隠して己の幻影を作り出し、そして相手の不意を打つ戦法を得意としていた――と思われている。

 だが、彼の使うミラージュの本分は、違う。

 

「うらァ!」


 本来のミラージュの使い方は、廉造の鋭く速い剣技の、その威力の底上げである。

 イサギを迎え撃つように剣を振るう廉造。その刃の影からまた新たな刃が出現した。刃はイサギの死角から死角へと入り込む。この位置では避け切れまい。

 単調な突撃を仕掛けていたイサギは、その刃に飲み込まれた。左腕が巻き込まれ、そしてやがて全身が刃に包まれる。まさに細切れだ。そのミキサーの中で、イサギは――。

 

「――ラストリゾート・ミニマイズ・ジョーカー」

 

 小さくつぶやいた彼の言葉により、前方を覆っていた刃がごっそりと消失する。破術(ジ・エンド)との同時使用だ。そのようなことまでできるとは。

 だが、破術は破術に変わりない。今彼の体はその反動を得て、一時的に魔力を失っているはず。


「その首もらったァ!」


 廉造は大きく踏み込み、斬りかかる。今度こそ息の根を止める。真っ二つにしてみせる。廉造の覚悟の一撃であった。

 イサギはその刃に対して、信じられないことに。


 ――真っ向から、拳を合わせてきた。


 引き絞った神化病患者の左拳が、ミラージュを打ち抜く。

 次の瞬間、ひとつの晶剣が――砕かれ――この世界から、失われた。



 今イサギの体を包み込み、彼自身の硬度を異常なまでに高めていたのは、神世界のエネルギーだ。それは神化病患者の症状であり、神エネルギーの内圧によって引き起こされる作用である。

 剣撃が弾かれるほどの防御力を得る神化病患者はごくわずかだが、拳で晶剣を打ち砕く男など、神殺衆の長、廉造ですら聞いたことがない。


 そして破術とは、魔世界を正常化するための禁術である。

 神世界のエネルギーを破術で打ち消すことは、できない。

 よって――今のイサギが、破術の反作用によって弱体化することは、ない――。

 

 そのことに気づいた廉造を襲ったのは、絶望か?

 いや、違う。

 まだ彼は闘争の意志を手放しては、いない――。



「ラブリュス!」


 廉造は唖然ともせず、怯みもせず、ただ剣を引き抜いた。

 イサギは目の前にいる。彼を倒せばいい。そのことに変わりはない。

 六本目の――最後の晶剣は、戦剣ラブリュス。

 鉛色の剣のその効果は、刃を当てた相手に凄まじい衝撃を叩きつけることができる、というものだ。

 いわば、斬撃と衝撃の同時攻撃である。


 よってこの剣を剣で受けたものは、身動きが取れなくなるほどのダメージを浴びる。体をかすめただけで行動不能は免れない。先ほどのように拳で叩き割ることなど、できるはずがない。

 破壊力だけならば、数ある晶剣の中でも随一。あのカラドボルグの殺傷力にも並ぶこのラブリュスの一撃。

 廉造は巨木を切り倒すかのように、剣を両手で持ち、真横に振り抜く。

 

「うらァァァァァァ!」


 裂帛の気合と共に放たれたその斬撃を、イサギは――。

 

「――センチネル・ジョーカー」


 たったひとつの法術。黒曜石のように浮かべた障壁で防いでみせた。決して術式に優れているはずではない男が、廉造の渾身の一太刀を、だ。

 硬質的な音を立てて弾かれる廉造の剣。イサギの目が赤く光った気がした。殺される。このままでは。廉造は迷わず最後の剣を――捨てた。


 ――叫ぶ。

 

「テメェの手札はすべてジョーカーかァァ!」


 廉造の右腕が――包帯に包まれていたはずのそれがあらわになった時、イサギは神化状態に変貌して以来、初めて感情を表に出した。

 驚きに目を張るイサギの前、紫色の煙が廉造の右腕から噴出される。

 それは、廉造自身の魂が形を成した姿だ。

 

 かつて一度イサギに土を付けた男、獣族の王が使っていた鎧。


 ――魂鎧オハン。


 常人が扱えば、自らの魂をすり減らす危険な魔具である。

 だがそれは今、間違いなくイサギの不意を突くことに成功していた。


「ああぁぁぁぁ!」


 叫び声とともに振るわれた廉造の右腕は、イサギの顎を打ち貫いた。斜め下から突き上げるようなアッパーカット。それも、肘から噴射された魂によって、凄まじい加速を得た拳である。

 イサギは上方に吹き飛ばされた。空中の彼にめがけ、廉造はレーヴァテインを操作し、雑に狙いを定める。どこでもいい。どこだってこの魔砲ならば、当たるはずだから――。


 廉造の全身から魔力が吸い上げられる。魔力は砲塔のマジックラインを通過し、魔法陣を起動させた。

 魔圧の安定と共に浮かび上がる秘術の紋章。魔晶ギアが跳ね上がり、制御棒が全解放され――そして安全装置が解除される。


 なにが終わり(ジ・エンド)だ。

 舐めるなよ。

 

「それはテメェのことだろうがァ――」


 叫ぶ。が――遅い。

 既に。もはや。それは。

 絶望的なほどに。速度が。

 ――間に合わない――。


 イサギには空中で重力を制御する術があった。彼は背中から黄金の翼を生やし、残像を残して廉造の視界から消え失せる。

 どこに――。


 廉造の左側から、圧力が迫る。気配を隠すことができない神化病患者独特のプレッシャーだ。振り返るよりも先に横に飛ぶ廉造。イサギがクラウソラスを空振る姿が見えた。九死に一生を得て、しかしイサギの追撃は止まらない。

 オハンの拳打を浴びたはずのイサギは、まるでダメージを受けているようには見えなかった。その彼が横に飛ぶ廉造よりも早く飛翔し、追いついてくる――。


 イサギの拳が放たれる。廉造は頬に直撃を受けて、真横に吹き飛ばされた。目まぐるしく視界がかき混ぜられるジェットコースターの終点に、神化高速飛翔ブレイヴウィング・ジョーカーで廉造を追い抜いたイサギが先回りし、神剣を手に待ち構えている。

 廉造はオハンを使い、急ブレーキをかける。あのクラウソラスだけは食らってはならない。太刀筋をかわし切る廉造。その代わり廉造はイサギの二の矢――掌打で打ち上げられる。

 放り上げられた砲弾のように夜空に浮かぶ廉造。

 その目に映る月に覆い被さるように、再び眼前にはイサギが――。


「イ、サ――」

終わり(ジ・エンド)だ」


 神化イサギの渾身の拳が、廉造の腹に打ち落とされた。

 廉造はまるで翼をはぎ取られた悪魔のように、地面に叩きつけられた。

 

 

 辺りが揺らぐほどの衝撃が響き渡り、廉造は地面に大の字になって倒れていた。

 指先も、足の感覚も、もはやない。

 それでも廉造は、地面にめり込んだ体をゆっくりと起こす。

 寝ている場合ではない。

 イサギの姿は、すぐ目の前にあるのだから。


「とんでもねェ……化けモンだぜ……」

「……」


 廉造はよろめきながらも、なんとか立ち上がる。

 全身がボロボロだ。後ろに撫でつけている自慢の髪型も、乱れてしまっていた。

 だが、大丈夫だ。まだ戦える。まだやれる。


 この男相手に、レーヴァテインを当てるのだ。

 先ほどの発射シークエンスは妨害されたが、今度こそ、今度こそだ。

 再び、全身から魔力を集めて、かき集めて、そうして、一発逆転の砲撃を……。

 レーヴァテインさえあれば、これさえ食らわせれば、今のイサギと言えども……。


 だが、廉造は、気づく。


「あァ……?」


 へしゃげ、折れた、その砲塔に。

 これは――。


「ンだよ……」


 最後のイサギの、あの打ち下ろしの拳。

 あれは廉造に止めを刺すためのものではなく。

 廉造を背中から叩きつけることによって、レーヴァテインを破壊するための――。


 そのことを知った廉造は、愕然とした。

 思わず、全身から力が抜けてしまった。

 心が、屈服しかけて、しまった。

 廉造の口から呪詛がこぼれる。


「クソ、クソが……」

 

 廉造の装備はもう、なにもない。

 晶剣はすべて手放すか、折られてしまった。

 フラゲルム・デイは全滅だ。

 レーヴァテインすらも、破壊された。

 あれほど、武装を整えてきたのに。

 なんということだ。


 神化イサギの前には、まるで歯が立たなかった。

 これが対巨神兵器の限界だ。

 目の前の男は、『巨神』よりも、遥かに強いのだから――。


 どうすればいい?

 どうすれれば、勝てる?


 捨てるしかないのか。

 この身を。

 廉造は目を閉じ、そして覚悟する。


 残るは――。


「燃やし尽くす、か……魂を……」


 廉造の右拳に装着したオハンが唸りをあげる。

 これに限れば、燃料は廉造の魂だ。

 そそぎ込めばそそぎ込むだけ、その威力が上がる。

 神化イサギにも、通用する、はずだ。


「イサ……これがオレの、一撃だ」


 廉造の体から金色の闘気が放たれ、プロミネンスのように猛り、弾け飛ぶ。

 それを見やるイサギは、まるで感情を失ったしまったかのように虚無の眼差しだ。

 

 いいさ。

 澄ました顔をしているがいい。

 

 あの顔面に、一発入れて。

 そのまま首をねじ切ってやる。


 廉造は今、体の奥底から魔力を引き出す。

 風が巻き起こり、粉塵が舞う。

 一撃だ。一撃であの男を倒すだけの、その魔力を。

 そして魂すらも、犠牲に捧げる。

 紫色に輝くオハンを掲げ、廉造は叫ぶ。


「オレは、愛弓の元に、

 帰る……帰って、見せる!」

「……」

「喰らえ、イサ、これが、オレの――!」


 低い姿勢から、廉造は地を蹴った。

 その右腕が超加速をし、廉造は回転を続けながらイサギに迫る。魔力と魂と、そして遠心力によって極まった廉造の拳は今、無防備に立ち尽くすイサギに迫る。

 

「うらああああああああ!」


 そして最後は飛び上がり、正面から廉造はイサギに拳を打ちつけた。右腕の衝撃は廉造の肘から肩へと抜けてゆく。発生した衝撃波が輪となって広がり辺りの木々を薙ぎ払う。それほどの威力であった。

 間違いなく砕いた。そう思えるほどの手応えだったが。


 だが。


 だが――。


「言っただろ、廉造」


 ――神化イサギは、廉造の拳を受け止めていた。

 たった左手一本で、易々と。

 その場から動かず、眉ひとつ動かさず。

 

 受け止められた右腕は、万力で締めつけられているかのように動けない。

 イサギがわずかに力を込めると次の瞬間、オハンの装甲がミシリと音を鳴らし、ヒビが入った。


 こいつは、


 こいつは――。


「あ、ああああああああ!」


 廉造は叫ぶ。こんなことがあっていいのか。自分の覚悟は、たかが左手ひとつで受け止められるほどのものなのか。その程度なのか。絶叫が喉の奥からほとばしった。

 押さえつけられた廉造に落ちる、黒い影。それは不気味に発光する、魔法陣を刻まれたイサギの右腕だった。


 赤い眼の光が、廉造を貫く。

 その瞬間、廉造は己の絶対的な敗北を悟った。


「お前はもう、終わり(ジ・エンド)なんだよ」


 放たれた拳を顔面に食らい、廉造の意識は散った。






 強い。

 あまりにも強い。

 強すぎる。

 

 これがイサギだ。

 本当の彼の力だ。

 自分は、あまりにも無謀だったのだ。


 廉造は暗闇の中、自らの顔を両手で覆う。

 

 人にはどうすることもできない領域がある。

 それは父親がギャンブルにのめり込んだ時に届かなかった『天運』であったり。

 若く美しかったはずの母親の『老い』であったり。

 そして廉造の前の世間の壁であったり、愛弓の年齢であったり。


 どうすることもできないものが、世界には多々ある。

 所詮は、『強い』や『弱い』など、人の世界の理に過ぎない。

 廉造の目の前に立っていたのは、神だ。

 神に人が、敵うはずがない。


 だめだ。

 もう、だめだ。


 廉造は頭を抱え、髪をかきむしる。

 自分はここで死ぬ。死ぬのだ。


 死ぬのは、恐ろしくはない。

 廉造はこの世界で多くの命を奪ってきた男だ。いつかはその日が来るのかもしれないと、漠然と予感していた。


 イサギはあまりにも強すぎた。

 その相手に、できる限りのことはしてみせたはずだが、それでも届かなかった。

 廉造は全力を出しきって、そして、圧倒的な力の差を見せつけられて敗北したのだ。

 これが無常というものだ。


 ――すまねェな、愛弓。


 暗闇の中、廉造は膝を折り、唇を噛みしめる。

 だが、彼女はきっと、現実世界でも生きていけるだろう。


 明るく、強く、聡明な少女だ。

 いなくなった廉造のことなど忘れ、自分の生活を見つけるだろう。

 愛弓なら大丈夫だ。

 きっと彼女なら、大丈夫、だから。


 ――オレァ、精一杯やったンだ。

 ――だが、こいつには勝てねェ。


 食いしばった歯の間から、無念がこぼれた。

 彼女ともう一度会うために二年も旅を続けてきたが、しかし廉造は道を誤ってしまったのだ。


 人を殺せば殺すほど、廉造は自身が変わってゆくのを感じた。

 どんな相手も、廉造を見れば、怯え、竦む。

 廉造は圧倒的な暴君であった。

 拳を振るえば、誰もが廉造の思いのままになる。他人の心を蹂躙し、他人は進んで自らに従属した。

 圧倒的な強者として、廉造はまさしく魔王の名にふさわしかった。

 それが心地よく、感じてしまうときすらも、あった。


 廉造は変わってゆく自分に思い悩み、一体どうすればいいのかと考えた夜も、あった。

 だが、極大魔晶を得るためには、やはり人を殺さなければならない。

 殺して殺して殺して殺して、廉造は力に溺れてゆく。

 後戻りなど、できなかった。


 廉造はこのままでは、血に飲み込まれるところだった。

 どんな手段を使ってでも、現実世界に戻らなければならないと決意した。

 そして、開けてはならないパンドラの箱に手を伸ばしてしまったのだ。

 愚かなことだ。

 

 愛弓とはもう二度と会えず、自分はここで殺される。

 だが、廉造は精一杯やったのだ。

 きっと愛弓だって、廉造を責めはしないだろう。


 ――クソが。

 ――勝てねェンだよ。

 ――仕方ねェだろ。


 覆い隠す目の間から、熱い涙がこぼれる。


 元の世界に戻りたかった。

 もう一度、あの愛弓の笑顔を見たかった。

 ただそれだけだったのに、願いは叶わない。

 仕方がない。

 廉造は、やるだけのことはやってきた。

 仕方がないはずだ。


 イサギが遙かに強かったのだ。

 彼の覚悟が、信念が、理想が、能力が、あらゆる点が廉造を上回っていたのだ。

 廉造ではイサギには勝てない。

 あの男はいつだって、自分の先を歩いていた。


 魔王城で彼に助力を求めた。

 初めて闘気や剣技の使い方を教えてもらった。

 五魔将会議に出席し、それからブラザハスで命を助けてもらった。

 ドラゴン族の元に身を寄せてからは、共に戦ったこともあった。

 もはや懐かしい思い出だ。

 イサギの背中は、常に廉造の前にあった。


 ずっとずっと、イサギが羨ましかった。

 己の正義を貫き、己を信じ、己のやりたいようにやるあの男が、羨ましかった。

 イサギは常に強く、まっすぐに前だけを向いていた。

 悩み、後悔しながらもあがくその姿は、廉造にとってはひどく眩しかった。


 強くなればイサギのようになれるのかと思ったが、腕を上げたところで見える景色は変わらなかった。

 イサギのようにはなれない。裏切りと策謀の中、力の味に溺れながら廉造は虚しくそう悟った。


 光の中で生きていけたら、どれほど良かっただろうか。

 イサギのように愛する人を見つけ出して、彼のようにその人を復活させるために全力を注いで。

 いつも格好をつけて、気取って、それでも最終的には必ず勝つ。

 それは、まさしく、勇者――だ。


 愛弓のために、すべてを投げ打ってでも。

 元の世界に、戻る。

 そう、決意していたのだが。

 廉造は力が及ばなかった。だから負けた。

 ただの一度も――結局――イサギには勝てなかった。


 ――。

 ――クソが。


 愛弓。

 妹の笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。


 彼女のそれが、徐々に泣き顔に変わってゆくようだ。

 廉造は心の中で、何度も謝罪を繰り返す。


 ――すまねェ、愛弓。

 ――すまねェ。


 その時。

 廉造の暗闇の心の中に、ふわりと小さな光が浮かんだ。

 それは彼の奥底にある、原風景であったのかもしれない――。


 廉造は誓ったはずだ。

 愛弓を守る、そのために戦おうと。

 彼女はこれからたったひとりで、生きていけるだろうか。


 あれから二年。

 もしここと地球が同じ時を刻んでいるのなら、彼女は中学三年生になったはずだ。

 美しく、利発に、成長したことだろう。


 最初は廉造がいなくなり、きっと動転したはずだ。

 捜索願を出して、それでも見つからず、生活にも困ったことだろう。廉造の残したお金があったとはいえ、苦しかったことだろう。

 ひとりぼっちで生きていくのは、辛く、寂しかったことだろう。


 これから先も廉造は、愛弓にそんな目を合わせることになる。

 ひどい、ひどい男だ。

 こんな自分を見て、愛弓はなんて言うだろうか。


 愛弓と過ごしたのは、たかが二年弱だ。

 それでも廉造は、愛弓の言いそうなことぐらいは、わかる。

 きっと彼女は目を吊り上げ――廉造を叱るだろう。


『諦めるなんて、にいにらしくない!』だとか。

『負けるはずないでしょ、にいにが!』だとか。

『にいには、いつだって、偉そうぶっていればいいの!』だとか。


 あの背の低い妹は、腰に手を当てて、上から指を突きつけてくるのだ。

 人の気も知らず、そんなことを。

 自分がどれだけやったか、どれだけあがいたか。

 でもそんなことは、彼女には関係がない――。


『にいには、絶対に、負けないもん』

『にいにをいじめる人なんて、あたしがぶっ飛ばしちゃう!』

『ねえ、にいに、あたしが』

 

 光の線の少女が、暗闇の中の廉造をゆっくりと抱き締める。

 彼女に頭を抱かれ、涙を流す廉造は、歯を食いしばった。


『にいに、心配しないで、にいに。

 もしにいにが負けても、あたしが仇を討っちゃうから。

 だから、ね、にいに。

 あたしに任せて! にいに』


 それはきっと幻想だ。廉造の心が作り出した愛弓だ。

 しかし、いかにも彼女が言い出しそうなことでもあった。


 なんてことだ。

 本当に、馬鹿馬鹿しい。


 ――クソ。

 ――クソが。


 自分が死んだら、愛弓がここに仇を取りに来る?

 イサギを倒すために? ありえない。そんなはずがない。

 そんなはずは、ないのに。

 ないはずなのに。


 幻の愛弓は決して廉造を甘やかさず、手を差し伸べてきた。

 その笑みは『わかっているでしょ?』という悪戯っぽいものだった。


 ――愛弓。

 ――テメェ。


『やっちゃうんでしょ?』と、愛弓が笑う。

 廉造は深く、大きなため息をついた。


 あれほど完膚なきまでに叩きのめされたのに。

 それでもまだ戦えというのか。愛弓は。

 兄を焚きつけ、死地へ送り込む気だ。

 なんて妹なんだ。まったく。

 廉造の勝利を信じているのか、その笑みに曇りはない。

 いつからこんなに頼られるようになってしまったのか、わからないが。


 廉造は頭を振った。

 どうやらこのまま死ぬことは、許されないようだ――。


 手の甲で、涙を拭い、廉造は愛弓の手を取る。

 バラバラに散らばって消えてゆく光の中、廉造は新たな力が自らに注ぎ込まれてゆくのを感じた。

 それは先ほどまで愛弓を形作っていた、黄金色の輝きだった。


 ――ったく。

 ――しゃァねェな。


 ――しゃァねェなァ!


 廉造は拳を地に打ちつけ、そして立ち上がる。

 その目が見開かれ――廉造は、覚醒した。



 ――面倒くせェなァ!

 ――――アニキってやつァ、よォ!


 

 

 

 廉造は意識を失いながらも、その場に立ち続けていた。

 凄まじいほどの闘争本能だが、それももう、ガス欠である。


 イサギがクラウソラスを振りあげ、トドメを刺そうとしたその時だった。

 廉造はゆっくりと目を開いた。


「イサ……、テメェは大したやつだ」

「……」

「ひとりの男として、尊敬しちまうよ、ったく」


 だからこそ越える。

 だからこそ、倒す。

 廉造はもう、ひとりではない。

 愛弓とふたりで、その絆で――(イサギ)を打ち倒すのだ。

 

 廉造は奥歯を砕くほどに噛み締め、そしてくぐもった声を漏らす。


「テメェを倒して、オレァ、愛弓の元に、戻る。

 変わらねェ、なにも、変わらねェ。

 これまでも、そして、これからもだ――!」


 次の瞬間、男の全身を包む闘気が、その色を変えてゆく。

 黄金の魂は今――闇の中、漆黒に輝いた。



 廉造の魂に注ぎ込まれる魔力によって、内圧が上昇し、彼の身体能力は限界を振り切るようにして高まってゆく。

 かつてイサギが言ったように、廉造は紛れもなく、闘気を操る天才であった。

 彼の戦いにおける資質は、新たな扉を開く。

 それは決意と覚悟と、そして絆によって導かれた『力』であった。

 

 今この時、この瞬間、廉造は――開花する。



 腕や足に絡みつく龍のような黒い闘気。

 それは伝承の中にだけ存在していたはずの、究極の力であった。


「煌気のその先――、聞いたことがある」


 イサギは表情を変えず、静かにつぶやいた。

 


極煌気アルティメイティヴ。俺が到達できなかったその境地、か」


 廉造は拳と拳を合わせ、細く長い息を吐く。

 死相すら浮かぶその顔が、イサギを睨む。


「名前なんざどうだっていい……。

 イサ……オレァ、テメェが羨ましかったよ」


 黒い気が廉造の周りを漂い、そしてその胸に集まってゆく。

 その禍々しさは、まるで廉造の命を絞り取っているかのようだった。

 

「女のために、イイじゃねェか。

 格好いいじゃねェか、ったくよ。

 オレにァ、テメェみてェな真似はできねェ、そう思っていたがよ」


 廉造の真っ赤に染まった瞳が、紅蓮の炎を灯す。


「今なら、言えるさ。

 もう一度、何度だって、言ってやる。

 オレァ、愛弓のために、あいつのために、元の世界に戻る。

 テメェをブッ潰して、な。誰にも邪魔は、させねェ!

 変わらねェよ、オレだって! 女のためにさ!

 イサ、テメェを、倒す!」

「そうか、廉造」


 廉造とイサギはしばし、見つめ合う。

 戦場の中の切り取られたわずかな一瞬のことであったが。


 ふたりにとっては、それで十分だった。


「イサ」

「廉造」

「これがオレの最後の力だ」

「……来いよ、廉造」



 踏み込んだ廉造の一歩が地面を揺らす。速い。神化イサギにも勝るとも劣らない速度だ。

 たやすく剣の間合いの内側に入り込む廉造から繰り出される右拳。イサギは受け止めもせず、左の拳を振るう。

 神速と神速。圧撃と圧撃。極煌気と神化。人と神。

 ふたつの塊が衝突し、互いに顔面で食らい、そして、夜の空気がヒビ割れ、欠ける。空間に震動が走った。


 互いに、吹き飛ぶ。後方に。すぐに踏みとどまり、睨み合う。

 視線で火花が散る。魔力が轟と鳴る。闇の存在が彼らの光によって塗り潰されてゆく。


「イサァ!」

「廉造!」


 叫び、ふたりは再び激突する。



 男たちの戦いはそして、終局へと至る――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ