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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:11 朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ
131/176

11-9 激突戦域

 

 晶剣は気まぐれであり、移り気だ。その持ち主に従属を誓い、完全なる力を差し出すことは滅多にない。

 その点、廉造の資質はずば抜けていた。彼はありあまる魔力で、数々の晶剣を屈服させてきた男である。

 系統のまるで違う六本の晶剣を操る剣士など、廉造以外にはいない。


 晶剣とは、迷宮の中で生まれる魔具である。

 散った戦士たちの亡骸に残った魔力が沈殿し、集まったものが迷宮であり、核魔晶なのだが、その結晶内部に――琥珀の中の虫のように――剣が現出することがある。

 これは戦士たちの戦う魂が具現化したものと言われているが、どういった原理なのかはまだ明らかにされていない。ただ、晶剣は迷宮からひっそりと持ちだされ、その攻略者によって銘を与えられるのだ。

 廉造が両手で握る爆槍スワヒリも、無論そのひとつだった。


 だが、イサギの持つ神剣だけが、ただひとつの例外だ。


 クラウソラスは、かつて古代に人間が神を殺すために生み出した――あるいは、召喚された――と言われる剣である。

 その固有能力は、単純極まりない。

 神剣クラウソラスは、あらゆる物体を斬り裂くのだ。


 どんな晶剣であろうが、鎧だろうが、何者であろうが、クラウソラスはすべてを断つ。

 それだけに、クラウソラスは相応しい力を持つものにしか、操ることはできない。

 かつては神話の英雄。そして勇者イサギ、カリブルヌス、さらには三代目ギルドマスター緋山愁だ。


 いかにイサギを倒すかということは、すなわち、いかにしてこのクラウソラスを攻略するか、という点にある。

 

 無論、イサギの手札は多彩だ。闘気を放つ中距離用の剣技に、攻防一体の逆転技『破術』。それに二本目の晶剣であるカラドボルグもある。経験に裏打ちされた魔術や法術のタイミングは、威力は低くとも、その使い方が抜群に秀でていた。

 すべての間合いに対応できるオールラウンダーであることは間違いない。その中でも最も危険なのは、やはり斬り合いに他ならないだろうが。


 だが――。


「イサ……」

「廉造」


 廉造は槍の穂先を地に擦りつけるように低く構え、イサギを睨みつける。

 イサギと廉造の距離は、踏み込み一歩ほどしか離れていない。

 紛うことなく、イサギが最も得意とする――近接戦闘距離である。

 

「この距離で、俺とやるか」

「どこだって、構わねェよ」


 気炎を上げる廉造の魔力が、そのボルテージが、高まってゆく。

 それに伴い、爆槍スワヒリの先端は、熱を発し出した。

 

「ブチのめすと決めたンだったら、どこだってやってやるさ」

「そうか」


 イサギは半身に構えた。

 彼の手が剣を掴む。


「悪く思うな、廉造」

「思わねェよ」


 直後、雷光が走る。

 先に仕掛けたのは、イサギだった。

 

 踏み込みながらイサギが抜いたのは、カラドボルグ。

 黄金の輝きとともに放たれた直線の突きは、まっすぐに廉造の腕へと伸びてゆく。

 迎え撃つ廉造は柄を回し、晶槍の本来の機能を開放する。


「爆ぜろ、スワヒリィ!」

「――ッ」


 爆撃が――イサギの体を焼く。

 接触爆破の効果ではない。この槍は、いついかなる瞬間であっても、廉造自身の意思でその能力を発揮することができる。


 槍の先端を避けながらも間近で爆発を浴びたイサギは、外套に火をまといながら距離を取る。カラドボルグを盾にして直撃を避けたのはさすがだが、あまりの音に一時的に聴力を失う。

 だがそれは、廉造とて同じ条件のはずだが――。


「――!」


 煙の中から飛び出してきた廉造は無傷。片手で槍を突き出してくる。

 二撃、三撃、怒涛の爆撃だ。イサギは大きくその槍を回避する。紙一重で避ければ、またあの爆発を食らう。爆発を避けて槍の間合いの内側に入るのは困難だ。その前に、穂先を斬り飛ばす――。


 廉造はイサギの足を狙い、槍を払う。その穂先が地面と接触した瞬間、再び槍が爆発した。土砂が巻き上げられ、彼らの姿はあっという間に粉塵に包まれた。

 視覚と聴覚を奪われ、イサギは廉造の現在位置を特定できなくなる。断続的に響く爆音が、さらにイサギの神経を襲う。


 イサギの視界の端に凶刃が瞬く。あれは本物か、偽物か。廉造は晶剣ミラージュによる、幻影の刃の強襲を得意とする。それを一瞬で判別しなければならない、が。

 その正体を見極めるまでもなく、イサギは第二の選択を取った。逆手にクラウソラスを引き抜くその姿は、黄金の闘気を纏う。


 ――辺りすべてを吹き飛ばすのだ。


「エクスカリバー・エクストリーム!」


 二刀が織り成す剣閃の竜巻は、イサギの周辺を根こそぎ薙ぎ払う。

 周囲数メートルの領域は今、細切れに斬り裂かれながら天へと登ってゆく。

 イサギの大技だ。これの直撃を浴びれば、幻影の刃だろうが、廉造本人であろうが、ただでは済まないだろう――。


 そのはずだったが。

 ――右斜め前から姿を現した廉造に、外傷はなかった。


「ヌルィぜ」

「お前――」


 渾身の力で突き出された槍は、妖しい光を湛えていた。まるでそれは、暴走寸前の核融合炉のようである。廉造の無傷の正体を探る暇もなく、イサギは戦慄した。

 廉造の全身の紋様が赤く染まる。心臓のポンプで血が送り込まれるように、魔力が注ぎ込まれてゆく。槍の穂先にヒビが入った。それでも廉造は止めない。許容量を越えて、それでもまだ、それでもまだ――。


 ――自爆する気か?

 

 イサギの脳裏をそんな思いがよぎる。

 しかし、廉造がそのような真似をするはずがない。なにか、秘密があるのだ。あの抱えた晶剣のうちの、なにかが――。


 廉造が左手で引き抜いたのは、七色にきらめく剣だった。

 イサギの脳裏に記憶がフラッシュバックする。かつて斬り合ったことがあった。見覚えがある。知っているはずだ。カリブルヌスの仲間が使っていた、泡によって所持者を防御することができるこの特殊な晶剣は――。


「――晶剣、ユルルングルか!」

「遅ェ!」

 

 ――爆槍が、破裂する。

 イサギと廉造と、その中間距離で炸裂した爆発は、辺り一帯を飲み込んだ。



 爆槍自体のスペックを遥かに凌駕する破壊力にスワヒリは耐え切れず全壊した。砕け散り、キラキラと魔晶の欠片が散らばる広場にて、頭部から血を流したイサギが転がり出てくる。


「ハァ、ハァ……!」

「どうした、イサ! その程度か!」


 イサギは至近距離での大爆発に対し、二刀を使い、その衝撃を斬り裂いてみせた。しかし余波までは防ぎ切れるものではない。四肢に炎熱によるダメージを受けたイサギは舞うようにして服に燃え移った火を消すと、廉造から距離を取り、呼吸を整える。


 破術と晶剣は基本的に――相性が悪い。破術はどうあがいても、起きた『結果』を打ち消す禁術だ。晶剣は宙に停滞する無防備なコードと違い、発動のタイミングを自分でコントロールをすることができる。それが最も厄介な点だった。

 晶剣の発動前に破術を使ってしまえば、己が無防備になる。しかし、晶剣の発動の瞬間を見極めるのは困難だ。さらに言えば、その晶剣の能力によっては破術が意味を為さないものすらもあるのだ。

 

 よってイサギは爆風から逃れきれなかった、煌気による確実な防御を優先したのだ。

 廉造はそんなイサギを見下ろし、槍の破片を握り砕きながら怒鳴った。


「オレに手加減をしているのか!? 

 情けをかけているつもりか!? あァ!?」

「お前相手に、そんなもんやっている余裕は、ねえよ!」


 うめくイサギの右腕に刻まれた封印魔法陣は、今なお輝いている。

 これが枷となっているのは間違いない。だが、それを言い訳にする気はない。

 魔力の総量が少し落ちたところで、イサギ自身の性能はその程度では揺らぐことはないだろう。

 恐ろしいのは、そのイサギに肉薄してきた廉造の実力であった。


 イサギは実際に、本気で廉造と斬り結んでいる。

 だが、そんなことを知らない廉造は、己が未だ侮られるとみて、吠えた。


「いいじゃねェか、イサ。

 テメェがいつまでもそうしているのなら、

 ――這いつくばりながら死にやがれ!」


 廉造の背負っていた翼のような鎧が、光を発する。

 それとともに、ブォォォ――という虫の羽音にも似た音が唸りを上げた。


「なんだ、そいつは……」


 見たこともない魔具の起動に、イサギは眉をひそめた。

 このような兵器、20年前の時点で相手にしたことはなかった。


 廉造は腕で闇を払い、夜に叫ぶ。


「フラゲルム・デイ……!

 オレの手となり足となり、あの男を引き千切れ!」

 

 その直後――廉造の身につけていたあの三対の翼がレーザービームのように夜空に射出された。

 闇を引き裂き飛翔するその六つの魔爪は今、イサギに襲いかかる――。



 ――フラゲルム・デイ。

 その爪がイサギの頬をかすめ、血の線を引く。


「これは、そうか、これが――」


 対巨神兵器の設計コンセプトに関しては、イサギもまた関わっていた。

 愁に助言などをしていたのだが、しかし、実物を見るのは初めてである。

 

 辺りを魔力のフィールドに覆うことにより、その中を自由に飛び回ることのできる遠距離魔具は、遠くから巨神を足止めするために使用される予定のものであった。そして、それ単体としても巨神に対して決定力を持つ兵器である。

 意志を持つように闇夜を飛び回る六つの爪の動きはデタラメで、とてもその軌道を予測できるようなものではない。


「ブッ裂いてやンよ」


 廉造の命に従い、魔爪は次々とイサギに狙いを定める。

 縦横無尽。ひとつひとつを目で追うことすらも困難な、上下左右、多角的な襲撃だ。

 

「は、大した玩具だな!」


 周囲を隼のように旋回し、隙を窺うように風を切るそれらに、イサギは吐き捨てるように怒鳴った。

 両眼を真っ赤に染めた廉造から注がれる魔力の量は、凄まじいものだ。この速度の魔爪を同時に六つコントロールしていることが、もはや異常なのだが。


 夜にその存在感を示すような残光が尾を引き、網膜に焼きつくからこそ、余計にその姿を捉えづらい。

 常人ならば数秒も持たずに引き裂かれるであろう六爪の動きを、しかしイサギは完全に見極めている。

 

「速いだけでは、俺には!」


 イサギはその言葉とともに、障壁法術を張る。廉造の魔力から得られた推進力と突破力は確かに凄まじいが、一瞬でも動きを止められるのなら、斬り落とすこともできよう。

 それにあれらは、所詮イサギをめがけて向かってくるものだ。どんなに幻惑するような動きで空を踊っていても、交差するその瞬間だけはイサギの間合いに踏み込んでくる。

 一対一の戦い以上に、イサギは多対一の戦術のプロフェッショナルだ。己の死角を消す術も十分に心得ている。

 六つの軌跡を残らず目で追いながら、イサギは集中力を高めてゆく。

 

 が――。

 光が刺した。


 先ほどまで高速で飛び回っていた魔爪のひとつが障壁の前で急停止した直後だった。爪の先から射出された細く鋭い光の針は、たやすくイサギの法術を貫く。直撃を避けられたのは、戦士としての本能だ。そしてすぐにその爪はイサギの手の届かないところへと翻ってゆく。


 ――こんな真似もできるとは――。


「魔術の、砲台――か――っ」


 そのひとつに気を取られている暇はなかった。イサギの周囲を飛び回っていた爪は、次々と彼自身に狙いを定め、光を射出する。避けたその次の瞬間――否、刹那にも満たぬ間に次撃が来る。それでもイサギは身をかわす。人外の境地に達したその反射神経に挑戦するかのように、さらなる砲撃がイサギを襲う。

 見誤っていた。これこそが本来のフラゲルム・デイの使い方なのだ。

 一撃一撃が、イサギの法術をぶち破るほどの威力だ。煌気をまとったとしても、直撃を受けたらただでは済まないだろう。――なんせこの兵器は、巨神の外殻を貫くほどの出力を叩き出せるのだ。


 雨のように光が降り注ぐ中、それでもイサギは一撃も浴びることなく、廉造を睨みつける。フラゲルム・デイがイサギの剣の間合いに決して入り込んでこないというのなら、本体を叩くまでだ。それがもっとも確実で――容易だ。

 廉造の射程距離に入れば、彼は今と同じようにフラゲルム・デイを乱発することはできない。誤射の可能性があるからだ。

 イサギはそう思っていた。

 

「廉造――!」

「イサ!」


 全身をかすめてゆく魔術のレーザーの中、イサギは廉造の元へと向かい。

 そして廉造は、新たな剣を引き抜いた。


 彼にも引く気など――なかった。



「お前は、本当に、俺を――!」

「今さら言ってンじゃねェ!」


 束ねられた光がイサギと廉造の間に落ち、フラッシュライトのようにふたりの姿を浮かび上がらせた。

 血を流すイサギと、目を血走らせた廉造。両者は刃の届かぬ距離で叫び合う。


「極大魔晶ならば、作れるはずだ! シルベニアがそう言っていただろう!

 俺を相手にすれば、このままではお前が死ぬぞ!

 命を賭けてでも急く道理がどこにある!」


 降り注ぐ光のひとつをイサギがクラウソラスで弾く。それはまっすぐに廉造に向かった。

 廉造は己の額を狙う光を素手で叩き落とし、怒鳴る。 


「オレはずっとそのつもりだった!」

「ならば――」


 廉造はイサギの言葉を上塗りした。


「――だがな、できねェンだよ!

 何人殺そうが、何十人、何百人殺そうが、魔晶はあれ以上大きくならねェンだ!

 暗黒大陸で冒険者を殺してもだ! スラオシャ大陸で神化病患者を殺しても!

 できねェモンは、できねェンだよ!」


 廉造の獅子のような叫び声が、夜の帳に弾けて溶けてゆく。


「愛弓のためだ! あいつのために、オレは元の世界に帰る!

 だがな! そのためにあと何匹ぶち殺せばいい!?

 何匹だ! 教えろよ、イサ!

 オレの両手は血に塗れている! もう、なにもかも、面倒くせェンだよ!」

「お前はむやみに人の命を奪ってきたわけではない!

 魔族のために冒険者を駆逐し、彼らを救ってきただろう、廉造!」

「しゃらくせェ!」


 イサギの避けた光が、廉造の肩を貫いた。赤い血が飛び散り、それでも廉造は止まらない。

 ふたりは今再び、剣の領域へと足を踏み入れた。


 この場所こそが、互いの命を容易に奪い去ることができる、激突戦域だ――。


「神化病患者だってそうだ! お前は決して日に背く行ないなどは、してこなかった!

 俺や愁、慶喜のように、お前もまた、大義ある男だった!」

「ンなもんは、ねェ!

 オレは命乞いをするガキどもを、この手でぶち殺して来たンだ!」


 廉造の抜いた剣は赤い。まるで生き血を求める狼のようにその色は鳴動していた。

 魔剣ダインスレイブ――。


 死線を越えながら、必殺の機会を窺いつつも、イサギと廉造は叫び合う。

 フラゲルム・デイは今なおそのふたりを致命の光で彩り続けた。


「お前は決して罪など犯してはいない!

 魔王として、立派にこの世界において、役目を果たしてきたじゃねえか!

 だが俺を殺して奪った極大魔晶を用いて、お前は胸を張って妹に会えるのか!」

「もう御託はうんざりだ! うんざりなンだよ!

 綺麗事を吐いたところで、元の世界には戻れねェ!」

「誇り高い魂もなく、生きていけるものかよ!」

「どれほど汚れたところで、構わねェ!

 まっすぐに生きていくのが、愛弓であればな!」

「共に並び立つこともできず! そんなものが、幸せか!」

「オレの幸せをテメェが決めるンじゃねェ!」

「廉造――!」

 

 イサギのクラウソラスが廉造の首筋を狙う。

 光の如き太刀筋。手加減無しの一閃。それは間違いなく彼の命を断つ――はずだった。


 その瞬間、廉造をかばうようにフラゲルム・デイの爪がふたりの間に入り込む。

 火花が散って爪のひとつが真っ二つに断ち切られたが――クラウソラスの勢いは殺された。

 その僅かな遅れだけが今は、命取りであった。


「イサァ――!」


 遅れながらなお速い。廉造が両手に握るダインスレイブの一撃は、神速の逆袈裟斬り。

 それは見事にイサギの胴体を斬り上げた。直撃であった。

 噴水のように血が噴き出て、さらに魔剣ダインスレイブはその血を飲み込んでゆく。

 

「――喰い尽くせェ! ダインスレェェイブ!」


 廉造の怒号。返す一刀が再びイサギを襲う。

 血を浴びたダインスレイブの斬撃は更に早く、重く、鋭く閃いた。

 斜め十字に体を斬り裂かれ、イサギは踏みとどまることもできず、後方によろめく。

 

 万に一つの隙――。

 その機を、廉造は逃さない。


「オレは、テメェを、殺してでも――」


 役目を終えたダインスレイブを手放し、廉造はさらに剣を引き抜く。

 ジュワユース、ユルルングル、ダインスレイブに続く四本目の剣は、奇剣ヴァサーゴ――。

 

「極大魔晶を奪い、そして、オレァ――!」


 突き出すヴァサーゴから高速射出される無数の魔晶の破片は、まるでガトリング砲のようだった。

 それは無防備なイサギを削り取るように、彼の外套を貫いてゆく。

 弾丸を放つごとに徐々に刀身が短くなってゆくヴァサーゴは、己の命を消耗しながら銃弾を打ち出しているのだ。


 布と血を撒き散らしながら、魔弾の嵐に押し返されてゆくイサギ。

 そこにフラゲルム・デイの光の雨が降り注ぐ。


 レーザービームとバルカン砲の惨劇の中、廉造はコードを編む。

 巨大な、巨大な破壊の魔術。全範囲を埋め尽くすような、そんな――。


 封術師の魔術は、今ここに完成する。

 それは廉造史上、最も緻密で、精巧で――そして極大の魔術であった。


「愛弓の元へ――帰ンだよォ!」


 獄炎が――イサギを中心として――膨れ上がり。

 そして弾け飛んだ。



 かつてハウリングポートの三分の一を吹き飛ばしたシルベニアの魔法のように。

 巨大な火柱が、イサギを中心として巻き上がる。

 それはあたかも、天から降り注いだ神の鉄槌のようですらあった。

 雲にまで届きそうな破壊と蹂躙の渦の中、フラゲルム・デイは廉造の背鎧に帰還を果たす。

 

 森の木々は絶叫のような音を立てて倒れてゆき、辺りの地面は激しくめくれ上がった。

 焼けた風の匂いが辺りに戦地の昂ぶりを伝え、そして激突戦域は見るも無残な荒野へと化していた。


 ヴァサーゴとフラゲルム・デイ、そして廉造による極大魔術の多重攻撃だ。

 到底生きているはずがないが。

 

 刀身を撃ち尽くしたヴァサーゴを投げ捨てる廉造には、予感があった。

 おびただしいほどの魔力消費による倦怠感を覚えながらも、だ。

 あの男が、イサギが、この程度で死ぬはずがないという。

 それは確信ですらあった。



「廉造」


 炎の中から、ゆっくりと歩み出てくる男。

 あらわとなった彼の上半身は戦傷だらけで、どこひとつとっても無傷の場所などはなかった。それがイサギの送ってきた人生の凄まじさを物語っているようだった。


「俺は、甘かった。

 お前と敵対したのだと知りながら、どこか、まだ、やり直せると思っていたんだ。

 俺には守るべきものがあり、お前にも果たすべき使命がある。

 だから、どこかできっと、通じ合っているものだと、思っていた。

 でも、それは俺の間違いだった」


 そして今、イサギの全身は血だらけだった。

 ヴァサーゴの全弾を浴び、フラゲルム・デイの光を打ち込まれ、炎の渦に飲み込まれ――いくつかは破術で防いだであろうものの――満身創痍も甚だしい。虫の息も同然だ。

 先ほどの猛攻によって死んでいたのはないか、そう思えるほどのダメージであった。


 それなのに、彼の目だけが赫赫と闇の中、浮かび上がっている。


「俺とお前は、通じ合っているからこそ、似たものだからこそ、決して引けないんだな。

 誰かのために強さを求め、そしてそれを誰かのために振るうことに躊躇いはない。

 よく、わかったよ、廉造。

 お前の思いは、受け取った」


 廉造は眉をひそめた。

 イサギの右腕に刻まれたその紋様を初めて見て、顔を歪める。


 それはまるで――。

 封術師が己に刻まれる、そんな刺青ではないか――。


「イサ、テメェ……?」

「廉造、お前は強くなったな。

 いつか、俺を越える日が、来るかもしれない。

 だが、今はまだ――俺の方が、間違いなく――強い」


 イサギは右腕を己の顔の前に掲げ、五指を鉤爪のように折り曲げ、つぶやく。


「俺も覚悟を決める――。

 ここから先は、本当の、殺し合いだ」


 彼は、その呪文を唱え――。


「――ラストリゾート・ジ・エンド」

 

 トリガーを、解放した。



 イサギの左眼から放たれた破術は、彼自身に効果を及ぼす。

 それはキャスチによって施術された『封印魔法陣』の無効化であった。


 長時間に渡って辺りの魔術を打ち消すラストリゾート・フィールドのさらに進化系。

 イサギはその対象を、己の右腕にのみ限定して放った。


 それは一体どのような結果をもたらすのか。


 イサギの全身には今、封印されたはずの神エネルギーの塊が流れ込む。

 欠けた魂を埋め尽くすように、飲み込むように、それは膨大な魔力の奔流だった。


 封印魔法陣はイサギを正気を取り戻させ、彼を正常化する代わりに、その魔力を奪い取った。

 果たしてその手術は、ただのイサギの弱体でしかなかったのか?


 違う。

 元々イサギの体には、神エネルギーが充満していた。

 ならば、枷を無理矢理こじ開けたイサギにとって封印魔法陣は今、神の力を制御するためのキーでしかない。


 破術の効果時間内に限り、イサギは今、本来の自分の能力と凶暴な攻撃性、そして神化病患者の力を操ることができるようになっていた。

 それこそが、彼を更なる最強へと至らしめる――最も危険なトリガー。

 

「……イサ」


 歯噛みするようにうめく廉造。

 イサギの体は今、廉造の目にどう映っていたか。


 魔力の塊に肉が宿ったようであった。

 人間ではない。まるで極大魔晶で作られたゴーレムだ。

 イサギの身に凝縮された魔力は、すべてを飲み込むブラックホールのようである。

 封術師と比べても、まるで遜色はないほどの、力だ。


「テメェは、一体……!」

「俺だよ」


 廉造は覚えているだろうか。

 イサギのその姿が、かつて自分や慶喜が魔王城で暴走し掛けた時の、あの両眼を真っ赤に染めた理性を失った獣に酷似していたことを。

 神化病患者が神の力に取り込まれ、そして、あらゆるものを撃滅するだけの存在へと進化した姿であると、気づいていただろうか。

 あの時は、何事もなく慶喜や廉造の暴走は静まった。

 その行き着く先が今のイサギの姿であると、彼は知らないだろう。


 イサギは神の力を今、己のものとしていた。

 それが自らの魂を削り、破滅へと加速し続ける力であろうとも、厭わず。

 


 想いの果てに辿り着いた地で、少女は命を失っていた。

 諦め、立ち上がる力もなく、その地で朽ちようとした男に生まれた希望。

 守りたいものを守り抜くための、男の宿願が形となって現れる。


 魂の残量は、刻一刻と減り続ける。

 この姿を長く続ければ、今度こそ、命はない。


 あれほど願ったはずの未来を犠牲に。

 男は再び、新たな力を手に入れた。


 ――神化イサギ。


 彼は神剣クラウソラスを手に、厳かに宣告する。


「廉造、お前はもう――終わり(ジ・エンド)だ」


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