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34話

 異空間に向けて俺たちはショッピングモールを後にした。幾許かの不安は残るものの、バケモノの姿は見えない。


 民間人を守る責務を最低限、果たしたと言えるだろう。

 その場に留まる選択肢もあったのだが、それでは根本的解決には至らない事は理解している。


 結局、神によるとバケモノが生み出されるのは異空間なのだから、そこをどうにかしない事には活路を見い出せない。



 ──確か場所は……。


 思ったところで、自分の思考と連鎖したように幡代が代弁した。


「梅小路公園でしたよね? 京都水族館近くにある……」


「ああ、そこだったと思う」


「どれほどの被害が出ているかわかりませんが行ってみるしかありません」


 JR嵯峨野線、京都駅からは徒歩で十五分ほど要する場所だった。


 見た事はないが春は桜、秋は幻想的にライトアップされた紅葉がかなりの人気を博しているらしい。


 一昨日流れていたテレビの映像によると閉鎖されているらしく立ち入り禁止だとの事。


 ひとまず、諸悪の根源となる──梅小路公園へと向かう。


 車通りもないのに幡代は律儀に信号機の前で立ち止まると、俯き加減に言った。


「おそらく、彼女──芦屋さんは異空間の場所にいると思います」


「……なんでわかるんだ?」


 俺は訊き返す。


 しばし押し黙り、赤信号の点滅を見つめながらぽつりと呟いた。


「──根拠はありません。でも、そうであってほしいと思ってる自分がいるんです。どこかで、まだ間に合うんじゃないかって……」 


 その声色にはわずかに祈りのような響きがあった。

 普段の彼女からすれば意外なほど、感情の乗った言葉だった。


「まったく、らしくないな」


 皮肉混じりに返すと、幡代はうっすらと笑った。


「ですよね。でも、……希望くらいは持っていてもいいでしょう?」


「そうだな。希望を持っていないとやってられないもんな」


 信号機が青に変わった。

 梅小路公園へと向かう道すがら、俺たちは多くを語らなかった。


 しかし、沈黙はただの空白ではなかった。


 それぞれの胸に引っかかるもの──芦屋の事、異空間の事、覚醒者としての責任。


 それらが重なり合って、歩を進めるたびにじわじわと心を圧迫してくる。

 

 ……本当に、間に合うのだろうか。俺たちにまだ何かを変える力が残されているのだろうか。


 そんな考えが浮かびかけたとき、不意に幡代が足を止めた。


「ちょっと待ってください」


 視線の先には──公園の入り口があった。


 映像に映し出されていた自衛隊員の姿はいない。加えて、立ち入り禁止の黄色いテープが無残に千切れ風に乗ってなびく。


 立て掛けられたフェンス隙間からは、異様な空気が滲み出ていた。


「……ここから先は、本当に異空間に近い領域だと思います」


「なら、覚悟を決めるしかないな」


 俺たちは無言で頷き合い、柵を越える。



 ──その瞬間、空気が一変した。



 正確に言うと光景も異様だった。

 肌感覚、漠然としたはっきりしないものではない。


 視覚的に異質だと理解するのにそう時間はかからなかった。


「……草木が枯れてる?」


「ですね。しかもここら一体が萎調しているような感じです……」


 地面を見遣ると、草は炭化している風で色鮮やかだった瑞々しさは当に失われていた。


 草だけでなく、花や木など辺り一帯が色という色を失い、着色する前のキャンパスの中にいるような非現実的な光景が眼前に広がっていた。


 のっぺりとした印象を受ける。


 ……ライトアップされる秋? 桜が満開になる春?

如何せんそんな面影を感じない。


 これからの季節に鮮やかさを象徴する風景が待ち望んでいるとは到底思えない光景──張りぼてな背景に崩壊を痛感させられた。

 同時にこの場所はかつて、活気に溢れていた公園には二度と戻らないと悟る。


「神の言う通り、着実に侵食してきています……なんとかしないとマズイ事になりますね、これは」


「そうだな。だんだん世界を飲み込み、行く末は崩壊になんのかな」


「何を今更、弱気になっているんですか? 私達は覚醒者ですよ。力があります」


「……別に弱気になんかなってねぇよ。ただ、脳裏に過っただけだ。さっさと終わらせて寝たいってのが本心だけどな」


 俺はぶっきらぼうに言い放つ。


「それよりさっきの話の続きだが、仮に芦屋が異空間の場所にいたとして……どうするつもりなんだ?」


「……ええと」


 呟きながら、視線をこちらに寄越した。


「まさか、仲間にするなんてつもりじゃないだろうな?」


「まぁ、はい。そのまさかを想定してしましたけど……」


「は、嘘だろッ!? できるわけないだろ! あいつは完全に敵だってお前も言ってたじゃないかよ」


 できるはずがない。

 無謀だと俺は本気で思った……断じて嘘じゃない。


 芦屋の放った言葉には幡代の意思とまるで相反する考えが内含していたのだ。


 それも、明確な根拠と思想。

 要するにニヒリズム的思考を持っているのに対して、幡代には行動原理に根深い自己犠牲の責任感と感情論が孕んでいる。


 それらの乖離した相違点が交わる事は限りなくゼロに近い。


 二人の考えの比較から対立する結果になると推測するのは容易い。


 芦屋が言っていた言葉の端々からも読み取れた。


「けれど、交渉する余地はあると思います……それでも無理だった場合は戦闘も視野に入れておいてください」


「……戦闘?」


「はい。芦屋さんは今のところ、この世界における危険分子に変わりありません。彼女がこの世界を崩壊にもたらすのも事実です」


「随分と強硬手段なんだな……幡代の事だから平和的解決で一貫するのかと思ってた」


「もちろん、そのつもりですよ。最終手段の話です」


 幡代は煮え切らない物言いで、そっと拳を握りしめた。


 ……人間に対して刃を向ける? バケモノとは違う、芦屋は人間だ。


 前者ならまだしも、果たして人間に明確な殺意を持つ事ができるのだろうか?


 幡代の言葉を聞いてふと、そんな懸念が過ぎった。 小学生同士の喧嘩とかボクシングとか、生温いものじゃない。


「いや、今はもうよそう。イフの話をしても仕方がないか……」


「どうしました? 氷室さん」


「……なんでもない。ただ考え事をしていただけだよ」

「そうですか?」と、彼女は不思議そうに俺の顔を見遣った。


 綺麗に舗装された梅小路公園を歩き続ける。


 京都水族館『KYOTO AQUARIUM』と英語で刻印されていたであろう入口が視界に入った。


 コンクリートが腐食しているのか、文字は剥がれ落ち、歯抜け状態で所々しか残っていない。


 相当昔、水族館に関しては一度だけ家族と訪れた事がある。

 これまで記憶の片隅にも残っていなかったのだが、幻覚でも見ているように人々が訪れている様子が虚像として視界には映し出されていた。


 人々の喜色を湛える表情が浮かぶ。

 ある子供の日に訪れ、目の前にした風景や夏の匂いが体を駆け巡る感覚。


 そのノスタルジックな気持ちに胸が締め付けられる思いでいっぱいになった。 

 

 ──まるで、走馬灯を見るかのように現実味を帯びたようだった。


「やっほー、二人とも!」


「芦屋さん……あなたは……」


 それらが幻覚であると知ったのは、幡代の怪訝な声色に気か付いたときだった。


「少しぶりかな? そんな事ないね、ひとまず元気にしてた〜?」


「……お前はなんでここにいる? なんの目的があってここにいた?」


 ぼんやりとした思考を取り戻す。

 そして、俺は芦屋を見据えて言い放つ。


「キミたちがよく知ってるんじゃない?」


 高校の制服を身に纏う彼女は変わらぬ様子で、厭に淡々としていた。


「……私たちの邪魔をしに来たって事ですよね。ここに異空間がある事を知っているから、それを止めに来た私たちを……」


「だいせいか〜い! やっぱり頭いいね、エマっちは!」


 手の平を合わせて、パチパチと拍手をして見せた。


「それにしても、ゆうっちは結局そっち側についたんだ。なんだか、がっかりだな。私はキミと気が合いそうだなって思ってたのに〜」


「そんなわけないだろ。お前みたいな狂人と同じにするんじゃねぇよ」


「狂人だなんて、人聞き悪くない〜? 悲しいよ〜」


 あれは本心じゃない。

 アイツは明らかに仮面を被っている。その仮面の下にどんな素顔が隠されているのだろう。


 残念ながら不気味な感触が拭いきれておらず、不自然な声の抑揚やどこか常軌を逸した言動が浮き彫りだ。


 芦屋はこれで隠せたつもりと思っているのならば愚鈍な考えと言える、俯瞰で見ればどこか違和感があるのは明らかなのだから。


「……芦屋さん。今からでも間に合います、私たちと協力して世界の崩壊を救いませんか?」


 言っていたように、幡代は俺たちと協力するよう切り出す。


 にも関わらず、もちろん芦屋の答えは決まっていた。俺が想定していた通りで。


「……だから、やだよそんなの。つまんないじゃん」

 芦屋は軽い調子で笑ってみせる。


 その笑顔は相変わらず作り物で、目の奥には冷酷さが宿っていた。


「世界を救う? そんなの無意味だって言ってるよね。そういう強要って本当に気持ち悪くて……やっぱりこの世界はゴミなんだってその言葉で再認識した」


 淡々と吐き捨てるその口調に、微かな怒りすら滲んでいた。


 しかし、それは外へ向けたものではなく、自らの過去に対する自己正当化のようにも思えた。


「結局、この世界は最初から全部決まってるんだよ。人間として生まれ落ちて──そこでの環境に左右される……」


 一瞬、芦屋の目が微かに揺れる。


 だが、すぐに無感情の仮面をかぶり直すように、ふっと笑う。


「……まぁ、私はもう終わらせたけどね。全部、自分の手で」


 その一言に、場の空気が凍りついた。

 寒さのせいじゃない。


 幡代が小さく息を呑み、俺も言葉を失う。


「終わらせた……? 何をですか?」


「そのままの意味だよ。殺したって事。あれだけ私に暴力をふるっておいて、最後には泣きついて助けを乞いてきたんだよ……滑稽だよねぇ〜あはははっ!」


「芦屋さん……?」


「私は世界が崩壊する事しか自分を救えないんだよ。両親を殺したときにもうすべてが終わってた。もしかしたら、幡代さんや氷室さんみたいになれたかもしれない──けどこれが私の選択だから」


 芦屋は鋭利なナイフをこちらに向ける。


 それは交渉決裂を表す最低で最大の表現だった。刃を向けるという事。

 それは単なる敵意ではない──選び取った道をもう誰にも否定させない、自分の導き出した答えを省みない、という決意の証明。


 誰かに手を差し伸べられるたびに、心のどこかで揺れてしまう自分を、完全に封じ込める為の最後の線引き。逃げ道を塞いだのだ。 



 ──彼女もまた俺たちと同様に幾度も自問自答し、葛藤していたのだろうか。



 分岐点。

 芦屋の人生を決める重要な選択だったと俺は思う。


 一度選べば、二度とは戻れない場所。

 きっと彼女自身にもわかっていたはずだ。


 これが、彼女の人生を決定づける選択になると。

 それでも彼女は刃を握った。


 俺は芦屋の意思を汲み取ると、徐にナイフを取り出した。


「やるしかないみたいだな……アイツは本気で俺たちを殺そうとしてる」


「はい。残念ですがそうみたいですね……」


 眉間に皺を寄せながら答える。

 

 幡代を見遣ると、その瞳にどこか寂しげな色が滲み出ていた。


「ほんとに終末の世界って感じがするよね。本来なら覚醒者として世界を助ける為に選ばれた私たちが対立するなんて誰が予想したんだろ?」


「……それも人間の悪い部分なんじゃないか? 人が全員同じ気持ちなわけないって事だろ」


「……らしいね。やっぱり世界はダメって事だ」


 今まで俺は考えた事がなかった。

 正直、興味すらなかったと言っても過言ではない。人間という生き物を──本質を知る事すら些末な事柄として深く、意識する価値もない。


 しかし、覚醒者として幡代と行動するうちに俺は徐々にその重要性を思い知らされた。


 人はどれほど利己的なのかと。自分さえ良ければなんでもいいのかもしれない。

 自身に多大な影響が及ばなければ単なる他人事。確かに間違ってはいない。でも、人としてあるべき姿としては間違っている。


 誰しもその重要性を力説し、頭では思っているのにも関わらず、行動が伴わない。


 たとえば、誰かが助けを求めているとき。自分が手を伸ばす必要があると理解していても、自ら動こうとはしない。


 言葉と行動の間に、深い溝があるのだ。

 俺は息を整え、目の前の芦屋の動きをじっと見つめる。


 刃の先が太陽に反射して鋭く光る。

 呼吸の乱れさえ感じ取れそうなほど、静寂が二人を包む。


「そっちが来ないならいくよ?」


 芦屋はナイフを前に出し、俺を目がけて飛び跳ねた。


 鋭利な刃が太陽の光に反射して鋭く光る。


「…………くッ!!」


「雄弁な割には実力が足りてないんじゃない? ゆうっち」 


「それは、お前もだろッ!」


「氷室さん!」


 既のところで俺も咄嗟にナイフを突き出した。手首に電流が走ったように衝撃が肩へと伝わった。

 芦屋は目を細めて薄ら笑いを浮かべる。


 カチンッと刃同士が重なり、目前に火花が散る。


「……くっそ、力つえーなッ! ホントに女子高生かよ」


「早く覚醒の力使ってもいいんじゃない? もしかして、手加減とかしてる? 私を殺す気でこないとホントに殺されちゃうよ〜」


 歯を噛み締め、刃を強く握る。


 何度か刃を交わすうち、俺は一瞬、呼吸を整える時間をつくる。


 芦屋もその間に微かに身を翻し、次の攻撃の予兆を見せる。互いに間合いを測りながら息を潜める一瞬の静寂。


 そして……芦屋はわずかに笑みを強め、ナイフを持つ手を緩めた。


「あーあ、こんな武器じゃ意味ないよ。そっちが覚醒しないならもう終わらせていいかな? ずっとナイフで戦ってたらキリがないし時間の無駄だから」


「……なっ! 本気で殺しにかかってきやがる気か……!」


「うん、もちろん!」


 欣快な声で言い放つ。

 手元にあったナイフを放り捨てると、瞬く間に地面から数本の触手が這い出てきた。


 それを見た幡代は俺の肩を掴んで引っ張る。


「離れてくださいッ!」


「ああ、わかってるって!」


 三メートルほど後ずさり、距離を取った。

 途端に真っ黒の触手が芦屋の体へと纏わりついてゆく。足から腰、頭の方へとみるみる内に飲み込む。


 最終的に全身が真っ黒に覆われて、バケモノと化していた。


 それはもう、人間と呼べる姿ではない。殺す事に特化したかぎ爪、元あった身長から膨張し、今では二倍近い体躯になっている。


 ──間違いなく、純然たるバケモノ。


「グウウ……ッ」


 唸り声を上げ、真っ赤な眼光をこちらに寄こす。


 意識がないのか、言語を話す知能もなくなったのか不明だが、絶え間なく動物的な低い声を発する。


 束の間、バケモノと化した芦屋の掌に空気が凝縮していく。

 やがて、形を成した風の玉は渦巻く刃を孕んだ塊となりこちらへと、狙いを定めていた。


「幡代、気をつけろ! 絶対に当たるなよ!」


「もちろんです。あんなの当たったら跡形もなくなりますよ」


 荒らげた俺の声に、幡代は鋭く返した。


 次の瞬間、轟音とともに解き放たれる。

 圧縮された空気の塊が一直線に走り出し、地を抉りながら風の玉が迫ってくる。


 その速度は目で追うよりも速く、わずかに遅れれば肉体ごと粉砕される事は明らかだった。


 反射的に足が地を蹴った。肺が悲鳴を上げるのも構わず俺は体をひねり、地面に身を投げ出す。


 耳を裂く轟風が背を撫でたと同時に、爆ぜるような衝撃音が後方から響き渡った。

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