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勇者イサギの魔王譚  作者: イサギの人
Episode:9 意志断つ剣は、誰が為に
100/176

9-5 グッドルーザー

 ――負けた。

 彼が負けた。

 

 彼が残した背負い鞄を抱きしめながら、彼女は走る。

 負けてしまった。


 信じたくはないのに。

 でもこの目で見てしまった。

 

 ブロンズリーの街を彼女は駆ける。

 何度転びそうになっても構わず、そのままに。

 

 もはや疲労はピークに達しており、平衡感覚もろくに機能していないが。

 それでも走る。汗を流し、さらに早く。

 

 誰も、どこにも、自分以上に早く報を届けることはできないから。

 彼女は走る。ひた走る。


 鎧はとっくに脱ぎ捨てた。

 薄手のシャツとまとわりつくこともない丈の短いスカート。頑丈だが軽いブーツをただ鳴らし。

 

 ハウリングポートから受け入れた避難民が収容されている裏町を。

 時には地元の人間族も寄り付かないような路地を抜け、目的地へと一秒でも早く。

 

 そして健脚のメタリカはついに、そこへたどり着いた。

 ブロンズリー、冒険者ギルド支部――。

 

 ドアを押し開け、中のものたちの顔を確認すると彼女は待機していた冒険者達にぶつかり、謝りながらも急いで支部長室に向かい。

 バン、と扉を開け放つ。


 机に座り雑務をこなしていたアマーリエの姿を見たその瞬間――。

 ――メタリカは崩れ落ちてしまいそうになる。


「メタリカ!?」

「……リエ、ちゃん……」


 血相を変えて駆け寄ってくるアマーリエ。

 彼女に支えられて、メタリカの中にある張り詰めていたものが決壊した。

 腰砕けにその場にへたり込み、メタリカは息も絶え絶えに。

 瞳に涙を溜め、報告する。


「……イサさんは……

 あの人は、負けてしまいました……」

 

 その言葉、ブロンズリーに風雲急を告げる。




 

 左腕を吊った愁と、右半身を包帯で覆った廉造。

 そしてアマーリエ。それぞれが沈痛な面もちで立っていた。


 愁は支部長室の椅子に腰を下ろし、机越しにアマーリエを見やる。


「……メタリカくんの様子は?」

「今は、落ち着いているみたい。

 S級冒険者の治癒術師さんが、看護していてくれたから。

 さすがに、とうぶんは起き上がれないみたいだけど……」

「そうか」


 報告を済ませたメタリカは気絶するように倒れてしまった。

 体力の限界はとっくに越えていたのだろう。

 むしろここまでよく持ったものだ。


「でも、イサくんが……そんな」


 アマーリエは、心ここにあらずといった風だ。

 一同の間に流れる空気は重苦しい。

 改めて口を開いたのは、愁。


「しかし、あの『彼』がね……」

「……」

 

 愁が座る支部長室の机の上には、メタリカが届けてきたイサギの私物――背負い鞄があった。


「……やはり無理をしてでも、あの剣を届けてきたほうが良かったか。

 いや、メタリカにあの街の囲いは突破できない。

 奪われてしまえば、これ以上ない驚異になってしまっていたか……」

「……」

「参ったね、レ・ヴァリス、それほどの相手だったとは……。

 ……どうしたものかな。

 僕の元に集ってくれた多くの冒険者の名前を数え上げてみても、

 空中戦艦とレ・ヴァリス、そのふたつを阻止する手立てが見つからないな」


 ひとりごちる愁。

 その声には諦観の念がにじむけれど。

 傍目は、落ち着き払っているように見えていた。

 

 なぜかアマーリエはそのことに、若干の苛立ちを感じてしまう。


「この分だと、ライラやスコットの潜入工作や、

 ビッグ・B・クロケットたちの破壊活動も、失敗に終わったのだろうね。

 S級冒険者がここまで歯が立たないとなると、この世界の戦闘レベルは少し上がり過ぎだな……。

 いや、リヴァイブストーンが世界にもたらしていた効果が、それほどにすごかったということか。

 ……次の手をなにか考えなければ」

 

 愁は額に手を当てて、椅子に沈み込む。


 アマーリエは唇を強く噛んでいた。

 彼女はまだ現実を受け入れられないようで。


「嘘よ、そんなの……だって、あの人は……」


 落涙のような声に、愁はあえて感情を廃した言葉で告げる。


「同じ人間だよ、アマーリエくん。無敵というわけではない」

「でも、だからって!」

「月並みの言葉だけれどね。

 僕たちは彼の敗北を悼んでいる時間はないんだ。

 悲しむ前に考えなければならない。

 ブロンズリーの街の住人、それにハウリングポートから逃げてきた人たち。

 数千、数万人の命が僕たちの力にかかっているんだ」

「……そんなのわかっているけど、でも……っ!」

 

 アマーリエの気持ちは理屈では制御しきれない。

 誰もが予想だにしていなかったのだ。イサギが負けるなど。

 

 彼の戦いにより、ハウリングポートは半壊したのだという。

 孤軍奮闘を続けたイサギは、レ・ヴァリスと魔法師たちに襲われて、海に投げ出されたらしい。


 その場にいたならば彼の力になれたのに、とアマーリエは思うけれど。

 自分ではあのシルベニアという魔法師相手に、命がけで立ち向かい、廉造のサポートあってなお一矢報いるのが精一杯だった。

 悔しさと悲しさと、怒りと痛みが入り混じって、アマーリエの心はもう泥沼のようだ。


「そういえば先ほどね、ブルムーン国の国王アピアノスに謁見してきたよ。

 彼は国中から集めた騎士団8千を束ね、断固としてこの街を死守すると言っていたね。

 王なんてのは後方で震えているものばかり思っていたけれど。

 アピアノスは気骨稜々な人物のようだけどね。……まあ、勝てないだろうな」

 

 国王自ら指揮する騎士団は、さぞ勇猛果敢に戦うだろう。

 国を侵略者から守るための戦いだ。名誉に違いない。

 ブロンズリーの騎士は、20年前の魔帝戦争の折りにも、常に最前線で戦っていたという。

 他国と比べても練度が高いことで有名だが。


「レ・ヴァリスに率いられたピリル族は、その比ではない。

 族長の下の幹部、百獣長ですらA級やS級冒険者クラスの能力を秘めているという。

 文字通り、決死の覚悟で鍛錬を乗り越えてきた古強者ばかりだからね。

 ドラゴン族のようなものさ。それが2千。

 その上、魔族の術師が400だろう?

 正面からぶち当たったら、僕たちは蹴散らされる。間違いないな」

「……」

 

 そのとき、今までずっと黙り込んでいた廉造――アマーリエの前だから、仮面をかぶって正体を隠している――が扉へと向かい、無言で歩き出す。


「どこへいくんだい? 地竜将さん」

「イサが負けたンだろ」


 彼は当然とばかりに。


「なら決まっている。今度はこちらから打って出る番だろ」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 

 アマーリエが慌てて彼の進路を塞ぐ。


「彼が負けたのに、あたしたちがどうやったって……」

「なに言ってンだ? テメェ」

 

 廉造の目は迷っていなかった。


「イサが負けたってンなら、オレたちが戦うときだろうが。

 そのためにここに来たンだろ。なにをビビってやがる。

 それともなんだ? ベッドに頭を突っ込んで震えていようってのか?」

「それは……! でも……」


 煮え切らないアマーリエの態度に廉造は髪をかきむしりながらうめく。


「あー、うっせェな……。

 いいか? この状況はまだ望みがある。

 怖いのはレ・ヴァリスじゃねェ。

 あいつだって人だろ。なら必ず倒せる。

 っつーか、イサと戦って無事で済んでるわけがねェしな。

 問題は空中戦艦の方だ」

「え……?」


 怯むアマーリエに続ける廉造。


「オレたちは、空中戦艦が飛ぶ前に仕掛けなきゃなンねえ。

 でなきゃまた同じことの繰り返しだ。街を守り切ることは不可能になっちまう。

 だから、それには打って出るのが一番でな。

 防戦一方じゃラチがあかねェよ。

 こっちのドラゴン族だってだいぶ傷ついてンだ。

 ……ってンだよ、愁」

「いや、なんでもないよ」

 

 廉造の胡乱げな視線を浴びて、意味深に微笑む愁。


 正直に言うと、廉造がそんなことを言い出すとは思わなかったのだ。

 彼は暗黒大陸制覇の功労者のひとりだとは聞いていたが。

 愁の頭の中の廉造は、あの魔王城で暴れていただけの粗忽者で止まっている。


 そのせいで、愁はわずかに調子を狂わされたような顔をしつつも。

 

「……まあ、概ねそうだね。彼の言う通りだ。

 だからこそ、少し不安になってくるけれど」

「オイ」

「空中戦艦アンリマンユ。あれはとても厄介なものだ。

 できることなら完全に破壊しておきたい。

 よし、それならばすぐに手を打とう。

 イサくんがずいぶんと暴れてくれたおかげで、あちらも被害も相当なものだろう。

 この機を逃す手はない。冒険者も出よう」

「おう。ならドラゴン族にも支度をさせてくらァ」

「えっ、あ……

 で、でも数の不利はどうするの?」


 食い下がるアマーリエ。

 真・魔族帝国とピリル族の連合軍は2400。

 対するドラゴン族と冒険者は――あれから救援に来た人たちの数を合わせても――600しかいないのだ。


「900、900だ。簡単なことだろ」

「……え?」


 一瞬、廉造がなにを言ったかわからず、聞き返すアマーリエ。

 彼は自分を親指で差し、愁を顎でしゃくる。


「オレが900人、愁が900人ぶっ殺しゃいい。

 ンで、出てきたレ・ヴァリスを潰しておしまいだ。簡単な話だろ?」

「はは」


 今度は耐えられず、愁は笑ってしまった。

 

「なんだいそれ、面白いことを言う男だね。

 なるほど、そうすればいいのか」

「だろ?」

「――笑えないわよ」

 

 ただひとり、アマーリエがそのふたりのやりとりを前に、睥睨していた。



 

 廉造が出てゆき、部屋に残されたのはアマーリエと愁。

 アマーリエは胸を抑えながら、やはり顔を暗くしている。


「シュウくん……」

「わかっているよ、キミの不安も」


 愁は片手を掲げて仰ぐように動かす。


「ダイナスシティで王城を破壊したあの巨人を斬り裂いたのは、紛れもなく彼だ。

 僕だって本当に、人間離れした力だと思ったさ。

 それほどの男が敗れた相手だ。ただでは済まないだろう」

「……」

「けれどね、イサくんが負けたとしても、

 まだ人間族と冒険者が負けたわけじゃないんだ。あるさ、希望は」

「……そう、なのかな」

 

 アマーリエは首を振る。

 彼女はイサギによって命を救われて、イサギという光によって導かれた少女だ。

 その想いは尊敬を通り越して、もはや盲目ですらある。

 アマーリエが辛く厳しい修行に耐えられたのも、すべてイサギの力になろうとしていたためだ。

 

 急に力が抜けたように壁に背中をつくアマーリエ。

 他に人がいないことを良いことに、そのままずるずるとしゃがみ込んでしまう。

 ひとりのときの彼女は、決して強い女性ではない。

 膝の間から見上げるその目は、わずかに潤んでいる。


「……シュウくんは、知っているんだよね。

 だって、彼が……その、イサくんが、イサギさまだってこと」

「……まあね」


 その物言いに愁は、自分が心許されているのだと感じはするけれど。

 どうしてもそこから先には進めない。彼女の心にはイサギがいるからだ。

 

 冒険者ギルド本部にて、ギルドマスター・ハノーファの直属の部下になり。

 アマーリエとともに、剣技、魔術、法術、あるいは冒険者が覚えておかなければならない勉強などを、一からやり直した。

 基礎をしっかりと叩き込んだアマーリエはその才能を開花させたかのように成長し、同じようにその稽古に付き合っていた愁も強くなった。

 だけど。


(ライバルは、世界最強の男だからね。

 いや……ちょっと洒落にならないな)

 

 まあ、その彼も生きていれば、の話だ。

 生きていてはほしいと願うけれど、この異世界はそれほど自分たちに甘くない。

 

 愁が召喚された400年前。

 この世界は今よりも遥かに戦の気配が濃い時代であった。

 

 国と国は常に小競り合いを起こし、人間族――当時は『人』を名乗ったばかりだった――同士ですらまとまっていなかっというのに。

 ドラゴン族、ピリル族、エルフ族、ドワーフ族、魔族、その他諸々の多種族が入り乱れての争いはひどく不安定であり、危うかった。

『英雄の時代』と呼ばれる物語だ。

 

(あの頃は、今よりずっと皆が弱かったから、

 魔法師の僕が特別な扱いを受けていたんだ。

 神化病患者にだって、……そうそう負けることはなかった。

 けれどここは違う。禁術の力があってもなおその上を行く者たちがいる。

 イサくんのように、僕だっていつ命を落とすかもわからない)

 

 愁はいまだ道半ばだ。

 こんなところで倒れるわけにはいかない。


 イサギの背負い鞄の中を確認していた愁は、ふと気づく。

 手紙や非常食、下着の替えや財布、冒険者ギルドカードなどが整頓されて詰め込まれている中。

 愁の目当ては手帳だった。

 そこにはイサギが始末した神化病患者のリストが記載されているはずだ。

 誰にも――アマーリエにさえも――見られる前に回収しなければならない。

 だが。


(――うん?)


 それよりも目を引いたのは。

 本来『あるはずのもの』がない。

 誰かに奪われたか? ……いや、彼が?

 

(……まさか)

 

 イサギが。

 あれを?


 まだ確信はないけれど。

 もしかしたら、イサギは生きているのかもしれない。

 だが、実際のところはどうかわからない。

 余計な希望を抱かせてしまうことになるかもしれず。

 そのことをアマーリエに伝えるかどうか愁は迷い――。


 そのとき、アマーリエがぽつりと言った。


「――英雄マシュウってさ」


 愁は思わず聞き返す。


「……え?」

 

 彼女は知らない。なにも知らないはずだ。

 自分が400年前の世界から召喚された英雄その人であるなど。

 

 うつろな視線を部屋の宙に浮かべながら、アマーリエは続ける。

 

「あたし、あの人のこと全然好きじゃなかった」

「……」

「恋物語ね、結構人気あったんだけどさ、周りの女の子たちの間で。

 でも、あたしはあんなのカッコ悪いって思っていたわ。

 だって好きだった人が死んだからって、もうなにも手につかなくなって、

 それで世界の崩壊もなにもかもどうでもよくなっちゃうだなんて、

 そんなの死んだルナに対する冒涜だわ、って思ってた」

「わかるよ」


 愁はうなずく。

 アマーリエは膝を抱えて。


「あたしはあんな風にはなりたくないって思ってて。

 だから誰にも頼らず、フランツとふたりで冒険者をやっていたんだけど……。

 父さんが死んだときに、ようやくわかったの。

 喪うっていうのは、辛いことなんだな、って……」

「……」

 

 首を傾けるアマーリエは、疲れた顔をしていた。


「あたしはイサくんに憧れていたんだもの。

 だから、こんなところじゃ負けていられないわ……。

 ……そう、頭ではわかっているつもりなのに。

 だから、最愛の恋人が亡くなったマシュウは、

 本当に、すべてを無くしてしまったような想いをしちゃったのね……。

 まだたったの15才で……そんなのあたしだったら耐えられない」

 

 なんて言えばいいかわからず。

 愁はぼんやりと、そんなアマーリエを眺めていた。


 すると、アマーリエはゆっくりと壁に手をついて立ち上がる。


「……うん、ごめんね、シュウくん。

 ホントそうよね、言った通り」

「……ん、なにがだい」

「あたしたちには落ち込んでいる暇はない、ってやつ。

 ありがとうね、突き放してくれて。

 やるべきことがまだ、あるものね」

「ああ」

 

 愁はまるで夢を見ているような気持ちでうなずく。

 アマーリエは弱々しいながらも笑顔を浮かべていた。


「900、900じゃなくて、600ずつね。

 あたしだって、イサくんの仇を取りたいんだから」

「……そうだね。そのときはよろしくお願いするよ」

「任せて。あたしは誰かを守る、そのために……ここに来たんだから」

 

 真剣な顔でそう告げるアマーリエを、愁は素直に美しいと思う。

 だから向き合えず、そんな軽口を叩いてしまう。


「……少し、泣き虫のくせも治ったんじゃない?」

「ばかね」

 

 髪を撫でて少しだけ舌を出したアマーリエは、眉を寄せながら。


「……泣くわよ、終わったらね。

 全部が終わったら、それこそ、マシュウに負けないくらい」


 彼女はいつだって前を向いている。

 どんな不幸の中にあっても、光を――イサギの示したその先を――信じている。

 そのことが愁には、時々すごく眩しく見えるときがあって。

 心の一番やわらかい場所を、ズキズキと苛むから、なにも言えなくなってしまうのだ。

 


 連れ立って部屋を出ようとしているときに、アマーリエはぽつりと漏らす。


「……でも、マシュウのあの行動にだけは納得がいかないわね。

 どうして死んだルナの遺体を弔いもせずに、雪山の中で氷漬けになんてしたのかしら」

「……」


 ぴたり、と。

 愁は足を止めた。


「アマーリエ」

「え?」

「その話をどこで聞いた?」

「あたしは……どこだったかしら」


 アマーリエは少し首をひねり、すぐに思い出す。


「あ、そうそう、確か父さんが持ってきてくれた本に書いてあったのよ。

 王城の古びた書庫に眠ってたらしく、もういらないからもらってきたって。

 あれ? でもそういえば、そのエピソード、

 お伽話のほうの伝説譚には、書いてなかったわね……?」

「場所は」

「うん? どうしたのシュウくん、顔が怖いけど……。

 もしかして、傷がうずいてきたり……?」

「その山の場所は、載っていたか?」

「う、ううん。え、えと、確か……。

 そうね、ドワーフの国を東に行った先、深山の銀嶺としか書いてなかったわ」

「……そうか」

 

 彼の口調に思わず気圧されながら返すアマーリエ。

 愁は「ふぅ……」と深く息をつく。

 

 ――それから、笑みを作った。


「英雄には様々な伝説がつきものだよ、アマーリエ。

 他の話に記述がなかったことを考えれば、

 著者が面白半分で付け加えた物語に違いないだろうね。

 さ、行こうじゃないか。

 僕たちは僕たちの役目を果たすために、ね」


「……ええ」


 わずかな違和感を覚えながらも、アマーリエは彼に続く。

 そうだ、今はそんな話はどうでもいい、とアマーリエも思い。

 彼女は小声でつぶやいた。


「――父さん、力を貸して」



 こうして、ドラゴン族と冒険者たちは、ハウリングポートへと進軍する。

 決戦の時は刻一刻と近づいていた。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 

 イグナイトは敗軍の将だ。


 彼が初めて参加した戦いは、21年前の魔帝戦争。

 当時13才だったイグナイトは、魔王城東部、ハウリングポート周辺にて人間族連合騎士団の補給線を叩くための任務に就いていた。

 

 魔王城付近で戦いを続ける勇者や陽聖騎士団たちの気勢を少しでも削ぐための戦いであった。

 補給部隊を護衛する騎士たちも手強く、イグナイトは多くの友を失いながらも戦い続けた。

 

 魔力はそれほどでもなかったが、真魔族(デヴィル)である彼には強靱な肉体と剣の才能があった。

 生き延びるために尽力し、魔族帝国を支えるために襲撃と陽動を繰り返したその戦いは、唐突な幕切れを迎えた。


 魔帝国軍主力部隊と魔王アンリマンユの敗北だ。

 

 勇者もともに散ったが、まだ彼らには多くの騎士とイサギ・パーティーである強者たちが残っていた。

 戦力差はもはや自明の理。魔族帝国は降伏するより他なく、当時の副議長メドレザは早々に人間族の言い分を受け入れ、帝国を解体した。


 それがイグナイトの初めての敗戦だ。


 それからもずっと、苦い記憶は続く。

 ハウリングポートを攻め落とされ、レリクス、ベリフェス、ミンフェス、暗黒大陸の魔族の都市は次々と奪われた。

 友であるゴールドマンとともに戦場を駆け抜け、そしてひたすらに敗北を続けた。

 それでも主が無事であることに安堵し、敗北するために次なる戦いに身を投じた。


 イグナイトは高潔な武人だ。

 およそ出世欲や金銭とは無縁な彼が騎士団の中でも最高位にまで上り詰めたのは、彼自身の有能さと戦友ゴールドマンの政治的な手腕による後押しが大きいだろう。

 

 

 イサギが二度目に起きたとき、辺りは暗闇だった。

 記憶の中にある激痛にわずかに恐怖しながら、身じろぎをすると。

 

「……っ……」

 

 やはり、痛み。だが耐えられないほどではない。

 起きあがるまではまだまだかかりそうだが。

 

「……ったく、無様なもんだ」

 

 虚空にコードを編み、自らに治癒法術を発現する。

 これで傷の治りも多少は早くなるだろう。

 自分への治癒は魂を分け与える効果がないので、気休め程度のものであったが。

 しばらく治癒を唱えていると、誰かが近づいてきた。

 

 おそらくはこの部屋の持ち主だ。

 警戒はするが、それ以外にはなにもできない。

 身動きが取れないので、まな板の上の鯉の気分だ。


「まだ生きていたか」

 

 揺れるロウソクの灯り。

 浮かび出されたのは、黒い肌の剣士イグナイトだった。


 意外……というほどでもない。

 今の真・魔族帝国の中でイサギを助けられるほどの人物はそうそういないからだ。


「……」

「安心するがいい。ここはハウリングポートの外れ。

 この場所を知っているのは私だけだ。

 手当もわたしひとりで行なわせてもらったからな。

 食事は取れるか?

 いや、まだ無理そうだな。水だけでも口にするといい」

 

 水差しを運んでくる彼を見上げながら、イサギは少し考えて。

 

「情で助けたわけじゃないだろう」

「口ぶりは元気だな。

 お前の持ち物と思われるものは、すべて拾い上げたつもりだ。

 動けるようになったら確認するといい」


 壁にカラドボルグやミストルティンなどが立て掛けられていた。

 よくもまあ探し出したものだ。


「イグナイト、これはお前の意志なのか?」

「……」

 

 イグナイトはイサギのベッドの前で佇む。


「魔族にとってなにが平和であるか、考えたことがある」

「ほう」

「アンリマンユさまが死に、私たち魔族には変革期が訪れた。

 様々なことがあり……生き死にの中、私たちには光が必要だったのだ。

 アンリマンユさまのご令嬢、デュテュさまさえ生きていれば、私たちは再び団結できる。そう私は思っていた。

 その中で、やはり私の主はメドレザではなく、デュテュさまだった。

 あの方を助けることが私の生きる道だと思っていたのだ」

「……ふむ」

「ヨシノブさまやレンゾウさま、それにあなたはとてつもなく強かった。

 さすがは異世界からの使者だと感銘も受けた。

 あなた方は私たちが20年かけてできなかったことをたったの1年でやってのけた。

 カリブルヌスが倒れ、冒険者ギルドのバリーズド、そして人間族の英雄セルデルも死んだ。

 この世界は再び変革期を迎えているのだろう。

 ゴールドマンは狡猾だ。この嵐に乗じて、スラオシャ大陸を巻き込もうとしている。

 あろうことか、デュテュさまを担ぎあげて、な」

 

 イサギは口を閉ざす。

 自分の生殺与奪権をこの男が握っていると知っているからだ。

 うかつなことは喋られないだろう。

 だが、どうやらイグナイトに敵意はないようだ。

 彼はむしろ、悲しみを抱いているような気さえする。


 イサギは慎重に問う。


「……ゴールドマンとお前は友人同士だと聞いていたが?」

「ああ。友の過ちを正すのは、友の役目さ」

 

 砕けた口調の彼に、イサギはふと廉造のことを思い出す。

 そういうものかもしれない。


「ゴールドマンは野望に取り憑かれている。

 それは今までずっと魔族が虐げられていたことに起因する。

 私もあの男の気持ちは理解できるつもりだ。

 だが、デュテュさまを巻き込んでしまったことだけは許されぬ」

「イグナイト……」

「聞いた話では、お前とデュテュさまは親しいようだな」

「え?」

 

 思わず聞き返す。

 イグナイトの顔には表情が浮かんでいない。


「……私の言葉では、デュテュさまを揺り動かすことはできなかった。

 だが、お前ならば、あるいはと思ったのだ。

 デュテュの寵愛を注がれたお前なら、あるいは」

「……寵愛?」

 

 一体なにを言っているのか。

 するとイグナイトは眉をひそめ。


「魔王ヨシノブさまに聞いたことがあるぞ。

 イサ殿はデュテュさまの恋人であったと」

「おい慶喜……」

 

 あいつはなにを言っているんだ。

 そのような事実はない。


「さらにエルフ族の王女をも手篭めにし、我が物顔で魔王城を支配していたと」

「いや、いやいや……」

「どんな男かと思っていたがな、会った感触では悪くはなかった。

 デュテュさまと結ばれるということは、私の主になるということだからな。

 慎重に見極めさせてもらったとも」

「お前、そんな目で俺のことを見ていたのか……」


 デュテュもリミノも、自分とはそういう関係ではなかった。

 なぜなら自分には――。

 ――。

 

 いや、それはいい。イサギはため息をつく。

 

「とりあえず、慶喜の言っていたことはデタラメだ」

「だが、デュテュさまもおっしゃっていたぞ。

 皆の反対を押し切ってでもスラオシャ大陸に渡ろうとしていたのは、

 お前に久しぶりに会えるかもしれないから、だとな」

「……マジかよ」

 

 デュテュとはまだ再会していないけれど、きっとあのいつもの笑顔を浮かべているのだろう。

 思わず、イサギは唇の感触を思い出してしまう。


 イグナイトはイサギを見下ろしながら、小さく首を振り。


「頃合いを見て、デュテュさまをここに連れてくることにしよう。

 あのお方の考えが聞けるといいのだが……」

「……デュテュは、お前たちにもなにも話していないのか」

「あるいはレ・ヴァリスやゴールドマンの洗脳も疑ったがな。

 デュテュさまは仮にもアンリマンユさまのご令嬢。そんなものが効くはずなどはない。

 なぜ今になって、このタイミングで人間族に立ち向かおうとしたものか……。

 私にはさっぱりだ。

 だが、このまま戦いを進めてもあの方は幸せにはなれないだろう」

「……そう思っているのか」

「私の命はデュテュさまに捧げているが、あの方が浮かばれなければ意味がない。

 真意を知りたいのだ。そのために協力をしてくれ、イサ殿」

「……」


 都合の悪いことだから、黙っていようとも考えたけれど。

 イサギは目をつむり、つぶやく。


「いいのか、イグナイト。

 俺は戦争を止めるために来た」

「……」

「デュテュがレ・ヴァリスを利用し、心からスラオシャ大陸の支配を願っているとしたら、それは俺の目的と衝突することになる。

 ……俺はデュテュを斬ることになるかもしれないぞ」

「いいさ」

 

 イグナイトは武人らしき無骨な笑みを浮かべる。


「話が聞けたならば、私の心が決まる。

 世界の支配がデュテュさまの望みならば、私が邪魔する者を斬り捨てる。

 それが貴殿であり、どんなにデュテュさまに恨まれることになろうがな。

 単純な話だろう?」

「……そうだな」

 

 イサギはうめき、全身の力を抜いてベッドに横たわった。


「もしものときを考えて、両腕を切り落とし、下半身不随にしてからデュテュさまに対面してもらおうとも思ったがな。

 仮にデュテュさまがレ・ヴァリスに脅されているのだとしたら、あなたの力が必要になる。

 どうすればいいかと迷った結果、こうして手当をすることにしたのだ」

「……いや、助けてもらってなんだけどな。

 正直すぎるだろ、イグナイト……」


 さすがに寒気がした。

 彼は容易にそんなことができる位置にいる。


「フ、冗談だ」


 口元をほころばせる彼の前に横たわり、やはりイグナイトのことは嫌いにはなれない、と。

 イサギはそう思った。



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