今日も綺麗な曇り空
「――ねえ、大丈夫?」
放課後の教室で、ある女子生徒に声を掛けた。
彼女は朝から元気がなかった。ずっと俯き加減で、誰かに話しかけられても苦しそうな笑みを浮かべるだけ。
僕の声に反応して顔を上げた。
可愛らしい顔立ちをしているが、その表情からは生気を感じない。まるで、大切な何かを失ってしまった直後のようだ。
「心配してくれてありがとね。私は大丈夫だよ」
それが嘘だとはっきりわかる。声に元気がないし、どう見ても作り笑顔だ。
「全然大丈夫じゃなさそうだよ」
「……空ちゃんは鋭いね」
「また、例の幼馴染君のこと?」
「自分の馬鹿さ加減が嫌になるんだ。あれから今日で一年が経つのに、私は後悔してばかり。本当にどうしようもないよね」
少女は虚ろな瞳で僕を見つめる。
「空ちゃんは本当に綺麗だよね。私も空ちゃんくらい可愛くて綺麗だったら、自分の気持ちを真っすぐ伝えられたのにな」
「……」
僕の名前は海老沼空。
性別は女だ。
自分で言うのも変な話だけど、絶世の美少女だったりする。髪は絹のように滑らかで、顔立ちはアイドルのように整っている。スタイルも抜群で、我ながら非の打ちどころがない。歩いているとあちこちから羨望と好意の視線を感じる。
街を歩けば当たり前のようにスカウトされるし、この学校に転校してから一か月くらいなのに告白された回数は二桁を超えている。
「……幼馴染君のこと、本当に好きだったんだね」
「うん、大好きだよ。いつも優しくて、顔は可愛いのに男らしくて頼りになって、誰よりも素敵な男の子だった。本当に大好きだったんだ」
涙声で答えた少女の名前は水越優華。
「ずっとずっと好きだったのに、素直になれなかった。あんなことになるなら素直に気持ちを伝えていれば良かった……全部私のせいだ」
優華の声には絶望と諦観が入り混じっていた。
この学校に転校してから何度も聞いた言葉ではあるが、相変わらず複雑な気持ちにさせてくれる。
優華が後悔の涙を流している相手は他でもない、僕なのだから。
陸浦空という少年は、過去の僕だ。この学校に通っていた男子生徒で、優華とは家が近所で幼馴染だった。
……あれから一年も経つのか。
人生の転機となった一年前のあの日、僕は自分の人生に幕を下ろすつもりだった。
理由は長年の蓄積だ。
幼い頃は仲良しだった両親はいつの間にかケンカばかりするようになり、毎日のように離婚話をしていた。親がケンカする姿を見るのも嫌だったけど、何より辛かったのはどっちも僕の引き取りを拒否していたことだ。目の前で僕の押し付け合いを見せられるのは精神的にきつかった。
学校では馬鹿にされ続けた。
優華には女の子みたいだと笑われ、同級生からは魔力がない無能と罵倒された。
生きることが苦痛だった。
だから自分の手で人生を終わらせるつもりだった。遺書代わりのメッセージを親友に送って、命を捨てるためダンジョンに向かった。
その途中、事件に巻き込まれた。
小さな女の子が通り魔に刺されそうになっていた。咄嗟に体が動き、気付いた時には女の子を庇って刺されていた。
どうしようもない人生だったけど、最後に誰かの役に立てた。
これで人生が終わる。この地獄から抜け出せる――
安堵しながら目を瞑った。
「……」
でも、僕は目覚めてしまった。しかも女の子になっていた。
あの時はビックリした。意味がわからないと慌てふためいた。実は死亡して、別の世界に来てしまったのではないかと疑ったくらいだ。
性別が変わったのは通り魔が持っていた刃物が原因だ。僕を刺したのはダンジョン産のナイフで、その効果で性転換してしまったらしい。刺された傷はすぐに治療されたので一命は取り留めたが、性別を元に戻す方法はわからなかった。
「自殺だったんだよね?」
「空君の親友にメッセージが届いたの。人生に疲れたって。だからダンジョンに向かうって。そのまま帰って来なかった」
「……」
「メッセージには個人を中傷する言葉はなかったけど、私のせいだ。女の子みたいな顔って言われるのあんなに嫌がってたのに!」
優華は泣きそうな顔で後悔の言葉を口にする。
そう、陸浦空の物語は終わった。
目を覚ました僕は探索者ギルドの人達と話し合った。
僕の行動は英雄的だと褒められ、同時に謝罪された。犯人は探索者ギルドから依頼された鑑定士で、犯人には借金があった。鑑定している刃物を売れば金になると考えて持ち出した。しかし持ち出したところを見られたので逃走し、逃走先にたまたま女の子と僕がいたというわけだ。
それから様々な出来事があった。
両親は離婚し、僕は祖父母の養子となった。本来なら施設行きになるところを祖父母が引き取ってくれたのだ。
探索者ギルドの人達は埋め合わせとばかりに各種手続きをしてくれたり、新生活のサポートをしてくれた。
結局、性別が戻ることはなかった。
同じ刃物で刺せば可能性はあったが、僕がそれを望まなかった。陸浦空は死亡扱いになった。正確にはダンジョンに足を踏み入れ、行方不明という状態だ。これはよくあることなので特に珍しくもない。
こうして、わずかな間に名前と性別が変わった。
普通の人なら嘆く出来事かもしれない。
けれど、僕にとってこの出来事は人生の転機だった。
祖父母は女の子になった僕に対して優しくしてくれた。おかげで徐々にメンタルが回復し、普通に生活できるようになった。
引き取られてから通い出した学校では女子生徒として扱われた。
最初は戸惑いもあったけど、周囲がとても優しかった。それには理由がある。女の子になった僕が信じられないくらい可愛かったからだ。
また、嬉しい誤算もあった。この姿になって魔力に目覚めた。
探索者ギルドの見解としてはダンジョン産の武器には魔力が宿っているので、刺されたことで眠っていた魔力が目覚めたという。
容姿でも能力でも馬鹿にされることはなくなった。普通に生活し、普通に友達が出来て、普通の人生が送れるようになった――
ようやく他の人と同じになれた。
ようやく普通の生活が送れるようになった。
ここで満足できたら幸せだったのだろう。
僕にはそれができなかった。平和な生活を送る中で、僕を苦しめた奴等がのうのうと生きている事実が許せなくなった。
――復讐しよう……
両親にも恨みはあったが、それでも育ててくれた恩はある。僕が子供の頃は優しい両親だったし、復讐するつもりはなかった。
ただ、僕を苦しめた学校の連中には絶対復讐する。きっと僕の死を笑っているだろう。僕を虐げた連中には地獄を味合わせてやる。
そう意気込み、この学校に戻って来た。
あの時はワクワクしていた。僕の死を笑っている連中を地獄の底に叩き落とすところを想像したら、楽しくて仕方なかった。どう復讐しようか考えるだけで気分が晴れやかになった。
しかし、蓋を開けてみたら――
「ゴメンなさい、空君!」
復讐対象の一人だった優華の様子がこれだ。
再会した時、優華は抜け殻のようになっていた。
記憶の中にある姿とは大きく異なっていた。弾けるような笑顔はどこかに消え、毎日苦しそうに僕の名前をつぶやいていた。後悔と自責の念で押し潰されてしまいそうだった。
優華だけじゃない。
「……違う。陸浦の奴を追い詰めたのはあたしだ」
不意に、別の声が入って来た。
「琴葉ちゃん?」
「あたしのせいだ。全部あたしのせいだ!」
僕を苦しめたもう一人の元凶たる少女は、曇った表情でそう口にした。
天雷琴葉。
彼女は僕を魔力のない無能だと馬鹿にしていた同級生であり、僕を罵倒したり、虐めていたグループのリーダーでもある。
「馬鹿だったのはあたしだ」
「……」
「妹の恩人に……ホント、どうしようもないクズだ!」
あの日、僕が通り魔から庇った女の子は天雷琴葉の妹だった。
彼女はその事実を知って激しく動揺した。それで猛省して、今ではこのザマだ。相当ショックだったらしく、僕が転校してきた時には別人のようになっていた。
復讐する気マンマンで戻ってきたら、肝心の復讐対象がこれだ。
……面白くない。
僕がしたかったのは調子に乗っている連中を地獄に叩き落とすことなのに。どうして苦しそうにしてるんだよ。罪悪感とか覚えるなよ。悪のまま過ごせよ。良心の呵責に苦しむなよ。クズならクズらしくしてろよ。
イライラする。
スカっと復讐させてほしかった。そうしたら本当の意味で満足できたし、僕は新しい人生を歩めたはずなのに。
「ほら、どっちも元気出しなよ」
だから作戦を変更することにした。
「泣いてばかりだとその男の子も悲しいはずだよ。優しい人だったみたいだし、二人には前を向いて欲しいと願っているんじゃないかな」
僕は毎日のように彼女達を励ましている。
これは優しさじゃない。
二人を元気にして、調子に乗らせる。その後、過去の僕に対する感情が薄れた頃に正体を明かす。励ましてくれた僕の正体を知った二人の心は大きく揺らぐ。動揺したところで過去に受けた仕打ちを暴露し、僕の復讐は完了する。
「……」
でも、励ましていると胸が締めつけられる気分になる。
自分を苦しめた相手を励ますという行為の愚かさが嫌になる。これくらいしか復讐方法が思いつかない自分の頭が嫌になる。二人が見せる弱々しい姿に罪悪感が芽生える自分が嫌になる。復讐するという気持ちが薄れそうになるのが嫌になる。
「……」
「……」
もやもやしていると、優華と琴葉の視線を感じた。
二人は僕の顔を見て固まっていた。まるで見惚れているかのように、釘付けになっていた。
「えっと、どうしたのかな?」
二人は僕の顔を見つめながら目を瞬いた。
「空ちゃんの顔、とっても辛そう」
「ああ、めちゃくちゃ曇ってた」
僕の顔が曇ってる?
何を言っているのか。
復讐するのが楽しみなだけだ。他に理由はない。確かに優華は初恋の相手だし、明るくてリーダーシップのある琴葉に憧れていた時期もあった。
今は違う。僕はただ復讐したいだけだ。二人の苦しむ姿を見たいだけ。僕の心はもう決まっている。今さら迷ったりはしない。
「でも、空ちゃんの曇ってる顔が信じられないくらい綺麗だった」
「神秘的っていうか、女神が憂いを帯びてるみたいだったな。あまりにも綺麗すぎて同じ女なのに見惚れちまった」
また調子の狂うことを。
何と答えたらいいのかわからなくなり、僕は逃げるように窓の方に視線を向けた。
今日の空もまた、僕達の心みたいに曇っていた。




