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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:11 朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ
126/176

11-4 終の信託

「ふむ」


 白衣を着たその幼い魔族の少女は、ポケットに手を突っ込んだまま目を細めた。

 彼女の視線の先には、等身大の極大魔晶があった。

 少女はそれを無造作に手のひらの裏でコンコンと叩く。

 感触を確かめるように、何度も何度も。あるいはそれは医者が患者にする触診のようでもあった。


「なるほどの」


 腕組みをしてうなる少女の横には、不安そうなリミノがいた。

 彼女はせわしなく髪を撫でながら、唇を震わせて問いかける。


「あの、先生……どう、ですか?」

「うむ」


 真剣に極大魔晶を見上げる彼女の瞳には、知性の輝きが宿っていた。

 辺りには緊張感が漂う。その娘の様子を、リミノはただただ見つめていた。

 

 どこからどうみても童女にしか見えないその娘は、貫禄たっぷりに顎を撫でると、まるで子どもが偉ぶるような口調で、精一杯低い声を出した。


「――なんとか、なるやもしれぬな」


 そう告げたのは、元魔族国連邦魔術兵団・総団長キャスチ=マゼルン、その人であった。






 勇者イサギの魔王譚

『Episode11-4 終の信託』





 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

 キャスチがどこにいるのか。

 それをリミノは知っていた。

 なぜなら、リミノは彼女とともにスラオシャ大陸に渡ってきたのだから、である。


 セカンドポート計画というものがある。

 とある魔法師の大魔法によって壊滅したハウリングポート港を新たに再建しようという、国家規模のプロジェクトだ。

 だがハウリングポートはかつて火の海となり、とても人の立ち入れるような領域ではなくなってしまった。

 そのため、すぐ近くに新たなる港、セカンドポートを建設することにしたのだ。


 働き手として、冒険者ギルドは魔族に助力を求めた。

 そう、彼らの操る石偶兵(ゴーレム)を所望したのである。

 これは人間族と魔族を結ぶプロジェクトでもあったのだ。

 

 第二次魔帝戦争の回避には成功したとはいえ、まだまだ魔族と人間族の関係は厳しい状態での出来事である。

 人々は二代目ギルドマスター・ハノーファと魔帝デュテュの間になんらかの政治的な密約が交わされたものだと見て、彼らに対する不信感を強める事態にもなった。緋山愁という男がその実現に動いていたのだということを知るものは、極わずかしかいない。

 

 そういった国際関係の上での一件である。石偶兵を操るものを派遣する魔族も、ただの使者を遣わせるわけにはいかない。そのために抜擢されたのが、今回のキャスチであった。

 彼女はたったひとりでは心細いと泣き、リミノを連れてスラオシャ大陸に渡ったのだ。

 なお、第一の弟子であるシルベニアを連れてゆけなかった理由としては、ハウリングポート壊滅の原因を鑑みれば、すぐに導き出せる真実である。




 極大魔晶(プレハ)を抱えて移動するのは危険が大きすぎる。そう判断した結果、リミノはキャスチをこの村に呼び寄せることにした。

 

 リミノはエウレに頼み、手紙をキャスチに届けてもらうことにする。

 その内容も割と荒っぽいものであったのだが、そこからがリミノの本気だった。

 リミノは真に迫った顔で、女王としてエウレに命ずる。

 必要ならば彼女を無理矢理引きずってでも連れて来てほしい、と。

 もし嫌がるようなら、刃物を突きつけて脅しても構わない、と。

 キャスチの性格は、臆病で温柔だ。味方だと思わせておいて懐に入ったら、従わせるのは難しくないから、と。

 リミノは淡々とそんなことを言い放つ。その目は据わっていた。


 いいのかなあ、と思いながら、エウレはトッキュー馬車に乗ってセカンドポートに向かった。


 結論から先に言えば、キャスチはすぐにエウレに従った。

 リミノがいなくなり、たったひとりで石偶兵の世話をするのは、飽々していたようなのだ。リミノに会うために、彼女はたった一日で準備を済ませた。

 留守を後任の術師に任せ、キャスチはエウレとともにリミノの元に向かう。

 あまりにもあっけなくて、やはりエウレは、いいのかなあ、と思った。


 かくして、キャスチはエルフ族の隠れ村にやってくる。

 迷子の幼女を誘拐するよりも簡単な職務だと、エウレは思った。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「たのもー!」


 勢い良く扉を開くキャスチが見たものは、剣を持った赤い目の男だった。


「――なんだ、お前は」

「ひい!」


 男の放つ殺気にその身を縛りつけられて、キャスチは肺を圧迫されたかのような悲鳴をあげた。

 がくがくと震えるその彼女の後ろからひょっこりと現れたのはエルフ族の女性、エウレだった。彼女は両手に山ほど抱えた荷物を地べたに下ろすと、口に手を添えて家の中に呼びかける。


「えーと、姫様ー、姫様ー、お連れいたしましたよー」


 はーい、という返事と、ぱたぱたと駆けてくる音。ほどなくしてリミノが姿を見せた。


「ずいぶん早かったね、エウレ」

「そりゃまあ、急ぎましたからねー」

「りっ、リミノ!」

 

 剣を突きつけられたかのように怯えるキャスチは、震え声を出す。その言葉にイサギは「……リミノ?」とわずかに眉をひそめたが、すぐにリミノ(プレハ)が話を継ぐ。


「イサギ、こちらが私がお世話になった、キャスチ先生だよ。

 覚えているでしょう? イサギも」

「……ん? あ、ああ、そういえば魔族の。

 そういえば前に、世話になったな」


 ぼんやりとつぶやくイサギは、頭をかく。


「こ、こやつ……こやつか……」

 

 キャスチはリミノの影に隠れながらも、その表情を徐々に憮然としたものに変えてゆく。

 しかし、イサギの疑念はまだ晴れていない。


「なんでこんなところにいるんだ?」

「私がお呼びしたんだよ。

 どうしても、力になってもらいたいことがあって、ね」

「……それは、俺じゃ駄目なのか?」


 眉根を寄せる彼の唇に指を当て、リミノは微笑む。


「もう、あんまり言わせないでよね、イサギ。

 女性同士じゃないと、できない話だって、あるんだよ?

 男の人はずっとひとりで住んでても、平気かもしれないけどさ」

「あっ、いや……その、すまない。気が回らなくて」

「ううん、大丈夫。私のことを心配していてくれたんだもんね。

 ありがと、イサギ」

「……あ、ああ」


 顔を赤らめて俯く彼の頬を撫で、それからリミノはキャスチとエウレに向き直った。


「それじゃあ、入ってください。詳しい話を、しましょう」




 イサギはエウレのこともよく覚えていないようだった。

 エウレもまた、旅人のひとりとして接触したイサギのことをすっかり忘れていたのだから、お互い様だろう。

 もしイサギが彼女と一晩を共にしたことを記憶していたのなら、もう少しリミノの前で取り乱していたに違いない。

 

 初めて見る極大魔晶の輝きに、エウレは「おお……」と息を呑む。

 キャスチは腕組みをしながら、極大魔晶を見上げていた。しかし、なにか気になることでもあるのか、時折チラチラと視線を横にやっている。


 そこには、落ち着かない様子のイサギがいる。

 爛々と紅い目を輝かせて、キャスチとエウレをじーっと見つめている。


「あ、あの……リミノや」

「はい?」

「その……」

 

 なにかを言い出そうとしてすぐに言葉を引っ込めるキャスチの姿は、まるで大人の前で緊張してやまない幼女のようだった。

 がたりとイサギが立ち上がった瞬間、やはりキャスチは短く悲鳴を漏らした。

 

「悪い、気付かなかった。茶を入れてくるよ」

「うん、お願い」

「あ、わたし手伝いまっすよー」

「ん」


 イサギの後をひょこひょことエウレがくっついてゆく。すっかり宿娘っぷりが板についているようである。

 彼らがいなくなったことを確認したキャスチは、リミノの耳元に口を寄せてうめく。


「の、のう、リミノや。

 ……あやつは、前に会った魔王候補のひとりじゃろ?」

「ええ、そうですよ。お兄ちゃんですよ」

「ううむ……」

 

 しかめ面で腕を組むキャスチは、なにやら考え込んでいるようだった。

 しかし片眉をあげ、思い出したようにつぶやく。


「じゃが、なぜわしをあんなに睨んでおるのじゃ……?」

「ああ、大丈夫ですよ、大丈夫ですよ、先生。

 たぶん、あれです。子どもが生まれたばかりのクマさんみたいな感じですよ」

「……い、いきなり首をもがれたりせんかのう」

「え? それは、ないと思いますけど……」

 

 ぷるぷると震えるキャスチの脳裏には、廉造と呼ばれた魔王候補が目の前で五魔将のひとり、リージーンの首をむしり取ったその姿が浮かんでいた。

 リミノの手を握りながら、今にも逃げ出してしまいそうな態度だ。


「ともかく、イサギお兄ちゃんは、そんなひどいことをしませんよ。

 気になるんだったら、しばらく隣の部屋にいてもらいましょうか?」

「そ、そうしてくれると、助かるが……」


 やがてガチャリと扉を開けて、再びイサギとエウレが入ってくる。

 リミノとキャスチがくっついているのを一目見たイサギは、なにやら少しだけ唇をへの字に傾けて、人数分の茶をテーブルの上に載せた。

 その姿を見て、ふとリミノは思った。


「ねえ、ねえ、イサギ」

「ん?」


 ちょいちょいと彼の袖を引っ張り、リミノは嬉しそうな顔をしながらささやいた。


「もしかして、イサギ、ちょっと妬いてる?」

「……え?」

「だって、私がキャスチ先生を連れて帰ってきたときから、なんだか不機嫌になっているでしょ?」

「……俺、不機嫌に見えるか?」

「うん、ちょっとね。うふふ」

「そうか……」


 自らの頬を引っ張って憮然とするイサギに、リミノは微笑む。

 彼の頭を撫でて、リミノはそっと言う。


「大丈夫だよ、私はイサギのそばにいるから。

 だからちょっとだけ、我慢して、いい子にしててね。

 私たち、大事な話があるから。ね?」

「……あ、ああ」


 その甘い言葉に、イサギは顔を真っ赤にしてうなずいていた。

 人前でそんな扱いをされると、どうしていいかわからないのだろう。最愛の人の申し出を払いのけることはできず、彼は言葉を飲み込んだ。

 先ほどまでの殺気はどこへやら、不器用な少年はすごすごと寝室へと引き下がってゆく。


 その様子を眺めていたエウレは、小さくつぶやいた。


「なんか姫様、猛獣使いみたいですね」

「……あはは」


 リミノは乾いた笑いをこぼす。

 イサギの去っていったその扉の奥を見つめながら、キャスチは小さくうなる。

 

「……しかし、あやつ……。

 やはり、『イサギ』と言おうたか……」


 冷静さを取り戻したキャスチは眉をひそめ、今度こそ極大魔晶に向き直った。

 その真剣な様子を前に、リミノは従者に小さく頭を下げた。


「えっと、ごめん、エウレ」

「あ、いいですいいです。わたし席を外しておきますので」

「せっかく旅から帰ってきたばかりなのに、ごめんね」

「なにを言っているんですか姫様」


 エウレはニッコリと笑う。


「ここはミストランドですよ。それならどこだって、わたしの家ですよ。

 それじゃあ、あちこちの様子を見回ってきますね。

 御用があったらお呼びください。どこからでも駆けつけますから」


 そう言って部屋から出てゆくエウレ。

 リビングには、リミノとキャスチ。そしてひとつの極大魔晶が残される。

 

 それからしばらくの間、無言。

 術式教授(プロフェッサー)の見立てが出るまでに、少々の時間がかかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 そして。


 なんとかなるやもしれぬな、と彼女は言った。

 その瞬間のリミノの表情は、まるで泣き崩れる寸前のようだった。


「ほ、ホントに……? 本当に、治るんですか、プレハお姉ちゃんは!?」

「治る、とまでは言えぬがの」


 キャスチは包みを開けて、装飾の施された煙管を取り出した。趣味や嗜好品としてのたばこではない。彼女のそれは医療目的である。

 魔力をわずかながら回復させるために、暗黒大陸の果物の葉を乾燥させたものを刻んで、吸い込んでいるのだ。

 魔術で火をつけ、吸い口に唇を当てるキャスチの様子は、しかしいつもと違って不愉快そうでもあった。

 

 あの穏和で大人しいキャスチが、そんな感情を表に出すのは、ひどく珍しい。

 思えば、イサギを前にした彼女の態度は、初めから少しおかしかった。


 その様子を敏感に感じ取ったリミノは、詳しく問い詰めたい気持ちを抑えながら、キャスチに尋ねる。


「お体の具合、まだ良くならないんですね」

「……うむ、まあ、仕方あるまい。わしは少々長く生き過ぎた。

 もはや自力では魔力の回復もままならぬのじゃ。この程度、焼け石に水でしかないというのじゃがな」


 自嘲するかのように煙を吸うキャスチは、極大魔晶を見上げ、口元を歪めた。


「しかし、プレハ、あの忌まわしき『極大魔法師ウィザード』プレハか」

「あ、えっと……」


 どっちみち、極大魔晶の存在をバラしたのなら、それの依代がなんであったかを隠しても意味はない。リミノはそう思って、取り繕うとはしなかった。尊敬し、敬愛する師匠が自分を悪いようにするとは思わなかった。そう思い込んでいたのだ。

 だが、キャスチのその表情には、恨み辛みが浮かんでいた。


 プレハは勇者パーティーのひとりとして、アンリマンユを。そしてシルベニアの両親であり、キャスチの教え子のパールマンとオニキシアを殺害した女だ。

 リミノには23年前の出来事だが、キャスチにとってはまるで昨日のように覚えていたのだ。

 

 そうか、だからキャスチは、ずっとなにかを気にかけるようにしていたのか。


 リミノは己の失態を悟る。

 あまりにも自分は考えなしだった、と。


「我が子のように思っておったアンリマンユを下した相手と、まさかこのような形でまみえることになろうとはのう。

 よもや、その治療を頼まれてしまうなど、奇縁を感じるわ」

「せ、先生……」


 キャスチの流し目がリミノの体を薙ぐ。

 術式を解くように、キャスチは冷静に、そして冷酷に告げた。


「やつはアンリマンユの仇じゃ。

 とうに終わったことじゃが、忘れてはならぬことよの。

 可愛い弟子の頼みであっても、こればかりは聞けぬ。すまぬの」


 キャスチが放ったのは、拒絶の言葉。


 リミノの心臓がどくりと跳ねる。

 その顔は、見捨てられた孤児のようですらあった。


「……そん、な」


 

 思わず目を見開いて口元を抑えるリミノを、キャスチは横目で見やり、


「……と言いたいところではあるが、の」


 彼女は深い溜息をつく。

 童女にしか見えない見た目を持ち、その声すらも若鳥のようなキャスチだが、今だけはまるで老婆そのもののように年を取って見えた。

 

「わしとメドレザでは、先日の、デュテュを止めることはできなかった」


 煙管を咥え、彼女は遠い目をして語り出す。

 第二次魔帝戦争の、その顛末を。


「あやつが父の後を継ぐと言い出したときには、血は争えないものだと思ったがの。

 しかし、誰の目に見ても、勝てる見込みのある戦ではなかった。

 わしとメドレザは、必死に止めた。それこそ、命がけじゃった。

 じゃが、やつらの覚悟はひどく、固かった。

 結局、デュテュとゴールドマンは魔帝の名の元に、スラオシャ大陸に渡ってしまったわ。

 わしは今生の別れを決意したが……。

 よもや、再び生きて会えることになるとは思えんかった」

「……先生」


 なにを言わんとしているかはともかくとして、その当時もキャスチの元にいたリミノは、彼女がとても辛そうにしていたのを知っている。

 リミノはキャスチの言葉の続きを待った。


「……デュテュも、そしてシルベニアも、戻って来おった。五体満足でな。

 あやつらは、大層感謝しておったわ。

 アンリマンユが我が子のようなものなら、デュテュも我が孫よ。

 ゴールドマンは残念であったが、シルベニアは帰ってきてくれた。

 あやつらの命を救ってくれた男は、恩人には違いなかろうて」


 キャスチはリミノを見た。今度は、どこか清々しい目をしていた。


「おぬしは、知っておったのじゃな。

 魔王候補として召喚されたひとりに、とんでもない猛毒が混じっておったことを。

 それこそが、計り知れぬほどの奇縁。

 ……あの男が、かつて『勇者イサギ』と呼ばれていた存在であったことを」

 

 キャスチの問いに、リミノは嘘をつかず、静かにうなずいた。


「……えと、はい」

「そうか」


 疲れたような声を漏らすキャスチ。

 隣の部屋に潜む男は、かつてデュテュの父を討った男であった。

 が、彼女は首を振る。


「……もう、良い。所詮は老婆の偏屈じゃ。

 やつは確かにオニキシアやパールマン、そしてアンリマンユを斬ったが、それも戦いの上じゃ。

 ハナから、わしがつべこべ言うようなことではなかったの。

 あやつは、敵のはずのデュテュやシルベニアを救ってくれた。そう聞いておる。

 ならばわしとて、恩には報いようぞ」

「それじゃあ……」


 リミノは呼吸を止めて彼女の言葉を受け止める準備をする。

 キャスチは目を逸らしながらも、しっかりと宣言した。

 

「引き受けよう、プレハの治療を。

 どこまで元の姿に戻せるかはわからんがの。

 できるかぎりのことはやろう」


 歓喜。

 リミノは大きく手を広げて、キャスチに飛びついた。


「――ありがとうございます、先生!」

「こ、こらっ、やめるのじゃっ」


 リミノがキャスチに抱きつくと、口では嫌がりながらも、彼女はまんざらでもない顔をして頬を染める。

 情の深さゆえに結局戦線に向かうことができなかったこの教師は、変わらずその心で、宿敵を助けることを決めたのだった。


 リミノを引き剥がし、こほんと咳をして、キャスチは煙をくゆらせながら小さく彼女の名を呼ぶ。


「しかし、リミノよ」

「はい!」


 びしりと額に手を当てて直立するリミノ。

 その顔には、笑みが浮かんでいる。


 しかし、それはすぐに崩れ去る。

 キャスチは隣の部屋に視線を動かしながら、つぶやいた。


「先に治療が必要なのは、あの男のほうなのではないか?」

「え?」


 瞬間、言葉を失ったリミノ。

 煙管を咥えながら、キャスチはさらに告げた。


「あの男のかかっている病もまた、手強いぞ」


 その言葉は、リミノを揺さぶった。

 まばたきを繰り返し、それからリミノは問う。


「……知っているんですか? お兄ちゃんの、症状を」

「既知か未知かと問われたならば。

 ――わしは、あれをよく知っておるよ」


 静まり返った深い森の中の廃村にて。

 少女の皮をかぶった老婆は、かく語る。


「あれをわしたち魔族は『神成(かみな)り』と呼んでおる。

 かつて数百年前、わしすら生まれていなかった頃にな、古代の世界において、不治の病とされたものじゃ。

 神世界の力を引き出したものが陥る呪いのはずじゃが、まさかこんなところで再びお目にかかろうとはの」


 リミノは知らなかったが。

 無論それは――呼び名は違えども――『神化病』に他ならなかった。


 キャスチは目を細め、小さくつぶやく。


「久しいな。心神喪失と記憶の欠如、か。

 かつて、アンリマンユも同じ病に苦しんでおった」

 


 リミノは今度こそ、キャスチの足にすがりつくところだった。

 彼女はテーブルに手をついて、キャスチを見つめた。


 震える唇から、声を漏らす。


「……治る、んですか?」

「ふむ」


 顎をさすり、キャスチはまた、押し黙った。

 目を瞑った彼女の一挙一動を見逃さないとばかりに、リミノは目を見張る。


 決意は今もこの胸にあった。

 リミノは誓ったのだ。

 何年かかっても、何十年かかっても、絶対に。

 きっとプレハとイサギを元通りにすると、己に誓ったのだ。



 そんなリミノの願いを知ってか知らずか。

 キャスチは、静かに腕を組む。


 慎重に言葉を選び、

 視線を動かし、

 考慮に考慮を重ねて、

 弟子の眼差しを浴びながら。



 そしてキャスチは、ようやくその一言を発した。


「――なんとか、なるやもしれぬな」






 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 

 


 町中で野太い声が響き渡る。

 

「――ったく、っざけんなよな!」


 娘を蹴り飛ばした男の行為に、大通りからは悲鳴が上がった。

 しかし冒険者の格好をした彼らを、止めに入るものはどこにもいない。


「エルフが人間様に歯向かいやがって、大人しくしてりゃあいいんだよ!

 ったくよお! 胸糞悪ぃ!」


 男の足元には、咳き込むひとりのエルフがいた。

 彼女は隷属の証である首輪をつけている。奴隷の身分の、見た目はまだ幼い少女だ。

 怯えた目をした彼女の手を、さらに男が踏み潰す。エルフは細い悲鳴を漏らした。


「わかってんのか! てめえらは奴隷なんだよ、生まれつきのな!

 なにがエルフ開放だ! 気に入らねえ! 気に入らねえな!」


 四人の男たちはエルフを囲んで、次々と乱暴を加える。

 誰かに飼われているはずのエルフだが、彼女は頭を抱えながら突然の不幸をただただ耐え続けていた。

 男たちは、根っからの差別主義者たちであった。

 前にエルフ族に恥をかかせられたばかりであり、その鬱憤を見知らぬエルフにぶつけているのだ。


「お前たち、そこまでにしておけよ!」


 そこで現れたのは、ひとりの若い冒険者だった。

 青年は人垣をかいくぐり、男たちの前に立ち、剣を抜く。


「少女を離せ! 野蛮人どもが! この僕が成敗をしてやる――」

 

 だが、その言葉を最後まで言い切ることはできなかった。

 ひとりの男が放った拳が、若い冒険者の顔面を砕いたからだ。

 トマトをぶちまけるように血をまき散らし、地面を転がってゆく冒険者は、たったの一撃で絶命していた。

 あちこちで悲鳴が弾ける。人混みは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってゆく。


「口ほどにもねえ。ガキが、誰に向かって口利いてんだ」

 

 男はツバを吐き捨てると、再び床に倒れているエルフに向かって歩き出す。さらに嬲りものにした後で、エルフを殺すことにまるで一瞬のためらいもないだろう。

 小さなエルフは、その外見年齢は10才から12才の間か。

 もはや祈る神もすがる女王もおらず、体を折り曲げながら嵐が過ぎ去るのを待つだけの少女だ。

 そんな彼女が震えながら見上げた先に、ひとりの男が、いた。

 黒い外套を着て、黒い仮面をつけた、黒尽くめの男だった。


 男はエルフのそばに立ち、首を鳴らす。

 そんな彼を、荒くれ者どもは睨みつけた。


「なんだてめえは、さっきのやつの仲間か?」

「この街で、俺達に逆らおうってのか? ああ?」


 黒尽くめの仮面の男は、エルフを一瞥すると、荒くれ者どもに告げる。


「テメェらも――神化病患者だな?」


 なにを言ってやがんだ――と。

 冒険者の口が動くが、それが発声されることはなかった。

 その時点で、荒くれ者の首は、男の腕力によって引き千切られていたからだ。

 凄まじいほどの闘気だった。

 

 あまりにも次元が違いすぎて、男たちはそれに気づかない。

 彼らはたちどころに刃物を抜いた。


「こ、こいつ!」

「ぶっ殺しちまえ!」


 叫び声をあげながら飛びかかってくる冒険者たちを見据え、男は――廉造は、拳を固めた。


「――神化病患者は、死ね」

 

 黄金の闘気をまとった廉造の拳打を浴びたその冒険者たちは、爆散して死に果てた。



 傷めつけられたエルフに治癒法術をかけた廉造は、彼女からのお礼の言葉も受け取らず、その場から立ち去ろうとして。

 そして、曇り空を見上げ、紅蓮に染まった目を細める。


「……極大魔晶の目撃事例か。胡散臭ェ」


 神殺衆(ラグナロク)の頭領、足利廉造はその日、水の都リアルデに降り立った。


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