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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:11 朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ
128/176

11-6 わが友よ

「……ん」


 まどろみの海から、イサギはゆっくりと目覚めてゆく。

 最初に感じたのは、冷えた全身と、熱を持った右腕だ。

 

 血が足りない。そんなことを思う。

 実際はそうではなかったにしろ、味わっていたのはそれと似たような感覚であった。


「寒い、な……」


 身を起こそうと体を動かすと、全身に痺れたような痛みが走った。


 久々に味わう、それは激痛だ。まぶたの裏に星が散る。

 しかしイサギは痛みで赤く染まる視界の中、天井を見上げながら、それを甘受した。

 これが自分の生きている証ならば、受け止めなければならないと思ったからだ。


 全身を剣で刺し貫かれるような痛みの中、イサギはゆっくりと右手を掲げる。

 その手の甲には、文様が描かれていた。

 肩へと至る刺青、封印魔法陣だ。

 先ほどから熱く、脈打つようにぼんやりと赤く光っていた。


「っ……似合わねえな……これ……」

 

 愁や慶喜、廉造のように全身に刻まれているわけではないが。

 封術師の証であるそれを見上げて、イサギはうめく。


 ここ数日のことは、おぼろげにしか覚えていない。

 だが、痛みが体を刺すたびに、脳にかかった靄が払われてゆくようだ。

 頭は冴えて、澄み渡ってゆく。

 なればこそ、過ぎ去る痛みは喜びですらあった。

 なんだか久しぶりに目を覚ましたような、そんな気分がする。


 イサギはベッドに横たわる体を、ゆっくりと持ち上げた。

 どこかぎこちなさは残るけれど、でも、確かにこれは自分の体だ。

 自分の命じたままに、律することができている。

 これが、自分なのだ。


「……有り体に言うと、あれだな」


 乾いた口から出たのは、しゃがれた声だった。しばらく喉を使っていなかったように思えた。そのことから、どれくらい眠り続けていたのかという概算は難しかったが。


 しかしイサギは右腕を物珍しそうに眺めた後、再びベッドに大の字に横になって目を閉じた。


「長い夢を見ていたようだ、ってやつか」

「それはなによりじゃ」

「ん」


 イサギは寝たまま首を向ける。

 

 寝室の隅には、本を片手にひとりの黒髪の幼子が座っていた。

 彼女の姿を、イサギは覚えている。暗黒大陸以来の、再会だ。


 ――いや、違う。

 わずかな痛みが目の奥に走り、イサギの認識の歪みを正す。

 

 イサギは彼女に治療されたのだ。

 そうだ、少しずつ思い出してきた。


 イサギはベッドの上に座り直し、改めて彼女に礼を告げる。


「助かったよ、キャスチ」


 術式教授(プロフェッサー)の彼女は、本を閉じた。

 キャスチは口をへの字に結びながら満足気な表情を浮かべ、小枝のように肉付きの薄い足を組み直す。


「うむ。何事もなく経過は順調なようじゃの」

「まあ、たぶんな。

 しかし、神化病を治しちまうとは、とんでもない腕だな」

「当然じゃ。今さら失敗などせんよ。

 アンリマンユに禁術を刻み込んだのは、わしじゃからの」


 そう言って薄い胸を張るキャスチは、まるで父親に褒められた童女のようであった。


「しかし、『封印魔法陣』は誰にでも使える手段ではないわ。

 おぬしのように、禁術に耐えうる稀有な才能を持った相手だけじゃ」

「……」


 封術自体が、極めて高い致死率の禁忌だ。

 結局のところ、イサギが今までに斬り殺した相手を救えたわけではない。

 もっと早く知っていたところで、無駄なことだった。

 罪なき人を殺し続けてきた自分ひとりが救われるのは、なんとも理不尽な話である。


 そんなことを思いながら、イサギはぼんやりと彼女を見つめていると。

 キャスチは咳払いをする。


「ごほん。これはおせっかいな老婆心じゃがの」

「……ん」

「おぬしの命は、おぬしだけのものではない。

 様々なものがそなたに命を救われたように、

 また、様々なものたちが、おぬしの命を救いたいと願っておる。

 人の因果は巡り巡って、己に振りかかるものじゃ。

 そなたの生き様は、そなた自身の行いが故。

 それをゆめゆめ忘れるではないぞ」


 説教臭くもあるその少女の言葉に、イサギは窓の外を眺めた。

 陽の光に照らされて、イサギは目を細める。


「……そう、なのかもしれないな」

 

 今までほとんど自覚はなかったが。

 イサギが当然のことだと思って助けてきた人たちが、イサギのために力を尽くしてくれても良いと思っているのなら。

 それはとても、幸せなことだったのかも、しれない。


「失態だったよ」

「うむ」


 うなずくキャスチのほうを見ないようにして、イサギはぽつりぽつりと語る。


「いないはずの女にすがりついて、正直、情けない男だった。

 幻が目の前に現れて、そして、俺は考えることをやめたんだ。

 もうなにも、考えたくなかったんだと、思う。

 でもそんなのは、男のやるべきことじゃあ、ないよな」


 思い出しながら語るイサギの耳が熱くなってゆく。

 それとともに、なにかを主張するように左目が疼きだす。

 

 なにかを忘れているような気がした。

 それは恐らく、春の風のように過ぎ去って、もう決して思い出せない『なにか』だ。


「……でも、なんだろうな。

 少しだけ、良いことも、あった気がするんだ。

 ラタトスクを出て、ずっと寂しいだけの毎日だったけど。

 でも、なんだか胸の中が温かくなるような……。

 そんな、ことも、少し、あったんだよ。

 あれも幻だったのかな。

 思い出すと、少し、苦しくなってくる」

「ふうむ」

 

 キャスチは顎をさすると、しばらく押し黙っていた。

 その沈黙に肩を竦め、彼女は新たな風を呼びこむ。


「……わしの口からはなんとも言えんがな。

 しかし、おぬしに会いに来た娘がおる。紹介しよう」

「ん」


 彼女は立ち上がり、ゆっくりと寝室のドアを開く。

 

 そこにはすでに、緑色の髪をした少女が立っていた。

 尖った耳を桃色に染めた、美しい森の娘だった。

 

 彼女のことを、イサギはとても良く知っている。

 彼女はエルフ族の王女であり、そして、イサギをとても大事に思っていてくれている、妹のような少女だ。


 エルフ族の第三王女リミノが、花のように、優雅に微笑んでいた。

 思わぬ再会に、イサギは目を丸くする。


「リミノ! おまえ、スラオシャ大陸に戻ってきていたのか」

「……っ」


 イサギの言葉を聞いて、彼女は一瞬だけ唇を噛んだ。

 だが、それは風に揺れた枝のように、すぐに元通りになる。

 

 リミノはほんの少しだけ首を振り、俯き、表情を隠すと。

 ……やがて、甘い笑みを浮かべた。


「うん……『久しぶり』だよ、お兄ちゃん」


 それに、どんな意味が込められているのか。

 その胸の内を知るのは、リミノただひとりであった。






 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 リビングで、イサギとリミノは互いの近況を報告し合っていた。

 イサギは物珍しそうに彼女の言葉を聞き、うなずく。


「そうか、伍王会議……そんなものが始まろうとしているのか」

「うん、そうなんだよ。あの、魔王候補だったふたりからの手紙が来てね」


 イサギは様々なことを聞かされていた。

 自分がラタトスクに潜っている間に、世間では半年の月日が流れていたというのも驚きだったが、それ以上に緋山愁が三代目ギルドマスターに就任していたというのも衝撃的であった。

 

「ついに行き着くところにいっちまったって感じだな」

 

 20年前に自分が作ろうとした冒険者ギルドという組織の頂点に立つのが、かつての魔王候補のひとりだというのは、なんだか感慨深いものがある。

 思えば2年前、魔王城を離れた彼が目指したものは、神化病患者の根絶であった。

 そのために愁は力だけではなく、組織を欲した。イサギもまた彼の力になるために魔王パズズの仮面を被り、そして愁に打ち倒される道を選んだ。


 愁は冒険者ギルドの長として、各種族をまとめ上げようとしている。

 かつての古代の英雄は、この大陸に真の平和をもたらすのだろう。

 

 そのための、伍王会議である。


 伍王会議のメンバーは、竜王バハムルギュスを始めとして、皆、会ったことのあるものたちばかりであった。

 慶喜、リミノは言わずもがな、ダイナスシティの王もかつてイサギが召還された際にお目にかかった男の息子であり、面識が合った。そして獣王レ・ダリスはイサギの盟友である。


 イサギが生きてきた道筋が、形となって現れた。そんな証のようであった。

 スラオシャ大陸の歴史が大きく動こうとしている。その場に加わることができないのは、残念といえば残念か。


 そんな顔を、していたからだろう。


「お兄ちゃんも、一緒に……来る?」

「あ、いや、俺は……」


 控えめに尋ねてきたリミノの言葉に、イサギは首を振る。


「プレハをひとりには、しておけないよ。

 俺はここにいる。あとで愁から、手紙でももらうさ」

「そっか」


 リミノは簡単に身を引いて、さっぱりと笑った。

 彼女のそんな物分りの良い態度を見て、イサギは頭をかく。


「なんか、ちと、調子狂っちまうな」

「え?」

「いや、なんだろうな。

 リミノが急に大人になったみたいでさ」


 リミノとイサギが最後に別れたのは、暗黒大陸の魔王城前だった。

 デュテュに唇を奪われた後、リミノにも同じようにキスをされたのだ。

 あのときの記憶は恥ずかしすぎて、あまり思い出したいものではなかったが。

 しかし、それなりにドラマチックな別れだったと思っている。


 特にリミノは、泣き虫で、甘えたがりな少女だった。

 彼女の調子なら、真っ先に飛びついてきて、抱きついてきたりするものだと思っていたのだけど。


「えへへ」


 礼儀正しく椅子に座っているリミノは、頬をかいて笑う。


「色々あったから、さ、リミノも。

 いつまでも、子どもじゃないんだよ。

 お兄ちゃんに甘えてばっかりじゃ、いられないもん」

「そうか……まあ、そうだな」

「ひょっとしてお兄ちゃん、寂しかったりする?」

「いや、別に……」


 イサギは目を逸らす。

 そんなことを突っ込まれて「そうだ」と言えるような男ではないのだ。


 しかし、もう少しはっきりとリミノのことを見つめていたら、彼女のその言葉が虚勢に満ちたものだとわかっただろう。

 だが、イサギは見抜けなかった。そしてリミノも隠し通す。

 だからふたりの間にとっての真実は、それで良かったのだ。

 

 

 ブラザハスの暮らしなどについて話が及んで、リミノが修行の日々について語っている最中、キャスチが大きな鞄を抱えて戻ってきた。


「さて、それでは、始めようかの」


 リビングの机の上に広げた鞄には、メスやハサミ、包帯など、まるで医療に使うような道具が詰め込まれていた。

 それを見て、いよいよ始まるのかと、姿勢を正すリミノとイサギ。 


 さて、いかにしてプレハを治療するのか。


 リビングに輝く極大魔晶(プレハ)は、きょうも変わらずに美しく澄み渡っている。

 物言わぬ結晶の彼女を指し、その手段をキャスチは語り出す。


「見よ、この娘の姿を。ヒトガタを保ったままじゃろう?」


 リミノはすぐにうなずいた。


「あ、はい、先生。……綺麗なまま、ですよね」

「さよう。このような魔晶は本来、存在せんのじゃ。

 人が魔晶に変性してしまう場合も、そもそも単なる結晶体にしかならぬものである。

 このような例は、まずありえんわな」


 キャスチはまるで生徒に講義するかのように腕を組む。

 

「すなわち、こやつの躯はまだ、肉世界と魔世界に残っておるのじゃ。

 ならば、魂世界にもその名残があるやもしれぬ。

 恐らくは、よほど深い『未練』を抱いて死んだのじゃろうな」

「……」

 

 未練。

 彼女が遺した手紙を読んだイサギに、その言葉が深く突き刺さる。

 

 プレハは生きていたかったに違いない。

 そんなのは、当たり前だ。誰だってそうだ。

 最愛の人に会えず、ただひとりで朽ちるなんてまっぴらだ。

 当然だろう。

 

「プレハお姉ちゃん……」

「……ふむ」


 暗く沈むリミノの様子を気にしながらも、キャスチは続ける。


「しばらくは魂世界の結びつきを探らねばならんじゃろうがな。

 しかし、肉世界の躯が残っておるのじゃ。手がかりはここにある。

 さすれば、復活させることも、不可能ではなかろうて。

 わしがシルベニアを、そうしたようにな」

「……」

 

 イサギやリミノをちらちらと横目に窺い、キャスチは頬をかく。

 それから彼女は、努めて明るい声を上げた。

 

「なあに、心配するでない。

 今のところ、ひとり中ひとりは成功しておるよ。

 すなわち、確率は百%じゃ。

 なるように、なるじゃろうて」

 

 そう言ってほんのわずかに笑う彼女に、リミノもまた、つられて頬を緩めた。

  

「よろしくお願いします……先生」

「うむ……。とにかく、やるだけ、やってみようぞ」


 とにかく、今は彼女に希望を託すしかないのだ。

 イサギは極大魔晶を見上げ、小さくつぶやく。


「……プレハ」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 それからの日々は、穏やかだった。

 

 どこか一歩引いて接してくるリミノと、プレハの施術に忙しいキャスチ。

 そして時々訪れるエウレとともに、イサギは暮らし続けた。

 

 朝昼晩と、剣を振り、ひたすらに汗を流し、そんな毎日を過ごした。


 イサギはプレハの回復を祈りながら、過ごす。

 日に日に彼女を包む魔晶が薄くなってゆく。それは氷が溶けるかのようだった。

 イサギの日々は、プレハの経過を見守る日々だった。

 

 

 魔晶は消えているのではなく、中のプレハに溶けて同化しているのだという。

 魔晶生命体であるシルベニアの作成方法と同じだ。

 この外部を覆う魔晶が完全に消え去った後、今度はプレハの魂を呼び戻す治療を開始するのだとか。

 先は長い。

 

 リミノとエウレはもうすぐで旅立つかもしれないと言っていた。

 キャスチだけがひとり残り、治療を続けてくれるのだという。


 少し寂しく思うが、仕方がない。

 リミノはこれからエルフ族の将来を決めるための、重要な会議に出るのだ。

 彼女は王族のいなくなったエルフ族の中で、唯一残った王女だ。

 次期リミノ女王は「終わったら戻ってくるからね」と微笑んでいた。


 今度は、イサギが彼女を待つ番なのかもしれない。

 


 

 そんなある日のことだった。

 いつものようにイサギがリビングでプレハの像を見上げていると、ドアがノックされる音がした。


 キッチンに立っていたリミノが、不安げな顔をして部屋に戻ってくる。


「……誰かな、こんなところに」

「俺が見てくるよ、リミノ」


 リミノに告げて、イサギは立ち上がった。

 隣の部屋で治療を続けているキャスチをリミノに頼む。エウレは例によって外出中だった。

 神剣クラウソラスを無造作に掴み、イサギは玄関に向かう。


 扉の向こうから伝わってくる気配に、殺気や敵意はなかった。

 ならばこそ、イサギは気楽にドアを開く。


「誰だ……って」


 ドアを開けたところで、イサギは眉をひそめた。

 そこにいたのは冒険者風の衣装をまとった三人の男たち、だが。


 彼らは皆、一様に揃いの仮面で顔を隠していた。

 その邪教じみた姿には、奇妙な威圧感を覚えてしまう。

 今どき仮面をつけて外を出歩く連中など、ロクなものではないだろう。

 ハッキリと不気味であった。


「……なんだよ、お前たち」


 半身に構えながら誰何すると、先頭の男が騎士然とした慇懃な調子で頭を下げた。


「突然のご訪問、ご無礼を承知の上で、お願い申しあげます。

 お話を伺いたく参りました」

「……ふむ」


 思いの外、声が若い。あるいは少年と青年の間ぐらいの若者かもしれない。そしてその物言いはただの荒くれ者とはまるで違っていて、確かな教育が行き届いているのを感じた。

 冒険者ギルドの者だろうか。イサギは若干の警戒心を弱める。


「実は我々は任務によって動いております。

 この辺りに、ラタトスクを攻略した者がいるとの噂を調査しておりまして」


 それだけならまだ良かった。

 しかしその青年の言葉を遮るように、後ろにいたひとりの青年が、叫ぶ。


「――魔具が反応を示している! この男、神化病患者の疑いがあるぞ!」

『――』


 仮面の集団は、瞬時に動いた。

 風のように飛び退く三人。

 イサギは玄関のそばから立ち位置を動かさない。


「……神化病患者、か」


 少し気落ちしたような声を出すイサギ。

 そう言われてしまうのも、仕方ないことかもしれない。

 立場が変わったことを辛く感じるイサギを、頭上から襲う影があった。

 前もって待機をしていた、四人目の青年である。


 屋根の上の死角から、奇襲者が放った剣は、イサギを突き刺そうとし――。


「――ッ!」


 そんな仮面の青年に、どこからか飛来した矢が突き刺さった――。


 肩を射抜かれ、紅い飛沫を散らしながら空中でバランスを崩して落下する若者。彼が地面に落ちる前に、イサギは回し蹴りを放つ。

 水平方向に蹴り飛ばされてゆく男の行方を見ることなく、イサギは片足を掲げた体勢のまま、問う。


「しかし、神化病を討伐する部隊か。もう設立されていたんだな。

 だとしたら、あまり手荒な真似はしたくない。

 俺もかつてはそのひとりだった」

「言ってきくようなやつらなんですかねえ」


 茂みの中から姿を現してきたのは、イサギの窮地を救った――実際どうだったかはわからないが――エウレだった。

 彼女は大きな弓を背負い直し、二本の短剣を抜く。


「ま、このエウレさんが助勢しますよ、兄さん」

「怪我しないようにな」

 

 イサギは剣も抜かず、若者たちを見返す。

 

「ここんところ、ひとりでしかトレーニングしていなかったもんでな。

 ちと、付き合ってもらおうかね」


 肩を鳴らすイサギに、ふたりの若者が飛びかかってくる。

 イサギが自然と闘気をまとおうとすると、封術の刻まれた右腕に痺れが走った。魔力に抵抗を示しているのかもしれない。


「……ま、いいか」


 イサギはあえて闘気を身につけず、彼らの剣撃の間をすり抜ける。


 すれ違いざまの拳打を叩き込んだものの、まるで鉄を殴ったような感触がした。

 闘気に生身で対抗をしたのだ。致命傷などは与えられない。

 芯までダメージが通ったかどうかも、不明瞭だ。


「うぐっ!」

「大丈夫か!?」

「も、問題はない! 

 こいつ、威力は軽いが、身のこなしが只者じゃない……!

 油断するな!」

「おう!」


 そのイサギの立ち回りを見た若者たちはさらに距離を取る。

 

「威力が軽い、か。まあいいけどな」


 一発で昏倒させてしまったら、鍛錬にはならない。ならば思う存分相手になってもらおう。

 イサギは己の体のコンディションを確かめながら、ステップを踏む。


「さ、どんどん来てくれ」

 

 そう余裕たっぷりに手招きした途端、可憐なる声が響いた。


「シグリドの花弁!」


 それとともに浮かび上がるコード。魔世界の在り方に手を加え、肉世界が変質する。現れたのは、風の刃だ。

 花びらのように漂う刃片は、イサギを守るように配置されて、現出化した。


「お兄ちゃんを傷つけようとする人は、このリミノが許さないよ!」


 これではイサギも動けない、そう思ったが。

 家から飛び出てきたリミノが命じた次の瞬間、刃はまるで意思を持ったかのように男たちに襲いかかった。

 時間とともにその命令が移り変わる、輪転詠出術だ。並の術師が使う魔術ではない。


 仮面の若者たちは必死に身をかわすけれど、無数の刃を避け続けることは不可能だ。彼らの黒衣が切り裂かれ、血が噴出してゆく。

 その魔術の鮮やかさに、イサギは感心した。


「……へえ、大したもんだな」


 隣に目を転じれば、そこでは美しきエルフ族の騎士が若者を圧倒していた。


 エウレの剣技もまた、大陸制式剣術ではない。エルフ族に伝わる剣技は、スラオシャ大陸ではもはやイサギの傭兵剣同様、邪剣と呼ばれる類のものである。

 エウレは二本の短剣を巧みに操り、絶え間ない連撃を仕掛け、反撃に転じる隙をまるで与えない。拳打の嵐のようだ。

 順手、逆手など、持ち手の位置をわずかに変化させながら放つ斬撃は、一度として同じ種類のものがない。幻惑の剣である。

 それでもまだ恐らく、エウレは本気で相手を殺そうとはしていなかった。イサギが様子を見ているのを察して、若者の生殺与奪権をイサギの判断に委ねるつもりなのだろう。

 

 イサギひとりならばともかく、更なるふたりのエルフの剣士と術師の登場に、若者たちは決定的な不利を悟ったようだ。一斉に距離を取る。


「くっ……このままでは、誰か、頭領を呼んでくるんだ!」

「助けを……!」


 どうやら、さらに強者が控えているようだ。彼らを束ねる存在があるのだろう。


「……ふーん」


 イサギたちは追撃せず、それぞれ家の前に集結した。

 エウレとリミノはそれぞれ、まるでイサギをかばうように、彼の左右に立っていた。

 ふと気づく。そういえば、とイサギはリミノに尋ねた。


「キャスチはどうしたんだ?」

「えっと、先生はたぶん、おうちで震えていると思う」

「そうか……」


 ビビりは相変わらずか。

 まあしかし、なんだかんだで魔族の中でもっとも知識に長けた術師だ。この程度の相手からは身を守ってくれると。

 次の瞬間までは――信じていた。

 

 急激に分厚い雲が空を覆ったような、そんな雰囲気を感じた。

 大気が匂いを変えてゆく。たったひとりの男が現れたことによって。


「ちょ、なんですかこの、禍々しい闘気……」

 

 真っ先に反応をしたのはエウレであった。彼女の猛禽のような目が細くなる。一族で最も優れた射手であるエウレが捉えたのは、黒髪の男だった。

 若者たちと同様に、仮面を身につけている。しかしそれは他のものとは違い、特別な装飾が施されていた。

 エウレは弓を構え、二本の剣を提げたその男を狙う。イサギが制止する間もなく、彼女は第一射を放った。


 紫電のような矢は、男の体の中心に突き刺さった――かのように見えた。

 男の体がブレたその刹那、彼は平然と斜め前に立ち位置を変えていた。矢は虚しく遠方に消えてゆく。

 達人の剣すらも止まって見えるほどのエウレの動体視力ですら、男がなにをしたのかが、まるで見えなかった。瞬間移動でもしたと言われたほうが、納得できる。


「……やっべ」


 うめくエウレは額に汗をかき、弓を放り投げると、指で弾くように短剣を抜き、空中で掴む。

 

「あー、姫様、あと、なんか怪しい眼帯の人」

「イサだよ。お前ずっと俺のことそういう風に認識してたのかよ」

「とりあえずここはエウレさんが引き受けるんで、おふたりは逃げてもらってもいいですかね。

 なにがあっても振り返らないでもらえると、助かるんですけどね」


 エウレの言葉には、一切の余裕が感じられなかった。

 あるいはそれは彼女が果たせなかった使命に起因するのかもしれない。

 エウレはかつての屈辱を胸に、今度こそ、と覚悟を決める。

 冒険者の前、攻め落とされた王国の焼け落ちてゆく景色が、その碧色の瞳の奥には浮かんでいたのだ。


「ま、俺に任せろよ」

「……ちょ、えっ……」


 だが彼女を手で押しとどめたものがいる。

 イサギだ。



「あァ……?」


 やってきた男は気だるそうに首を鳴らし、うめく。

 イサギはそんな男の元にゆっくりと歩み寄る。

 剣の間合いには――死線には――、とうに入っていた。

 

 エウレもリミノも仮面の若者たちも、奇妙な威圧感に縛りつけられ、誰もが動けない。

 顔と顔を突き合わせるイサギと男。ふたりの間を渦巻く魔力はまるで可視化されたかのように、辺りに紫色の風を巻き起こしていた。


 周囲の緊張が高まってゆく。

 それがはじけ飛ぶかというその一瞬――。


「……はァ」


 男は小さくため息をついて、まるで猫がそうするように顔を背けた。

 そして彼は、仲間たちの頭に次々と拳を落としてゆく。


「いづっ――」

「っ――」

「いでえええ――」


 一体なにがどうなっているのかと、リミノとエウレは目を丸くしてその折檻を見つめていた。


 岩を砕くような鈍い音が響き渡り、手加減なしの暴力に悲鳴をあげる若者たちに向かって、彼はうなった。


「バカか……。相手を見てケンカを売れ、テメェら。

 こんなとこで屍晒す気か? あァ?

 人ひとり育てンのにどれだけカネと時間がかかると思ってンだ。

 ぶっ殺すぞ」

『ひいっ』

 

 殺意すらもにじませたようなその声に、若者たちは皆、震え上がった。

 矢で射られて肩から血を流す若者ですら、直立不動の姿勢を保っているのだから、なんとも凄まじい支配力である。


「ったく……」


 男は再び深いため息をつき、そうしてゆっくりと仮面を外した。


「よォ、イサ」


 気楽に片手をあげる彼は、廉造――元魔王候補のひとり、足利廉造である。

 旧知の仲である彼に、イサギは口元を緩ませる。


「久しぶりだな、廉造。また強くなったか」

「まァな。……あー、なんだ。

 ちと邪魔すンぜ」

「おう」


 そのふたりのやりとりを、周りの一同は狐につままれたような顔で眺めていた。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 リビングに集まったのは、イサギと廉造、そしてリミノの三人である。

 エウレと仮面の少年たち――神殺衆と呼ぶ組織らしい――は外で待っているようだ。


「あ、ああ、レンゾウくんかあ……。

 久しぶり、だね。

 前からたくましかったけど、ずいぶんと顔つきも変わっちゃって……」

「あァ?」


 魔王城時代のことを思い出しているのか、お盆を片手に部屋の角に立つリミノを見上げ、廉造は顎をさする。


「……あー、エルフ族の、姫さんか。

 そうか、伍王会議でこっちに来てンだな」

「あ、うん、そそそ。そゆこと」


 彼の放つ只者ではない雰囲気に萎縮しながらも、リミノは指で丸のサインを作る。

 イサギは後頭部に手を当て、「ふーん」とうなずいた。


神殺衆(ラグナロク)か。

 イカした名前だな」

「……そうか?」

「それに、なんだ、アマーリエと愁と三人合わせて、

 三華刃ヴィリ・ディン・ヴェーだって? 良いネーミングセンスじゃねえか」

「……それ、愁に聞かせてやれ」


 感心したようにうなるイサギに、廉造は呆れ顔を作ってテーブルに頬杖をつく。


「ったく、こんなところまで探しに越させやがって。

 オレだって暇じゃねェンだぞ」

「落ち着いたら、手紙のひとつでも送る予定はあったんだけどさ」

「ラタトスクが何者かに攻略されたという情報が入って、もう二ヶ月。

 しかし誰もテメェの姿を見たやつァいねェ。

 なにがあったンだって思うだろうが。

 想像力の欠如したバカか? テメェ」

「……まあ、こっちも色々あったんだよ。

 悪いな、心配かけちまって」

「心配なんてしてねェよ。クソが」


 苛立ちげに髪をかき、廉造はそっぽを向いた。

 ラタトスクに潜っていた時間が半年。そしてそれからイサギが迷宮を出て二ヶ月。

 イサギにとっては彼らとウノをしたのはつい先日のことのように思えたが、彼らにとってはずいぶんな時間が経っていたようだ。


 会話が途切れたそのときに、リミノが微笑みながら控えめに口を出してくる。


「でも、ちょっと、安心したかな」

「ん?」


 リミノは廉造の襲来によって隣の部屋に引きこもっているキャスチの様子を扉越しに眺めつつ、つぶやく。


「キャスチ先生から、レンゾウくんのことは、色々と聞いていたから。

 極大魔晶をずっとほしがっていたのも、聞いてたし。

 仮面を外したあの瞬間、もしかしたら、有無も言わずに襲いかかってくるんじゃないかって、リミノ勝手に思ってて」

「バカ言うなよ、リミノ」


 イサギは口元を緩めながら、言う。


「廉造がそんな、後先考えないようなやつだったら、今ごろ、スラオシャ大陸は火の海さ。なあ?」

「うっせェ」


 ぶっきらぼうにうめく廉造。

 リミノは嬉しそうに微笑んだ。


「うん……。なんか、男の子の友情って、すごいね。

 リミノ、ちょっと感動しちゃう」

「……」



 そのリミノの発言が呼び水になったかのように。

 いよいよとばかりに、廉造が本題に入った。


「ンで……こいつか」

「……まあ、そういうことだな」


 リビングに鎮座した極大魔晶は、少しずつその外側が薄くなってはきている。

 しかし、まだまだ中のプレハにまでは手が届かない。

 

 女神のように美しく目を閉じた女性が覆い尽くされた結晶の像を見上げ、廉造は思わずため息を漏らす。


「でっけェな。これが極大魔晶か。現物を見るのは初めてだぜ。

 まさか人の形をしているとはな」

「まあ……形については、これが特別なだけみたいだけどな」

「はァン」


 廉造は少し迷った後、あえてその言葉を選んだ。


「……死んじまってたか」


 イサギの胸をわずかな針が刺す。


「まあ……無事ではなかった、な」


 死んでいるわけではないが、一時はイサギとて、覚悟をしていた。

 ラタトスクの底でプレハを見つけたときに流した涙は、絶望の涙であった。

 もう二度とプレハが目覚めないかもしれないという、その思いは今でも、ある。

 どっちみち、もう、キャスチの腕を信じるしかないのだが。


「しかし、極大魔晶、なンだろ?」

「ああ、まあ」


 廉造はその赤い瞳に魔晶の輝きを映す。

 相変わらずなにを考えているのかわからないような無愛想な顔で、口を開いた。

 

「で、どうすンだ、イサ。これから」

「え?」

「極大魔晶が、手に入ったンだろ」


 彼の言葉を前に、イサギは瞬きを繰り返す。


「いや、だから、プレハは治療すれば、元に戻るかもしれない、って」

「あ?」

「キャスチが……いや、ある術師が言っていたんだよ。

 このままプレハを治療すれば、彼女は目を覚ますかもしれないってさ。

 どれくらいかかるかわからないし、成功率はどうかわからない。

 だが、可能性があるなら、俺はそれに賭けてみたいと思う。

 俺はもう、諦めたりはしない。

 この家でずっと、プレハを待ち続けるんだ。

 彼女が目覚める日を、さ」


 そう決意した彼の発言に、リミノは胸をきゅっと抑える。

 イサギがそれでいいのなら、リミノにもう言うことはない。

 彼のためを思うのなら、それが一番だから。


 だけど。


「――あ? 何言ってンだ?」


 廉造はまずい酒を口に含んだように、顔をしかめた。

 

 なんだろうか。

 何かがズレている。


 廉造がなにを言わんとしているのか。

 その違和感の正体を、イサギは探る。


「……これはプレハ、だぞ?」

「『極大魔晶』だろ?」

「お前にとってはそうかもしれないが」

「誰にとっても変わンねェだろ」


 廉造の声は炎を秘めた氷のようである。

 その冷たさと熱さに、場の雰囲気は異世界に飲み込まれたかのように、変貌してゆく。


「……廉造、おかしなことを考えるなよ」

「オレはテメェのために言ってンだろうが」

「……俺の?」

「ああ」


 意外そうに聞き返すイサギに、廉造は当然のように語る。


「ラタトスクで見つけたのは、女じゃなくて、それと同化をしていた極大魔晶だったンだろ。

 テメェの女が死んじまってたのはしかたねェ。

 この世界は、そういう世界だ。

 だがよ、だったらそいつを使って、テメェはさっさと元の世界にでも帰りゃいいじゃねェか」

「……え?」


 顎で極大魔晶を指す廉造は、腑抜けを見るような顔をしていた。


「せっかく極大魔晶があるンだ。

 なら、シル公にでも頼んで、ダイナスシティの帰還魔法陣を使っちまえばいいだろ。

 好きな時代にでも、好きな世界にでも戻れンだ。

 テメェが元いた20数年前だろうが、地球にだろうがよ。

 なのに、ンでこんなところで、グズグズしてやがンだよ」

「いや、ちょっと、待てよ。

 待てよ、廉造」


 わからない。彼がなにを言っているのか、わからない。

 廉造の『合理性』は、『非合理』極まりない。


 ふたりを隔てる川の正体が明らかになる。

 かかっていた霧は、もはや晴れた。


 指の先がわずかに震えてしまう。

 まさか廉造がそんなことを言うとは、という思いがあった。

 

 イサギは押し殺した声を出す。


「そのためには、今ここにいる、このプレハを犠牲にしなければならないんだ。

 20年、俺のことを待ち続けていてくれた、プレハだぞ……?

 たったひとりで、この大陸で、ずっと、ずっとだ。

 その想いを、願いを、踏みにじろと言うのか……?

 そんなことが……できるはず、ないだろ」


 廉造の言葉は酷薄であった。

 豚の首を斬り落とすように、彼は言う。


「――どうせ死んでンじゃねェかよ」


 それは廉造が廉造であるが故に放つことができる言葉だった。


 

 イサギは刮目した。


「……てめえ」


 イサギがどんな目をして彼を睨もうと、廉造の理は乱れない。

 高まってゆく部屋の中の緊張に、リミノが息を呑んだ。


「わかってンのか?

 テメェは極大魔晶を得たンだろ。

 それがどれだけ得難いモンか、その価値が、マジでわかってンのか?

 オレはずっとそいつを追い求めてンだ。

 テメェがここでグダグダやってた一分一秒も犠牲にしねェでな」


 廉造の詰問するかのような重い口調。

 それにイサギは、真っ向から反発する。


 いかに廉造といえども、これだけは譲れない。

 ――これはイサギの魂なのだから。


「わかっている。だが、これは……!

 俺をずっと、探し続けて、そうして命を失ったプレハなんだ!

 そんな、もののように扱うことなんて、できるはずがない!」


 イサギはテーブルを拳で叩く。

 廉造は背もたれに深く座り、そんな彼を冷ややかに眺めていた。


「おいおい、寝ぼけてンじゃねェよな」


 廉造の目がイサギを射竦める。


「――そいつは感傷だろ?

 死んだやつのことを考えて、なんになる。

 ンなモンで、テメェは諦めちまうのか?」

「お前――」


 イサギは思わず立ち上がった。

 拳を握りながら、彼は怒鳴る。

 イサギがここまで怒りを露わにするのは、とても珍しいことであった。


「プレハの歩んだ道のりを、お前は、なにもわかってねえだろ!

 こいつは、助かるかもしれねえんだ!

 俺がこの手で見つけ出した女なんだよ!

 知ったような口を聞くんじゃねえよ!」

「舐めンなよ」


 怒鳴るイサギを、廉造は正面から見返す。


「オレが今どんな気持ちでここにいるか、わからないわけでもねェンだろ」


 そのとき、廉造の全身に刻まれた魔法陣がわずかに光を放つ。

 召喚、封印、同化の三プロセスを経て、廉造に神の力を供給する禁忌がうなりをあげる。


「会いに来て、ガッカリしたぜ。

 極大魔晶(そいつ)があればオレは、今すぐ元の世界に戻れンだ。

 愛弓に会える。あいつをこの手で、抱きしめてやれるンだよ。

 なのにテメェはくっだらねェ理由でチンタラしてやがる……。

 ……このオレの憤りが、テメェにわかるか?」

「知らねえよ。

 極大魔晶(こいつ)は俺の女だ。

 俺がどうしようが、俺の勝手だ」


 廉造とイサギ。ふたりの赤い視線が交錯する。


「……廉造、てめえはもし妹さんが同じ目にあっていたら、

 そいつを使って、てめえひとりだけ元の世界に帰れるっつーのか?

 何十年もてめえを探して、さまよっていた思いを犠牲にして、よ」

「当然だ」


 廉造もまた、立ち上がる。


「オレの戻るべき世界は、オレが決めンよ。

 そのための極大魔晶だ。

 ここで眠り続けるあいつのために、オレがそばで手を握ってやンのか?

 バカじゃねェか。くっだらねェよ。

 ンなのはテメェの勝手な自己満足だ」

「自己満足だろうが、なんだっつーんだ!」

 

 イサギは椅子を蹴り倒す。

 部屋の隅にいたリミノがビクッと体を震わせた。

 

「――俺があいつのためにしてやれることはもう、それぐらいしかねえんだよ!」


 その叫び声にビリビリとガラスが震えた。

 


「そうかい、わかったよ」


 廉造の眼は赤く染まっていた。

 その底知れぬ色に、イサギもまた急速に胸の中が冷えてゆくのを感じる。


「……廉造、お前、本気か。

 本気で、俺と敵対するつもりか」

「……」

「いや、違うな、お前はいつだって、本気だった。

 常に、それだけを目指して、この世界で生きてきたんだ」


 廉造はただひたすらに極大魔晶を求め続けた。

 そしてその男の前に、今それがある。

 

 ――それだけがこの場の真実であった。


 廉造はイサギに背を向けた。

 去り際、背中を見せたまま、彼はつぶやく。

 その声は、これまでになく、落ち着き払っていた。


「イサ」

「……」

「これはテメェへの、最後の情けだ。

 少し時間を、やンよ。

 その間に、覚悟を決めておけ。

 テメェがもし、今すぐ帰還魔法陣を使うってンなら、オレはテメェを見過ごす。

 それが今までずっと、テメェに世話ンなったオレの、ケジメだ」


 彼のその言葉に込められた思いは、イサギにも理解はできた。


 廉造がこの世界にやってきて、最初に頼ったのはイサギだ。

 彼は真夜中、魔王城でイサギに助力を請うたのだ。

 強くなるために。元の世界に戻るために。

 それがイサギと廉造の物語の、始まりだった。


 この数年、イサギは廉造とともにアルバリススを生きてきた。

 ふたりはもはや、知らぬ仲ではない。

 時に争い、時に共闘し、言葉ではなく拳を交わしてきた。

 愁や慶喜とも違う、その間を流れる感覚は、ふたりだけのものだ。

 イサギと廉造は、『戦友』であった。


 そんな廉造は、イサギのために『極大魔晶を諦める』と言っているのだ。

 あれほど渇望し、人々をそのために殺し続けてきたのに、である。


 彼が極大魔晶を手にすることができれば、今すぐにこの血まみれの生活を終えて、現代社会に戻ることができるのに。

 クソッタレな暮らしにピリオドを打つことができるというのに、だ。


 こちらに背を見せる廉造の、その計り知れないほどの複雑な思いに。

 ただひとつ、名を付けられるとしたら。


 ――それは『友情』としか、呼ぶことはできないだろう。



 この世界で彼と共に過ごした時間を思い返しながら。

 イサギは廉造に向けて、言葉を放つ。

 その別れの言葉を――。

 

「俺はプレハを俺のために使う気は、ない」

「そうか」


 振り返る廉造。

 その両眼は、魔人のように赤い。


「なら次に会った時、オレとテメェは、敵同士だ。

 オレは極大魔晶(そいつ)を奪い、元の世界に戻る。

 ――テメェを殺してでも、な」


 廉造はそう言い、


「ああ、かかってこい。

 ――この俺に勝てると思っているのなら、な」


 イサギは無防備に背中を向けて部屋を出てゆく彼を、悠然と見送った。


 ――その瞬間まで、確かにふたりは、友であったのだから。

 

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