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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:9 意志断つ剣は、誰が為に
110/176

9-15 ワールドブレイカー

 

 ベリアルド平野を吹き抜ける風に、デュテュは髪をさらわれながら。

 彼の姿が見えて――。


「まったく、さ。

 やっとここまで来れたよ」

 

 イグナイトに背中を押されて。

 デュテュは走り出した。


 もう他に目に入るものはなく。

 髪を振り乱し、胸を揺らし、デュテュはその、彼の元へ。


 彼はそこにいた。変わらず、あのときのままの佇まいで。


「ようやく、この日が来たよ。

 召喚陣フォールダウンに呼び寄せられて、なあ。

 もう二年近くか。やっと、だよな」

「イサさま――」

「おっと」

 

 デュテュは両腕を彼の背に回して、抱きつくというよりもむしろイサギを強く引き寄せた。


 確かにここに、この腕の中に、彼の身体があることを知り。

 デュテュはその胸に顔をこすりつけながら、何度も彼の名を呼ぶ。


「ああ、良かった、本当に、生きてらして、本当に、良かった、イサさま」

「一体いつの間に俺は死んだことにされているんだか」


 鼻の頭をかくイサギは、顔を背けながらつぶやく。 


「悪ぃな、遅くなっちまってさ」

「そんな、そんなこと、そんなことは、いいのです。

 わたくしは、わたくしは、あなたが生きていてくれただけで、

 これが、最期だとしても、わたくしは、あなたにあえて、よかった」

 

 ああもう。

 デュテュには言葉もない。

 ここまでやってきて、ようやくひとつだけ救われた気がした。


 もう十分だ。

 これ以上の幸せなど、ない。


「よかった、イサさま、よかった」


 身体中の想いを吐き出すように告げて、ゆっくりと離れようとするデュテュ。

 その彼女を、今度はイサギが掴んだ。


「ったく、勝手なことをするなよな、デュテュ」

「えっ、あっ」

 

 顎を持ち上げられて、デュテュは無理矢理イサギと目を合わせられる。

 彼のその目は真っ赤に染まっていたけれど、でもとても暖かった。


「おまえが、俺たちに言ったんだろ」

「え、あ、の……」

「なあ、二年越しの約束を、覚えていられないほど、バカだとは思ってないぜ」


 唇が触れ合いそうになるほどの距離、見つめ合い。

 デュテュにイサギが、告げた。


「『自分たち魔族を、救ってください』って、さ。

 すべてはそこから始まったんだ」

「い、言いました、けれど……」

「そのために、来たんじゃねえか、俺は。

 っつーか、なんだ、全員揃ってんのか」

 

 片手でデュテュを抱きしめながら、イサギは後頭部をかく。

 そばに慶喜と廉造、少し離れて冒険者の陣営に愁の姿を――その隣に口元を抑えて涙を浮かべているアマーリエも――発見して、口元を吊り上げた。

 

「デュテュ、おまえのためにこれだけの人が集まっているんだな」

「でも、わた、わたくしは……もう……」

「ああ?」

「もう、わたくしは……もう……。

 手遅れ、です……取り返しのつかないところまで、来てしまいました……。

 いろんな方に、ごめいわくを……」

 

 デュテュはイサギの胸を弱々しく叩く。

 今にも消え入りそうな声だった。


 頬をかき、イサギはどこまでも広がる空を見上げて。


「なあ、デュテュ」

「……?」

「たとえ俺がここで死んだとしても、世界はまるで変わらず日は沈むし、明日はやってくるんだけどさ。

 でもその代わりに、救えたはずの多くの人が死んでしまうとするなら、それは俺たちの責任ということじゃないか」

「……イサ、さま?」

「確かに俺は多くの人を殺してきたし、これからも多くの人を殺して生きていくだろう。

 デュテュも、そうかもしれないな。お互い、な。

 けれど、殺した人よりも多くの人数を救うために、俺はこれから生きようと思っているよ」

 

 イサギはデュテュの頭に手を置いて。


「別に、お前のために言っているんじゃないんだけど、な。

 まあ、なんだ、所信表明みたいなもんだよ。

 こんなものは算数じゃないっていうのは知っているけれど、他に贖う術だってないんだ。

 人ひとりの悲しみだって、俺には重すぎるさ。

 自分の中で、『納得』だけはしておかねえと」

「あ……」

 

 デュテュの髪を指で撫で、頬をつたい、肩に置く。

 目を細める彼女に、イサギはつぶやく。


「イサさま……」

「だから、取り返しのつかないことなんてこの世にはないんだよ。

 生きている限りは、絶対にな。

 なんたって俺ですらまだ生き延びているんだから」

「い、イサさまは、わたくしとは比べ物にならないほど、素晴らしい方でっ」

「だけどお前たちの仇敵だ。

 立ち位置が違えばこんなにも違う。そうだろ?

 俺だって決して許される立場じゃないぜ」

「それは……」

 

 顔をくしゃっとして困惑するデュテュに、イサギは眉をかきながら。


「デュテュはこれからも多くの人を救うはずだ。

 国ひとつを背負うんだ。俺とは比べ物にならないさ。

 お前の決断を、他の誰にも糾弾なんてさせやしない。

 デュテュは仲間たちを救おうとしていたんだ。

 ――もしお前がここで死ぬべきだったら、俺が、殺してやっていたさ」

「……っ」


 イサギは力強く断言し、デュテュのすべてを肯定した。

 デュテュは息を呑み、再びイサギの胸に顔を埋める。


「だから、いいんだよ、もう。いいんだ」

「……イサさま、わたくし、わたくしは……」

「任せてくれ。お前の意思は俺が引き継ぐさ。

 ここからは――俺の『仕事』だ」

「……え?」




「……一体なにを喋っているんだろうな」

 

 イサギがデュテュを抱きしめてからしばらく。


 愁は顎に手を当てて耳を澄ましていたが、封術師の五感を持ってしてでもその会話を拾い上げることは難しかった。

 あるいはそれは、隣に立つアマーリエがイサギの生還にはしゃいでいたと思っていたら、今度は一転して「ね、ねえ、あの、あの魔族のお姫様と、ど、どういう、どういう関係なの?  かしら、なのかしら、ねえ、ねえ、イサくん、ねえ、あの、シュウくん、ねえ?」と、うるさく愁の袖を引っ張りまわしていたからかもしれない。

 

 十中八九、イサギは生きているだろうな、と愁は思っていた。

 道具袋の中から、愁がイサギに認証させておいた『特別製のリヴァイブストーン』が失われていたからだ。

 冒険者ギルド本部にもたった三つしかなかった秘蔵のリヴァイブストーン。

 それは純度の極めて高い魔晶で作られており、ほとんど副作用は認められていないものであったが。

 品質の問題ではない。


(……まあ、彼も覚悟の上だろうな)


 これでイサギもついに、神化病の疑いがかかったわけだ。

 失った魂の隙間に入り込む神エネルギー。それがやがて身体を蝕み、意志を奪われ、人形のように変貌してしまう不治の病だ。

 イサギほどの男が神化病にかかってしまえば、カリブルヌスを凌ぐほどの脅威に値するだろう。

 いずれイサギも、世界を滅ぼすほどの災厄になってしまうのかもしれない。


 そうなってしまっては、全てが手遅れだ。

 ――その前に、始末しなければならない。


(……)

 

 愁は手のひらを顔に当てて、深く息を吸った。

 神化病の進行度は、個人の資質によって大きく異なる。

 そんな日が来なければいいが。

 

 思索に耽っていた愁。

 気を逸らしていたのはほんの数秒程度だったが、その間に事態は進展を見せた。


「あ、ねえ、ねえ、ちょっと、シュウくん、様子がおかしくない?」

「……うん?」

 

 アマーリエの言葉に顔をあげる愁。

 次の瞬間、その目に映った光景は――。

 



 イサギが抱きしめていたはずのデュテュを突き放し。

 ――その彼女の体を、斜めに切り裂いたのであった。

 

「――?」


 恐らく、薄皮一枚程度であろう。

 致命傷には至らない。

 だが、その事実は薄皮一枚程度には収まらなかった。


 空気がひび割れる音がして。

 誰もが驚愕した。

 イサギが、魔族帝国の二代目魔帝を斬ったのだから。




「貴公――!」

 

 それがまるで条件づけられていた行動であったかのように、誰よりも早く反応した男がいた。

 眼の色を変えて剣を抜くイグナイトだ。


 彼は感情の発露の先陣を切るように、魔族帝国の旗を背負いイサギに斬りかかろうとした、が――。


「待て!」

 

 イグナイトを制止するのもまたイサギ。

 イサギはデュテュの細い首を掴んだまま、離さない。その意味をイグナイトに示す。


「引け、イグナイト。

 この女の命が惜しければな」

「――っ、一体、なぜ」

「俺は誰の前にもひれ伏さぬ。

 目的のためならば、何者をも斬る。

 それが答えだ」

「……気狂いと化したか!」

 

 イグナイトが焦れるのを見て、魔族帝国の面々もおいそれと手は出さない。

 デュテュの生殺与奪権をイサギが握っているためだ。

 

 イサギは魔族帝国が次の一手を打つよりも早く、布石を置く。

 それは――。


「俺の名はパズズ。

 音に聞こえし殺戮者、魔王パズズだ!」

 

 平野に響く声は、鳶の鳴き声のように、どこまでも吹き抜ける。


「聞け! 魔族よ!

 お前たちの戦いはここで終わる!

 暗黒大陸に戻るがいい!

 お前たちの戦いは為さずして為るのだ!」


 イサギは腕を掲げ、再び宣する。


「聞け! 魔族よ!

 この俺に敵対するその時、お前たちは塩の柱と化す!

 邪魔立てするのならば容赦はしない!

 お前たちの戦いに益は微塵もない!」

 

 その怒号が片方の陣営を揺らす。

 場の支配を始めるイサギ。

 それは彼を知るものにとっては、あまりにもわざとらしい示威行為であり。


 彼を前にイグナイトは――。


「……よもや、貴公……」

「悪かったな、イグナイト。

 恨んでくれても構わない」


 もはや用は済んだのか、イサギは人質にしていたはずの魔帝をいともたやすく解放してみせた。

 荷物を放るようにデュテュをイグナイトの元へと投げ飛ばす。

 剣を手放し、主君を抱きとめたイグナイトは、いまだ驚愕冷めやらぬ顔でイサギを見返した。


 どうやら――イグナイトには伝わったようだ

 イサギの意図が。


「しかし、これではあまりにも……!」

「命を救ってもらった恩は忘れない」

 

 それきり、イサギはイグナイトに背を向ける。

 彼の決断を待たず、次なる行動に移る。

 

「あ、あの、イサさま!」

 

 イサギの突然の凶行に、皆が慄然としている中、勇気を出して飛び込んだのはロリシアであった。


「……邪魔だ」


 腕にすがりついてくる小さな少女を、イサギは腕を振って払い飛ばした。

 地面に尻もちをつくロリシアを見下ろすイサギの表情は、仮面に隠れて見えない。


「いさ、さま……?」

「ちょ、ちょっとイサ先輩なに、し、て」

 

 ロリシアをかばうためにこちらに猛然と走ってきた慶喜に向けて、イサギは剣を突きつける。

 そのただならぬ雰囲気に、慶喜は一気に鼻白んだ。


「……は? え? マジ? 嘘、っすよね?」

「慶喜」

「ひゃい」


 声が裏返った。

 そんな慶喜にイサギは、軽く肩を回しながら。


「俺と魔族帝国が裏で繋がっていると勘ぐられるのは、面白くない」

「い、いや、あの……え!?」

「『魔王パズズ』はどの軍にも属さない。

 それを見せつける必要がある。まさかロリシアを斬るわけにゃあいかねえよな」


 デュテュを斬ったその剣、カラドボルグを慶喜に向けるイサギ。

 慶喜は顔を蒼白に染め、いまだ理解できず。


「ちと痛いけど、我慢してくれな。

 大丈夫だろ、できるよな、男の子だもんな」

「ちょま、あの――」

「んじゃいくぜ。歯ぁ食いしばっとけよ」


 横一文字。

 慶喜の腹をイサギの剣が裂く。

 血が――派手に――噴き出た。

 

 ロリシアが、声なき叫び声をあげた。



 転がり、後ろに倒れてゆく慶喜の懐から『邪眼バロール』を素早く抜き取ったイサギは、腕を大きく突き上げる。


「聞け! ピリル族よ!

 お前たちの戦いはもう終わっていた!

 レ・ヴァリスは俺の剣の前に倒れたのだ!

 お前たちの力はこれから里を守ることに捧げるが良い!」


 ピリル族もまた、レ・ヴァリスの死を胸に呆然とした顔でまるで動いていない。

 ロリシアは泡を吹く慶喜を引きずりながら「イサさま……?」とまだ信じられないものを見るような目をしていたけれど。


 魔族帝国と魔族国連邦の王を斬ったイサギの言葉を後押ししたのは、少女の叫びだった。


「――デュテュは負けたの!

 このまま戦えば彼女が死ぬ!

 デュテュが死んでもいいっていうの!?

 撤退、早く撤退するのよ!」

 

 魔族帝国参謀ゴールドマンの妹である、シルベニアだ。

 順列でいえば、デュテュ、ゴールドマンが戦闘不能状態になった今、彼女が陣営の総指揮官であることは明白である。


 シルベニアも恐らく――気づいているのだ。

 イサギがこの場の流れを見極め、最適化された魔王を演じていることに。


 イサギは重ねて叫ぶ。

 

「ドラゴン族、そして人間族の騎士よ! この俺の言葉を聞け!

 俺はおまえたちに害を為さぬ! 俺は冒険者だけを殺す!

 魔王パズズは冒険者だけを殺すものだ! お前たちは去れ!

 ここからは俺の戦いだ!」


 その言葉の真意は、一体誰に届いただろう。

 イサギの本当の心を理解できたのは、この戦場においてごく少数のものだけである。

 

 その中に含まれているのは、共に集いし、異世界人。

 愁、慶喜、廉造らが、彼の胸奥に気づいていた。

 



 イサギは確かに戦争を回避しようとしていた。


 魔族もピリル族もドラゴン族もブルムーン王国の騎士も、それぞれに守るべき土地があり、守るべき国がある。

 だからこそ、すべての悪意を自らに引き受けるために、イサギはここに姿を現した。

 自らが脅威であれば、彼らは引く。そのためにイサギはデュテュを斬ってみせたのだ。

 

 だが、それだけではないのだ。

『止めるため』だけに現れたのであれば、必要以上に力を誇示することはない。

 

 イサギは自らが世界にとってどれほどの脅威であるかを示した。

 我こそがアルバリススを戦乱に導く邪悪であることを、白日のもとに晒した。


 そうだ、イサギは。

 イサギはここで、凄まじいことを行おうとしている――。




 愁は口元に手を当てて、その表情を隠しているけれど。

 彼はもうどうしようもなく――笑みを浮かべてしまっていたのだ。


「そうか、なるほど、そうか。そういうことか。

 それこそ、誰よりも、わかるよ。ああ、僕だからね」

 

 愁の隣に立つアマーリエは愕然としている。


「っていうか……え? 魔王パズズって、え?」

 

 そう、彼女は知らなかったのだ。


 タイタニア山脈を焦土に変え、セルデルを討ち、彼の住居にあったリヴァイブストーンを破壊し、そして全世界の冒険者に宣戦布告をした男。


 破壊の化身。殺戮者。神殺し。

 英雄狩り。死神。這い寄るもの(ダークストーカー)。


 それがまさかイサギだなんて、思いもよらなかった。


「イサくんは、だって……。

 魔王パズズって、あの、父さんの仲間で、

 勇者パーティーのひとりだった、セルデルさまを暗殺して……その上……」

 

 その上、一万人の人間族を『極術』によって殺した人物だ。

 それ以来、冒険者を付け狙って、ギルド本部にも手配されている。


 ――人類の宿敵だ。


 愁を見上げながら、アマーリエは食いついてくる。


「……もしかして、あんた、知ってたの……?」

「静かに。キミがうろたえると、周りの冒険者も動揺するよ」

「ちょっと、とぼけてないで! シュウくん! 

 ちゃんと答えなさいよ! だって、あの人は!」


 アマーリエを抱き寄せ、愁は顔と顔を突き合わせた。

 息遣いも相手に届くほどの距離、言論を封殺するように。


「アマーリエくん。僕が言えるのはただひとつだ。

 この世には『必要悪』というものが求められている。

 そして彼はその役目を完璧に全うした。

 キミが立ち入る隙などどこにもありはしない」

「――そん、な」

 

 アマーリエは現実を受け止めきれず、首を振る。

 

「だって、あの人は」

「かつては、ね」

 

 彼女の言葉を先回りして答える愁。


「あの人は、そんなそしりを受けるような人じゃないわよ!

 どうして彼が、そんなことをしなければならないの!

 だって、魔王パズズだなんて、人間族の敵対者じゃない!

 彼は、もっと皆に認められ、讃えられ、栄光の道を歩むべき人なのに……!」

「黙りなよ、アマーリエ」

「――っ」

 

 胸ぐらを掴まれて、アマーリエは目を見開く。


「なん、で」

「彼がいかなる決意をしてあの場に立っているか。

 その重さを知らない僕たちは、決してその邪魔をするわけにはいかないんだよ。

 それがわからないのなら、キミはまだここにいるべきではない」

「だって、だって!」

「メタリカ」

「はい、ここに」

 

 控えていたメタリカに、アマーリエを突き出しながら命じる。 

 

「アマーリエとともにブルムーン騎士団へと急行し、アピアノス王に撤退を告げるんだ。

 ここに騎士団が残る意味は、もうない。巻き添えを食らわないうちにね。

 始まるのは、本来ここで行なわれるであろうと思われていた戦争よりも、よっぽど凄惨な殺し合いだ」

「待って、シュウく――」


 その言葉の最中。アマーリエの首筋に手刀を落とす愁。

 まるで予期していなかったからか、アマーリエはいともたやすく、がくりと意識を失った。


「メタリカ」

「……シュウさん、リエちゃんに嫌われちゃいますよ」

「大丈夫だよ。彼女はそこまで愚かじゃない。

 それに、僕とアマーリエくんの絆も、それなりのものだからね」

 

 片目をつむって言う愁。

 メタリカは納得できそうにないようだったが、告げるべき言葉も見つからなかったのか、アマーリエを担ぎ、後続へと消えてゆく。


 イサギの登場によって、冒険者たちは興奮を抑え切れないようだ。

 魔王パズズにかけられた懸賞金は破格だ。S級討伐対象者20人以上に匹敵する。

 エディーラ神国がセルデルの仇を討つために、それだけの金額を掲げたのだ。

 

 士気は低くはなかったこの戦いだが、そこに懸賞金が上乗せされ、冒険者のやる気は見違えた。

 圧倒的な熱が高まってゆくの愁は感じる。


「さて」


 愁は首を鳴らし、イサギを見据えた。


「お楽しみの時が来たか、イサくん――」


 


「みんな、早く、逃げて! 撤退だ!」

 

 魔族とピリル族を急き立てるのは、肩を押さえた慶喜。

 彼は治癒法術によって傷を塞ぐと、シルベニアやイグナイトとともに後退の準備を急速に進めてゆく。


 気絶したデュテュの仇討ちを望むものを無理矢理封じ込めるように、怒鳴る。

 指導者を失い、瓦解しかけていたそのふたつの軍は、あっけないほどにその言葉に従った。


「でも、あの、イサさまが……」

「大丈夫」

 

 いまだ混乱状態のロリシアに、慶喜はしっかりとうなずく。

 その少女よりは恐らく事態を飲み込めていると思うから、堂々と答えた。

 

「イサ先輩が悪いことをするはずがない。だから、大丈夫」

「でも、あの人は、ヨシノブさまを斬って……」

「いやホントマジで、ありえないっすけどね、あんなの。

 普通友達を斬るっすか? 頭おかしいすよ、まったく……」

「え、あの、え……?」

「急すぎるんすよ、あの人のやることは、いつだって……」


 不平を漏らしながらもその顔はなぜだか嬉しそうで。

 ロリシアにはわけがわからない。

 イサギがなにを始めたのか。

 なぜイグナイトもシルベニアもイサギの脅しに屈しているのか。


 その一端を、慶喜が漏らす。


「でも、イサ先輩が本気だったら、ぼくなんてまっぷたつすからね。

 でもそうじゃないってことは、理由があるってことでしょ?

 こんなぼくでも、最近空気を読むってことを覚えてきたわけでね」

「……」

「先輩はここからぼくたちを遠ざけようとしているんだ。

 今はそれさえわかっていれば、いい」


 目の前で見たショッキングな映像がまだ忘れられないのか、ロリシアは不安そうな表情を続けていたけれど、やがてその目に徐々に光を取り戻してゆく。


「……そうですね、わかりました」

「イサ先輩はすごい人だよ。ね、きっと大丈夫」

「……ですよね。よわっちいヨシノブさまとは違いますよね」

「う、うん……。なんか否定も肯定もしたくない感じだけど、まあ、うん。

 じゃあ、ロリシアちゃん、ぼくたちも逃げよう」

「……はい」

 

 ロリシアは小さくこくりとうなずいたのだった。



 

 そして、廉造。


「イサ、テメェ」

「……」

 

 イサギはゆっくりと廉造の元に歩み寄ってくる。

 彼がなにを為そうとしているか、廉造にはわかっていた。

 

 魔王パズズは反冒険者の象徴だ。

 彼はこの場でその役目を執行するつもりだ。

 世界の悪意を一身に背負う覚悟が、この男にはある。


 仮面の魔王は、廉造に言い放つ。


「廉造、俺は先に行くぜ」


 まるで暗黒大陸を征した彼のやり方が、手ぬるいものだと言わんばかりに。


「……テメェは、いつもそうだ。いつだって俺の三歩先を行きやがる」

「目標があるうちは幸せなもんさ」

 

 廉造は、ポケットに手を突っ込みながらドラゴン族の軍を向く。

 どの陣営にも属さないはぐれ者であるイサギとは違う。廉造は帰るべき家を持つ地竜将だ。

 ドラゴン族とともに一度自分たちの陣地に戻るのだろう――とイサギは思っていたが。

 

 しかし、廉造は立ち止まった。


 どうもこうもない。

 すべては決めていたことよ。


 誰に引き止められる言われもない。

 自分は、裏切りの将。そうとも。


 すぅ……と大きく息を吸い、廉造もまた怒鳴る。


「聞きやがれ! ドラゴン族!

 きょうこの日、この瞬間を持ってオレァ地竜将の座を降りるぜ!

 オレァ誰でもねェ、ただひとりの男、ひとりの廉造に戻る!

 足利廉造、そいつがオレの本当の名だ!

 そうさ、冒険者ギルドのS級討伐対象よ!」

 

 その告白に、辺りは――冒険者の陣営は――ざわめいた。

 聞かなかったことには、できないだろう。これほどの大声だ。

 

 ドラゴン族と今さら事を構えたいと思うものはいない。

 だが、彼が離反の意思を示したのならば、見過ごすわけにもいくまい。


 廉造の声明は、事態と情勢をより複雑にしただけだ。

 イサギは呆れ顔で、首を振る。


「お前……そんなことを言って、これからどうするんだよ。

 大体、ピリル族と敵対していたんじゃねえのか。

 行き当たりばったりはよくないぜ」

「オレは最初から一度もブレたことなんてねェよ。

 極大魔晶以外の目的は全部寄り道だ」

「残してきた人がいるだろ。イラとかさ」

「なんとかして生きるだろ」

 

 槍を肩に担ぐ廉造。

 その隣に立つイサギは眉根を寄せて。


「仕方ないな……」

「うっせェな、オレにも付き合わさせろよ」

「ベヒムサリデを倒したときとは違うんだぜ」

「ンなのわかってら。すべては極大魔晶のためだっつーの」

「まあ、見込みはないわけではないな」

「どっちみち、愁の手助けをしてやろうと決めていたからな。

 オレにも一枚噛ませろや」


 廉造は凶暴な顔で、目を細めた。


「それに、ここでテメェ独りを行かせるわけにはいかねェだろ……」

「なんだよそれ、友情か?」

「バカ野郎、男としてだよ」


 イサギは肘で彼の胸をつく。

 廉造は身をよじって避ける。


 そんな争いをしている間に、魔族、ピリル族、ブルムーン騎士団は引いてゆく。最後には恐らく、愁の協力もあったのだろう。

 ドラゴン族はまだとどまっているようだが、争いに介入してくる様子はない。

 

「レルネリュドラは療養中。マールやローラはどうせ向かってこねェさ。

 あいつらは生きることに必死だからな。

 オレと戦う気なんてあるわけがねェ。引いてくれンだろ」

「その信頼もどうかと思うけどな」

 

 腰に手を当てるイサギ。見ているうちに、ドラゴン族も撤退の姿勢を示し始めていた。素直でなによりだ。


 廉造は冒険者の陣営を差す。


「見てみろ、イサ。茶番が始まるぜ」

「茶番っつーなよな」

 

 これも必要なことだ。

 人が人を納得させるために、なくてはならない行ないである。

 


 人垣が割れ、ひとりの男が現れる。

 冒険者ギルドマスター、ハノーファの右腕――『英雄殺し』、緋山愁。


「魔王パズズよ! よくぞ我らの前に現れた!」

 

 彼は透き通るような声で告げてくる。


「人族の宿敵にして、絶対なる邪悪を体現するものよ!

 我ら人間族の担い手である『冒険者』はこの時を待っていた!

 今こそその首をはね、初代ギルドマスターバリーズドに捧げようぞ!」


 今までたっぷりと待たされていた冒険者が吠える。

 いい加減彼らも痺れを切らしていたのだろう。その高まりを背負い、さらに愁は声を振り絞る。


「討伐対象などという言葉では飽きたらぬ。

 貴様は生きとし生けるものすべての敵対者である!

 この大地赤く染めても、我らは貴様を打倒せしめることをここで誓おうぞ!」


 愁の堂々たる振る舞いに、イサギはため息をついた。


「堂に入ってんな、あいつ」

「テメェもなんか言ってやれよ」

「あんま得意じゃねえんだけどさ」

「嘘こけ」

 

 イサギは深く息を吸うと、右腕を真横に広げた。


「聞け! 『冒険者』よ! 

 我は貴様たちを決して許さぬ!

 この大陸を荒廃させ、ドワーフ族を滅ぼし、エルフ族を迫害し、

 ピリル族やドラゴン族を虐げ、魔族を弾圧したその罪、

 神族がこの世界を去って数千年、

 誰も裁くことができぬのなら――この俺が罰を下そう!」

 

 冒険者たちがその言葉にわずかに怯んだ。

 だが、即座に愁が言い返してくる。


「魔王が罪を語るな!

 貴様の行ないを我らは決して許さぬ!

 亡き英雄セルデルの名の下に、貴様を断罪しようぞ!」


 仮面で顔を隠したイサギに一歩も引かずに叫ぶ愁。まるで光輝を背負う英雄だ。

 その整った容姿と合わせ、彼のカリスマ性は群を抜いている。


 なにを答えるべきかは知っている。イサギはなおも叫ぶ。


「傲慢な人族が!

 お前たちの行ないによって軋みが生まれた!

 その結果が今日のこの場所であろう!」

「我ら冒険者の使命は、世界の平和と秩序を守ることだ!

 血を流すことが罪だというのなら、アルバリススに未来などはない!」

「お前たちの築くものは偽りの平穏なり!

 アンリマンユの死後20年でなにを守ってきたというのか!」

「戦争の復興と治安維持!

 なによりも我らが戦後の孤児を保護し、

 餓死者を減らすことに力を注いできたのだ!

 人は貴様のように憎しみを糧に生きてゆけるものではない!

 呪いの言葉を撒き散らすのはそこまでだ!

 我ら冒険者の刃が貴様に鉄槌を下すであろう!」


 言い争いはそこまでだった。

 イサギは己を糾弾するよう愁に仕向けた。

 魔王の分がやや悪いと思われるまでが描いていたストーリーだが、愁は見事その役目を全うした。

 彼の立ち振舞いは完璧だった。ここまで打てば響くと嬉しくもなる。


 口元を緩めて、イサギはつぶやく。


「やっぱ、勇者役ならあいつのほうが向いているな。

 俺はちと、正直すぎてな」

「似合ってンぜ、魔王役」

「廉造に言われるのも複雑だけどな」

「だから付き合ってやってンだろうが」

「頼んじゃいねえぞ」

「バーカ、水臭ェこと言ってンな」

「やれやれ……」

 

 もうすぐ400の冒険者がここまでやってくる。 

 それをたったふたりで迎え撃つのだ。


 S級とA級とB級冒険者による、アルバリスス最強の軍団。

 楽な相手とは到底思えない。

 

 イサギは肩を回し、闘気をまとう。

 廉造もまた。


「んじゃ、いくか」

「ああ」


 人間族を敵に回し、彼らは歩き出す。

 赤い目をしたふたりの男。


 破術師イサギと、封術師廉造。

 この世の『神化病患者』を滅ぼすために。

 

 すべては愁が仕組んだこの舞台。

 もはや追いかけて殺すのではない。

 ――集めた400の神化病患者を、ここで打ち倒すのだ。


 今まで冒険者ギルドが積み重ねてきた負の遺産。

 リヴァイブストーンという、セルデルが作り出した兵器。

 そのほとんどを、ここで破壊する。

 

 次の世界を創るために。

 古いものを、粉々に砕くのだ。


 

 ――それでは、大虐殺を始めよう。



「廉造、隣にお前がいてくれて、やっぱり少し心強い」

「ああ?」

「もしかしたら、ここで俺は本当に打ち倒されるかもしれない。

 ……だから、言い残したいことがあるんだが、聞いてくれるか」

「バーカ。そういうンじゃねェだろ。

 ビビるこたァねェ。テメェらしくいけよ。

 無理にカッコつけンな。いつも通りだ。

 いつもと違うことをすると負けンぞ」

「……俺らしく、か?」

「ああ、わかってンだろ」

 


 これが、後の歴史に刻まれる、冒険者400対ふたりの魔王による決戦。

 またの名を、『ブレイブリーロードの対魔王戦』である。

 


「そうか、そうだな」

「おうよ」

 

 イサギは杖を握り、拳を打ち合わせて。

 飛びかかってくる冒険者たちの群れを見た。


「ラストリゾート一号、行くぜ」

「は、二号だオラ」

 

 次回、

 九章『魔王パズズ編』最終回


『<イサギ>・ズ・レター/No.3』

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[一言] 廉造マジで大好きやわお前…
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