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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:9 意志断つ剣は、誰が為に
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9-12 旅の終わり

 小野寺慶喜は、これまでの人生の中、

 たった一度も『表舞台』に立ったことはない。


 それは彼自身が認める事実であった。

 慶喜の17年間は、光の当たらない裏通りを歩み続けてきた年月だ。

 

 小学校、中学校、高校、それなりに困難はつきまとう。

 学校生活は運動神経か人間関係の構築能力、そのどちらかがあればうまく回るものだが。無論、慶喜にはどちらの資質も欠けていたからだ。

 暇を潰すための友達という名の話し相手に不自由はしなかったのは、慶喜が少しでも孤独な不安感から逃げ出すために、幼少時に得た処世術の成果であった。

 人の顔色を常に伺い、付かず離れずの距離を保ち、相手の核心には踏み込まない。そうすることで慶喜は自らの薄ぼんやりとした立ち位置を獲得できた、はずだった。


 それにもいずれ、軋みが訪れる。


 慶喜はどんな相手にも必勝パターンのようにただ同じことを――顔色の伺いを――繰り返していたつもりなのだが、周囲から要求されるレベルが学年をあがるたびに加速度的に上昇を続けていたからだ。

 いわゆる『空気を読む』と呼ばれる能力だが、慶喜は必要最小値にすら達していなかった。

 学友たちが当然のように成長してゆく中、彼だけが磨こうとはしていなかったから。

 慶喜は取り残された。

 

 半ば見放された中、慶喜がすがりついたのは『創作物』であった。

 彼はゲーム、アニメ、漫画、小説、そういった物語の中に逃げ込んだ。

 

 窮屈で先の見えない学校生活に比べて、物語の中には希望が溢れていた。

 愛や正義、勇気、知恵、なにもかもがそこにはあった。

 自ら絵を描き出したのも、そんな世界と積極的に関わっていきたいという彼なりのアクセスであったのだが、彼がやるべきことから目を背けてそのことを続けている以上、それは現実逃避の域を出るものではなかった。

 

 高校に入り、人間関係がリセットされると、いよいよ慶喜の学校生活は詰んだ。

 誰もなにも教えてくれることはなくなり、自ら努力をしなければ食らいついてゆくことはできない状況において。

 慶喜は学校を休み続ける。


 彼はまた逃げ出した。

 

 慶喜の性質は、異世界に来たところで変わりはしない。

 本来彼は魔王になるべき男ではなかった。

 緋山愁が魔王城を出奔し、足利廉造が五魔将の頭を潰し、そして浅浦いさぎが辞退したために、慶喜にお鉢が回ってきたのだ。

 余り物の称号である。

 

 

 

 本来ならば、ロリシアが慶喜の背に乗っていたのだが。

 彼女は自ら進んでシルベニアの馬に移動した。

 少しでも、慶喜が早く目的地に到着するように、だ。

 そして、馬の扱いが不得手な彼女たちに、『先に行っててください』と懇願されて。


 ――風を切って走る慶喜は言われた通り、彼女たちを置き去りにした。

 

 たったひとりぼっちで馬を走らせる慶喜。

 だからこんな不安な思いが鎌首をもたげてしまうのだろう。


 彼の脳裏には、様々な思いが去来していた。

 竜王バハムルギュスとの戦いすらも、慶喜にとっては誇れるべき出来事ではない。

 慶喜に立ち向かう以外の選択肢はありえなかったのだから。

 廉造に力を貸してもらい、イサギにお膳立てされ、ロリシアが命をかけてまで導いてくれたからできたことだ。

 そこに慶喜の意志の介在する隙は、存在していなかったように今なら思える。


 だがこれからのことは違う。

 慶喜は腹の中にずっしりとした重さを感じていた。


 刻一刻と、目的地が近づいてゆく。

 戦場の轟き、地鳴り、気配、猛り、そんなものが肌を刺す空気感となって現れていた。


 慶喜はずっと暗がりを歩いてきた。

 あまりにも暗いところにいたせいで、もはや退化した目は光を受けつけなくなってしまっていた。

 

 慶喜は人の目から逃げるようにして生きてきた。

 魔王と呼ばれて群衆の前に引きずり出されても、その場その場で周りに力を借りてなんとかごまかしてきた。

 次もうまくいくだなんて思ったことは、たったの一度もない。

 

 いつだって手を引いてくれる誰かの後をついていくだけの迷子。

 そんな子どもでいられたから、そんな子どもでいつまでもいたかったのだけど。


 まるで壁を飛び越えるように、馬が一際高く跳んだ。 

 わずかな衝撃。ここにいないはずのロリシアが、腰に手を回してくる力を強くしたのが感じられた。慶喜もまた目をつぶって。

 

 次の瞬間。

 視界が拓けた――。

 


 ――大平原。

 見渡すかぎりの。

 

 慶喜の心に蘇ったのは、暗黒大陸を出たあの日のこと。

 船に乗って、ハウリングポートに出港した朝。

 甲板に出て、生まれて初めてこの目で海を見た。

 朝日を浴びてきらきらと輝く大海原。言葉に言い表せないほどに綺麗だと思った。

 これが世界なのだと、慶喜が知った日。

 そのときと同じような感覚が胸に蘇り、胸が熱くなる。

 


 ベリアルド平野には数えきれないほどの人がひしめいていたのに、中央だけはぽっかりと穴が空いていて、まるでドーナツの輪のようで。

 そこに向かい合うふたりの男。どちらにも見覚えがある。

 ひとりはブラザハスで剣の稽古をつけてくれた師匠。そしてもうひとりは慶喜の背を押してくれた友人。

 どちらも慶喜にとって、かけがえのない人。――いや、違う。替えがきく人などはいないのだ。

 



 イグナイトは切っ先を向けた剣を引く。

 彼の剣撃に一切の無駄はない。すべての一撃が相手の息の根を止めるためだけに振るわれる。布石もフェイントもなく、どこまでも正道を極めた剣だ。


 対する廉造。彼の打つ手は無限に近い選択肢が存在した。

 剣技、槍技、魔晶具、闘気、魔術、法術、どれひとつ取っても一流。無限に近い魔力により、すさまじい爆発力と耐久力を持っている。

 

 イグナイトの剣技は地竜将をわずかに上回るであろう。

 勝機はそこにしかない。

 乾坤一擲。命を捧げて相討ち覚悟で放つ斬撃。

 そこに彼はすべてを込めるつもりだ。


 そのことは廉造もわかっている。

 だからこそいまだ微動だにせず、探っている。

 イグナイトの領域のその先を――。

 

 奇しくも、ふたりの対峙する決闘は愁の思惑通り、時間を稼ぐことに成功をしていた。


(あとはこのまま、彼が現れるのを待つだけだけれど)

 

 もし廉造がイグナイトを斬り殺してしまえば、さすがに衝突は避けられまい。

 ピリル族、魔族の怒りは頂点に達しようとしている。

 今はもうきっかけさえ訪れれば、弾けてしまうだろう。

 そのひとつが決闘の五人抜きであることは間違いない。

 

(さすがにもう、引き伸ばすのは無理かな)

 

 期待を寄せすぎたか。

 勇者イサギにでも、できることとできないことがあるのだ。

 愁は認めるより他ない。

 ……あのカリブルヌスを討ったイサギなら、と思ったのだが。

 

(……この戦いで負けてしまったら、さすがに失脚は免れないだろう)


 愁が小さくため息を付いたその時。

 馬が現れた。

 

 土煙をあげるぐらいの勢いで疾走する馬。

 最初は暴れ馬かなにかかと思ったが、違う。

 あれは魔族帝国の所有する軍馬だ。


「……なにかしら?」


 そばに立つアマーリエが目を凝らす。

 その背に乗っているのは、ひとりの男。


 まさか、と愁は目を見開いたが。

 違う。

 

 あれはイサギではない。

 現れたのは――。


(なぜ彼がここに?)


 魔族国連邦、魔王。

 ――小野寺慶喜。


(……彼が、なにをしに?)


 愁が眉をひそめる。

 久方ぶりに見たその姿は、あらゆる意味でみすぼらしい。

 切れ端のような服に、ホコリまみれで煤けた顔。眼鏡をしていなかったけれど、ひと目でわかる。少し痩せたか。筋肉はついたようだ。


 だが、まるで場違いだ。

 この場にいるものは皆『覚悟』をしている戦士だけだというのに、

 そんなところに、丸腰で乱入して来るとは。

 なにをしようとしているかは、知らないが。


(……戦争を回避させようとしてくれるなら、僕は大助かりだけど。

 ただの偽善で綺麗事を吐くためにやってきたのなら、それはきっとこの場では通用しないよ)

「……で、誰?」


 小首を傾げるアマーリエの隣。

 愁は怜悧な目でそう判断する。

 

 誰にも歓迎されず、期待されず、予想もされていなかったその男は、

 戦場を真っ二つに引き裂くように、イグナイトと廉造の決闘に割って入っていった。

 


 

「待って! 待って!」

 

 馬を操り、火花を散らす男たちの間に乱入した慶喜。

 それは決闘を見守り続けていたものたちにとって、明らかな冒涜的な行為には他ならなかった。

 慶喜はたやすく彼らの視線を踏み越えたのだ。


「この戦い、ストップ! ストーップ!」

「……」

 

 剣士たちの間で馬を止める慶喜。

 両腕を広げて、皆にわかるように制止の姿勢を取った。

 彼の声は昔に比べて、よく通るようになった。

 大勢の中にあり、それだけが慶喜の持ち得ていた前提条件だ。

 

 慶喜を下から睨みつけるのは、廉造。

 

「ヨシ公」

「れ、廉造先輩、良かった、無事で」

「テメェ、なにしに来たンだ?」

「え?」

 

 底冷えするような冷たい言葉であった。

 普段会話する廉造とは、まるで違う戦士の声。

 教師に恫喝された生徒のように、ノドが詰まる。

 

「ぼく、は、戦いを止めるために」

「後にしろ。話はコイツを斬ってからだ。

 イグナイトは死ぬつもりでオレに剣を向けてやがる。

 だったら、ぶち殺してやらねェとな」

「ま、待ってくださいよ!」

「っせェな」

 

 邪魔そうに首をひねる廉造に、慶喜は決死の思いで食らいつく。


「そ、そんなに殺しがしたいんすか!」

「――あ?」

 

 その言葉、廉造の逆鱗に触れる。

 地竜将の顔つきはより険しく、発散される殺気は濃くなった。


「ヨシ公テメェ、それオレに言ってンのか?」

「あ、いや、あの」

 

 たやすく怖気づく慶喜。

 手綱を握る手が震えて止まらない。

 近づいてくる廉造が怖くて仕方ない。

 

 振り返る。

 イグナイトはまるで慶喜が眼中にないように、構えを崩していなかった。

 影のように潜み、常に廉造だけを警戒している。

 

 間に挟まれて。

 なんとなくこうなるような予感はしていたのだ。

 この世界の掟はやはり、常に力が先に立つのだから。

 

 だったらまずは言うことを聞かせなければならない。


 慶喜は自らがこの場にふさわしい存在であるのだと。

 その実力を示した。


「ぼくは!」

 

 彼の全身に刻まれた文様が赤い輝きを放つ。

 慶喜を中心として風が巻き起こり、音よりも騒々しきコードがギロチンのように平野をふたつに割った。

 

「……あァ?」

「……」

 

 恐らくは誰も見たことがないコードだろう。

 この法術を知っているのは、アルバリススにおいてふたり。

 キャスチと慶喜のみである。


 巻き起こるどよめきの中、発動させるのは『極大法術』。

 それはキャスチが名づけたものだ。

 

 これまでの法術とは一線を画する、まったく別の次元に位置する法術。

 現状『万魔棄却』を除いては実用段階に至っていなかったはずだったのだが。

 ここにいる禁術師はそのあらゆる未熟さによる不足分を、ただただ己の魔力のみで補った。


「魔族国連邦! 魔王! 慶喜!」


 顔に走った刺青がまるで亀裂のように慶喜の両頬に浮かび上がる。


 発動された『障壁』はその場で形を変えながらより巨大化していく。

 極大級。一軍の進撃を食い止めるほどの高さと長さ、そして厚さを誇るものだ。

 それは壁というよりは、もはや輝く長城――。

 廉造やレ・ヴァリスの操るものが戦術級魔術ならば、これはまさに戦術級法術と呼ぶべきだろう。

 何分間維持できるのかわからないが、見事なものだ。

 

 二軍を東西にわけ、その中央に立つ慶喜に誰もが注目した。

 

 愁や廉造、アマーリエ。

 それに対するイグナイトやデュテュでさえ、次なる言葉を待った。


 禁術師であり、デュテュと並ぶもうひとりの正統なアンリマンユの後継者。

 彼は右手を掲げ、そこに『邪眼バロール』を握りしめて。

 

 慶喜は全身全霊で叫ぶ。

 これが最後であるように。

 

「真・魔族帝国の二代目魔帝――を名乗るデュテュさん!

 魔族国連邦はその離反を認めない! その独立を承認しない!

 あなたたちは、ただの我が国の一党だ!

 今すぐに矛を収め、本国に逃げ帰るといい! 後のことはぼくがやる!」

 

 真っ赤な顔で、金切り声で。

 暗黒大陸を統べる王は、なりふり構わず。


 その残響が平野から消え去ってしまうよりも前に。

 

「ピリル族のものたちも、聞け!

 ここにあるのは長の証『邪眼バロール』!

 ぼくがこれを持っているということが、どういうことかわかるな!?

 レ・ヴァリスはもう戻っては来ない!

 おまえたちの反乱は――失敗したんだ! ぼくの声に従え!」

 

 二度目の叫びは、さらに大きな力を持っていた。



 慶喜はずっと考えていた。

 牢屋の中でただひとり、時間だけはあった。

 どうすれば戦いを止められるのかと。

 慶喜は何週間も思索していたのだ。

 最後のひと押しは、イサギのくれたこの紋章だった。

 

 慶喜の言葉は両陣営に波紋を呼んだが、中でも衝撃が大きかったのはピリル族だ。

 まさしく魔王慶喜が長の証を手にしていたからである。

 指導者を欠いた彼らに徐々に混乱の輪が広がってゆく。


 レ・ヴァリスが負けたとは信じられない。

 だが現に彼はここにはいない。

 あの魔王はかつて和平の使者として訪れ、レ・ヴァリスに敗北して捕らえられたものであったのだが。

 それを知っているものは、もはやほとんどがいない。

 レ・ヴァリス直属の親衛隊は皆――イサギに斬り殺されたからだ。

 

 だから、慶喜の前。

 姿を現したのは、その人物以外にはありえなかった。

 

「魔王ヨシノブ。

 わたくしにそのような詭弁は通じません」


 凛として響く管楽器のように。

 彼女の言葉は一瞬にして平野の混沌を飲み込んだ。

 

 魔帝デュテュ。

 ――慶喜はついに、彼女を引きずりだした。




 一対一。慶喜とデュテュ。

 それぞれのそばには廉造とイグナイトが、まるでボディガードのようについている。

 

「チッ」

 

 舌打ちする廉造は剣を鞘にしまう。

 どっちみち、この障壁がある以上、イグナイトとは戦えない。


 デュテュは馬上の慶喜を見上げながら。


「――魔族国連邦の魔王ヨシノブ。

 わたくしはゴールドマンを通じて、魔族国連邦議長のメドレザに独立宣言をいたしました。

 そうして暗黒大陸を去ったのです。あなたの妄言にはなんの実行力もありません」

「ぼくはそんな話は聞いていない。

 それに、きみの心変わりは早過ぎる。

 たった400の手勢とともにスラオシャ大陸に乗り込んで、全土を制圧できるだなんて普通は思わない。

 思惑を疑うのは当然だよ」


 デュテュは表情一つ変えずに、淡々と告げてくる。


「わたくしたちの目的は以前にお話しした通り。

 この地を焼きつくし、立ちはだかるものを打ち潰す。

 それこそがかつて世界の8割を支配した魔族帝国の旗印です。

 ピリル族はその理念に賛同をしてくださいました。

 あなたが長の証を持っていようと、もはや我々の心はひとつです」

「それは――」

 

 その言葉に、ピリル族たちも聞き入っていた。

 デュテュとレ・ヴァリスは同士だった。だからこそ、ピリル族はデュテュの言葉にも従ってしまう。


 だめだ、このままでは。

 デュテュ自身を納得させなければ。

 ――戦いは止まらない。

 

「――っ、そんなことをして一体どうなるっていうんだよ!

 たった400人と2000人の兵士で、ひとつの国が築けるものか!

 そこに人民がいない! 法がない! パンだって作れないのに!

 奪い取って焼き尽くした土地の上で、なにをするっていうんだ!

 きみたちの国家論に、先などないよ!」

 

 慶喜はデュテュに問う。

 立派な魔王であるように、荘厳な言葉遣いを心がけてみたけど、もう化けの皮は剥がれた。

 それでも、怒鳴らずにはいられなかった。

 デュテュがまるで動じずに自殺志願者のようなことを言うのなら、慶喜が怒鳴るしかないではないか。

 

「ひとつの国を作るためには、ひとりがいれば十分です。

 思想こそがわたくしたちの理念です。

 先など、生き続けていく中にあるものでしょう。

 20年前の魔帝戦争以来、わたくしたちの尊厳は地に落ちました。

 ゼロにすることなんて、できません。

 今でもどこかでエルフやわたくしたちの仲間が虐げられている現実から目を背けるのですか?」

「それは、全部これからじゃないか!

 少しずつ前に進んでゆくために、頑張ろうって言ったじゃないか!」

「やりすぎた人間族になぜわたくしたちが再び頭を垂れなければならないのですか。

 名誉を取り戻し、過去を清算しなければ、どうして進むことができましょうか」

「それはしがみついているだけだよ!」

「あなた方は目を瞑っているだけです」

 

 この、頑固者――。

 思わず慶喜は悪態をつきたくなってしまう。

 

 話はどこまでも平行線。

 デュテュを前にしても、なにも変わらない。

 

 慶喜の意識が徐々に遠ざかってゆく。

『極大法術』を維持し続けるだけの魔力が足りないのだ。

 このままでは意識を失ってしまう。

 会話に集中ができなくなりつつある。一体彼女がなにを言っているのか、もうすぐわからなくなるだろう。

 せっかくふたりの舞台を整えられたのに。

 

 でも、この『極大法術』が弾けてしまえば、戦が始まってしまうかもしれない。

 このままでは、だめだ。

 道理でデュテュを説き伏せられるのなら、誰かがとっくにやっている。

 彼女を突き動かすのは、そんなものではない。

 

 いい。わかったよ。

 慶喜はもう、決めた。

 デュテュがその気なら。

 慶喜だって。


 ここが舞台だ。

 表でも、裏でもなく。

『清水の舞台』なんだ。


 ――飛んでやる。


 なにもかも投げ捨てて。

 デュテュと廉造が殺し合うよりは、そのほうが万倍もマシだ。

 慶喜は、腹をくくった。

 なりふり構わないって決めたから。

 

 ゴールドマンに立ち向かったときのように。

 慶喜の一世一代の決心だ。


 だから叫ぶ。

 思いが彼女に。

 届きますように。


「ぼくには、好きな人が、いるんだ!」

 

 ――慶喜は唐突に、そんなことを叫んだ。



 辺りは先ほどよりも騒然としている。

 魔族、ピリル族、人間族、ドラゴン族。

 多様な一族の見守る中、突如として魔王が告白を始めたのだ。

 大観衆の総数は一万人に迫る。

 狐につままれたような顔をする彼らの前、慶喜は声を振り絞った。


「ずっとぼくを、ぼくのそばで支えてきてくれた人なんだ!

 ぼくはその子のことが好きだ! 大好きだ!

 愛している! すっごいもう! らびゅー!」

 

 人々が静まり返ってゆくのが、慶喜にはわからない。

 もう魔力の枯れかかった男は、いっぱいいっぱいであったからだ。


「まだちょっと小さいかもしれないけれど、すごく優しくて、

 しっかりしていて、立派で、働いていて、頭が良くて、

 もうとんでもなく可愛くて、笑顔が素敵で、照れ顔なんてたまんなくて、

 最近ちょっとぼくのことも気に入ってくれているんじゃないかって感じで、

 今まで女の子とお付き合いなんてしたことなかったぼくが、

 初めて心から好きになった女の子なんだ! ロリシアちゃん!」

 

 叫ぶたびに熱が溢れて、一度走り出した想いはもうとまらない。

 慶喜は身振りを交えながらも叫ぶ。


「ロリシアちゃんはホントにすごいんだ。

 近くにいるといつもドキドキするし、構ってくれると嬉しくて、

 名前を呼ばれたら胸が高鳴って、香りなんてもうやばくて!

 離れていると今なにをしているのかなぁって考えて止まらなくなって、

 城の中でもいつだって彼女の姿を探していたんだよ!

 ずっとずっとぼくのそばにいてほしいって、心から思うんだ!」


 デュテュと目が合ったから、慶喜は笑ってやった。

 彼女は怪訝そうに眉をひそめる。構わない。やめるつもりもない。


 彼女の、あの少女の心さえ伝えられるのなら。

 それこそが、慶喜の願う『平和』だから。

 

「ぼくの大好きなロリシアちゃんは、戦争で家族を失ったんだ。

 冒険者のせいで、すごく、とても悲しい思いをしたんだ。

 そんなことされるいわれなんてなかったのに、本当にひどい話だと思う」

 

 わずかにトーンダウンさせるものの、言葉に込められた感情はむしろ倍増していた。

 世界中に届くように語る。


「ロリシアちゃんはすごく優しいから、こんなぼくにも手を差し伸べてくれて、

 おまけに『喜びも悲しみも分かち合って』なんて言ったけれど……。

 でもさ、いやなんだ。

 ぼくが情けないから、ロリシアちゃんはそんなことを言ってくれるけど。

 ほんとは、ほんの少しの悲しみも、ぼくはわけたくなくて。

 ずっとずっと、笑っていてほしいからさあ。

 ロリシアちゃんを苦しめるようなものを、この世から全部消しちゃいたいんだ!」


 長くは喋れないのなら、その分だけ力を込めて。

 ゴールドマン戦だって結界法術にすごく魔力を注いでしまったから。

 いつ気絶してしまうか、わからないけれど。

 あとは意地だ。男の子の。


「デュテュさん、ううん、戦いに来ているみんなに聞いてもらいたいんだ。

 みんなにだって、大事な人がいるんでしょう。

 悲しませたくない、傷つけたくないって人がさ。

 そんなんじゃなかったら、誰かのために戦おうだなんて思わないよ。

 ぼくはロリシアちゃんのために、未来を作るよ。

 絶対に、ロリシアちゃんにつらい思いなんかさせない。

 だから、ロリシアちゃん、もしよかったらぼくと一緒になって――」

 

 と、そのときようやく気づく。

 違う。そうではない。

 この場にいないロリシアに求婚したところで仕方がない。

 完全にズレていた。


 白けた視線を感じながら、慶喜は改めて言い直す。


「だからみんなもさ――」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……」

「……」

「……ロリシア」

「待って」

「……ロリシア?」

「いや、あの、ごめんなさい。

 でもその、待って、ください。

 今ちょっと、胸が……」

「……」

「……なんだか、苦しくて」

「……」


 もう戦場は、すぐそこだ。


 ようやく追いついたと思ったら、そんな声が聞こえてきて。

 馬を走らせるシルベニアに抱きつきながら、耳まで真っ赤に染めたロリシアは俯いて。


 誰にも聞こえないよう、漏らす。


「……ばか」

 

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