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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:9 意志断つ剣は、誰が為に
111/176

9-16 <イサギ>・ズ・レター/No.3

 フォーメーションは、前衛ふたりに後衛三人。

 イサギは左右から斬りかかってくる冒険者のどちらも相手にせず、その中央を駆け抜けた。

 あまりに迷いない動きに後衛のひとりが詠出をキャンセル。代わりに残るふたりがカバーに入った。

 巨大な障壁。イサギの行く手を阻むように顕現する。

 

「ラストリゾート――」

 

 イサギはもう最初から出し惜しみをしていなかった。破術を惜しげもなく披露し、目の前の法術を削り取る。

 反作用が静まると同時に煌気を放散。爆発的に加速し、周囲の目を置き去りにして跳ぶ。

 まずは正面の男の首を斬り飛ばし、右隣に立つ男の頭を聖杖で叩き潰して。

 足元に魔術の焔が着弾するも、イサギは外套を翻して弾いた――ように見えたろうが、それも破術の作用である。

 遅れて殺到したふたりの前衛。一合も斬り結ぶことはない。剣の二振りで屍へと変え、最後の魔術師を両断。


 これで一パーティーを打ち倒した。

 息つく間もなく、次の冒険者がイサギの元に襲いかかるが――。


「にしても、リヴァイブストーンを相手にしなくていいってのは、楽で仕方ねえな!」

 

 イサギはむしろ気炎を揚げながら剣を振るう。

 あのミラージュを操るプレハを前にしたときのような気味の悪さは今はない。

 挑んでくる相手の首をはねて、血を噴き上げさせ、内臓を抉り、脳漿を撒き散らし、肉を裂き、骨を砕き、眼球を潰すだけ。

 そんなものは――お手のものだ。

 

 廉造の姿はもう辺りにはない。

 生きているだろうか死んでいるだろうか。わからないが。

 遠方のほうで断続的な爆発音が響く。あれは彼の爆槍かもしれない。


「懐かしいな、この感覚」


 戦場ではぐれた仲間の生存を信じ、自分もまた目の前の敵を蹴散らしてゆく。

 離れているけれど、自分は決して独りじゃない。共に戦っているのだという実感が胸を熱くさせる。


 こうなったときの自分は強い。

 実際、負けたことはないのだから。


「さあ来い、冒険者。

 俺は強いぜ。なんたって、最強だ。

 物量で押し切ることができるかね」

 

 本来は冒険者こそが単騎で戦況を左右するほどの実力者であるはずなのに。

 イサギは高らかに謳い、彼らを挑発する。


 次のパーティーは前衛が三人、後衛がふたり。

 これもまた、オーソドックスなタイプだ。

 

「兄貴! リーザ!

 俺が動きを止める! 構わずにやれ!」

「――っ」

「わかった」

 

 先頭を駆けるのは鋭い目をした剣士。年の頃はイサギとそう変わらない。

 魔晶の輝きを帯びた剣を肩に担ぎ、速度を緩めずにこちらに向かってくる。


 一体どうやってイサギの動きを止めるというのか、興味はあるが。

 いや、晶剣ならばそれも可能だろう。この世にある魔晶の力を持つ武具は1000以上。

 そのすべての能力をイサギも把握しているわけではなのだから。

 

 打ち合わないのが一番だ。特に、晶剣士とは。


「エクスカリバー・ボルテックス!」

 

 その見えない剣閃をいかにして判断したのか、先頭に立つ若者は瞬時に身をかわす。

 彼の後ろに立っていた少女が首から上をミキサーにかけられたようになって前のめりに倒れた。


「リーザ!」

「あれはカリブルヌスの――」

 

 そうか。カリブルヌスの闘気を放つ技を知っている者たちか。

 ならばと、二射、三射。斬撃はふたりの男に命中せず草原を蹴散らす。

 剣にまとわせていた煌気のチャージが切れるのと、若者がイサギに斬りかかってくるのはほぼ同時だった。


「てめえ図に乗ってんじゃねえぞオラァァァァァ!」

 

 渾身の一撃だ。

 悪いが、付き合っていられない。

 イサギは強く地面を蹴って後方へと跳ぶ。それだけならすぐに追撃の手も来ようが、跳んだのは斜め上。中空だ。

 

「――あ!?」

 

 煌気翼翔。空中にとどまるイサギを下から睨めつけてくる若者に。

 剣を両手で掲げ、直下へと加速(ブースト)する。 

 

「砕けろ」

「てめ――」


 二の句を継げさせず。

 放つのは、カラドボルグの重量と耐久性に頼りきった兜割りだ。

 大気を引き裂く雷鳴のような音を立てて若者へと降下する。


 防御不可、回避不可の超高速の斬撃。

 それは男の持つ晶剣ごと彼をピーナッツのように割った。

 

 冒険者の目に移るイサギの残心の姿勢は、放散された煌気が形作るシルエットでしかない。

 すでにイサギはもうひとりの剣士の胴体を、分断していた。


 あとは真横に障壁を張る法術師たちの『上から』、エクスカリバー・レインを落とすだけ。

 頭をかち割られた二体の死体を増やして、パーティーの壊滅を知らしめる。


「少し、レベルアップが足りないな」

 

 仮面に付着した血を拭い、イサギは柄を握り直す。


 50から先は数えていない。残る冒険者まだ半分以上残っているだろう。

 いまだに逃げ出さないのは名誉かプライドか。はたまた義憤か仇であるか。

 

『リヴァイブストーン』は傷つけられた肉体を修復するために、己の魂を削る魔具だ。

 手傷を追わなければ、それは問題なく消化されて体外へと排出される。

 このまま続けていれば良い。


 必要な仕込みだ。『最後』の、そのときのために。

 

「さあ俺は手が空いちまったぜ。

 次は誰がダンスパートナーになってくれるんだ?」


 だが、『リヴァイブストーン』に失った魔力を回復する効果はない。

 イサギはここに来るまでの間、ゴールドマン戦で『ラストリゾート・フィールド』を使用し、レ・ヴァリス相手に全身全霊を注いだ剣撃を繰り出してきた。

 それ以前にも、ハウリングポートの戦いで魔力が空になってから、幾日も経過しておらず。

 

 すなわち状況は、最高と呼ぶには程遠く。


「もし逃げようと一瞬でも考えているやつがいるのなら、そいつは止めた方がいい。

 お前たちがどこに逃げようとも関係はない。

 地の果てまでも追いかけてお前たちを殺すからさ。

 これから先お前たちが生き延びるためには、今ここで俺を殺す以外はありえないのさ」


 それでもイサギは戦う。

 神化病患者をこの世から消し去る、そのために。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

 

『ブレイブリーロードの対魔王戦』により、世界は再び変革してゆく。

 カリブルヌスの反逆から始まり、

 セルデルの死、暗黒大陸の解放、ハウリングポートの陥落。

 そして、今。

 

 このすべての事件の終着地が、やがて訪れる。

 男たちは未来を創るために仮面を被り、世界を担う。

 

 それが打ち倒される定めだとしても。


 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 戦いは続く。

 400対2の圧倒的な差を覆すように、イサギと廉造は冒険者を蹴散らしてゆく。

 

 魔王は強大であり、血の海を踏み越えながら、いのちの輝きを奪ってゆく。

 かつて夢見た英雄譚に綴られた勇者のように、冒険者は己の剣と術式を信じ、そして散ってゆく。

 この瞬間、冒険者たちは紛れもなく勇者の群れであった。

 

 日は落ちつつあった。

 平野の向こうに夕日が沈み、紅に染まる大地はなによりも美しく屍の山を照らし出す。

 

 残る冒険者は100を切った。

 しかし、魔王パズズの消耗も激しく見える。


 幕引きは近い。


 純白の外套を翻し、その地獄を歩む男がひとり。

 戦の神の名を持つ、冒険者ギルド本部のエージェント。

 

 紅顔の軍団長、緋山愁。

 彼は冒険者たちの願いを背負い、魔王の前に立つ。


「それじゃあ、やろうか。――魔王パズズ」


 イサギは口元を拭い、

 杖を左手、剣を右手、完全な戦闘態勢を整えた。

 

「待っていたぜ、英雄」

「ああ、お互いに、ずいぶんと待ったものだ」

 

 愁は両腰に下げた白銀の鞘を見せつけるようにして、半身の態勢。

 イサギは片眉をあげて、それを気に留めた。


「……クラウソラスの修復は、完了したと言っていたな」

「それだけではないけれどね」 

 

 ふたりの会話は辺りには届かない。

 ただ、物言わぬ死者だけがそれを聞いていた。


「神化カリブルヌスの死によって生まれた魔晶に浸し、新たに生まれ変わった神剣さ」

「その割には、一本多い気がするけれどな」

「そうさ」

 

 愁はゆっくりと剣を引き抜く。

 両の手に持つ純白の剣は、どちらもわずかな輝きを帯びている。

 それは――資格者の証だ。


「……お前も、選ばれたのか、神剣に」

「どうやら、そのようでね。

 刃から再生した真のクラウソラス。

 そして、柄から再生した新たなクラウソラス・レプリカ。

 この二本を合わせ、僕は『双神剣』と呼んでいる」

「大したもんだ」

 

 イサギと愁、対峙するふたりの間に魔力が膨れ上がってゆく。


 それなのに、イサギの気持ちはひどく穏やかだった。

 あるいはそれは、愁の瞳が悲しみを讃えていたかもしれない。 

 

「……リヴァイブストーンは使っているんだね?」

「ああ、構わねえ」

「世話をかける」

「気にすんな。――俺の選んだ道だ」

 

 魔王の宿命。

 勇者たる証明。

 

 決意と覚悟。

 願いを背負い。

 

「約束する」

「ああ」

「次の時代は、僕が創る。

 アルバリススは、キミの理想のままに」

「……ああ」

 

 ――新たな時代が、拓く。

 

 愁は手のひらから光の鎖を放つ。その速度は極地。

 正真正銘イサギにすら見えなかった。狙いはわからないが、頭を逸らして避ける。

 鎖はこめかみをかすった。そのまま巻き付いてきて体を締め上げようとするが、イサギは破術により魔法を断ち切る。

 光は夕焼けの中、霧散した。

 

 愁が踏み込んできている。左手に握るクラウソラスがイサギに迫る。遅い。

 本命ではない一撃だが、神剣のなぎ払いは防御不可能だ。イサギは一歩で彼の死角に入り込む。

 そのままカラドボルグを振り下ろせば、イサギの勝利、だが――。

 

 愁は前もって、反対側の手からも魔法を放っていた。質量の薄い光の鎖。

 速度を限界まで高めたそんなものでは、イサギの行く手を阻むことはできない――が。

 

 ――鎖のその先端に、クラウソラスが巻き付けられていた。

 

 危ういと思った時には体が先に反応をしていた。

 輝くその白刃が今度はイサギの左耳の下半分を斬り飛ばす。煌気の防御もまるで意味はなく。


 急旋回して再びイサギに襲いかかるクラウソラスの鞭は、イサギの心臓を狙っている。

 魔法を操りながらも、愁は左手に握ったクラウソラス・レプリカを低く構えて――。

 

 そうか、この波状攻撃を防ぐためには、イサギは最初から『ラストリゾート・フィールド』を張って、待ち構えていなければならなかったのだ。


 イサギの両足もすでに、愁が操作した光の鎖によって縛り付けられている。

 クラウソラスの鞭、足の鎖、そして愁本体。

 分散してゆく意識を無理矢理集めて、イサギが選択したのはカラドボルグを鞘にしまうことだった。


 そうだ。

 これでいい。


 ここに、成就するのだ。

 だから、これでいい。


「やるじゃねえか、愁――」

「――お褒めに預かり、光栄だね」

 

 旧知の友にそうするよう、微笑みながら。

 愁は、イサギの首をはねた。



 魔王は、勇者に討伐されるのが定めだから。

 だから、これでいい。


 最初から、決めていたことだから。

 その役目を、自分が請け負っただけのこと。



 すべてはこれで――いい。


 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 夕焼けの中、

 魔王の首を掲げ、勇者となった若者は謳う。


「魔王パズズはここに打ち倒された!

『鉄時代』の終焉である!

 これより、新たな時代が始まるのだ!

 我は、ここに誓おう!

 冒険者は人間族だけではなく、あらゆる種族とともに歩んでゆくことを!

 必要なのは革命である! かつて他種族を弾圧した古い体制は滅びねばならない!

 人よ、歴史の足音を聞け!

 勝利のラッパを鳴らせ!

 新たな盛代の到来を、ここに祝福せよ!

 始まるのだ、今こそ――!」


 人々は待つ、彼の声明を。

 英雄の言葉を。


 神剣に選ばれし新たなる勇者は、叫ぶ。


「新たなる時代の名、それこそが――『黄金時代』!

 ――我らは再び、あの時の栄光を取り戻すのだ!」

 

 熱狂が。

 

 

 かくして、今ここに。

 新たな時代が、拓くのだ。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 あらゆる情勢が変革してゆく。

 誰ひとりしてその渦から抜け出すことはできず。

 

 しかし今はまだ、人々は知ることはない。

 緋山愁が突き進むその先、

『王道』の行方がいかなる未来へと繋がっているのかを。

 

 変わり続ける潮流は、愁を更なる高みへと連れてゆく。

 望むものがいる限り、勇者は何度でも現れるのだから。


 

 緋山愁。

 人は彼を、新たなる座へと導くのだった――。

 


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇





 スラオシャ大陸から離れてゆく船には、400の魔族が乗り込んでいた。


「……」

 

 甲板に立って大陸を見つめるデュテュは、まるで夢を見ているような心地だった。

 あの日、ゴールドマンがひとりの隻腕の男を連れて、デュテュにライフドレインを乞いに来たあのときから、まるで幻に包まれていたようだ。

 

 潮風に髪を抑えながら、デュテュは胸に手を当てた。

 ここままなんの償いもせずに、スラオシャ大陸を去ってもいいのだろうかと、針で刺すような痛みに襲われ、目を閉じる。

 そんなときはいつでも、別れ際に囁かれたイサギの言葉を思い出すのだ。


『手紙、ありがとうな、デュテュ。

 少なくとも俺は、お前のおかげで救われたんだ。

 戦う意味を思い出すことができた。

 俺がこれから救うであろう多くの人は、お前のおかげなんだ。

 だから、頼むから、これからも生きてくれ。

 お前は、生き続けるべきなんだ』

 

 その後、イサギはデュテュを斬った。


『――これでお前の罪はもう、チャラってことでさ』


 寂しそうに笑い、彼はそう言った。

 その程度のことで、自分が救われたと思ってはならないと、デュテュは己に言い聞かせるけれど。

 

 イサギの想いは、どうしようもなくデュテュを引き上げた。

 闇の底なし沼に魂まで沈み込もうとされていたデュテュを、一息に、光り輝く世界へと。

 

 陽光を浴びたデュテュの心はひどく小さく、醜く、まるで蠢く化け物のようだが。

 決して、逃げ出してはならないのだ。この立場から。

 

 憎しみも、妬みも、怒りも、なにもかもを蓄えたまま、生きてゆかなければならない。

 イサギは彼女にそうすることを望んでいたのだから。

 

 本当なら、あの時。

 イサギがもう少しだけ、強く斬りつけてくれていたら。

 こんな想いも、抱かなかったのに。

 

 悩まずに、苦しまずに、うなされずに済んだのに。

 彼は、そうはしなかったから。

 デュテュも、そうしてはならないのだと思う。

 


 あの後、戦場から後退した魔族はピリル族と別れて、ハウリングポートへと戻った。 

 ピリル族たちもまた、故郷である日出ずる原(ソウルバーン)に帰還するようだ。

 

 この船は、長らく運休していた貨物定期便を慶喜が無理矢理に接収したものだ。

 魔族と人間族が戦争状態になってから、港でずっと埃をかぶっていたのだろう。

 盗みではないかとロリシアが暗い顔をしたが、魔族国連邦の旗印が掲げられていたために「これはぼくのものだ」と魔王が宣言したのであった。


 保存食の類も半分以上残っていたため、水やわずかな必需品を積み込むだけで船はその役目を取り戻して。

 今はこうして、波に揺られながらゆっくりと帰路を辿っていた。


 

「しっかし、先輩も無茶するんすから……」

 

 甲板には他にも、顔見知りたちの姿があった。

 船内で作業をしている魔族の邪魔をしないようにと、仕事のないものたちがくつろいでいる。

 

 慶喜は上半身裸で、傷跡に治癒法術をかけていた。

 デュテュ同様にまるで大した傷ではないのだが、過度に気にしているようだ。


「なんだかわたし、今なら、やっと、

 イサさまのやろうとしていたことが、なんだったかわかる気がします」

「お、ロリシアちゃんもやっとぼくの高みに登ってきたか」

「……普段、ヨシノブさまみたいな方を見慣れてしまっていたので、

 イサさまのお心がちょっとわからなくなっちゃったみたいです。

 不覚ですね。戻ったらまた勉強をやり直しませんと……」

 

 慶喜に包帯を巻きつけながら、心底悔しそうにつぶやくロリシア。

「それぼくを目障りだって言っている気がする……」と慶喜はわずかに落ち込んでいたが。

 

「あ」

 

 ふとした拍子にロリシアの指が慶喜の肩に触れ、彼女は小さく悲鳴のようなものをあげた。


「え?」と見上げる慶喜。

 ロリシアは口を結びながら、彼からそっぽを向く。


「……もう、おしまいです」

「あれ、でもまだ途中で」

「大体、法術が使えるのなら、包帯なんていらないじゃないですか。

 物資の無駄遣いです。ここはブラザハスじゃないんですよ。

 なんなんですか、もう、自分が偉いって勘違いしないでください。

 ヨシノブさまなんて、ちょっと目立つ路傍の石と変わらないんですよ」

「あれ、いつもより辛辣!?」


 立ち上がって離れてゆくロリシアを、慌てて追いかける慶喜。


 慶喜も知らないのだ。

 やぶれかぶれにデュテュへと告げていた言葉を、まさかロリシアが聞いていたなんて。

 知らないからこそ、まだ普通に接することができている。

 もし暗黒大陸へと戻ったら、これからどうなるのか、それは誰にもわからない。

 


 デュテュが視線を転ずれば、メインマストの頂上に座り、太陽を背に遠くを眺めているシルベニアが見えた。

 

「……」

 

 彼女は全軍を撤退させた後、再び物静かな魔法師へと戻った。

 デュテュ自身も許されたとは思っていないが、それでも普段通りに接してくれている。

 

 慶喜も、ロリシアも、シルベニアも、皆優しい。優しすぎるほどだ。

 魔族国連邦に戻っても、慶喜はできる限りのことはすると確約してきた。

 デュテュが彼らに報いることなんて、そう多くはないというのに。

 イサギも皆も、きっと自分を過大評価しているに過ぎないのだと、デュテュは思ってしまっている。

 

「……」 

 

 シルベニアはいつまでああしているつもりだろうか。

 もしかしたら、ずっとかもしれない。

 

 ゴールドマンの行方はわからない。空中戦艦アンリマンユごと消えていたのだ。

 彼は単独でハウリングポートから離脱し、どこかへと流れ着いているのかもしれない。

 胸の中にわずかなしこりが残ったような、そんな気分が魔族たちの間にはあった。


 慶喜の話では、シルベニアはゴールドマンにトドメを刺すことができなかったのだと言う。

 誰よりも恐らく、そのことを悔やんでいるのだろう。

 シルベニアはとても、自分に厳しい人だから。



 これから魔族がどうなってしまうのか、デュテュにはわからない。

 その責任と重圧に、押し潰されてしまいそうだけど。

 

 逃げられない。逃げることは許されない。

 イサギが救ってくれたその命は、最期まで国民のために捧げなければならないから。

 

 それが運命だというのなら、受け入れなければならない。

 ここで船に乗っていることすらも、運命の仕業だとしたら。


「姫さま」

「……」


 しばらく声をかけられたことにも気づかなかった。

 もう一度名前を呼ばれて、ようやく振り返る。


「あ、イグナイト」

「……どうやら、お疲れのようですね」

「ううん、大丈夫。

 少々、潮風に酔ったかもしれません」


 五魔将イグナイトはずっと変わらず、デュテュのそばにいてくれている。

 それがとても嬉しい反面、見限ってもらっても構わないと思う心もあった。

 誰もデュテュを罰してはくれないから、デュテュは自らを罰することしかできなくて。


 イグナイトはそんなデュテュの心情を見透かしたかのような目を伏せて、それから彼女のやや後ろに立つ。


「私は、姫さまが生きていてくださっただけで、感無量です。

 他に言葉はありません」

「……ええ、ありがとう、イグナイト」

 

 デュテュは慣れた微笑を浮かべながら、自らの髪を撫でる。

 それから、イグナイトの持つものに気づいた。


「あら……それは?」

「この船は貨物定期便でした」

「ええ、そう聞いておりますけれど……」

「本来なら暗黒大陸へと渡るはずの積み荷が、大量に眠っておりまして。

 もしかしたら、なにか航海に役立つものがないかと、皆で手分けして探しておりました」

「……?」


 彼の仕事をねぎらおうとしたが、どうも続きがあるようだ。

 疑問符を浮かべるデュテュに、イグナイトが差し出してきたのは一枚の小さな手紙だった。


「おそらくは、姫さま宛かと思います。中身は検閲しておりません。

 どうぞ、お納めください」

「……わたくしに?」

 

 疑問符を浮かべながら受け取る。

 そんな偶然があるものかと思って、裏返す。


 差出人の名を見たその瞬間に、鼓動が跳ね上がった。


「……え?」

 

 一体どれくらいの間、そうしていただろう。

 血の流れが一周し、体全体を熱く火照らせてゆく。

 

 その手紙は、イサギからデュテュへ贈られたものだった。



『久しぶり、デュテュ。

 ……いや、久しぶりっていうのもおかしいけどな。

 とにかく、こっちは元気でしているよ。


 そっちも、変わりがなければ、嬉しい。

 このご時世だ、手紙が無事につくかどうかはわからないけれどな。

 返信なんて書かなくたって、構わないからな。お互い忙しい身だ』



 時を超えてやってきたその手紙からは、懐かしさが溢れ出ていた。

 イサギとは、ほんのすこし前に会ったばかりなのに。


 優しい文面の文字は、まるで微笑みかけてくれているかのようで。

 間違いない。彼が書いたものだ。


 なぜここで、こういう風にして、巡りあうことができたのか。

 その奇跡に、デュテュは強く胸を打たれた。


 震える指を握りしめて、続きを追う。



『俺はさっき、バリーズドの葬儀に出てきた。

 有名だろ、冒険者ギルドの長だよ。


 すっかり変わっちまっていたけど、やっぱりバリーズドだった。

 あいつはこの世界の平和を願い、そして、逝っちまった。

 

 俺はあいつを助けられなかった。

 久々に自分の無力を痛感したさ。

 

 すまねえな、辛気臭くて。 

 他の誰に読まれても、きっと妄言だとしか思われないだろうから、素直に書くよ。


 お前の言った通りさ。

 俺はかつてこのアルバリススで、勇者と言われていた。

 

 色々と、気苦労をかけちまったみたいだな。

 すまん』 

 

 

 やはり、そうだったのだ。

 デュテュは息を呑む。

 

 だが、謝られることなど、なにもない。

 イサギを呼び寄せたのは、自分たちなのだから。

 

 文面はまだまだ続いている。



『最近、よく昔のことを思い出すんだ。

 魔王城で、お前やリミノ、慶喜、廉造や愁と馬鹿騒ぎをしていた頃さ。


 イラやシルベニアも一緒になって、な。

 そんなに前のことじゃないはずなのに。

 

 でも、すごく楽しかった。

 あの思い出は、ずっと忘れないよ。

 

 あの頃は、それは幸せな日々だったと気づかず、

 ただ毎日を駆け抜けていたけれどさ。

 

 今になると、それがどれだけ尊かったものか、ってさ。

 思うんだ。夜になるたびに、本当さ。

 

 デュテュ、俺はこれからセルデルに会いにいく。

 もしかしたら、戦うことになるかもしれない。

 

 たぶん、この世界はなにもかも変わってしまったから。

 俺の力がまだ必要ならば、その通りに剣を振るうよ。


 だけどさ、デュテュ。

 少しこわいんだ。

 

 この情熱が失われてしまう日が来る気がして、さ。

 もしかしたら俺は、あの頃のことを忘れてしまうかもしれない。

 

 俺が『違う者』になり、この世界に牙を剥くことがあるかもしれない。

 この目で見たんだ。

 かつて英雄と呼ばれた男の末路を。

 正直、ぞっとしたよ。


 だからここに、

 想いを残しておこうと思うんだ。

 

 俺がいなくなっても、消え失せても。

 共に見た夢はなくならない。

 

 それは、絶対だ。

 デュテュ、お前にだから、頼むんだ。

 

 アルバリススはこれからも、いくつもの動乱を乗り越えてゆくだろう。

 お前だって、その渦中に巻き込まれる日がくるはずさ。

 

 だけど、お前は覚えていてくれ。

 難しいことは、望まない。

 

 どんな辛いことがあっても、悲しいことがあっても。

 やるせない日々が続いて、もう心折れてしまいそうな時でも。

 

 あの日、俺たちが見た夢を、忘れなければ。

 俺たちの行く道は、繋がっているから。

 

 もう、待っていてくれ、なんて言わないよ。

 戻れるかどうかもわからない。

 

 だから、さ。

 共に、ゆこう。

 

 デュテュ。

 お前はバカなんかじゃなくて、賢くて、強かな女だったさ。

 

 だから、信じている。

 俺たちなら、できるさ。

 

 きっと、ずっと。

 

 ダイナスシティから、魔族に幸運を祈って。

 浅浦いさぎより』

 

 

 デュテュは、手紙を胸に抱いたまま、しばらくそうしていた。

 俯きながら、ただただ想いを反芻していた。

 

 自分はずっと、周りの人に支えられ、報いるために生きてきた。

 そのままでいいと思っていた。それが自分の運命なのだろう、と。

 

 しかし、運命、運命とはなんだろうか。

 あまりにも多くの人の思惑の中で生かされてきたから、デュテュは気づかなかったのだ。

 

 運命とは、人の想い、願い、希望、そういったものの集合体だ。

 巨大な人々の感情のうねりこそが、運命と呼ばれるものの正体だ。


 イサギは、自らこの世界を変えようとしていた。

 たったひとりでも、できることがあるのなら、剣を振るうと言っていた。

 

 彼のそんな想いを『運命』などという一言で片付けるのは、イサギに対する冒涜だ。

 傷つき、悲しみ、仲間の死を乗り越え、それでも前に進もうとしている。

 イサギはそうして、アルバリススを生きる人々のために戦っている。

 それはもはや、運命ではない。彼の、強い、意思だ。

 

 

 フォールダウンが自分とイサギを引きあわせてくれたことだって、運命などではない。

 それは、魔族の平穏と再建を心から願うものによって仕組まれたことだ。


 慶喜や、廉造や、愁。それにロリシア、シルベニア、イグナイト。

 様々な人たちが願い、血を流してくれたからこそ、自分はここにいられる。

 

 あのときに死んでいれば、だなんて。

 ぜったいに、思っちゃだめなんだ。


「……」

 

 デュテュは手紙を抱いて、祈るように両手を合わせる。

 自分はまた、ここから始めよう。

 

 ようやく、イサギの言っていたことが、わかった気がした。

 多くの人を悲しませてしまったけれど、その代わりに、何倍もの人を救うのだ。

 

 それが彼の生きる道なら、自分もともに、その道を歩もう。

 いつか、その道が交わることを信じて。


 

 自分はこれからも生きて、そして伝えよう。

 かつてこの暗黒大陸に、ひとりの勇者がいたことを。

 

 自分の身を呈して、魔族を救うために尽力した若者のことを。

 いつまでも、いつまでも、語り継いてゆこう。

 

 どんなに見苦しくても、誰に糾弾されたとしても、生き延びるんだ。

 彼に教えられた理想を胸に、生きて、生き続けて。

 


 そしていつか、本当に、アルバリススに平和が訪れる、その日。

 彼の帰りを、魔王城で、待つために――。



「イグナイト」

「ここに」


 デュテュの声は震えていた。

 けれど、伝えたかった。

 

 イサギが自分のことを想ってくれていたように。

 自分も皆のことを、想ってゆきたいから。


「これからも、よろしくお願いします」

「……は、姫さま」

  

 この日からまた、

 始まりを、始めるために。



 デュテュの頬を、一筋の涙が伝っている。

 旅立ちを歌うように、海鳥たちが鳴いていた。











 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ベリアルド平野の廃屋。

 その薄暗い中、ふたつの影がある。


 飛び起きたのは、黒衣の男。


「あ、いてて……。

 ったく、首を斬られる経験とかゾッとしねえよ、マジで」


 自らの首を撫で、ため息をつく。


「ああ、起きたか」

「そんで近くにいるのが廉造か」


 もうひとりいた長身の男は、水筒を放り投げた。

 男は受け取り、口に含む。


「誰が助けてやったと思ってンだよ」

「遺体をさらって逃げる魔王とか、格好つかねえな」

「勇者に首をぶった斬られるカッコ良さなんざ求めちゃいねェ」

「言えてるな」

 

 眼前に急に光を突きつけられた。

 手をかざしながら、目を細め。


「……なんだ、それ」

「神剣クラウソラスってやつだろ。愁が置いてったンだよ」

「ああ、なんだ、返してくれたのか。

 あいつはレプリカを使うんだな、助かる」

「あとこいつだよ」

「ん、メタリカに預けといた俺の背負い袋か」

 

 なくなっては困るものはそう多くないけれど。

 ともあれ、長年親しんだものがないと、収まりが悪いものだ。


「また増えてんだろうな、手帳」

「ぶっ殺しリストか」

「ぶっ殺しリストだよ」

 

 鞄を漁る男。

 その中から、厳重な封書を見つけ、眉を寄せた。


「……ん、指令書か。

 ずいぶんとまた、物々しいな」

「そうやって送られてくンのか」

「ああ、廉造もこれから愁の元へゆくのか?」

「ンだな。ふたつ先の街でエージェントが待っているそうだ」

「あの戦火の最中、あいつはどこまで考えてんだか……」

 

 封書の封印を解き、男はその手紙を眺める。


 文字を追う目。

 その瞳孔が広がった。



 一文字一文字を喰らうように。

 イサギは読み進めた。


「……」

 

 それは。

 ずっと待ちわびていた。


「……」

 

 便りであり。

 愁からの『贈り物』だ。


「……そう、か」

 

 首を押さえる男。

 その声には、万感の思いがにじむ。


「首まで捧げたかいが、あったな」

「ああ?」

「見つかった、か」

「ンだよ」

「居場所だよ」

「わかんねェよ」

「はは、やべえな」

 

 男は立ち上がり、神剣を掲げた。

 とてもじっとしていられなかった。


「こいつはな。

 世界を救うのと同じだけの価値がある話さ」

「ははァ」

 

 彼は得心したようにうなずく。


「女か」

「そうさ」


 ただ端的に、男はうなずいた。

 ついに、だ。

 手を伸ばせば、すぐそこにある。

 栄光が待つのだ。

 


 ああ、長かった。

 ずっと待ち望んでいたのだ。

 

 かつての仲間をふたり失い、それでも歩くことをやめなかった。

 スラオシャ大陸を駆けずり回り、アルバリススをあるべき姿に戻そうとした。

 

 それはすべて、この日のために。

 イサギの剣は、意思は、理由は、想いは、力は、決意は、覚悟は、夢は、理想は、

 すべて、この日のために。



 Episode:9 意志断つ剣は、誰が為に End



 決まっている。

 捧げるのだ。


 手紙を握り潰し、

 男はその名を呼ぶ。



「待っていろよ、

 ――プレハ」



 次章、勇者イサギの魔王譚、Episode:10


『あなたの初恋の人、プレハ』


 1月下旬予定です。


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