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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:11 朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ
129/176

11-7 完全武装

 

 廉造という男がいた。

 彼は東京都足立区の比較的裕福な家庭に生まれ、育つ。


 父親は大手証券会社の企業金融本部ファイナンス部門の、係長であった。

 彼は辣腕家であり、同期の出世頭であり。

 ――そして家庭においては心なき男だった。

 

 廉造が物心つく頃、母親に聞かされた印象的な一言がある。


『あなたのお父さまは、あなたが欲しかったわけじゃないの。

 ただ、お父さまのような方は、“父親”というバッジが必要だったのよ』


 第一子が息子だとわかったときの父親は、まず最初に安心したのだという。

 男子さえいるのなら、第二子を作る必要はない。余計な金銭も手間も無用だ。

 父親は『自分には能力だけではなく、天運もあるのだ』と誇っていた、のだという。

 

 足利家には、愛がなかった。


 父親は会社の中で自分の地位を高めることに執心し、母親もまた、社交界の中で中心人物として振る舞うことをなによりの喜びに感じていた。

 廉造を育てたのは、給金をもらっていた老齢の家政婦である。

 

 幼少時代、廉造が父親と母親と出かけた記憶は、ただの一度もない。

 家政婦に言われたことがある。『坊ちゃまは、大人しい方ですね。もう少し、ワガママでもよろしいのですよ』と。

 冷えきった家庭を危惧する老婆の言葉は、廉造にとって初めてとも言える愛情の念であったのだが。


 だが、廉造が両親に抱いていた思いは、違っていた。

 廉造は密かにそんな両親を『尊敬』していたのだ。


 小学校の友人と話す際、彼らは口々に『うちの父ちゃんが』と『母さんがうるさくて』と言う。

 廉造は両親にそんなことを言われたことは、ただの一度もない。

 だが、廉造はそれで構わないと思っていた。


 廉造の父親は常にスマートであり、背筋が伸びていて、常に忙しく、誰かと電話をしていた。

 母親を尋ねて訪れる人は後を絶たず、皆が母親の顔色を窺うように笑顔を浮かべていた。

 

 自分の両親は皆とは違う。口には出さずとも、廉造は密かにそう思っていた。

 彼らの生き様は、廉造の誇りですらあった。


 父親は休みの日、昼間から飲んだくれてなどはいない。母親もスーパーの特売に走ったりはしない。彼らは廉造にすら頓着する暇もなく、己の人生を全力で謳歌しているのだ。

 愛情など形がないものをねだったところで、どうなる。

 両親の主義主張を曲げさせてまで、構ってもらわれたところで、そんなことが嬉しいだろうか。

 彼らに自分を認めさせてやればいいのだ。そうなれば、いずれはこちらに目を向けてくれるに違いない。

 幼き廉造は己の中、そのように単純な解を得る。


 結局のところ、廉造が努力を続けたのは、親の興味を勝ち取るそのためであり、そこには子どもらしい純粋な承認欲求がやはり、働いていたのである。

 


 しかし、転機は訪れる。

 父親が仕事でひとつのミスをしたのだ。


 詳しい話は誰にも聞かされることがなかったが、しかし「法人」や「融資先」など、そういったキーワードが頻出していたことは知っている。

 毎日電話で怒鳴り倒し、それでも決壊を止められることはできず、Xデーを迎えた後の彼は数十歳も年を取ったかのようだった。


 ただそれは、それだけの話だ。

 

 彼がポストを追われることはなく、左遷されることもなく。

 父親が失敗しても、家庭はなにも変わらない。そのはずだった。

 ただ、目に見えない何かが確かに変わった。

 廉造はそう記憶している。


 ただ一度の失敗をきっかけに、その男は変貌した。


 父親は酒に溺れた。父親はギャンブルにのめり込むようになった。

 エリートだった彼は自らを『特別』な人間だと思っていた。

 だからこそ、負けることはなく、失敗することもなく。

 その信奉が崩れてしまっただけで、彼は変貌した。


 父親は自らに才能と天運があるものだと思い込んでいた。

 彼はその証明をするかのように、株やギャンブルに貯金をつぎ込んだ。

 そうしてその結果、運に見放された彼は――あるいは元々持っていなかっただけなのかもしれない――身を持ち崩した。

 すぐに家政婦を雇えなくなり、口答えをする母親や廉造に暴力を振るうようになった。


 その姿の、なんと見苦しいものか。


 日々変わり果ててゆく父親の姿は、かつてのエリートであった男と似ても似つかわないほどに、落ちぶれていた。

 会社での地位もあり、金もあったはずの男が、ただ一度のミスを皮切りにプライドを失い、落ちてゆく様を見て、当時小学四年生であった廉造はこう思う。


『人間って弱ェ生き物だな』と。


 かつて父親だった男は身を崩し、借金まみれになり、なにも言わずに家から姿をくらました。

 そんな、あっけない末路であった。


 廉造が初めて友人を殴ったのは、そんな父を侮辱されたためであった。

 しかし彼が純粋に父親を愛していたのかというと、決してそうではない。

 廉造はおそらく、証明をしようとしていたのだ。

 自分はあのような父とは違う。自分は強い。

 自分はどんな環境に落ちても折れたりはしない。

 自分は父のようにはならない。

『一緒にするンじゃねェよ』、と。

 廉造の腹の中には、そんなドロドロとした思いが詰まっていた。


 廉造は母親の元に引き取られた。

 そこからまた、彼の人生は大きく変わってゆく。

 

 

 母親とともに暮らす廉造だが、そこには金銭的な収入は一切がなかった。

 元々が大企業の令嬢であった母親だ。

 彼女は自らの資産を食い潰すように生き、そして次第に周囲の男を頼るようになってゆく。

 

 若くして美しい母親が頭を下げれば、それだけで周りの男達は手を差し伸べた。

 しかしその態度もまた、廉造少年が密かに憧れていたあの母親の姿ではなかった。


 媚びて、美と若さを切り売りする彼女の態度に、かつてのような気高さと知性の輝きは見られなかった。

 家での居場所を完全に見失い、さらに廉造は荒れてゆく。

 

 一体強さとはなんなのか。

 そのことを追い求める廉造は、小学校においてただの一度も負けず、中学に上がる頃には札付きの不良と呼ばれるようになった。

 足利廉造の腕っ節は響き渡り、高校生ですら彼を避けて通る。

 廉造を慕うものは多く現れたが、しかし彼は誰も寄せつけず、自らの正義に反する腑抜けどもを叩きのめすことに執心した。


 しかし、強くなるたびに、廉造の心には虚しい風が吹く。

 威張り散らしていた強者を這いつくばらせ、彼らを服従させたところで、廉造の心は晴れることはなかった。

 果たしてこれが自分の求めていたものなのかどうか。

 彼にはわからなかった。


 わからないまま、もうひとつの転機が訪れた。


 中学三年生になった頃、母親が再婚した。

 廉造にとって反対する理由はなかった。彼女は女手ひとつでここまで廉造を大きくしてくれたものだし、そのために自分の身を犠牲にしてくれてもいた。相変わらず尊敬の念は失い果て、愛情を感じることは一度もなかったにせよ、その恩義には報いるべきだと廉造自身は思っていた。


 新たな父親には、娘がいた。コブつきとコブつきの結婚である。

 そして数カ月後、義理の父親と実の母親は、ふたりを置いて蒸発した。

 元から母親に、愛情などはなかったのだから。


 廉造は今度こそ、捨てられた。


 だが、彼はひとりではなかった。

 少年の元には、相手側の娘が残される。


 血の繋がらない、ほとんど面識もない妹。

 名を、愛弓という。



 ……。


 ……。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 廉造はリアルデの街の冒険者ギルドにいた。

 彼はその一室にて、各国に放った使いが帰るのを、待っていた。

 この日、最後のひとりが戻ってくる予定である。


 そして今。

 ノックをした直後に少年は勢い良くドアを開いた。

 カーテンを閉め切った暗いその部屋では、廉造がテーブルの上に怪しげな光を放つ剣を並べているところであった。

 晶剣の輝きに照らされた廉造の姿は、まるで魔王のようにも思えてしまい、少年は思わず息を呑んだ。


「おう、帰ったか、ジョーイ」

「……あっ、は、はい」


 神殺衆のひとりの若者は、直ちに姿勢を正して、抱えていた巨大な荷物を下ろした。

 

「ダイナスシティの冒険者ギルド開発班本部より、ご用意いたしました」

「いいぜ。よく間に合ったな」

「そりゃあもう……急ぎましたんで」


 くたびれた顔をした少年に、笑みが浮かぶ。

 一抱えほどもあるコンテナを部屋の中央に置いて、少年は廉造の姿を見やる。


 あの森の中の村で、昔馴染みという神化病患者と出会って以来、廉造は様子がおかしかった。

 だがそれは、ここ数ヶ月、極大魔晶を制作する作業がうまくいっていないことから来る彼の焦りが、たった一日で払拭されたようにも見えた。

 悪いことばかりではないが。しかし、少年は嫌な予感を抱く。

 廉造の目がもはやなにもかもを覚悟しているようだったからだ。


 机の上に並べられているのは、数々の名の知れた晶剣だ。

 廉造の愛剣ミラージュの他に、ずらりと剣が並ぶ。

 さらに壁に立てかけられているのは、爆槍スワヒリである。

 その他にも、冒険者ギルドで取り扱っている魔具が山ほど転がっている。なにをどれだけ持っていくのか、その選別が始まっているのだろう。

 これほどの魔具を使いこなす冒険者は、廉造の他にはいない。

 特に晶剣の扱いについては、半生をかけて学ばなければならないほど難儀なものだと言う。

廉造の才能はその一点において、この大陸の他の誰の追従も許さなかった。


 しかし、


 彼は、これだけの晶剣に、これほどの魔具を集めて、一体なにをしようとしているのか。

 そこまでして倒さなければならない相手が、この地上のどこにいるのか。

 

「……頭領」

「あァ?」

「開発班から、言付けを預かってきました」

「言ってみろ」


 廉造の前、ジョーイはコンテナを開く。

 そこに詰め込まれていたのは、奇妙な形をした金属の塊だ。

 内部には複数の魔晶が埋め込まれており、それとともに全体を模様のように制御用の魔法陣が刻まれていた。


「試作品ですが、実験テストはクリアしているようです」

「そりゃな。オレが実験台になったンだ。動かし方は十分に知っている」

「魔具『レーヴァテイン』……。

 その消費魔力もずば抜けていて、このアルバリススでも頭領とマスター以外には使用ができないと言われております。

 しかし、これは人に向けて放つようなものでは……」

「で、開発班はなンだと?」


 思わず余計な言葉を口走りそうになったジョーイは、廉造に促されて、慌てて告げる。


「限度は二発。頭領の魔力といえど、それが限界でしょう。

 三発目は砲身が耐え切れません。動作の保証はしない、とのことです」

「はァン、チャチィな」

「なっ……」


 彼の物言いに、ジョーイは思わず絶句した。

 魔具『レーヴァテイン』は開発部の切り札だ。

 かつて愁が打ち倒したと言われている、あのダイナスシティの『赤い巨神』を滅ぼすために生み出された魔晶兵器である。

 そのようなものを指して、見くびる言葉を吐けるものなど、どこにいるのか。


「こんな武装を集めて、開発班から最終兵器を接収までして……。

 い、一体頭領はなにと戦おうとしているんですか……?」


 ジョーイの言葉に、廉造は砲身を撫でながら返す。


「オレがかつて一度も勝てなかった男だ」

「……っ、そ、そんなやつが……?」

「そして、必ず、乗り越えなきゃならねェ野郎だ」


 青年は胸に手を当て、廉造に詰め寄る。

 置いてけぼりにされるわけにはいかないという焦りと、自分にはやれるという矜持があった。


 神殺衆の若者たちは皆、厳しい訓練をくぐり抜けた一流の戦士だ。

 きっと廉造の力になれるはずだと思った。


「そ、それなら、是非自分たちを招集してくださいよ!

 神殺衆は、マスターと頭領のための組織です!

 ひとりでは頭領に及ばないかもしれませんが、全員でかかれば!

 そいつは、悪いやつなんでしょう!?」

「バカ言うな。犬死にするだけだ。命を粗末にするンじゃねェ」

「頭領を守るためなら、皆……!」


 廉造は睨みひとつで彼の言葉を封殺した。


「黙ってろ、ジョーイ。

 これはオレの戦いだ。

 オレはひとりで征く。そうしなくちゃならねェンだ。

 それに、アイツは悪なんかじゃねェよ」

「じゃあ、一体……」


 廉造はわずかに逡巡し、それからぽつりと漏らす。


「男さ」



 しばらく、なにを言えばいいかわからず佇んでいた。

 そして、ジョーイは気づく。

 部屋の中に詰め込まれた数々の武器の中に、『それ』が眠っていることを。

 その瞬間、若者の背筋には怖気が走った。


「……と、頭領」

「あァ?」

「こんなものまで、用意しているんですか……?」


 部屋の隅に無造作に置かれたそれには、ジョーイもまた、見覚えがある。

 まるで翼のように広がる三対の背鎧。持ち主に凄まじいほどの祝福をもたらす魔具。

 開発班が作り出した『レーヴァテイン』と双璧を為す、もうひとつの切り札。


「『フラゲルム・デイ』……」

「使うさ、なんだってな」


 薄暗闇の中、廉造の目が赤く光る。


「オレは死力を尽くす。

 絶対に、勝つ。

 勝って、思い知らせてやる。

 ――それがオレの、アイツへの、手向けよ」




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 イサギたちはその日、森の中の小さな家で、ささやかな宴を開いた。

 名目としては、リミノとエウレの旅立ちの見送りのためだったが、結局のところ、理由などどうだって良かったのかもしれない。

 

 きっと、ただ、彼らはそうしたい気分だったのだ。

 

 町でエウレが買い込んできた酒や肴をつまみに、リビングでは久しぶりの豪勢な食事が並んだ。

 一番張り切っていたのは、リミノだ。彼女は大森林ミストラルで取れる食材を調理し、魔王城で鍛えたその腕を存分に振るった。

 彼女はきょうという日を、どうしても特別なものにしたいようだった。

 そのためか、いつも以上に笑い、いつも以上に明るく振る舞い、そしていつも以上に美しくあった。


 エウレが盛りつけを手伝い、イサギも部屋の掃除などを始め、なんだかわずかな間一緒に暮らしただけの彼らは、まるでひとつの家族のようですらあった。――ちなみにキャスチはなにをしてもあまり上手ではなかったので、部屋の隅っこで椅子の上に三角座りをしながら、ひとり先に酒をすすっていた。

 

 そんな中、宴は静かに始まる。


「はい、お兄ちゃん。そういえばお兄ちゃんとお酒を飲んだことなかったよね?」

「あ、いや、俺は」


 ぶどう酒を注ごうとするリミノに、イサギは少しだけ困ったように眉を寄せる。

 酒は飲まないと決めたのだ。

 以前、エディーラ神国の宿で失態を犯してしまった。浮気同然の行ないをやらかしてしまった。

 だからイサギは禁酒を誓ったのである。

 他ならぬ、プレハのために……。


「……だけど、そうだな」


 リビングで瞳を閉じた極大魔晶を見上げて、イサギはふと気持ちを落ち着ける。

 プレハはもう、ここにいる。

 ならば別に、気にする必要は、ないのかもしれない。


「もらおうか、リミノ」

「やったぁ」


 リミノは純粋にイサギを説得できたのが嬉しいという顔で、彼にぶどう酒を注ぐ。

 イサギもわずかに頬をほころばせながら、赤い液体を口に運ぶ。


 この日ばかりはリミノも、昔のようにイサギの隣に座り、にこにことしながら思い出話を語っていた。

 イサギは大人しく腕や肩を撫でられながらも、リミノの話に相づちを打ち続ける。

 甘えるリミノの声は耳心地よく、体に染み渡ってゆくアルコールの味とともに、イサギに多幸感を与えた。


「ねえ、お兄ちゃん。リミノ、あのときに比べて、ちゃんとオトナになったよね」

「ああ、そうだな」


 押しつけられた胸の感触も、記憶の中にある彼女のものと比べて、ずっと大きく、柔らかい。

 実際、エルフの成長というのは、人間よりも遙かに緩やかだ。

 リミノぐらいが、ちょうど淑女にさしかかった頃なのかもしれない。


「えへへ、お兄ちゃん。リミノ、立派にエルフ族の女王さまを、務めてみせるからね」

「リミノなら、できるさ」


 イサギは彼女の道を保証する。それは適当に放った言葉ではない。

 リミノは前に進もうとする娘だ。困難に対して、立ち向かうことができる少女だ。

 彼女の意志の光は、きっと誰の胸にも輝きを灯すだろう。


 かつてのリミノは夢を心に抱くだけの少女だった。

 しかし今の彼女は、その夢に見合うだけの力を持っている。

 これは慶喜がたどった道筋と、同じだ。

 彼女のそれは魔王慶喜よりも深く、暗く、長かった。

 だからこそ、今リミノが放つ光は、誰よりも眩しいのかもしれない。

 

「……正直、もしプレハと出会わなければ」


 そう言いかけたのは、酒の力のせいだ。

 イサギがリミノに惹かれかけていたのは、事実だった。


 そのイサギの唇を、リミノの指が塞ぐ。


「プレハお姉ちゃん、治るといいね」


 彼女の微笑みは、迂闊な言葉をはこうとしたイサギの心に、わずかな後悔を与えるほど、美しかった。

 イサギはぶどう酒の入ったグラスに口をつける。


「……そうだな」


 舌を撫でる酒の味は、やはりイサギの口には苦かった。


 

 と、その時。


「あーーーー!!」


 突然大声をあげたのは、酔っぱらってぐでんぐでんのキャスチを介抱していたエウレであった。

 エウレはイサギを指さし、目を丸くしていた。


「な、なんだ?」

「きみ! 宿に泊まったよね!?」

「え?」

「ほら、一緒にベッドで寝たよね!? ね!?」

「あ、ああ?」


 そんな風に瞬きを繰り返しながらも。

 エウレの勢いを前に、イサギは思い出していた。

 完全に思い出していた。


 そうだ。

 エディーラ神国でセルデルを尋ねる前に、立ち寄った宿のことだ。

 彼女と一緒に飲んだからこそ、イサギは禁酒を誓ったのだ。

 エウレは、イサギとともにベッドインした仲だった。


「え、ええっと……」


 イサギは口ごもりながら、左右を見やる。


「……じー」


 リミノは白々しい目をしながら、イサギを見つめていた。

 自分の部下に手をつけたことが問題なのか、そもそもあれほど一途にプレハを追い求めていたはずのイサギが、旅先で浮気をしていたことに対する嫌悪感か。


 そして……。

 決して目を開けるはずはないし、その様子には微塵も変化はないのだが、なぜだかイサギはプレハの像が自分を糾弾しているようにすら思えてしまった。


 イサギは立ち上がり、口早に告げる。


「お、俺、酔ったみたいでさ。ちょっと夜風に当たってくるよ」

「あっ、ちょっとっ」


 後ろから追いかけてくる声を振り切って、イサギは部屋を出る。

 そんな逃げるような真似は男らしくない、という気持ちと、あのままその場にいては居たたまれないという気持ちが反発し合い、結局席を立ったのは、彼が酒に酔っていたからだという理由が一番だったのだろう。



 

 告げた通り、イサギは家の周りの木陰で休む。

 この日、雲に覆われた空からは、月が見えなかった。


「ふう……」


 ひとりになると、少しずつ酔いが醒めてくる気がした。

 前よりは酒に強くなったのも、右腕に刻まれた魔法陣のおかげなのかもしれない。

 愁や廉造は酔い姿ひとつ見せなかった。禁術師の作用なのだろうか。


「おにいちゃん」


 鈴のような声が落ちてきた。

 振り返ると、頬を赤らめたリミノが腰の後ろで手を組みながら、体を揺らしてやってくる。

 彼女も夜風に当たりたかったのか、あるいはイサギを追いかけてきたのか。


 リミノのスタイルは、決して悪いものではない。デュテュに比べれば多少は劣るが、しかし平均的な女性を遙かに上回るだろう。

 ほろ酔いで赤みが差した彼女の笑顔は、間違いなく可憐であった。


「あ、いや、あれはさ」


 先ほどの言い訳を考えるイサギに、リミノはクスクスと笑う。

 

「べっつに、気にしてないよ。

 お兄ちゃんはカッコイイし、しょうがないもん。

 そんなことよりさ、お兄ちゃん」


 リミノはイサギの横に並び、ともに夜空を見上げた。


「レンゾウくんと、戦うんだよね、お兄ちゃん」

「……ああ、そうだな」


 言い出した彼女の言葉に、イサギはうなずく。


 そうなるしかないだろう。

 最初からそうなる定めだったのかもしれない、とすら思う。

 極大魔晶を手に入れた時点から。あるいはそのずっとずっと前から。


 魔王候補として四人が召喚された時にはもう。

 イサギと廉造は戦う運命にあったのだ。


 彼と自分の道は違えてしまった。

 廉造は妹のために、そしてイサギは恋人のために。

 男と男が命を賭けるのは、十分すぎる理由だ。


「……あれ、ほんとのこと?」

「ん」

「レンゾウくんの言っていたこと。

 プレハお姉ちゃんの魔晶を使えば、お兄ちゃんがどこにでも戻れる、って話。

 それって、ほんと?」

「……それ、か」


 リミノの甘えるような視線に気づかない振りをして、イサギは顎をさする。


「帰還召喚陣を起動するためには、ひとり一個の極大魔晶が必要だ。

 だが、それさえあれば、どこへでも送り込まれることができるだろう。

 20年前にだって、俺の元いた世界にだって。

 そこは今とは違う、こことは違う世界なのかもしれない。

 プレハも、あるいは、別人のようなリミノもいる世界なのかもしれない。

 きっと、ここよりはずっと、平和なんだろうな。

 ……だが、俺は」

「……」


 リミノは夜空を見上げながら、小さくため息をつく。


「私は、まだまだ、弱いなあ……」

「……え?」

「お兄ちゃんがレンゾウくんに言われたことを聞いてて、リミノ、ドキッとしちゃったんだ。

 プレハお姉ちゃんを使ったら、お兄ちゃんがどこか遠くにいっちゃうなら、

 もしかして、お兄ちゃん……って」

「いや、それは、な」


 結局、イサギはその選択を望まなかった。

 この20年後のアルバリススを捨ててまで、平和な過去に逃げ込もうとは思わない。

 それは決して、リミノのためではない、のだが。

 

「……リミノね、ちょっとだけ、ホッとしちゃったんだ。

 お兄ちゃんが、この世界を、選んでくれたことに」

 

 リミノは胸に手を当て、目をつむる。


「お兄ちゃんにとっては、どちらが幸せなのか、

 リミノにはわかんないけど……でも……」

「……俺は、どこにもいかないよ、リミノ」


 イサギに迷いはない。

 今のプレハを見捨てて、極大魔晶を使用してまで、自分だけが幸せになる道など、ありはしない。

 そう思っている。


 廉造の言葉は、あまりにも都合が良すぎた。

 彼はこのプレハを捨て、過去に生きていた綺麗なままのプレハの元へ行け、と言っているのだ。

 イサギはあんな風に考えることはできない。

 

 こちらに手を差し出そうとして、しかしそれを胸元に引き寄せるリミノの迷いに、イサギは気づかない。

 彼が思うのはただ、プレハと、やがて訪れるであろう宿敵のことだけであった。


「お兄ちゃん」

「……ん」

「やっぱり、レンゾウくんと、戦うんだよね」

「そうなるだろうな」

「……そっかぁ」


 再び、リミノのため息。


「どっちも、怪我しなきゃ、いいなあ……」


 宵闇に溶けるように消えてゆくその願いは、恐らく、叶わないのだと。

 きっと、誰もが知っていたことだろう。


 体の火照りを沈めるように、夜風が吹く。

 イサギは戦いの予感を、覚えていた。




 その夜、リアルデの街から、ひとりの男が出立した。 

 神殺衆の頭領、足利廉造。彼が馬車の荷台に詰め込んだ魔具は、百近くにも及ぶ。


 それこそが――対巨神級討伐装備、完全武装フルアーマー・スタイル


 男たちの戦いの鐘は、静かに鳴り響く。

 

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