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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:11 朽ちよ、身罷れ、地に絶えよ
124/176

11-2 王の帰還

 これは、イサギが地下迷宮に挑んでいる間に起きた出来事である。

 彼の知らぬ間に、世界は大きく動いていた。

 

 その渦中にいたのは、冒険者ギルドであった。


 

 冒険者ギルドはかつての勇者イサギが提唱し、その後を引き継いだバリーズドが作り上げたものだ。

 魔帝戦争後、職にあぶれた傭兵や放浪騎士を労働力として組み込み、世界平和に貢献させるための国際組織である。


 しかし冒険者ギルドはやりすぎてしまった。

 膨れ上がるその組織力と思惑に、システムやバリーズドの統率が及ばなかったのだ。

 冒険者ギルドは制御不能の猛火と化し、戦禍を撒き散らす。


 それに歯止めをかけたのが、魔王パズズ。

 そして、新たなる勇者、緋山愁であった。



 二代目ギルドマスター・ハノーファの辞任より二ヶ月後。

 スラオシャ大陸の各都市において、三代目ギルドマスターの国民投票が行なわれた。


 それらを取り仕切ったのは、無論、冒険者ギルドだ。

 立候補者は、七名。名の売れた冒険者や、ギルド本部で二代目ギルドマスター・ハノーファの参謀を務めていたものたちである。


 誰もが知る傑人たちであったが、だがしかし、開票結果は実に一方的なものだった。

 候補者の中に、カリブルヌスを打倒し、王都を救い、そして魔王パズズを討ち取った英雄がいたからだ。

 人々は力を求めた。勇者なき時代の若き勇者を渇望した。それは時流であった。戦後の不安を払拭するような、とてつもないカリスマ性を人族は心から望んだのだ。

 

 そして、三代目ギルドマスターが誕生する。


 ――緋山愁。

 二年前に彗星のごとく現れたその男は、ついに組織の頂点に上り詰めたのだった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 国民投票によって選ばれた初のギルドマスターは今、王都ダイナスシティの王城にいた。

 かつて彼がこの城に忍び込み、己の目的を阻む三人の貴族を血祭りにあげたことを知るものは、いない。


 正面からやってきた愁は、まさしく気品高い英雄である。

 赤絨毯を歩くその堂々とした姿は、彼の姿を一目見ようと集まった貴婦人たちの間からため息が漏れるほどに、美しかった。


 栗色の髪を後ろで結び、背筋を伸ばした颯爽とした立ち姿は名馬のように流麗であり、周囲の視線を引き寄せて、離さない。

 王の前にやってきた彼は見事な作法で一礼をし、それから静かにひざまずく。


「王、謁見の機会をもうけていただき、心から感謝を申し上げます」


 愁には目的があった。

 就任の儀を終えたばかりの彼には、やるべきことがあった。


 彼の後ろには、ふたりの従者がいた。

 この王城の中にありながら帯剣を許されている。それがなによりも異質であり、冒険者ギルドのマスターの特異性を証明しているかのようだった。

 表向きは、中央国家バラベリウの王にかしずく愁である。

 だが彼の持つの実権はもはや、国王と対等ですらあった。

 冒険者ギルドのマスターとは、そういうものなのだ。


「お久しぶりですわ、王」


 従者のひとりは、流れるような赤い髪を持つ女性であった。

 長いコートを羽織り、一本の剣を帯びた彼女を知らぬものは、この場にはいない。

 初代ギルドマスター・バリーズドの長女、『戦聖マスターウォーリア』アマーリエである。


「……」


 従者のひとりは、短い黒髪を後ろに撫でつけた男であった。

 漆黒の外套をかぶり、竜を模した仮面を装着している。二本の剣を背負う、不吉な姿の剣士だ。

 愁が常にそばに置く仮面の男。凄まじき剣の使い手、レンである。

 

 愁、アマーリエ、そしてレン。

 新たなる平和の象徴にして、武勇の極致に立つ者たち。

 彼ら三人を、人々はこう呼ぶ。


 冒険者ギルドの三華刃ヴィリ・ディン・ヴェーと。

 

 愁は顔をあげ、居高でもなく、不遜ですらなく、わきまえたただひとりの青年として口を開く。

 だがそれは誰よりも一際高く響き、人たちの注目をさらった。


「王。私は提言いたします。

 これからの時代、新たなる『黄金時代』を迎えるために、人族は団結しなければならないと。

 人と人が争う時代はもはや過去のこととなります。

 我らは繁栄せねばなりません。

 それが神族よりこの大陸を受け継いだ我らの義務であり、責務なのです」


 愁が目的を語り出すと、辺りは静まり返った。

 皆がその言葉を待ちわびている。望んでいる。

 人を惹きつけ、魅了し、味方につける。

 封術による魔力よりも、魔法師としての才覚よりも、それこそが何よりも愁の力であった。


「王。私は提言いたします」


 愁が合図を出すと、アマーリエは一枚の紙を広げた。

 あらかじめ用意をしていたその書には、愁の達筆でこう記されている。


 シンとする城内にて、誰かがその文字を読み上げた。


『伍王会議』

 

 そう、伍王会議。

 そこには、そう描かれている。


 伍王とは何者か。

 それを今から愁が語る。


 ひとつ指を立て、物語る。


「かつて魔族と手を組み、この大陸に覇を唱えた空の王者。

 ――竜王バハムルギュス」


 ふたつ指を立て、また語る。


「かつて魔族を退けるためにその拳を振るった大地の王。

 ――獣王レ・ダリス」


 みっつ指を立て、また語る。


「アンリマンユとその力を受け継ぎながら、一族の幸せを願う王。

 ――魔王ヨシノブ」


 よっつ指を立て、また語る。


「人間族の礎であり、支柱。このダイナスシティを収める偉大なる王。

 ――人王バラベリウ三十六世」


 いつつ指を立て、そして語り尽くす。


「冒険者により住処を追われ、今なお運命の濁流にあがく美しき森の王。

 ――エルフ族の、その女王。

 暗黒大陸とスラオシャ大陸が、ひとつになるときが来ました。

 生き残った者たちが一堂に会し、そして今こそ、恒久の和平を実現する時です。

 これから新時代が幕を開くのです。

 すべて、我々にお任せください」


 愁は立ち上がり、腕を掲げた。

 芝居がかった仕草だが、それに違和感を覚えるものは誰も居ない。

 三代目ギルドマスターの威厳に、その威光に、皆が目を奪われていた。

 

 愁のブラウンの瞳に映るのは、人々でもなく、王ですらない。

 彼の瞳が見つめているのは、未来である――。


「王。提言いたします。

 我ら冒険者ギルドは、女神の名の元に。

 竜王、獣王、魔王、人王、そして女王を集め、誓いましょう。

 永遠に続く平和を。

 新たなる新時代の到来を。

 飢えや貧困に苦しむことのない世界を。

 争いのない、理想郷を。

 これはそのための第一歩です。

 我々は万事を尽くし、必ずやそれをやってみせましょう。

 さあ、王。

 共に歩み出しましょう。

 ――『伍王会議』の実現に向けて」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「伍王会議、ねえ」


 アマーリエは頬杖をつき、暗い目を向けていた。

 ここはダイナスシティ・冒険者ギルド本部。

 その中でも、一部のものしか入室を許されない最奥、マスターズルームである。

 

 赤髪の彼女は冒険者ギルド副マスターの肩書を持つ。実質、冒険者ギルドのナンバー2であった。

 バリーズドの娘であり、すでにS+冒険者のレベルに達していた彼女の能力を疑問視する声はどこからもあがらなかった。


 アマーリエの視線の先には、愁がいる。

 髪が灼けるようなその目つきに、彼は問い返す。


「なんだい、アマーリエ」

「……別に。ただ、胡散臭いわね、って」

「ははは」

 

 浄机に向かい、書をしたためながら、愁は笑い声をあげた。

『ブレイブリーロードの対魔王戦』から半年が経ち、アマーリエは十分に気力を取り戻した。

 元々、才気に溢れていた少女だ。立ち直ってくれると信じていた。

 しかしアマーリエの愁に対する態度は、以前のものとはガラリと変わってしまっていた。


 勇者イサギを目標とし、彼の力になるためにアマーリエは必死に鍛錬を続けた。

 バリーズドやカリブルヌスに教わった型をただひたすらに繰り返し、あるいは冒険者として死地に飛び込み、己を痛めつけていった。

 彼女の剣技はいつしか、陽聖騎士団の団長すら打ち負かすほどの実力を兼ね備えていた。

 愁ですら――純粋な剣技のみでは――彼女に太刀打ちすることはできなくなり、それはまるで、死んだバリーズドの魂がアマーリエに宿ったかのようだった。

 才能は、開花したのだ。


 すべては命を救ってくれた人に、剣を捧げるためだった。

 彼に守られるだけの自分ではなく、彼を守ることができるように、アマーリエは自身の剣を磨き続けていた。

 いずれ勇者の高みへと到達ができるように。

 偉大なる父、バリーズドのように。

 

 そのアマーリエを戦場から下げ。

 ――愁はイサギを斬ったのだ。

 彼の首をはねたのである。

 

 到底許される行ないではない。

 そもそも、許す許さないという次元ですらない。

 その瞬間から愁は問答無用で、アマーリエの敵となったのだ。

 

 燃えるような殺意はない。

 アマーリエの視線には、氷のような非情の羞悪があった。


「あの人を殺して出世して、それで言い出したにしては、ずいぶん殊勝じゃない」

「僕の願いは最初からひとつさ。

 この大陸に平和を取り戻す。

 それ以上でもそれ以下でもないよ。

 君には、多少手荒なところも見られているけれどね」

「多少、ね」

 

 アマーリエはスッと目を細めた。

 400名の冒険者を戦争で全滅させておきながら、現場の指揮者である愁が責任を問われることはなかった。

 むしろ追求されたのは、命じたハノーファである。彼が辞職に追い込まれたのも、すべては愁の差し金であった。


 それでもまだ、アマーリエは愁の元にいる。

 かつて技を競い合った仲間だから、などという感傷ではない。

 感傷ではないと、アマーリエはそう思っているつもりだ。


「副官になってくれたということは、

 僕をある程度認めてくれたと思っていたんだけどね」

「あんたがなにをしようとしているのか、あたしはそれを見定めさせてもらうわ。

 この位置は、あんたを見張るのに、ちょうどよかっただけ。

 あたしはあたしの目であんたを見極める。

 あの人の死を踏み越えて、一体どこへ行き着くのかを、ね」


 愁の表情は変わらない。

 憎たらしいほどに、涼しげである。


「その行く先が魔王道ならば、君はどうしようというのかな」

「……」


 アマーリエは椅子に座ったまま、剣を抜き放つ。

 その早業は雷光のようだった。

 

 ぴたりと喉に刃を押し当てられながら、愁は微動だにしていない。

 娘と男の視線が交錯する。一瞬の静寂。

 緘黙の空気を斬り裂くように、アマーリエは剣を引き戻した。

 二本の指でつまむように鞘に収め、再び深く背もたれに座り込む。


「あんたを斬って、あたしが父の後を継ぐ。

 それだけのことよ」

「なるほどね」


 愁はなにがおかしいのか、クックッと笑い声を漏らす。

 アマーリエは片眉をあげただけで、それについてなにかを言うことはなかった。

 彼の心など、まるでわからないのだから。


「いやあ、ここまで嫌われるとは思っていなかったんだけどな」

「……」

 

 冷ややかな視線を浴びせながらも、愁はまるで気にしていないかのように、笑みを浮かべている。とんだ面の皮だ。


「ま、そうでもなければ『英雄』なんてものは、やっていられないさ。

 僕たちに個々などはない。一度『勇者』をやると決めたのならね。

 君にはそれがわからないのだろう」

「……あたしは」

「君の父はそれが、わかっていた。

 無論、『彼』もね。

 君はまだその境地に達していない。

 剣はずいぶんと上達したのだから、次は覚悟だけだ。

 これから学ぶことができるのなら、それも良いことだろう」

「……っ」

 

 アマーリエは机を拳で叩く。

 手加減をしたのだろう。それでも木目が歪み、愁の手元がわずかにズレた。

 

「あたしは、この場に、あたしの意思でやってきたのよ!

 それを忘れないで!」

 

 その捨て台詞とともに、アマーリエは部屋を飛び出た。

 愁は肩を竦め、その彼女を見送る。


 

 しばらく、ひとりの時間を続く。

 愁はただ黙々と、手紙をつづっていた。


 その後、入ってきたのは、仮面をつけた黒尽くめの異様な男だ。

 それほどずば抜けた体格をしているわけではないのに、彼が放つプレッシャーは大熊よりも強烈なものだった。

 

 仮面の男は、扉をすり抜けるようにして音もなく部屋の中にやってくる。


「……よォ」

「やあ、待ってたよ、レンくん」

「廉造でいいだろ」

「ま、他に誰が聞いているかわからないからね」


 廉造は後ろ手にドアを閉める。

 彼の冒険者ギルドでの名は『レン』。名を隠すのには理由があった。


 廉造は、かつて魔族の側で虐殺の限りを尽くし、ドラゴン族に拾われて人間族と敵対をしたお尋ね者である。

 その手配書はスラオシャ大陸各地に広まっており、一応は討伐されたという名目で回収はしたのだが、無用なトラブルを避けるため、今はまだ頑なに仮面をかぶり続けている廉造であった。


「それにしても、久し振りだね。

 王の謁見に間に合わせてくれて、ありがとう」

「たまたまだ。あんな面倒くせェことに絡まれンなら、

 もちっと遅れてくりゃァ良かったぜ」

「三人揃っていないと、王への説得力も半減だよ。

 僕たち、三華刃ヴィリ・ディン・ヴェーがね」

「誰がつけた名前なんだが、ったく……」


 腕組みをして壁にもたれかかる廉造に、愁はあっけらかんと種明かしをする。


「ああ、それは僕だよ。覚えやすい名前があったほうが、より英雄としての知名度があがるだろう?」

「……徹底してンな」


 仮面の奥の表情は見えないが、廉造の口がわずかに歪む。

 もしかしたら愁のそのスタンスに対する嫌悪感かもしれない。

 廉造と愁。ふたりの関係に代わりはない。愁が約束を守る限り、廉造は彼に力を貸す。それがふたりの契約だからだ。


 なぜアマーリエに愁が本当のことを告げないのか。

 イサギが生きていると、そう教えないのか。

 疑問の念を持つことはある。だが、口出すことはない。

 廉造は彼の行ないに興味がないからだ。


 愁は羽ペンを走らせながら、静かに口を開いた。


「どうだい、そちらの具合は」

「……できねェよ、まだな」


 ふたつの意味をはらんだその意味の片方を、廉造は受け取って、切り捨てた。

 そう、完成していないのだ。未だ、極大魔晶は――。


 イサギが迷宮に入るため、ふたりと別れてから半年が過ぎていた。

 彼がラタトスクに潜っていた時間は、一日や二日では済まなかったのだ。

 半年。

 イサギはそれだけの時間を、時空の歪んだ迷宮で過ごしていた。



 この半年の間に、起こった出来事は、ハノーファの辞任と愁の着任だけではない。


「あれは、うまく働いているかい? 最近は君に任せきりだけど」

「……悪くはねェな。あとは経験だけだ」


『ブレイブリーロードの対魔王戦』により、冒険者400人が死に絶えた。

 手練が壊滅し、手薄になった冒険者ギルドにおいて、愁は冒険者の後進育成に励んだ。

 若き才能豊かな少年少女や、あるいは冒険者を受け入れ、新たなる組織を作り上げたのだ。

 それこそが『神殺衆ラグナロク』。


 表向きは、愁の子飼いの精鋭たちだ。

 そして、真の目的は――。


「リヴァイブストーン使いは、見つけ次第、殲滅しているさ。

 抜かりはねェよ。死体だって運んでいる。オレのためにな」


 この世界から神化病患者を消し去ることだ。

 神殺衆とそれを指揮する廉造の暗躍により、残り人数はもう数少ない。

 それは廉造の大願の成就の日も近いということだ。

 ベリアルド平野の魔晶作成領域は、現在は禁域に指定されている。


 だが、廉造の表情は思わしくない。


「まだできてねェがな」

「そのようだね」


 顔をあげずに応える愁に、廉造は黙したまま目を閉じた。


 理論上はとうに完成しているはずだった。

 だが、大地はまるで無限の闇のように魔力(したい)を飲み込み続けた。

 元々、人工極大魔晶など、これまでも誰かが作ったことなどないのだ。

 廉造は願いを掴みかけながら前に進めずにいる今の現状が、途方もなく歯がゆかった。

 

 納得できない思いはある。

 だが、それを愁にぶつけたところで、どうにもならない。

 廉造は感情を飲み込む。


「……それ、なに書いてンだ?」

「王たちへと送る手紙さ」

「これからかよ」

「まあね。でも一番説得が難しいと思っていたバラベリウ王が認めてくれた以上、算段はあるさ」

「だろうよ」


 愁が手紙を送るのは、三人。

 竜王、獣王、そして魔王だ。

 

 竜王バハムルギュスに送る手紙には、盟友魔王ヨシノブの名を。

 獣王レ・ダリスに送る手紙には、恩人イサギの名を。

 そして魔王ヨシノブには、友である愁と廉造の名を。


 それぞれに書いて、このダイナスシティへと招集するのだ。

 アルバリススの未来を決定する、伍王会議のために。


「もっとも、二番目に難しいと思っていた彼女には、もうすでに連絡がついているからね。そのためには、僕も動かなくちゃいけないけれど」

「マスターになったばっかだろ。今度はどこに行くンだよ」

「北の地、エディーラ神国」


 愁は顔をあげると、小さく微笑んだ。


「まだあそこには、囚われているエルフ族が多くいるようだ。

 繊細な問題だ。こればっかりは他の人には任せられない。

 幸い、留守はアマーリエくんが守ってくれるからね。

 それなら、僕が直接向かって、話をつけてこようと思ってさ」

「……なンだ、それは?」 


 愁は肩を竦めて、口の端を釣り上げた。


「それが女王(かのじょ)の頼みなんでね」






 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇






 馬車から降りたその娘は、頭に深いフードをかぶっていた。

 長い緑色の髪を隠しながら、人目をしのぶように足を進める。


 彼女は旅人であった。

 腰に短剣を差し、背中に弓を背負った、スラリとした女性であった。


 魔帝戦争が集結し、魔王パズズが討たれ、平和になったとは言うものの、たったひとりの女性が旅をするのは難しい世界だ。

 そのことから、彼女はよほどの手練だと思われる。

 立ち振る舞いにも隙はなく、歩く姿は緑の大地を颯爽と踏み締める馬のようであった。


「……ふう」


 彼女はベアリーデ公国の水の都、リアルデの町並みを歩む。

 ここは大森林ミストラルと隣接している国だけあって、昔からエルフに対する偏見が比較的少ない地域ではあった。

 

 しかし、今は時代が違う。

 剣呑な視線を感じるのは、決して気のせいではないだろう。


 エルフ族とは、人間族の下位種族であり、スラオシャ大陸で労働力や愛玩用として飼われているものだと、そういった認識がここ数年で急速に広まっていたのだ。

 そんなエルフ族に対して憐れみや同情の視線を向けるものも少なくはなかったが、多くの人々に植えつけられた差別の目は、なかなかに消せるものではない。


 彼女はエルフ族である。

 だからこそ、その特徴的な尖った耳と緑色の髪を隠すように、深いフードをかぶっているのだ。


 この地で、約束を果たすために。

 尋ね人を見つけるために、まず手近な酒場でも当たってみようか、とそんなことを思っていると。


「――エウレ!」

 

 人混みの中、そのような少女の声がした。

 彼女はぴたりと足を止める。


 エウレ、それは紛れもなく、エルフ族の彼女の名である。

 振り返り、鋭く視線を走らせる彼女の目に映ったものは――。



 きらめくような緑色の髪を陽の下にさらし、笑みを浮かべた少女だった。

 たったひとり、人間族の中から現れた彼女はまさしく、滝壺から拾い上げられたエメラルドのように一際の輝きを放っていた。


「……いや、いやいや」


 思わず握り締めていた短剣が、エウレの手からぽろりとこぼれて落ちた。

 旅装をまとった少女はエウレの元にやってきて、息を弾ませながら、ピースサインを見せてつけてくる。


「久しぶりだね! エウレ!」

「いや、まあ、ええ、はい」


 短剣を拾い上げて鞘に戻し、エウレは腰に手を当てて彼女を見下ろす。

 こうして顔を合わせるのは、何年ぶりだろうか。感傷を抱こうと思えば、涙を流せるような気もするし、こんな人間族に囲まれた場所で無防備な姿を晒すのは己を許せないような気もする。

 複雑な感情を持て余したまま、浮かんでくるのは淡々とした言葉だった。


「しかし、なんですか、その格好」

「え? なんかヘン?」

「ヘンというか……まあヘンであることは間違いありませんけど。

 従者は姫様をなぜそのような姿のまま、連れ歩いていたんですかね」

 

 と、言った後に、少しの間。

 きょとんと首をかしげる彼女に、気づく。

 気づいて、思わず叫ぶ。

 

「従者は!?」

「私ひとりだよ?」

「なんでだ!」

 

 道端で大声をあげ、エウレは頭を抱えた。


 あっけらかんと言い放つ彼女が、手紙を送ってきたのは数ヶ月前のことだった。

 元々自分が潜伏している場所については、暗黒大陸の主人に明かしていたため、主人がコンタクトを取ろうと思えばそれは簡単な話だった。

 お世話になった宿屋の老夫婦にそれなりの礼をしてから、エウレは旅立った。

 これはネオ・ミストランド建国の第一歩だと思い、それなりに緊張もしたものだ。


 セカンドポート付近で落ち合うことを想定していたのだが、主人の行動は意外なほどに早く、あっという間に彼女はリアルデにまでやってきたのだ。

 そうして今はここにいる。

 身分を表すエメラルドグリーンの髪を隠そうともせず、あいも変わらず美しい姿で。


「いやあ、姿を隠そうとか、ちょっとは思わなかったんですかね……?」

「あはは、ちょっとはね。旅は危ないって言うし、やっぱり目立つもんね」

 

 主人が目を細めて笑うと、その美貌は花のように咲き誇った。

 それは種族の垣根や溝さえもたやすく飛び越えて、辺りの通行人も思わず立ち止まって見とれてしまうほどに、美しい笑顔であった。


「でも、私たちは住処を追われて、生き延びるためになりふり構わず暗黒大陸に渡ったんだよ。

 それだったら、戻ってくるときぐらいは、胸を張って大路を行きたいんだもん。

 ふふっ、いいでしょ、エウレ。何事もなかったんだから、ねっ?」

「いやあ、いやあ……」


 言いたいことはわかるが、納得できそうにない。

 なにかがあってからでは遅いのだ。

 エウレは小言をいう自分を止められなかった。

 

「でもほら、それにしたって、さんざん怖い目にあったじゃないですか……。

 それが今、ひとりで旅をするって、どんだけ無理無茶無謀なんでしょーかね……」

「――テメェー!」


 怒鳴り声がして、エウレは思わず顔に手を当てた。

 人垣をかき分けながらやってきたのは、荒っぽい男たちだ。その数、四人。

 彼らの視線の先には、きょとんと佇む主人がいた。


「さっきはよくも恥をかかせやがったな! 許せねえ!」


 お決まりのセリフを吐く男は、まっすぐに主人を見つめている。

 エウレは頭痛をこらえながら、主人に問う。


「……なんすか、恥って」

「さあ? 忘れちゃった」


 微笑む少女はぺろりと舌を出す。

 暗黒大陸に行って肝が座ったのは非常に良いことだ。だがそれで騒ぎを起こしては元も子もない。


 ざわめきだす大通りの中、エウレは頬をかきながら、前に歩み出た。

 誰かに目撃されて、通報でもされたら厄介だ。エルフ族の立場は限りなく弱い。

 ならば、一瞬で終わらせるべきだろう。

 元々、エウレの仕事はちょっとした『荒事』である。


「衛兵さんのお手を煩わせちゃうのも悪いですし、ここはエウレさんがお相手しましょうかね……」

 

 気の進まない顔をする彼女ごと、男たちは敵意の視線を向けてくる。


「ああ、てめえも仲間か!」

「くせえくせえエルフどもが! 人間族に逆らうなんざ、百年はええんだよ!」

「いやいや、百年経ったらわたしらともかく、あんたら生きていないっしょ?」


 エウレの冷静な指摘に、男たちは逆上して飛びかかってくる。


「うっせえ!」


 典型的な一山いくらの荒くれ者たちだ。それなりに修羅場はくぐり抜けているようだが、所詮は相手の力量も見定めることができない男たちである。

 ミストランド近衛騎士団(エメラルドナイツ)団長エウレカ・ユリイカは、逆手に短剣を引き抜いた。

 この程度の相手なら、長いブランクが響くことはないだろう。一瞬で終わらせてやる――。


 男たちの動きは手に取るように見えた。

 あまりにも遅い。

 三線、四線、鮮やかな赤い線を引けば、それで終わりだろう――と。

 そう思っていたエウレの視界が捉えたのは、暴力的なほどの破壊命令だった。


 膨大な量の傷跡。魔世界に刻まれた意味ある調べ。

 ――コードが詠出されていた。


「ベルダンドの幹!」


 魔術である。

 それも、非常に精緻な優れた魔術だ。

 

 大地から上空へと吹き上げられる風は、男たちの体を瞬時に持ち上げた。

 悲鳴も絶叫もなく、次の瞬間、荒くれ者たちの姿はどこにもなかった。

 痕跡すらもなく、掻き消えてしまっていたのだ。


「……へ?」


 エウレは呆気にとられて、声を漏らした。

 男たちを消し飛ばしたその魔術を、誰が放ったのか、一瞬わからなかったのだ。

 しかしすぐに隣を見やる。

 鮮やかな手並みでそれをしてみせたのは紛れもなく、エウレが守るべき主人だった。


「……えと、今のは?」

「魔術だよ。お空にふっ飛ばしちゃうの。

 運が良かったら生きていると思うな……たぶん」


 えへへ、と笑う少女は、何事もなかったかのようにエウレの手を取った。


「それじゃあ、いこ、エウレ。

 先にミストランドの今の姿を見ておきたいんだ」

「あ、えと、はい」


 戸惑いながらも、主人に引っ張られてエウレは人混みを抜け出す。


 エウレのその目ですら読み切れぬほどの精緻な魔術を引っさげて、彼女は戻ってきた。

 少女はかつての騎士団長を引き連れ、歩み出す。

 かつての祖国、ミストランドへの道を。


 彼女こそ最後の王位継承権を持つ、ミストラル王家の生き残りであり、かつて人間族に住処を追われ、暗黒大陸に落ち延びた姫である。



 エルフ族第三王女。

 リミノ・ナ・ヴェルダルダ・シルク・ミストラル。

 


 エルフ族を救うため、

 ――彼女はスラオシャ大陸に帰還した。


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