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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:9 意志断つ剣は、誰が為に
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9-11 Re:Re:

 二人目のピリル族の腹を爆散させたところで、三人目に現れたのはピリル族の若者。

 レ・ヴァリスと同じ拳師に師事したという男は、廉造を手玉に取るようにステップを踏む。


「まさかこの俺を引き出すとはな。だがその槍の能力と間合いは見切った。

 宣言しよう、お前は俺に触れることなくその生を終えることになる、とな――」

 

 そう告げた彼は、廉造に触れることなく上半身を吹き飛ばされて死んだ。

 これで無傷の三人抜き。

 四人目に至るまで、廉造は未だ煌気を使っていない。

 右手に握った爆槍スワヒラただ一本で勝ち進んでいる。

 

「ピリル族の精鋭ってのは、テッペンとずいぶんな差があるモンだな。

 こんな烏合の衆しかいねェンじゃ、あの『最強』の覇王サマも悩みの種だろ」

 

 焔の暴君。

 今の廉造からは、そんな圧倒的なプレッシャーが撒き散らされている。

 離れていても噛み殺されてしまうような凶暴さだ。

 その戦意はピリル族たちを飲み込んでいるようにさえも思えた。


 遠巻きに見守りながら、選抜入りを認めてもらえなかったアマーリエはつぶやく。


「すごいわね、あの人……」

「まあね」

 

 頬に手を当てながらうなずく愁。

 禁術師なのだから、あの程度は戦えてもらわないと困る――というのが愁の冷静な見地。

 もっとも、愁と廉造の他に『もうひとり』いる封術師がここまでできるとは思わなかったが。

 あの勇なき男は噂では魔族国連邦の魔王になったそうだが、恐らくはお飾りなのだろう、と愁は思っている。

 人の本質というのはそう変わるものではないからだ。


 一方、以前に空中で戦線を共にしたものの、

 その廉造の戦いっぷりを知らないアマーリエは、まるで見惚れているようだ。


「さすが地竜将……。

 ドラゴン族って本当に強いのね」

「別にドラゴン族の個体能力が並外れているわけじゃないよ。

 彼は僕が知る限り、このアルバリススで十指に入るほどの実力者だ」

「そうなのね……。

 ……やっぱり、あの仮面になにか秘密が……

 仮面をつけているからなら、あたしも仮面をかぶれば……?」

「……」


 口元に手を当ててぶつぶつとつぶやくアマーリエに、なんだか嫌な雰囲気を感じつつ。

 愁は「……けど、もう少し引き伸ばしてくれると助かるんだけどな」とうめく。

 なんのためにこの決闘に賛成したと思っているのか。

 まったく、思い通りにはならない男だ。



 四番目に歩み出てきたのは、同じくピリル族の百獣長。

 顔に虎のような傷跡を持つ彼もまた若い。レ・ヴァリスと同じくらいの年か。


「ブランデルやグラスと違う。俺は」

「なんだっていいがな」


 肩に槍を担ぐ廉造の目は退屈と暴悪が混ざり合い、赤く染まっている。

 

「ちったァ手応えを感じさせてくれよ。

 こんなんじゃ、ひとりでトレーニングしているのとなにも変わンねェ」

「……」

 

 死者を冒涜するようなその言葉に、彼の口からグルルと唸り声が漏れる。

 右足を前に大きく突き出し、姿勢を低くし、両手を交差させる奇妙な構えだ。

 これもまた、『咬拳』のひとつなのだろう。


「狩猟は常に『速さ』との戦いだった。

 追いかける獲物を捕まえるための脚力。それこそが最も肝要。

 我らピリル族の血に流れる脈々なる掟。

 すなわちそれこそが速さ。

 ピリル族の速度を超える一族は、この大陸にはいない」

「あァ?」

 

 廉造はふてぶてしく仮面の下の口を歪ませた。

 それこそまるで――獣のように笑う。


「テメェの親が、爺ちゃんがなにをやっていたかなんて知らねェよ。

 それだけ『速い』っつーなら、チンタラ能書き垂れてねェで、かかってこい」

「――」

 

 次の瞬間。

 まるで雷光が走ったかのように廉造は感じた。


 身を屈め、跳躍し、男の爪が廉造の肩口を抉った。

 肉片が飛び、血が噴く。

 気づいたそのときには、ピリル族は廉造の後方に着地していた。

 

「――俺は百獣長、ディノグリス。

 ダ・ディノグリスだ。お前の槍は俺には当たらない」

「うぜェ」

 

 廉造は頭上で槍を振り回し、炎を生み出す。

 たなびく焔の行方を、注意深く観察するディノグリス。

 同時に廉造は法術を唱出していた。自分の全身を覆うものだ。

 その直後、廉造は槍を地面に突き出す。爆発が巻き起こった。


「……」

 

 巻き上がる粉塵。

 ただの目眩ましであると、ディノグリスは推察。

 土煙と黒煙の範囲から飛び退き、廉造の動向を窺う。

 狩猟に必要なものは『速さ』であり、獲物を観察するその目だ。

 

 煙の中から、廉造は槍を前に突き出すようにして飛び出してきた。

 意表をつくような動きであったが、それはあまりにも遅い。


 あの一撃を躱し、喉元を掻っ切ればそれで終わりだ。

 人が生き物を殺すときに必要なものは、そう多くない。

 そしてそのすべてを、ディノグリスは極めているのだ――。


 廉造の一撃をギリギリの距離で避けるディノグリス。

 爆発が起きるよりも早く、腕を振るう。

 鋭爪一閃。

 確かな手応えを感じた。

 廉造の首は斜めに傾き――そして、その体が突如として弾け飛ぶ。


 ディノグリスはなにが起きたかわからず、唖然。

 その一瞬が勝敗をわけた。

 

「――!」

 

 ミラージュランペイジ。

 かつて廉造がレ・ヴァリスに放った、自らの模造を創り出す晶剣技だ。

 煙幕はこのためだったのかと気づいたときにはもう遅い。

 出現した幻影の刃がディノグリスの180度、全方位から襲いかかる。抜け出せない。


 まず右腕が奪われた。根本から切断されてゆくそれを見ることなく。

 そこからのディノグリスの反応は凄まじかった。

 数百に及ぶすべての刃を、紙一重で避け続ける。

 死角から出現するそのすべてを、だ。

 魔刃をかいくぐるディノグリスは、直接トドメを刺すために剣を抜いてこちらに向かってくる廉造の姿を見た。

 

 廉造の口が動く。なにを言っているかはわからない。

 だが――。

 この身が砕けても、あの男を殺す。

 ディノグリスの頭の中にあるのは今、ただそれだけだった。


「あがああああああああ!」

 

 狂奔に支配され、雄叫びをあげる。

 蛇が岩の隙間に身を滑り込ませるように、ディノグリスは刃の牢獄から無理矢理抜け出した。

 代わりに左足を失う。構わぬ。一矢報いられるのなら。

 廉造が立ち止まり、驚愕の表情。もう遅い。残った左腕を繰り出す。

 花びらを散らすように、廉造の首から上が吹き飛んだ。

 相討ち――。

 ならば良い。


 ――だがそうではなかった。

 ふたつ目の幻影が眼前で弾けるとともに、ディノグリスの表情が絶望へと変わった。

 そして三人目の廉造が空から迫り来る。

 絶叫とともに拳を突き上げるディノグリス。

 すでに刃はその身をズタズタに引き裂き――。


 ――三番目の幻影が、その男を細切れにした。



 煙の中から悠然と現れた廉造は、右手に晶槍を、左手に晶剣を持ち、まるで修羅のような有り様で周囲を睥睨する。

 

「次でラストだな」


 ミラージュによる幻影の刃はそれひとつを発生させるためにも、莫大な魔力を消費する。

 その扱いは、非常に感覚的なものだ。水が合わなければ決して使いこなすことはできない。

 その上、剣閃を束ねて集めて人ひとりを具現化するなど、たとえS級の冒険者といえど、生命を捧げなければ不可能な領域だ。

 それを同時に三つ――。


「いやはや、やるものだよ」

 

 愁もため息をつく。

 幻影の数は現時点で三人。だがそれが最大具現数ではないだろうと愁は思う。その気になれば一体何人まで出せるものか。

 

 ミラージュを完璧に操りながら、同時に爆槍スワヒラを扱い、さらに魔術と法術もトップレベル。そして恐らく――それ以外にも切り札を持つ。

 現地竜将にして、一年前は暗黒大陸奪還において、その名を世界に知らしめたS+級討伐対象、封術師レンゾウ。

 彼はこれからまだまだ強くなる。その予感があった。


 もし彼を破る手段があるとするならば……。


「……いやいや」

 

 無意識に彼を倒すための算段をつけている自分に気づき、愁は口元の笑みを手で隠す。

 そんなことを考える必要はないのだ。今は肩を並べて戦っているのだから。


 代わりに声をかける。


「どうだい廉造くん、そろそろ変わってあげてもいいんだよ」

「冗談だろ。まだウォーミングアップも済んじゃいねェぜ」

「病み上がりだろ? レ・ヴァリスにやられた傷がそろそろ開いてきたんじゃないかい」

「ンだな、愁。怪我人は引っ込んでろよ?」


 はは、と乾いた声をあげる愁。

 その目は笑っていなかったけれど。


「けれど五番目の大将は、ようやく本命が登場するようだ、廉造くん」

「あ?」

 


 最後の男は、彼だった。

 黒い肌に鍛え抜かれた体。魔族。

 

 魔帝デュテュのつるぎ。

 魔族国連邦、最強の剣士――イグナイト。



 

 イグナイトが思い出すのは、この戦いに来る前に会った男のことだった。

 決して曲がらず折れず砕けぬ男。


『どこへゆく? イグナイト』

『……なぜそんなことを聞く』

 

 剣を帯びたイグナイトの後ろ姿に声をかけるのはイサギ。

 イグナイトは肩越しに振り返る。

 彼はわずか一週間で驚くほどの回復力を見せていたが、まだ立ち上がるのがやっとのようだ。


『決意をした男の顔をしているから、さ』

『……』

 

 ベッドに腰掛けながら自らに治療法術をかけ続けているイサギを見る。

 

『……先ほど報告があった。

 ブロンズリーの冒険者たちがこのハウリングポートに進軍を始めた、とな』

『……へえ』

 

 眉をひそめるイサギ。

 

『私も軍を率いて戦うことになるだろう。あちらにはレンゾウ殿とドラゴン族もいる。決して容易な戦いではないだろうな』

『……それでも行くのか』

『行くさ。そこにデュテュさまがいるのなら。

 私の剣はあの方の未来の為にある。

 惜しむらくは、貴公の前にデュテュさまをお連れできなかったことだが……』

『……俺は、こんなところでなにをしているのか』

 

 イサギは悔しそうに俯いた。

 イグナイトは驚き、聞き返す。


『……貴公は、レ・ヴァリス、ゴールドマン、シルベニアの三人を相手に戦い、それでもレ・ヴァリスを追い詰めたのだ。

 信じられぬような強さだった。だというのにまだ悔やむのか……?』

『誰が相手でもだ。……俺は負けられなかった』

 

 イサギは目を伏せながら。


『俺が負ければ誰かが死ぬ。俺は常にそういう戦いを続けてきた。

 お前と同じだよ、イグナイト。俺だって守るもののために戦っているんだ』

『……貴公の守るべきものとは?』


 興味にかられて質問するイグナイトに、イサギは言った。


『――この世界』


 なんと大きな男か。

 イグナイトはそのとき、電撃を浴びたような感銘を受けた。

 

 デュテュのためだけに戦い、デュテュを守るために尽力を注いできたイグナイトにとって、イサギの言葉はあまりにも大きかった。

 だから、イグナイトは思ったのだ。

 自分にも、あるいはデュテュのために、本当にやるべきことがあるのではないかと。

 なぜ諦めて、黙りこんでいたのだろう。

 デュテュのそばにかしずき、そんなことで満足をしていたのか!

 あの男――イサのように、なりふり構わず生きてみればいいのではないか。


 だから――。


「この時を待っていた。

 そなたとその冒険者ギルドより使わされた男を倒せば、軍は瓦解するだろう。

 これは千載一遇の好機だ」

「オレと殺し合う気か、イグナイト」

 

 目の前に立つ男はあまりにも強大。

 アンリマンユと同等の力を持つ封術師レンゾウ。

 決意をしたところで、実力の差は揺るぎない。

 覚悟や勇気程度では埋められない。


「19年。デュテュさまがまだ赤子だった頃から私はおそばにお仕えさせていただいていたのだ。

 あの方がどんな砂糖菓子を好み、どんな歌を聞いて、どんな方に恋をしたのかすべて知っている。

 あの方に生きていてほしいと、私のすべてが叫んでいる。それがどのような道であろうとも、だ」


 剣を抜くイグナイト。

 何の力もない銀鉄の剣。

 だがそれはイグナイトを支え続けた、決して折れず砕けぬ愛刀。


「……ンで?」


 燃える気炎を背負い、対峙するふたりの男。

 そこにもう、言葉は要らぬ。


「……魔帝アンリマンユさまのご令嬢たるデュテュ=ファイナリテ=ベロネーミアさまに狼藉を働く悪逆無道の輩を成敗致す」


 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 二頭の駿馬が街道を駆けてゆく。

 景色を置き去りにして、何よりも早く、早くと地を蹴る馬。

 

 イサギとシルベニア、それに慶喜とロリシアが乗る馬だ。

 速度は限界を越えている。馬に治癒法術をかけながら、必死に向かう先は戦場だ。


 遠くからは散発的な爆音が響いてきている。

 それがまるで誰かの命が弾ける音のようで、耳にするたびに心臓が傷んだ。


 かつてイサギとシルベニア、ロリシア、イグナイト、そして慶喜で辿ったブレイブリーロード。

 勇者イサギが進撃した道を今はただ、がむしゃらに駆け抜けて。

 

「この調子なら、あと少しでつく……!」

 

 手綱を握るイサギは先ほどから荒い息をついている。

 跳ねる馬の速さに身体が悲鳴をあげているのだろう、と彼にしがみつくシルベニアは思っていた。

 彼女もまた、命を削りながらイサギに治癒法術を唱えているのだ。


「デュテュ……」

「……ああ、大丈夫だ、シルベニア。

 どちらの陣営も殺させない。これ以上の戦争はまっぴらだ」

「……」

 

 シルベニアは俯き、口を閉ざす。

 髪を引っ張るような強い風が、シルベニアの後悔も懊悩もすべて吹き流してくれればいいのだが。


 そんな道の先。

 ようやく森を抜け、ベリアルド平野が望める位置までやってきたのに――。

 

 ――そんな道の先。

 立ちはだかる『ひとりの男』がいる。


 イサギも慶喜も、気づいて同時に馬を止める。

 いななきながら速度を落としてゆく馬も、まるでなにかに怯えているようだ。


 やがて二頭の馬は完全に停止をした。

 まるで見えない壁に阻まれているかのように、彼らの足が動かない。


 違う。

 畏れているのは、道の先の男をだ。

 

 

 馬を降りたのはただひとり、イサギ。

 彼はそれを『宿命』だと認識した。


「シルベニア、手綱を任せたよ」

「イサ……」

「大丈夫だ、心配するな」


 無理だ。どう見ても彼が平常だとは思えない。

 その目にシルベニアが見えているかも怪しいのだ。


 だがイサギがシルベニアの助言を聞くことはないだろう。

 彼の顔にもはや迷いはないのだから。


「せせせせんぱい……あ、あいつ……」

「ああ、わかっている」

 

 馬上で震え上がる慶喜の言葉に、静かにうなずくイサギ。

 イサギは仮面をずらすと、その奥にあった眼帯を外して握りしめる。


「慶喜。ここから先はお前がいくんだ」

「え、え?」

「お前が戦いを止めるんだよ、慶喜。

 これは、魔族国連邦の魔王であり、この証を持つお前にしかできないんだ。

 俺にはできないんだ。お前じゃないとだめなんだよ」

「これは……?」

 

 その古びた眼帯には、ピリル族の紋章。

 道の先に立つ男によく似た姿をした――金獅子を象った魔晶。


「そいつがあればピリル族はお前に従うさ」

「で、でもこれ、なんか大切なものなんじゃ」

「だからだよ」

「ええっ」


 イサギが放り投げたその魔具『邪眼バロール』を、慶喜は大事そうに受け止める。

 慶喜はすでに泣きそうだ。


「ぼ、ぼくひとりで、戦争を止める……?」

「ああ」

「そんなの……」

「できるさ」

 

 イサギは慶喜の乗る馬を撫でる。

 ただそれだけで、先ほどまで怯え切っていたその馬は、呪縛から解けたように目に輝きを取り戻した。


「ロリシアがついているんだ、できるだろ。

 なあ、ここで決めなきゃ男じゃねえよな?」


 イサギの言葉はロリシアに告げたものだ。

 彼がなにを覚悟して馬を降りたのか、ロリシアにはわかる。

 その身を犠牲にしようとした、ロリシアにだからこそ、わかる。


 だから。


「はい、わたしもそう思います。

 イサさまの言う通りです。

 ここで逃げるのは、そんな人はもう、知りません」

「ろ、ロリシアちゃんまで……」

 

 ロリシアはぎゅっと慶喜の背を抱く。


「ヨシノブさま、行きましょう。

 一緒に、今度こそ、デュテュさまの元へ」

「でも、ぼくの声なんて」

「届きます、必ず」


 誰よりも彼女が慶喜に断言した。

 それを見て、イサギはゆっくりと馬から離れてゆく。


「聞こえます。皆、あなたの言葉に耳を傾けます。

 ですから、ヨシノブさま。

 魔王の責務を、果たしにゆきましょう」

「……責務?」

「ええ」


 ロリシアはうなずき、彼に告げる。

 それは戦うことではない。

 誰かを殺すことではない。

 何かを壊すことではない。


「自国の民を、守ることです」

 

 それが魔王の。

 すべての『王』の有り方だと、ロリシアは説く。

 

「守る……」

「はい」

「戦わずに……?」

「はい」

 

 ロリシアは慶喜のためだけに微笑む。

 優しいだけの男に。

 いいじゃないですか、と。

 優しいのだから。


「……」

 

 ロリシアに体を預けられ、

 拳に眼帯を握り締めながら、慶喜は。


 慶喜は。



 



 二頭の馬の走り去っていった方向に首を傾け、レ・ヴァリスは牙を剥いて笑う。


「良かったのか? 邪眼をあんなやつに託しちまって」

「あいつを悪く言うなよ。

 ああ見えて、なかなか大したやつなんだ」

「だが、それじゃあ俺様の破術に対抗はできぬぞ」

「いいさ。どっちみち今の俺の身体では、大した技は使えない。

 反作用に耐えられないんでね」

「は! そんなんでひとり残ったってか。

 大した魔王サマだぜ」

「お前だって、よくあいつらを見過ごしてくれたな。

 馬は獣同士、同族だから殺せないか?」

「くだらないことを抜かすな。

 これは貴様への借りを返しただけだ。

 横槍の分をな」

「忠犬かよ。義理固いこって」

 

 イサギは天を仰ぐ。

 青空がどこまでも広がっている。

 

 辺りは遮るもののない平野。

 吹き抜ける風は涼しく、気持ちがいい。


 いい日だ。

 とても、どこかで戦争が起きているとは思えないような。


「……なんで俺が来るってわかったんだ」

「わかるとも。破術の波動を感じたからな」

「そうかい。大した鼻だ。

 つか、王様が軍を離れてひとりでなにやってんだか」

「時間稼ぎをさせているところだ。

 問題はない。貴様を殺し、すぐに戻るさ」

「……面倒くせえ野郎だ」

 

 ただのイサギは吐き捨てるようにつぶやく。

 腕を組み、仁王立ちのレ・ヴァリスはイサギを見据え。


「貴様がどのような身であろうと、もはや構わぬ。

 ここでその命、間違いなく殴り潰してくれる」

「ああ、そうかい。

 勇ましいもんだ」


 覚悟は済んでいる。

 なにもかも、だ。

 

 けれど、今はこの瞬間を味わっていたかった。

 それもただの感傷だが。


 イサギは顔を抑えて、目を細めて。

 うめく。


「この空、あいつもどっかで見てんのかなあ……」

「あ?」

「なんでもねえよ」

「んだよ」

「うっせえな。

 ――ちと、思い出しちまっただけさ」


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